幹ではなく枝の思考




先日の投稿「写真家の哲学的思考」でも森鴎外の「舞姫」のことを書きました。
私は以前東京上野の「水月ホテル鴎外荘」へ何度か行った事があります。
森鷗外が実際に住んでいた旧居や庭園が敷地内に保存されている、
由緒のあるホテルです。ここで「舞姫」を書き上げたとも言われています。

そこには鴎外が帰国後に執筆活動の時に使っていた部屋が中庭に面してあり、
食事をしていた蔵もありました。私は女将の中村さんと面識があったので
そちらで食事をした事が三度ほどあります。
コロナの為に2021年に一度閉館をしたのですが、クラウドファンドで1200万円集め、
再建に望んだのですが、依然としてコロナで客足は戻らず、2022年8月完全閉店を
余儀なくされました。

何故このような由緒ある建物を東京都は保存の対象にしなかったのか残念です。
文化・伝統を大切にしてきた日本人が、このような施設の保存に無関心なのは
何故だろうか、東京オリンピックの時に江戸の基軸であった日本橋の上に
首都高を走らせた。誰がどう考えても政治家の文化意識の低さを嘆くしか無い。

日本人は2種類に分かれている。
文化芸術を創造し後世まで伝えようとする支援タイプと、
文化芸術は飯の種にもならない暇人の遊びだと考えている低俗なタイプである。

英国にいたときに通訳の人から聞いた話がある。日本人の政治家や経営者の方々に
時間のある時に大英博物館やお芝居など見られてはどうですかと声をかけると、
大半の人が、文化芸術には興味が無いと答えるそうです。
欧米では地位のある人が文化芸術に関心が無い人は絶対にいません。

彼らから日本人に質問をされることがあります。
「歌舞伎と能楽は何が違うのですか?」「茶道と華道の大切な作法は知っていますか?」
「浮世絵の北斎や広重はどのような方ですか?」「相撲は見たことがありますか?」
誰も何も答えることができません。あなた本当に日本人ですかと笑われてしまいます。
そしてもう一つ大事な質問があります。「あなたの信じている宗教は何ですか?」
私は宗教に興味がなく無神論者です。
この答えを出す人は欧米人からすると野蛮人だと思われてしまうのです。

ベアーテ・ヴォンデ(独)さん言葉に、私は学者ではないですし、一つのことを
掘り下げるよりもいろいろなことに興味がある。
「木の幹よりも枝なんです」ね。これまで日本語を習い、演劇を専攻し、
文学は常に私の中心。歴史の調査にも興味がある。
それらの希望を全て実現できるのが森鴎外記念館でした。

森鴎外は軍医が本職でしたが、隣には常に別の世界がありました。
文化的、思想的な世界です。両方あると、いつでもどこかに逃げることができます。
彼は軍医の仕事をこなしつつ、文学に勤しみ、本職でない方で有名になりましたよね。
実際、今も生きた存在であり続けているのは文学のおかげだと思います。

鴎外は初めて腸チフスのワクチンを行ったり、最初の衛生雑誌を出したり、
医学者として良いことをたくさんやっています。同性愛や性教育についても書いており、

私はまだ研究したいテーマがいっぱいありますよ。

鴎外のすごいところの一つは、同じ問題について専門家同志のために学術的に
書くと同時に、一般の人にも分かるように適切な言葉で伝えられたこと。
例えば、牛乳を飲んだら健康に良いか悪いかを衛生雑誌で学問的な記事を書き、
同時に読売新聞に誰でも分かる記事を寄稿したのです。

今のコロナ時代を鴎外はどう考えたかなと思います。
彼の時代には脚気の問題がありましたが、未知の病気の究明には数十年かかることも
あります。後からこれはダメ、あれは間違いだったと言うのは簡単ですが、
もっと過程を見るべきだと思います。

もし鴎外が1日だけ今の時代に遊びに来ることができるなら、
聞いてみたいことがたくさんありますね。

「他は是れ吾にあらず」
日本曹洞宗の開祖であり、福井県の大本山永平寺を開いた禅僧でもある、
鎌倉時代に日本から中国へ海を渡った道元禅師(どうげんぜんじ)が、
留学先の寺院で出会った禅語「他は是れ吾にあらず」である。
中国に留学中の若かりし道元禅師が、ある夏の日、寺の廊下を歩いていたときのことである。
空には真昼の太陽が高く上がり、辺りを容赦なく照らし焦していた。

ふと、目線を中庭に移すと、直射日光を浴びながら黙々と瓦の上に椎茸を
干している年老いた僧の姿が目に映った。
さぞかし老身にこたえる仕事のように見えた。
心配になった道元禅師は、近づいて声をかけた。
「失礼ですが、あなたさまはおいくつですか?」「68歳になる」
「それほどまでに修行を積まれた方がこのような身にこたえる仕事をせずとも、
もっと若い修行僧に任せたほうがよろしいのではないでしょうか?」

日本からやってきた道元の頭には、食事の準備というような仕事は
若い僧が行うことだという思いがあった。
当時の日本では食事は下っ端の仕事だったからである。
だから老僧が汗水を流しながら椎茸を干す姿が不憫に思えてならなかったのだろう。

すると老僧はこんな言葉を返した。
「誰かにやってもらったのでは、自分でしたことにはならんからのぉ」
これが「他は是れ吾にあらず」という禅語の意味である。
他人がしたことは、自分でしたことではない。
当たり前の、それだけの言葉なのだが、これはちょっと奥の深い言葉なのだ。

誰かがしたことは、誰かがしたことなのだから、自分でしたことではない。
私たちはこれを当たり前のことと思うが、時にこれが当たり前ではなくなることがある。
他人が代わりにしてもいいのではないかと、「自分」というものを思考の外に放って
しまうことがある。
ちょうどこの年老いた僧に声をかけた時の、道元禅師のように。

道元禅師の思いは、「椎茸を干す」という行為に焦点を当てていたのであって、
「老僧が何をするか」に思いをめぐらせていたわけではない。
しかし、老僧にとって重要だったのは、「自分が何をするか」であって、
「誰が椎茸を干すか」ではなかった。「自分が」椎茸を干すことに意味があるのであって、

「椎茸を干す」ことだけが目的なのではなかったのである。

自分で自分の本分を全うすること以上に、大切なことなどない。
それが禅の根本であることを、暗に道元禅師に伝えたのだろう。
もちろん道元は、老体に気を遣って声をかけたに違いない。
しかし、本当に気を遣うとはどういうことか、老僧は逆に道元禅師に伝えたのだ。
相手に楽をさせることが、必ずしも気遣いではないのだと。

椎茸を干すことが目的なら、それでもよかったのかもしれない。
しかし、日常生活のすべてを修行として行うことを重んじる禅にとって、
そうした考えは邪であると言わざるをえない。
修行を取り上げるような声かけは、禅において親切とはいえない。

誰かが修行をして、それで自分が成長するはずなどないことを知っていながら、
それでも誰かにしてもらえばいいのではないかとの思いを、私たちは抱くことがある。
しかしそれは、本当にその人のことを考えた上での気遣いではない。
気を遣うとは、その人にとってどうすることが本当にその人のためになるかと考えて
行うことであって、単に楽をさせることではないからである。

「他は是れ吾にあらず」
他人は自分ではない、という単純で当たり前な、しかし奥の深い禅の言葉です。

海外の名もなき人達は国籍を問わず「凄い人は凄い」と認める寛容力を持っている。
外面だけで人を判断するのではなく、内面まで窺(うかが)い知る洞察力の深さである。
私はベアーテ・ヴォンデさんのこの言葉が気になった。
私は学者ではないし、一つのことを掘り下げるよりも、いろいろなことに興味がある。
「木の幹よりも枝なんです」学者は幹を研究対象にして探求者は枝を探り当てる。

私も「恩学」で書き続けているのは、学者でもないし研究家でもないので
「幹にはならず枝の部分」で文章を書き続けているだけです。
気になる文章や、気になる話題や、気になる事柄を、文化・音楽・スポーツ・科学・
政治などと脈絡もない文章ですが、読む人の心に何かに火がつけば良いとしています。

思考の粒を広げて平面にするのは皆様です。
「他は是れ吾にあらず」学びも自分で行わなければ意味がありません。
森鴎外もベアーテ・ヴォンデさんも道元禅師も他人任せでなく、
好奇心に応じて自らが追求してきたのです。

