Love & Peace & Freedom




先ずは「愛と平和と自由」を語る前に世界の現状を知っていて欲しい。
ウクライナやイスラエルの戦争は民族戦争なのか経済戦争なのか?
真実から目を逸らすために自然災害を何度も流すメディアは何を伝えたいのか?
エネルギー不足や食料品の物価高騰の話題も介護保険や育児保険ではぐらかしている。
ガザ即時停戦の国連の安保理決議案も日本は賛成だがアメリカの拒否権で否決された。
どこまで行っても事実を隠そうとしているメディアはまったく必要が無い。

我々音楽を生業として生きてきた者にとって、これほど不幸な時代に
音楽イベントが一切絡まないことに違和感を覚える。
反抗することを忘れて危機感が麻痺をしているからなのだろうか。
ファンもそれを望んでいない。商業主義的音楽に飼いならされて
熱いメッセージを伝えるよりも、推しのタレントが有名になること
しか関心が無いからである。

1969年8月9日安保条約反対の動きがあった時に岐阜県中津川では、
日本初の野外フォークジャンボリーが開催された。
その頃に活躍していたフォークシンガーが、この地に集まり「平和」を訴えた。
客は日本国中から参加して夜通し盛り上がった。
1971年の第3回開催時には人口6千人の地に2万人の人が集まり、
大きな話題となったのだが、これらの運営をすべて地元の若者が行ったのである。
SNSのない時代に口コミだけでこれだけの動員をもたらしたのは奇跡にちかい。

この数日後にアメリカで「愛と平和」の祭典ウッドストックが開催された。
ウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)は、
1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間、アメリカのニューヨーク州
サリバン郡ベセルの酪農場で行われた野外コンサートです。

このようにアメリカ全体が混沌としている時代において、愛や平和、自由や平等と
いった政治的メッセージを多分にはらんだ音楽が若者たちに支持されていったのは、
ある意味必然だったのかもしれません。

「平和と音楽の3日間」と宣伝されたウッドストック・フェスティバルは、
その名の通り、愛と平和、反戦を訴えたヒッピーや若者ら約40万人が集まり、
ロックと自由を存分に楽しんだ3日間となりました。

1969年世界中で若者たちが「愛と平和と自由」を訴え始めた。
いわゆるニューゼネレーション(当時はフラワーゼネレーションとも呼ばれていた)の
幕開けが、世界各地で起こり始めたのである。
この音楽祭が「権力に対する怒り」を音楽で表現した一大ムーブメントとなった。
1969年は(いくぞロック)の時代であった。

「日本の平和を考える」

「数々の論説を通じて日本の進むべき道を提言し続けてきた小堀桂一郎さんと
田久保忠衛さんが語り合う、幸福な国・日本を実現する道とは??」

つまり「戦後日本」という国は、じつはアメリカ政府ではなく、アメリカの
軍部(とくにかつて日本を占領した米極東軍を編入した米太平洋軍)によって
植民地支配されている。

そしてアメリカ外交のトップである国務長官でさえ、日本がなぜそんな状態に
なっているのか、その歴史的経緯や法的構造が、さっぱりわかっていないと
いうことです。

世界ではアメリカの力が甚だしく退潮して、対抗勢力としてのし上がってきた中国、
ロシアと共に三極構造を成しております。中国、ロシアは覇権主義的な野心を露骨に
表し始め、ロシアがウクライナへ侵攻し、同様なことを中国が台湾に対して行う
可能性が高まっている。日本の安全保障環境はかつてないほど脅かされております。

ところが、日本国民はなぜか切迫した危機感を抱いていない。
戦後78年続いた平和に慣れ切ってしまって、他国の脅威に対して極めて
鈍感になっているのですね。いざとなったらアメリカが助けてくれると思い込んで
いるのでしょうが、いまのアメリカはとても頼りになるとは思えません。

最大の要因は先ほど申し上げた通りで、いまだに戦後体制を引きずり、
アメリカから押し付けられた憲法を後生大事に抱え続けていることです。
特に国軍をなくしたことで、日本人は国防をアメリカに依存し、自分の国を自分で
守ろうとする気概を失ってしまいました。日本には自衛隊があるじゃないかと
いいますが、自衛隊は軍隊とは全く異なり、警察法体系によって動いている組織です。
この世界最悪の安全保障環境の中で、果たして自衛隊のままでどこまで対応できるか。
非常に問題だと私は思いますね。

最近、エマニュエル駐日大使が、LGBT法案を巡って露骨な内政干渉を行い、
また同性婚を肯定する裁判判決を受けて「日本は進化の過程にある」などと
非礼極まる言葉を弄んでいますね。アメリカには日本が対米敗戦国であり、
属国であるという意識がいまだに生きているのではないでしょうか。
これを跳ね返すには、やはり自主憲法を制定して、内政干渉を厳しく拒絶できるように
なる必要があります。いまの状態を放置していては将来が危ういと思います。

◇小堀桂一郎(こぼり・けいいちろう)
昭和8年東京生まれ。33年東京大学文学部独文学科卒業。
著書に『さらば東京裁判史観』(PHP研究所)『皇位の正統性について』
(明成社)『歴史修正主義からの挑戰』(経営科学出版)など。

◇田久保忠衛(たくぼ・ただえ)
昭和8年千葉県生まれ。早稲田大学法学部卒業。国家基本問題研究所副理事長。
日本会議会長。著書に『新しい日米同盟』(PHP新書)『激流世界を生きて』
『憲法改正、最後のチャンスを逃すな!』(共に並木書房)など。

目覚めよ!日本!目覚めよ若者たち!
この国に愛があるのか?この国に平和はあるのか?この国に自由はあるのか?
腐敗した政府に任せられない。物言わない経済界も相手にできない。
今一度考えて行動に出る時である。それぞれが行動に出る武器(知恵や楽器)を持ち、
マグマのように燃えたぎった力を見せる時期である。

「ライドオンタイム」今がその時である。
私たちの国は私たちの手で守らなければならない。声をあげろ!

能登半島地震の時のNHKアナウンサーの叫び「すぐに高台へ逃げ出して」
「連絡は待たないですぐに行動に移してください」
航空機炎上の時のJAL CAの叫び「落ち着いてください」「荷物は持たないで」
「ヒールの人は靴を脱いでください」「大丈夫ですよ」
咄嗟の時には大声で叫ぶことが大切です。
安全マニュアルに頼らずに大きな声が慌てている人を助けるのです。

「ひとつのおとに、ひとつのこえに、みみをすますことが、
もうひとつのおとに、もうひとつのこえに、みみをふさぐことに
ならないように」谷川俊太郎

マスコミの声やSNSの投稿を信じて真実の声に耳がふさがれていませんか?
声をあげる時ですよ!


