何か行動を起こす時には必ず動機づけが必要になります。
人生における動機づけは「生きる」ということです。
人は衣・食・住が足りればそれで良いかということにはなりません。
「衣食足りて礼節を知る」着るものや食べるものが十分にあってこそ、
礼儀や節度をわきまえるようになる。という諺です。
物も気持ちも増やすことにばかり意識がいくと嘘が生まれて争いが起きます。
哲学や仏教は人間の限界を超えたところから正しい判断ができる様にする学問です。
物を増やすことより正しい心を増やすことを目的としています。
人間らしく生きるという事です。
それでは人間らしく生きるとは何かを考えましょう。
画家岡本太郎は著書「自分の中に毒を持て」でこう述べている。
自分に忠実に生きたいなんて考えるのは、むしろいけない。
そんな生き方は安易で、甘えがある。
本当に生きていくためには自分自身と闘わなければ駄目だ。
自分らしくある必要はない。
むしろ、人間らしく生きる道を考えてほしい。(第1章より)
「人間」ではなく「畜生」。自分らしくある必要はない。
むしろ「人間らしく」生きる道を考えてほしい。
岡本太郎さんの名言です。現在、内部も公開されている大阪万国博覧会(1970年)の
シンボル「太陽の塔」をデザインしたことで知られる芸術家です。
「芸術は爆発だ!」というTVCMのセリフで一世を風靡しました。
他にもさまざまな名言を残されています。
以前、本当の「自分」なんてものはなく、自分探しの無意味さに関して述べました。
では、「人間らしく」生きるとは一体どういうことでしょうか?
岡本太郎さんの真意はよく分からないのですが、ここでは仏教的に考えてみたいと
思います。
『涅槃経(ねはんぎょう)』という経典では、
「慚愧(ざんき)無き者には、名づけて人と為さず、名づけて畜生(ちくしょう)
と為す」と説かれています。
つまり、「慚愧(はじらいの心)が無いものは、人ではなく畜生(けだもの)である」
というのです。
傍若無人にふるまい、何の恥じらいも持たない。世の中にはそういう人が
たくさんいます。そういう人々を『涅槃経』では「人間」ではなく「畜生」と
呼んでいるのです。かなり厳しい言葉ですね。
「人間らしく」生きていますか
昔は「慚愧(ざんき)の念に堪えない」という言葉を頻繁に聞きましたが、
今ではほとんど使われなくなっています。会話の中で「お恥ずかしい」と言う人も
減っている気がします。日本の社会の中で「慚愧」をもって「人間らしく」生きる人が
減少していることの表れなのかもしれません。
他人の振る舞いを非難するのではなく、一度、自分自身の振る舞いを
検証してみてください。あなたは恥じらいを持って「人間らしく」生きていますか?
恥じらい(慚愧)をもって、「人間らしく」自分を見つめて生きていきたいものです。
(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)
仕事の動機づけで悩む。気持ちがついて行けなくてやる気が出ない。
ビジネス上の業務遂行で重要になるのが、社員のモチベーションです。
日本語で「やる気」とも言い換えられ、そのやる気を引き出す方法として
動機づけがあります。動機とはつまり、何かを取り組む理由を指しますが、
仕事にせよ勉強にせよ、人は簡単に動機を用意することはできません。
動機づけは、行動を起こし継続し続けるための心理的プロセスや、その機能について
指す心理学用語です。動機付けは、個人が目標や目的に向かって行動を起こし、
その状態を継続させるための燃料のようなものです。適切に理解して活用することで、
意欲を高めたり行動力を上げたりする効果が期待されます。
外発的動機づけとは、行動を促す要因が「報酬」「賞罰」「評価」といった
人為的な刺激によって起こるという考え方を指します。
たとえば、「上司から怒られないように能力を上げて成果を出す」や、
「昇進・昇給を目指して努力する」といった行動があり、即効性の強さが特徴です。
内発的動機づけとは、内面に湧き上がる興味や関心、意欲が行動の原動力に
なっているという考え方を指します。外部から与えられる金銭や名誉、叱責や
評価といった刺激に頼らず、心や思考といった内面に沸き起こった意思をベースに
行動を起こす動機付けになります。
一般的に内発的動機づけには、「責任感」「充実感」「達成感」「自尊心」など、
感情に紐づいた要素が関与しており、個人の思考や性格によってその要素は
変わってきます。具体的には、「仕事が楽しすぎて時間を忘れて没頭した」や
「自分自身との約束を守るために目標を達成したい」といった行動があります。
私の友人のロックシンガー伊丹谷良介の動機づけは何処から来るのだろうか?
2024年1月から「うた」というテーマで毎月ライブを開催することになった。
1月に取り上げたテーマは「ブッダ」、2月は「生命」どちらもロックシンガーの
ライブでは絶対に取り扱わないテーマだ。今後のテーマもおおいに気になるところだ。
これからも伊丹谷良介から目が離せない。
岡本太郎がパリのカフェで友人バタイユと語り合った言葉。
「体制に挑む決意をした者同士が結集しなければならない。力を合わせて、
世界を変えるのだ。われわれは癌のように痛みを与えずに社会に侵入し、
それをひっくりかえす。無痛の革命だ」
吠えろ!伊丹谷良介!都会の闇に向かって吠え続けてくれ!