私もこれからも怠けずに自分の出来ることは自分で行います。


雑草という草はない




友人が亡くなった。友人の人生はどのようなものだったか思いを馳せる。
人が良くて歌が好きで陽気な性格だったのがいまや悲しい思い出となった。
亡くなる1週間前に葬儀は身内で済ますので見送りには来ないでくれと言われた。
その代わりに1月8日(月)の誕生日には密やかに祝ってほしいと頼まれた。
彼の誕生日は彼が大好きなエルビス・プレスリーと同じ日だった。
生きていればプレスリー89歳、友人は80歳の人生だった。
「CAN’T HELP FALLING IN LOVE」が十八番の曲だった。
その日は故人を偲んで何度も聞き返した。

いくつも会社を立ち上げて失敗を繰り返した。
彼の家族が名のある人たちだったのでいつも周りから利用された。
最後には力尽きて頑張る気力を失ってしまった。
それでも私との交流は変わりなく続いていた。
カラオケが好きでお肉が好きで駄洒落の好きな人だった。
お酒が入ると世の中の役に立たなかったことを悔やんでいた。

それでも世の中に不用な人間はいるのだろうか? 
この世の中は成功者だけの世の中だけではない。
どんな人生を生きてきても役たたずの人間はいない。
ひそやかに清く貧しく美しく真面目に生きた者たちもいるのだ。
決して人を裏切らず実直に生きた者にも頭を下げるべきである。
大勢の人たちからの賛辞はなくても生きてきたことに意味がある。
あなたは私たち家族にとって大恩人なのには変わりは無い。

「花は愛惜に散り 草は棄嫌におうるのみなり」

この言葉を聞くと、「花は皆から愛でられ、散る時も惜しまれて散っていく。
草は生えてきても抜かれ嫌がれしまう。
だから、草のように憎まれてはいけない、人の生き方として人から
好かれるようにしないといけない」。
この言葉は、道元禅師が正法眼蔵の中で述べている言葉です。

花のように誰からも愛着したり、いつまでもあり続けてほしいものに限って、
早く枯れてしまったり、消えてなくなってしまう。
このように惜しまれるものほど、壊れたりなくなったりする。
しかし、嫌なものやあってほしくないものや、居続けてほしくないものの方が
かえってあり続ける。嫌なこと災いが近くまで押し寄せてきて、
そしてそれらがいつまでも居続けてしまうことが多い。

このようになかなか世の中はというものは、ままならく思うように
ならないのが、世の中の偽りのない本当のすがたで、それが本当のありようだ
逃れられるものではない。だから、それから逃げることを考えるのではなく、
それと向かい合っていかなければならないと、教えているのだと思います。

「雑草という草はない」

植物学者・牧野富太郎のことばとして知られている。
牧野は、NHKの朝ドラ「らんまん」の主人公槙野万太郎のモデルである。
この牧野のことばは、これまで牧野が語ったものだという
確実な根拠は見つかっていなかったらしい。
 
その根拠になる史料が、ついに見つかったようだ。
1年ほど前の高知新聞の記事「『雑草という草はない』は
牧野富太郎博士の言葉 。戦前、山本周五郎に語る。
田中学芸員(東京・記念庭園)が見解」
2022年8月18日)でその詳細が報じられている。

木村久邇典(くにのり)著『周五郎に生き方を学ぶ』(1995年、実業之日本社)
にその根拠となる内容が記載されているというのだ。
木村は山本周五郎の研究者として知られている。
 
若かりし頃、雑誌記者をしていた周五郎が牧野のもとに取材に行ったとき、
周五郎が「雑草」ということばを口走ると、牧野はなじるような口調で
「世の中に“雑草”という草はない。どんな草にだって、ちゃんと名前が
ついている」と言ったのだそうだ。
「雑草という草はない」ということばは、辞書にできるだけ草の名を載せたいと
思っている辞書編集者としても、まさにその通りだと思う。

確か上皇天皇も同じことを言っていたと思う。
1948(昭和23)年には、皇居に招かれて生物学者であられた
昭和天皇へ植物学のご進講を行いました。牧野富太郎、86歳の時でした。
また、昭和天皇の植物標本を初めて鑑定したのは牧野であり、
昭和記念筑波研究資料館には、大正から昭和初期に牧野が鑑定した
標本が現在も収められています。 そして、昭和天皇の静養中に侍従らが
皇居周辺の草刈りを実施し、お帰りになった際に一部雑草を刈り残したことを
お詫びしたところ、陛下が牧野の言葉を引用して「雑草という草はない」
どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で
生を営んでいる。人間の一方的な考え方で、これを雑草として
決めつけてしまうのはいけない。ってことです。

注意するように。」とおっしゃったというエピソードも残っています。

成功者ばかりを尊ぶ世の中にしたのは誰でしょうか?
花咲く前の名もなき花の美しさを讃えることのない世の中です。
貧しい国の人たち、貧困度に苦しむ人たち、戦禍を逃れ難民キャンプで暮らす人たち、
災害に遭われて避難所暮らしを余儀なくされる人たち。
その痛みや苦しみを分からなければ本当の人生を歩んだことにはなりません。

日本人に根深く残る記憶!があります。
世界の中でも「愛された記憶」が一番長かった民族です。
縄文時代は、一万年から一万五千年続いた愛と平和で溢れていた時代だったのです。
そして亡くなった人すべてに刺し傷、切り傷が無かった平和国家でもあったのです。
愛していたということは、愛されていた、だからとことんまで優しい日本人は
愛された記憶を持っているから「素晴らしい日本人の記憶」を忘れないでいて欲しい。
太陽も草木も動物も山も川も海も神様と呼ぶ国は日本だけです。
どうぞ優しさを失わないでください。

今一度「雑草という名前の草はない」を心に刻んで下さい。
人目を奪う美しい花よりもそれを支えている草たちの存在も忘れないでください。


目標と目的の設定




皆様「目標と目的」の違いが分かりますか?

生きる為の「目標と目的」を明確にして前に進んでください。
目標はマイルストーンで進むべき道標です。
目的は自分の人生の最終ゴールです。
必ず合わせて考えるようにしてくださいとお伝えしています。
出来ればマンダラチャートにして壁に貼りだすのです。

何故そのような考えに至ったかというと20代の時にLA在住の画家の友人が
プレゼントしてくれた一冊の本、ナポレオン・ヒル「思考は現実化する」を
読んで、自分の計画を書き出して壁に貼り出すことを知りました。
頭の中でぼんやりとイメージするのではなく、書き出すことによって意識に
しっかりと植え付けられるのです。

私はすぐにこの考えを取り入れて「日本一のプロデューサーになる」と
紙に書き出して壁に貼りました。
それによって道に迷うことはなくなり愚直に突き進みことが出来たのです。
それからはどんな困難にぶつかっても乗り越えることが楽しくなりました。

最近、知ったことですが岩手県花巻東高校硬式野球部監督佐々木洋監督も
同じ経験をしていたのです。
致知出版の「365人の生き方の教科書」で紹介されています。

「私は岩手の田舎に育ちましたから、遊びも野球くらいしかなくて、
周りに導かれるように自然に野球を始めました。
甲子園に出場してプロか社会人で活躍したいと思っていましたが、
結局選手として花を咲かせることはできなくて、大学2年生の時に戦力外で
寮を出されました。

初めての一人暮らしに最初は心を躍らせていたんですが、
家具を揃(そろ)え、テレビのスイッチを入れた途端、急に虚しくなったんです。
悩んだ挙げ句に、それまで活字を見るのも嫌だったんですが、
答えを求めて初めて本屋に行きましてね。
そこで目に留まったのがナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』という本でした。
 
そんなわけないだろうと思いながら手に取ったんですが、ページをめくるうちに、
自分はそれまで大切なことを教わっていなかったことを痛感したんです。
それまで「夢を持て」「目標を持て」と散々言われてきたんですが、
ではどうやって夢や目標を立てたらよいのかということについては、
何も教わっていなかったんです。
 
類書を片っ端から読んだら書かれていることは同じで、数値で具体的に表すこと、
期限を決めること、ワクワクする内容であること、紙に書き出すことなどが
大事だと分かってきました。
 
それで、野球選手としてはダメだったけれども指導者として成功したいと思って、
「28歳で最年少監督として甲子園に出る」と書いたんです。
そうしたらいろんな巡り合わせの中で花巻東の監督に就任することができて、
本当に28歳で甲子園に出場することができたんです。
ですから生徒にも、夢は必ず叶うとハッキリ言うんです。
具体的に立てて具体的に行動していけば、必ず夢に近づくんだと。

