アク(悪)を抜く




旬の野菜の牛蒡(ごぼう)や蕗(ふき)や筍(たけのこ)をお湯で煮て、
アクを取り出さなければ料理の素材としては適さない。

アクとは一般的に、食物の苦みや渋み、酸化・褐変の元となる成分のことをいいます。
アク抜きは、好ましくない味を取り除いたり、料理を色よく仕上げたりするために
必要な下処理です。

人間も同じように成長期の時点で心の中からアク(悪)を取り出さなければ、
社会に出て多くの人に迷惑をかけてしまいます。

お坊さんですら毎日経をあげて邪念を振り払いアクを取り出しているのです。
一般人の我々も努力してアクを取り除けるように努力しなければなりません。

若い時には未熟ゆえに心にアクが溜まっているのです。
これは特別のことでは無く当たり前のことなのです。
仏教でいう三毒(貪・瞋・痴)が心の中にあるからです。

貪(とん)とは、むさぼることで貪欲に際限なくあれこれ欲することです。
動物的欲求や物欲、あるいは金銭欲が強すぎることが、貪といわれます。

瞋(じん)とは、感情をぶちまけること、不快なものに対して激しく怒ったり、
妬んだり、恨んだりすることです。不快感をぶちまけ、周囲をより不快にさせる
ことです。

痴(ち)とは、無知であること、自己弁護に走ったり、常識知らずで、自己利益
しか考えないようなことです。ゆえに愚かであることを指します。

これらを取り除くために日々アク取りに精進しながら生きるのです。
毎日一言「ありがとう」を言うだけでアクが薄まっていきます。
感謝の気持ちが沸騰すれば自然とアクは抜け出していくのです。

そして何故祈る時に手を合わせるかと言うと、
仏教では、右手は仏の世界や清らかなものを、左手は命ある者や不浄なものを
表すとされています。 二つの世界をあわせ一緒にすることで仏と一体になり、
静寂を祈り、仏を敬い、成仏を願う気持ちを表現しています。

親が悪さをした我が子を手放さないのは、
手放すと他の人に迷惑がかかるから自分のそばに置くのです。
悪いからと叱るのは簡単です。突き放すのも簡単です。
しかし、子だけではなく親も懺悔しながら共に生きていかなければならないのです。

昔から親は子供に「悪いことをしてもバレないと思うなよ」
いつも「お天道さまが見ているからな!」と教えてきました。
親がしっかりと子供の目を見て躾することが大切なのです。

現代のようにマスコミも普通の人も(SNS等)で根拠無く批判を公に出します。
これはフェアで無くただの陰湿な「いじめ」です。
真実の追求をする前に一方的に加害者と被害者の構図を作り
加害者は悪だと決めつけます。

子供達のいじめと同じように「あいつが嫌い」だから、
みんなで虐めようとする行為と同じです。
これは絶対に正しくありません。卑怯な行為なのです。

しかし、全ての食材においてアクの成分を取り除く必要があるかというと、
そうではありません。アクはそれぞれの食品が持つ個性的な風味でもあります。
取り除くことで料理の見た目を良くし、澄んだ味わいを作ることができますが、
抜きすぎるとその独特の風味が損なわれる場合もあります。

先ずは間違いを犯したら原因を探してあげなければ問題解決にはなりません。
その上で怒るのではなく叱って正してやらなければ何も変わりません。

アクはその人間のもともと持っている個性なのです。
アクが強いからと全部取り除くと個性のない腑抜けの状態になります。
実際にそのような人が多くなったと思いませんか?

私はアクの強い人間だと言われることがあります。
自分でもそうだと思っています。笑い
そのアクの強さを個性として仕事をしているのです。

そして経済界の最もアクの強い経営者と言えば土光敏夫氏です。
「メザシの土光さん」が一躍、有名になったのは、1982(昭和57)年の
夏に放映された『NHK特集 85歳の執念 行革の顔 土光敏夫』と銘打った
テレビ番組だった。
行政改革を推進するための宣伝として企画されたものだが、土光さんの私生活の
見事なまでの「つましさ」に番組を見た人々は驚いた。

横浜市鶴見区の古びた小さな家に住んで、散髪は自宅で息子が行う。
つぎはぎだらけの帽子。戦前から使用しているクシ。使い古された歯磨き用コップ。
古いネクタイが農作業用のズボンのベルト代わりになっていた。
そして、妻と二人きりでメザシと麦飯の夕食。
この映像が「メザシの土光さん」のイメージを強烈に定着させた。

5000万円近い年収のうち、1カ月の生活費に使われるのは10万円程度でしかない。
収入のほとんどは、母親が創立した橘女学校(現・橘学苑中学・高校)という
女子のための私立の教育機関のためになげうたれた。
財界総理といわれた経団連会長まで務めた土光のあまりに清貧な生き方は、
国民に感動を与えた。

「どうしても東芝の社長を引き受けて欲しい」
土光さんが生涯の師と仰ぐ経団連会長で東京芝浦電気(現・東芝)会長の石坂泰三
から、東芝の再建を頼まれたのは1965(昭和40)年5月のことだった。
土光は「東芝に有能な人材が多いから再建できる」と判断し、
再建社長を引き受けた。この時、68歳。

社長に就任して初めての取締役会で役員たちを一喝した言葉は、
今では語り草になっている。

「社員諸君には、これまでの3倍働いてもらう。役員は10倍働け。私はそれ以上働く」
「会社で働くなら知恵を出せ。知恵のないものは汗を出せ。汗も出ないものは静かに
去って行け」当時全ての経営者たちがお手本にした言葉です。

私もこのような人のアクを少しでも身に着けられればと願っております。
現代のように効率経営も大切ですが、人が動いて「働く」という文字に
なるように、人間重視の環境が労働者にとって一番望むことだと思います。