1月 26th,2024
恩学 |
動機づけ はコメントを受け付けていません
1980年代大物アーティストを撮るには誰がよいか考えるとこの人に行き当たった。
篠山紀信である。私は矢沢永吉の名古屋でのコンサートの時に紹介された。
雑誌社からの依頼で撮影に来たのだと言っていた。
その日はコンサートの写真ではなく人間矢沢永吉を撮りに来たのである。
会場入り、楽屋でのやり取り、スタッフミーティングなどつぶさに撮り続けていた。
そして本番まじかの緊張の空気が漂う楽屋で矢沢がスタッフを全員表にだした。
そこから矢沢永吉と篠山紀信とのセッションが始まった。
私は矢沢と会話をしながら普段通りの流れを作り、矢沢は段取りを確認しながら
徐々に衣装に着替えて鏡台の前に座った。
カメラのシャッター音まで張り詰めた空気を更に追い立てるようであった。
ドアの外からマネージャーが「10分前です」と言った時に少し緊張が和らいだ。
しかし、驚いたのはその時点から矢沢はスーパースター矢沢永吉に変身した。
篠山紀信は楽屋から廊下に出てステージまでの通路を歩く矢沢の姿を撮り続けた。
会場の声援とバンドの演奏が交じり合って「矢沢コール」が最高潮に達した。
ステージに飛び出す前にこちらを見て少し笑ったが、もう我々の手の届かない
スーパースターになっていた。
またある時に篠山紀信に頼んで雑誌に使う写真を依頼したことがある。
それはハーレーダビットソンに跨った矢沢永吉とCBSSONYのニューミュージック班
一押しの下田逸郎と金子マリが一緒に写っている写真であった。
しかしこの写真は世の中に出ることは無かった。関係者からクレームが出たのである。
それなのに不思議なことに私の手元に門外不出のネガがある。
写真家の写真が世の中に出ているのはほんの一部であって大半はボツになる。
何十本もフィルムを使い採用されるのはわずか1~2枚である。
どちらにしても大物スターを撮影するのは大変な仕事である。
限られた短い時間内にすべて取り終えなければならない。
一流の写真家はその被写体の人間性と時代を写すことが仕事である。
彼らはいつも時代の目撃者なのである。
篠山紀信のインタビューより
なぜ写真家になったかって? 話すと3日くらいかかりますよ。
別に写真少年でもないし、学校の写真部にいたわけでもない。
普通に受験勉強して普通の大学に入ろうと思っていたんです。
高度成長期だから人並みにいい大学、いい会社に就職して定年までいるのが
いい人生だと思っていた。
だけど第1志望に落っこちて目が覚めた。このまま浪人して勉強しても
面白くないな、と。ちょうど日本大学の写真学科の新聞広告が目について、
直感的にひらめいたんですよ。写真を仕事にしようと。
実家は柏木にある古いお寺なんだけど、次男坊だから何やってもよかった。
ちょうど日本の写真業界全体が元気で、写真専門誌も十数誌あったんですよ
日大は立派な大学でね、写真を教えない。第2外国語はドイツ語を取れとか、
哲学をやれとか。一番頭にきたのが体育の時間で、跳び箱を跳べという。
突き指したらどの指でシャッターを押すんだ、この野郎!と思った。
やるなら徹底してやろうと、大学と並行して写真の専門学校に通った。
そして専門学校の卒業を機に、広告制作会社のライトパブリシティに入りました。
「僕、まだ大学に行っているんですよ」と会社に言っても、「いいからいいから」って
いわれた。一応、大学も卒業しましたけどね。
僕が「撮らせてください」と頼むわけじゃなくて、僕ならその人たちを面白く、
強く表現してくれると期待するメディアからの要請ありきで撮っているわけです。
でも雑誌の編集者は、時代が生んだ突出した人を選び、表紙やグラビアにするわけ
でしょ。だから結局、僕は時代を撮っていることになる。
60年近くやっていると、「何でそんなに長く続けられるんですか」
「次のテーマは?」などとよく聞かれる。そんなこと、時代に聞いてくれ、と思うよ。
時代が生んだ面白いヒト、コト、モノ。それらに果敢に寄っていって、一番いい
タイミングで、一番いい角度から撮る。それを積み重ねていくと、写真が時代の
映し鏡になっていくわけだよね。
1973年ファンキーモンキーベイビー発表前に発売されたキャロルの楽譜つき
バイオグラフィー & 写真集 ( 全約100ページ ) の掲載写真は、全編にわたり
今年1月4日に亡くなった ( 篠山紀信 ) 氏の撮影によるものでした。
キャロルとの関係も深かった。
篠山 紀信(しのやま・きしん)
1940年12月3日、東京都新宿区生まれ。日大芸術学部写真学科卒。
68年からフリー。
三島由紀夫、山口百恵、宮沢りえ、キャロル、ら時代を象徴する人物を撮り続けた
写真界の第一人者。ヌードから都市まで幅広いテーマに取り組み、写真表現の可能性を
追求していた日本を代表する写真家。
篠山 紀信(本名・紀信=みちのぶ )
1月4日早朝、老衰のため都内の病院で死去。83歳。
私もいつか音楽プロデューサーとして幕を閉じることになるのだが、
メディアが取り上げることは絶対無い。何故なら終始一貫裏方に徹したからである。
音楽プロデューサーとして目立ったことは確かであるがそれ以上を望まなかった。
現場人間として最後まで仕事をしたかったからである。
多くの成功者の裏には人に言えない過去のトラウマがある。
それが一流の写真家の前では暴露されてしまう。
私は何度もその現場に立ち会ってきた。
その貴重なチャンスを得たのはプロデューサー冥利に尽きると思っている。
そういえば篠山紀信の奥様の南沙織の宣伝を手伝ったことがある。
心よりご冥福をお祈りします。
1月 25th,2024
恩学 |
写真家篠山紀信 はコメントを受け付けていません
水の上辺だけを見ている人生。
下の流れが早い方が上の流れはゆっくりとなり澄んで見える。
悲しみを隠しながら生きている人は笑顔が素敵なのと同じ。
そして下の流れの中で生命が育まれて形が変わっていく。
表面だけ見ても真実は分からないのです。
初夏、川岸にウグイの子どもたちがたくさん泳いでいます。
翌春、サクラが散る頃にアユの子どもたちが群れをなして川を上ってきます。
北国ではフキノトウが頭をもたげる早春、川岸にサケの子どもたちが群れています。
親がいなくても卵はちゃんと育っているのです。
いったい誰が、卵を育てたのでしょうか?