大谷翔平が入部してきた時は、「先輩の雄星さんみたいになりたい」と言っていました。

私は、夢というのは掲げたところより少し下で実現するような感覚があるので、
「それでは菊池以下になってしまう。菊池を越えると言え」と指導しました。
当時、菊池の投げる球は155キロくらい出ていましたから、
絶対に160キロ出せると暗示をかけましてね。
 
ただ、実際に目標を書く時に、160キロと書いたら158キロになってしまうと
心配していたのですが、大谷はもう目標の立て方を心得てくれていて、
163キロと書いてありました。
 
菊池も大谷も、入部してきた時から間違いなくプロに行ける選手でした。
そんな逸材が名もない私の所へ来てくれたわけですから、
私も生半可な指導をするわけにはいきません。
 
自分自身にプレッシャーをかけるために、ドラフト1位で送り出せなければ
監督を辞めると宣言したんです。それを確実にするために、
その上のメジャーへ送り出すという目標を掲げて二人と共有していました。
不思議なことに、その夢もどんどん近づいて、いまでは二人とも海を渡っています。

彼らはたまたま海を渡ったのではなくて、高校の時に自ら思い描き、
自らの脚で海を渡ったと思うんです。

今や大谷翔平は誰でもが知るメジャーリーガーの最高峰に君臨しています。
菊池雄星もブルージェイズで活躍しています。
まさに「思考は現実化する」を実践したお二人です。

私は同時に昔読んだ童話「ウサギと亀」から目的の達成方法を学びました。
ご存知のように足の速いウサギと足のノロイ亀のレースです。
勝敗の行方は、誰しもが戦う前から決まっていると思っていたのです。
しかし予想に反して亀がウサギより先にゴールにたどり着いたのです。

何故かというと原因はウサギの慢心と驕りが敗北につながったのです。
あんな歩みの遅い亀には昼寝をしていても勝てるという慢心が常に亀を、
「目標」にしてしまったのです。その反対に亀はウサギなど一切目もくれず
「目的」のゴールしか意識をしていなかったのです。

お分かりでしょうか?同僚やライバル会社などを意識して彼らに勝つために、
売上記録を伸ばし、業績を伸ばしていたら、彼らを追い抜くことは出来ないのです。

高校生の時に大谷翔平が菊池雄星を目標にして頑張っていたら、
今の大谷翔平は存在していなかったのです。

私は常に新人アーティストの面接の時に「目標と目的」の違いを質問します。
殆どの人が明確に答えることが出来ません。
しかしカリスマ・ロックスター矢沢永吉は、最初から目的しか言わなかったのです。
当時、日本のロック業界は30代になればお払い箱で、海外のロックアーティストは
50~60代でも現役で活躍している。音楽と年齢は関係がない、だから自分は
70歳過ぎても武道館でコンサートを開催すると強く言い切ったのです。
まさに彼はその通りの人生を歩いているのです。尊敬に値します。

そして矢沢永吉に関してもうひとつ思い出すことがあります。
「稲葉さん矢沢はジョンレノンと同じキーで歌える、そしてこの新曲は億を稼ぎ出す」
一枚の楽譜を前にして熱く語ったのです。そしてギターで歌ってくれました。
その数年後には何十億も稼ぐロックスターになったのです。
まさに「思考は現実化する」を実践した男です。

どうか皆様も「目標と目的」をマンダラチャートに書き出して
壁に貼りだしてみてください。

皆様の願いが叶うことをお祈りします。
2024年は辰年です。まさに登り龍のごとく目的に向かって上昇してください。


愛はどこからが愛




他人(ひと)を好きという感情が生まれて愛が芽生えその芽が育って恋になる。
恋とは二股の関係。相手も僕を、僕も相手を理想とするか駆け引きをする。
いっときの愛か永遠の愛かは最初から分からないので迷いが出て悩み苦しむ。
だから二股の恋、信じる自分と疑う自分がいる。

「恋しあっている同志が、必ずしもお互いを理解しあっているとは限りません。
むしろ、互いに理解しあっていないところで、恋愛というのは
成り立っているとも云えるのではないでしょうか。
恋しあう二人は互いに互いを夢見合い、そしてその同じ眼で、相手だけではなく、
自分たちをとりかこむ世界のすべてを見ているのです。」詩人谷川俊太郎

やさしさを愛と受け取る世代がある。中学生の思春期の頃は理想の相手を探して
迷い道に入る。初めて経験するときめく心にこれは愛なのか親切なのかが分からない。
意地悪な言葉で相手を傷つけて反応を見る。それでも関係が残る場合に、
もしかしてこれは恋なのかと自覚する。

あらゆるものから受ける愛は、母性愛、兄弟愛、友人愛、隣人愛、動物愛などです。
ここに古代ギリシャ人が認識していた愛の種類があります。

古代ギリシャの時代、愛には次の8種類があると考えられていたそうです。
1. エロス(情欲的な愛)
2. フィリア(深い友情)
3. ルダス(遊びとゲームの愛)
4. アガペー(無償の愛)
5. プラグマ(永続的な愛)
6. フィラウティア(自己愛)
7. ストルゲー(家族愛)
8. マニア(偏執的な愛)

それぞれどのような愛だったのか説明が必要になります。
(解説は長い文章になるので今回は省きます)
日本人の愛の認識と違うところがありますが分かりますか?

私が中学生から高校生の時に愛読した詩集がある。

「ハイネ」
甘美な歌に放浪者の苦渋がこめられて独特の調ベを奏でる珠玉の詩集。
美と愛情の朗らかな使者ハイネ。だが彼はユダヤ系ドイツ人という宿命の星の下に生れ、

人類解放の旗手として、祖国を愛しながら亡命先のパリに客死した薄幸の詩人であった。
甘味な歌に放浪者の苦味が加わり、明澄さの中に幻滅や独特の皮肉の調子がまざる。
彼の代表的詩集『歌の本』『新詩集』『物語詩集』から、悩みを秘めた純粋詩人
ハイネの詩魂を伝える珠玉の作品集である。

「一層真実を守るがよい
そして死ぬほど心が苦しうなつたら
おまへの琴を手にとるがよい
絃を鳴らせば、焔と熱に燃え立つた
勇者の歌が響くだらう!
するとはげしい怒りも溶けてしまひ
おまへの心は甘く血を流すだらう」
『ロマンツェロ』より

「若山牧水」
若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 – 1928年(昭和3年)9月17日)は、

戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)宮崎県東臼杵郡坪谷村
(現・日向市)の医師・若山立蔵の長男として生まれる。1899年(明治32年)
宮崎県立延岡中学校に入学。短歌と俳句を始める。18歳のとき、号を牧水とする。
由来は「当時最も愛していたものの名二つをつなぎ合わせたものである。
牧はまき、すなわち母の名である。水はこの(生家の周りにある)渓や雨やから
来たものであった」

「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染そまずただよふ」
「真晝日のひかり青きに燃えさかる炎か哀しわが若さ燃ゆ」
「風わたる見よ初夏の青葉がうへをやよ戀人よ」

という短歌を中学で習いました。今でも教科書にあるのでしょうか?
意味もわからずに胸が熱くなったことを覚えています。

ゲーテ
《Johann Wolfgang von Goethe》[1749〜1832]ドイツの詩人・小説家・劇作家。
小説「若きウェルテルの悩み」などにより、シュトゥルム‐ウント‐ドラング
(疾風怒濤(しっぷうどとう))運動の代表的存在となる。
シラーとの交友の中でドイツ古典主義を確立。自然科学の研究にも業績をあげた。
戯曲「ファウスト」、小説「ウィルヘルム‐マイスター」、叙事詩
「ヘルマンとドロテーア」、詩集「西東詩集」、自伝「詩と真実」など。

「野薔薇」
少年がばらを見つけた野原に咲くばらを
若々しく美しく近くで見ようと駆け寄り
胸をはずませて見つめた。
ばらよ、ばら、赤い可愛いばら野原に咲くばら
少年は言った「お前を折ってやる 野原に咲くばら!」ばらは応えた
「あなたを刺すわ あなたが私の事を永遠に忘れない様に
そして私は折られやしませんわ」
ばらよ、ばら、赤い可愛いばら野原に咲くばら
ついに少年は野原に咲くばらを折ってしまった。
ばらは抵抗して刺し嘆き、泣き喚いても
少年には効かずただ痛みに耐えるばかりであった。
ばらよ、ばら、赤い可愛いばら野原に咲くばら
– ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ –訳:土田 悠平

