The planet does not need more successful people.
The planet desperately needs more peacemakers,
healers, restorers, story tellers and lovers of all kinds.
Dalai Lama
地球はこれ以上成功した人々を必要としません。
地球はこれからも多くの平和主義者、ヒーラー、修復者、
あらゆる愛に基づいた人々を切実に必要としています。
ダライラマ
人々にとって一方的な科学の発展や経済活動の進化は本当に必要でしょうか?
一部の富裕者たちの策略に乗り民衆は奴隷のような暮らしを続けています。
現代人たちにとっての便利で豊かな暮らしの為に自然環境も破壊されています。
我々に必要なリーダーとは「奪うことを目的」として生きている人ではなく、
愛を「分かち合う」理想のもとに生きている人です。
昔からアイヌ民族に伝わるワンサード・スピリット「3/1は自分の為に、3/1は自然の為に、3/1は未来の子供たちの為に」が理解できるリーダーが必要な時代です。
奪い合えば足りなくなり戦争になる、分け合えば余るから平和になる。
ALL YOU NEED IS LOVE愛こそ全てです。
Continuous effort-not strength or intelligence-is the key to unlocking our potential.
Winston Churchill
力や知性ではなく、地道な努力こそが能力を解き放すカギである
ウインストン・チャーチル
西洋の思考から生まれる判断は、正しいか間違っているか、正義か悪か、
豊かか貧しいか、右か左かなどの、二項対立のシンプルな判断でしか答えはない。
その反対に力や知性とは別に、感情から生まれる判断もある。
感情に基づいて行動を起こす時に、自分が目指す方向へ、多くの批判が集まろうと、
地道に前へと進む勇気が自己の能力を最大限に解き放す。
意見を同じにする同調主義が安全だと勘違いしてはいけない。
世の中の大きな流れの中に飲み込まれて自己を失う危険を知るべきである。
個人の判断と勇気がイノベーションを作るのだ。
そして新しい道を進むのはいつも孤独である。孤独との戦いなのです。
「たとえ九十九人が向こう岸で騒いでいても、自分一人はスタスタとわが志した
こちら側の岸を、わき目もふらず川上に向かって歩きとおす底の覚悟がなくてはなるまい。」
森信三
Success is to repeat failure that succeed in failure without losing motivation.
Winston Churchill
成功とは意欲を失わずに失敗につぐ失敗を繰り返すことである。
ウインストン・チャーチル
レジリエンスとは失敗の連続でも乗り越える勇気があることである。
それはおのずから失敗の次に来るのは成功だと知っているからだ。
一度の失敗でくじけるのは日本人、一度の失敗は成功の道筋と喜ぶ米国人。
チャレンジ精神のある人ほど多くの失敗を重ねます。
そして失敗という経験をネガティブに捉えない人はダメージを受けることはありません。
トーマスエジソンの言葉に「私は今まで一度も失敗をしたことがない。
電球が光らないという発見を今まで二万回しただけだ」
大きな成功体験をしている人ほどその数倍も失敗を経験しているのです。
私も何度も人生のどん底を味わいながらチャレンジ精神を失わなかった。
そのお陰で常に新しい市場で成功を収めてきたのです。
Life is really simple but we insist on making it complicated.
Confucius
人生は単純なものなのに、我々が複雑にしようとしているのです。
孔子
世の中に悩みなどは無い。悩みを抱えている人間がいるだけである。ソクラテス
悩みを抱えている人間は近くで見ると悲劇だが遠くから見ると喜劇である。チャップリン
成功するためには悩みという種は必要だがその種に惑わされることは無い。恩学
「悩みのリフレーミング」悩みの元を中心に置いてあらゆる方角から見つめてみる。
例えば、「仕事のことで悩んでいる」
先ずは前方から見て「経験」がないから悩んでいる。
そして後方から見ると「専門技術」が足りなくて悩んでいる。
頭上から見ると誰も気にしていないのに「被害妄想」で悩んでいる。
右横から見ると「人間関係」がうまくいっていないから悩んでいる。
左方向から見ると「収入」が少ないから悩んでいる。
色々と悩みの分析をしてみるべきです。感情的にはならずに冷静な判断ができます。
それ以外に健康に問題ないのか、悩みを打ち明けられる友達はいないのか、
身体は鍛えているのか、息抜きは出来ているのか?などと、
生活全般に問題が無いのかを調べる。心が健康だと悩みに負けることはありません。
DNA研究でノーベル医学賞受賞したフランシスクリックの机の前に貼りだしている
メモには、「今まで自分が悩んだ98%は現実には起こらなかった」と書いてある。
皆様も起こらない悩みで悩むのは止めましょう。
Being honest may not get you many friends but it’ll always get you the right ones.
John Lennon
正直であることは、多くの友人を得ることはできないかもしれないが、
常に正しい友人を得ることが出来る。
ジョンレノン
平和活動や奉仕活動を行うと偽善だと笑う人がいます。
彼らは正しい道を歩く人を嫌うのです。批判する友達を数で自慢するのではなく、
生きる情熱を持っている小人数の友達を誇りにしましょう。
昔の親たちの言葉に「お天道様が見ているよ」というのがあります。
たとえ人が見ていなくても、悪いことをすればお天道様だけは見ているから、
やっては駄目ですよという意味です。
一生涯の内に誰にも評価されなくても、自分の選んだ道をまっすぐ歩くようにしましょう。
正しい友達を見つけることが大切です。それは自分に正直であるということです。
今後も「名言&恩学」はシリーズでお届けします。
9月 15th,2023
恩学 |
名言&恩学 はコメントを受け付けていません
感情的になって良いことはない。
振り返ると後悔するだけ。
なるべく怒らないように、
その人から離れて、時間を置くこと。
本当に怒るべきなのか、自分に問いかけること。
自分にとって大きなことでも、
まわりからすれば、そうでないこともある
問題と相手を分けてとらえて、
解決するためにはどうすればよいか考えるようにする。
Pinterestより
若いときには何度も感情的になり失敗を繰り返した。
振り返ってみればとても些細なことでも気に留めて相手を困らせた。
自分の望むことを中心に置くと相手の行為に苛立ちを覚える。
こだわりや価値観が認められないと絶交にまで発展してしまう。
しかし感情的になって損したことは多々あるが得したことは一度もない。
芸術家にありがちな、心理学的でいうところの<攻撃性>、<易怒性>、<被害妄想>
的な面が、アーティストやプロデューサーにも多く見られた。
自分の価値観やこだわりを面前で笑われてしまうと、その怒りを止めることは出来ない。
私を含む感情の起伏の激しさや直情径行は、創造制作を生業としている人たちには
必要だから一切咎めることはしませんでした。
人は何故言葉に強く影響されてしまうのでしょうか?
