マズローの5代欲求の最上階に位置するのが「自己実現」です。
生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現。
最近ではその上に自己超越的の「利他心」が加わると言われています。
「自己実現」は人々から感謝されたいということで、
学校や図書館を建設して地元に還元するということです。
(アメリカでは個人名を記した大学や図書館・病院が多いのはそういうことです)
さまざまな寄付をして尊敬を得たいという欲求です。
更にその上に加わるのが自己超越的「利他心」奉仕の心です。
金銭的援助だけではなく貧しい人々へ教育や仕事の斡旋や病院の手配などを通じて、
宗教家的な自己を超越した中で人々を救いたいと願う欲求です。
奪う事ばかりの半生を振り返り、最後は分け合い分配に徹する、
地球愛に目覚め一生を終えるということです。
「人生というのは、たらいの中の水と同じようなものです。
たらいに水を張って、自分の方へもってこようとすると、
水は向こうへ逃げていってしまいます。
逆に、相手方に与えよう、与えようと向こう側に押せば、
水は必ず(こちらに)返ってきます。人生とはそういうものです。
ですから是非、自分のできる範囲で精一杯、人のために尽くしてみてください。
すぐに返ってはきませんが、やがてドーンと返ってきます」
日本が世界に誇る「おもてなし」
「お客様が心地よく過ごせるように心を込めて準備し、最大限の歓迎の気持ちを
持って対応すること」相手を思いやる日本人の気質や文化が息づいています。
しかし形だけの「無理強い」する「おもてなし」が多いのも事実です。
日本旅館へ泊った時に仲居さんが荷物を部屋まで運んでくれるのは良いのですが、
ながながと旅館内の施設の説明をすると、長いドライブや、列車などで到着した時は
とりあえず荷物をほどき、普段着に着替えてさっとお風呂に入りたいと思うのに、
お客様の気持ちを無視しています。これは「おもてなし」の規則から外れています。
その上に女将さんが来てご挨拶されると迷惑もいいとこです。
そして夕食になるとこれでもかという程お料理がお膳の上に並べられて、
年寄りや子供達には量が多すぎて迷惑千万です。
特に海外の人はハラールやビーガンの人もいるので見た目に美しい料理でも、
お出しするのは気を付けなければいけません。
「おもてなし」とは手の内側を中心に行う作法です。
手を添えて「どうぞ」という行為は「盥に水」を押すしぐさに似ています。
相手に向かって水を押し出せばおのずからと水は手前に戻ります。
間違った「おもてなし」は自分たちの利益優先に行っているという、
失礼にもなりかねません。相手を思う気持ちと相手の望むスタイルで行うように
心がけてください。
石田三成がまだ寺の小姓だった頃、寺に立ち寄った豊臣秀吉を3杯のお茶でもてなした
「三献茶」の挿話は有名な話です。
後頭部が突き出た少年が持ってきた大きな茶碗には、ぬるめの茶が入っていた。
鷹狩で喉が渇ききっていたので、秀吉は一気に飲み切った。
「小気味よし!さらに一服所望じゃ」
二杯目の茶碗には前に比べると小さめで、湯はやや熱めで量は半分ぐらいであった。
秀吉はそれを飲み干し、もう一服命じた。
三杯目の茶碗は高価な小茶碗で、湯は舌が焼けるほどの熱く量はほんの僅かであった。
秀吉はこの少年の気配りに感心して長浜城へ連れ帰ったという。
これが「おもてなし」の代表例です。
「気配り・目配り・心配り」が揃っています。
「情けは人の為ならず」
「情けは人のためならず」とは、よく耳にする諺でありますが、
よく意味を勘違いしている人が多い諺としても知られています。
「情けをかけることは、結局その人のためにならないので、すべきではない」
という解釈と
「情けは人のためではなく、いずれ巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、
誰にでも親切にせよ」という全く正反対の2つの解釈が成り立つというのです。
「善悪種蒔鏡和讃」(ぜんあくたねまきかがみわさん)白隠禅師法語全集
「情けは人のためならず、即ち孫子のためとしれ」情けは相手のためにだけではなく、
自分の孫子に恩恵が帰ってくると思って誰にでも親切にせよという意味になります。
すなわち、見返りを求めてはいけないという白隠禅師の思いが込められている。
「見返りを求める心」が少しでも残っていると「恩を仇で返された」とか
「恩知らず」などと「恩着せがましい」を生じかねないからです。
スティーブ・ジョブズの禅の師匠乙川弘文はジョブズに式師を頼まれて
1991年にジョブズの結婚式を禅宗様式で執り行った。
彼は大成功しているジョブズには興味が無く、常にアドバイスを求めにくる
一人の禅の弟子としてしかとらえていなかった。
ジョブズから自分の豪邸を好きに使っても良いとの誘いにも興味を示さなかった。
弘文の禅僧の何も求めない禅の心に寄付や協力が山ほど集まったのです。
アップル社の商品デザインには「禅」の精神が生きています。
乙川弘文に助言を求めたジョブズは無駄をそぎ落としたシンプルにこだわりました。
弘文の最大の魅力は心がいつもオープンであったことと周りの弟子たちは言う。
しかし弘文は俗にいう「破戒僧」で、家庭も持ち酒も飲み、肉も大好きであったという。
近しい人の話によると、彼は純粋無垢な少年のような性格で誰からも愛された。
特に女性信者たちからは言い寄られることが多くそれを断れない性格だったと言います。
弘文は破戒僧であったが「私利私欲」で生きていなかったのでシリコンバレーの
若者たちには絶大の人気であったのは分かるような気がします。
我々の日常の生活にも「盥の水」は多く存在しています。
日本人の好きな「しんせつ」を押し付けるのはやめにしましょう。
「しんせつ」の裏返しは「めいわく」です。
野に咲く綺麗な花を誰かに見せるために摘み取る必要はないのです。
そっとしておくことも大切です。
10月 16th,2023
恩学 |
盥(たらい)の水 はコメントを受け付けていません
一月浮万水(いちげつ ばんすいにうく)
私が終の住まいを山奥に移した折にはこの境地で余生を過ごしたいものである。
先日訪問をした岐阜県中津川で朝もや霞む茶畑を散策した時に感じた想いである。
空に輝くたった一つの月が、地上のあらゆる場所の水面に無数に映っている
(浮かんでいる)という情景を表現した禅語です。
天の月が地上のあらゆる水面に反射して映るように、あらゆるものの中には
他のものの働きが影響していて、他のものと互いに関係し影響し合うからこそ
存在している。つまり、何一つとして単独では存在し得ない。
つきつめると、すべては一体であるということを表現している禅語だと考えています。
「すべては一体である」といっても、実感が湧きにくいかもしれません。
例えば今、自分の目の前に一杯のお茶が置いてあると想像してみてください。
そして、この目の前のお茶を今から飲むとしましょう。
目の前に置かれたお茶は、私ではありません。
自分ではない別のものとしてお茶を認識するでしょう。
ですが、このお茶を口に含み、飲み込んでしまったらどうでしょうか。
私の中に取り込まれて吸収され、自分の体の一部になっていきます。
この時、身体に吸収されたお茶は自分でしょうか、お茶のままでしょうか。
そして、しばらくしたら体から排出することにもなるでしょう。
では、この目の前にあるお茶は、いつから自分になるのでしょうか。
そしてどのタイミングで自分でなくなるのでしょうか。
自分になるのは、口に含んだ瞬間でしょうか?胃で吸収された瞬間でしょうか?