水は高い方から低い方へ地表を流れたり、地中に染み込んだりしながら、
川となって流れています。川底の石と石の間の隙間を、水が通り抜けていきます。
地表から地中に浸透した水は地下の地層を通り抜けて、川底の石の間からも
湧き出してきます。
卵は川底の石の間の水が通り抜ける場所に産み落とされていたのです。
卵は常にきれいな水にさらされながら、常に水が入れ替わる川底の石の間で、
酸素をもらいながらすくすくと育っていたのです。
親はこうした場所であれば、卵が育つことを知っているというわけです。
親は卵を産みっぱなしにしたのではなく、我が子の命を川に託していたのです。
親がいなくても卵が育つ、この仕組みこそが、川に備わった「生命を育む川のしくみ」
なのです。
川に泥水が流れることは、魚たちにはとても深刻なことなのです。
「雨が降れば川が濁るのは当たり前」
「泥水の泥は自然のものだから問題ない」
本当でしょうか…?疑問を持ってください。
もしも、そうであれば、魚はとっくの昔にいなくなっていたでしょう。
現代にもまだ少なからず魚がいるということは、裏を返せば、
川は雨が降っても濁らなかったということです。
昨今の泥水が流れる川は異常な状態なのです。
全道で、日本中で、生命を育む川の仕組みが失われているのです。
我々はもっと川の生態系に関心を持つべきです。
「杓底一残水 汲流千億人」(杓底の一残水、流れを汲む千億人)
永平寺をお開きになった道元禅師は日頃から仏前にお供えする水を、
門前を流れる川から柄杓で水を汲みに行っておりました。
その際、必要な分の水を使ったら、使わなかった残りの水を元の川に戻していた
と言われております。川には水が豊富にあり無くなる心配は無いわけです。
しかし、どんなに水が豊かにあったとしても一滴の水も粗末に扱わない、
その一滴を川に戻せば下流で水を使う人、またその先の子孫の為になるわけです。
今私たちが生活する周りにはたくさんのもので溢れています。
水も電気も紙も使いたいときに使えます。しかし、今は好きなだけ使えていても、
地球の資源には限りがあります。無くなる時がやってくるかもしれません。
我々は自然と共に生きている、生かされているわけであります。
この世に存在するものは、すべて支え合い、助け合って生かされているということを
忘れてはいけないのです。このように考えるとき、我々は資源を初めとする
一つ一つのものを大切にしなくてはならないのです。そして自分以外の他者も同様です。他者を思いやる心、これも現代の私たちに必要なことではないでしょうか?
「杓底一残水 汲流千億人」とは、自分のことだけ考えるのでは無く
他者を思いやる心も大切にしましょう、というメッセージであります。
「東山水上行」
東山(とうざん)水上行(すいじょうこう)が漢詩風で禅味がありますが、
東の山が水の上を行く、ですと趣きには欠けますが、分かりやすさは
一番あるかと思います。
我々の日常世界では山と川は別々の存在で、山が川を上ることはあり得ませんが、
地球規模の歴史としてみれば、山も川もあるとき誕生したものであり、
また山も川も地続きであり、山も川も長い年月のなかで刻々と姿を変えています。
時に土砂崩れ、鉄砲水、噴火などの転変地位によって、低かった場所が高くなったり、
あったはずの丘が崩れ去ってしまったりします。
大地震等を振り返りつつ防災意識を高める言葉として、また登山や川遊びなどの
自然環境で余暇を過ごす際の警句として、用いてもよいかと思います。
最後に私の好きな言葉「水は方円の器に従う」です。
水は、容器の形が四角ければ四角になり、円ならば円になる。
人は、交友関係や環境次第で善にも悪にも感化されるというたとえ。
私の人生もその時々自分を見失いよう形を変えて流れに身を任せて生きてきました。
たくさんの仕事に付けたのも、たくさんの人と交友を持てたのも、
運命という川に逆らわなかったからです。
皆様も水のごとく柔軟な心でお過ごしください。
1月 24th,2024
恩学 |
水の世界・水の生き方 はコメントを受け付けていません
物事を表面だけ捉えて知ったつもりでいませんか?
あなたの情報の元はどこから手に入れた物ですか?
TVやSNSから入手した情報は第三次情報といって価値のないゴミです。
それでは第二次情報はどのような物だというと専門分野のサイトから入手した
ものを言います。直接、政府、大学、医療機関、などから問題の現状を
知ることができます。しかし、それが全て正しいとは限りません。
大切なのは第一次情報です専門家同士がいち早く述べている真実を知ることです。
日本だけではなく海外のサイトにもアクセスして自分なりに追求していくのです。
そこに溢れる情報から自分なりの理解で真実を知ることが大切です。
決してフェイクニュースの共犯者や拡散者にはならないでください。
例えば情報収集の例として「桜の花」で説明をするとこうなります。
桜を見るには開花宣言も気になりますが、桜の咲き具合も気になるところです。
そして当日のお天気にも大変関心が集まります。
日本人ほど桜を愛でる国民はいません。そしてこよなく花見を愛することも有名です。
これは第三次情報です。自分たちの身に害を与えない情報です。
桜の花を見ただけだと第三次情報です。しかし目的とこだわりを持って遠くまで
出掛けて本格的に花見を楽しんでいる人は第二次情報を手に入れたことになります。
咲いている場所の歴史や手入れを加えている地元の人の拘りなど聞くことにより、
他の人へ少し専門的な紹介が出来ます。
私のいう第一次情報とは花見の前に花見の由来から桜の原種から適した土壌まで
調べます。その上でさくら・花見とくれば「俳句」の世界まで調べ尽くします。
もちろん、天候や花見に適した食べ物も気になりますので調べます。
ここで「真実の見方」が完結するのです。
こんなの面倒だからあれこれ言わずに花見でお酒が飲めればいいやという人は、
政治、経済も、医療も、戦争も、環境問題も第三次情報で済ませてしまうのです。
せめて自分の関心あることは第一次情報まで辿りついて見てください。
ChatGPTやGoogleバードや昔からあるWikipediaで検索しても構いません。
しかし大切なことは何を調べるかイシュウ(課題・問題)が無いと分かりませんよね。
それは普段から調べる手順を覚えておけば済むことです。
私はPREPという手順で調べます。これは短時間で相手に説明をするときに重要です。
Point結論・Reason理由・Example具体例・Point結論です。
