人間力




友人から京都の老舗料理屋「菊乃井」のご主人村田吉弘さんの
インタビュー画像「味道」が送られて来たので観ることが出来ました。
村田さんは、開口一番に料理は作り手側の「人間力」と言われたのが印象に残りました。
日本料理を世界に広めたいという目的に向かうためには人間力が必要と力説している。

私もこの「人間力」という言葉をよく使うのですが、
エンタテインメントの世界にいる人は必要不可欠な力だと思っています。
人間力のない人の作る作品は絶対に感動が生まれません。

一)基本は「利他心」の心を持って他人を思いやることができるか
二)その人の望んでいる喜びは何かという「想像力」があるか
三)自分の音楽や、絵画や、言葉にどれほどの「影響力」があるか
四)自分の悩みを見せずに相手を笑顔にさせる「包容力」はあるのか
五)現状に満足せずに次なる挑戦の為の「学習力」を持っているか
六)同じ夢を語れる友達と「使命感」を持つことができるか

通常「人間力」という言葉を使う時にはビジネスでのシーンが多いように思います。

「人間力」が何を意味するのかは、内閣府の人間力戦略研究所によって明確に
定義されています。「社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として
力強く生きていくための総合的な力」であると明確に定義されていて、
「知的能力的要素」「社会・対人関係力的要素」「自己制御的要素」の
3つで構成されるものとされています。

目標を達成するために周りに働きかけ、巻き込みながら物事を先に進める力のこと。
文字通り、人に対して何らかのプラスの影響を発揮し、
周囲に「あの人の言うことならば聞こう」と思わせられる人を、
「人間力がある」と評するケースが多いようです。

ただ、対人影響力は単一のものではなく、さまざまなスキルで構成されています。
例えば、熱意をもって相手を説得する力、論理的に筋道を立てて物事を説明する力、
明確な目的を示し巻き込む力など。
周りに影響力を与えるには「相手を知る」ことも必要なので、豊かな感受性や観察力、
洞察力なども構成スキルの一つです。

目的を達成しようとする信念があり、困難な環境でも揺らぐことなく
突き進める力のこと。

「あの人に任せておけば安心」「あの人は肝が据わっていて揺るがないから
付いていきたい」と周りに思わせられる人も、「人間力がある」と言われることが
多いようです。

こちらも対人影響力と同様、さまざまなスキルで構成されています。
高いストレス耐性、ポジティブシンキングのほか、困難時にストレスをやり過ごせる
鈍感力、目的を持って臨み続ける意味づけ力、目的をぶらさず遂行する力なども
当てはまります。

また、禅の世界では「悟りの4つの型」として紹介されています。

臨済禅師の語録である『臨済録』には、「四料揀」と呼ばれる独自の教えがある。
師、晩参、衆に示して曰く、「有る時は奪人不奪境、有る時は奪境不奪人、
有る時は人境倶奪、有る時は人境倶不奪」。
と原文には簡潔に臨済禅師の言葉が記されている。
4つの料揀だが、料ははかること、揀は選ぶこと、4つの悟りの型といっていい。

臨済禅師の教えの一つに、「随処に主と作る」というのがある。
どんなところでも自らの主体性を持てという意である。
主体性を実際にどうはたらかせてゆくか、そこに四通りの型を臨済禅師は
説かれたのだと受け止めている。

教学的には難しい問題である。そもそもこの「四料揀」自体が、
臨済禅師が直接説かれたものでなく、後世に付けられたという説もある。
しかしながら、ここでは、あまり難しく詮索するよりも、
お互いの人生を歩んで行く道において、そのよすがになるものとして学んでみたい。
あえて人間学的に学んでみようと試みる。

要は人と境との関わり合いに4通りがあるということだ。
人とは主観であり、境とは客観である。人は自分であり、境は外の世界だ。
お互いの生活はこの人と境との入り組みにすぎない。
自分と外の世界との関わり合いしか、ありはしない。
その自分と外の世界との関係を臨済禅師は4つに分けられたのだ。

第一の「奪人不奪境」とは主体を奪い、客体を奪わないという。
自分が無くなって外の世界だけになり切ることだ。
第二の「奪境不奪人」とは客体を奪い、主体を奪わない、
外の世界が無くなり自分だけになることだ。この時、自分だけの天下になる。
第三の「人境倶奪」とは主体も客体もともに奪う。
自分も外の世界もともに無くなるのである。
第四の「人境倶不奪」とは、主体と客体ともに奪わない、
自分も外の世界もそれぞれが思うがまま自由に振る舞うのである。

臨済宗円覚寺派管長・横田南嶺老師による「禅語に学ぶ」より


政治の世界でも人間力は尊ばれる。

第68代目内閣総理大臣大平正芳氏の言葉に「任怨分謗」というのがある。
「任怨」とは「何か思い切った新しい仕事をやる時には、
きまってだれかの怨みをかう。だが、そうした怨をいちいち気にしていたのでは、
とても新規事業はやりとげられない。敢えてその怨を受けよ。
誹謗中傷の火の粉を恐れるな。」の意味です。

「分謗」とは、「いったん志をともにした以上は、一心同体となって
その怨を分けて受ける気概がなければならない。」という意味だとか。
この言葉、今の政治家の皆さん胸に刻んでいただきたい。政治家が口にする信条に
『責任と覚悟と威厳』があった時代の名残。

昔の政治家は人間力が無ければ選ばれなかったのです。
「人間力」とは内と外の精神のバランスを言うのかもしれない。
そしてそこに重要なのは「決断力」があるということです。