柔軟心




「柔軟心」読んで字のごとし「にゅうなんしん」です。
心が柔らかいということはどういうことでしょうか?

独りよがりにならずに他人の意見を取り入れることが出来るかということです。
「自分の常識は他人の非常識」自分が正しいと思うことは、
他人から見たら非常識になることが多いのです。
禅の世界でも「人の数だけ価値観がある。立場が変わればものの見方も違う。
違いを受け入れ互いを尊敬するやわらかな心」と言われています。

常に感情的にならなくて、一歩下がって相手の話を聞くことです。
世代も経験も違えば「我々の時代は」と言われた時点で、彼らはガードを固めます。
勿論、相手が女性の場合ならなおさら男性側の意見を押し付けると反感を買います。

本日のテーマは「柔軟心」と「清濁併せ持つ」です。

水から学ぶことは多いのですが、その一つをお話ししたいと思います。 
「水は方円(ほうえん)の器に随う」という偈があります。
水は柔軟な物の典型として方形の器であろうと円形の器であろうと
その形に随って形を変えて寄り添うということであります。 

人で言うなら心の柔らかさ、柔軟心(にゅうなんしん)の大切さを教えています。
その水も綺麗な真水がいいと思っていました。
言い換えると、白分がきれいでないと他の汚れは洗えないと思っていました。 

しかし、経験された方もあるかも知れませんが、洪水で泥水が家宅に浸水し、
家具が泥だらけになったとき、泥で汚れた家具をきれいな水で洗ったら、
しみが残ります。泥で汚れたものは、一度、泥水で洗ってから
きれいな水で洗わなければならないのです。  

人間関係もやはりそのようです。自分が「規則を厳守し、曲がったことが嫌い」
という生き方の人は褒められこそすれ、少しも悪いことではないのですが、
やりたくてもできない人の性格の弱さ、経済力の無さが理解できず、
助けることが出来ないのです。きれいな水の人なのです。

「自分が汚れなければ、他の汚れを洗うこともできない」と思えるようになって
初めて、清濁合わせ飲める度量ができるのだと思います。

目、耳、口の自由を2歳で失ったヘレン・ケラーが最初に覚えた言葉は
「水」であったといいます。 サリバン先生がヘレンの左手に井戸水をかけ、
右の手のひらに指で「W-A-T-E-R」と書いた。
それが、「私の手を流れる、すばらしい、冷たい何か」についた
名前であることを知ります。
水が魂を目覚めさせ、「光と希望」を与えてくれたと、自伝で回想されています。 

水は一滴々々が集まり、岩をも、山をも砕く荒々しい試練を与える働きから、
人の気持ちに寄り添える優しさまでを持っているのです。

清濁併せ持つという言葉は、
善悪の両面を併せ持っているという意味で、基本的には人間に使われる言葉です。

企業に関しては悪意を持って行動している部分がないという建前
(結果的に悪であっても)があるため、あまり使われない言葉でもあります。

自動車であれば利便性はあるものの事故の危険性や排ガスの問題があると言えますが、
清濁併せ持つとは言わないことが一般的でしょう。

偉人や政治家などに使われることもあるのですが、功績と負の面があると
清濁併せ持つ人と振り返る形で使われます。
普通の人であれば定義や程度にもよりますが善悪両面は持っていても、
仕方ない部分があるので、わざわざ使わない言葉ともなっています。

また、この言葉において善悪の比率まではイメージできず、
残忍な罪を犯した人であっても優しい部分を持っているということもできます。
清濁併せ持つではなく、清いのみの人は聖人、濁りのみの人は悪人と
言えなくもありません。

今、話題のジャニーズ事務所創設者ジャニー喜多川氏は、
日本の男性アイドル市場を開拓した人です。
しかし彼が犯した性犯罪は史上まれに見ない異常な事件です。
余りにも功績のある人物だったのでマスコミも手を付けられませんでした。
清濁併せ持つ人物でしたが、事件が明るみに出て濁(どろ)が大きすぎて、
日本はとどまらずに世界の音楽業界から消されてしまいました。

純粋に音楽が好きでアイドルに憧れてきた少年たちをスターにしてきても、
その子たちを泥まみれにした罪の方が大きすぎて永久に葬むらなければなりません。
同時に応援してきたファンにも拭いきれない泥の記憶になりました。

「万物は流転する」生まれ、変化し、消滅する。
「無常観」この世には完全無欠、あるいは絶対不変なものはない。
「理性的存在者」日々、迎える一秒一秒の「生の価値」を存分に満喫したいものです。

私はプロデューサーとして、また年齢を重ねた人間として、
水のような柔らかな心と負の部分も受け入れる心が持てるようになりました。

合掌

運を呼び込む




「技術的」練習以上に大切なことは「運を呼び込む」練習です。
「運」は突然やって来ます。その時にその運を掴めるかにかかって来ます。
「チャンスの神様毛が3本」と言われるように捕まえるのが大変です。
普段から準備しておかないと気づいた時には通り過ぎてしまいます。

普段の準備とは常に万全の体制で時期を待つ気持ちです。
例えば突然メンバーの欠員ができてピンチヒッターを頼まれた時に、
それに応えることが出来るかです。
その為には普段から万が一を予測しておくことです。

心の準備、技術の準備、見た目の準備、もちろんそれ以上に
気力・体力が充実していなければなりません。
いつでも本番OKの状態をスタンバイします。

運を呼び込むためには行動力、実行力、企画力、そして想像力が肝心です。
これらを鍛えるには若い人には海外への貧乏一人旅を薦めます。
必ず上記の四つの力が養われます。
五木寛之「青年は荒野を目指す」沢木耕太郎「深夜特急」を参考にしてください。

私は「青年は荒野を目指す」を読んで北回りの安いチケットで旅をしました。
横浜から船でハバロスクへ入りシベリヤ鉄道でソ連を周り北欧から英国へ行ったのです。
着いたその日からフラット(アパート)を探して、
英会話の学校の入学手続きをして、アルバイトを探して回ったのです。

心の準備は子供の時から鍛えていたので問題なし。
技術の準備は日本の伝統音楽家として尺八が吹けたので問題なし。(?)
見た目の準備はパンクとヒッピーファッションをミックスしたので問題なし。
気力・体力は旅費を作るために工事現場で一年間働いたので問題なし。

