因果応報(原因と結果)




自由を求めるなら不自由を覚悟しなさい。
成功を求めるなら破滅を覚悟しなさい。
幸福を求めるなら不幸を覚悟しなさい。
親切を求めるなら偽善を覚悟しなさい。
正義を求めるなら悪を覚悟しなさい。

何事にも原因と結果が伴います。
理想だけで世の中は成り立っていません。
努力しても叶わないこととは山ほどあります。
良いことをしているのだから協力が得られると思うと
協力が得られなかったら近隣や友人や家族を恨みますか?
そういうわけにはいかないのです。

あなたの理想で世の中は動いていません。
教師や指導者がいう正しい行いと結果は信じないでください。
経験のない人は教育から理想を描き過ぎています。

新しい船には新しい船乗りが必要なように、古い教育のままでは未来に向けて
出航が出来ません。
過去の教育に頼りすぎて「神風の吹く日本は負けない」という考え方が、
日本を敗戦に導いたのです。

あなたも過去の理念を信じすぎて子供たちに教えていませんか?
「正直者の頭(こうべ)に神宿る」悪い人たちに染まらず正直に育ってね。
悪い人とはどういう人で、どうゆう考えを持っていて、どうゆうことをする人ですか?
「善・悪」の成り立ちと構造を教えないで正直への道と歩ましていませんか?

それはまるでハーメルンの笛吹き男の後をついていく子供のようなものです。
村人(政府)の裏切りにより一番大切な子供達(国民)を奪われたのです。
原因は村人、結果は子供達。ここから学ぶことは、自分たちの都合で上手くいくと
思ったことが、相手にとって裏切り行為になったということです。
裏切り行為には必ず報復が待っているのです。

世の中の戦争の原因は、それぞれの都合が引き起こした結果なのです。
原因が民族的とも宗教的ともいわれているが、力による制圧は
負の連鎖を続けることになります。
アラブ中東の国に多いパターンです。

人道支援が正しい行為だと世界中から救援物資を集める。
国境の道路で足止めを余儀なくされる。
義援金も一部の官僚の懐を暖めていることは知っているのに、
慈善団体は目くじらを立てて寄付を募る。

ここにも大きな嘘が隠されている。

正しいとされるマニュアルを鵜呑みにする人は、将来AIに従うことになります。

「仏教の因果論=縁起説」
仏教以前からの善因楽果・悪因苦果の因果応報の
考え方に基づいている古代インド哲学の諸説に対して、
仏教では、直接因である因が内在するとするが、それが直接的に
果をもたらすのではなく、外在的間接因である縁と合わさること
(因縁和合)を条件としてはじめて、果が生じるとし、果がもたらされるのは
縁によることを強調する。

それ故、因縁説、縁起説とも呼ばれる。この事物・事象のあり方を説明する
縁起の思想は時代とともに発展し、十二因縁、頼耶(らや)縁起など種々の
縁起が説かれた。

また仏教では、あらゆるものごとが因・縁の和合によって生ずるとし、
ものごとに固定的な実体としての我が存在せず(無我)、実体は種々の
可能性に満ちた空であると説くので、仏教が説く因果は決定論ではない。
これは、自らの心身の行為(業)によって、自己の存在のあり方を主体的に
形成する可能性を示している。

業についての因果・縁起の思想は、今世における行いとその果報としての 
苦楽にとどまらず、永遠の生命観に則って三世にわたって展開され、
輪廻とそれからの解脱に関する因果論となった。

はなはだ専門的になりすぎないように付け加えると、
全ての原因は個人から引きおこるものではなく、他人を介して起こるということです。
その他人も縁を通じて知り合うので結果は自分に返って来ます。

その上に悪縁は親子三世につながると言われ、両親が離婚すると子供達も離婚する
運命になると言われています。
両親が貧乏で借金を重ねると、結局、子供達にまで影響するのです。
現代科学でも解明できないのが「因果応報」の謎です。

「因果応報」は仏教用語で、善悪の因縁に応じて吉凶禍福の果報を受けること
という意味です。


あなたの努力が吉に変わらないのは、時節や状況を無視して思いをぶつけるだけだからです。
その為に凶運が身にまとわりつく負の連鎖に縛られるのです。
もっとおおらかに健康で暮らせることを感謝して、より謙虚に「利他」の心で他の人と
接触すれば福が舞い込んでくるのです。

「因果応報」は自分で始まり、自分で終わることを知りましょう。