祈り




元旦早々に発生した能登半島地震。震度7を超える大地震。
刻々と被害状況が届くたびに誰しもが両手を合わせて祈らずにはいられない。
地震による家屋の損害、それが原因で火災が発生、海からの津波、山崩れ、道路寸断、
時間ごとに死者の数が増えて行く。元旦の日である。

家族が集まり遠方から親類も集まり、ご馳走を前にお酒も飲んで幸せの絶頂時に
突然の大揺れである。笑い声が一転して絶叫に変わった。夕方四時過ぎの時間帯は
寒さも襲う時間帯である。電気も水道も寸断されて暖も取れなくなった。

周りに完備した避難場所もなくとりあえず公民館や学校へ逃げなければならなかった。
ここ4~5年頻繁に起こる地震に対して防災意識が低いのが惜しまれる。
その上に2日は羽田飛行場で飛行機火災が発生した。よりによって、救援物資を
石川県へ運ぶ海上保安庁の飛行機と民間機が爆発炎上したのである。

年明け早々に悪夢をみているようで信じられない出来事が連続して起こった。

あなたは今までに両手を合わして心から何回祈ったことはあるのだろうか?
お正月のような催事ことや旅先での神社仏閣の観光以外にあるのだろうか?
悩み苦しんだ時に神仏に心からの救いを求めて祈ったことがあるのだろうか?

私は6年前に病気を患った時に毎朝1時間半ほどウォーキングと公園での
ストレッチ運動に明け暮れました。
そして運動が終わった時に必ず太陽に向かって祈りました。
「神様、私を世の中が必要とするなら元気にしてください」と祈ったのです。
雨の日も風の日も必死で祈ったのです。そして徐々に回復をして元気になったのです。

昨年は2月に兄と慕っていた友人の画家が亡くなり、昔仕事で縁のあった谷村新司氏
と伊集院静氏も亡くなった。年末には家族付き合いのあった親しき友人も亡くなった。
年齢的にそのような場面が増えるのは仕方がないのだが悲しい出来事である。

8月に長い間、和歌山に放置されていた父親の墓しまいをして、栃木の母親の墓のそばに
移し替えた。両親がどんな不仲で、不遇の人生でも、残された家族にできる
最大の恩返しである。私は両親の温かさを知らないが祈らずにはいられなかった。

誰しも死は避けられない出来事であるが死と同時に思い出も無くなるのは辛いことです。

友人の訃報の知らせを聞いた時、ただ祈らずにはいられませんでした。
生きている時の楽しい思い出が一瞬にして浮かび、

そしていつしか永遠のかなたに消えるのかと思うと切なくなりました。

人には長い人生の中ではそれぞれの祈りの場面があります。
サラリーマンには大きな仕事の責任を任せられた時に祈らなければならない時があり、
学生にも進路や恋愛で悩んだ時に初めての経験なので祈らなければならない時があり、
主婦にも経済的な問題や子育てに疲れ切った時に祈らなければならない時があり、
将来の夢を聞かれた時にスポーツ選手や音楽家やサラリーマンになるか考えた時に
祈らなければならない時があります。必ず誰にでもそれぞれの祈りがあるのです。

祈りの語源はこのようになります。
祈る。神や仏に願う。
斤は、物に斧の刃を近づけたさまを描いた象形文字で、すれすれに近づく意を含む。
近の原字。祈は「示(祭壇)+音符斤キン・キ」で、目ざす所に近づこうとして
神や仏に祈ること。具体的な物体のない意識の世界へ祈りを通じて、
近づこうとしている様です。
誰にも知られずに祈る人も大勢の人の前で祈る人も祈りには変わりません。

ここにこのような言葉があります。

「『新約聖書』の「テサロニケ人への第一の手紙」に次の言葉があります。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」
喜びというと、何か特別の出来事のように思ってしまいますが、
そうではありません。おいしく食事ができることや健康に活動できること、
家族がいてくれること、さらに言えば命が与えられていること、
そのこと自体が喜びなのです。

日々の小さな出来事にも喜びを発見し、またそのことに感謝して生きる。
喜びや祈り、感謝を習慣化していくと、心が静まり、
突然の事態にも動じなくなっていきます。
いつか、この危機が過ぎ去った時に、
自分が深められ成長できていることに気づくでしょう」

これは聖心会シスターの鈴木秀子先生の言葉であります。
こういうあたたかく親切なお言葉というのは、我々禅僧にはとても真似ができません。
本当に心に染み入る言葉です。大きな力をいただくことができます。

鈴木先生とは懇意にさせていただいていますが、
思えばいつお目にかかっても、笑顔で喜びをたたえていらっしゃいます。
そして祈りの人という雰囲気を常にお持ちであります。
更に絶えず感謝の言葉を口になされています。

鈴木先生にはすっかり習慣化され身についていらっしゃるのでした。
「いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝、」
私もこれを習慣にするよう努力しようと思います。
(円覚寺館長横田南陵)より

私も日々「恩学」を通じて拙い文章ではありますが発表させていただいております。
読者から良い文章でしたとお返事をいただくことが励みになり書き続けております。
誰に何を言われても「愛語よく回転の力あり」を貫き通します。
恩に始まり恩に終わる人生です。

最後に一言

人は同じ祈りであっても、仏教であれば経文を唱えることによって、神道では
鐘を鳴らし二礼二拍一礼の作法によって、キリスト教であれば十字を切ることによって、
(それぞれの宗派によっては多少の違いがあります。)
異なる場所、異なる時間にそれを行っても、「おもい」によって「つどう」ことが
できる」と言われています。

同じ思いで集まり同じ思いで話し合う。たとえ違う場所にいても思いが同じであれば
「集う」ことになる。同じ思いの力は奇跡を起こすことがあるのです。
私の恩学を読んでいただいている人と、私はいつも同じ思いで集っているのです。

生きることを学ぶ塾「恩に始まり、恩に終わる」で心を一つにして祈りましょう。

今回の能登半島地震の被害にあわれた全ての方に祈りをささげたいと思います。
一日も早い復興を祈ります。

私が現在理事をしている「認定NPO法人日本カンボジア文化産業振興会」が、
石川県金沢市にあります。地震直後から救援物資を珠洲市へ一日1~2回送っています。
復興には長い時間がかかります。皆様からの支援金及び義援金の協力をお願いします。
詳しくは団体のホームページをご覧ください。
よろしくお願いいたします。


人生という丘の上で




あなたは過去から現在まで素直に生きて来たと思いますか。
人生という長い道のりを運命に逆らわず幸福を手に入れましたか。
過去を後悔せずに未来に夢を託して今日も前向きに歩いていますか。

それは東から陽がのぼり西へと沈む自然の摂理に則って行われているのです。
その中で受験、就職、結婚、誕生とゴルフコースのように決められた道順を
歩いていくだけです。最大の問題が起こったとしても、過去の人から見ると
たわいもないことばかりです。

家康は人生のことを「重い荷物を背負って坂道を登るようなものだ」
と言っていますが、その荷物の重さは分かりません。
ましてや坂道の険しさも伝わって来ません。辛いことだけが感じられます。
だから「どうする家康」に聞きたいものです。