その頃の座右の銘「行く道が楽な場合はその道は間違っている」
敢えて大変な道を選んで夢をあきらめないようにしていました。

そして一番大切なことは人間性です。感謝、感激、感動の三感王を持つことです。
ありがとう、うれしいです、がんばりますを素直に表現できるかです。
この言葉が言えれば、そろそろ「運」の扉が開いて来ます。

空手家山田雅稔が後輩の子供たちに贈ったメッセージです。

努力さえすれば夢は必ずかなうのかと問われると、
残念ながら必ずしもそうとは言えない。
子供たちの夢を壊してしまうようだけれど、
実は「運」に巡り合うタイミングがなによりも重要になるのだ。

自分ではコントロールできないさまざまな要素を味方につけないと、
プロとして大きな成果は得られなかった。自分は単に運がよかったのかもしれない。
心底、そう実感する。ただこう伝えてしまうと、この子は失望するだろうか。

とらえどころのない「運」。
その中で自分自身がコントロールできるものがあるとするなら、
それは人への気遣いだと感じる。

なるべく初対面の人にも話しかけやすい雰囲気づくりを心がけた。
すると協力してくれる人も自然と増えると同時に自分の競技力も上がっていった。

気遣いが競技力を直接、高めるわけではない。立ち居振る舞いに気を配り、
年齢がかなり下の人にも敬う姿勢を忘れないよう注意していると、
自分の責任の重さや期待を再認識できた。
それを糧として積み重ねた努力が結果として世界への扉を開いたのだと思う。

運は全くの偶然ではない。自分の手でつかめるよう努力し、引き寄せることもできる。 

「残された時間は少ない」漫画家竹宮恵子より

私がユニコーン・大谷翔平を更に強く意識したのはあるCMで語る彼の言葉だった。
自分が体の調子も良く、年齢的にもべストに野球を理解しており、
打席がどのように回ってくるか、誰が相手ピッチャーか、などなど、
様々な条件を入れると、あとどのくらいベストなプレーが残せるのか、
決して多くの時間はないのだ、というような意味のことを語っている。
修行僧みたいだと、いろいろな人が感じているのはこういうところかもしれない。

彼は自分の幸運をしっかり掌握していると思った。
運を呼び込むために何をすべきか、
どんなスタンスで待てばいいか、準備となるような考え方はどんなものか。
そして肩に力を入れることなく彼はいつも自分の持ち物に感謝している。

そうしないと運の神様との駆け引きに負けると言わんばかりに。
そんな風に見えるのは私だけだろうか。

若い人、特にこれから世に出て自分を問う人へこんな言葉を贈る。
「自分が出会うすべての機会は奇跡のようなもの。
二度と同じ瞬間は巡ってこない。  
だからその幸運(あるいは不運)を大切に」。

作家瀧靖之の著書より
『ノーベル賞をはじめ、優れた業績に贈られる受賞者の会見や、
スポーツで優勝した選手のインタビューなどをテレビで見ていると、
感動をもって気づくことがあります。
受賞された方々の多くが、眼を熱くして、「この賞は、私一人の賞ではありません。
支えてくれたみなさんと一緒にいただいた賞です」と、語っています。  
自分個人に与えられた賞でありながら、自分を育ててくれた恩師の方や、
一緒に仕事をした仲間、支えてくれたスタッフ、そして、
両親や家族への感謝でいっぱいの受賞者の姿が、いつも印象強く心に残ります。』

沢山の方々が運を開くには「共感力」「好奇心」「感謝」「感動」と言っています。
それらを意識して日々「運を呼び込む」練習をしてください。
純粋で素直な心を「運」は好みます。


マイナスを乗り越えろ




10ポイント持っていた人間が10ポイント失ったとする。
彼はその10ポイント元に戻すのに20ポイントが必要である。
この取り戻す為に体力も必要だが根性も必要になる。
いつも負けを認めないものこそが勝者となる。

ポイントを失った時点で絶望するか再起をかけて挑戦するか2つに一つである。

私が子供の頃から取り入れていた方法がある。
それは10年毎に人生計画を立てるのです。
その間に何が起こっても次の10年で取り戻す。
というよりは違う場面で違う役に成り切る。
自分の人生を幾つかのお芝居だと想定すればその役になりきるだけである。
成功しても失敗しても「永遠」は無い「無常」の世界で生きるだけです。
悲しみも一瞬、喜びも一瞬の無常なのである。

会社が倒産して、個人的に破産をして、家族とも別れて「無常」を体験した。
それは成功者の役が終わり、みじめな失敗者の役が回ってきただけなのです。
落ち込まず次の10年で復活する役をやればいいだけなのです。

無常の世界を描いた名著がある。
鴨長明「方丈記」
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」
世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、
たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、
これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。

或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。
住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、
二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。

あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。
又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、
何によりてか目をよろこばしむる。

そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、 
いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり

知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る。また知らず、
仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。
その主と住みかと、無常を争うさま、いはば朝顔の露に異ならず。

この世のものはたえまなく変化し続けるという事実を、ありのままに述べたもので
仏教心理の一つです。人が死ぬのも無常ですが、生まれるのも無常、
成長するのも無常だということです。不幸な人が幸福に恵まれるのも無常なのです。
信じる人に裏切られるのも無常なのです。

1998年年矢沢永吉はスタッフの詐欺で35億円失った。 
かつて世界進出を考えていた矢沢は、オーストラリアに世界へ発信できる
音楽スタジオや音楽学校を作ろうとしていた。

そこで銀行から融資した35億円で、
ゴールドコーストに広さ1万平方メートルの土地とビル2棟を購入。
さらに彼は、知り合いの海外のコーディネーターにビル管理を依頼し、
現地に法人会社を作った。だが10年後の1997年、
現地にあるはずの会社が空き家となっておりコーディネーターも失踪。
購入した土地とビルは競売にかけられ、別のオーナーに変わっていた。

人の手に渡っていたことを知った矢沢は「ビックリを通り越して
ショックだった。こんなことがあるのか」と回顧。
精神的な辛さで「髪の毛どれだけ抜けたか。それで過呼吸。
寝ていても過呼吸だったのよ」と振り返った。