自分でなくなるのは、体から外に出た瞬間でしょうか?
膀胱に溜まっているときでしょうか?
もし、お茶が目の前に置かれている状態で永遠に時が止まるのなら、
そのお茶と自分は別のものなのかもしれません。しかし、時は止まりません。
ですから、この目の前にあるお茶は「これから自分になるもの」であり、
「そのうち自分でなくなるもの」でもあると言えそうです。
ところで、この目の前の一杯のお茶は、お茶になる前はどんな状態だったのでしょうか。
例えば井戸水とお茶の葉だったとしましょう。この井戸水はどこから来たのでしょうか。
山に降った雨が地面に染みて、地下を流れていた水かもしれません。
では、山に降る前は…?雲でしょうか。雲になる前は…?
海や地面やあらゆるものから蒸発した水分だったのでしょうか?
一方、お茶の葉はどこから来たのでしょうか。
お茶の葉として形になるまでには、太陽、水、土、微生物…、
水と同じようにあらゆるものが関係してきた結果、
今お茶の葉という形になっているのでしょう。
そうやって関係を辿っていくと、この目の前のお茶一杯は、
世界中のあらゆるものと関係してきた結果この一杯になっているはずです。
この関係は、人間が現代の科学で辿ることができる範囲の遠く外まで
無限に繋がっていることでしょう。それこそ、検証不可能な宇宙の果てまで。
そしてこの全宇宙の関係全てを凝縮したような一杯のお茶を、私は飲むわけです。
私もつながりの一部です。この、あらゆるものが影響し合っている現実、
それが冒頭の「全てが一つである」ということを理解するのに役立つのではと
思っています。
そして「行到水窮處」&「坐看雲起時」
(ざしてはみる、くものおこるとき)『終南別業』
山奥で坐禅をして、雲が生じるのを見るよう、自然と一体となり悟りに至ろう!
行到水窮處。坐看雲起時。とは
行ゆいては到いたるみずの窮きわまる処ところ、
坐ざしては看(みる)雲(くも)の起(おこる)時とき。
中歳 頗(すこぶ)る道を好み
晩に家す 南山の陲(ほとり)
興(きょう)来れば毎に独り往き
勝事空(むなし)く自ら知る
行いては到る水の窮まる処
坐しては看る雲の起る時
偶然 林叟(りんそう)に値(あ)い
談笑して還期(かんき)無し
概略の語意としては「私は中年を過ぎた頃より頗る仏道を好み、
晩年には終南山の麓に住まいして、ふと興がわけばいつも独りぶらりと山へでかけ、
景勝をぼんやりとひとり楽しみ、ぶらぶら歩いては水の流れの源へ到り、
心地よく疲れてはそこに座り込み遠く雲の湧き出るを眺めたりする。
そんな時、偶然、きこりのおじいさんに出会っては、談笑をして思わず
長話をして帰るのを忘れてしまう」というふうに解される。
悠々自適の境涯をあらわす道人の生活。
俗塵を離れ、どっぷり自然の妙境に身を
置き、水の流れに身をたくし、無心に流れ
行く雲のようにたんたんとしたその境を
楽しむ詩情を禅者はこれを禅境に重ねて
この語を好んで用い、対服の茶掛けとしても喜ばれた。
勿論、実際に俗塵を離れた隠遁生活の悠々自適を禅者は尊ぶものではない。
東京のど真ん中の雑踏、新宿駅の人混みの流れの中にあっても、高層ビルの間の
雲のかすめる時であっても心境においては大自然の中にあるように安穏無事の
境涯であってこそ、この行到水窮処 坐看雲起時が生きるのである
私はこの投稿をno+eでふと目にしたとき、これだ!この禅の世界が
わたくしが求める境地だと思わずにはいられなかった。
「恩学」のブログを書くようになって景色に音に文字に、人との出会いに、
とても敏感になったと思う。
これからも記憶に残された思いを、度々よみがえらせることを大切にしたい。
10月 14th,2023
恩学 |
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説教者という言葉に惹かれて調べてみました。
江戸時代に自らの経験で、ことの道理を説き「どうあるべきか」を
激しい口調で伝えし者とある。
学者や僧や歌人や茶人などの極めた人たちが、
大衆に向かって魂の叫びを繰り広げていたのである。
元来日本人は純粋さに加えて激しい「情念」を胸に秘めているので、
聞く者たちは大いに歓喜したのに違いない。
「情念」とは深く心に刻み込まれ理性では抑えられない悲しみ、
喜び、愛、憎しみ、欲などの強い感情。所謂、感受性が敏感なことを云うのです。
現在、怒りをなくした日本人!