ただ時折、誰しもが季節の変わり目に丘に登り、来た距離を確認したくなります。

春風が吹く中で、自分は頑張ったのか、頑張っていないのか、
丘の上から眺める必要があります。
偉くなくてもいい、優秀でなくてもいい、幸福でなくてもいい、
私は私の人生を大切にして生きて来たのか確認したくなります。

私の丘からは、私と離れて暮らしていた亡き母親と兄の姿が見えます。
家を出て亡くなった父親の姿も見えます。また先日、亡くなった友達の姿も見えます。
春風に乗ってタンポポの綿毛が飛んでいます。

それぞれが悲しい記憶よりも楽しい記憶が蘇るのは何故だろうか?
楽しかった記憶は記憶の棚の中で思い出しやすい引き出しに入っているのです。
いつでも取り出しやすいところに保管されているからです。

「春風や闘志いだきて丘に立つ」高浜虚子
 
この句の主人公は虚子自身です。若き日の虚子は小説家でしたが、
40歳頃に体調を崩したこともあり、俳句への転身を図ります。
大正2年2月21日の句会で虚子はこの句を発表しました。
胸中には俳句に立ち向かう闘志がふつふつと湧いていたに違いありません。 
春風の中で湧き上がる闘志を抱いて丘の上に立っていたのです。

歌人・会津八一(あいづやいち)はかつて旧制早稲田中学で教鞭をとっていました。
郷里の新潟から上京し、八一の家に下宿して学ぶ学生のために書いたのが
「秋艸(しゅうそう)堂学規」です。秋艸とは八一の雅号です。伸び行く学生たちの
道標であり、また八一自身の「志」でもあったのだろうと思われます。

「秋艸堂学規」
ふかくこの生を愛すべし、
かへりみて己を知るべし、
学芸を以て性を養ふべし、
日々新面目あるべし。

「ふかくこの生を愛すべし」 
第一に、この世に生を享(う)け、今こうして生きている自分を深く愛すべきだと
教えています。自分を深く愛すことができれば、苦境に陥ることがあったとしても、
尽きることのない闘志がみなぎってくるものだと考えます。

「かへりみて己を知るべし」 
禅は己を知ることを大事にします。
自分のことを知っているようで実はわかっていないというのが私たちです。
自分とは何者であるかを掘り下げるほどに、自分の浅はかさがわかります。
と同時に底知れぬ深さも見えてこなければなりません。

「学芸を以て性を養うべし」 
学問をするのは、知識を身に付けるためだけではありません。
性を養う、人間性を陶冶し、人格を錬磨していくことも大切です。
それはビジネスでも家事でも同じでしょう。
何事においても人間性を養うことを大いなる志にしたいものです。

「日々新面目あるべし」 
毎日毎日新しくなるということです。
昨日より今日、今日より明日へと常にアップデートしていくのが新面目であり、
また禅の真面目(しんめんもく)への道です。

そして新しい旅立ちの時に禅語ではこのような言葉があります。

「葉葉起清風」(ようようせいふうをおこす)

さわやかな旅立ちの時、実にさわやかな雰囲気の言葉です。
この言葉が使われた文脈や禅語独特の語用を理解すると、味わいが増します。

南宋時代の傑僧、虚堂智愚(きどうちく)の語録をまとめた『虚堂録』の一節です。
著名な臨済禅の僧侶で、日本でも一休さんこと一休宗純が私淑していたことが
知られています。

『虚堂録』巻七
誰知三隱寂寥中
因話尋盟別鷲峯
相送當門有脩竹
爲君葉葉起清風

誰か知る三陰寂寥(さんいんせきりょう)の中
話に因(よ)りて盟を尋(つ)いで 
鷲峯(しゅうほう)に別れんとするを
相(あい)送りて門に当たれば修竹有り
君(きみ)が為に葉葉(ようよう)清風を起こす

意味
石帆惟衍・石林行鞏・横川如珙の三人が国清寺に出立するときの話です。
三隠(寒山、拾得、豊干)の遺蹟を訪れるにあたって
師匠である虚堂禅師の住む鷲峯庵に別れの挨拶にやって来た。
門まで見送ると、門前に竹林があった
竹の葉は彼らに途切れることなく清風を起していた

禅語はとても短いですが、深い文脈が込められています。
清風はたびたび登場するキーワードの1つで、ある禅の価値観を表しています。
葉葉は同じ言葉を繰り返す畳語(じょうご)で、日日是好日、歩歩是道場と
いうように禅語でも時々用いられます。

「自分はまだまだである」、もっと日々精進をして志を高く掲げたいものです。 
春風は新しい何かが始まることを予感させます。
この春、人生という丘の上で大いなる志をいだき、
今より素晴らしい自分に出会ってみたいと思いませんか。

初春を迎えて新しい旅立ちを心からお祝い致します。
「君(きみ)が為に葉葉(ようよう)清風を起こす」


盲目の少年ドラマー




音楽は国籍も人も選びません。たとえ盲目の少年であっても
音楽は見放しません。暗闇の世界だからこそ見える景色と音が存在するはずです。
それは憧れと感謝の気持ちが入り混じった素晴らしいサウンドだと思います。
障害を持ってかわいそうと思う心が間違った感情なのです。

禅の世界では「無分別」や「分別知」と言われるものがあります。
見えるから邪念が生まれ考えるから誤解が生まれると言われるものです。
また分別するから好き嫌いも生まれ、それがまた物事の真実から遠ざける
要因となります。主観で物事を捉えるのではなく客観も取り入れて考えましょう。
心の意のままに音楽を奏でるとしたら共に演奏する人も、それを聞く人たちも
魂が震えるのでは無いでしょうか。

私の好きな民族音楽は昔からの楽器と地元の有志が演奏している場合が多いのです。
洗練された都会の音楽や最新の電子楽器を加える必要の無い素朴な民族音楽です。
音楽を上手に演奏しようとして大事なことを忘れてしまうアーティストが多いのです。
それは形を整えて気持ちを入れることが疎かになっていることです。
伝えたいことは何か?伝えたい思いは何か?それを表現できる楽器とは何かを考えると、
最後は声(うた)に帰着するのです。
素朴な楽器と歌声、地元民の掛け合う言語が最高の楽器です。

南米の最南端の国アルゼンチンへ行った時に、小さな酒場の小さな舞台で
繰り広げられたアルゼンチンタンゴ。
ギターと歌い手とダンサーの3人が神様に祈りを捧げるかのような雰囲気の中で、
心からの叫びを歌と踊りで表現していたのです。
途中、男性のダンサーも加わり舞台の狭さを一切感じさせない、
大胆な踊りを繰り広げた時には、観客の誰もが立ち上がり手拍子と歓声で
参加したのです。

そこに舞台がある。大きさの問題では無いのです。
そこに灯りがある。照明の数では無いのです。
そこに音がある。大音量を出す必要が無いのです。
そこに楽器がある、ドラムが鳴りギターと歌が交われば素敵な演奏になるのです。
民族音楽の素晴らしさは地上の神々のエネルギーも加わることです。
民衆が生きている場所がすべて会場なのです。

