愛語よく回天の力あり

 

「面(むかい)いて愛語を聞くは面(おもて)を喜ばしめ、
心を楽しくす。面わずして愛語を聞くは、肝に銘じ、魂に銘ず。
愛語よく回天の力あることを学すべきなり。」道元禅師

面と向かって優しい言葉をかけられれば、
自然と顔に喜びがあふれ、心が楽しくなる。

また、人づてに優しい言葉を聞いたら、その言葉が心に刻まれ、魂がふるえる。

それは、愛語が人を愛する心から生まれ、人を愛する心が、
他人をたいせつに思う心の中から、芽生えてくるものだからです。

本当に、優しい言葉というのは、世界を変える力があるのだということを、
私たちはよくよく学ばなければいけません。

勇気を与える言葉は直接相手に伝えた方が、心に響きます。

褒める言葉は直接よりも第三者を通じて伝えた方が、心に響きます。

戒めの言葉は誰も居ない所で教える方が、心に響きます。

伝え方を間違えれば相手に恥をかかせることにもなります。
そして心に傷をつけてしまう事もあります。

たった一言の心無い言葉で自殺する子がいます。
気付いてやれば良かったと、泣きながら話す友人や両親がテレビに登場します。

ストーカー被害の人が追い詰められて殺されてしまう事件があります。
その時に対応した相談員や警察官は被害者の言葉や表情から、ことの重大さに気付かなかったのでしょうか。

心配は何も無ければ安心につながります。

もっと言葉に敏感になってはどうでしょうか。

現代社会はルールに拘束されながら文字で情報を伝える為に、
言葉の持つ力を重要だと思わなく成ってしまったのではないでしょうか。

もし人間が100の言葉しか与えられていなかったらどうでしようか。
一言・一言をとても大切に使うのではないでしょうか。

生きる為の言葉、愛の為の言葉、慰めの言葉、希望の言葉、感謝の言葉、
残りの言葉数を数えながら使うとすれば決して疎かにする事は出来ません。

スポーツ選手やアスリートが競技場に出る前に監督やコーチから声を掛けられます。
今日のコンディションに合わせて自信が沸き起こる言葉を掛けるのです。

アーティストがステージに出る前にもスタッフが声を掛けます。
お客様の状況を伝えながら興奮度を上げて行く言葉です。

「初めてのお使い」と云う番組で子供が買い物に出かけます。
ママのお願の言葉で冒険に出かけるのです。

そして泣きながら目的を達成しママに抱き締められて「ありがとう」の言葉をご褒美で頂くのです。

みんな言葉の魔法で勇気がでたり、傷ついたり、元気になったり、喜んだりします。
そんな大切な言葉を疎かにせずに大切にしたいものです。

愛語よく回天の力ありです。

言葉は人生を大きく変えることが出来るのです。

 

 

キリンに憧れたライオン

 

アフリカの草原でライオンがキリンに言いました。
キリンさんは良いね。首が長くて遠くまで見渡せるから。

キリンは答えました。

ライオンさん。わたくしは遠くの美しい景色を見ることができるのですが、
地上のような下を見ることが苦手なのですよ。

ライオンは言いました。それでも首が長ければ、
美しい景色と遠くの獲物を見つけることができるから羨ましいよ。

キリンさんは一言言いました。

ライオンさん、どんな素晴しい景色を眺めてもお腹は一杯に成らないよ。
美味しい物はすべて地上にあるじゃないか。

ライオンさんが羨ましいよ。誰よりも力が強くて足も速いし。
そのうえ捉えた獲物を邪魔されずに食べることができるじゃないか。

キリンとライオンは日が沈むまで話し合いを続けていました。

 