「志賀直哉」
小説家。東京の祖父母のもとで育ち、学習院高等科卒、東京帝国大学中退。明治43(1910)年、

武者小路実篤、有島武郎らと『白樺』を創刊し、「網走まで」を発表。

その後尾道、松江、京都などに居を移し、執筆を中断した時期を経て、『城の崎にて』(1917)、
『和解』(1917)、『暗夜行路』(1921~1937)などを著す。「小説の神様」とよばれ、
多くの作家に影響を与えた。昭和24(1949)年文化勲章受章。

「自己嫌悪がないということは、その人が自己を熱愛することのない証拠である。
自己に冷淡であるからだ。」

愛は与えられるものとばかり思っていたが自らが人を愛さない限り愛は生まれない。
そのためにあれこれ苦悩して自己嫌悪に陥る。

多感な中学生のころは多くの小説や詩集を読んだ。
勉強もせずに読みふけりよく怒られたものです。
母親の愛情に接しなかった少年は女性に対して興味があっても
ふれることは出来ませんでした。純情そのものだったのです。

学校の女性教師からお弁当を貰った時、近所のお姉さんからお菓子を貰った時、
この優しさは愛なのか恋なのか幾日も悶々としたものです。
勿論、ただの妄想で手紙を携えて追いかけまわしたら叱られました。

人を好きになることに不慣れで詩集から学ぶことが多くありました。
苦き青春時代「愛はどこからが愛」と苦悩した時代でした。

先ずは自分を愛することが出来なければ他人を愛することは出来ません。
悩みの中から愛が生まれるのではなく自覚の中から愛が生まれることを知るべきです。
他人を好きになる前に自分を愛することが大切です。


叱る時節




私の座右の銘は「愛語よく廻天の力あり」です。道元禅師の言葉です

面(むかい)いて愛語を聞くは面(おもて)を喜ばしめ、心を楽しくす。面わずして
愛語を聞くは、肝に銘じ、魂に銘ず。愛語よく回天の力あることを学すべきなり。」
道元禅師

面と向かって優しい言葉をかけられれば、自然と顔に喜びがあふれ、心が楽しくなる。
また、人づてに優しい言葉を聞いたら、その言葉が心に刻まれ、魂がふるえる。
それは、愛語が人を愛する心から生まれ、人を愛する心が、他人をたいせつに思う
心の中から、芽生えてくるものだからです。
本当に、優しい言葉というのは、世界を変える力があるのだということを、
私たちはよくよく学ばなければいけません。

勇気を与える言葉は直接相手に伝えた方が、心に響きます。
褒める言葉は直接よりも第三者を通じて伝えた方が、心に残ります。
戒めの言葉は誰も居ない所で教える方が、心に刻まれます。
伝え方を間違えれば相手に恥をかかせることにもなります。
そして心に傷をつけてしまう事もあります。

たった一言の心無い言葉で自殺する子がいます。
気付いてやれば良かったと、泣きながら話す友人や両親がテレビに登場します。
ストーカー被害の人が追い詰められて殺されてしまう事件があります。
その時に対応した教師や相談員や警察官は被害者の言葉や表情から、
ことの重大さに気付かなかったのでしょうか。
心配は何も無ければ安心につながります。
もっと言葉に敏感になってみてはどうでしょうか。
「恩学」より

社長が社員を「褒める」「叱る」タイミング。
「褒める」「叱る」は「誰に叱られるか、誰に褒められるか」という点が大切です。
尊敬する経営者に叱られれば、社員はその原因や失敗をしないよう肝に銘じます。
褒められるときも一緒、尊敬する経営者に褒められれば、社員は褒められたことを
魂に銘じます。社員は、尊敬する経営者には認められたいと思っていますから、
社員を認めた上での「褒め」や「叱り」は、どちらであっても社員に響くのです。

今から2600年前のインドで、自ら悟りを開き、また多くの弟子たちを悟りに
導いた人物がいます。それは、お釈迦(しゃか)さまです。
お釈迦さまには、その備わった多くの徳を形容するための別名がついています。
10個の別名で、「如来の十号(にょらいのじゅうごう)」と呼ばれています。

【如来の十号】
1.如来(にょらい)…真理に従って完全な状態を得た人
2.応供(おうぐ)…供養を受けるにふさわしい人
3.正遍知(しょうへんち)…正しく悟った人
4.明行足(みょうぎょうそく)…知恵と行為を備えた人
5.善逝(ぜんぜい)…完全なる安心を得た人
6.世間解(せけんげ)…世の中のことをよく理解している人
7.無上士(むじょうし)…最高の人
8.調御丈夫(じょうごじょうぶ)…人を指導することに巧みな人
9.天人師(てんにんし)…神様と人間の師
10.仏世尊(ぶつせそん)…目覚めた福徳ある人
 
これら10個の人徳が、お釈迦さまを尊敬される人たらしめているわけですが、
注目していただきたいのは8番目の「調御丈夫」という呼称。
この調御丈夫とは、「人を指導することに巧みな人」という意味です。
そう、お釈迦さまは、教育の達人でもあったのです。

あるとき、お釈迦さまが祇園精舎で大勢の人を前に説法をしておられると、
弟子のアヌルッダがウトウトと居眠りを始めました。
それを見たお釈迦さまは、「みなさんここに来るまでの道中で疲れている人も
いるでしょう。けれども、仏の説法を聞くということは並大抵のことではないし、
祇園精舎に参詣することも、非常に難しい。
たとえ法話中、居眠りをしていても大変な仏縁になる」とおっしゃいました。
 
ところが説法の後、お釈迦さまはアヌルッダを呼び出して「あなたは何が目的で、
仏道修行をしているのか」と尋ねます。
アヌルッダは「四苦八苦を思い知り、苦しみを解決するためです」と答えます。
お釈迦さまはさらに問います。「あなたは良家の出身でありながら、
道を求めようとするしっかりとした意思がある。
それなのにどうして居眠りなどしたのか」と。
 
アヌルッダはお釈迦さまの前に平身低頭し「申し訳ありませんでした。
今後、二度と居眠りはいたしません」と深く懺悔(ざんげ)したのでした。
その日を境にアヌルッダは、猛烈な修行に打ち込み、眠ることをしませんでした。
そしてそれがたたって、ついに視力を失ってしまうのです。
 
そのことを知ったお釈迦さまは、「琴の糸のように張るべきときは張り、
緩むべきときは緩めなければならない。精進も行き過ぎれば後悔となり、
怠ければ煩悩が起きる。中道を歩むがよい」と諭されたのでした。
 
お釈迦さまの勧めによって医師にかかり、休眠を指導されたアヌルッダですが、
自らの誓いを破ることなく完全に失明してしまいます。
しかし、同時に心眼を開いて悟りに至ったのでした。

お釈迦さまは、解脱を妨げる心の作用として、五蓋(ごがい)を挙げておられます。

【五蓋(ごがい)】
1.貪(むさぼ)り
2.怒り
3.眠気や怠け
4.心のうわつき、高揚(たかぶり)
5.悔恨・疑惑
お釈迦さまは、五蓋の1つ、眠気を叱られたのです。

たった一度のお師匠さまの叱咤(しった)を肝に銘じ、徹底して教えを守り通すことで
本来の目的(悟り)を得たアヌルッダもすごい人です。
それだけでなく、このエピソードには、お釈迦さまの巧みな叱り方のポイントが
3つ秘められています。

1.弟子の失態を大衆面前では叱らず、個別に呼び出して諭したこと。
2.感情的に叱らずに、冷静に修行の目的を問い、本人の口から語らせたこと。
(再認識させたこと)
3.もともと素直で真面目なアヌルッダの性格に配慮し、叱った後も優しく
フォローしていること。
 
お釈迦さまは「話を聞いていなかった」とか、「私に恥をかかせた」とか、
アヌルッダを「責める」ために叱ったのではありません。
「なぜ修行しているのか」という、アヌルッダ自身の本来の目的に
「気づかせる」ために叱ったのでした。