酒井響希くん物語
2歳のときに目の小児がんで両目を失明した、大阪府東大阪市在住の12歳の
酒井響希(さかい・ひびき)くん。全盲でありながら、数回聞けばほぼ
再現できるという天才少年ドラマーの10年を追ったドキュメンタリーが、
読売テレビで放送された。

響希くんが1歳10カ月の頃、母の康子さんが、息子の眼球に異変を感じ、
病院で検査をしたところ、両目に網膜芽細胞腫(もうまくがさいぼうしゅ)
という小児がんが発覚。その日のうちに、医師から「両目を摘出するしかない」
と宣告された。2歳の幼い少年にはあまりにも過酷な現実。
本人も家族も毎日、悲しみの淵にあった。

そんな絶望の日々のなかで、救いとなったのは「音」だった。
家中の壁や柱などが傷だらけになるまで、鉄製のマドラーで叩いていた響希くん。
本人が興味を持つものはできるだけサポートしたいとの思いから、
両親は自宅に電子ドラムを購入し、響希くんの興味を応援した。

響希くんの人生を大きく変えたのは、人気ユニット・Def Techとの
出会いだった。2013年12月20日。メンバーのMicroが彼に伝えた
「4年後、Def Techのステージでドラマーとして共演しよう!」という
言葉を胸に刻み、響希くんはドラムに熱中する。
プロドラマーを目指し、自宅にも防音設備を整えたドラムセットを設置。
プロの指導者にも教わるようになった。

そして響希くんは憧れのDef Techとの共演を果たす。
大歓声に包まれた夢のステージで、「音楽を通して同じような境遇の人に
勇気を与えたい」という熱い想いで演奏を披露した響希くんは、
最後にこう叫んだ。「ママ、もう泣かんといてな!」。

観衆のなかにいた母への感謝の想い。「見えない世界」で前向きに生きる少年と、
それを支える母の10年の軌跡。

私はこの番組を見ました。途中から涙が止まらず困りました。
盲目だから可哀想という気持ちでなく、生きる望みを託してドラムを叩きつける
少年の姿に神々しい阿弥陀如来を見た感じがしたからです。
絶望の淵から甦り自分を支えてくれた、母親に感謝の言葉を伝える場面に
涙が溢れました。「ママもう泣かんといてな!」

音楽を好きになるのは一人の人間です、でもその一人の人間が一千人の観客を
感動させることができるのです。たった7つの音の組み合わせで万人の心を
とらえることが出来るのです。

私の好きな言葉です。「一燈照隅・万燈照国」最澄
一つの小さな灯りは隅を照らすことしか出来ない、
しかし、それが万の光を集めると国を照らすことになる。
響希くんの小さな音が万人の心を照らしたのです。

盲目のアーティストといえばこの人を思い浮かべる人が多いのでは無いでしょうか?
世界的なスーパースター、スティーヴィー・ワンダーです。

スティーヴィー・ワンダー / Stevie Wonder
1950年5月13日、アメリカ・ミシガン州サギノー出身のミュージシャン、
音楽プロデューサー。6人兄妹の3番目として生まれたが、早産が原因で
視力に障害が残る。幼少の頃からハーモニカやピアノの演奏に長け、
友人らとともに路上でパフォーマンスを披露していた。

その後スティーヴィー・ワンダーは11歳で、自身で作曲した「Lonely Boy」を
オーディションで歌い、デトロイト発祥のレコードレーベル、モータウンと
契約。以来、同レーベル一筋で活動している。デビュー後しばらくはヒットに
恵まれなかったが、これまでグラミー賞に計22部門で輝いており、過去最多の
受賞経験を持つ男性ソロ・シンガーとされている。

1963年に、シカゴのリーガル・シアターでの演奏を収めたアルバム
「Recorded Live: The 12 YearOld Genius」がビルボードチャート200のトップに
ランクインする大ヒット。
同月にシングルとして発表した、「Fingertips – Part 1 & 2」もビルボードチャート
100で1位を獲得する快挙を成し遂げた。

スティーヴィー・ワンダーが弱冠13歳で打ち立てたこの記録は現在も破られていない。
チャリティー活動にも取り組んでおり、2009年12月には、国連平和大使に任命された。
私生活ではこれまで、5人の女性との間に9人のこどもが誕生している。

酒井響希くんとスティーヴィー・ワンダーに大きな拍手を送ります。
神様は二人に大きな障害を与えたけれど、
同時に音楽という大きな才能も与えてくれたのです。
スティーヴィー・ワンダー74歳、酒井響希18歳、年の差56歳。

神様は乗り越えられない試練は与えないのです。

頑張れ響希くん。


心を緩くする




心を張り詰めたままの状態にしていると必ず体にゆがみが出てきます。
ギター奏者が毎回弦を緩めて保管するのはギター本体のゆがみが出るからです。
あなたの心の弦は張り詰めたままにしていませんか?
いつ新しい弦に張り替えましたか?思い出せないほど昔に交換したままですか?
心を緩くするとは「執着心」を取り除くことです。
お金にも、物にも、考えにも、人間関係にも執着していませんか?
これらを取り除くのは「感情をため込まない」「頼れる先を増やす」
「自分磨きをする」ことを取り込むことです。

感情をため込まない=思ったことを口に出して言う。
黙ってしまうとそのことの執着から離れられなくなります。
口に出せない場合は日記でもよいので書き出すことです。

頼れる先を増やす=気軽に話せる人を増やす。趣味を増やす。
推しを作るなどの方法で執着の心を分散させてください。

自分磨きをする=バランスの取れた食事や軽い運動を繰り返し体力をつける。
良書に親しみ心を磨く。毎日「恩学」を繰り返し読むこともお勧めします。

執着を手放すには、自分と向き合うしかありません。自分が何に執着しているか、
どうして執着しているのかを知り、自分に合った方法で、少しずつ執着と適度な
距離を保つことです。張り詰めたままの弦だと心が固くなります。
柔軟な心にすると、今まで気にしていたことが離れていきます。

ここからが本日の教えです。
あなたの心が硬いと自然の恵みが感じられなくなります。
雨も嵐も暴風も邪魔だと思えば害になるのです。
しかしそれが自然からの恵みだと思えば全てが益につながります。
人の縁も心が硬いと邪念が働き素直な気持ちが失われてしまうのです。
自分が利用されていると思えば怒りや憎しみが現れる。
そして相手を信用しなくなる。これで負の連鎖が始まることになるのです。

心を緩める方法として「無言の行」がある。
目があるから不要なものを見る。耳があるから真実の音が聞こえなくなる。
口があるから不要な言葉を発してしまう。鼻があるから不要な匂いを嗅いでしまう。
どちらにしても坐禅の世界へ入れば全てが消えて無くなるのです。
自己流ですが座禅は道場に通わなくても自宅でも出来るのです。
静かな環境で音も臭いも無くしてあぐらをかいて目を閉じればよいのです。
深い呼吸の中で雑念を振り払い、心を整えるのです。
時間は気にしなくても出来る範囲の中で行えばよいと思います。