1945年8月に原爆を2発落とされて敗戦を余儀なくされた日本。
その後GHQの方針で教科書から「歴史と地理と修身」を
排除されて骨抜きにされてしまった。
アメリカの歴史学者ルースベネディクトが書いた「菊と刀」に
描かれている義理堅い、忠義に熱い、愛国心溢れる日本人が再び復活しないように、
アメリカがコントロールしたのである。
それからの日本政府は、まるで奴隷になったというよりは、
妾(めかけ)の魂を刷り込まれてしまったという感がある。
日本は妾が旦那(アメリカ)の言うことには一切逆らいませんと
言っているようなものである。
因みに妾とは正妻のほかに愛し扶養する女のこと。経済的援助を伴う愛人を指す。
妻は妾の存在を承知している場合がほとんどで、
社会的に認められていて隠されるものではなかった。
また、妾を囲うにはそれなりの金が必要であるため、
「男の甲斐性」の象徴とされる場合も多かった。
大成した政治家や経営者が妾を囲うのは恥ずべきことではなかったのである。
そして有名なのは渋沢栄一が数人の妾を囲っていたという話である。
今日、我々現代人が説経を聞く機会は、全くといっていいほどなくなってしまった。
徳川時代の前半に刊行された版本が数点残っており、
それが書物として流通してもいるので、
わずかにそれを頼りに雰囲気の一端に触れることができるばかりである。
それでも、説経というものが持っていた、怪しい情念の世界が、
現代人にも激しい感動を呼び起こす。
日本人の意識の底に、澱のようにたまっている
情動のかたまりが、時代を超えて反響しあうからであろう。
中世の民衆は、戦乱の中で抑圧され、この世に希望をもてない者が
多かったに違いない。
そんな彼らに向かって、説経者たちは、抑圧と開放、死と再生、憎しみと
愛を語った。
語りの一々は、時にはおだやかに、時には荒々しく、人間の情念を
飾りなく表現したものであり、当時の民衆の心に直接訴えかける言葉からなっていた。
説経の中の主人公は、抑圧されたものであり、乞食同然の下層民として描かれている。
彼らは、重なる迫害に耐えながらも、自分の強い意志によって行動し、
最後には抑圧者に残酷な復讐を成し遂げる。
聴衆は、説教のこんなところに、自分の魂の開放を感じ取ったに違いない。
このように、説教というものは、演者と民衆との間の濃密な空間の中で
語られることにより、民衆のエネルギー、つまり愛や情念といったものを
蓄積していったのであろう。
その愛や情念が人間の本源を照らし出す限りにおいて、
時代を超えた普遍性へとつながっていったのである。
世界一有名な説教としてはイエス・キリストが山上で弟子や群衆におこなった
説教「山上の垂訓」は誰をもが知るところである。
汝の敵を愛せよ
叩けよ、さらば開かれん
狭き門より入れ
右のほほを打たれれば、左も向けなさい
何でも人にしてもらいたいと思うことは、その人にしなさい
汝の敵を愛せよとは、自分に対して悪意を抱いている者や、
迫害してくるような敵こそ慈愛の心を持って接しよという教え。
叩けよとは、神の国の門は待っていても開かれず、ひたすら神に祈り、
救いを求める者に神はこたえてくれるから。
右のほほをとは、報復の連鎖を断ち切る決意である。
「非暴力、不服従」は「無抵抗」とは異なります。
はっきりと抵抗するが、ただし、暴力をもって、
決してそれはしないということです。
何でも人にしてもらいたいとは、困っている人が望んでいることは、
危害を受けることがあるかもしれません。
それでもその人にしてあげなさい。
(マザーテレサが説教の時によく引用していた言葉です)
長年プロデュースを生業としてきた経験を活かして「説教者」になる覚悟である。
多くのアーティスト(音楽家・画家・陶芸家など)と接してきた中で、
感情の発露はどのようにして生まれ、喜怒哀楽はどのようにして
コントロールされていたのかを知っているからである。
そして数多くの経営者とも話をしてきた結果を、あとから来る者たちへ
真実を伝えたいのである。人々は金儲けの技術を教えたがるが、
私はもっと根本的な人間性の質を上げるためには、
どうすればよいかを説教したいのである。
いわゆる「人間力」を高めるための説教である。
幸いにして「耕心塾」で説教しても良いとお誘いがあった。
岐阜県にあるお寺の中で悩める若者を中心に説教するのである。
畑を耕し、心を耕し、人を耕し、国を耕す「寺子屋」の塾である。
様々な人生経験をしてきた稲葉瀧文が渾身の力を振り絞り説教をします。
覚悟はよいか悩める若者達よ!
魂をつかみに行きます。
10月 9th,2023
恩学 |
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「柔軟心」読んで字のごとし「にゅうなんしん」です。
心が柔らかいということはどういうことでしょうか?