例えば気になる文言から始めて情報を収集して整理をして結論にたどり着く方式です。
あの美しい桜を攻撃するのは冬の名残のある冷たい春の雨です。
俳句の季語で「花冷え」と言われる寒さがあります。
「花疲れ 眠れる人に 凭(もた)り眠る」 高浜虚子
桜は開花から散るまでの期間がわずか2週間ほど。そのため、咲きはじめの頃や
散り際はもちろん、今がまさに満開という時も、美しさのなかに儚さを秘めています。
春の季語には、「春愁(しゅんしゅう)」「春かなし」という言葉もあり、
明るい陽射しや咲く花の華やかさのなかに、人々はそこはかとない寂しさを感じ
とってきたことが伺えます。「花疲れ」は「春愁」にも似て、桜は人の心を美で
満たすだけではなく、もの思いに誘って心をかき乱す花でもあるのですね。
「さまざまの 事おもひ出す 桜かな」 松尾芭蕉
「花」は「桜」を指す季語ですが、同時に、栄華、美しさ、明るさ、儚さ、愁い、
気怠さ、非日常といった意味合いも含まれています。嵯峨天皇も、咲き誇る桜の花に
湧き上がるさまざまな思いを重ねたのでしょうか。
はるか古より人々の心を捉えてきた桜。「花便り」「初花」「若桜」「朝桜」
「夕桜」「夜桜」「花影」「花の雲」「落花」「花吹雪」「花衣」など、
季語も豊富で、桜の季節は俳句をはじめるのにうってつけです。
思いを言葉にのせて、春の風物詩を味わってみるのも一興ではないでしょうか。
如何でしょうか?桜一つでもこれだけの情報があるのです。
何故「真実を知る」を投稿したかというと、私は昨年CPAC JAPANの
カンファレンスに参加して強く思うところがありました。
米国共和党のスタッフ、日本の国会議員、各分野の専門家などが多数参加した
国際会議です。海外からビデオ参加者もいました。
内容は「大統領選挙」「ワクチンの害を開発者が語る真実」、「世界を覆う医療の闇」
「家族の価値とジェンダー論の影響」、そして「有事の時代の日本人の生き方」
「世界大戦イスラエルVsハマス」などです。
その場から驚く真実が発表されました。それぞれの専門家が世界から参加して
真実を語ってくれたのです。セミナーは7時間に渡る会合でしたが、
少しも長く感じませんでした。
来年はアメリカで開催される予定です。私も余裕があれば参加したいと思います。
皆様、真実の追求に努めてください。必ず真実の見方が備わります。
第一情報から得る知識こそが未来を変えてくれるのです。
今年は特に戦争の拡大や災害の被害や景気の動向で大騒ぎになる年です。
絶対にTVやSNSの情報を鵜呑みにして惑わされないでください。
1月 23rd,2024
恩学 |
真実の見方 はコメントを受け付けていません
フランスの高校生が学ぶ哲学の教科書。
「哲学者はどうやって自分の死に備えているのでしょう」
モンテーニュより前にプラトンが「哲学とは死に方を学ぶことだ」と言っている。
死はプラトンにとって、永遠の真理を再発見する機会だった。私たちは生まれる前、
その真理に浸っていたはずなのだ。
「死に備える」とは、「肉体の死」、あらゆる本質的ではないものを終わらせ、
永遠という視点からものを眺める天上の精神のみにて生きる存在、
すなわち賢者になることである。
東洋の思想においても、死を先取りし、死後の世界をあらかじめ生きることを
説くものがある。死は、私たちが執着する人や、場所や物から私たちを引き離す。
ならば、今から執着を捨てておこうというわけだ。そうすれば、いつ死が来ても
準備はできている。もう失うものはない。
ガネシャという神様〔訳注:ヒンズー教の象の顔をした神様〕は多くの場合、
片手に小さな斧をもち、もう片方の手に縄をもつ。
斧は命とのつながりを断つためのもの、縄は人を精神世界に引っ張り上げるための
ものといわれる。
そこで疑問がわく。瀕死の状態でもないのに、死に備えることはできるのだろうか。
人生を諦め、心躍ることに背を向けるしか、死に備える方法はないのだろうか。
備えるという言葉は正しくない
実際、正反対の生き方にも心惹かれるものがある。
東洋の教えのように執着を捨て無に至るのではなく、あらゆる可能性を試してみて、
できる限り多くのことを見たり、体験したりしたうえで、心置きなく死を迎える。
「もうやることはやりつくした」「いつ死んでもよい」という境地を目指す。
だが、当然のことながら、すべての可能性を生きることなど不可能なのだ。
死がどんなものなのかはわからない。経験がないからだ。
当然、死に備えることは難しい。老いや病というかたちで予兆を感じることはある。
喪失感や後悔など、誰かの死をきっかけに学ぶこともある。
だが、死を経験することはない。死を思い浮かべることすら難しい。
つまり、備えるという言葉は正しくない。
だからといって、死への疑問を封印することはない。人生に悔いのある者、
落伍者を自認する者ほど、死への恐怖は強い。
充実した人生を送った者は、より穏やかな気持ちで死を覚悟する。
もちろん、いつ死んでもいいというわけではないだろうし、誰だって死は怖い。
だが、それでもなすべきことをしたと思えれば死への恐怖は弱まる。
たぶん、それが死を考えるヒントであり、生きるためのヒントでもあるのだ。
「権力を振りかざす人に共通する特徴」
「どうして人間はこうまで他人に対して権力をふりかざしたがるのでしょう」
どちらかというと、哲学というより精神分析のほうに話が及びそうな面白い質問だね。
さて、この質問に答えると、政治権力に対する哲学の限界を示すことにもなるのだが、
まずはプラトンの第七書簡から始めよう。
このなかで彼は有名な「哲人王」について論じている。
どうして一部の人間はあれほどまでに権力に執着するのかということは
説明されていないが、権力を効果的に行使する条件については書かれている。
プラトンの視点を借りて、質問に答えるとしよう。
この手紙で、プラトンは、政治的な野望を抱いていた自身の青年時代について語り、
自分の考えを示している。彼は、他人を「統治」する前に、自分を「管理」することが
大事だと考えた。つまり、君主にふさわしい人間になるには、まず感情を抑制できる
賢人であり、哲学者である必要がある。さらに、プラトンは、権力の座についてから
哲学を学ぶことも可能だと付け加えている。
「彼らは賢人ではない」
プラトンの主張に戻ろう。権力の座を目指す前に、まず自分を「統治」する
賢人になるべきだと彼は言う。だが、これを反転させてみよう。
賢人となり、知ること、知識を得て成長することに純粋な喜びを覚えるようになったら、
もはや権力が欲しいとは思わなくなるのではないだろうか。