欲も損得も分別も無い平常心が心をゆるくするのです。
人は不要な知識に縛られて身動きができない状態を自ら作り出しているのです。

フランスの作家/思想家ジャン=ポール・サルトル(1905-1980)の有名な言葉に
こんなものがある。いわく、「人間は自由の刑に処せられている」。
不自由の中の自由を知らなければ動物と変わり無いのである。
何も無いところにただ置かれて自由だと勘違いするのは愚の骨頂である。

「平常心是道」
この言葉の由来は中国南栄時代の無門慧開(1183‐1260)によって編まれた仏教書、
または禅書・公案集と呼ばれる著作にある故事からなる公案です。
登場人物は中国の唐時代の禅僧「趙州(778年‐897)」禅師とその師にあたる
「南泉(748‐835)」禅師との問答が元になっています。

また、南泉禅師はその師の馬祖道一(709‐788)禅師が「平常心」を説かれた
語録があります。今回は有名禅問答である趙州と南泉禅師の問答を参考にいたします。

「無門関」第19則
趙州和尚が師の南泉和尚に「如何是道(道とはどんなものでしょう)?」と
尋ねた。その答えが「平常心是道(ふだんの心、そのものが道である)」と
答えた。※ここで言うところの「道」とは仏道である。
趙州「その心とはどのようにしてつかむことができるのでしょうか」
南泉「つかもうとすれども、つかむことはできない。」
趙州「つかむことができなければ、それは道ではないのでは」
南泉「道は考えて理解できない。しかし、わからないといってしまうこともできない。
考えて分かるのであればそれは妄想である。わからないものであればまったく
意味のない事になってしまう。」
南泉「理解できる理解できないという分別を離れると自ずからそこに道が現れる。
まるで澄み切った秋空の如く、分別を入れる余地はまったくない。」
趙州「なるほど」
趙州はその答えを聞いて悟ったという・・・。

皆さん、理解できましたか(笑)
勿論この問答で悟りを得た趙州禅師が希代の高僧でありますから、
凡夫(一般人)の我々が理解できないのは至極当然であります。
簡易な言葉の羅列である、この禅語が実に奥深い言葉であります。
南泉禅師は簡潔に悟りの境地(悟りといっても様々である事は留意しておく)
を述べているわけですが、仏教の基礎知識やある程度の実践を伴い、
初めて身心共に納得できるのが禅語には多分にあります。
その代表格がこの「平等心是道」になります。

特に今回の禅問答で理解しなければならないのが「分別」の意味でしょう。
分別とは人間にある相対性的で両極端の思考を嫌う為にある、相反する見方です。
例えば「美しい」があれば即ち「汚い」があり、「幸せ」があれば「不幸」が
あります。更にいうと「金持ち」⇔「貧乏」「賢い」⇔「愚鈍」「好き」⇔
「嫌い」の必ず人間は違いを明らかにします。

更にいうと「悟り」⇔「迷い」のように悟る悟らない、も分別として捉えます。
即ち「分別を離れる」ということはこの相対性で図る事(造作)をやめる事。
また、馬祖禅師も「造作無く是非無く、取捨(選択する)無く
断常(死後の断絶)無く、凡聖(凡人と聖人)無しと説かれています。

造作無くというは、平常心を持とうとか平常心になろうと心かけるような
作りごとをしないと言うことです。
迷いも悟りもない。その造作しない(分別しない)ありのままの心こそ
そのまま道であり仏であります。
そこに自己に「気づき」初めて「仏性現起(全てのものに仏が宿る)」が
ある事を自覚し、ありのままの自己こそが「平常心」であり「仏」そのもので
あるいうことです。

「気づく」ことが大事であり、それがなければ「仏」を自覚する事もなく、
分別して平常心とはかけ離れた一生を歩むことになります。
すべてのものに「仏」がある事に気づけば世界は一層素晴らしいものになると
思います。

「平常心是道」。簡易な言葉の真髄こそ正に「禅」そのものであるし、
全ての禅語は基本的にはこの考え方を元に見ると理解しやすいかもしれませんね。
今回は少し難しかったかもしれませんが、この禅のニュアンスを伝えるのは
なかなか高度であります。

私も常に平常心になり「心を緩くする」ことを心がけています。
日常生活の中で雑念を取り除くことは大変難しいのですが、
みなさまもあれこれ悩むのではなく「心を緩くする」ことを心がけてください。

2024年1月3日


予期せぬこと




能登半島地震
令和6年1月1日午後16時03分能登半島地震が発生。
天災は忘れた頃にやって来る。ふいをつかれた地震である。
昨年まで(昨日)世界は、戦争、自然災害、食糧枯渇、物価上昇、ガソリン不足、
円安不況、等様々な災害に見舞われた。
2011年3月の東北大震災から12年ぶりの大地震である。
年が明けて今年こそは良い年になると願っていたのに龍がいきなり暴れてしまった。

石川県の人には予期せぬ出来事になってしまった。
初詣を済ませて家族が一堂に介して、
お酒を飲みながらご馳走に舌鼓を打っていた時の地震である。
津波情報も発令されて「今すぐ山か高台に逃げろ」のアナウンスが鳴り響いた。
新年の番組も地震速報一色になりお祝い気分が飛んでしまった。

被災地は先日の雪が未だ残っている状態恐怖と寒さの中で揺れに耐えなければならない。

午後11時3分にまた震度7が発生して揺れは更に恐怖を重ねる。
先ずは命の安全の確保です。助け合うことは勿論ですが、
お年寄りとか体の悪い人たちへの救助を優先してほしい。
元気な大人と若者たちが頑張ってほしいと願うばかりです。

過去の例ですと3日間耐えることができれば救助が始まると言われています。
ライフラインの復旧や支援物資の到着までが3日間です。
住民の方々は壊れていない家に集まり暖を取り、
お正月料理を持ち合えばどうにか空腹は凌げるはずです。
ホテルも旅館も開放して住民の安全と命を守ってほしいと思います。
今やれることだけを考えて下さい。

この時に思い出したのが以下の話です。

「看脚下」
脚下を看よ、足もとをしかと見よという意味であります。
佐藤一斎の『言志晩録』に「一灯を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。
只一燈を頼め」という言葉があります。
一つの灯火を掲げて暗い道を歩いているときに、
暗い夜だからといって不安になることはない、
その持っている一つの灯火を頼りに歩めという意味であります。

お釈迦さまやキリストや孔子というようすぐれた聖賢の言葉や禅の言葉などを
頼りにして暗い道を歩いてゆくのだということであります。
確かにこの通りで、混迷する世の中を生きてゆくには頼りとすべき灯火が必要です。

しかし、この灯火が消えたらどうするのかというのが、禅の問題でもあります。

中国の宋代に五祖法演という禅僧がいました。
当時衰退しかけていた臨済宗の教えを再興したので、「臨済中興の祖」と
崇められている方です。
ある時に三人の弟子と共に夜、話していて、帰りに夜道を行こうとすると、
行灯か提灯の灯が消えてしまいました。
月でも出ていなければ、提灯でも持っていないと真っ暗闇で何も見えなくて
歩けないのであります。
そんな真っ暗闇になったところで、法演は三人の弟子に、それぞれ一句を言えと
迫りました。