人は言葉に強く影響される理由に・・
言葉が情報や感情を伝える強力なコミュニケーションツールであるためです。
言葉は以下のような要因によって影響力を持っています:
1. 情報伝達:言葉は情報を伝えるための主要な手段であり、知識や考えを共有し、
学び、理解するのに役立ちます。
2. 感情表現:言葉は感情を表現し、共感を生み出すのに使われます。人々は
他人の感情を理解し、共感することができるため、言葉は感情に強い影響を与えます
3. 説得力:言葉は説得力を持つ力を持ち、他人の意見や行動を変えるために
使用されます。説得力のある言葉は人々に影響を与え、行動を誘導することができます。
4. 文化と社会的影響:言葉は文化や社会的な価値観を伝え、形成するのに重要な役割を
果たします。特定の言葉やフレーズは社会的な規範や自己同一性に影響を与えます。
5. コミュニケーションの基盤:人間関係の形成と維持において言葉は不可欠であり、
コミュニケーションの基盤を提供します。言葉を使って他人とつながり、協力し、
共感することができます。
したがって、言葉は人々の思考、感情、行動に強い影響を与えるため、
注意深く使うことが大切です。
ChatGPTより
私の考えとしては生まれ育った環境による影響が大きいと思います。
幼児期に親から発せられた言葉で思考が形成されます。
いわゆる親の価値観が子供の脳に刷り込まれてしまうのです。
そして、子供は自我が目覚めて自分の感情も徐々に表現できるようになり、
大人の社会へ参加するようになります。
温かい家庭で成長した子は、人の意見を聞ける大人へと育ち、
問題の多い家庭で成長した子は、人の意見を批判する大人へと成長します。
もちろん、一概にそうではないと言う方も多いかと思いますが、
その傾向はあると思います。
言葉には人格が宿ります。どのような言葉も発せられた人の気持ちが加わります。
「言霊」は発する方も、受け取る方も、理解が均一のものではありません。
ちょっとした言葉で誤解を生んだり、さりげない言葉で感動したり、
思いやりのある言葉が人を惹きつけたり、引き離してしまうのです。
権力者(親、上司、各種リーダー、先輩)の言葉は絶対的に従わなければならないという、無言の圧力が感じられます。そのために自分が同等の立場になった時に、同じことを下のものに強制してしまいます。人の世は同じことの繰り返しかと思います。同じ言葉でも使う立場によって意味が変わることをご注意ください。
人生経験を多くした人ほど感情的にならないのは、経験から生まれた判断で物事を
対処するからです。教科書の文言(常識)をそのまま信じるのではなく、
自分の経験を加えるので結論を急がないのです。相手の言い分の本音は何なのか、
要求は何なのか、何故感情的になっているのかを、相手に気づかれないタイミングで
分析して対応をします。そして傾聴することを心がけします。
韓国の友人から「海は少し波風がある方が美しい」という言葉を頂き、
人間関係において少しもめ事はあった方が良いのかと思いました。
何もかも自分の思い通りになる人生は逆につまらないかも知れませんね。
感情的にならないのが大人としてのマナーです。
9月 11th,2023
恩学 |
感情的にならない はコメントを受け付けていません
さまざまな経験をすると「心」が強くなると思っていたが、
それは間違いで「脳」が鍛えられて強くなるのだと知った。
感情をつかさどる右脳と視覚で情報を取り込む前頭葉が経験をデーター化して、
この出来事は以前にも経験したことがあると処理をする。
同じ経験を2度、3度繰り返すと脳のデーター処理が早くなり迷うことが少なくなる。
例えば、恋愛において死ぬほどつらい経験をしていれば、
それが次の経験に活かされて、喜びも悲しみも失恋の痛みも調整されるのである。
それは恋愛の興奮まで奪い去るのではなく、いつでも感情のアクセルとブレーキを
踏みながらコントロールが出来るようになることである。
人間関係や仕事においても同じようなことが言える。
良い経営者ほど辛い経験を明るく語るのは、成長期には何度も辛い経験をする方が
必要だと考えているからである。仕事での失敗や取引先でのもめ事もすべて糧となり、
将来に活かされると信じているからこそ暗くなる必要はないのである。
そして鍛えられた「脳」が自信と明るさを表面に出して人間性を伝えられるようになる。
人生の目的は現状に一喜一憂することではなく、将来の目的を達成することなので
目の前の壁の高さは気にならなくなる。もっと脳を鍛えましょう。
年齢を重ねると頼まれる事が多くなりました。
最近若い人達とのやり取りで「それは違うだろう」という思いがありました。
しかし、すぐに怒り、諌めるのではなく「自分も若い時には同じだった」のかと
流れに合わせます。いずれ相手の機嫌の良い時に注意をすればそれで良いのです。
自分の思い通りの内容でなくても、若者たちが一緒に時を過ごしてくれるのですから、
ありがとうと常に感謝の気持ちを忘れてはならないと思います。
目の前の本棚の中に、今の私の心境を語っている本がありました。
「おかれた場所で咲きなさい」ノートルダム清心学園理事長渡辺和子著
とても心が清らかな気持ちになります。また素直にもなります。
私なりの解釈で加筆もしております。ご了承ください。
「自分の思い通りにならなかったらすぐに腹を立ててしまうのはやめなさい」
自分のルールを相手に求めてもそれが違ったらそれで良いのです。
流れるままに生きることは周りを見ないのではなく、
自分本位ではなく相手も取り入れた形で行うことです。
つまり自分が清らかで勢いのある人生なら相手は自然に巻き込まれて来るのです。
暇は別字で「日間」と言います。日間は日の当たる間ができたということです。
忙しいのは心が亡くなると書きます。太陽の日が当たらなければ草木も育ちません。