もし、権力欲が残っているとしたら、内省や知性だけでは満足できないということ、
まだ欲があるということ、つまり「賢人」の域に達していないということに
なるのではないか。
一部の人間、特に政治家と呼ばれる人たちは、なぜそこまで他人を支配したがり、
権力に執着するのか、それは彼らが賢人ではないからだ。
彼らが自分自身を「統治」しきれていないからだ。
権力欲の強い人とは、青年期に、自分をコントロールする自信をもてなかったことに
由来するのかもしれない。だから、他人を支配しようとする。
自分を抑えることができないので、他人を抑圧しようとする。
それが彼らのストレス解消になっているのだ。
だが、この手の鬱憤うっぷん晴らしは、多くの場合たいして役には立たず、
支配欲はかえって増大していく。
もちろん、自制心と統治能力を併せもつ政治家も存在はするだろう
(ドゴールやチャーチルあたりはその例と言えるかもしれない)。
ただその場合、彼らが権力のなかに見いだしたのは他人を支配する力ではなく、
現実や歴史を変えていく力だったのだ。
(シャルル・ペパン『フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書』より)
フランスではこのように高校生から哲学を教育している。
私も若い人たちの討論会で最初に上がった質問が「死について」であった。
私は仏教的な観点から回答しました。
仏教では四諦(したい)の中の「生・老・病・死」で説明がつきます。
大切なことは満足した生き方が出来たかです。
満足した人生を生きたのなら「死」は恐れるものではありません。
恐れるどころかむしろ歓迎すべきなのです。
そのほかにも、「権力を振りかざす人に共通する特徴」「彼らは賢人ではない」
などの条文も分かりやすく解説しています。
哲学や仏教は人生という道を歩きやすいようにする手引書です。
困った時にはページを開くことをお勧めします。
1月 22nd,2024
恩学 |
死に方を学ぶ はコメントを受け付けていません
教育は教えることでは無い、教えるから記憶に頼り、善悪の見境がなくなる。
学ぶは真似ると知りながら教師は教科書を棒読みして暗記させる。
今や小学校から受験のための教育が中心になっている。
学ぶ楽しみを奪って大学までひっぱり上げて卒業と同時に手を放す。
社会という上空で学生グライダーは飛び続けるのである。
それは企業でも同じで時代遅れの社内規定に則りすべての業務が進められる。
そこに口を挟めば会社を辞めろと言われてしまう。
だから最低の社畜にならざる得ない状況に陥る。
仕事の楽しさを知らない労働者が街にあふれている。
学校には学校の規定があり生徒手帳に「正しい学生の在り方」が記載されている。
高校によっては服装、髪型、スカートの長さ、持ち物の色まで細かく記載されている。
自由経済のグローバルを推奨して自立を促す社会の規範から大幅に外れている。
力のない若者たちを飼育して、親たちが喜ぶ真面目で社会に反抗しない
既成化された人間に仕上げる。
江戸時代の教育の基本は「読み書き算盤」である。
これで社会生活は十分出来るようになる。
武士の子は剣道を学び、それ以外に論語や六韜三略、大学、中庸などの書を
素読して体の中に社会のリーダーとしての心得を学ぶ。
新しいことばかりを教えるのではなく「温故知新」(古きを温めて新しきを知る)
過去の教えから国のあり方を学び新しい時代を作る。
そして文化を守らない国は国ではないことを知る。
中学生の時に水泳部へ入った。新入部の人間は毎日ランニングと兎跳びを強制された。
水泳部に入ったのにいつまでもプールに入れず馬鹿らしくなってすぐに退部した。
運動部の指導は殆どがイジメに近い肉体的苦痛と精神的苦痛を伴う。
その悪しきルールが先輩から後輩へ受け継がれて部の伝統になる。
スマイルアップ(旧ジャニーズ事務所)、宝塚歌劇団、吉本新喜劇、芸人やタレントは
徒弟制度で成り立っている。上に立つ人間が既得権者になり権利を独り占めにする為に
常軌を逸した自分勝手な行動を繰り返す。
どのような場面でも異論反論をストレートに言えないところに思考は成り立たない。
思考のキッカケは疑問をぶつけるところから始まらなければならない。
間違っても下にいるものが声を上げられない状況を上が作るべきではない。
ここでいつも「何故」が生まれる。
何故怒らないか?何故投げ出さないのか?何故我慢する必要があるのか?
我慢することが世の中に順応するということなれば、
順応など無視をすれば良いのである。
生きることに臆病にならなくても良い、今ある環境に人間環境に不満があれば
手放す勇気を時には持たなければならない。
我々は本能の赴くままの動物である。偽りの論理で行動は制御できない。
これは生き残るための戦いである。プライドをかけた戦いなのである。
女性なら嫌いな上司にお茶をかけてやれ。男性なら嫌いな上司に足を引っ掛けて
倒せば良い。やられたらやり返すことを知らせれば良いのである。
臆病な奴ほど権力を振りかざして大声を上げる。
こちらも大声で返すと犬の喧嘩になるので静かに笑えば良い。
明日転職サイトを眺めることがあったとしても恐れることない。
世の中は広いどこでも働ける。日本人は優秀だからどの国でも雇ってくれる。
しかし一番恐れることは言いなりになっても、
給料がもらえるならそれでも良いとする日和見主義的な考えを持つことである。
逆風帳帆(ぎゃくふうちょうはん)
向かい風が吹いて前に進めなくても、あえて船の帆(ほ)を張って行きましょう。
「人生の逆風(困難)にも帆を張れ(立ち向かえ)」という禅語です。
これを見ますと、禅宗とはなんとも厳しい教えだなあ、とつくづく思います。
帆船は、風をつかみ、帆をたくみにあやつることで、
逆風でも少しずつ前に進むことができるのです。
しかし、技術はともかく大切なのは、逆風が吹いても帆をたたまないこと
なのかもしれませんね。
我逢人(がほうじん)
私は人と出会った。
鎌倉時代、比叡山などで修行をした道元禅師は、本当の仏教を求めて中国に渡りました。そこで如浄(にょじょう)という名僧に出会います。如浄禅師は宗派にこだわらず、
異国から来た道元禅師に対しても分けへだてなく指導しました。
後年、如浄禅師との出会いについて道元禅師は次のように回想しています。
「いま、目の前に師となる人物が現れた。大切なのは、経典や知識を学ぶ以上に
人と出会うということだ。」
何も感じず何も疑惑がなければそれで良い。他人をとやかくゆう筋合いのものでもない。我慢できるのであればそれでも良いし、気に食わなければ飛びかかって殴れば良い。