矢沢の手元には35億円の借金だけが残った。一時期、酒におぼれたが、
税理士から「本気で矢沢が返すなら、返せない金じゃない」と言われ奮起。
2004年に完済したという。

借金完済を決意すると、それまで以上に、ライブ活動はもちろんのこと、
CMや映画などにも出演されるほか、お茶の間の露出も増やしていくなど、
精力的に仕事をこなし、なんと、たったの6年で35億円もの借金を完済。
さらには、都内に15億円のスタジオを兼ねたビルを建設されたというのです。
なんとも、凄すぎる矢沢ですが、

そんな矢沢は、リストラされたサラリーマンに向けて、
「僕は皆さんにも言いたいね。リストラされたって、借金を背負ったって
それは役だと思え。苦しいけど死んだら終わりだから、 
本気でその役を生き切れ。つまり視点を変えれば、
気持ちが切り変わるってことなんだ。」

古いページを巡っていつまでも後悔するか、
新しいページを開き新たに挑戦するか
選ぶのはあなたです。

移り変わりのある人生「川に流れる水はすでに同じ水では無い」のです。
よどみに浮かぶ現生(この世)は、出会ったり別れたり常に変わり続けているのです。

浮き沈みのある激しい人生も楽しいものですよ。合掌


巧遅は拙速に如かず




以前、システム開発の事業を手掛けている後輩にこの言葉を伝えたところ。
先輩は私の仕事の質が悪いと言っているのですかとクレームが出た。
彼が何故そのように解釈したのか理解に苦しむのである。
常に私が申しているように言葉や文字はどこをとらえて解釈するかが重要です。
それぞれの人が勝手に自分の経験と知識で判断してしまうと間違う恐れがあります。
勿論、文章の意味を検索して、自分なりに理解をするのですが、
その意味をどのように捉えてしまうかに問題点がある。

中国の兵法書「孫子」には、「拙速(せっそく)は巧遅(こうち)に勝る」
という格言があります。
拙速とは、つたなくても速いことであり、巧遅とはたくみでも遅いことです。
つまり、完璧でなくとも「仕事が早い」にこしたことはないという意味です。
私の経験でも、巧遅(こうち)>拙速(せっそく)の構図で
自社も他社も含めてうまくいったためしがほとんどありません。
常に完璧さを追求するあまり、いつも期限がぎりぎりになる人を見かけます。
完璧さを心掛けること自体は、とても素晴らしいと思います。
ただし、時間がかかりすぎて 機を逃しては元も子もありません。

私はこのような説明がなされた時に一番印象に残るのが、
最後の「気を逃しては元も子もありません」です。

私の成功の秘訣は音楽の仕事をしても、マネージメントの仕事をしても、
新規開発で海外へ行っても、チャンスを逃さずスピーディーに反応したことです。
鉄則が「S・S・L」シンプル、スピーディー、ロジカルに徹したことです。
「単純」に「早く」そして「論理的」に報告と説明ができるのかが重要です。

日本人が海外で取引をする時に必ず言われることがあります。
「決裁権のない人との打ち合わせは、時間の無駄になるから
決済権のある人を呼べ」です。

日本の会社の問題点は昔からどのようなことも、上司に確認を取らなければならない
ことです。それは「報連相」(ほうれんそう)のルールです。
その為には単純な問いかけにも時間がかかって機を逃して、
相手は違う会社と取引を始めてしまうのです。
結果、時間をかけて良い条件を提示しても手遅れになり話は終わってしまいます。

2001年に中国の女性演奏家楽団「女子十二楽坊」の資料を受け取った、
次の週には北京に飛び事務所の社長と話し合いを持ちました。
日本の大手レコード会社へ送った資料が私にも送られてきたのです。
即断即決「これは売れる」と判断したからです。

事務所の社長は中国で有名なプロデューサー王暁京(ワンシャオジン)です。
その時に王さんから三つのリクエストがありました。
一「外資系のレコード会社」との契約。
二「ワールドミュージックとして扱う」伝統音楽や民族音楽のジャンルに入れない。
三「コンサートへの助成金」年末に中国で行われるコンサートへの助成金。

私はフリーのプロデューサーですから、
本来は日本のレコード会社と確認を取らなければなりません。
しかし、その時点でリクエストは必ず守ると言い残し帰国しました。

大切なことは、間髪入れずにそこで「覚書」を書かせたことです。
簡単なメモ用紙に「本日より6か月間は稲葉に全権を任せる」と明記させたことです。
私が動いたことにより海外のレコード会社が興味を持ち始めると想像したからです。
現実、その後にアメリカの大手レコード会社が私より良い条件提示をしたのですが、
このメモ用紙があったおかげで私が契約を獲得できたのです。

皆様もさまざまな場面で早い返事を求められることがあると思います。
自分なりの解釈と理解をした上で早く返事を出す訓練をしてください。
オフィシャルな発言でなくても自分の意見は言うべきなのです。

海外の人がよく使う言葉に「マイ・オピニオン」というのがあります。
「私の意見」ということです。返事がなければ話が進まないといことです。
私の意見としては同意をするまたは拒否をするという個人の意見を述べるべきです。

日本人は子供の時から人の話をよく聞きなさいと教えられて来た為に、
自分の意見を言うタイミングが分からないことがあります。
そのために多くの日本人は、何も言わないし、返事もしない、なのに笑顔でいる。
海外の人からは不気味とも言われます。

現代のようなグローバリゼーションで世界を相手にする時には、
日本の品質は世界に勝てる、今すぐに発売しても勝てるという自信を持つことです。
もし小さな改善点があった時には発売してから修正すればよいのです。
新発売「バージョンアップ」という便利な言葉を使えばよいのです。

最後に伝えたいのはお客様からクレームが出た時に、
どうするかで何日も作業にブレーキがかかってしまうことです。

「企業コンプライアンス」という言葉で、
常識人になって警戒しすぎてもビジネスは終わってしまうのです。
問題は起こる前に話し合うのでは無く、問題が起きた時に話し合えば良いのです。
「巧遅は拙速に如かず」です。

人間関係も同じだと思いませんか?