この話には、後日談があります。視力を失ったアヌルッダが、
ほつれた衣を縫うため針に糸を通そうとして苦心しているのを見て、
お釈迦さまが直々にアヌルッダの針に糸を通されたというのです。
どこまでも弟子たちの成長を願うお釈迦さまの、慈悲深く、熱く、冷静な姿勢が
垣間見られる話です。
大愚和尚の仏教を学ぶより(一部抜粋)

私は見て聞いて学んだことを「恩学」を通じて皆様にご紹介する役目です。
仏門とは多少縁がありましたが修行はしたことがありません。
それに何度もお伝えしていますように、私は学者でも研究者でも無いので、
聞きかじり、読みかじりがほとんどです。

音楽プロデューサーとして生きてきた中で、常に人の心を見つめながら、
感情の発露を気に留めてきました。
私のブログ「恩学」が少しでも皆様のお役に立つようであれば嬉しいです。

皆様も良い言葉を少しでも発言するようにしましょう。


優しさとは




辛い時に声をかけてもらうより、メールで励ましをもらうより、
隣に座ってもらうより、一人にして欲しい時もある。
相手の同情が少しでも感じてしまうと申し訳なく思うからである。
時には何もせずに突き放してもらう方が楽な時もある。
おしきせの親切や「大丈夫ですか」という言葉が大きな負担になることもあるのです。

しかしそんな時にも遠くから笑顔でいて欲しいと願うのが人の常である。

優しいという字は「人」の横に「憂い」が立っている。
「憂い」とは悲しみ、なげき、心配、わずらいとあり、心が嘆き悲しむことを
表現した言葉です。人のために心に涙ができる人。
また、自分自身が悲しみを知っている人。一人の寂しさが分かる人、
心はとても繊細で傷つきやすいことを経験している人。
そういう人が、初めて人に優しくできるのです。

真の優しさを持つ人とは、悲しみを知る強い心を持っている人のことをいう
ものです。人の痛みをしっかり受け止められる人だけが「優しい人」という
称号を得ることが出来るのです。

一人になり孤独と戦う時、部屋に閉じ篭もることは絶対に駄目です。
閉塞感の中からでは解決は見えなくなりもっと辛い状況が生まれます。
忘れようとしてもお酒も音楽も映画も役に立ちません。
逃げようとする心が一番心を弱くします。

そんな時こそ大自然に飛び込むのです。一人キャンプが流行っているのは、
そのような理由もあります。木々の緑も、鳥の囀りも、川のせせらぎの音も、
綺麗な空気も、あらゆる大自然のエネルギーが、視覚から、聴覚から、呼吸から
身体に入り込んでくるのです。

森の中には小動物も潜んでいるかもしれません。谷川には大小さまざまなお魚もいます。
野山を歩くと名も知らぬ草花にも出会うかもしれません。
そんな偶然を楽しむことにより、自分の辛い気持ちがいつしか、
消えて無くなっているのに気づきます。

「流泉為琴」(りゅうせんをきんとなす)という禅語があります。

静かな谷川を、岩や木の根を洗いながら流れる水の音は、ひっそりと静かに
清涼を深める琴の音のように、汚れがちな人の心までも洗い流し、
安らかにしてくれるという意味で、自然界の中の音は、人間の聴覚では聞き取れない
癒しの音が含まれているそうです。脳内にセロトニンがあふれ出て来るのです。
そのような癒しの音は、心まで穏やかに清らかにしてくれます。

それを耳にした時、「水」の力の偉大さを、改めて思い知らされます。
心を癒してくれる水の音、大自然の山々の緑、青々とした広大な海、爽やかな風が
運んでくれる木々の香り、五感を研ぎ澄ませると、自分の存在は自然の中のほんの
一つに過ぎず、その自然界の大きさに気づいた時、自分だけが特別ではない事を
感じます。「流泉為琴」、何とも美しい、平穏な、心休まる禅語と言えましょう。

「琴」と言えば、「對牛弾琴(たいぎゅうだんきん)」という禅語も有ります。

琴の演奏の達人が「牛に対して琴を弾いて聞かせる」という事から、
何の効果もなく無駄な事を表している言葉で「馬の耳に念仏」と同様の意味です。

禅宗には、「手元にあるものを活かしなさい」という教えがあります。

庭掃除だけでも、木の枝はご飯を炊く薪になり、葉っぱは肥やしになり、
砂や小石は集めて窪みを埋めたり、どう活かすかを考え工夫する事が、
禅の修行に繋がるのだそうです。禅の庭には、禅の教えが細部まで込められており、
その一つの例に「水琴窟」が有ります

「水琴窟(すいきんくつ)」とは、日本庭園の装飾の一つで、
手水鉢の近くの地中に作った空洞の中に水滴を落下させ、
その際に発せられる音を反響させる仕掛けです。
洞水門(とうすいもん)などとも呼ばれます。

その音色は、底部に溜まった水の深さに左右されるそうで、
水滴の落ち方や、落ちた場所にも関わるそうです。
「水琴窟」の音色は、琴の音のように美しく、静穏な日本庭園の、
景観に合うとてもきれいな音色です。

「水琴窟」は江戸時代から作られるようになり、明治時代に盛んになりましたが、
今では少なくなってしまったそうで、残念でなりません。
日本人の細やかな感性によって作られた日本文化の奥深さ、そして禅の教えに、
また改めて感慨深いものを感じます。

日本人は自然との接点により心を癒してきたのです。
人の手を借りずとも自然界の様子を見ながら辛い心を癒してきたのです。
自然界を活かす達人なのです。
その延長線上にお茶の世界やお花の世界が有ったことも確かです。
それが茶道となり華道となって先人達は極めていったのです。
禅語はその過程を一言で表しています。素晴らしいですね。

最後に注意ですが優しさを求めて嘘を言うのをやめてください。
言われた相手より、言った自分がそれ以上に傷つきます。

若い子たちが家庭に居場所が無いからといって、簡単に親がいちばん嫌うことを
してしまいます。女の子なら売春です。男の子なら犯罪です。

ここに行き当たると取り返しつかないことをしたと後悔します。
ドラマなら親が駆け寄って抱きしめるのですが現実はそうなりません。
優しさを求める嘘の反動は大きな代償を払うことになります。

世の中には優しさを素直に受け取れない人たちが多いことを知るべきです。
何故なら優しさを利用した振り込み詐欺や悪徳商法が頻繁に起こるからです。

親たちが子供に優しさを与えないと子供たちは必ず優しさを失います。
親が子に対して食事を作ることと抱きしめてやることが一番効果があります。

恩の手前にあるのが「優しさ」です。
優しさを感じる心が「恩返し」につながるのです。

優しさは教えることではありません。愛情を持って接すれば優しさは育つのです。
私は今「老人と孫」の対話集会を行っています。
孫の悩みをその場で聞いてそれぞれの老人たちがアドバイスをするのです。
老人たちは各分野で活躍をした達人の方々ばかりです。

現在は東京の青山で無料開催していますが、今後地方へも出かけていく予定です。
更に世界へ出かけていく計画もあります。

老人たちの優しさも大切な時代に入りました。
父親は子供に戦いで勝つ方法を教えます。しかし老人は戦わず平和を教えます。
奪い合えば足らず、分け合えば余る。禅語「小欲知足」の教えです。
世界が求める平和活動として日本発の「老人の知恵」を孫世代につないでいきます。


泥かぶら




『臨済録』という禅の書物に「求心歇む処即ち無事
《ぐしんやむところすなわちぶじ》」という語があります。
「求心」とは、自分の外側に評価や賞賛、あるいは「正解」めいたものを求める
心のことで、その心が歇《や》めば「無事」、すなわち本当の安心に気づくことが
できる、という禅の言葉です。

この語の意味するところを『泥かぶら』という絵本に垣間見ます。
以下にあらすじを見ていきましょう。

昔々「泥かぶら」と呼ばれた一人の女の子がいました。泥かぶらには身寄りがおらず、
村人たちからは見た目が「醜いから」「みすぼらしいから」という理由で「泥かぶら」
というかわいそうな名前をつけられ、馬鹿にされていました。
ひどい仕打ちを受けるたびに、泥かぶらは人々を恨み、口汚く反撃するようになって
いきます。一方で本心では、馬鹿にされることが悔しく、「私も美しくなりたい」と
心の中では泣いているのでした。