私は誇りに生きて誇りに死んで行こうと思うので何も動じない。
人は守るもの(家庭・財産・名誉)が多ければ臆病になり、
何も守るものが無ければ動じない。だから革命家は何も持たない道を選ぶ。
流された人生を選んだとしても、それでも理不尽に対して怒らなければ
世間に申し訳ない。それ以上に与えられた使命に逆らうことになる。
生まれてきた理由が何かを知るために戦うしかない。
「不動心」何事にも動じない精神、何事にも動じない心を養いましょう。
思考のきっかけは疑問を持つことから始まります。
けっして流されない人生を歩みましょう。
そして動かない心を身に付けましょう。
1月 22nd,2024
恩学 |
思考のキッカケ はコメントを受け付けていません
「恩学」で伝えたいことが違った意味で伝わることがあります。
これは人それぞれの経験と認識で独自の判断をするからです。
人は読んだものを自分の知識で読んでいるということです。
文字を見て独自の解釈をしてしまうのです。
そして学んだ文言を自分なりの解釈を加えて混乱することもあります。
日常我々が記憶している言葉にも誤解していることがあります。
「情けは人の為ならず」
「情けは人のためならず」とは、よく耳にする諺でありますが、
よく意味を勘違いしている人が多い諺としても知られています。
「情けをかけることは、結局その人のためにならないので、すべきではない」という
解釈と「情けは人のためではなく、いずれ巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、
誰にでも親切にせよ」という全く正反対の2つの解釈が成り立つというのです。
人に情けをかけるのに「子孫のためと思ってしなさい」というのは、
すぐに「見返りを求めてはいけない」という白隠禅師の思いが込められて
いるのではないでしょうか。
情けをかけることを仏教の用語に置き換えるとするならば、
「布施(ふせ)」という言葉が適当ではないかと思います。
「布施」というとお坊さんへの御礼のことだと思われるかもしれませんが、
大乗仏教の修行徳目の1つで「施し与える」ことを表わしています。
この布施で最も優れているのは「三輪空寂(さんりんくうじゃく)」といって、
施す者も、施しを受ける者も、施される物に対しても、
何の執着もないのが理想だとされています。
「見返りを求める心」が少しでも残っていると「恩を仇で返された」とか
「恩知らず」などと「恩着せがましい心」を生じかねないからです。
「施し」は上から目線で与えるという意味で、「寄付」は貰っていただくという意味です。
マザーテレサは大金持ちが大金を施すのと、
貧しい家庭の子が自分のパンの半分を差し出す寄付の行為では、
寄付の行為こそ価値があると言っています。
白隠禅師が22歳の頃、伊予松山の正宗寺において逸禅和尚の下で修行していた
時の出来事です。
ある日、松山藩の家臣から正宗寺に優秀な修行僧がいるということで、
白隠も含めて5人の修行僧がお斎に招かれました。
互いに挨拶をすませると、主人は数十本の掛け軸を出してみせました。
その中に錦の袋に包まれ、二重箱に入った一軸が皆なの目にとまります。
恐る恐る開けて拝見すると、あまり見栄えのしない軸でありました。
白隠はがっかりしながらも、よくよく見てみると、それは高名な禅僧、
大愚宗築(たいぐそうちく)によって書かれたものでありました。
あまり上手な筆跡ではなく、文句もありきたりであるにもかかわらず、
このように尊重されるのは、すべて大愚和尚の人徳であり、人間性である。
それが優れているからこそ、このように大切に秘蔵されてきたのであろう。
人が尊ぶものは大愚和尚の徳そのものであって、決して筆跡の良し悪しや
理屈ではないと白隠はその時に悟り、一層修行に努めたといわれています。
世の中には偉人や成功者はたくさんいます。
しかし、本当にその実績があったかは知る由もありません。
噂だけで立派だと聞いても何も伝わりません。
世界的な有名なブランド品はそれなりの歴史と信頼があって評価されています。
エルメスもルイヴィトンもシャネルも名前だけで伝わるものがあります。
しかし本物かコピーかを見分ける術を知らなければただの高い商品です。
文章にしても言葉にしても伝える側と受け取り側が正しい理解が必要です。
海外に行けばなおさらです。その国の言葉の「持つ意味」が違うのです。
正しい知識は正しい伝え方で行わなければなりません。
伝えるための「説得の三要素」とは、古代ギリシャの哲学者である
アリストテレスが提唱した人を説得する為の3つの要素のことです。
彼は、「人が説得されるためには、ロゴス・パトス・エトスの3つの要素が
揃っていなければならない」、と唱えました。
ロゴス(LOGOS)とは論理的アピール、パトス(PATHOS)とは、情緒的アピール、
エトス(ETHOS)とは倫理的アピールのことです。
簡単に言うと、上記のような3つの要素を持っていると人を説得しやすいということです。
みなさんも経験があると思いますが、「人として非常に信頼できる人」と
「なんとなく信頼できない人」が、まったく同じ内容のことを話していた場合、
前者の方により耳を傾けたくなってしまいますよね。
人柄による信頼は、「人間的な魅力」が源泉です。
様々な要素がありますが、共通点もあります。
例えば、このような特徴を持っている人は信頼される傾向にあります。
① 相手の意見や価値観を否定せず、受容力がある
➁ ミスをしても他責せず、謝罪できる
③ 損得に関わらず、他人のために行動できる
④ 口先だけでなく、きちんと約束を守る
⑤ 勇気と責任感がある
説得力とは、「相手を納得させる力」や「相手の心を動かす力」「行動につなげる力」
と言い換えることもできます。
説得力がある人には、大きく2つの特徴があります。
① 「話の中身そのもの」に説得力がある
➁ 「話し手の振る舞いや、醸し出す雰囲気」に説得力がある
この2つがきちんとおさえられていると説得力はぐんと増します。
説得力のある話は、論理展開が明確です。
ある主張をするためには、必ず「なぜそう言えるのか」という根拠も
セットで必要となります。
根拠は、推測ではなく「事実に基づいたもの」であることがポイントです。
そして、事実は多角的な視点でみなければなりません。
ある特定の偏った事実を取り上げただけでは、信ぴょう性が低くなるためです。
「説得力」については多くのビジネス書に書かれています。
私が大切にしているのは「理解力」です。
① 話す相手のことをどれほど理解しているか?
