雑草という草はない




友人が亡くなった。友人の人生はどのようなものだったか思いを馳せる。
人が良くて歌が好きで陽気な性格だったのがいまや悲しい思い出となった。
亡くなる1週間前に葬儀は身内で済ますので見送りには来ないでくれと言われた。
その代わりに1月8日(月)の誕生日には密やかに祝ってほしいと頼まれた。
彼の誕生日は彼が大好きなエルビス・プレスリーと同じ日だった。
生きていればプレスリー89歳、友人は80歳の人生だった。
「CAN’T HELP FALLING IN LOVE」が十八番の曲だった。
その日は故人を偲んで何度も聞き返した。

いくつも会社を立ち上げて失敗を繰り返した。
彼の家族が名のある人たちだったのでいつも周りから利用された。
最後には力尽きて頑張る気力を失ってしまった。
それでも私との交流は変わりなく続いていた。
カラオケが好きでお肉が好きで駄洒落の好きな人だった。
お酒が入ると世の中の役に立たなかったことを悔やんでいた。

それでも世の中に不用な人間はいるのだろうか? 
この世の中は成功者だけの世の中だけではない。
どんな人生を生きてきても役たたずの人間はいない。
ひそやかに清く貧しく美しく真面目に生きた者たちもいるのだ。
決して人を裏切らず実直に生きた者にも頭を下げるべきである。
大勢の人たちからの賛辞はなくても生きてきたことに意味がある。
あなたは私たち家族にとって大恩人なのには変わりは無い。

「花は愛惜に散り 草は棄嫌におうるのみなり」

この言葉を聞くと、「花は皆から愛でられ、散る時も惜しまれて散っていく。
草は生えてきても抜かれ嫌がれしまう。
だから、草のように憎まれてはいけない、人の生き方として人から
好かれるようにしないといけない」。
この言葉は、道元禅師が正法眼蔵の中で述べている言葉です。

花のように誰からも愛着したり、いつまでもあり続けてほしいものに限って、
早く枯れてしまったり、消えてなくなってしまう。
このように惜しまれるものほど、壊れたりなくなったりする。
しかし、嫌なものやあってほしくないものや、居続けてほしくないものの方が
かえってあり続ける。嫌なこと災いが近くまで押し寄せてきて、
そしてそれらがいつまでも居続けてしまうことが多い。

このようになかなか世の中はというものは、ままならく思うように
ならないのが、世の中の偽りのない本当のすがたで、それが本当のありようだ
逃れられるものではない。だから、それから逃げることを考えるのではなく、
それと向かい合っていかなければならないと、教えているのだと思います。

「雑草という草はない」

植物学者・牧野富太郎のことばとして知られている。
牧野は、NHKの朝ドラ「らんまん」の主人公槙野万太郎のモデルである。
この牧野のことばは、これまで牧野が語ったものだという
確実な根拠は見つかっていなかったらしい。
 
その根拠になる史料が、ついに見つかったようだ。
1年ほど前の高知新聞の記事「『雑草という草はない』は
牧野富太郎博士の言葉 。戦前、山本周五郎に語る。
田中学芸員(東京・記念庭園)が見解」
2022年8月18日)でその詳細が報じられている。

木村久邇典(くにのり)著『周五郎に生き方を学ぶ』(1995年、実業之日本社)
にその根拠となる内容が記載されているというのだ。
木村は山本周五郎の研究者として知られている。
 
若かりし頃、雑誌記者をしていた周五郎が牧野のもとに取材に行ったとき、
周五郎が「雑草」ということばを口走ると、牧野はなじるような口調で
「世の中に“雑草”という草はない。どんな草にだって、ちゃんと名前が
ついている」と言ったのだそうだ。
「雑草という草はない」ということばは、辞書にできるだけ草の名を載せたいと
思っている辞書編集者としても、まさにその通りだと思う。

確か上皇天皇も同じことを言っていたと思う。
1948(昭和23)年には、皇居に招かれて生物学者であられた
昭和天皇へ植物学のご進講を行いました。牧野富太郎、86歳の時でした。
また、昭和天皇の植物標本を初めて鑑定したのは牧野であり、
昭和記念筑波研究資料館には、大正から昭和初期に牧野が鑑定した
標本が現在も収められています。 そして、昭和天皇の静養中に侍従らが
皇居周辺の草刈りを実施し、お帰りになった際に一部雑草を刈り残したことを
お詫びしたところ、陛下が牧野の言葉を引用して「雑草という草はない」
どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で
生を営んでいる。人間の一方的な考え方で、これを雑草として
決めつけてしまうのはいけない。ってことです。

注意するように。」とおっしゃったというエピソードも残っています。

成功者ばかりを尊ぶ世の中にしたのは誰でしょうか?
花咲く前の名もなき花の美しさを讃えることのない世の中です。
貧しい国の人たち、貧困度に苦しむ人たち、戦禍を逃れ難民キャンプで暮らす人たち、
災害に遭われて避難所暮らしを余儀なくされる人たち。
その痛みや苦しみを分からなければ本当の人生を歩んだことにはなりません。

日本人に根深く残る記憶!があります。
世界の中でも「愛された記憶」が一番長かった民族です。
縄文時代は、一万年から一万五千年続いた愛と平和で溢れていた時代だったのです。
そして亡くなった人すべてに刺し傷、切り傷が無かった平和国家でもあったのです。
愛していたということは、愛されていた、だからとことんまで優しい日本人は
愛された記憶を持っているから「素晴らしい日本人の記憶」を忘れないでいて欲しい。
太陽も草木も動物も山も川も海も神様と呼ぶ国は日本だけです。
どうぞ優しさを失わないでください。

今一度「雑草という名前の草はない」を心に刻んで下さい。
人目を奪う美しい花よりもそれを支えている草たちの存在も忘れないでください。