動物にはそれぞれの特徴があり魅力もあります。
その能力を活かして生きて行くが一番なのです。
他の動物の利点を羨ましがり憧れても仕方がないのです。

自分の特徴を活かして頑張る事が大切ですと、自立の為の教訓話です。

しかし現在は、お互いの利点を生かして共存する方法をおしえます。

特にビジネスの世界ではハイブリッドという言葉で異種交配を求めます。
代表的なのはガソリンと太陽光熱、違ったエネルギーの組み合わせです。

互いの利点を組み合わせることによるエネルギーの効率化と節約です。

果たしてキリンとライオンのハイブリッドは可能でしょうか。
キリンがナビゲーターになり、ライオンに獲物のありかを教える。

遠くにいる動物を見つけて上からライオンに指示をする。
ライオンは効率よく獲物の捕獲にありつける。

しかし、よくよく考えるとキリンは草食動物でライオンは肉食動物です。
互いの共存共栄は成立しないのです。

しかし、キリンの情報で獲物を見付けたライオンが、
次は、食事中のキリンを守る事が出来るかもしれません。

ナビゲーターとスナイパーのハイブリッドなら可能性は在るかもしれません。

 
政治の世界でも自国の発展ばかりを考えて外交を行うと必ず問題が噴出します。
こちらが必要な物と相手が必要な物が分かれば取引は難しくありません。

勿論、互いの歴史認識や政治的価値観の違いがネックになったとしても、
国が豊かになり国民が喜ぶのであれば発展的に解決をしなければなりません。

一国で成長することは無いのです。

様々な国とのつながりがよりよい成長に繋がるのであれば、
国同士のハイブリッドがあっても良いのではないでしょうか。

経済的な重要性よりも国民同士の意識の統一が出来れば戦争は起こらないのです。

ハイブリッドが平和への架け橋になれば素晴しいですね。

 

人間の世界でもハイブリッドはあります。

音楽やスポーツやモデルの世界で活躍している方々の中には混血の方が多いです。
両親の良き部分を受け継ぐのですから、声が良かったり、足が速かったり、スタイルが良かったりします。

混血のDNAに隠された能力が開花するわけですから悪い事ではありません。

意図的に人間の遺伝子を組み換えることは出来ませんが、
恋愛の末に生まれたハイブリッドは誇らしき事ではないでしょうか。

世界中の人の輪が広がれば、感動の輪も広がって行くのです。

 

人も動物も一人では生きていけません。

弱肉強食の世の中でも、強い物が偉くて弱い者は劣っているという定義にはなりません。
より良く共存共栄をする為には、互いの能力を組み合わせることが重要です。

過酷なサバンナで行きぬく為にはキリンとライオンのように話し合いが必要です。
そして互いに敵対しするのではなく、双方の能力を認めることです。

そこに新しいハイブリッドの未来が見えて来る筈です。

 

 

自分天国

 

食品の安全に囚われて農薬に放射線量に生産農家にまで気にしている方がいます。

家族の為の健康を考えるのであれば当然なのかもしれませんが、
過剰なまでの反応はどこかエゴが感じられて違和感を覚えます。

安全性を疑いながら空腹を満たす為の食事は美味しいでしょうか。
美味しく頂くと云うことは感謝して頂く事です。

「我々家族に今日も一日の糧を頂き感謝いたします」の言葉が無ければ、
子供達は食に対する敬意が失われていきます。

両親が食卓で食の危険を話し合いながら笑っているのは愚の骨頂です。

言葉は子供に伝染します。両親が笑いながら話している事は、
そのまま子供に伝わるのです。食に対する軽視につながる恐れがあります。

世界には貧困の為に食べることが出来ない人も大勢います。

泥水しか飲めない未開の村も多数あります。
その方達は多少の農薬が入っていても、汚染された水でも口にするしかないのです。

病気を恐れないのではなく、生きることに望みを託しているから、そうするのです。

その方達のことを考えると軽はずみに食の安全を口に出していいのでしょうか。

身体的な影響が出る人以外は黙っている事も大人の良識です。

日本で店頭に並べられている食品はどの国よりも安全です。
多少問題があっても気にする事はありません。
過剰な反応は身体よりも精神的に悪影響があるように思います。

世の中には、それ以外にも注意しなければなら無いことが沢山あります。

環境問題・地球温暖化・エネルギー・領土問題・戦争など数え上げたら切りがありません。
自分さえ・家族さえ・友達さえ・安全で楽しい生活が出来れば良いと望む人達は、
傲慢な「自分天国」に溺れているのです。

