見せると魅せる




一般的に使われる「見せる」は商品の見本や説明書などを紹介する時に、
「何何をお見せしましょうか」と差し出す時に使われる言葉です。
「見る」はあまり何も意識せずに視点を移すだけです。

ブランド商品を扱う店のショーウィンドウは華やかな中に、コンセプトメッセージが
込められています。今年のトレンドはこれです。乗り遅れる前にお買い上げください。
ご存知ですか?ファッション業界のトレンドは2年前に作られるのです。
イタリアのプッティーオモやパリコレ、ニューヨークコレクションで発表された作品は、
2年後に市場に出されるのです。
今年の新商品と言いながら実は新鮮な商品ではないということです。

音楽プロデューサーはアーティストを紹介する時に「魅せる」を意識します。
ただ紹介をするのではなく内面の魅力を全面に出して引き寄せることを意識します。
新人の場合は内面の才能を表に出すことが出来ないので、プロデューサーがフォローして
取材する方々をその気にさせます。

今は原石の石ころに見えるが将来光輝くダイヤモンドになるから、応援するのは
今ですよと誘い込みます。
私は音楽紹介の誌面を独占している時期があり、多くの同業者から妬みに近い
批判がありました。アーティストを「魅せる」紹介が得意だったのです。

『魅せる』を知る
言葉の意味だけで言うと、見せる=分かるように示す、魅せる=好ましい印象を
抱かせるこのようになりますが、もっとビジネス寄りに解釈すると、見せる = 情報の
提供魅せる = 感動の提供になります。
これらを念頭に、ご自分でビジネスをされている人に考えてもらいたいのは、
ご自分が売っている商品やサービスをお客様に対して『見せて』いたのか、
『魅せて』いたのかということです。

歌舞伎では「見得を切る」という表現があります。

感情の高まりなどを表現するために、演技の途中で一瞬ポーズをつくって静止する
演技をさし、その人物をクローズアップさせる効果があります。
多くの場合、「見得」の瞬間には「ツケ」が打たれます。
「立役」を中心に行なわれますが、役柄や作品の内容によって表現は異なります。
荒事(あらごと)の役では、より効果的に見せるために、直前に大きく首を振ったり、
足を大きく踏み出したり、手を大きく広げたりする動作を伴います。
また若衆役(わかしゅやく)や「世話物(せわもの)」の役では、
あごを引く程度の小さな動きで表現します。

慣用句として使用される「大見得(おおみえ)を切る」[自信たっぷりに装い、
大げさな言動をとる]という言葉は、歌舞伎からきています。
この他にも名称のついた「見得」は、いくつか存在します。

「魅せる」(みせる)とは、他人に対して何かを見せる行為、またはその結果を指す
言葉である。他人の注意を引き、感動や興奮を引き起こすことを目的としている。
例えば、芸術家が作品を展示する行為、料理人が料理の技術を披露する行為、
企業が新製品を公開する行為などがこれに該当する。

また、自身の能力や魅力を他人に認識させるために行う行為も「魅せる」と
表現されることがある。現代では、SNSなどのインターネット上で自己表現を行い、
他人に自身の生活や価値観を「魅せる」ことも一般的である。

「花看半開 酒飲微醺」 (菜根譚)        
花は半開を看(み) 酒は微醺(びくん)を飲む
大いに佳趣あり。若し爛漫・(もうとう)に至らば、
便ち悪境を成す。盈満(えいまん)を履(ふ)む者、宜しく、之を思うべし。・・

世間の人は一般に花は満開が一番見ごろで美しいものだと思われがちである。
まさに満開の花の美しさは感動を覚えることさえあるから美しいと思い込む
のは当然である。だが、その満開の花より半開こそ見ごろであり、
本当に生き生きとした美しさを感じさせるし、奥ゆかしさがあり、
却(かえ)って趣きを感じさせるものだ。
ここに「花は半開を看る」の語を味わいたいものである。

そしてまた、酒も十二分に飲む勿(なかれ)であり、ほんのりほろ酔い加減がいいのである。
あまり飲みすぎ、酔いつぶれてしまうのは
邪道であり、風流も解せない人であると言えよう。
酒は味わい深く飲みたいものだ。ここに「酒は微醺(びくん)を飲む」の消息がある。

このように何事においても斯(か)くのごとくで、すべてが満点、十分であるより、
ほどほどのところで満足し、分を知ることでもある。
徒然草の吉田兼好は「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは・・
すべて何もみなことのととのほりたるあしきことなり」といっている。

つまり、花と云うのは何も満開の盛りだけ鑑賞するものではなく、月も雲もなく
皓々として照り輝いている夜だけを眺めるものではない。
むしろ雨の降る夜に隠れている月を思い、満開の花より、まだこれから咲こうという
梢を見上げたり、或いはすっかり散ってしまった庭をしみじみ眺めるのも
味わい深いものである。

「よろずのことははじめ終わりこそおかしけれ」と云い、そのような見方が出来る人こそ
真の教養人、つまり奥ゆかしい品性の持ち主なんだといっているのだ。

満開の花は誰が見ても美しいと感じられることだろう。しかし、これから咲く花、
あるいは散ってしまった花を想像力で心の中に美しい花を咲かせ、
趣を感じ得るのはそれなりの教養が必要なんだと兼好は言っているのである。
これがさらにわび寂びの美意識につながるのだ

如何だったでしょうか?
「見せる」と「魅せる」の違いが分かりましたか?
漢字の意味は深いですよね。また日本人の感性の素晴らしさも理解できましたか?