お付き合いする前からあれこれ悩むのであれば先ずは付き合ってみるのです。
勿論、警戒しながらのお付き合いですが、
自分とは合わないと思った時点で辞めればよいのです。

常に動き出さなければ時間の無駄になります。
「感即動」の精神をお忘れなく!

我一片なり




人生というボードがあればその中の一片となる覚悟があるか?
初めから自分を中心に置くから活躍の場が見えなくなる。
そして絶望をする。
どの世界にも必要とされる部分(一片)があるが、
親も教師も中心になることを半ば強制的に教え込んでくる。

一番になることが尊いかのような教育は落ちこぼれを作るだけで、
勝ち組負け組など馬鹿な言葉も生まれてしまうだけである。

私は貧しい家庭で育ったので食べるのが精一杯の暮らしだった。
小遣もないので友達と楽しい思い出も作ることが出来無かった。
教室に行っても同級生が幼く見えてクラスで逸(はぐ)れるしかなかった。
かといって騒ぐばかりの悪ガキで無かったので結構人気があった。
今の境遇だと自分は社会の中心にはなれないから脇役を目指すことにした。

一流の脇役を目指す決心をしたから、悪い意味での「上を目指すだけ」の
意識は消えた。俺は俺はという意識を決して曲げなかった。
しかし、表面上は「言いなり」に徹した。
一見するとお調子者の馬鹿である。道化師に徹したのである。

その時に私の好きな言葉あった。

『われは 木偶(でく)なり 使われて 踊るなり』
これは、文化勲章を受章した画家・詩人、中川一政氏の随筆の中に
出てくる言葉です。
この言葉の木偶(でく)とは、『木の人形』という意味と、
『役立たず(でくのぼう)』という二つの意味が込められています。

『私は無能な人形であり、人に使われて踊らされるだけの、下卑た存在である』
自嘲的に解釈いたしますれば、上記のような意味合いではなかろうか…
と思うのですが、冒頭を『われ(我)』とせず、相手方を意味する
『われ(貴様)』と解釈いたしますれば、
逆に相手を侮辱する言葉と化してしまいます。

何れにいたしましても、自分や相手を中傷する意味の言葉のように
思う事しかできませんでしたが…
しかし…

この言葉は、自分を超えたところにあるものに対し、
己の全てを任せるという意味として解釈するべきでは…と、
思い直すことができる昨今の自分でございます。

意味を…『導かれるがままに、私は従う』
故に…『無心になり、やるべきことを一生懸命にやる』
この心境を得ることこそが、中川一政氏の綴った本来の目的ではなかったのか…。

そんなことを思いながら、未だに悩み苦しむ己の迷路に自ずと
道を開かせようとしている情けない自分。
われは 木偶なり、使われて 踊るなり

プロデューサーという脇役の道を選んだのだから心に悔いは無かった。
徹底的に脇役を目指したのです。

世の中は言わずとも多くの人の集合体です。
気の置けない仲間が集まれば大きな夢を叶えることが出来るのです。

世界的大ヒットの漫画&アニメの「ワンピース」は、
一人一人の能力を「組み合わせ」れば願い事は必ず叶う。
それを伝えたかったのだと思います。
今の時代は縦の組織ではなく横つながりの仲間の組織の時代です。
エンパワーメントが訴える個人の能力の組み合わせです。

先日、久しぶりに素晴らしいライブを見ることが出来ました。
2023年9月25日(月)fEAr Lounge ZERO
【ニシハラトマムとゆかいな仲間たち】

Dr.西原冬馬夢
[Special GUEST)
Dr.岡本郭男
Vo,伊丹谷良介
Vo, Momo Ando
Ba.日野 JINO賢二
Gt.MasaShimizu
Gt.Tommy
Gt.TakaU (from tUM€ GREAT:DAMN)
Ba.大河(from札幌 GREAT:DAMN)
Gt.藤田響心
Ba.加山桂護etc…

Drニシハラトマム・初プロデュースのライブでした。
彼とは何度か話をする機会があって、
多分チャンスがあるのならチャンスに乗るのも人生だよ。
辞めるのはいつでも出来るから、辞めない選択もしなさいと言った記憶がある。
先輩アーティスト伊丹谷良介の応援のもとチャレンジを続けなさい。

昨夜のライブは緊張と興奮の入り混じったスタートから、
仲間たち(素晴らしい先輩達)と後輩たちに見守られながらの
最高のステージを展開した。

ニシハラトマムの性格の良さが先輩も、後輩も、観客のみんなも
巻き込んでグルーブが一体となった。構成も選曲も自然の流れだった。
見事だった。
Vo、伊丹谷良介とMomo Andoの歌声に観客は酔いしれた。
最後まで惜しみない拍手を送っていた客席のみんなもステージの一員になった。

偶然、出会った世界的有名なカメラマン、ハービー山口さんと、
「日本でもこんなに良いライブが出来るようになったのだね」と、
印象をおなじにした瞬間である。
そして彼は立ち上がり手持ちのカメラで写真を撮り続けていた。

みんな「我一片なり」そのピースが集まるとこんなに素晴らしい、
感動的なコンサートが出来るのです。
「音は外しても客の心は外すなよ」
その日はしっかりとお客様の心を掴んでいました。
みんなのこれからの活躍を期待しています。


思考の先回り(気づく)




「知る」ということを会得する為には「読む、書く、話す、繰り返す」が必要です。
噂を耳にして知っているというのは、聞いたというだけで知ってはいません。
インターネットやテレビなどで流れて来る情報は、
聴いた!見た!というだけで記憶には残りません。騒音と同じです。

目標や目的も実行が伴わなければ「願う」ということだけです。
予定を組んだとしても行動が無ければ「無いものねだりの神頼み」です。
自身の経験や達成が積み重なることにより「叶う」になっていくのです。

「感即動」
興味があり感知した時には行動が伴わなければ「知る」機会を失います。

そして「知る」を会得したら「気づき」が起こるのです。
外部からの情報が無くても、自分自身の予知が出来るということです。
気づきは創造力が無ければ気づくことは出来ません。