他人の痛みや苦しみを軽視する暮らしをしているのです。

いつか自分にも降りかかるかもしれない「自分地獄」から目を逸らして生きているのです。
一時の満足で永遠の快楽を満たそうとしているのです。

人にはそれぞれの欲求の形と種類があります。

ここにアメリカの心理学者マズローが唱えた五大欲求の段階があります。

欲求の集約は「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生き物である」です。

第一に生理的欲求があります。食事や睡眠や排せつなどの妨げが無いことです。

第二に安全安心の欲求があります。経済的や健康的や学習・教育の確保です。

第三に所属と愛の欲求です。家族・地域社会・会社・団体への関与です。

第四に承認の欲求があります。社会的地位と尊重の欲求です。

第五に自己実現の欲求です。人間的完成や精神的満足を求めることです。

この学説が万人に通用するかは分かりません。

初期段階の生理的欲求も満足に手に入れる事が出来ない人も大勢います。
しかし悲しい事に人間は欲に限度が無い為、一つ手に入ればすぐに二つ目が欲しくなってしまうのです。

市場経済の原理はこれを応用して人の欲望を満たす為の商品を売って儲ける事です。

世界有数な大企業はこの法則に従ってビジネスを組み立てているのです。

果たして「自分天国」が本当に幸福なのでしょうか。

他人も参加した天国の方が、価値があるように思うのですが如何でしょうか。
家族だけの笑顔よりも地域社会全体の笑顔の方が楽しい筈です。

だから今「リベラルアーツ」という学問が必要なのです。

ギリシャ時代に生まれた人間学です。

個人と他人・家と社会・地域と国家・発展と荒廃・豊かさと貧困・平和と戦争等を、
システム的に分析するのではなく、人としての関わり方を話し合う事です。

無駄な贅沢を減らす事によって、救われる人達がいるのであればそうするべきです。
進化にストップ掛けることが、地球の安全に繋がるのであればそうすべきです。
食の安全を生産者と共に国に訴えることが、正しいのであればそうすべきです。

日本にはこのような素晴しい言葉があります。
周りを思いやる「利他心」と分量を知って生きる「小欲知足」です。

他人の利益を考えて行動を起こし、自分の取り分が少なくても満足する事です。

自分天国に溺れるのではなく周りの状況を視野に入れて全員天国を目指すべきです。

それが共存共栄の根幹です。

 

安心

 

人は孤立を避ける為に集団から逃れることが出来ない。
集団の中にいれば多少の優劣の争いはあっても、
個人的判断の責任と危険を回避できるからである。

集団思考は常識の範囲の中庸な意見を取り入れる為に、
誰でも理解が出来て判断に迷う事が無いからである。

これを「付和雷同」という。

付和雷同からは突出した能力は生れずに、
似非平和主義の楽天家ばかりが肩を並べることになる。
まるで柵に囲まれた羊の群れと同じ状況になってしまう。

労せずに水と餌を手に入れることが出来れば戦わなくてすむからである。

人は自から渋滞の波に入り込む心理がある。
他人と同じ方向に車を走らせる中で安心感が生まれるからである。

本当は違うルートを利用して目的地に向かいたいのだが、
周りの目を気にして同じ速度で同じ距離を走り行く。

勝手に抜け道を見つけて一歩でも早く目的地に着けば、
妬みと非難といじめの対象に成るからである。

それを恐れる為に、効率の良い道を見つけたとしても、
わざわざ人と同じ道を走るのである。
会社でも社会でも学校でも同じような事が起きている。
違う発想で違う行動をおこせば仲間外れになるのである。