心が亡くなるような仕事に追われて自分を見失うほど悲しいことはありません。
自分なりの光を見つけて周りを照らすことに心がけましょう。
「一燈照隅万燈照国」最澄
一人の人のテラス光は隅にしか届きませんが、大勢の人の光は国をも照らすのです。
「清く優しくいきるには」
主は問われる。
「何を望むか」
「謙遜を」
「次に何を」
「親切を」
「さらに何を」
「無名を」
「よかろう」
岡山県玉島にいる牧師「河野進」先生作
地位や名誉を求める為にどれほど多くの人を傷つけたか、
そしてそれを自慢げに話す愚かさが人間です。
尊大な私を取り除き「謙遜」に関係を保つ。
強欲な私を取り除き「親切」を忘れずに応対する。
傲慢な私を取り除き「無名」名もなき一人の人間として対応する。
素敵な教えも守らなければいみがありません。
「NHKスペシャルで取り上げたアメリカの非行少年の改心の物語」
崩壊家庭に生まれ育ち、友達はワルばかりでした。自らも非行に走り刑に服したのです。
刑務所を出所した少年が働く作業場に、ホームレスの男が来てのべた言葉。
お前は、何かにぶつかった時、
「反射的に行動し」、「それから感じ」、「それから考える」という順序で
生きてきたのか。それともその逆の順序だったのかい。
少年は「言われた通りの順序だった」と答えると、だからお前はここにいるのさ。
これからは逆の順序でやってみな。
「考えてから」、「感じてから」、「行動する」
この時から少年の自分自身との戦いが始まりました。
「心が変われば、行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。」座右の銘です。
「親の価値観が子供の価値観を作る」
3歳ぐらいの子供を連れた母親が水道工事のそばを通り過ぎる時に、
「おじさんたちが、こうして働いてくださるおかげで、坊やは美味しい水が飲めるのよ」
ありがとうと言って通りましょうね。
同じ水道工事のところを、これまた幼い子を連れた別の母親が通りかかります。
子供に向かって言いました。
「坊やも勉強をしないと、こういうお仕事をしないといけなくなるのよ」
価値観はこのようにして、親から子供に伝えられることがあるのです。
最初の母親は、「人間はお互い同士、支えあって生きていること」、
労働への感謝の念を子供の心に植え付けたのに対し、2番目の母親は、
「職業に対する偏見と、人間を学歴などで差別する」価値観を植え付けたのです。
母親から出た言葉は幼き子供の脳に焼き付きます。良き言葉を使うようにしてください。
「私は木を切るのに忙しくて、斧を見る暇がなかった」
寸暇を惜しんで、他人より良い木を、より速く、より多く切ることに専念したこの人が、
仕事をしなくてよくなった時に見出したのは、刃がボロボロにかけた斧でした。
木を切る手を時に休めて、なぜ、斧を労ってやれなかったのを悔やんだことばでした。
死の間際に残す言葉の一つに「もっと仕事より自分を見つめる時間を作れば良かった」
「家族ともっと話し合う時間を作れば良かった」というのがあります。
どれほど偉くなり地位や名誉や財産を残したとしても、子供達や友達と
楽しい時間を作れなかったのが悔やみ後悔すると残しています。
そして「自分の趣味をもっと楽しめれば良かったのに」
子供の時にあれほど好きだった趣味が受験によりできなくなり、
社会へ出て出世競争に明け暮れてそのうち忘れてしまう。
お金が少し残せたとしても趣味に時間が取れなかったことが悔やまれるというのです。
多くの団塊の世代は働くことに専念して楽しむことが出来なかったのです。
「堪忍のなる堪忍は誰もする。ならぬ堪忍、するが堪忍」
どうしても我慢できないようなことを許すのを堪忍というのであって、
普通に簡単に許せるようなときには堪忍とは言わない。
自分が寛容であると考えている人は、許すということの心構えが欲しいものです。
良き言葉を学ぶことは人生を変えるほどの力が備わります。
「愛語よく回天の力あり」より
9月 10th,2023
恩学 |
脳は鍛えられる はコメントを受け付けていません
弱者が敵わない強者に対して内面に抱く「憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情。そこから、弱い自分は「善」であり、強者は「悪」だという「価値の転倒」のこと。
ニーチェはキリスト教の起源をユダヤ人の支配者ローマ人に対するルサンチマンで
あるとし、キリスト教の本質はルサンチマンから生まれたゆがんだ価値評価にあるとした。
「貧しきものこそ幸いなり」
「現生では苦しめられている弱者こそ来世では天国に行き、
現生での強者は地獄に落ちる」といった弱いことを肯定して、欲望を否定しながら
現実の生を楽しまないことを「善い」とする、キリスト教の原罪の価値観・考え方、
禁欲主義、現生否定主義につながっていった。
キリスト的道徳はルサンチマンの産物と主張した。実際に憎悪やねたみが、
キリスト教を作り上げてしまう程の創造的な力に変換された歴史がある。
哲学史では「ペシミズム」(厭世主義)「オプティミズム」(楽観主義)と二極に分けて
考え方を発表することが多い。
ニーチェはプロテスタントの牧師の息子として生まれた。
ニーチェアはロマン主義的ペシミズムを揚棄することに始まる。
「人間が復讐から解放されること、これが私にとって最高の希望の橋であり、
長かった悪天候ののちにかかる虹である」
ニーチェは神を、道徳を、正義を次々に打倒して、ニヒリズムの奥に隠れていたものを
晒していく。それが「ツァラトストラ」の物語である。
人は生きるために目的を明確にして突き進むしかない。
民主主義や自由経済では地位や名声や財産が人生の目的になることがほとんどである。
上司を恨んで経営者に嫉妬して、優秀な同僚を敵にまわして、
弱者が「善」とする考えには同意が出来ない。
文明は自然を守り文化は自然を破壊する。