世間でいうところの「人寄せ」は出会ったときに縁があると感じることです。

人の出会いは一瞬早からず又一瞬遅からず
出会うべき人には必ず出会う
しかし、求める気持ちが無ければ
運命の人も目の前を通り過ぎる
森信三

私は何度も若い時に偶然の出会いに恵まれました。
ジャズの伝説的な巨匠であるドラマーのエルビンジョン、
ギターリストのバニーケッセル、シンガーのジェームステーラー&アルスティワート。
レストランで紹介され、ジャズクラブで声かけられ、
百貨店で買い物途中に出会い、音楽キャンプで目の前に座っていた。
私が会いたいと思ったら会える。

勿論、英国に行かなければそんな偶然も起こりません。
憧れの人に会いたければその人の近くへたどり着かなければなりません。
たとえ会えなくても気持ちの上では出会ったと同じ満足感も生まれるのです。

禅門には「冷暖自知(れいだんじち)」という言葉があります。 
自身が直接的に冷たい、暖かいということを体験し、実感する。
また、その体験した実のところは他者に伝えることができない」
という意味です。 

例えば、ここに冷蔵庫で冷やされた水と40℃のお湯をお湯のみに入れて
二人の方の前に出したと致します。
それを眺めながら、「こっちがお湯で、あっちが冷水」
いや「こっちが冷水で、あっちがお湯だ」と互いが互いに検証し合ったところで
無駄に時間が過ぎてしまうだけでしょう。 

理屈で証明できないことはありませんが、明確でしかも早いのは
それぞれのお湯のみの中身を飲んでしまうことではないでしょうか。 
一口飲めば、冷水かお湯かは人から面倒な理屈で説明されるまでもなく、
どのくらい冷たい水なのか、どのくらい温かいお湯なのかを、
私自身が実感を伴って知り得るのです。 

人からどんなに事細かに教えられたとしても、実感を伴って
私自身が知り得ることはありません。
この実感を伴って知り得ることが大切なのであります。 

また、「冷暖自知」だからこそ、安易に知り得ていると思い込まず、
そのとき一所懸命に実感を伴って知り得ようとする姿勢であり続ける
ことが大切なのであります。 

気安く知り得ていると思い込まない。謙虚に知り得ようとする姿勢であり
続けることで、より様々な体験・経験を積み重ね、気づき、
当たり前のことが実は有ることが難しいこと、すなわち有り難いことに気づいていく。
そうなりますと、今まで見えていた風景も違ってくるのではないでしょうか。

ある寺の禅僧が毎月お参りに伺うご高齢のお檀家さんがいらっしゃいました。
そのお檀家さんとの何気ない会話の中で「80は80なりの、
90は90にならなければ知り得ないところがある」といわれました。 

若かったときの様々な苦労や楽しかったことを積み重ね、
そして今、身体の老いや親しい友人がいなくなるといった様々な苦しみや
寂しさを味わっている中だからこそ、あのときは見えなかったものが、
今では少し見えてくるようになり、目に見える風景も随分と変化するものだと
教えて下さいました。

自らが自らの体験・経験によって実感として知り、気づき、
会得することが「禅」では大切であります。
だからこそ、安易に知り得ていると思い込まず、
私自身が知り得ようとする姿勢であり続けることが肝要であります。
それが「知るということ」ではないでしょうか。

「知る」を邪魔するのは好奇心の欠如です。
そんなこと知っても時間の無駄だし何の役にも立たない。
あなた自身の心から興味を消しては駄目です。

触ってみなければ熱さ冷たさも分かりません。

型をつくる




高校生のアマチュア演奏家と話し合しあう機会がありました。
北海道から安いチケットを購入して東京のライブ会場に来たという事でした。
彼らがプロの演奏家の間に入り一生懸命演奏している姿に感動しました。
大勢のお客様の前でも物おじしないのにはびっくりです。

今は上手になる環境が整っているので驚くほど演奏が達者です。
ネットで憧れのアーティストの画像を無料で見ることが出来るので、
演奏スタイルを真似することが容易にできます。
その上に楽器の手入れから、機材の使用方法から、演奏テクニックまで
解説しているサイトもあります。

我々の時代では、レコードを聴いてコピーして覚えることしかできなかった、
そしてコンサート会場で指の動きや音の出し方を見て学ぶしかなかったのです。

それよりも高校生が東京へ行き、ロックのライブに出演したしたとなると、
紛れもなく停学の時代でした。ロックイコール不良だと決めつけられていた時代です。

アーティストの友人伊丹谷良介氏から一言アドバイスをしてもらえないか
ということで話をしました。

「自信を持ちなさい!好きなことをやっているのだから臆病にならず自信を持ちなさい」
今はとりあえず憧れの演奏家の真似を徹底的にしなさい。
そして、少しでも発表する場が出来れば、思い切りお客様の前で持てる限りの
テクニックを披露しなさい。その覚悟が必要です。

周りから何を言われても気にすることは無い、
自分の望んだことをやっているのだから自分をしっかりと見守りなさい。

一番大切なことは自分の演奏がお客様の呼吸感と同じようになることだ。
アマチュアは自分が気持ち良くなることで満足するが、
プロはお客様の気持ちを良くして満足する。
だから「音程は外してもお客様の気持ちは外すなよ」

呼吸感とは、自分が悩みを抱えているなら、お客様も同じような悩みを
抱えていると思いなさい。
雨の日は憂鬱になり、晴れの日は快適になる、
失恋すれば悲しいし、それぞれみんな悩みを持って生きているのだ。

お客様も音楽によって一瞬でも悩みを忘れたいと
遠いところから見に来てくれているかもしれない。
よい音楽は人の心を癒してくれるのです。

「練習は自分の為に本番はお客様の為に、
そして夢と喜びを提供するのがプロです」これを忘れないように。

そのような話をしている時にこのようなことを思い出しました。

参考に掲載します。

昔から「若いときの苦労は買ってでもせよ」ということわざは
皆さま方もよくご存じのことだと思いますが、
昨今、なかなか聞かれることが少なくなったように感じます。
なんでも簡単にできてしまう現代社会において、身を以て経験し、
苦労をして体得することは時代遅れ、非効率、無駄なものとされているように
感じるからでしょうか。
そんな現代だからこそ、より一層大切なことに思います。 