それを恐れるからみんなと一緒に手を繋いでゴールするのだ。

人は欲望に勝てない為に本音と建前を使い分ける。
ピラミッド型の三角型のリーダーに成る為には失敗は許されない。
平社員から役員・社長となる為には波風は立ててはならないのである。

だから本音より建前で過ごして行かなければならない。

逆に、矢印型のリーダーに成る為には挑戦をしなければならない。
役職には興味なく開発や新企画に情熱を傾けるのである。

だから建前よりも本音で生きているのである。

個人の知識・能力も大切だがそれよりもセンスが必要になる。
センスは感性がなければ磨く事が出来ない。

集団に甘んじていたり、流れに逆らわなかったり、
人と同じことをしていては矢印型のリーダーにはなれないのである。

 

ここに哲学者森信三の言葉がある。

「九十九人が、川の向こう岸で騒いでいようとも、自分一人はスタスタとわが志したこちら側の川岸を、
わき眼もふらず川上に向かって歩き通す底の覚悟がなくてはなるまい。」

孤独を恐れる必要は無い。困難から想像力が生まれるのである。
想像力の世界では決して一人では無い、そこに大自然と云う友が現れるからである。

安心は安心な場所に安心があるのではなく、
危険を冒して乗り越えた場所に安心があるのではないかと思う。

 

教訓Ⅰ

 

他人の生き方を真似るのではなく自分の生き方を守ればよい。

自分の立てたルールが守れない人間は他人のルールも守れない。
自分にとってのルールは自分で作るのだ。弱者のままで終わる事は無い。
自力で這い上がって自分のNO1になれ。最後は自分が自分を認めてやれば良いのさ。

そして成功しても弱い者を虐めるな。みんなを守ってやる心意気だけは忘れるな。

自分の立てたルールを裏切るなよ。笑われても貶されても気にする事は無い。
今すぐ白い紙に自分のルールを書き出せ。そして毎日声に出して叫ぶのだ。

1)目的と目標を書く、2)自分の欠点を書く、3)自分の長所を書く、4)やりたい事を書く、

5)自分を見つめる、6)一人で山か海に行く、7)仲間を集めて騒ぐ、8)デジタルの世界から飛び出す、

9)たまには携帯もメールも休む、10)見たい映画を見る、11)読みたい本を読む、12)自分のルーツを探る、

13)この国を考える、14)男と女を考える、15)生きる目的を考える、16)リア充な仲間を集める、

17)経験豊かな先輩に教えを請う、18)金を作る方法を考える、19)三人のチームを作る、20)事業を興す、

21)資金を蓄えて世界に出る、22)でかいフィールドで戦う、23)毎日勉強をする、24)新しい話題に遅れない、

25)たまに旨い物を食う、26)いい音楽を聞く、27)馬鹿をやる、28)常識に囚われない、

29)胸を張って生きる、30)太陽に感謝する、31)自分の夢に酔いしれる、32)ノートを毎日読み返す、

33)一日十分ぐらい人の為に使う、34)時間と金を無駄にしない、35)悔しさを笑える人間になる、

36)愛する人を抱き締める、37)家族にありがとうを伝える、38)生きている実感を味わう、

39)感謝する事を忘れない、40)失敗を恐れない。

他人の生き方を真似るのではなく自分の生き方を守ればよい。

自分の立てたルールが守れない人間は他人のルールも守れない。
自分にとってのルールは自分で作るのだ。弱者のままで終わる事は無い。
自力で這い上がって自分のNO1になれ。最後は自分が自分を認めてやれば良いのさ。

そして成功しても弱い者を虐めるな。みんなを守ってやる心意気だけは忘れるな。

自分のルールを裏切るな。笑われても貶されても気にする事は無い。

志を持っている仲間を作り、いいかげんな大人を見下せ。

頭ごなしで人生を語る大人とは縁を切れ。頑張れを意味もなく連発する大人は無視をしろ。
金と女の話しかしない大人には「あんたら最低の人間だ」と言い放せ。

俺達は俺達のやり方でこの国を作りなおしてやる。
その心意気を植え付けろ。

人生の目的は、己の欲の為に生きることでは無く、家族が地域が笑顔で暮らせる国を作る事だ。
いつも意識は革命家であれ。自分の生き方は自分で作ることを忘れるな。

遠慮と謙遜と謙虚

 