禅の問答というのは、いつ何時始まるのかわからないものです。
それだけに日常いつも油断なく暮らしているのであります。

先ず一番に、後に佛鑑禅師と称せられる慧勤は、「彩鳳、丹霄に舞う」と答えました。

「彩鳳」は、五色の美しい鳳凰のことです。
「丹霄」は、赤く染まった空であります。
「美しい鳳が彩雲ただよう天に舞う」様子をいいます。
目出度い言葉として、今では慶事などにも用いられています。

二番目には、後に佛眼禅師と称せられる清遠は、「鉄蛇、古路に横たう」と答えました。

鉄の蛇が、誰も通らないような古い道に横たわっているという意味です。
鉄は黒いという意味がありますので、真っ黒な蛇が人も通らぬ路に潜んでいるというのですから、

なにが潜んでいるか分からないことを言います。

そして、最後には、後に法演の仏法を受け継いで、『碧巖録』を編纂する
佛果禅師こと、圜悟克勤が、一言「脚下を看よ」と答えたのでした。
それに対して法演は、「吾が宗を滅するは、克勤のみ」と言われました。
言葉通り受け止めると、自分の教えを滅するのは、
克勤だけだということになりますが、これは禅家独特の表現であって、
自分の教えを真に継承してゆくのは、克勤だけだと、
克勤を大いに肯った言葉なのであります。

「最初の答えは、極彩色の中に極彩色のものがある。
人生は真っ暗闇で先はどうなるかわからないけれども、極彩色の人生というものが
あって、その中を極彩色の存在が歩いて行くのだから、先は見えなくとも自信を持って
一歩一歩進んでいけばいいじゃないかということです。」
「超ポジティブな考え方だ」と言っていました。
更に「それに対して仏眼のほうは超ネガティブですね。
すべてが不幸、すべてが苦しみだというわけですから。」というのです。

「仏眼は「暗闇の中にいて先が見えないのだから、不幸だということはあまり考えずに
不幸の中を生きていこうじゃないか」と言っているわけですね」というわけであります。

「圓悟克勤は「そんなきれいな言葉で飾って生きるとはどういうことなのか。
観念的なことを言わずに、ただ脚下を見ていればいいじゃないか」
と言ったわけですね」と解説してくださっていました。
頼りとしていた灯りが消えて、どうしようかという時に、
実際にあるかどうか分からないにしても、輝かしい未来を心に思い描くことは、
決して悪いことではありません。

高い理想ばかりを思っていたのでは、足下が危ういものです。
これから先には、何が起こるか分からない、これから歩む道には何が潜んでいるか
分からないと、慎重に歩を進めることも必要です。
頼りとする灯火を失ったら、まずは落ち込んでいないで、高い理想に心躍らせましょう。

すぐれた先賢の教えを学び、実在の方の成功談を読んで心を鼓舞することです。
次に、現実は何が起こるか分からない、慎重にゆかねばならないと注意します。
「先行きの見えない暗闇の中でどうするのか、希望を失わないようにすることも
大切でありましょう、最悪の状況を想定することも必要でしょう。
しかし、大事なことは足下を見ることです。自分は今どういう状況にあるのか、
しっかりと足下を見つめて、一歩一歩を歩んでゆくことが最も肝要であります。」

大災害の時には家を失い、家族を失う場合があります。先のことの不安を考える前に
今をどう過ごすかを優先してください。東北の大震災を思い出してください。
過去の教訓から役立つ方法を見つけ出して下さい。
まずは自分自身と周りの人達の命を守ることだけを考えることです。

「看却下」
今はただ足元だけを見つめて下さい。

2024年1月2日


愛から始まる国です。




あいうえお
かきくけこ
さしすせそ
たちつてと
なにぬねの
はひふへほ
まみむめも
やいゆえよ
らりるれろ
わゐうゑを


にほんのひらがなはあい(愛)から始まりをん(恩)で終わります。
私がいつもテーマにしていることです。
優しさから始まり有難うで終わる国なのです。
恩に始まり恩に終わるのです。

日本語は「ん」を含む51音になっています。ガやパの濁音・半濁音を加えると
76音を作っています。アルファベットの26文字に比べると覚えるのが大変です。
加えて、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット、数字、絵文字で6表記の国です。
読み方も左から書くメールや書類などの通常の書き方と、右から縦文字で書く書道や
古文書などの書き方もあります。世界広しといえど、右も、左も、縦も使って
表記するのは日本だけです。そんな国だから詩や、俳句や短歌や川柳などの表現文化が
育まれてきたのです。

愛は「気」です。父と母の愛で生まれたのが私たちです。
命は「気」です。命の気だから、息(いき)をするから「生きる」です。
気は木のように空に向かって伸びていって空気と繋がり、地中に根を張っていろいろな
根っこと繋がると、根気になります。
根気がつくと元気になります。元気になると勇気が起こります。

有難うは許すことから始まります。
心を許すから、相手のことは何もかも許してしまうのです。
許すは、言偏に午(うま)と書きます。午の字は十二支の真ん中にある文字です。
午前・午後を言い表し、午を中心に前と後ろがあるのです。
君とはウマが合うね、きっとウマく行くよ、これウマいねなどに繋がります。
認め合うから人間関係がウマく行くのです。

お金を足すことばかり考えると「針」という文字になります。
針は人を刺します。人を刺してまでお金を儲ける必要はありません。
「小欲知足」自分に必要な分で足りていると思えば十分なのです。
奪い合えば足りず、分け合えば余る。簡単なことなのですがこれが出来ません。
一人では乗れない車を何台も買い求める人、着れない服を何着も買い求める人、
履けない靴を何足も買いそろえる人、針だらけになって嫌われるのです。

忙しいという漢字は心を忘れると書きます。人の心を忘れると悪魔になります。
悪魔という「魔」は嫌われます。私も心を忘れて嫌われたことがあります。
しかし人は、誰でもが、時間、空間、瞬間という間に生きています。
それらを包んでいるのが世の中の世間という文字です。
間(ま)は「あいだ」とも読みます。そう間は「愛だ」なのです。
誰かが喧嘩を始めると「ま、ま、ま」と間に入ります。少しは落ち着きなさいと
「ま」を連呼します。親しい仲間が間に入り仲裁してくれるのです。

命という文字は人を一つ叩くと書いています。毎日・毎時間・毎秒心臓を叩いてくれて
いるから生きていけるのです。赤ん坊が生まれてすぐ泣くのは、それをきっかけに
息呼吸が始まるのです。泣かない子にはお尻を叩き泣かさないと死んでしまいます。
我々は命をいただき大切な人生を生きているのです。