科学の進歩に合わせる形で世の中の歴史は作られてきた。
それらの枠組みを取り外して頂点に立つことが武士道であるという。
このような飛躍した考えにも同意はできない。
武士の社会にも出世欲にまみれていた武士もおり、金に執着した武士もいた、
藩主は領土を拡大しようとする侵略行為も平気で行なっていた。
男性社会の武士の世界では男色に走る武士も大勢いた。
そのうえ安全確保のために子供を人質として敵に送りことも平気で行われていた。
戦いは勝った方が「善」で、負けた方は「悪」になるのは世の中の定説である。
山本常朝「葉隠」を拡大解釈して美化することには反対である。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」武士の確立した自立の頂点は「刹那」である。
その「刹那」から「現生」(うつせみ)を見て貧しき領民を救うために生きるなど
きれいごとに過ぎない。うわべを美化して内面を腐らせる精神論である。
しかし(戦国武士の開放性と溌剌生が歪められて陰にこもった
色調に蔽われているとはいえ)その強調する主君への純粋無雑な「忠誠」と
「献身」が決して権威への消極的な恭順ではなくて、
むしろ「諸人這い廻りおじ畏れ、御尤(ゆう)ともばかり申す」
卑屈な役人根性や「出る日の方へ」向く大勢順応主義に対して、
吐き気をもようすばかりの嫌悪感に、うらうちされ、学問と教養のスタテックな
享受にたえず抵抗する行動的エネルギーを内包し、
中庸でなくて「過度」謙遜でなくて「大高慢」―要するに「気力も器量も入らず候。
一口に申さば、御家を一人して荷ひ申す志出来申す迄に候」というような、
非合理主体性ともいうべきエートスに貫かれていることを看過してはならないだろう。
お家の「安泰」は既成の「和」の維持ではなくて、行動の目標となる。
こうした側面は集団の危機感に触発された際に奔騰する。
忠誠が真摯で熱烈であるほど、かえって「分限」をそれぞれ守る形で静態的な忠誠と、
緊急の非常事態に際して分をこえて「お家」のために奮闘するダイナミックな
忠誠とが、生身を引き裂くような相剋をひとりの魂の中に巻き起こすのである。
武士道の価値の転換である。
多くの宗教はキリストと同じルサンチマンである。貧しき人たちもルサンチマンである。
世界四大聖人たちもルサンチマンである。人間は生きる理由を見つけなければ
生きてはいけない。だから「死ぬこと」とは「生きること」なのである。
人民から起こる革命はルサンチマン的発想のもとに起こるのである。
貧しきものが、必ずしも「善」である発想は悪を容認することであり、
地位や富を持っている者たちを「悪」と標的にして、
いたずらに攻撃することにつながりかねない。
尊王攘夷を掲げた勤王の武士は全て正しい人間だと定義付けるのも危険である。
武士道を美化するあまり本質を忘れて脇道にそれることの可能性もある。
「草莽崛起」を掲げた吉田松陰も一部の情熱を持った、
地方の下級武士と豪商が結束しなければ何も起こらないことを伝えていた。
必ず正しい行いの裏側には悪意に満ちた欺瞞が渦巻いていることは事実なのである。
それはバラを見てアブラムシを見ないことと同じで、
バラの美しさだけを表現するのは片手落ちなのである。
王道の哲学は表面的よりも全体を見て知識を高めなければならない。
そして自分の意見を明確にして立ち位置を定めなければただの「言葉遊び」に過ぎなくなる。
「恩学」も言葉遊びに捕らわれるが、あくまでも私個人の、
その都度の感性に触れた事柄を表現している文章に過ぎない。
音楽プロデューサーの独り言に何かを感じていただければ、それで良いのです。
9月 8th,2023
恩学 |
ルサンチマン(ニーチェ) はコメントを受け付けていません
18歳から選挙権が与えられるから大人ですか?
20歳からお酒も飲めるから大人ですか?
22歳で大学を卒業して16年間の勉強が終わったら大人になるのですか?
今までのように両親から食事や自分の部屋を与えてもらえるなら子供のままの方がいいや。
今までのように泣き叫べば子供だから助けてもらえるからいいや。
欲しいものがあれば子供だからなんでも買ってもらえるからいいや。
と思っていませんか?
しかし、突然地震や台風に襲われたときにあなたはどうするのか分かりますか?
もし戦争がはじまりミサイルが飛んで来たらあなたはどうするのか分かりますか?
その時に親や国が安全を保障してくれると思いますか?
コロナウィルスの時のように国が強制的に意識操作をしたときに抵抗が出来ますか?
国民を混乱と恐怖に陥れて、マスク着用、外出禁止、会食制限、大人数での会合禁止など、
数々のルールを作り施行しました。この国は共産主義の国ではないのです。
専門家が言う予防対策としてのマスクの効果って本当にあるのですか?
スパーコンピューター富岳の実験でも咳や唾は通り抜けていましたよね。
国内外は問わずに多くの医者がワクチンの危険性を発信していました。
ワクチンを何回も打っても大丈夫なのですか?コロナにかかったら死ぬのですか?
私は2回罹りましたが死んでいません。
マスコミも誰も本当のことは言ってくれません。政府が言っているから、
学校が言っているから、親も隣近所も言っているから従うしかないのですか?
同調主義だと個性が奪われ自分の意見が反映されなくなると教えられていませんか?
自分の意志は何処に出せばいいのか分かりませんか?
「未来は子供たちが作るのです」と言われてもどうしていいのか分からないと思います。
あなたたちはこの国の歴史を知っていますか?
日本の経済のこれからの状況を心配したことはありますか?
政治家は正しい判断をしていると思いますか?
マスコミは真実を報道していると思いますか?
世界中が自国の経済を回すために混乱を作っているとしたら
どうすれば勝つことが出来るのですか?
学校で学んだ知識は役に立ちますか?