独りよがりにならずに他人の意見を取り入れることが出来るかということです。
「自分の常識は他人の非常識」自分が正しいと思うことは、
他人から見たら非常識になることが多いのです。
禅の世界でも「人の数だけ価値観がある。立場が変わればものの見方も違う。
違いを受け入れ互いを尊敬するやわらかな心」と言われています。
常に感情的にならなくて、一歩下がって相手の話を聞くことです。
世代も経験も違えば「我々の時代は」と言われた時点で、彼らはガードを固めます。
勿論、相手が女性の場合ならなおさら男性側の意見を押し付けると反感を買います。
本日のテーマは「柔軟心」と「清濁併せ持つ」です。
水から学ぶことは多いのですが、その一つをお話ししたいと思います。
「水は方円(ほうえん)の器に随う」という偈があります。
水は柔軟な物の典型として方形の器であろうと円形の器であろうと
その形に随って形を変えて寄り添うということであります。
人で言うなら心の柔らかさ、柔軟心(にゅうなんしん)の大切さを教えています。
その水も綺麗な真水がいいと思っていました。
言い換えると、白分がきれいでないと他の汚れは洗えないと思っていました。
しかし、経験された方もあるかも知れませんが、洪水で泥水が家宅に浸水し、
家具が泥だらけになったとき、泥で汚れた家具をきれいな水で洗ったら、
しみが残ります。泥で汚れたものは、一度、泥水で洗ってから
きれいな水で洗わなければならないのです。
人間関係もやはりそのようです。自分が「規則を厳守し、曲がったことが嫌い」
という生き方の人は褒められこそすれ、少しも悪いことではないのですが、
やりたくてもできない人の性格の弱さ、経済力の無さが理解できず、
助けることが出来ないのです。きれいな水の人なのです。
「自分が汚れなければ、他の汚れを洗うこともできない」と思えるようになって
初めて、清濁合わせ飲める度量ができるのだと思います。
目、耳、口の自由を2歳で失ったヘレン・ケラーが最初に覚えた言葉は
「水」であったといいます。 サリバン先生がヘレンの左手に井戸水をかけ、
右の手のひらに指で「W-A-T-E-R」と書いた。
それが、「私の手を流れる、すばらしい、冷たい何か」についた
名前であることを知ります。
水が魂を目覚めさせ、「光と希望」を与えてくれたと、自伝で回想されています。
水は一滴々々が集まり、岩をも、山をも砕く荒々しい試練を与える働きから、
人の気持ちに寄り添える優しさまでを持っているのです。
清濁併せ持つという言葉は、
善悪の両面を併せ持っているという意味で、基本的には人間に使われる言葉です。
企業に関しては悪意を持って行動している部分がないという建前
(結果的に悪であっても)があるため、あまり使われない言葉でもあります。
自動車であれば利便性はあるものの事故の危険性や排ガスの問題があると言えますが、
清濁併せ持つとは言わないことが一般的でしょう。
偉人や政治家などに使われることもあるのですが、功績と負の面があると
清濁併せ持つ人と振り返る形で使われます。
普通の人であれば定義や程度にもよりますが善悪両面は持っていても、
仕方ない部分があるので、わざわざ使わない言葉ともなっています。
また、この言葉において善悪の比率まではイメージできず、
残忍な罪を犯した人であっても優しい部分を持っているということもできます。
清濁併せ持つではなく、清いのみの人は聖人、濁りのみの人は悪人と
言えなくもありません。
今、話題のジャニーズ事務所創設者ジャニー喜多川氏は、
日本の男性アイドル市場を開拓した人です。
しかし彼が犯した性犯罪は史上まれに見ない異常な事件です。
余りにも功績のある人物だったのでマスコミも手を付けられませんでした。
清濁併せ持つ人物でしたが、事件が明るみに出て濁(どろ)が大きすぎて、
日本はとどまらずに世界の音楽業界から消されてしまいました。
純粋に音楽が好きでアイドルに憧れてきた少年たちをスターにしてきても、
その子たちを泥まみれにした罪の方が大きすぎて永久に葬むらなければなりません。
同時に応援してきたファンにも拭いきれない泥の記憶になりました。
「万物は流転する」生まれ、変化し、消滅する。
「無常観」この世には完全無欠、あるいは絶対不変なものはない。
「理性的存在者」日々、迎える一秒一秒の「生の価値」を存分に満喫したいものです。
私はプロデューサーとして、また年齢を重ねた人間として、
水のような柔らかな心と負の部分も受け入れる心が持てるようになりました。
合掌
10月 7th,2023
恩学 |
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「技術的」練習以上に大切なことは「運を呼び込む」練習です。
「運」は突然やって来ます。その時にその運を掴めるかにかかって来ます。
「チャンスの神様毛が3本」と言われるように捕まえるのが大変です。
普段から準備しておかないと気づいた時には通り過ぎてしまいます。
普段の準備とは常に万全の体制で時期を待つ気持ちです。
例えば突然メンバーの欠員ができてピンチヒッターを頼まれた時に、
それに応えることが出来るかです。
その為には普段から万が一を予測しておくことです。
心の準備、技術の準備、見た目の準備、もちろんそれ以上に
気力・体力が充実していなければなりません。
いつでも本番OKの状態をスタンバイします。
運を呼び込むためには行動力、実行力、企画力、そして想像力が肝心です。
これらを鍛えるには若い人には海外への貧乏一人旅を薦めます。
必ず上記の四つの力が養われます。
五木寛之「青年は荒野を目指す」沢木耕太郎「深夜特急」を参考にしてください。
私は「青年は荒野を目指す」を読んで北回りの安いチケットで旅をしました。
横浜から船でハバロスクへ入りシベリヤ鉄道でソ連を周り北欧から英国へ行ったのです。
着いたその日からフラット(アパート)を探して、
英会話の学校の入学手続きをして、アルバイトを探して回ったのです。
心の準備は子供の時から鍛えていたので問題なし。
技術の準備は日本の伝統音楽家として尺八が吹けたので問題なし。(?)
見た目の準備はパンクとヒッピーファッションをミックスしたので問題なし。
気力・体力は旅費を作るために工事現場で一年間働いたので問題なし。
その頃の座右の銘「行く道が楽な場合はその道は間違っている」
敢えて大変な道を選んで夢をあきらめないようにしていました。
そして一番大切なことは人間性です。感謝、感激、感動の三感王を持つことです。
ありがとう、うれしいです、がんばりますを素直に表現できるかです。
この言葉が言えれば、そろそろ「運」の扉が開いて来ます。
空手家山田雅稔が後輩の子供たちに贈ったメッセージです。
努力さえすれば夢は必ずかなうのかと問われると、
残念ながら必ずしもそうとは言えない。
子供たちの夢を壊してしまうようだけれど、