利休居士の訓(おしえ)をわかりやすくまとめた『利休道歌』に
「規矩(きく)作法、守りつくして、破るとも、離れるとも、本(もと)を忘れるな」
と記されております。 
まずは師から教わった型を徹底的に真似て、学び、
「守る」ところから修業や鍛錬といった下積みが始まります。

そうして師の教えに従って、修業・鍛錬を積み重ね、その「型」を体得致します。
その後、師の「型」をはじめ、他の「型」も自身と照らし合わせ、
工夫し、悩み、もがき、苦しみを乗り越えることで、自分らしい「型」を模索し、
はじめて既存の型を「破る」ことができるのであります。

さらに修業・鍛錬を積み重ね、かつて教わった師の「型」と
自分自身で見出した「型」の双方に精通することで、
既存の型にとらわれない「型」から「離れ」、自在となることができるのです。 

しかし、「本(もと)を忘れるな」とある通り、「型」を破り離れたとしても、
その奥深くにある根本の「本」を見失ってはならないのです。 

まして、基本の「型」を会得しないままに、
いきなり個性や独創性を求めることは、いわゆる「形無し」なのです。

十八代目中村勘三郎さんの座右の銘
「型があるから型破り、型が無ければ形無し」といわれる所以です

中国の古書にも、
「一般的に百の技は功に始まり拙におわる功と拙が合わさり神妙となる」
名人と言われる人の作品ほど稚拙に見えることが多いのです。
その逆に未熟な人ほど技巧に走り派手に見せようとするから技が多いのです。
「型」を守り、「型」を切り離しても、「本」を忘れるなよということです。

好きな音楽も、良い音楽も、売れる音楽も、アーティストは、
お客様と対峙して感動を作り出すのが仕事です。
正しい「型」を習得しましょう。

成り切る




憧れの人、憧れの職業、憧れの人物、憧れの生き方など様々な憧れが存在する。
それらの人に近づくには成りきるしかないのです。
ボーッとしている人生では、憧れは遠くて手に入れることは出来ないが、
憧れの人に成りきることで身近になりやがては憧れの人を追い抜くことにもなる。

子供は子供らしく、大人は大人らしく、男は男らしく、女性は女性らしく、父親は
父親らしく、母親は母親らしく、憧れの人を想定して、その人に成りきるしかない。
憧れの人と喜怒哀楽を共有すれば苦しみも辛さも乗り越えることが出来る。
生きるとは学ぶことではない、生きるとは真似ることなのだ。
先ずは「心と姿を真似よ」ということです。

例えば一流の料理人を目指す場合は目標とする料理人を探す。
出来る限りの情報から料理人の一挙手一投足までをデーター化する。
料理人の普段の生活から、食材の仕入れから、調味料の種類や適量を調べだす。
どのタイミングで調味料を加えるかも調べ上げ、使う調理器具から、
仕上がった料理を乗せる食器まで事細かく追及していく。
彼の繊細な性格は普段のくらしの中にも必ず反映しているはずである。
どのような暮らしをしているのか、どのような服装をしているのか、
どのような考えを持っているのか、ところから次の料理のレシピを考え
出しているのか事細かく調べ上げる。

勿論、彼の料理を何度も食べることは述べるまでもない。

例えば一流のカメラマンを目指すなら、目標とするカメラマンを探し出さなければなら
ない。
彼の作風の何に惹かれたのか、何が感動を作り出したのか、使っているカメラは
何処のメーカーの物か、フイルムは何処のメーカーの物か、現像は自分なのか、
それともお気に入りの現像所があるのか?
彼は写真で何を訴えようとしているのか?
彼がカメラに取りつかれたのは、どのようなきっかけだったのか、
いくつかの作品を見ながら答えを出していく。

沢山のカメラマンを目標とする必要はない。たった一人のカメラマンを追求すればよい。

私は一流のプロデューサーを目指すためにビートルズのプロデューサー、
ジョージ・マーティンやマイケルジャクソンの・クインシージョーンズを
少ない情報の中から調べ上げた。

プロデューサーが音楽を制作するのは当たり前だが、それらを売り込む手だてまで
考えていたのを知った。
そこには衣装からライブパフォーマンスまで、果てはステージの演出まで
アーティストを売り出すために彼らは多岐にわたる才能を発揮していた。
私がレコード会社に入った当時は、制作は作詞・作曲家と編曲者が作り、
売り込みは営業と代理店が行っていた。
全て分業と流れ作業による商品の販売だった。

私は日本で最初のプロデューサーとしての自負がある。
アーティストの発掘から、制作、宣伝、営業、地方への売り込みまで全部仕切ったのである。
愛情を持って育て上げたアーティストは、見つけた才能を見出した人間が、
担当するのは当たり前なのだが、日本のレコード会社のスタッフはそれが出来なかった。
一流の大学を出て音楽会社へ入ってきてもアーティストとのコミュニケーションが
苦手だった。
私は学生時代にバンドを組んで活動をしていたのと、ロンドンへ行って現地の
音楽シーンを生で目撃したのが功を奏したのだと思う。

先日の「老人と孫」のトークショーで主賓の煎茶道黄檗売茶流の先代中澤弘幸氏から
黄檗禅での「成り切る」について話がありました。

修行中の僧の見習いが幾らトイレ掃除をしても、先輩禅師から何度もまだきれいに
なっていないと言われて時の話です。お前は掃除をしているつもりでいるが、
一向に綺麗にならないのは、お前は見える汚れを取り除いいているだけだ。
「トイレ掃除はトイレの便器になりきれ」ということであったと伺い、
大変興味があり私なりに黄檗禅で検索をしたところ同じような記述見つけました。

「臨在禅・黄檗禅/公式サイト・臨黄ネット」より

拙寺に於きましては先住職の時代(昭和40年~60年頃)、高校生を中心にして、
30名程が毎月一度、金、土、日曜日の2泊3日、寺へ泊まり込み、
盛んに坐禅会が行なわれていました。
私はまだ小学生でしたが、坐禅会の日がくると一緒に坐っていた
というか、坐らされていたというのが正直なところで、大変苦痛でありました。
最終日の日曜日になると粥座後の作務で坐禅会が終了ということになるのですが、
今になって考えてみますとまだまだ16、17、18歳の高校生です