「遠慮」は書いて字の如し遠い先々まで思慮することである。

それが人に対して言語・行動を控えめにするという意味で伝わっている。
挙句の果てには相手に気を使い先を譲る事が遠慮と成ってしまった。

本来の意味は思慮深く考えた上で行動を起こす事である。

「謙遜」は控えめな態度で振る舞う事。そしてへりくだる事と辞書には書いてある。

我々が使う謙遜は自分の地位や実績を誇示せずに控えめに振る舞うことである。
しかしビジネスの上での謙遜は逆に警戒心を植え付けることにもなりかねない。

初対面では必ず経歴と実績と能力は明示すべきである。
その上で互いの条件を要求するのが交渉である。

表向きでは謙遜を交渉の道具として使い信頼を得ようとする事が多い。
へりくだる事が交渉を優位に立てると錯覚しているのである。

「謙虚」も控えめで素直なこと書いてある。

本来は互いが主張を繰り返し議論した結果行動に移す事である。
消極的に避けるのではなく、学び方が上手く、恐れ入りながら、前の席に座ろうとする意識の事である。

謙虚は下がるのではなく前に進むことと詫びながら行動する事である。

日本人は他人との摩擦を避ける為に、「言わない・言い切らない・言い負かさない」で、
本音を隠して建前だけで過ごして来た。

同調の精神イコール場の空気を読むことに帰結する。

日本人の美徳とされて来た、共存・共栄・互助・思いやり・やさしさも、
他人とぶつかるのを避ける為に生れて来た処世術である。

そこに言葉と共に独特の所作が加わるので見た目にも美しいとされて来た。

他の国と比べれば一般庶民の隅々にまでに礼儀作法が浸透している国は珍しいのである。

八百万の神々に守られている我々は性善説を重んじる。
生まれた時に悪人は存在しないのだから根本は信じ合えると思っている。

しかし世界企業と渡り合うグローバル化の現代では日本人の曖昧な慣習は理解が得られない。

幾ら英語を流暢に使いこなしても日本人の礼儀作法の意識で使えば誤解を与える。
遠慮と謙遜と謙虚は性善説から出た遺物である。
決して伝家の宝刀には成らないのである。一方的な思いやりは気をつけた方が良い。

江戸幕府末期の開国以来、海外から大勢の外国人が来た。
彼等は東洋の未開の国に来たと思ったら、人は礼儀正しいし、町は整備されているし、
店先に並ぶ美術工芸品の素晴しさに驚いたのである。

そして彼等がした事は、自国に都合の良い貿易条約を作り、
日本の貴重な工芸品や絵画などをゴミの様な値段で買い漁って行ったのである。

我々の祖先は遠慮と謙遜と謙虚を逆手に取られて散々やりたい放題をされたのである。

許されがたい歴史の事実である。

ここに英国の貴族が学ぶノーブレッスオブリージェがある。

特権を持つ人間は特権を持たない人間に奉仕をしなさいということである。
貴族は庶民を守る義務があるのである。金持ちは貧しい人達を救う義務である。

しかし、本当は貴族たちの特権と贅沢を守る為の詭弁の教えであった。
都合の良い法律を作り高い税金で庶民を身動きできない様に領地に縛り付けたのである。

日本人が英国男性を紳士の鑑として来たのは、彼等の都合の良い嘘に気付かずに、
ノーブレッスオブリージェをジェントルマンシップと勘違いしたからかもしれない。

元々ジェントルマンシップは、レディーファーストと戦う意思が無い事を表明する事である。
民族が違い、宗教が違い、価値感の違う国が、外交上取りきめた接見のルールは、
相手を疑う事から始まったのである。