残念なことに「努力」は役に立ちますが「知識」は役に立ちません。
これからは知識の部分はAIが担当しますからあまり役に立つことはありません。
知識を活かした情報分析をして「何をしなければならないか」を探すのです。
その基礎となるのが「生き方」なのです。AIに提案できない領域です。
どう生きるかを知らなければ遊びばかりに夢中になり気づいた時には、
貧しくなり結婚も家族も手に入れることはできなくなります。
いまこそ「志」を学ぶのです。志の第一人者吉田松陰先生の教えを学ぶのです。
江戸幕府を崩壊させ新しい時代を下級武士たちと作り日本の状況を180度変えたのです。
「明治維新」に、これからのやるべきことがギュツト凝縮されています。
この時代の活躍した人の行動を学ぶことにより、自分がなさなければならない目標
「志に軸を置いた生き方」が分かります。
先ずはあなたたちと近い年齢の「橋本佐内」を学んでみましょう。
福井藩のご殿医で「橋本佐内」という人物がいた。
僅か15歳の時に「啓発録」を書き記した人物である。
そして安政の大獄により、26歳という若さで命を落としています。
幼少の時からあらゆる書物(四書五経・論語・六韜三略)を読み天才とうたわれた
偉大なる志を持った武士である。その「啓発録」には五つの項目が記されていました。
一、「稚心を去る」自分と運命を変えようと思うなら、子供っぽい心を捨て去ることである。
二、「気を振るう」負けてたまるか、くじけてなるものかという負けじ魂こそが人を変える。
三、「志を立てる」夢や目標を持て。その方向を目指して絶えず努力する。
四、「学を勉める」学問を学ぶことは大切である。世の中のために正しく生かすことも大切。
五、「交友を択ぶ」互いに切磋琢磨できる良き友を選ぶこと。自分を高めてくれ、心から尊敬でき、何かあった時に、真剣に心配してくれる友達こそ、何よりも大切にすべきである。
佐内は15歳という人生の節目に立てたこの誓いを守り、短い人生ながらも
素晴らしい人材として、教育や政治に大きな成果を残したのです。
現代でもこの五つの項目はそのままあてはまるものであり、
私たちの気持ちを奮い立たせてくれます。
大人になるということはただ年を取るだけではありません。
人生の目標や目的を明確にして社会に貢献することです。
米国の詩人サムエル・ウルマンに「青春」という詩があります。
「年を重ねただけで人は老いない。人は理想を失うとき初めて老いる。
20歳の若者に情熱がなければそれはすでに老人である。
70歳の老人が情熱を持って生きていればそれはまさに青春なのである。」
温かな愛に満ち、生を讃える詩の数々。困難な時代の指針を求める、
すべての人へ贈る。珠玉の詩集です。
結論は「子供と大人の垣根」は無いということです。
今日から大人ですという境界線はありません。
自分がどう生きるかで正しい大人になるスタートです。
9月 5th,2023
恩学 |
子供と大人の垣根 はコメントを受け付けていません
合気道の先生から教えていただきました。
「私の手を思い切り押してください。」
男の私が真剣に推しても先生の手は微動だにしませんでした。
私は日頃から鍛えているから当然の結果だと思ったのです。
しかし今度は相手の喜ぶ言葉を唱えながら押してみてください。
と言われたので「先生が幸せになるように」と心の中で唱えたら、
いとも簡単に押し切ることができたのです。
この不思議な力を分かりやすく,合気道の表現で『極意』を説明します。
「真中」(まなか)は,体の仕組みです。
「伸張力」(しんちょうりょく)は,力を感じない体の筋肉の使用方法です。
気のイメージにつながります。
前腕の伸張力で発現するパワーが「小手の合気」と呼ばれるものです。
「重力」(じゅうりょく)は,重力場に生きる我々が,どうやって重力を
使うかのやり方です。
これらにすべて共通するのは,自らの「マインドコントロール」です。
極意を身につけるには「マインドコントロール」は大切ですが,
いずれも,物理的な,身体的な,技術的な原理です。
これらの原理は「気」とか,「気持ちを合わせる」とかの表現で
説明されるものとは違います。
先生はこれが人間の不思議な力で「負けないぞ」と思って押す力と、
「怪我しませんように」と相手を思って押す力では、
後者の方が力の入り具合が断然違うのだと言っています。
先生は「我々も武道の試合の時に相手を倒すことばかり考えるのではなく、
相手を思いやる気持ちを持つ方が勝つ確率は全然違うのだ」と教えてくれました。
日本では競技試合で「勝つぞ」が一般的ですが、欧米では「ファイト」と
声をかけるのが一般的だと誤認していました。
英語で“Fight!”は「頑張れ」という意味では一般的に使用しません。
英語の”fight”は「戦う」という意味の動詞で、相手に対して”Fight!”と使うと、
「戦え!」「やっちまえ!」というような意味になってしまいます。
どちらかといえば、けんかをしている相手をけしかける、
ボクシングや格闘技などで対戦している人に対してかける言葉なので、
普段は使わないものとして覚えておいてください。
英語では声をかける時にはHang in there「負けないで」、You can do it
「君ならできる」、Believe in yourself 「自分を信じて」、Keep it up
「その調子だ」、Don’t give up「諦めないで」が、一般的だそうです。
日本語の「勝つぞ」は「負ける」と一対で使われますが、ここでは「負けたくない」
と逆に力を入れ過ぎてしまいます。敗者の弁で「緊張しすぎた」はプレッシャーが
過度に働いたせいだと思います。
勝つと言う言葉はポジティブな言葉なのですが、それだと全身に力が入りすぎて、
力が分散するのだと言っています。
スポーツの世界だと円陣を組んで掛け合う言葉は「絶対勝つぞ」という
言葉ばかりです。そして精神的にハイになり良き結果と繋げていきます。
しかしその為に怪我をする人も多くいると言います。
個人のやる気と可能性を引き出すには欧米風がいいと思いませんか。
友人のお手伝いする時に、面倒だけど仕方が無いやと思ってすれば、
折角協力をしても依頼ごとを叶えてあげることが出来ません。
この友人が成功すれば大勢の人がハッピーになるのだと信じて、
協力すれば予想以上の成果が出るのです。
仕事に対しても自社の利益ばかり追求するのでは無く、取引先もお客様にも利益が
出るように考えることが大切です。ギバーとテイカーの関係の成立です。