修行僧のように徹底して作務に集中することなどできません。
ただ箒を持って突っ立っている者、うろうろしている者、草を引いているのか
喋っているのかわからない者、
雑巾を濡らしているだけの者、さまざまであったように思います。
そういう時によく先住職が大声で学生に言っていた言葉が、”成り切れ”と
いうことでした。「箒を持てば箒に成り切れ、雑巾を持てば雑巾に成り切れ、成り切れんから喋るんじゃ、掃けんのじゃ、拭けんのじゃ」と、作務に成り切れということでした。

私もその頃少年ソフトボール部に入っており、先住職は少年ソフトボールの選手に向かい
「おまえさんバットで打とうと思うとるじゃろ。
バットを持ってこのバットで打とうと思うとるから打てんのじゃ、
おまえさん自身がバットにならにゃいかん、

自分とバットが別々だから打てんのじゃ。バットを持てば自分がバット、
バットが自分となって、ピタッと一つになったら打てる」と答えを出しました。 
その後この学生が打てるようになったかは知りませんが、
これも”成り切れ”ということであったと思います。 

“成り切る”とは、物と心が一つになるということです。
人馬一体などといわれますが、人と馬が一つになってこそ良い結果が生まれてきます。
車と一つになればこそ安全な運転ができるのです。
靴と一つになればこそ、脱いだ瞬間無意識に玄関の履物は揃っていることでしょう。
服を脱げばきちんと片付けられているでしょう。そういう日々を送っていきたいものです。

それが禅的な生活(くらし)ではないでしょうか。

私の「成り切る」の経験と禅の世界での「成り切る」が偶然一致した瞬間でした。
相手を思いやることも大切ですが、相手の気持ちに成り切ることがもっと重要です。

そして成功を計画するのなら、失敗も想定してください。
憧れの世界へ入っていくのですが、成功体験を目指し過ぎると思わぬ落とし穴に
陥ることにもなります。形では問題なくとも環境や時代性や物流のやり取りが
違うからです。
それでも憧れの世界へ入りたいのなら失敗も想定するべきです。
事前にうまくいって成功した場合と、うまくいかなくて失敗した時の状況を
作っておくのです。そうすることによって万が一の場合も慌てることは無くなります。

いくつになっても挑戦は楽しいものです。皆様も「成りきり」ながら
毎日を楽しく過ごしてください。

~下載清風~




倒れたら倒れたなりに咲かせる花がある ~下載清風~

禅の言葉に「下載清風」(あさいのせいふう)という教えがあります。
今にも沈みそうなほど荷物を載せた船は重々しく、
思うように前に進むことができません。
重荷を港に下ろして軽くなった船は、追い風を帆に受けて前に進みます。

夏が過ぎお彼岸が近づいてくると、彼岸花が土から芽を出し天に向かって
鮮やかな赤い花を咲かせます。鮮やかなその花の色だけではなく、
神秘的なその姿は「曼珠沙華」=「天界の花」として仏教でも親しまれてきました。
妖艶なその形姿に目を奪われた方も多いのではないでしょうか。 

臨済禅・黄檗禅公式サイトより

高校三年生の秋、ラグビーをしていた私は、
高校生活最後の大会に向け日々汗を流していました。
最後の大会が始まる二ヶ月前の九月のこと、
私は練習中に右の足を骨折してしまいました。
私は、「レギュラーとして最後の大会に出るために、これまで励んで
練習してきたのはなんだったのだろうか。」と、
まるで暗闇に突き落とされたかのように深く落ち込み、
ラグビーボールを見ることすら嫌になってしまいました。

何も考えられず呆然と数日過ごしている内に、やがて台風が来襲してきました。
強風が吹き荒れ、木の葉や枝があちこちに散乱し、
チラホラと咲き始めていた彼岸花も根元からなぎ倒されてしまいました。
その数日後のことです。松葉杖を突きながら境内を歩いていると、
台風で根元から折れた彼岸花が先端を再び天に向け、
倒れながらも燃えるように鮮やかな赤い花を咲かせていたのです。

私はその時、胸がぐっと熱くなったのと同時に「あーっ、これだ!」と心の中で
叫んだのです。そして、心が折れたまま何もできない自分を恥じたのです。
それまで「高校最後の大会までレギュラーでいたい」ということに
執着していましたが、倒れても尚、上を向いて一生懸命に花を咲かせる
彼岸花の姿をみてレギュラーでいるこだわりがスッと消えて
心が軽やかになったのです。

それからは、練習はできなくてもチームの為に練習前にボールに空気を
入れることができるのではないか、
練習中にチームメイトが飲むドリンクを準備することが
できるのではないかと気付き、
積極的に裏方の仕事ができるようになったのです。

すると、今まで当たり前のように蹴っていたボールも、
喉が渇いた時に当然のように飲んでいたドリンクも、
人並みに走ることができたこの脚も、
すべて有り難いことだったのだと気付くことができたのです。

高校生活最後の試合にグラウンドに立つことは叶いませんでしたが、
倒れたら倒れたなりに咲かせる花があることを、
あの彼岸花から学んだ気が致します。

わたしたちはついつい余計なこだわりや執着にしがみつき、
気付けば重たい荷物を背負ってしまいがちです。
その重たい荷物を下ろしてしまえば、心に清々しい風が吹き足取りも
軽やかになるのではないでしょうか。

現状の地位や名誉にこだわり縛られる人生を解放しませんか?
私たちは何のために生きて、何ために死んで行くのでしょうか?
どのような時にでも置かれた場所で花咲くことを忘れないようにしましょう。

私は帰国後CBSSONYで初めて仕事をした時に最初に考えたのは、
「人の嫌がる仕事」を率先して行うことでした。
英国帰りが気取るのは簡単ですが、そうでなくて新人は新人らしく、
仕事に没頭したのです。
スタジオの散らばったコードの片付け、コントロール・ルームの
汚れたテーブルの片付け、灰皿やゴミの片付けなど率先して行ったのです。
時にはお客様のお弁当の手配から送迎のタクシーの手配までしました。