ある日、旅の老人に出会い「三つのことを守れば、あなたはきっと美しくなれるだろう」

という助言を受けます。それは、・自分のことを恥ずかしいと思わないこと・
どんなときも笑顔で過ごすこと・いつでも他者を思いやって行動すること。

それを聞いた泥かぶらは、早速その老人の言う通りのことを心がけます。
何を言われても笑顔をたたえ、病気の子のために薬草をとってきたり、
お年寄りの代わりにたきぎを集めるなど、人々の役に立つことを心をこめて
行っていきました。その積み重ねの結果、村人は泥かぶらに親愛の念をもつように
なります。泥かぶらはいつしか自分の容姿のことも忘れ、周囲の人々の喜ぶ顔を
見ることが自身の喜びにもつながっていくのでした。

そんなある日、借金とりの悪党・じろべえが村に来て、ある家の借金のかたに
娘を連れていこうとします。それを聞いた泥かぶらは身代わりを名乗り出て、
その娘の代わりに連れて行かれてしまいます。

ところが、泥かぶらはじろべえに連れて行かれる旅の道中でも、相変わらず
ずっとニコニコ。そして途中で「じろべえさん、あなたとの旅は身寄りのない
私にとって父親と一緒に過ごしているようでとても楽しい」と告げます。
そんな様子に、次第に悪党のじろべえの気持ちは温かくなっていきます。
そして最後には自分を悔い改めたのでした。

ある朝、泥かぶらが目を覚ますと、そこにじろべえの姿はなく、代わりに
こんな置手紙がありました。
「おまえはおれのようなあくにんにまでよくよくしんせつにしておくれだった。
おれはしょうじきでやさしいおまえのねがおをみていてはずかしくなった。
それからむねのおくがあったかくなったよ。(中略)おまえのやさしい 
えがお、あかるいわらいごえ、おれはいっしょうわすれない。ありがとうよ。
どうか、しあわせになっておくれ。じろべえ」
ほとけさまのようにうつくしいこへ

物語にその続きは具体的には書かれていません。しかし私が思うに、
これを読んだ泥かぶらは、「こんな私にも仏さまのような美しい心があったんだ。
今まで自分の外見や周りからの評価を気にしていたけれど、そんなことは
つまらないことだった。

ありのままの私でよかったんだ」と、安らかな心地に包まれたことでしょう。
そして、それからも周囲の人たちへの思いやりをいつも胸にたたえ、自他ともに
朗らかになれるような生活を送り続けたのではないでしょうか。

これが「求心」が歇《や》んだ後の「無事」の姿であり、本当の「美しさ」なのでは
ないかと私は思うのです。

泥かぶらは、始めは自分の見た目が嫌で、他の人から悪口を言われたくない、
美しくなって認められたいという「外側へないものねだりをする心(=求心)」
に自分の心を揺り動かされていました。

そして老人から三つの助言を受けた後も、その「求心」を動機に善行を重ねていました。

「美しくなりたい」という、ある意味、自らのエゴために善行を積んでいたとも
言えます。
しかし、それを重ねることで、周りの人が喜び笑顔になっていく様子を見て、
少しずつそのエゴが剥がれおち、いつしか自分の見た目や他者の評価なども忘れ、
周囲に尽くすことが自身の喜びになっていきます。
人買いのじろべえに優しい言葉を投げかけたシーンでは、「かわいそうな境遇の
この人に親切にしよう」という思いすら感じないほど自然体で接しています。

そしてじろべえからの言葉が決め手となり、自分の中に元々あった、けれども見えて
いなかった「仏さまのような美しい心」に気づくことができました。

中島みゆきが以前ラジオの番組で一人の女の子の悩みの質問に答えます。
相談者の女の子のペンネームは…「生きるのってつらいね」さん。

みゆきさんこんにちは。
わたし、世界で1番のブスです。誰が見たってブスです。
自分でもわかっています。わかってるんです。
でも人から変な態度取られると、やっぱり傷つくんですよね。
周りの友達から毎日ブスって言われて、街歩いてても吐くマネされて。
学級の男子からは睨まれて、おまけに生徒会長の人からは
目の前でいろんなこと言われて。
ああ、目の前が霞んで見えない。字も書きにくい。でも頑張って書きます。

わたし、今年受験です。志望校に願書も出します。
だけど、だけど、その高校には恐い人がいます。
中2の終わり頃、何度も何度も目の前に立って吐くマネして、
みんなの笑い者にされました。
同じ高校に入ったら、またイヤなことされて、
毎日泣かないといけないのかと思うと勉強できません。
死にたいなって思ったり、わたしが死んだらあの人たち喜ぶだろうなとか考えます。

お母さん恨んだけど、恨んじゃいけませんよね。ここまで育ててくれたんだもの。
みゆきさん、こんなわたしでも、生きてて良かったって思うこと、ありますよね。
堂々と人前歩けるようになれる日、来ますよね。
その日を夢見て頑張ります。
そして、そして、みゆきさんのコンサートの日には、
今のわたしでないわたしになってみようと思います。

これに対する中島みゆきさんの回答がこちら。

日本中でこの今の番組を聴いてる人。
誰が一番醜く見えるかわかると思います。
このハガキをくれたあなた。
そのくらいのことわかる人が、日本中にいっぱいいると思います。
今あなたの周りにいる学校の、そういうことを言う、あなたを傷つけた
仲間だけが人間だと思わないでほしいと思います。

これから色んな人に会っていくことと思います。
世の中狭く見ないでくださいね。
女の子は、金さえかければある程度いくらでも美人になれるとわたしは思います。
顔ってのはいくらでも作れます、金さえかければ。
でも、金かけて綺麗になれないものもあると思います。
コンサートの日は、アンタのままのアンタで、おいでよね。また来週。

泥かぶらのような境遇の子はたくさんいると思います。
生まれてくる子供は親の顔を選ぶことは出来ません。
たとえどんな顔であっても非難することは出来ません。
子供のいじめは家庭を反映していることが多くあります。
子供の苦しみを気にしない育児放棄の親が増えています。
たとえ親が人生を悲観していても子供には何ら関係はありません。

私が一番嫌うのは人の欠点を笑う人です。
見た目ですべてを判断して人間性を無視する人です。
でも、それ以上にいじめに負けて自暴自棄になる子が嫌いです。
辛いけれど自分を自分で守るのです。自分の未来を諦めないでください。
汚いと言われる泥の池から蓮の花は咲きます。
あなたは自分の心の中に蓮の花があることを忘れないでください。

全ては教育の問題です。子供のころから差別をしない教育をするべきです。

私の娘が行っていた世田谷の小学校に五体不満足の乙竹洋匡君がいました。
だれも乙竹君を奇異な目で見る子は1人もいませんでした。
それよりも乙竹君が学校にいる間中はクラスのみんなが彼の面倒を順番に
見ているのです。このような学校もあるのです。

日本の教育の方法は二項対立でおしえます。
悪い人がいれば良い人がいる。金持ちもいれば貧乏人もいる。正義があれば悪もある。
優秀な人がいれば無能な人もいる。美人もいれば不細工もいる。
これは決して教育ではありません。差別のラベル張りです。

教えやすい子を優遇して、かわいい子をかわいがるのはいじめの温床を作ることになります。
学校のルールを重視して子供たちの能力は無視している学校制度を変えるべきです。
子供達が未来を創るのです。未来を作る大変な作業を子供たちが担うのです。
子供達に伝えるべきは「ありがとう」の一言です。


幸福の種




百も幸せの種はいらない、一つだけで幸福になれる。
それなのに何故幸福の種をたくさん持とうとしているのか?
相手に気持ちを伝えるのは数でなくて一つの真心です。
自信が無いとどうしても数で誠意を表したくなってしまう。

笑顔一つで相手は満足しているのに、
自分の心の貧しさから過剰に反応している。

手を少し引くだけでも相手は感謝しているのに、
背中でおぶるような行為を与えようとしている。

コップ一杯の水が欲しいのにバケツ一杯の水は迷惑である。
暖かい日差しが欲しいのに太陽を3〜4個持ってきても
火傷するだけで意味がない。際限なき欲望に愚かさが目立つ。

足るを知る」京都・竜安寺の「吾唯足知(われただたるをしる)」と
書かれた「つくばい」が有名です。
「つくばい」とは日本庭園の添景物のひとつで露地(茶庭)に設置される。

私達は欲望を無限にふくらましてはならない。
これで充分、つまり「ごちそうさま」と言える心のゆとりを持たねばならない。
「吾唯知足」は、釈尊が説かれた教えである。

「足ることを知る人は、心は穏やかであり、足ることを知らない人は」
心はいつも乱れている」と言われる。
心の平安を求めるのであれば、「吾唯知足」を理解しなければならない。