実は「運」に巡り合うタイミングがなによりも重要になるのだ。
自分ではコントロールできないさまざまな要素を味方につけないと、
プロとして大きな成果は得られなかった。自分は単に運がよかったのかもしれない。
心底、そう実感する。ただこう伝えてしまうと、この子は失望するだろうか。
とらえどころのない「運」。
その中で自分自身がコントロールできるものがあるとするなら、
それは人への気遣いだと感じる。
なるべく初対面の人にも話しかけやすい雰囲気づくりを心がけた。
すると協力してくれる人も自然と増えると同時に自分の競技力も上がっていった。
気遣いが競技力を直接、高めるわけではない。立ち居振る舞いに気を配り、
年齢がかなり下の人にも敬う姿勢を忘れないよう注意していると、
自分の責任の重さや期待を再認識できた。
それを糧として積み重ねた努力が結果として世界への扉を開いたのだと思う。
運は全くの偶然ではない。自分の手でつかめるよう努力し、引き寄せることもできる。
「残された時間は少ない」漫画家竹宮恵子より
私がユニコーン・大谷翔平を更に強く意識したのはあるCMで語る彼の言葉だった。
自分が体の調子も良く、年齢的にもべストに野球を理解しており、
打席がどのように回ってくるか、誰が相手ピッチャーか、などなど、
様々な条件を入れると、あとどのくらいベストなプレーが残せるのか、
決して多くの時間はないのだ、というような意味のことを語っている。
修行僧みたいだと、いろいろな人が感じているのはこういうところかもしれない。
彼は自分の幸運をしっかり掌握していると思った。
運を呼び込むために何をすべきか、
どんなスタンスで待てばいいか、準備となるような考え方はどんなものか。
そして肩に力を入れることなく彼はいつも自分の持ち物に感謝している。
そうしないと運の神様との駆け引きに負けると言わんばかりに。
そんな風に見えるのは私だけだろうか。
若い人、特にこれから世に出て自分を問う人へこんな言葉を贈る。
「自分が出会うすべての機会は奇跡のようなもの。
二度と同じ瞬間は巡ってこない。
だからその幸運(あるいは不運)を大切に」。
作家瀧靖之の著書より
『ノーベル賞をはじめ、優れた業績に贈られる受賞者の会見や、
スポーツで優勝した選手のインタビューなどをテレビで見ていると、
感動をもって気づくことがあります。
受賞された方々の多くが、眼を熱くして、「この賞は、私一人の賞ではありません。
支えてくれたみなさんと一緒にいただいた賞です」と、語っています。
自分個人に与えられた賞でありながら、自分を育ててくれた恩師の方や、
一緒に仕事をした仲間、支えてくれたスタッフ、そして、
両親や家族への感謝でいっぱいの受賞者の姿が、いつも印象強く心に残ります。』
沢山の方々が運を開くには「共感力」「好奇心」「感謝」「感動」と言っています。
それらを意識して日々「運を呼び込む」練習をしてください。
純粋で素直な心を「運」は好みます。
10月 3rd,2023
恩学 |
運を呼び込む はコメントを受け付けていません
10ポイント持っていた人間が10ポイント失ったとする。
彼はその10ポイント元に戻すのに20ポイントが必要である。
この取り戻す為に体力も必要だが根性も必要になる。
いつも負けを認めないものこそが勝者となる。
ポイントを失った時点で絶望するか再起をかけて挑戦するか2つに一つである。
私が子供の頃から取り入れていた方法がある。
それは10年毎に人生計画を立てるのです。
その間に何が起こっても次の10年で取り戻す。
というよりは違う場面で違う役に成り切る。
自分の人生を幾つかのお芝居だと想定すればその役になりきるだけである。
成功しても失敗しても「永遠」は無い「無常」の世界で生きるだけです。
悲しみも一瞬、喜びも一瞬の無常なのである。
会社が倒産して、個人的に破産をして、家族とも別れて「無常」を体験した。
それは成功者の役が終わり、みじめな失敗者の役が回ってきただけなのです。
落ち込まず次の10年で復活する役をやればいいだけなのです。
無常の世界を描いた名著がある。
鴨長明「方丈記」
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」
世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、
たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、
これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。
或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。
住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、
二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。
あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。
又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、
何によりてか目をよろこばしむる。
そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、
いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり
知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る。また知らず、
仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。
その主と住みかと、無常を争うさま、いはば朝顔の露に異ならず。
この世のものはたえまなく変化し続けるという事実を、ありのままに述べたもので
仏教心理の一つです。人が死ぬのも無常ですが、生まれるのも無常、
成長するのも無常だということです。不幸な人が幸福に恵まれるのも無常なのです。
信じる人に裏切られるのも無常なのです。
1998年年矢沢永吉はスタッフの詐欺で35億円失った。
かつて世界進出を考えていた矢沢は、オーストラリアに世界へ発信できる
音楽スタジオや音楽学校を作ろうとしていた。
そこで銀行から融資した35億円で、
ゴールドコーストに広さ1万平方メートルの土地とビル2棟を購入。
さらに彼は、知り合いの海外のコーディネーターにビル管理を依頼し、
現地に法人会社を作った。だが10年後の1997年、
現地にあるはずの会社が空き家となっておりコーディネーターも失踪。
購入した土地とビルは競売にかけられ、別のオーナーに変わっていた。
人の手に渡っていたことを知った矢沢は「ビックリを通り越して
