願いと祈り(立志編)




願いはこうありたいと思うことであり、祈りは手に届くことのない無限の世界です。
希望の学校へ入学する、望む会社へ就職する、
好きな人と結婚するは願えば叶うことである。
しかし、世界から戦争や貧困がなくなれば良いと思うのは祈りなのです。
環境問題にしても個人が、団体が、国家が努力しても解決できない問題である。
自分たちでは解決できないことは神や仏に祈るしかないのです。

しかし、あまりにも願いや祈りに囚われてしまうと、
心身ともに身動きのできない状態になる恐れがある。
解決の行動無くして意識だけを働かせるのは無意味である。
困った時の神頼みのように、その場限りの祈りでは何も叶わないのである。

無心になること。
目の前の欲に囚われてジタバタすることのないように無心になること。
日々解決しなければならない雑事に意識を向けるから、
幾ら目標や目的を設定しても叶うことは無い。
無心の願いの先には終わりのない願いがあるのである。

一番恐れなくてはならにないのは、いくら悩んで立ち止まっても、
大切な時間が過ぎるということである。
人生の貴重な時間が何もしないうちに消えていくことである。

世間の常識で生きているとつねに「見栄を張る」ことに時間が使われて、
本来の自分が求めることに時間が使えなくなる。
金銭に溺れて、愛情に溺れて、あらゆる欲望に溺れてしまわないように、
自己の確立を図るのである。

その為に禅という世界があり、禅は悩みの相談口なのである。
人間の頭では解決できないことを、
一心に修行を積み重ねた禅僧の言葉にこそ解決の糸口がある。

臨在禅・黄檗禅公式サイトより

俗世間的な願いには時間的な制限がある。つまり、その願いが叶ってしまえば、
その願いはそこで終わりであり、また次の別の願いが生まれる。
その瞬間、前の願いは過去のものとなり、そこに捨て置かれるというのです。 

一方、永遠の願いには、文字どおり終わりがありません。
叶うことのない願いなど意味がないように思えますが、逆に言うと、
これは叶う叶わないことを超越しているということです。 

願いは当然、叶えることが目的にあるのですから、
そこに向かって進んでゆくことになりますが、
その願いが一旦成就されると、
その歩みはそこで止まってしまいます。

目的地を設定している以上は、目的地に到達してしまうと、
当然、その旅路はそこで終わりとなります。願いがあったということは、
もともとそこには何かしらの理由や思いというものがあったはずです。

しかし、目的地に到達することしか意識しないようになると、目的地に到達した瞬間、
その出発点や道中にあったものは、どうしても忘れ去られてしまいます。 
無心の願いとは、それを嫌っているのです。

ゆえに禅では目的地を設定しません。目的地に到達することよりも、
その歩みそのものが重要なのであって、且つ願いとその道程は不可分であるという
のです。

山登りをして頂上に到達したとしても、その道中がなかったことには
なりませんし、帰りの下山がないことにはなりません。 
無心の願いは、たとえ願いが成就してもその歩みを止めることはありません。
成就してなお、その願いは自分の中に生き続けます。

願いの叶う叶わないを超越するとは、その成就に固執してしまい、
人生の本質を見失ってしまうことを忌避することを意味しています。

これを鈴木大拙は「成就することのない永遠の願い」と言うのです。 

私たちの人生を鑑みてみると、子供から大人になる過程で、高校受験や大学受験を
目標に勉強することもあるでしょう。では、晴れて受験に合格して入学できたら
それで終わりかというと、もちろん違います。
入学のあとの卒業や就職が最終目標かというと、これももちろん違います。 

人生とは、終わりのない道のりです。限定的な目的や低い目標は、
自分の限界を決めてしまいます。

自分の限界を決めるとそこで成長は止まってしまいます。
大拙は続けます。どうしても手の届かぬところのあるものが祈りなのです。
いくらやっても駄目だから、よそうというような祈りでは、限りある世界でこそ
意味あるかもしれぬが、駄目なものをくり返し、くり返しやる心、
その心は実に、弥陀の本願の世界に生きているものでないと分からぬのである。
(鈴木大拙『無心ということ』

北海道の高校生2人がギターとベースを抱えてやって来た。
勿論、LCCの格安チケットを手に入れてやって来たのだから、
眠る場所も漫画喫茶のような深夜営業の店で眠るしかない。
(実際には当日先輩アーティストが自宅に留めて観光案内もしていた)

しかし、彼らはもう何か月前から計画をして、友達といろいろ話し合いながら、
興奮して銀座のライブハウスに辿り着いたのである。
彼らにとっては東京が目的地であった。それを叶えたのである。

田舎育ちの少年たちにとって東京は別世界であったに違いない。
先輩アーティストの声かけに応じて東京お客様の前で演奏できるのは、
まさに天国に登る気持ちであったに違いない。
そしてそこからまた新たな目標が始まったのである。

彼らの願いが叶った瞬間に立ち会えたことに感動を覚えた。
純粋な少年たちはこれからが人生の旅の始まりである。