しかし、ある意味では我々も英国風なジェントルマンシップを学ばなければならない。
戦後、日本はいち早く近代国家を作り経済大国になったからである。
近隣諸国との外交には、笑顔の下にナイフを隠すような強かさが無ければ、バランスがとれ無いのである。

その上にノーブレッスオブリージェで言われる所の与えられた特権を使い、
発展途上国を常に援助する事が日本の役割なのかもしれない。

日本人は、いつまでも遠慮と謙遜と謙虚を守るべきではなく、
時代に合わせた礼儀作法を作らなければならないのかも知れない。

インサイドの表現ではなくアウトサイドの強い主張が必要な時である。

 

素直

 

「尭の心の素直なるをもって心とするが故に、皆、素直なり」平家物語巻第六二紅葉

中国の伝説上の人物で五帝の一人「堯」。

天下を治めて五十年が経って堯は「果たして人民は安んじているのだろうか」と考えた。
側近の誰に聞いても分からなかったのでお忍びで町に出かけた。

子供が童謡を歌っていた。
天子様、何か知らないけれども、自然と導かれて生きているのです。
さらに歩いていると老人が何かもぐもぐ食べながら歌っていた。
皇帝だの政府だのなんかよくわからんが、わしには何の関係もない。

みんな素直に平和に暮らしている事が分かった。

経営者の方達よりスターに成る資質は何が一番大切ですかと質問された。
先ずは「素直です」と答えた。

子供の頃に習い事で音楽を学んだ人は楽しむ事だけで音楽を表現します。
すこし才能がある人は自我で音楽を主張してしまいます。
中途半端に音楽を勉強した人は理屈で音楽を考えてしまいます。

何も偏らず理屈も自我も無く素直な人が成功するのです。
素直な人は正しい音を正しく聞く事が出来る人です。

高度な技術で感動を作るには長い時間を要します。
我々が作るポピュラーミュージックはある意味時代の旬の音楽です。
熟成よりも鮮度が大切なのです。

言葉とメロディーを素直に表現できる人がスターに成るのです。

次はスタッフを大事にする人もスターに成る可能性があります。
ついついステージの中央に立つと自分が偉くなったような気に成ります。
気付かないうちに傲慢になり横柄さも出て来るのです。

自信の無い人が媚を売る為の偽善的な付き合いでは無く、
他人の苦しみを理解して心から励ましの言葉が掛けられる人です。

美しい花が育つには水をやる人も手入れをしてくれる人も必要です。
名前を残すアイドルはこの事を知っているのです。

音程を外しても人の心を外さない人がスターに成るのです。

 

そして目標と目的をしっかりと理解している人です。
目標とするアーティストがどの様にしてスターに成ったのかを知り、
それに近づく為に努力を惜しまない人です。

そして目的を明確に知りその目的を高い位置で持っている人です。
世界最高の山を目指す人は、途中で挫折しても中腹ぐらいまでは登れるのです。
その高さは中腹といえども通常の山より高い筈です。

高い志を持つことの重要性はここにあります。

目標に辿り着く事は才能があれば出来ます。
しかし音楽の目的が私利私欲のためであれば絶対に辿り着く事はありません。

音楽の目的が人間の感性(喜びや怒りや悲しみ楽しみ)を豊かにし、
善悪を弁えた理性を蜂起させ親切や思いやりを高揚させる為であれば、
音楽家として尊敬もされ長くスターとしている事が出来るのです。

 

常に立ち位置を理解して、目標と目的を明確に持ち、慈しみの素直な心を持つ。
音楽は聞かせるのではなく、聞く人がどのように聞いてくれるかが重要です。

発信者よりも受信者の心を捉える事が大切なのです。
素直な心は相手の気持ちが入り易い状態でもあるのです。

 

曖昧

 