ショックだった。こんなことがあるのか」と回顧。
精神的な辛さで「髪の毛どれだけ抜けたか。それで過呼吸。
寝ていても過呼吸だったのよ」と振り返った。
矢沢の手元には35億円の借金だけが残った。一時期、酒におぼれたが、
税理士から「本気で矢沢が返すなら、返せない金じゃない」と言われ奮起。
2004年に完済したという。
借金完済を決意すると、それまで以上に、ライブ活動はもちろんのこと、
CMや映画などにも出演されるほか、お茶の間の露出も増やしていくなど、
精力的に仕事をこなし、なんと、たったの6年で35億円もの借金を完済。
さらには、都内に15億円のスタジオを兼ねたビルを建設されたというのです。
なんとも、凄すぎる矢沢ですが、
そんな矢沢は、リストラされたサラリーマンに向けて、
「僕は皆さんにも言いたいね。リストラされたって、借金を背負ったって
それは役だと思え。苦しいけど死んだら終わりだから、
本気でその役を生き切れ。つまり視点を変えれば、
気持ちが切り変わるってことなんだ。」
古いページを巡っていつまでも後悔するか、
新しいページを開き新たに挑戦するか
選ぶのはあなたです。
移り変わりのある人生「川に流れる水はすでに同じ水では無い」のです。
よどみに浮かぶ現生(この世)は、出会ったり別れたり常に変わり続けているのです。
浮き沈みのある激しい人生も楽しいものですよ。合掌
10月 3rd,2023
恩学 |
マイナスを乗り越えろ はコメントを受け付けていません
以前、システム開発の事業を手掛けている後輩にこの言葉を伝えたところ。
先輩は私の仕事の質が悪いと言っているのですかとクレームが出た。
彼が何故そのように解釈したのか理解に苦しむのである。
常に私が申しているように言葉や文字はどこをとらえて解釈するかが重要です。
それぞれの人が勝手に自分の経験と知識で判断してしまうと間違う恐れがあります。
勿論、文章の意味を検索して、自分なりに理解をするのですが、
その意味をどのように捉えてしまうかに問題点がある。
中国の兵法書「孫子」には、「拙速(せっそく)は巧遅(こうち)に勝る」
という格言があります。
拙速とは、つたなくても速いことであり、巧遅とはたくみでも遅いことです。
つまり、完璧でなくとも「仕事が早い」にこしたことはないという意味です。
私の経験でも、巧遅(こうち)>拙速(せっそく)の構図で
自社も他社も含めてうまくいったためしがほとんどありません。
常に完璧さを追求するあまり、いつも期限がぎりぎりになる人を見かけます。
完璧さを心掛けること自体は、とても素晴らしいと思います。
ただし、時間がかかりすぎて 機を逃しては元も子もありません。
私はこのような説明がなされた時に一番印象に残るのが、
最後の「気を逃しては元も子もありません」です。
私の成功の秘訣は音楽の仕事をしても、マネージメントの仕事をしても、
新規開発で海外へ行っても、チャンスを逃さずスピーディーに反応したことです。
鉄則が「S・S・L」シンプル、スピーディー、ロジカルに徹したことです。
「単純」に「早く」そして「論理的」に報告と説明ができるのかが重要です。
日本人が海外で取引をする時に必ず言われることがあります。
「決裁権のない人との打ち合わせは、時間の無駄になるから
決済権のある人を呼べ」です。
日本の会社の問題点は昔からどのようなことも、上司に確認を取らなければならない
ことです。それは「報連相」(ほうれんそう)のルールです。
その為には単純な問いかけにも時間がかかって機を逃して、
相手は違う会社と取引を始めてしまうのです。
結果、時間をかけて良い条件を提示しても手遅れになり話は終わってしまいます。
2001年に中国の女性演奏家楽団「女子十二楽坊」の資料を受け取った、
次の週には北京に飛び事務所の社長と話し合いを持ちました。
日本の大手レコード会社へ送った資料が私にも送られてきたのです。
即断即決「これは売れる」と判断したからです。
事務所の社長は中国で有名なプロデューサー王暁京(ワンシャオジン)です。
その時に王さんから三つのリクエストがありました。
一「外資系のレコード会社」との契約。
二「ワールドミュージックとして扱う」伝統音楽や民族音楽のジャンルに入れない。
三「コンサートへの助成金」年末に中国で行われるコンサートへの助成金。
私はフリーのプロデューサーですから、
本来は日本のレコード会社と確認を取らなければなりません。
しかし、その時点でリクエストは必ず守ると言い残し帰国しました。
大切なことは、間髪入れずにそこで「覚書」を書かせたことです。
簡単なメモ用紙に「本日より6か月間は稲葉に全権を任せる」と明記させたことです。
私が動いたことにより海外のレコード会社が興味を持ち始めると想像したからです。
現実、その後にアメリカの大手レコード会社が私より良い条件提示をしたのですが、
このメモ用紙があったおかげで私が契約を獲得できたのです。
皆様もさまざまな場面で早い返事を求められることがあると思います。
自分なりの解釈と理解をした上で早く返事を出す訓練をしてください。
オフィシャルな発言でなくても自分の意見は言うべきなのです。
海外の人がよく使う言葉に「マイ・オピニオン」というのがあります。
「私の意見」ということです。返事がなければ話が進まないといことです。
私の意見としては同意をするまたは拒否をするという個人の意見を述べるべきです。
日本人は子供の時から人の話をよく聞きなさいと教えられて来た為に、
自分の意見を言うタイミングが分からないことがあります。
そのために多くの日本人は、何も言わないし、返事もしない、なのに笑顔でいる。
海外の人からは不気味とも言われます。
現代のようなグローバリゼーションで世界を相手にする時には、
日本の品質は世界に勝てる、今すぐに発売しても勝てるという自信を持つことです。
もし小さな改善点があった時には発売してから修正すればよいのです。
新発売「バージョンアップ」という便利な言葉を使えばよいのです。
最後に伝えたいのはお客様からクレームが出た時に、
どうするかで何日も作業にブレーキがかかってしまうことです。
「企業コンプライアンス」という言葉で、
常識人になって警戒しすぎてもビジネスは終わってしまうのです。
問題は起こる前に話し合うのでは無く、問題が起きた時に話し合えば良いのです。
「巧遅は拙速に如かず」です。
人間関係も同じだと思いませんか?
お付き合いする前からあれこれ悩むのであれば先ずは付き合ってみるのです。
勿論、警戒しながらのお付き合いですが、
自分とは合わないと思った時点で辞めればよいのです。
常に動き出さなければ時間の無駄になります。
「感即動」の精神をお忘れなく!
10月 3rd,2023
恩学 |
巧遅は拙速に如かず はコメントを受け付けていません
人生というボードがあればその中の一片となる覚悟があるか?