➁ 話す相手の言葉をどれほど信じているか?が重要です。
その為には知識と経験がなければ理解も出来ません。
多くの書物を読み、多くの登壇者の発言に耳を傾け、のちに書きおこし、声に出します。
自分が理解できていなければ他人に伝えると誤解が生まれます。
伝える前に受け取り側の状況を把握して話をするとスムーズに伝えることが出来ます。
You tubeの中には多くの討論会や対談のプログラムがあります。
それを見て「理解力」を深めることも可能です。
おすすめは「TED Talks」です。世界中のリーダーが登壇しています。
伝える説得力、伝わる理解力が二つ合わさり、自分なりの納得が生まれます。
私の文章は正しく理解されているのでしょうか?
1月 21st,2024
恩学 |
伝えると伝わる はコメントを受け付けていません
多くの人は記憶した時にそれが正しいと記憶してしまいます。
しかし正しく覚えないと人前で恥ずかしい思いをしてしまいます。
我々は熱く議論を戦わすことを「侃侃諤諤」(かんかんがくがく)と使うのですが、
多くの方は「喧々諤々」(けんけんがくがく)と間違って使われるのです。
放送局のアナウンサーもよく間違えるので下のような手引書が出ているということです。
「喧喧囂囂(けんけんごうごう)」の「喧」と「囂」には、ともに「かまびすしい」
「やかましい」「さわがしい」という意味があります。この文字を重ねた
[ケンケンゴーゴー]は、「口やかましく騒ぎたてるさま」
「たくさんの人がやかましくしゃべる様子」を表すことばです。
一方、「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」の「侃」には「性格などが強いさま、
のびのびとしてひるまないさま」、「諤」には「正しいことを遠慮せずにいう。
ごつごつと直言する」(『学研 漢字源』)という意味があります。
この文字を使った[カンカンガクガク]は、「正論を吐いて屈しないさま」
「みんなが率直に意見を述べて議論している様子」を表すことばです。
ご指摘の[ケンケンガクガク]という言い方は、いずれも4文字で構成され、
語形と語感や響きも似ている「喧喧囂囂(けんけんごうごう)」と
「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」という語が混同して用いられた混交表現です。
国内の主な新聞社や通信社では、「用語ハンドブック」や「用字用語集」の中の
「誤りやすい用字用語・慣用語句」の1つに「けんけんがくがく」をあげています。
放送にあたっては
① [ケンケンガクガク]という言い方は混交表現であり正しい使い方とは言えないこと。
② 「喧喧囂囂[ケンケンゴーゴー]」と「侃侃諤諤[カンカンガクガク]」は、
それぞれ意味が違うことを留意しておく必要があります。
「間違いに気づく」とは何でしょう?
世の中の理屈理論と合わないことでしょうか?世間にある体裁とのズレでしょうか?
自分の信念に背く事でしょうか? 誤認識は人それぞれがあると思います。
ただ一つ確かに言えることは、自分が間違えた!と気付いた時、すぐ反省できる
方は素晴らしい方だということです。 昨今の世の流れでは、間違えるという事に
特に厳しくなっているように見えます。
私も若い時に会議の進行役を頼まれて会の冒頭で「本日は忌憚ある発言を期待します」
と述べたそうです。本人としては「忌憚ない発言」と言ったつもりが、
出席者が指摘することなく笑っているのが不思議に思って後で聞いたら、
だって「忌憚ある」は、稲葉さん特有のジョークで言っていると思ったから
笑っていたのだと言われてしまい、
穴があったら入りたいほど恥ずかしい思いをしました。笑い
しかし、人間は間違いをしたくなくてもしてしまいます。
自分で、または誰かに言われて自分の間違いに気付いた時に投げやりに
そのままにしてしまうか、すぐに反省し、改めるかです。
正しいことはどちらかわかっていても、自分の間違いを心底認める事は
中々に難しいものです。
時にまわりの厳しい指摘に反発し、余計に意固地になってしまう事もあります。
お釈迦様は自分が間違いと気付いたら、すぐさま反省した方がいいと
我々に促してくれています。間違えた!と気づき反省する時に新たな自分への
気づきがあるという教えです。『四十二章経』の第四章の中で、
「悪いことをしても、それが良くない事であったと気付き、自ら反省し、
過ちを悔い改め、善いことをしつづけていけば、これまでの罪は日ごとに消滅して、
ついには道を得る事ができる」とあります。
間違いは無くすことはできないけれども、放っておくとまわりに、
あるいは自分に更なる迷惑を掛けてしまう。間違っていた自分をまず認識しないと、
人生の道が更に困難になる。
間違えた!と気づき反省し自分を改めると、間違いは消えて、
人生の大事な気づきがあるとお釈迦様から伝えられています。
「間違い」は虫歯のようなものです。自分が気づいていながら、
放っていては自分の痛みが増すばかり。
虫歯の治療には歯医者さんに行けば良いのですが、「間違い」の治療には
自分が心底反省し、自身を改める事が必要になります。
時代を経てもこれは我々に共通して大切なことです。
間違えたくなくても人は間違えてしまいます。誰かに指摘される時もあれば、
実は自分で気づくときもあります。気づいた間違いに対してどう向き合うか。
自分を反省し、改め、新たな自分と出会う大事なきっかけです。
何かと忙しく、厳しい時代なのはいつの時代も変わりません。
だからこそ自分を見つめる時間を持ち、自分の間違い探しをして、
反省する時間を持ちたいものです。
1月 21st,2024
恩学 |
侃侃諤鰐 はコメントを受け付けていません
人は、過去は作り直せないが未来は作れるという。
しかし過去の責任も取れなくて何を偉そうなことを言っているのか。
未来は過去からの延長線上にあるから過去の負債を背負っていくしかないのだ。
大切なことは人として反省すべきことは反省するという事です。
我々に出来ることは、今を直視して忠実に生きるしか無いのです。
どんな困難の中でも生きることを真剣に考えることが正しいのです。
その結果が未来を作ることになるのです。
もし、暖を取るために老人が、
目の前の壊れた家屋があれば薪として手に入ることは悪いことなのだろうか?
もし、食糧を得るために老人が、
目の前に畑があれば勝手に収穫して食料にすることは悪いことなのだろうか?
もし、健康上の理由から老人が、
災害用のペットボトルを一本多く取ることは悪いことなのだろうか?
この行為は正義か悪か!あなたはどのような判断をしますか?