「今日も業績を上げるぞ」。その一生懸命さが相手には不愉快になります。
取引先にもお客様にも喜んでもらえる誠意が必要です。
ボランティアの場合も自分が出来る範囲で奉仕をするのですが、
見返りを求めないことが必要です。困っている人の手助けは無償で
行うのですが、繰り返して行わないと本当のボランティアにはなりません。
絶対間違ってはいけないのが寄付の行為です。
自分たちが不要なものを寄付と称して送る人がいます。
困っている人たちが必要でないものは「ごみ」と同じです。
ましてや輸送料も現地での税金も考えずにいきなり送る団体もあるということです。
まさしく「地獄への道は善意で舗装されている」ということです。
最後に合気道の師範曰く、
「年をとって弱くなってしまうよう技は,本当の技ではない」
ここでの極意を修得すれば,生涯現役です。
とても説得力のある言葉です。
年取って失われるプロデューサー力は本物ではない。
肝に銘じます。
9月 4th,2023
恩学 |
不思議な力 はコメントを受け付けていません
江戸のよもや話Vol1
明の禅宗開祖黄檗宗が徳川幕府から呼ばれて土木から上下水道などの知識を与えた。
漢字文化もお茶の文化も医療文化も数々の功績を残し日本の発展に尽くした。
孫文は京都大学で学び日本製の漢字2700ケを持ち帰った。
ちなみに我々が普段使っている明朝体の文字は書いて字の如し、
明から入って来た文字である。
原稿用紙も黄檗の経典を書き写すものとしてあのマス目が使われていた。
中国では明が滅び新しく漢が制定され漢字が生まれた。
日本へ入って来て今もよく使われる漢民族の文字「漢字」
「好漢、酔漢、悪漢、暴漢、巨漢、痴漢、無頼漢、冷血漢」など
漢という文字は男性を表す文字である。
また明治維新は「明が治める新しい時代」になるという革命である。
日本製の豆腐と納豆の漢字の誤解がそのまま中国へ伝わり今も使われている。
(一説では孫文が京都大学んでいる際に解釈を間違えて持って帰ったという)
天麩羅も然り、我々はポルトガルから入って来たと学んだが、
中国にも昔から野菜のかき揚げボールのような料理や、
里芋に衣をつけて揚げたものがある。中国から入ってきた可能性もある。
江戸の屋台といえば蕎麦と寿司と天麩羅の3つが主流で屋台の「暖簾が汚れている」
店は繁盛店として人気があった。
(元々暖簾は客が食事後に手を拭くために掛けてあった)
縁日の参道にずらっと並んだ風鈴売りや金魚売りはお祭りの人気店で繁盛していた。
そして江戸の金持ちが狂ったように手に入れたいと思ったのが、
朝顔の品種と種である。
自分たちの家・屋敷と交換しても手に入れたい代物だったらしい。
それらの種がオランダに渡りチューリップに改良されたのである。
投機としてのチューリップは瞬く間に世界中に広がって行った。
お茶の歴史は煎茶、抹茶、プーアール茶、ウーロン茶などがあるが、
もともとは漢方薬の医療品として重宝されたのである。
中国の古典「三国志」の戦いはお茶の葉を争奪する戦いであったともいう。
日本人の好きな抹茶は遠くにいる友人にお茶を固めて送り、
それを削って飲んでいた粉茶である。
プーアール茶のように発酵して固めたお茶は腐敗しにくいので重宝された。
9世紀になり仏教学者・最澄と空海が中国に訪れた際にお茶の葉と種を持ち帰ってきた。
これが日本で初めてのお茶の輸入であったと言われている。
紅茶は中国からヨーロッパへ船で輸送中に船底に詰めていたお茶が発酵してうまれた。
英国に着いた時に最初に港湾労働者が飲んだという。
まさしく紅茶の発祥やコーヒーの発祥も偶然から生まれた産物である。
ブランデーも修道院が火事になりワイン貯蔵庫の燃えた樽の中にあった
焦げたワインを飲んだら美味しかったので後にブランデーとして売られた。
13世紀に入って今のコーヒーの飲み方になったのは、偶然起きた何らかの火事で
豆が焼かれたときに出た芳香がきっかけとなって飲まれたと言われている。
それまでは生の赤い実を修道士たちが眠気覚ましとして服用していた
いずれの国でも昔の趣向品は修道院やお寺で管理するのが決まりであった。
秩序ある人たちが管理しなければ麻薬と同じように法外な値段で取引が行われ
犯罪の道具として使われる恐れがあるからである。
もう一つ日本のお寺には過去帳(戸籍)の管理もあった。
出生届、死亡届、転居届などの管理していた。現在の役所のような役割であった。
寺は病院として心と体の悩み事などの相談もうけていた。
その時にもお茶が薬として用いられた。鎮静剤として使われていたのではないだろうかか。
江戸のよもや話Vol2
先代の話は正倉院の話、大英帝国の話、日本の美術工芸品の話など話題は尽きない。
知れば知るほど歴史に興味がわく。
お茶関係の名品(茶器・掛け軸など)は茶の本家に集まる話も面白い。
名品は所有者が手放す時、礼状を添えて無料で本家へお返しする習わしがある。
大英博物館は泥棒の戦利品が集まっている場所、英国本来の歴史的な美術品は無い、
世界各地から奪ってきた金品、財宝、ミイラまでバイキングの展示会場である。
さしずめ王室は泥棒の親玉である。
祇園祭の時、町屋では「見せ間」と言って個人所有の名品を表に並べて、
見ていただいたという。その中でも礼儀を知っている人には触ることも許したという。
本物は触らなければ分からない。茶器は肘を膝につけて見るのが習わしである。
寺子屋はお寺が無料で運営していた施設である。
そのために賭場を開き場所代(ショバ代)を頂いていた。それを「寺銭」という。
そして戻し金と合わせて売り上げの2割~3割を徴収!する。
お金の管理は寺側が行なっていた。教育と共に医療行為も無料で行っていた。
江戸の火消しは放火犯だった。
疫病防止の策として患者が住んでいた場所を燃やすのが最良の方法として考えていた。
また飛び火による延焼を防ぐために火をつけていたともいう。
火消は火をつけて屋根に上がり纏いを振り回して風を起こしていた。
江戸時代は孤食の時代である。
いわゆる一人一人がそれぞれのお膳で食べる事を習わしとした。
主人の膳、次の間に長男の膳、奥方と娘の膳は台所で黙って食べることが普通であった。
風邪などのウイルス感染の予防も兼ねていたのかもしれない。
当時は現代のように一日三食ではなく二食が一般的であった。
天才浮世絵師若冲の作品は座敷に燭台を置いてみるのが良い。
少し閉じた襖に描かれた鶏の絵がローソクの明かりによって動いて見えるという。
風流の極みである。黄檗が若冲のパトロンであったという説もある。
南天(解毒作用)の木は何故厠(トイレ)の側に植えたのか?