日本語には曖昧な表現が多い。

過酷な自然環境の中で生きて来た日本人にとって表現は常に曖昧になる。
雨を恵みと感じる人も、雨が災害のもとと感じる人もいる。
同様に晴天を喜ぶ人も、日照りの元凶と恨む人もいる。
露骨に喜びや悲しみを表現するのではなく曖昧な言葉で挨拶を交わす。

曖昧という字は日が雲に包まれて暗いさま、はっきりけじめがつかないさまを言う。

白黒つけるとどちらかが傷つくので灰色の答えを出す。
曖昧はおもいやりの表現として使われる事が多い。

日本人同士だと「言わなくてもわかりますよね」が通じてしまう。
日本人の好きな言葉「空気を読め」で静まり返る。

茶道でも華道でも想像の世界で天地人・侘び寂びを表現する。
言葉や文字よりも直接的では無いので受け取り方は千差万別である。

しかしその曖昧さで日本独特の文化芸術を創作して来たのも事実である。

創作者は作品を提供し客は作品を評価する。
客は作品の内面まで入り込んで初めて粋人と評価を受ける。

日本人には「あわせ・きそい・そろい・かさね」という発想方法がある。
平安期に流行した、歌合わせや貝合わせや前栽合わせの「あわせ」である。

合わせながら競い合うのである。競い合うから勝ち負けが出る。「きそい」である。
だからと言って勝ちが残って負けが消えていくということではない。
その負けを含めて最後に「そろい」が用意されて出揃っていく。

ここでも曖昧な感覚が重要視されるのである。

これ等に合わせてもう一つ「かさね」が加わることもある。
「かさね」は十二単などでの「色目かさね」といって重ね着をさせることである。

しかし単なる重ね着ではなくて、重ねた縁の色が短冊のように
ずらりと見えるところを演出しているのです。

そして「かさね」の手法はいろいろなところで工夫されています。
その代表格が正月の料理を入れる重箱です。
その中に入るおせち料理がそうですが「あわせ・きそい・そろい」の趣向が凝らされているのです。

まとめると「あわせ・きそい・そろい・かさね」となります。

これ等は江戸箪笥や菱餅などにも応用されているのです。
松岡正剛「フライジャイルな闘い」より抜粋

人々の挨拶にも曖昧さは擬音語で登場します。

「元気!」「ぼちぼち」「大丈夫!」「まあまあ」「天気もつかな!」「そろそろ」

京言葉には「どす」「やす」「はる」というのがあります。
京言葉が曖昧な言葉とされるのは、武士の言葉も、花町の言葉も
各地から集まる商人の言葉も、地元の言葉も取り入れた中で、はっきりと表現するよりは
曖昧な感じで摩擦を起こさない様にする為に生まれたのかもしれません。

辞退するときの「おおきに」「考えときまっき」も勧めて来た相手の気持ちを敬って曖昧にするのである。

個人的には京言葉のイントネーションが好きです。
曖昧な中に人の気持ちをはぐらかせるような抑揚感が気分をまったりとさせてくれます。

京言葉は江戸の郭の言葉に似ているかもしれません。

郭の言葉は出身地を隠す為に郭の中だけに通用する女言葉なのです。
「ありんす」「ざんす」「ござんしょ」等は店ごとに使われていた言葉なのです。
現代のギャル語や萌え語に相当するのかもしれません。

ここにも「あわせ・きそい・そろい」の精神が活かされている気がします。

最後に私の大好きな言葉があります。

万葉集137段「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは、
雨に向かひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情け深し」

花は満開よりも月は満月よりも、雨の中の見えない月や部屋の奥より春が過ぎるのを
感じる方が情緒深くて良いでしょう。

この曖昧さが分かるのは日本人だけだと思います。

この曖昧さに万歳です。

 

経営者達の言葉

 

 

出来ない人は出来ない理由を探している。
出来る人は出来る理由を作りだす。
諦めが無理を生みだし挑戦が無理を取り除く。

 

現在の時点から未来を作ろうとするのか、
未来の時点から現在を作ろうとするのかが重要である。
目線をスタートラインに置く人と、目線をゴールに置く人の違いがある。

 

