忘己利他
忘己利他(もうこりた)と読みます。
己を忘れて他人の利を考えることです。
私が発表した5つの仕事というのがあります。
20代では「仕事」を覚えなさい。30代では「支事」を出来るようになりなさい。
40代では「私事」で家族を守りなさい。50代では「志事」に徹しなさい。
60代以降は己を捨てて「死事」で周りの事を面倒みながら、
迷惑のかからないように生きなさい。
20代30代では私利私欲に溺れても仕方が無い。
そこで人生を学ぶ事は貴重な経験として後に役立つことになる。
しかし40代からは社会の一員として国を守ることも考えなさい。
それはいつしか家族も守ることになるからです。
50代では今一度学び直して人としての志に気づくようにしなさい。
もうここからは私利私欲ではなく利他の心を持って他人の喜びを
求めるように成りなさい。
60代以降は「欲の欲するところ矩を超えず」の通り、身の回りを清潔に保ち
心身ともに健康でいるようにしなさい。そして隣人を愛しなさい。
新しく求めるものは物ではなくて知識以外には必要ないのです。
忘己利他の精神を生活の中に取り入れると、争いごとはなくなり、
ありがとうと感謝の言葉が増える。最後には死ぬことにドタバタせずに
寿命を受け入れるということです。
天台宗の開祖である最澄(さいちょう)さんの言葉に『己(おのれ)を
忘(わす)れて他(た)を利(り)するは慈悲(じひ)の極(きわ)みなり』
という言葉があり、そこからきているようです。
忘己利他とは、自分を忘れて他人のためにつくすことを言います。
「己を忘れて他を利するは、慈悲の究極なり」と最澄は述べているが、
世界宗教といわれるもののなかで、この精神を否定するものはない。
ヨーロッパのノブレス・オブリージュも同じ精神である。
人間同士がうまくやってゆくための秘訣は相手を尊敬し、
相手を第一に考えることである。
すなわち、忘己利他の精神である。しかし、実はそれが一番難しい。
自分がかわいいからどうしても、自分を第一に考え、自分が得をしよう、
自分が楽をしようという気持ちが先に立つ。相手を気づかう気持ちは二の次
三の次になる。
しかし、考えてみれば自分一人がうれしいというのは、そこで完結してお終いである。
それに対して、相手が喜ぶのを見てこちらがうれしくなるというのは
大人の喜びであるともいえる。
桶に水を張り、ぽちゃんと小石を投げ込むと波紋が同心円状に広がる。
その輪はやがて縁にあたり、また真ん中に戻ってくる。
相手を喜ばせてあげると、やがて自分のもとに喜びが戻ってくる。
ただし、他人に利益を与えるからといって、見返りを期待する気持ちは持っては
ならない。「情けは人のためならず」という言葉もあるが、これには(密かに)
見返りを期待する心情が感じられ、忘己利他ほどには精神が高尚ではない気がする。
忘己利他はあくまでも見返りを期待しないのだ。根本のところで忘己利他の心があるか、ないか。そのことが、その人の品格を決めるといってよい
長きにわたって縄文時代が平和だったのは、自然に忘己利他で暮らしていたからである。
狩猟・採集・漁労で得た獲物は村人の全員と分け合っていたので争うことが無かった。
奪うことが無ければ戦いは起こらず、分かち合えば平和になる。
その平和を天空の神々や地上の神々に感謝として祈りを捧げてきたからである。
その後、おおくの渡来人により稲作が持ち込まれ、弥生時代から争いごとが
多くなったのは、収穫を己の財産として保存したからである。
その為の交渉のために言葉が生まれて貨幣も生まれた。移動しながら暮らしていた縄文人が土地を耕して定着するようになり、争いも増えたという。
アイヌの教えに「ワンサード」というのがあります。
狩猟・採集・漁労したものを、1/3は自分のために、1/3は自然のために、
1/3は未来を受け継ぐ子供達のためにという教えです。
奪い合えば足りなくなり争いが増える、分け合えば有り余って平和になる。
忘己利他の精神こそが平和を維持できるのです。