要人は食事中に毒を盛られることが多いので、
咄嗟の場合に南天を口に含み厠で吐き出すためである。
金魚の出目金は何故目が頭についているかというと、
壺の中で飼われているので上を見るしかなかった。
それで目がドンドン頭に近づき今の状態になった。
頭部に目が付いている出目金ほど高値で取引されたらしい。
以上は煎茶道黄檗売茶流家元「中澤弘幸」氏の講話を聴き脚色しました。
このような雑談の話も知ることにより会話が楽しくなります。
9月 4th,2023
恩学 |
江戸の文化は中国明の文化 はコメントを受け付けていません
美しい文章を書く機会が少なくなりました。
手紙を書かなくなってから素敵な漢字が頭に浮かびません。
美しい文章には趣のある漢字を使わなければなりません。
私の好きな美しい文章は、特に自然をモチーフにしている場合が多いように思われます。
万葉集では「万葉集表現方法」というのがあります。
寄物陳思(きぶつちんし)恋の感情を自然のものに例えて表現
正述心緒(せいじゅつしんしょ)感情を直接的に表現
詠物歌(えいぶつか)季節の風物を詠む
譬喩歌(ひゆか)自分の思いを物に託して表現
人の考え方や感情を直接的に表現するよりも、自然界の花鳥風月で比喩されると、
文章に温かみや膨らみが感じられてとても癒やされます。
パソコンのなかった時代では辞書を片手に一文字一文字丁寧に調べながら書きました。
お手本として尊敬する作家の文体を真似たり、大好きな詩人の言葉を引用したり、
俳句や短歌からも時節の言葉を借用したりして夜通し悩みながら書いたものです。
同じ文でも引用する漢字によって文章が見違えるほど説得力を増します。
私は未だ散文のような文章しか書けませんが、常々美しい文章を書く努力をしています。
私が目指す美しい文章とは「音楽のような文章」です。
音楽の三要素は、「リズム・メロディ・ハーモニー」
この三つの調和がとれた流れが「美しい」音楽となるように、
文章も、この三つが整うと「美しい」・「流れるような」文章になるのです。
音楽プロデューサーの書く文章ですから、
スムーズに流れるような読みやすい文章になるように心がけています。
先ずはタイトル(表題)を決めます。
楽曲のタイトルと同じように重要なポイントになります。
タイトルは読み手が読みたくなるようなタイトルでなくてはなりません。
私がレコード大賞作詞大賞でいただいた河合その子「涙のジャスミンLOVE」は
香港を舞台とした失恋ソングです。
ジャスミン(茉莉花茶)を入れることによって中国のイメージを出しました。
そして核となる文体を決めます。
タイトルの意味が伝わるようなリズミカルな流れを構成します。
言いたいことを最初に持ってくるか、盛り上がるサビの部分に持ってくるか、
それともエンディングに持ってくるかを考えます。
「涙のジャスミンLOVE」ではイントロの部分はスローテンポで入り、
歌詞も、
「このまま瞳を閉じてあなたと(二人で)Fall in love Again
黄昏くれるAh Ah 異国の丘の上で」と続いて本編でテンポをあげて
丘の上から車で降りて来るスピード感を取り入れました。
次に流れるようなメロディー(主題)を書き込んでいきます。
ひとつの文章が長くなると読む方は辛くなります。
音楽の詩のように歯切れの良い長さで調整します。
歌詞を書く時には体言止めの手法をよく使います。
また末尾の言葉を同じ韻で止めるとテンポ感が出て来ます。
E-ZEE BAD「悲しみのLOVE TRAIN」という曲では、くの体言止めで印象を残しました。
悲しみのLove Train Love Train 遠く
走り出したこの愛は君へと続く
逃げ込んだ夢までが崩れてく
ささやかな愛でも君が欲しい
誰に笑われようが構わない
出口のない迷路は君に向かう
最後に読者が共感するハーモニー(和音)を決めます。
歌の世界で云うとコーラス(合唱大サビ)の部分です。
調和の取れた音同士を選ばなければなりません。
時代にあった言葉をはめ込むことが多くの人の共感を得られます。
分かりやすくて口ずさみたくなるような調和の取れた言葉です。
美しい文章を作るためには、美しいハーモニーが必要になるのです。
久保田利伸「失意のダウンタウン」では黒人音楽を伝えるために、
Shine on my Shine on my dangerous road
Drive on my way keep on my own
Shine on my Shine on my wonderous future
With all my conscious response
夜を超えていくのさ 流星のサドルで
ゴールなんてなくていいのさ 星をつかもう
英語の歌詞と印象に残る「流星のサドル」が功を奏して一躍大ヒットとなりました。
先日、友人から「ある文章」に対して過分なお褒め言葉を頂きました。
私の書いた拙い文章に最大の賛辞をいただけたのです。
皆様はこの言葉(表現)を知っていましたか?
「錦心繍口」
きんしんしゅうこうと読みます。
唐代の詩人・柳宗元(りゅうそうげん)による『乞巧文(きっこうぶん)』
を出典とします。その意味は、詩文の才能に優れている例えで、
美しく優れた思いと言葉を操る文筆家への讃辞といったところでしょうか。
「錦心(きんしん)」は錦のように美しい思いや心を意味し、
「繍口(しゅうこう)」は刺繍のように美しい言葉を指します。
このような言葉を知っているだけで良き文章が書きたくなります。
如何だったでしょうか?
今回の文章は読みやすくて意味が伝わる内容だったでしょうか?
美しいハーモニーやコーラスが聞こえて来たでしょうか?
これからも素敵な「美しい文章」を書けるように精進します。
9月 3rd,2023
恩学 |
美しい文章 はコメントを受け付けていません
好奇心とは、新しい情報や知識を求める強い欲求や興味のことを指します。
好奇心のある人は、世界や周囲のことに対して積極的に問いを投げかけ、
探究し、理解しようとする傾向があります。
この欲求は、新しい発見や学習を通じて満足感や喜びを得ることがあります。
好奇心は創造性を刺激し、成長や発展の機会を提供する
重要な要素とされています。
猜疑心とは、他人や状況に対して疑念や不信感を抱く心の状態を指します。
猜疑心のある人は、他人の意図や行動に対して常に疑念を抱いたり、
信頼しにくいと感じたりする傾向があります。
これは時に過度の不信感や疑心暗鬼によって人間関係のコミュニケーションが
影響を受けることがあります。
適度な猜疑心は自己保護や慎重さの側面を持つことがありますが、
過剰な猜疑心は人間関係や健康に悪影響を及ぼすことがあります。
好奇心と猜疑心は一般的な感情や心理的な側面です。
好奇心は新しいことを学びたいという健康的な欲求を表しており、
知識を深めたり新しい経験を積むのに役立ちます。
一方、猜疑心は状況を慎重に評価し、自己保護や冷静な判断を支援する
役割を果たします。ただし、これらの感情が過度に強い場合や、
日常生活に支障をきたす場合は、専門家と話をすることを検討することが
大切です。バランスの取れた感情の経験が良好な心理的健康の一環と言えます。
皆様お分かりになりましたでしょうか?
ここまでの文章はCHATGPTが作成したものです。
CHATGPTで「好奇心」と「猜疑心」を検索して、その後に「好奇心と猜疑心」
の組み合わせで検索すると以上のような文章が出てきます。
何度も使っていると自分用にカスタマイズされてどんどん進化するのです。
今までは知りたい事は教師に尋ねたり、辞書で調べたり、専門家に聞いたりしていた
ことが、その努力も必要が無くなり一瞬にして文章が手に入ってしまうのです。
難しい宗教の本や哲学の本、芸術や科学に関する専門書なども
徹夜して覚える必要がなくなるのです。
そしてその内容を精査することも無く、実体験することも無く、反芻することも無く、
そのまま自分の知識として使うと大きな危険を招く恐れがあります。
それは真実を知らないのに真実のように使うと人間性が失われるということです。
卒業論文や研究論文、企画書や提案書までもCHATGPTで作成すると、
種明かしをしたマジシャンのようになるということです。
人間としての本質や特質が表現されずに、言葉だけが先行する恐れがあります。
多少、理論的には理解されても説得力や人間性まで伝わるわけではありません。
ゴルフ場へ行きラウンドせずにゴルフゲームで勝敗を決めたらどうなるのでしょうか?
