写真家の哲学思考
突然夜中に森鴎外の「舞姫」が浮かんだ。
しかし森鴎外に興味を持ったのは私一人ではなかった。
検索した結果このような文章を見つけた。
鴎外が生きたベルリンの街で
ベアーテ・ヴォンデさんから待ち合わせ場所に指定されたのは、
ハッケシャー・マルクト駅から近いモンビジュウ・ホテルだった。
『舞姫』で主人公の太田豊太郎の下宿先として描かれている「モンビシュウ街」と
重なる。路面電車の音が響くなか、ヴォンデさんが鴎外の生きた時代のベルリンに誘う
話をしてくれた。
「モンビシュウ街」はMonbijoustraßeと訳されることが多いのですが、
あの向こうに「モンビジュウ通り」ができたのは鴎外が帰国した1904年になって
からなので、このモンビジュウ広場(Monbijouplatz)がモデルになっていると
見るべきでしょう。ではなぜ鴎外はこの広場を太田豊太郎の住まいとして選んだのか。
実はここ、ベルリンでの鴎外の三つ目の下宿先からほど近く、広場の3番地には
シュプリンガー出版社があり、1階は直営の書店だったのです。
鴎外文庫(東京大学附属図書館にある鴎外の蔵書)には彼が所蔵していた
この出版社の本が2冊あります。どちらも郵便、電灯といった技術に関する本。
鴎外は鉄道、車、飛行機といった科学技術と人間の関係に深い興味を抱いていました。
これもまた一つの興味深いテーマです。
こうして現場に立って、当時の地図を開くと、
『舞姫』の印象もちょっと変わってくると思いませんか。
もっとも、ヴォンデさんは「当時私が興味を持っていたのは鴎外ではなく演劇でした」
ときっぱり言う。
当時、東独と日本の文化、経済交流は極めて活発で、刺激には事欠かなかった。
フンボルト大学を卒業後の1979年から1年半、文部省奨学生として早稲田大学に
留学する機会に恵まれた。この異文化体験は、ヴォンデさんにとって重要な意味を
持つことになる。
鴎外の時代、一般の日本人が外国に行けなかったように、東ドイツ時代も、
西側の外国に行くというのは特権的なことでした。
だから、その経験を東ドイツ社会に還元することは、私たちの義務だと捉えていました。
この点で鴎外と私は、共通します。鴎外が『独逸日記』を書いたように、
私も毎週最低20〜30枚の手紙を書いていました。私が東独の友だちに手紙を送ると、
皆で集まってそれを読んだそうです。今日は何を食べて、何を読んだか。外国の匂いや
日常生活を伝えようと必死でした。
何をやっても日記を書き、メモを取らなくてはという情熱がありました。
それが自分に還かえってきて、道になるのです。
夜中に芝居が終わると、その後おでんをつくったり、お酒を飲んだり、朝帰りしたりと。
この日本での経験は私の泉になりました。鴎外もそうでしょう。
4年間のドイツ留学時代は、彼の後の活動の全ての土台となりました。
今はお金さえあれば日本に行ける時代ですが、私が学生だったときは5年間
ドイツで日本語を勉強して、日本に着いてからようやく日本語が分かる。
鴎外は10歳からドイツ語を学んでいました。船でマルセイユに渡り、
ケルンの駅に列車が到着したときに、彼はやっとドイツ語を理解するのですが、
その気持ちはよく分かります。
そこでまたこの「JUMPEITAINAKA」の文章が出て来る。
【2024始】
2023が終わった。終われば始まる。我々にとっての永遠とは、これに違いない。
世界中で感じる時の点は、目に見えないけども、意識する人の数が多いから、
なんだか極大無辺の集合的意志に変化して、人々の行動を操ろうとしてくる。
そしてそこに様々な想いや祈りが無数に集まってくる。
おめでとうとありがとうを叫べ。混迷と戦争は今も侵攻している。
言える時は言うべきだ。口にして言うことは未来のいつかの瞬間への手向けだ。
黙って祈り続けることも未来と過去への賛歌だ。
未来はいつだって過去へ干渉しようとしてくる。
過去はもっと未来を欺いていかなければだ。未来は過去を信じすぎるからだ。
今年のキーワードは「創世」。元旦に思い浮かぶ言葉でと思っているのだけど、
すんなり出てきたものだ。実は、去年ずっと創という漢字にフォーカスをしてきた。
キズとも読む。創造の創(はじま)りは創(キズ)をつけることからなのかもしれない。
人生も41年も生きてきたら、どうしようもなく深いキズもあるし、望まずとも
誰かをキズつけてしまうこともたくさんあったはずだ。潔白とはいかない。
難しいことは沢山あった。それはきっと誰にとっても同じかもしれない。
創を創造へ変えて、世界を創るなんてことができたらすごいかもしれない。
世界「観」じゃない。だから今年は「創世」をはじめる。
そして様々なアーティストたちとクリエイションを共にしていく。
支援くださる方々も見つけたい。これが昨年の「新生」に対する答えだ。
いつもの調子。毎日が平日。こんな自分をよろしく。
再会するために旅をする。旅の途上でまた逢いましょう。
JUMPEITAINAKA
Nowhere, But Now Here.
2024
日本を離れて海外で暮らすことは大きなリスクもあるが逆に大きなメリットもある。
最大のメリットは異文化において究極の孤独を味わえることである。
孤独こそが自分の追求したいものへの原動力となる。
頭の中にある光をハンマーでたたくのである。凍った湖の氷をたたき割るのである。
そこから自分の存在を証明する表現力が音を立てて浮き出て来る。
暗闇の魔術師は悪魔に魂を売ったのである。
稲光は暗黒の雲間から解放されたときに剣先のように落ちて来るのである。
JUMPEI・TAINAKAの写真には言いようのない孤独を感じる。
まるですねた子供が押し入れに逃げ込むような暗澹たる空気に包まれる。
JUMPEIもっと孤独になれ。世界中に傷をつけまくれ。
誰の役に立たなくてもいいから自分の魂を掻きまくれ。
血がにじむまで叫びを押し殺せ。
彼にはベートーヴェンの「悲愴」が似合う。
それよりもローリングストーンズの「ペインティング・イット・ブラック」の
方がマッチするかもしれない。
どちらにしてもしばらくは目が離せない。
どこかの街角でふいに出会ったら酒を飲もう。