「貧しい人」とは何も持ってない人ではなく、多くを持ちながら、
まだまだ欲しい、と満足できない人のことです。

足るを知り強欲にならないことが大切です。問題や悩みの根本は「欲」です。
誰もが欲のない人はいませんが、自分の器に合った欲で満足するべきでしょう。

それには先ず、自分をよく見つめることです。
世の中には足るを知らない人が結構いらっしゃいます。
「知足」(たるをしる)いい言葉ですね。

千利休(せんのりきゅう)は、茶道の心得として、
「家は漏らぬほど、食事は飢えぬほどにて足る事也」と述べました。
必要な分を必要なだけ用意し、茶を点ててまず仏に供え、人に差しあげ、
施し、最後に自分もいただく「利他」の精神がそのまま自分の幸せであるという。
「自利利他」の精神が大切です。

禅語に「蟭螟眼裏五須彌」(しょうめいがんりのごしゅみ)というのがあります。

キノコバエも最初のうちはヤキモキさせてくれたが、
最後にはどうでもよい存在になった。ごくごく微小な存在である。
そんなキノコバエよりずっと小さい蟭螟(しょうめい)とやらは、
ますます取るに足らない存在であろうが、

その目の中に、須弥山を五つ重ねたほどのものがあると
この禅語は説くのである。

月を見れば、月が目に入る。海を見れば、海が目に入る。
須弥山を見れば、須弥山が目に入る。

蟭螟も、キノコバエも、私も見ることはできる。
そして、この目はすっぽりと写しとることができるだろう。
それは見ただけ、それは中にあるとはいわない。
そういう制限を心から取り払えば、自分の存在はどこまでも大きい。
どんなものでも受け入れ可能である。

小さな島の小さな場所の小さな存在だって、
あれやこれやと思うところがある。
やれ悲し、やれ楽しと思う心が、
この世界を創り出しているのである。

という意味です。

相田みつをの言葉にこのようなものがあります。

「セトモノ」

セトモノ と
セトモノ と

ぶつかりっこすると
すぐこわれちゃう

どっちか
やわらかければ
だいじょうぶ

やわらかいこころを
もちましょう

そういうわたしは
いつもセトモノ

柔軟心(にゅうなんしん)とは、やわらかい心。
とらわれない心のことです。
凝り固まった「堅い心」の人間同士がぶつかると、そこに争いが生まれ、
お互いが壊れてしまい、苦しみの世界へと落ち込んでしまいます。

そういう時は自分の心を柔らかく持って、「ほにょん、ほにょん♪」と
まずは柔軟心で、相手の意見を受け止めましょう。
それから考えても遅くはないのです。
凝り固まって、即座に反発する必要はないのです。

こだわりや思い込みを捨て去って、少しでも、柔らかく、柔軟な心を持って
生きていきましょう。

一つで足ることを知る。
差し出す方も受け取る方もやわらかな気持ちであればそれで十分。
欲が世界を乱すのです。戦争も不正問題も欲から始まるのです。

今年はなおさら欲のない心で過ごさなければなりません。
一つでも感謝する気持ちが必要です。
ありがとうを大きな声で伝えましょう。

幸福の種はそのようなところから芽生えて来るのです。
あなたの心の植木鉢は空いていますか?
今年も幸福の種を一粒植えましょうね。


写真家の哲学思考




突然夜中に森鴎外の「舞姫」が浮かんだ。
しかし森鴎外に興味を持ったのは私一人ではなかった。

検索した結果このような文章を見つけた。

鴎外が生きたベルリンの街で
ベアーテ・ヴォンデさんから待ち合わせ場所に指定されたのは、
ハッケシャー・マルクト駅から近いモンビジュウ・ホテルだった。
『舞姫』で主人公の太田豊太郎の下宿先として描かれている「モンビシュウ街」と
重なる。路面電車の音が響くなか、ヴォンデさんが鴎外の生きた時代のベルリンに誘う
話をしてくれた。

「モンビシュウ街」はMonbijoustraßeと訳されることが多いのですが、
あの向こうに「モンビジュウ通り」ができたのは鴎外が帰国した1904年になって
からなので、このモンビジュウ広場(Monbijouplatz)がモデルになっていると
見るべきでしょう。ではなぜ鴎外はこの広場を太田豊太郎の住まいとして選んだのか。

実はここ、ベルリンでの鴎外の三つ目の下宿先からほど近く、広場の3番地には
シュプリンガー出版社があり、1階は直営の書店だったのです。

鴎外文庫(東京大学附属図書館にある鴎外の蔵書)には彼が所蔵していた
この出版社の本が2冊あります。どちらも郵便、電灯といった技術に関する本。
鴎外は鉄道、車、飛行機といった科学技術と人間の関係に深い興味を抱いていました。
これもまた一つの興味深いテーマです。

こうして現場に立って、当時の地図を開くと、
『舞姫』の印象もちょっと変わってくると思いませんか。

もっとも、ヴォンデさんは「当時私が興味を持っていたのは鴎外ではなく演劇でした」
ときっぱり言う。
当時、東独と日本の文化、経済交流は極めて活発で、刺激には事欠かなかった。
フンボルト大学を卒業後の1979年から1年半、文部省奨学生として早稲田大学に
留学する機会に恵まれた。この異文化体験は、ヴォンデさんにとって重要な意味を
持つことになる。

鴎外の時代、一般の日本人が外国に行けなかったように、東ドイツ時代も、
西側の外国に行くというのは特権的なことでした。

だから、その経験を東ドイツ社会に還元することは、私たちの義務だと捉えていました。

この点で鴎外と私は、共通します。鴎外が『独逸日記』を書いたように、
私も毎週最低20〜30枚の手紙を書いていました。私が東独の友だちに手紙を送ると、
皆で集まってそれを読んだそうです。今日は何を食べて、何を読んだか。外国の匂いや
日常生活を伝えようと必死でした。

何をやっても日記を書き、メモを取らなくてはという情熱がありました。
それが自分に還かえってきて、道になるのです。
夜中に芝居が終わると、その後おでんをつくったり、お酒を飲んだり、朝帰りしたりと。

この日本での経験は私の泉になりました。鴎外もそうでしょう。
4年間のドイツ留学時代は、彼の後の活動の全ての土台となりました。

今はお金さえあれば日本に行ける時代ですが、私が学生だったときは5年間
ドイツで日本語を勉強して、日本に着いてからようやく日本語が分かる。
鴎外は10歳からドイツ語を学んでいました。船でマルセイユに渡り、
ケルンの駅に列車が到着したときに、彼はやっとドイツ語を理解するのですが、
その気持ちはよく分かります。

そこでまたこの「JUMPEITAINAKA」の文章が出て来る。
【2024始】
2023が終わった。終われば始まる。我々にとっての永遠とは、これに違いない。
世界中で感じる時の点は、目に見えないけども、意識する人の数が多いから、
なんだか極大無辺の集合的意志に変化して、人々の行動を操ろうとしてくる。
そしてそこに様々な想いや祈りが無数に集まってくる。

おめでとうとありがとうを叫べ。混迷と戦争は今も侵攻している。
言える時は言うべきだ。口にして言うことは未来のいつかの瞬間への手向けだ。
黙って祈り続けることも未来と過去への賛歌だ。
未来はいつだって過去へ干渉しようとしてくる。
過去はもっと未来を欺いていかなければだ。未来は過去を信じすぎるからだ。

今年のキーワードは「創世」。元旦に思い浮かぶ言葉でと思っているのだけど、
すんなり出てきたものだ。実は、去年ずっと創という漢字にフォーカスをしてきた。
キズとも読む。創造の創(はじま)りは創(キズ)をつけることからなのかもしれない。

人生も41年も生きてきたら、どうしようもなく深いキズもあるし、望まずとも
誰かをキズつけてしまうこともたくさんあったはずだ。潔白とはいかない。

難しいことは沢山あった。それはきっと誰にとっても同じかもしれない。
創を創造へ変えて、世界を創るなんてことができたらすごいかもしれない。
世界「観」じゃない。だから今年は「創世」をはじめる。
そして様々なアーティストたちとクリエイションを共にしていく。
支援くださる方々も見つけたい。これが昨年の「新生」に対する答えだ。