初めから自分を中心に置くから活躍の場が見えなくなる。
そして絶望をする。
どの世界にも必要とされる部分(一片)があるが、
親も教師も中心になることを半ば強制的に教え込んでくる。
一番になることが尊いかのような教育は落ちこぼれを作るだけで、
勝ち組負け組など馬鹿な言葉も生まれてしまうだけである。
私は貧しい家庭で育ったので食べるのが精一杯の暮らしだった。
小遣もないので友達と楽しい思い出も作ることが出来無かった。
教室に行っても同級生が幼く見えてクラスで逸(はぐ)れるしかなかった。
かといって騒ぐばかりの悪ガキで無かったので結構人気があった。
今の境遇だと自分は社会の中心にはなれないから脇役を目指すことにした。
一流の脇役を目指す決心をしたから、悪い意味での「上を目指すだけ」の
意識は消えた。俺は俺はという意識を決して曲げなかった。
しかし、表面上は「言いなり」に徹した。
一見するとお調子者の馬鹿である。道化師に徹したのである。
その時に私の好きな言葉あった。
『われは 木偶(でく)なり 使われて 踊るなり』
これは、文化勲章を受章した画家・詩人、中川一政氏の随筆の中に
出てくる言葉です。
この言葉の木偶(でく)とは、『木の人形』という意味と、
『役立たず(でくのぼう)』という二つの意味が込められています。
『私は無能な人形であり、人に使われて踊らされるだけの、下卑た存在である』
自嘲的に解釈いたしますれば、上記のような意味合いではなかろうか…
と思うのですが、冒頭を『われ(我)』とせず、相手方を意味する
『われ(貴様)』と解釈いたしますれば、
逆に相手を侮辱する言葉と化してしまいます。
何れにいたしましても、自分や相手を中傷する意味の言葉のように
思う事しかできませんでしたが…
しかし…
この言葉は、自分を超えたところにあるものに対し、
己の全てを任せるという意味として解釈するべきでは…と、
思い直すことができる昨今の自分でございます。
意味を…『導かれるがままに、私は従う』
故に…『無心になり、やるべきことを一生懸命にやる』
この心境を得ることこそが、中川一政氏の綴った本来の目的ではなかったのか…。
そんなことを思いながら、未だに悩み苦しむ己の迷路に自ずと
道を開かせようとしている情けない自分。
われは 木偶なり、使われて 踊るなり
プロデューサーという脇役の道を選んだのだから心に悔いは無かった。
徹底的に脇役を目指したのです。
世の中は言わずとも多くの人の集合体です。
気の置けない仲間が集まれば大きな夢を叶えることが出来るのです。
世界的大ヒットの漫画&アニメの「ワンピース」は、
一人一人の能力を「組み合わせ」れば願い事は必ず叶う。
それを伝えたかったのだと思います。
今の時代は縦の組織ではなく横つながりの仲間の組織の時代です。
エンパワーメントが訴える個人の能力の組み合わせです。
先日、久しぶりに素晴らしいライブを見ることが出来ました。
2023年9月25日(月)fEAr Lounge ZERO
【ニシハラトマムとゆかいな仲間たち】
Dr.西原冬馬夢
[Special GUEST)
Dr.岡本郭男
Vo,伊丹谷良介
Vo, Momo Ando
Ba.日野 JINO賢二
Gt.MasaShimizu
Gt.Tommy
Gt.TakaU (from tUM€ GREAT:DAMN)
Ba.大河(from札幌 GREAT:DAMN)
Gt.藤田響心
Ba.加山桂護etc…
Drニシハラトマム・初プロデュースのライブでした。
彼とは何度か話をする機会があって、
多分チャンスがあるのならチャンスに乗るのも人生だよ。
辞めるのはいつでも出来るから、辞めない選択もしなさいと言った記憶がある。
先輩アーティスト伊丹谷良介の応援のもとチャレンジを続けなさい。
昨夜のライブは緊張と興奮の入り混じったスタートから、
仲間たち(素晴らしい先輩達)と後輩たちに見守られながらの
最高のステージを展開した。
ニシハラトマムの性格の良さが先輩も、後輩も、観客のみんなも
巻き込んでグルーブが一体となった。構成も選曲も自然の流れだった。
見事だった。
Vo、伊丹谷良介とMomo Andoの歌声に観客は酔いしれた。
最後まで惜しみない拍手を送っていた客席のみんなもステージの一員になった。
偶然、出会った世界的有名なカメラマン、ハービー山口さんと、
「日本でもこんなに良いライブが出来るようになったのだね」と、
印象をおなじにした瞬間である。
そして彼は立ち上がり手持ちのカメラで写真を撮り続けていた。
みんな「我一片なり」そのピースが集まるとこんなに素晴らしい、
感動的なコンサートが出来るのです。
「音は外しても客の心は外すなよ」
その日はしっかりとお客様の心を掴んでいました。
みんなのこれからの活躍を期待しています。
9月 28th,2023
恩学 |
我一片なり はコメントを受け付けていません
「知る」ということを会得する為には「読む、書く、話す、繰り返す」が必要です。
噂を耳にして知っているというのは、聞いたというだけで知ってはいません。
インターネットやテレビなどで流れて来る情報は、
聴いた!見た!というだけで記憶には残りません。騒音と同じです。
目標や目的も実行が伴わなければ「願う」ということだけです。
予定を組んだとしても行動が無ければ「無いものねだりの神頼み」です。
自身の経験や達成が積み重なることにより「叶う」になっていくのです。
「感即動」
興味があり感知した時には行動が伴わなければ「知る」機会を失います。
そして「知る」を会得したら「気づき」が起こるのです。
外部からの情報が無くても、自分自身の予知が出来るということです。
気づきは創造力が無ければ気づくことは出来ません。
世間でいうところの「人寄せ」は出会ったときに縁があると感じることです。
人の出会いは一瞬早からず又一瞬遅からず
出会うべき人には必ず出会う
しかし、求める気持ちが無ければ
運命の人も目の前を通り過ぎる
森信三
私は何度も若い時に偶然の出会いに恵まれました。
ジャズの伝説的な巨匠であるドラマーのエルビンジョン、
ギターリストのバニーケッセル、シンガーのジェームステーラー&アルスティワート。
レストランで紹介され、ジャズクラブで声かけられ、
百貨店で買い物途中に出会い、音楽キャンプで目の前に座っていた。
私が会いたいと思ったら会える。
勿論、英国に行かなければそんな偶然も起こりません。
憧れの人に会いたければその人の近くへたどり着かなければなりません。
たとえ会えなくても気持ちの上では出会ったと同じ満足感も生まれるのです。
禅門には「冷暖自知(れいだんじち)」という言葉があります。
自身が直接的に冷たい、暖かいということを体験し、実感する。
また、その体験した実のところは他者に伝えることができない」
という意味です。
例えば、ここに冷蔵庫で冷やされた水と40℃のお湯をお湯のみに入れて
二人の方の前に出したと致します。
それを眺めながら、「こっちがお湯で、あっちが冷水」