咲くは、花が咲く(さく)と読みますが咲くは「笑う」とも表現しました。
花を見て満開に咲いている景色を見て怒り出す人はいません。
桜や桃やチューリップやヒヤシンスなどが咲くと長い冬が終わり、
いよいよ春になるという兆しに笑みが溢れるのは仕方ないことです。
ちなみに「山が笑う」は俳句の春の季語です。
新緑を前に新芽が出始める時を笑うと表現した日本人は本当にすごいと思います。

日本は山の幸に恵まれ、海の幸に恵まれ、自然の果樹にも恵まれた国です。
その上に日本は四季があり色とりどりの草花を咲かせてくれるのです。
争いのなかった縄文時代、奪い合うことを知った弥生時代、自分達の財産を守ろうとした
鎌倉時代、領土を広げようとして始まった戦国時代、文化の百花繚乱を謳歌した江戸時代、
無理やりに開国を迫られた江戸時代後期から明治初期。

平和と文化芸術を愛した日本人が他国の侵略により戦に引っ張り出された。
武士がこの国を治めるようになってから「潔く死ぬことが美徳」となった。
愛国心という名のもとに多くの若者が犠牲となった。

現代は経済戦争とテクノロジーの時代である。ビジネスの世界では常に最前線にいる
企業だけが利益を上げている。全てが数値で管理され豊かさを求める論説は
詭弁だらけである。日本人が日本人を嘘でコントロールしているのです。

だからこそ今一度日本人の心を学び直し、
日本のあるべき姿を若者たちと作り出さなければならない。
2024年は積極的に「恩学」を広めていきたいと思います。

愛から始まり恩で終わる国です。
この国を愛してこの国を守りましょう。

2024年元旦


辰年に想いを寄せて




2024年は辰年です。
私の名前が瀧文なので皆様から来年は稲葉さんの年ですねと言われます。
でも私は1949年(昭和24年)の丑年です。笑い
しかし昔から龍を祀る神社へは足繁く通いました。
一般の神社でも清めの手洗いの場所へ行くと龍の形の蛇口が付いています。
何故かどこの場所でも龍を見ると安心します。

干支は十二支のほかに10種類の十干(じっかん)を組み合わせたもののことを
言います。それぞれを組み合わせると60種類あることから、六十干支
(ろくじっかんし)とも呼ばれています。季節や運勢、吉凶などを表す暦注
(れきちゅう)の多くは古代中国の陰陽五行説や易経から起こり、
その代表となるのが干支です。

十二支と月
十二支「 子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」
読み ね うし とら う たつ み うま ひつじ さる とり いぬ い
対応月 十一月 十二月 一月 二月 三月 四月 五月 六月 七月 八月 九月 十月

十干
十干 「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」
読み こう おつ へい てい ぼ き こう しん じん き

五行と
読み 木の兄 きのえ 木の弟 きのと 火の兄 ひのえ 火の弟 ひのと
土の兄 つちのえ 土の弟 つちのと 金の兄 かのえ 金の弟 かのと
水の兄 みずのえ 水の弟 みずのと

2024年の「甲辰」の干支でいう意味
十二支や十干は数や方角だけでなく、それぞれ独自の意味を持っています。
例えば「甲」が持つのは第1位であり、優勢であることを表す他、まっすぐに
堂々とそそり立つ大木を表しています。
「辰」は十二支の中では唯一の架空の生き物、龍(竜)を意味します。
水や海の神として祀られてきた龍は、竜巻や雷などの自然現象を起こす
大自然の躍動を象徴するものであり、「龍が現れるとめでたいことが起こる」
と伝えられてきました。
この2つの組み合わせである甲辰には、「成功という芽が成長していき、
姿を整えていく」といった縁起のよさを表しているといえそうです。

皆様どうでしょうか。
これほど強い運気がある年になるのですが準備はできていますか?
今年もウクライナとパレスチナの戦争はまだ終わりません。
世界的に物資とエネルギーが不足して物価が高騰しています。
自然災害も今まで経験したことがない規模で起こっています。
行き場を失った若者たちが犯罪と隣り合わせで暮らしています。
給料は上がらず税金は上がります。
お年寄りが増えて子供が減っている状況は亡国の兆しです。
与党自民党の腐敗は誰も止められないのでしょうか?
節約ばかりしていると経済が止まり悪い方向へと進んでいきます。

今こそ若者たちへ伝えるのは世界へ飛び出し頑張ってほしい。
もっと生きるための努力をしてほしい。
日本語と円だけの守られた暮らしから抜け出してほしい。
この国は鎖国をしているのではない、
自由に開かれた国なのでグローバルな生き方をしなければ生き残れない。

みなさんは「茹でガエル」という言葉を知っていますか?
カエルを釜に入れて少しずつ温度を上げていきます。
温かいお湯に入れると勢いよく飛び出すカエルも、
水から徐々に温度が上がると気がつかないのです。
勿論、茹で上がったカエルは死にます。

今の日本人は茹でガエル状態なのです。
30年間所得が上がらず物価が上がっているのに誰も釜から出ようとしません。
平和慣れして危機感が麻痺しています。
あと数年もすればアジア諸国の中でも最貧国となる可能性があります。
それでよいのでしょうか?

何故このような状況になってしまったのでしょうか?
戦後アメリカの政策で強い日本人が骨抜きにされたのです。
この政策に反対せずに奴隷のように従っているのが自民党です。

自民党は我々の税金で私腹を肥やす大犯罪人なのです。
アメリカの言いなりの妾の根性です。
札幌オリンピックは中止になったのですが、大阪万博は開催するつもりです。
予算を大幅に超えて何か利益につながると思っているのでしょうか?
この不景気で世界に見栄を張る必要があるのでしょうか?

これには裏がありそうです。コロナも戦争もネオコンやフリーメイスンが
関わっているという噂です。ディープステート(闇の政府)といわれている
組織が世界を動かしているとも言われています。

来年の干支の辰の語源を見ると漢字の「辰」の原字は「蜃」。「蜃」は、
二枚貝が開き、弾力性のある肉をピラピラと動かしているさまを描いたもので、
「振」「震」の意味をもつ。
『漢書 律暦志』では「動いて伸びる」「整う」の意味とし、草木が盛んに成長し
形が整った状態を表すと解釈されている。
この「辰」を「竜(龍)」としたのは、無学の庶民に十二支を浸透させるために
動物の名前を当てたものであるが、順番や選ばれた理由は定かではない。

過去、辰年にはこんなことがありました
最近では2012年、2000年、1988年が辰年にあたります。
起こった出来事を抜粋すると次の通りです。

2012年:2006年、京都大学の山中伸弥氏は、成熟した細胞を多能性幹細胞
(IPS細胞)へと初期化できることを発見しました。この発見は、
再生医療の分野に革命をもたらす画期的な成果として、
2012年12月にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

2000年:2000年9月15日から10月1日までの17日間、シドニー五輪が
開催されました。女子としては史上初の金メダルを獲得した女子マラソンの
高橋尚子や、日本女子柔道史上初の金メダルを獲得した田村亮子などの活躍で
過去最多の18個のメダルを獲得しました。