いつもの調子。毎日が平日。こんな自分をよろしく。
再会するために旅をする。旅の途上でまた逢いましょう。

JUMPEITAINAKA
Nowhere, But Now Here.
2024

日本を離れて海外で暮らすことは大きなリスクもあるが逆に大きなメリットもある。
最大のメリットは異文化において究極の孤独を味わえることである。
孤独こそが自分の追求したいものへの原動力となる。

頭の中にある光をハンマーでたたくのである。凍った湖の氷をたたき割るのである。
そこから自分の存在を証明する表現力が音を立てて浮き出て来る。
暗闇の魔術師は悪魔に魂を売ったのである。
稲光は暗黒の雲間から解放されたときに剣先のように落ちて来るのである。

JUMPEI・TAINAKAの写真には言いようのない孤独を感じる。
まるですねた子供が押し入れに逃げ込むような暗澹たる空気に包まれる。
JUMPEIもっと孤独になれ。世界中に傷をつけまくれ。
誰の役に立たなくてもいいから自分の魂を掻きまくれ。
血がにじむまで叫びを押し殺せ。

彼にはベートーヴェンの「悲愴」が似合う。

それよりもローリングストーンズの「ペインティング・イット・ブラック」の
方がマッチするかもしれない。

どちらにしてもしばらくは目が離せない。
どこかの街角でふいに出会ったら酒を飲もう。


愛すべき人




常に人から愛されるのは自分が人を愛しているからです。
その反対に人に騙されるのは自分が人を信じていないからです。

明るく元気な人が集まるのは自分も明るく元気にしているからです。
その反対に暗く不健康な人が集まるのは自分も病んでいるからです。

子供の笑顔が好きな人は自分も子供の時に笑う家庭で育ったからです。
その反対に子供がそばに集まらないのは自分が子供の時に愛されていなかったからです。

自然や小動物を愛している人が集まるのは自分が平和を意識しているからです。
その反対に自己欲の強い人が集まるのは自分も人生に満足していないからです。

人生、元々裸のままで生まれて邪(よこしま)な感情もなく、
誰もが天使のままで生まれたのに、意識が芽生えてから強欲になり
物に執着するようになった。

仏教でいうところの「三毒」が思考に住み着いたことになります。
貪・瞋・痴(とんじんち)は、むさぼることで貪欲に際限なくあれこれ欲する心です。
妬みや、嫉妬から怒りが起こり、人を疑うことになり、争いが始まるのです。

子供が生まれて子供を罵(ののし)る親はいるのだろうか?
子供は光であり生きる希望です。貧しい国や戦時下の国で子供が多いのは
自分たちの夢を子供に託したいからです。

爆撃で壊された瓦礫の中を笑顔で走り回る子供たちを叱る大人はいない。
厳しい戦時下の中であどけない笑顔が唯一の救いになるからです。

誰もがマザーテレサになれないかもしれないが、マザーテレサの気持ちは
受け継ぐことが出来る。見返りのない愛、感謝を求めない愛、
尽くすだけの愛、奉仕の愛を、自分なりに真似することは出来る。
自分の欲求を少し抑えるだけで多くの人が助かる奉仕の気持ちを持ちましょう。
何もないところに愛が生まれるのは、人は元々慈愛の心を持っているからです。

マザーテレサは修道女として若い頃から献身的に働き、インドのベンガル地方に
派遣された際に、スラムの貧しい人々の現実を目の当たりにします。
そしてそれまで在籍していた修道会を退会してインドでの活動を本格的に始めます。
その後、マザーテレサは「神の愛の宣教者会」を創立し、修道院や診療所、
孤児院などを相次いで開設。貧しい人への奉仕に生涯を捧げました。
活動は世界中に広がり、1979年にはノーベル平和賞を受賞しています。

ラオスに新しい小学校の寄贈や古い壊れた小学校の修復をしている、
ボランティア団体があります。全員美しいモデルの女性たちです。
彼女たちは自分たちの栽培したモリンガやハーブティーを売り、
収益金を建築材料に充てているのです。その上小学校を寄贈するだけではなく、
先生としても参加しているのです。本当に頭が下がります。
私も数年前から少ないですが寄付金などで協力をさせていただいています。

禅語の「本来無一物」という語は、誰でも知っている禅の代表的な言葉である。
誰でも知っているけれど、ほんとうに分かっているかどうかはまったく別である。
普通には、「もともと何も無い」というように理解されやすいが、
しかしこの「本来」という語は、もともとという意味ではなく、「本質的に」とか、
「根源的に」ということである。また「無一物」は何も無いということではない。 

禅宗で言う「無」は大乗仏教の説く「真空」の中国版で、有と無の両方を
超えた次元を意味しているのである。したがって「本来無一物」もまた、
有も無もそこから出てくるような「根源」をいうのである。 

われわれの身体や心もまた、そういう「一切を超えた根源」から現れ出て
いるものであるから、それを「清浄なもの」だと考え、煩悩のような
「不浄なもの」を避けようとするのは、「小乗仏教的」な二元論に過ぎないのである。 

大乗仏教では、「清」も「濁」も、ともに根源の「空」の現われ方の違いであるとする。
だから清と濁、善と悪というように、分別してしまうのは、真実についての誤った
理解で、それを「迷い」というのである。

なるほど清らかな処に塵が溜るなら払わなければならないが、
何にもなければ塵も溜らないというのが、大乗仏教の尊い考え方である。 
清も濁も同じ「空」の現われであるから、両者は同じ価値である。
それを差別することが迷いである。「悟りは迷いの道に咲く花である」
という句は、それを言うのであろう。

小乗仏教と大乗仏教の違いとは
「小乗仏教」は自分が幸せにならないと他人を幸せにできない?
まず1つ目は、小乗仏教の場合は、出家した人は、まず瞑想などの自分の修行を
することを優先して、自分が悟りをひらくまでは他人を救おうとはしないからです。
出家していない人は、僧侶の集まりに布施をして、僧侶の修行をサポートします。
しかし自分も修行しない限り、救われるわけではありません。
出家して修行した人にしか救われず、出家した人は自分の幸せを優先する、
小さい乗り物のような教えなのです。

「大乗仏教」の教えに一貫する特徴は、「自利利他」(じりりた)です。
「自利利他」の「利」とは幸せになることですから、「自利利他」とは、
自分が幸せになるままが他人も幸せになるということです。
分かりやすいように、儲かるとか得するということでいえば、自分が儲かるままが、
同時に他人が儲かることになる。他人を儲けさせるままが自分の儲けになる、
ということです。

最近よく言われるような、
「自分がまず幸せにならなければ、他人を幸せにすることはできない」という
ことではありません。自分が幸せになると同時に他人も幸せになるのです。

常識に縛られることはありません。しかし知識を知らなければ判断基準が
分からなくなります。私は知識より感情を優先した為に多くの過ちを犯しました。
自分にとって親切だと思ってやった行為は、本当にその人の役に立ったのだろうか?
無理やりにした親切は相手のお礼の言葉が欲しかったのだろうか?疑問が少し残ります。

CBSSONYを退社して独立した時に自分は人を騙すことがないから、
他人も自分を騙すことは無いと思っていて大きな詐欺にあってしまった。
取引先の会社も社長も世間から注目されていたので高額の借り入れの保証人になった。
その為にしばらく騙されていることに気が付かなかった。
ある日突然銀行から返済通知が届き裁判沙汰になってしまい支払いが課せられた。
自社の従業員にも家族にも仲間にも迷惑をかけてしまった。

親しい友人が困っていても金銭にまつわる保証人にはなるべきではない。
しかしどうしても断れない場合は寄付をしたと思い返済は望まないことです。

感性重視で生きてきた私を「お人よし」と笑う友人がいます。
お人よしは経営者に向いていないことを高い授業料を払って学びました。

しかし、人を疑わず人を愛して良き音楽家に多数巡り会えたのも事実です。
これからも私のお人よしは変わらないと思います。

私の周りには自分のことはさておいて、他人の世話ばかりしている「お人よし」
が沢山います。今度「日本お人よし倶楽部」でも立ち上げようかと思っています。
大笑い!

私がこうして「恩学」のブログで伝えたいのは自分の体験を通じての助言です。
読者の皆様が読んでいただき少しでも参考の言葉となれば嬉しいです。

私の人生の悩みは「禅語」を知ることによって解消されました。
皆様もどうか機会を見つけて禅語を学んでください。
「騙されても騙さず」、共に愛されるべき人になりましょう。