AI相手にチェスや将棋をしても勝っても負けても観客は喜ぶのでしょうか?
科学の進化は丸呑みするだけではなく程よい距離を置くことが重要です。
好奇心も猜疑心もバランスよく取り入れれば正しい判断が出来ます。
未だ本格的に学ぶことを知らない人がCHATGPTで手に入れた文章を使うと、
物知りだと誤解されて質問があった時にどうするのだろうかと心配します。
将来は電子翻訳機と同じようにCHATGPTも瞬時に声となり
プロとしての会話を始めるようになると思います。
自分の人格を飛び越えて無機質な意思伝達のみになるのではないかと危惧します。
未来の人類の仕事はマニュアルを覚えて機材を使いこなすだけになります。
品質管理も生産性も在庫管理も作業員は必要なくなります。
スイッチ操作の速いものは優秀で操作の遅いものは無能とされます。
果たしてそれで良いのでしょうか?
人は恩から始まり、恩で終わります。
優しさや気遣いなどの思いやりはどこに行ってしまうのでしょうか?
無能と言われても不器用な人間として「心」を失わないようにしましょう。
9月 1st,2023
恩学 |
好奇心と猜疑心 はコメントを受け付けていません
音楽とは何ですか?
音楽は、音の要素を組み合わせて作られる芸術形式です。音楽はリズム、メロディー、
ハーモニー、テクスチャなどの要素を使用して構築され、
感情の情報を伝えるために用いられます。
音楽は文化や時代によって異なるスタイルやジャンルに分けられ、
歌唱や楽器演奏、電子音楽などさまざまな形態で表現されます。
人々は音楽を楽しむだけでなく、社会的なイベントや文化的な儀式、
個人的な表現などで広く活用しています。CHATGPTより
哲学とは何ですか?
哲学は、根本的な問いに対する探求や考察を通じて、現実、知識、存在、倫理、道徳、
真理などの広範な主題について深く考える学問や思考の領域です。
哲学は、抽象的な概念や原則に関する理論的な考察や論理的な分析を行い、
深い洞察力を得るために使用されます。主要な哲学的な問いには、
「何が真実か?」「善いとは何か?」「人間の存在の意味は何か?」などが含まれます。
哲学は、人間の思考や価値観を探求するための重要な方法論となっています。
CHATGPTより
学校では形通りの理屈・理論ばかりの授業で本当に聞きたいことは教えてくれません。
自分がやりたいこと、自分がワクワクすること、自分が夢中になれることは、
受験に影響するから差し控えるようにと、教師からも両親からも言われてしまうでしょう。
小中高・大学合わせて16年間学んだことがGOOGLEBARDやCHATGPTで
検索すると一瞬にして答えが文章として出てきてしまう。
徹夜で覚えた難解な方程式や文法は何の意味があったのだろうか?
それならば子供の時から好奇心を持ったことの学びを追求した方が、
世の中に役立つことが多いのでは無いでしょうか?
先人たちを追い抜くことが成功の早道と教えられても、
AI時代の我々の役目は何だろうと疑問を持つべきです。
あなたたちは日本の教育の枠組みからはみ出して自由な学びを勝ち取る世代です。
畏れることはありません。老朽化したレールの上を歩き続けても得るものはありません。
しかし目の前の大自然から学ぶことは多くあります。
そして耳をすませば様々な音楽が聞こえてきます。
あなたたちの脳や心がトキメキを求めているのです。
自分の得意なことを活かしてこの国を変えていきましょう。
「革命意識」を持ちましょう。
「夢や希望は必要ですか?」
将来の話になるといつも夢はありますか、希望のある生き方をしていますか、
と言われますが、一体夢とは何ですか?希望とは何ですか?
それが無いと生きていけないのですか?
AIの時代にも夢や希望は必要ですか?誰も教えてくれません。
「夢中説無」夢の中で夢のようなことをいう。
本来は夢であっても目の前にあればそれに向かって真剣勝負で取り組めというのだ。
現実に生きている今を大切にすることが一番大事な気がする。
パンクバンド・ブルーハーツの「夕暮れ」
幻なんかじゃない、人生は夢なんかじゃない、僕たちははっきりと生きているんだ。
道元禅師辞世の句「春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪さえて、すずしかりけり」
ブルーハーツの「キスしてほしい」
はちきれそうだ、飛び出しそうだ、生きているのが素晴らしすぎる。
凄いお坊さんが言っていることもブルーハーツが言っていることも同じなのだ。
難しいことなど一切言っていないのだ。
好きなことをやって良いんだよ。ワクワクする人生を歩んで良いんだよ。
個性を大切にしなさいと言われながら、
社会や会社では決められたルールの中を生きていかなければならない。
同調圧力がある中で自由とか希望とかは詭弁にしか聞こえてこない。
世界中が戦争や天候異変や不景気で大変だから我慢することが当たり前になっている。
それでも僕らは夢や希望を持たなければならないのですか?
大人はいつも将来の計画はあるのかと聞くけど、
がんばって学校の勉強をしても幸福は約束されるのでしょうか?
誰からもワクワクドキドキするような提案もなく、毎日SNSやニュースで流れてくる
情報は、コロナの後遺症やウクライナの戦争や、この国は中国に乗っ取られるか、
不況により経済的に破綻すると言われて、我々は何を計画するのですか?
それらに対して大人たちは何も行動を起こさないのですか?
コロナから社会全体に同調圧力がまん延して、マスクをしなければワクチンを
打たなければ仲間外れ的な雰囲気で将来の計画を立てろと言われても無理な話です。
物価高、保育園問題、教育費、親の介護などを考えると結婚すら出来ない状況になる。
自立できるほどの能力と行動力がある人は問題ないでしょうが、
多くの人はそれが出来ない人です。
頑張っている人の話ばかりで基準を決めないでほしいです。
スポーツが上手で勉強も出来てかっこよい人などそんなにいるわけじゃないのに、
そんな人を目標にしても現実味が感じられないのです。
これから「老人と孫」のテーマとして話し合います。
8月 29th,2023
恩学 |
音楽と哲学「革命意識」 はコメントを受け付けていません