ITの時代に必要なのは情報収集能力では無く情報編集能力である。
誰でも手に入る情報を収集しても意味が無い、
集めた情報を選別して新しい情報を生みださなければならない。
それが編集能力である。

 

シリコンバレーでは変わっているのが普通で、真面目で学力優秀では勤まらない。
小さな褒め言葉から大きな夢を作る事が出来きる。
感受性の強い人だけが生き残る。

 

企業価値とは客と企業が共有するものである。
客が求めている条件を満たさなければならない。
品質であり価格であり便利であり使い易さである。
その上にカッコよさが無ければならない。
夢が共有できない商品は人を動かさない。

 

ITのシステム化によりそれまでの部署の専門家が不必要になる。
時代が進めば職人も職が奪われるのは仕方が無い。
仕事が無くなった部分だけを捉えると最新型の雇用が必要になる。
古きと新しきを組み合わせたハイブリッドの職種を考えるときである。

 

弱者救済は未成熟なリーダーや経営者が持ってはならない。
政治家も弱者にばかりに目をやると社会が力を失う。
平和ばかりに目を奪われると国力が弱くなりいざという時に戦えない。
本当に力をもち体力を鍛えないと弱者は守れない。

 

起承転結1000本ノック。ストリーの作り方である。
行きあたりばったりでは仕事の成功には繋がらない。
何をするか、何の為にするのか、どうするのか、誰が喜ぶのか、
を物語にしなければならない。

 

異脳・異才・異質・異端。当たり前の人間に正解は無い。
正しい答えを壊す事が重要である。
他人と変わっているから良いのである。

 

アイディアはあらゆることをしろ、
素晴しいアイディアはどこからやって来るかわからないのだから。
アイディアは人に寄り添っていては駄目だ。
独自の発想を持て、それはあらゆる失敗をすることである。
つまずきは成長の一歩である。

 

「川沿いに住もうと思うならワニと仲良くなれ」
冒険者の一番の仲間はリスクです。
リスクを友達に出来ないのなら冒険はするべきではない。

 

コーラは風邪のシロップをソーダーで割り美味しかったので店頭で販売をした。
リーバイスは売れ残った帆布を金鉱掘りのズボンとして売った
ポストイットもスコッチガードも靴のこぼれた溶液の失敗から誕生した。
マジックテープはズボンにオナモミがくっ付いているところから発見した。

 

学者の研究は蓄積の中から生まれて来る。
商売人の発想はトラブルの中から生まれて来る。
クリエイティブの企画は遊びの中から生まれて来る。

 

 

そのまま

 

そのままでいいんだよ
かっこつけなくていいんだよ

好きなものは好き
嫌いなものは嫌いでいいんだよ

自分のままでいいんだよ

 

常識は他人がきめたこと
間違いも他人がきめたこと

頑張れも他人がきめたこと
我々の意思はどこにもないんだよ

我々の選んだものは何一つないんだよ

 

人生のゴールなんて一つだけじゃない
みんなそのままでいいんだよ

自分にあったゴールを見つければいいんだよ
まわりを気にすることなんてないんだよ

自分だけのゴールに到達ばいいんだよ

 

嫌われてもいいじゃないか
友達が少なくてもいいじゃないか

笑われてもいいじゃないか
不幸だと思われてもいいじゃないか

 

誰にも迷惑をかけずに
自分の道を歩けばいいのさ

気にすることなど何もないのさ
そのままでいいんだよ

 

きっと分かってくれる人がいる
きっと心がふれあう人がいる

きっと愛してくれる人がいる
きっと寄り添ってくれる人がいる

 

たとえ今がつらくても
たとえ今が寂しくても

たとえ今がかなしくても
たとえ今が絶望的でも

 

そのままでいいんだよ
かっこつけなくていいんだよ

あなたはあなたでいいんだよ
誰にも合わせなくていいんだよ

自分のままでいいんだよ