いや「こっちが冷水で、あっちがお湯だ」と互いが互いに検証し合ったところで
無駄に時間が過ぎてしまうだけでしょう。
理屈で証明できないことはありませんが、明確でしかも早いのは
それぞれのお湯のみの中身を飲んでしまうことではないでしょうか。
一口飲めば、冷水かお湯かは人から面倒な理屈で説明されるまでもなく、
どのくらい冷たい水なのか、どのくらい温かいお湯なのかを、
私自身が実感を伴って知り得るのです。
人からどんなに事細かに教えられたとしても、実感を伴って
私自身が知り得ることはありません。
この実感を伴って知り得ることが大切なのであります。
また、「冷暖自知」だからこそ、安易に知り得ていると思い込まず、
そのとき一所懸命に実感を伴って知り得ようとする姿勢であり続ける
ことが大切なのであります。
気安く知り得ていると思い込まない。謙虚に知り得ようとする姿勢であり
続けることで、より様々な体験・経験を積み重ね、気づき、
当たり前のことが実は有ることが難しいこと、すなわち有り難いことに気づいていく。
そうなりますと、今まで見えていた風景も違ってくるのではないでしょうか。
ある寺の禅僧が毎月お参りに伺うご高齢のお檀家さんがいらっしゃいました。
そのお檀家さんとの何気ない会話の中で「80は80なりの、
90は90にならなければ知り得ないところがある」といわれました。
若かったときの様々な苦労や楽しかったことを積み重ね、
そして今、身体の老いや親しい友人がいなくなるといった様々な苦しみや
寂しさを味わっている中だからこそ、あのときは見えなかったものが、
今では少し見えてくるようになり、目に見える風景も随分と変化するものだと
教えて下さいました。
自らが自らの体験・経験によって実感として知り、気づき、
会得することが「禅」では大切であります。
だからこそ、安易に知り得ていると思い込まず、
私自身が知り得ようとする姿勢であり続けることが肝要であります。
それが「知るということ」ではないでしょうか。
「知る」を邪魔するのは好奇心の欠如です。
そんなこと知っても時間の無駄だし何の役にも立たない。
あなた自身の心から興味を消しては駄目です。
触ってみなければ熱さ冷たさも分かりません。
9月 28th,2023
恩学 |
思考の先回り(気づく) はコメントを受け付けていません
高校生のアマチュア演奏家と話し合しあう機会がありました。
北海道から安いチケットを購入して東京のライブ会場に来たという事でした。
彼らがプロの演奏家の間に入り一生懸命演奏している姿に感動しました。
大勢のお客様の前でも物おじしないのにはびっくりです。
今は上手になる環境が整っているので驚くほど演奏が達者です。
ネットで憧れのアーティストの画像を無料で見ることが出来るので、
演奏スタイルを真似することが容易にできます。
その上に楽器の手入れから、機材の使用方法から、演奏テクニックまで
解説しているサイトもあります。
我々の時代では、レコードを聴いてコピーして覚えることしかできなかった、
そしてコンサート会場で指の動きや音の出し方を見て学ぶしかなかったのです。
それよりも高校生が東京へ行き、ロックのライブに出演したしたとなると、
紛れもなく停学の時代でした。ロックイコール不良だと決めつけられていた時代です。
アーティストの友人伊丹谷良介氏から一言アドバイスをしてもらえないか
ということで話をしました。
「自信を持ちなさい!好きなことをやっているのだから臆病にならず自信を持ちなさい」
今はとりあえず憧れの演奏家の真似を徹底的にしなさい。
そして、少しでも発表する場が出来れば、思い切りお客様の前で持てる限りの
テクニックを披露しなさい。その覚悟が必要です。
周りから何を言われても気にすることは無い、
自分の望んだことをやっているのだから自分をしっかりと見守りなさい。
一番大切なことは自分の演奏がお客様の呼吸感と同じようになることだ。
アマチュアは自分が気持ち良くなることで満足するが、
プロはお客様の気持ちを良くして満足する。
だから「音程は外してもお客様の気持ちは外すなよ」
呼吸感とは、自分が悩みを抱えているなら、お客様も同じような悩みを
抱えていると思いなさい。
雨の日は憂鬱になり、晴れの日は快適になる、
失恋すれば悲しいし、それぞれみんな悩みを持って生きているのだ。
お客様も音楽によって一瞬でも悩みを忘れたいと
遠いところから見に来てくれているかもしれない。
よい音楽は人の心を癒してくれるのです。
「練習は自分の為に本番はお客様の為に、
そして夢と喜びを提供するのがプロです」これを忘れないように。
そのような話をしている時にこのようなことを思い出しました。
参考に掲載します。
昔から「若いときの苦労は買ってでもせよ」ということわざは
皆さま方もよくご存じのことだと思いますが、
昨今、なかなか聞かれることが少なくなったように感じます。
なんでも簡単にできてしまう現代社会において、身を以て経験し、
苦労をして体得することは時代遅れ、非効率、無駄なものとされているように
感じるからでしょうか。
そんな現代だからこそ、より一層大切なことに思います。
利休居士の訓(おしえ)をわかりやすくまとめた『利休道歌』に
「規矩(きく)作法、守りつくして、破るとも、離れるとも、本(もと)を忘れるな」
と記されております。
まずは師から教わった型を徹底的に真似て、学び、
「守る」ところから修業や鍛錬といった下積みが始まります。
そうして師の教えに従って、修業・鍛錬を積み重ね、その「型」を体得致します。
その後、師の「型」をはじめ、他の「型」も自身と照らし合わせ、
工夫し、悩み、もがき、苦しみを乗り越えることで、自分らしい「型」を模索し、
はじめて既存の型を「破る」ことができるのであります。
さらに修業・鍛錬を積み重ね、かつて教わった師の「型」と
自分自身で見出した「型」の双方に精通することで、
既存の型にとらわれない「型」から「離れ」、自在となることができるのです。
しかし、「本(もと)を忘れるな」とある通り、「型」を破り離れたとしても、
その奥深くにある根本の「本」を見失ってはならないのです。
まして、基本の「型」を会得しないままに、
いきなり個性や独創性を求めることは、いわゆる「形無し」なのです。
十八代目中村勘三郎さんの座右の銘
「型があるから型破り、型が無ければ形無し」といわれる所以です
中国の古書にも、
「一般的に百の技は功に始まり拙におわる功と拙が合わさり神妙となる」
名人と言われる人の作品ほど稚拙に見えることが多いのです。
その逆に未熟な人ほど技巧に走り派手に見せようとするから技が多いのです。
「型」を守り、「型」を切り離しても、「本」を忘れるなよということです。
好きな音楽も、良い音楽も、売れる音楽も、アーティストは、
お客様と対峙して感動を作り出すのが仕事です。
正しい「型」を習得しましょう。
9月 28th,2023
恩学 |
型をつくる はコメントを受け付けていません