今の自分は人並みの仕事をこなすことは出来ないから、
人の嫌がる仕事は全部引き受けようと思ったのです。
大切なことは指示されたから動くのではなく、指示されなくても、
スタッフの一員として出来ることを自ら探して行うことです。

その当時、同僚から笑われたり、馬鹿にされても気にはなりませんでした。
何故なら自分の生きる目標はこんな低いところには置いてなかったからです。

一日も早くいい仕事はしたいけれども未熟な自分は手伝うことしか出来ないからです。
何もしなくて手を挙げなければ誰もあなたに注目はしません。

英国で学んだことは常に自分の意思は、
自分で伝えなければ見過ごされてしまうことです。

今ある場所でどんな仕事でも一流になれば、必ず次のステージとつながります。
大切なことは何事においても真剣にベストを尽くさなければ成功にはつながりません。
逆境に花咲くことが最も大切です。風に押し倒されても立ち上がる精神が必要なのです。

下載清風(あさいのせいふう)
風に倒されても負けずに天を向くことが大切です。
この気持ちがあれば辛い人生も楽しく過ごせます。

曼珠沙華の花咲く季節にて

願いと祈り(立志編)




願いはこうありたいと思うことであり、祈りは手に届くことのない無限の世界です。
希望の学校へ入学する、望む会社へ就職する、
好きな人と結婚するは願えば叶うことである。
しかし、世界から戦争や貧困がなくなれば良いと思うのは祈りなのです。
環境問題にしても個人が、団体が、国家が努力しても解決できない問題である。
自分たちでは解決できないことは神や仏に祈るしかないのです。

しかし、あまりにも願いや祈りに囚われてしまうと、
心身ともに身動きのできない状態になる恐れがある。
解決の行動無くして意識だけを働かせるのは無意味である。
困った時の神頼みのように、その場限りの祈りでは何も叶わないのである。

無心になること。
目の前の欲に囚われてジタバタすることのないように無心になること。
日々解決しなければならない雑事に意識を向けるから、
幾ら目標や目的を設定しても叶うことは無い。
無心の願いの先には終わりのない願いがあるのである。

一番恐れなくてはならにないのは、いくら悩んで立ち止まっても、
大切な時間が過ぎるということである。
人生の貴重な時間が何もしないうちに消えていくことである。

世間の常識で生きているとつねに「見栄を張る」ことに時間が使われて、
本来の自分が求めることに時間が使えなくなる。
金銭に溺れて、愛情に溺れて、あらゆる欲望に溺れてしまわないように、
自己の確立を図るのである。

その為に禅という世界があり、禅は悩みの相談口なのである。
人間の頭では解決できないことを、
一心に修行を積み重ねた禅僧の言葉にこそ解決の糸口がある。

臨在禅・黄檗禅公式サイトより

俗世間的な願いには時間的な制限がある。つまり、その願いが叶ってしまえば、
その願いはそこで終わりであり、また次の別の願いが生まれる。
その瞬間、前の願いは過去のものとなり、そこに捨て置かれるというのです。 

一方、永遠の願いには、文字どおり終わりがありません。
叶うことのない願いなど意味がないように思えますが、逆に言うと、
これは叶う叶わないことを超越しているということです。 

願いは当然、叶えることが目的にあるのですから、
そこに向かって進んでゆくことになりますが、
その願いが一旦成就されると、
その歩みはそこで止まってしまいます。

目的地を設定している以上は、目的地に到達してしまうと、
当然、その旅路はそこで終わりとなります。願いがあったということは、
もともとそこには何かしらの理由や思いというものがあったはずです。

しかし、目的地に到達することしか意識しないようになると、目的地に到達した瞬間、
その出発点や道中にあったものは、どうしても忘れ去られてしまいます。 
無心の願いとは、それを嫌っているのです。

ゆえに禅では目的地を設定しません。目的地に到達することよりも、
その歩みそのものが重要なのであって、且つ願いとその道程は不可分であるという
のです。

山登りをして頂上に到達したとしても、その道中がなかったことには
なりませんし、帰りの下山がないことにはなりません。 
無心の願いは、たとえ願いが成就してもその歩みを止めることはありません。
成就してなお、その願いは自分の中に生き続けます。

願いの叶う叶わないを超越するとは、その成就に固執してしまい、
人生の本質を見失ってしまうことを忌避することを意味しています。

これを鈴木大拙は「成就することのない永遠の願い」と言うのです。 

私たちの人生を鑑みてみると、子供から大人になる過程で、高校受験や大学受験を
目標に勉強することもあるでしょう。では、晴れて受験に合格して入学できたら
それで終わりかというと、もちろん違います。
入学のあとの卒業や就職が最終目標かというと、これももちろん違います。 

人生とは、終わりのない道のりです。限定的な目的や低い目標は、
自分の限界を決めてしまいます。

自分の限界を決めるとそこで成長は止まってしまいます。
大拙は続けます。どうしても手の届かぬところのあるものが祈りなのです。
いくらやっても駄目だから、よそうというような祈りでは、限りある世界でこそ
意味あるかもしれぬが、駄目なものをくり返し、くり返しやる心、
その心は実に、弥陀の本願の世界に生きているものでないと分からぬのである。
(鈴木大拙『無心ということ』

北海道の高校生2人がギターとベースを抱えてやって来た。
勿論、LCCの格安チケットを手に入れてやって来たのだから、
眠る場所も漫画喫茶のような深夜営業の店で眠るしかない。
(実際には当日先輩アーティストが自宅に留めて観光案内もしていた)

しかし、彼らはもう何か月前から計画をして、友達といろいろ話し合いながら、
興奮して銀座のライブハウスに辿り着いたのである。
彼らにとっては東京が目的地であった。それを叶えたのである。

田舎育ちの少年たちにとって東京は別世界であったに違いない。
先輩アーティストの声かけに応じて東京お客様の前で演奏できるのは、
まさに天国に登る気持ちであったに違いない。
そしてそこからまた新たな目標が始まったのである。

彼らの願いが叶った瞬間に立ち会えたことに感動を覚えた。
純粋な少年たちはこれからが人生の旅の始まりである。