1988年:1988年3月13日、世界最長の全長53.85kmの青函トンネルが
開通しました。開通までに1400万人を超える作業員が携わり、工事期間は
約24年間にも及びました。これは、日本の土木史上空前のスケールを誇る
仕事でした。

努力した成果が実を結ぶような出来事が多く起こっています。
これらは、甲辰年の「成功の芽が成長し、姿を整えていく」という
傾向の表れかもしれませんね。

あくまでも干支は統計学です。その時代、その年に何が起こったのかをデーター化した
ものです。当たる確率はフィフティー・フィフティーです。
神社のおみくじと同じで大吉が出れば喜び、凶が出れば慎重にすればよいのです。
みなさまも来年の上昇運気に乗ってみませんか。

良いお年をお迎えください。
2023年12月31日


本日365作目




いよいよ「恩学」が365作目となりました。
2011年から書き始めて12年目になります。
途中、定職についてからしばらくお休みをしていたのですが、
2019年コロナ禍が始まった時期からまた書かなければならないと思ったのです。
お休み中も時折、あの「恩学」のあのタイトルの文章が心に響きましたと、
たくさんお便りをいただきました。

大阪の見知らぬ女性の方から、この言葉をラジオ番組で使用しても良いですかと
問い合わせをもらったこともあります。
北海道の老舗和菓子屋さんの経営者の方からも、この文章を使っても良いですか
と連絡を頂いたことがあります。
英国在住の日本人の方からも母がとても楽しみに読ませていただいておりますと
メールを頂いたことがあります。
最近ではロックシンガーの伊丹谷良介さんが若者たちに向けて、教科書代わりに
読みなさと言ってくれていることには感謝の言葉もありません。
こういう一言がとても励みになりました。

元々音楽プロデューサーの独り言で「恩学」を書き始めたのですが、
改めて哲学書や仏教書を読み直すと、人が「生きる」という貪欲さの中から
「文化・芸術」が生まれ、育ったことを再認識して、これは稚拙な文章でも
書き伝えなければならないと思った次第です。

デジタルが進化すればするほどアナログ的な感情が大切になります。
100回「好き」という文字をLINEやメールで伝えるより、
1回会って言葉で伝える方が効果はあります。
「ありがとう」の言葉も直接対面で伝える方が感謝の気持ちが伝わります。
お年寄りには効果抜群です。

あなたにとって心に響いた文章はありましたか?
もしかしたら「恩学」の一番の愛読者は自分だったかもしれません。
ときたま自分の文章を読み返した時に励まされることがあります。

これからも良き文章が書けるように努力します。

一年は365日 私の一念は365作

2023年12月30日


燃ゆる想い




気の置けない仲間たちと夜通し夢を語り合い、
希望が沸々と湧き上がる時に、恐れるものは何もなくなり、
この燃ゆる想いを大切にして生きていこうと決心する。

与えられた運命に一寸の悔いも残さず、
この情熱を燃やし尽くして、
誰かの勇気になれば本望だと笑いが込み上げる。
仲間がいる、一緒に泣き笑いする仲間がいる、
未来にどんな困難が待ち受けようと乗り越えられる自信がある。

たとえ傷つき倒れそうになっても支え合える仲間がいる。
来た道を振り返り、行く道に希望を持てば、未来が近づいて来る。
そう輝く明日を無駄にせず出来ることの最大を発揮しよう。
俺たちにはかけがえの無い音楽がある。

ガキの遊びと言われてもやり続け、
バカな事はやめろと言われてもライブハウスに通い、
音楽で成功するのは1割もいないから、
定職につけと怒鳴られても平気だった。
俺たちは金のために音楽をやっているのではなく、
最高の仲間と生きる為に音をだしつづけているからだ。

そこには惜しみない拍手をしてくれるファンがいる。
人気のあるバンドを追いかければ良いのに、
わざわざ無名の俺たちのギグを楽しみに、
バイトで稼いだ金を払って遠くから来てくれるファンがいる。
みんなの声援や拍手は俺たちにとっては最高の楽器なのだ。
一緒にセッションをしてくれているバンドメンバーと同じだと思っている。

楽器車もなく、ローディーもいなくて、もちろんマネージャーもいなくて
毎回みんな自分で機材を運ばなければならない。
セッティングから音合わせも1人でこなしリハーサルを始める。
演奏後いくら汗をかいてもシャワールームもなくてグダグダの状態、
楽屋の壁に書いてある「夢を追いかける」という落書きを見ながら、
今日も燃え尽きる。

仲間と別れた後に夜の道を自宅に向かって歩き出す。
何故だろう疲れより沸々と湧き上がる「燃ゆる想い」が身体を包む。
一瞬笑いがこみ上がり大きく息を吸う。
これで良いのだ、これが俺たちの求めていた世界なのだとつぶやいた。

「燃ゆる想い」に包まれると、

今まで高い壁だと思っていたのに低く見え始める。
今まで遠い国だと思っていたのに近くに感じられる。
今まで無理だと思っていたのに全てが叶うと思い始める。

「たとえ九十九人が、川の向こう岸で騒いでいようとも、
自分一人はスタスタとわが志したこちら側の川岸を、
わき目もふらず川上に向かって歩き通す底の覚悟がなくてはなるまい。」
森信三

嘘だらけの世の中に合わせるより、自分たちの人生は自分たちが作る。
大変な人生も仲間といればいつでも怖く無い。
大きなステージが成功ではなくて、仲間と目の前のファンの笑顔が、
何よりもの俺たちの成功の証なのだ。

この文章を書いているときに思い出したバンドがある。
ニルヴァーナ(英: Nirvana)は、アメリカ合衆国出身のロックバンド。
オルタナティブ・ロック、またはグランジ(汚れた)の先駆者として知られている。
1987年にワシントン州アバディーンで、リードシンガー兼ギタリストの
カート・コバーンとベーシストのクリス・ノヴォセリックによって結成され、
チャド・チャニングなどのドラマーを経て、1990年にデイヴ・グロールを加入させた。
ニルヴァーナの成功は、オルタナティブ・ロックを世に広め、ジェネレーションXの
代表的なバンドとして言及されることが多かった。また、彼らの音楽は人気を維持し、
現代のロック文化に影響を与え続けている
ドラッグにのめり込んでいたカートは、自殺未遂や奇行を繰り返していた。
ついには1994年4月5日にシアトルの自宅にてショットガンで頭を撃ち、
自殺。(享年27歳)とても気になるバンドでしたが残念でした。
興味があればカートの詩を見ながら聞いてみてください。
同時代1985年日本ではブルーハーツがデビューをしていた。
甲本ヒロトと真島昌利が解散の1985年まで10年間、日本のパンクロッカーとして
一世を風靡していた。余談であるが甲本ヒロトは禅学をこよなく愛していたという。

私の周りには情熱に燃える熱きアーティストがたくさんいる。
純粋に音楽が好きでファンの喜ぶ顔を見るのが大好きな連中です。
私は彼らと「恩学」でつながることによってメンバーになった気分です。
彼らと夢を共有できることに感謝でいっぱいです。
ありがとう、これからもよろしく!