倫理的には正しく無い行いでも生き残るためには認めなければならない。
正論は安定した平和の時に通用するが混乱の最中では通用しない。
先ずはどのような状況でも生き残るための暗黙の了解が必要です。
しかし絶対やってはいけないのが人として弱者に対する差別です。
老人や子供たちに対してうるさいとか、汚いとか、早くしろ、などの言葉は、
鋭利な刃先の凶器と同じなのである。
災害時や戦禍の中では理屈通りの自由・平等・博愛は通用しない。
人々はただひたすら混乱からの逃げ道を探すしか無い。
こんな非情な世の中を生きなければならないと人生を悩むならまず、
天に怒ることだ。時に神を呪え、仏を呪え、自然を呪え、あらゆるものを
呪いながら生き抜くのだ。
怒る対象があれば悲しみや苦しみを吐き出すことが出来る。
怒りは原動力となり最強のエネルギーを生み出す。
そして正常を取り戻したときに人として感謝を持てばよい。
「知識」は状況や混乱には対応しないが、「智慧」はその場に応じて対応すればよい。
仏道を学びながら智慧の活かし方を考えることが大切です。
仏陀の教え「四大八正道」、「輪廻転生」、「一切皆苦」が、
理解できなければ人としての道を永遠に迷う。今一度学ぶべし。
四諦八正道(しだいはっしょうどう)
仏教の基本的な教えは、簡単に言えば「人生をラクに生きる方法」です。
そして基本的な教えには4つのキーワードがあり、まとめて「四法印」と言います。
1. 一切皆苦(いっさいかいく):人生は思い通りに進まない
2. 諸行無常(しょぎょうむじょう):全ての物事は変化するもの
3. 諸法無我(しょほうむが):全ての物事は繋がりの中で変化している
4. 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう):仏教が目指す悟り
一切皆苦は仏教の出発点であり、最初に知るべきことです。
人生は苦悩の連続だと思います。逃げても逃げても苦悩は追いかけてきます。
この世の苦しみを消すには、自分の心の在り方、ものの見方を変えることです。
どのような心構えで物を見、考え、行動していくかを説いた
「仏教の基本方針」が四諦八正道です。
四諦(しだい)
苦諦(くたい) 生きることは本質的に苦である(一切皆苦)。
人が生きるということは、苦を背負って日々を過ごすことだ。
集諦(じったい) あらゆる出来事は必ず何らかの原因によって起こる。
苦の原因は煩悩である(煩悩とは自身の心の中にある悪い要素)。
満足が得られないから、苦しくなっていく。
滅諦(めったい) 煩悩を消すことで苦が滅する。
(煩悩を自分自身の努力で完全に断ち切る)
この世で起こっているものはすべてうつろう(諸行無常)。
道諦(どうたい) 煩悩をなくし、悟りを得るための八正道(以下に示します)を
実践する。
八正道(はっしょうどう)
正見(しょうけん) 正しいものの見方をする。
正思惟(しょうしゆい) 正しい考えをもつ。
正語(しょうご) 正しい言葉をかたる。
正業(しょうごう) 正しい行いをする。
正命(しょうみょう) 正しい生活を送る。
正精進(しょうしょうじん) 正しい努力をする。
正念(しょうねん) 正しい自覚をする。
正定(しょうじょう) 正しい瞑想をする。
一切皆苦(いっさいかいく) 「四法印」
仏陀が発見されたこの世の理法とは、「一切は無常であり無我である」という、
厳然(げんぜん)とした事実そのものでした。
この理法を日常の生活の原理として我々が生きるならば、
そこに 貪欲(とんよく)や 瞋恚(しんに)や 愚痴(ぐち)といった煩悩は、
生じないはずです。しかし現に自らの一生を見渡す時、やがて老いたり病んだり
死んだりすることに対して、心穏やかな者は一人もいないことも、また事実です。
その昔一人の韓国の青年の歌手朴成寿(パク・ソンスウ)のプロデュースをした。
在日韓国人の彼のCDタイトル「人として」でデビューをした。
望んで生まれた訳じゃない
それでも笑って生きていきたい
小さなタンポポ アスファルトに
お前も僕と同じだね
小さく生まれた訳じゃない
僕のサイズで生まれてきたんだ
大きく生まれた訳じゃない
僕のサイズで生まれて来たんだ
人として生まれて
人として育って
自分に誇りを持てる人になろうと決めた
他人より優れていなくていい
他人より劣っていたっていい
誰にも無いものがたった一つ
僕の身体に隠れているんだ
在日韓国人として生まれてたくさんのいじめを経験してこの歌が生まれた。
私達も今一度「人として」見直す必要があるように思います。
1月 20th,2024
恩学 |
人として はコメントを受け付けていません
大学の教授からお薦めのサイトとして届いたのが「長老から日本人への警告」でした。
早速You tubeで拝見しました。
私が気に留めた箇所をいくつか紹介します。
「幸せの3ヶ条」
一つ目は一日3食のご飯が食べられる。
二つ目は「ただいま」と言えば「おかえり」と言ってくれる人がいる。
三つ目は抱きしめられたら温かいと感じる心がある。
「現地の子供との会話」
小さい時、自分は何が嬉しくて、何にワクワクしていて、何に感動していた。
SHOGENは無いっていうところばかりに目を向けているでしょう。
あの人と比べて自分はこれが足りないとか、これが欠如している、劣っているとか。
でもね、生きていたら、あるっていうことの方が多いんだよ。
外に出たら燦々と輝く太陽の光も全身で感じることができるし、
いろいろなことも感じる、だから生きていたら、あるっということの方が多いんだよ。
SHOGENと話してもつまらないからはなしをしたくない。
「長老との話」
「諦める時間が来ることの幸せって分かる?」って聞いてきたんです。
日没が来たらほぼほぼ真っ暗になるから、全てのやったこととか仕事を「諦め」
ないといけない。でもSHOGENが諦めという言葉を聞くとマイナスに捉えるだろ?
なぜかというと、諦めるってことは、今から真の休息の時間に入れるってことだからね。
ほんとうは喜ばないといけないよね。
日本人に根深く残る記憶!どんな記憶を一番持っているか知っている?
どこの国より「愛された」記憶が一番長かった。一万年から一万五千年も続いた、
愛と平和で溢れていた時代、それが縄文時代だったのだよ。
そして亡くなった人に刺し傷、切り傷がひとつも無かった。
愛していたということは、愛されていたっていうことで、だから、とことんまで
優しい日本人は愛された記憶を持っているから「素晴らしい日本人の記憶を
二度と忘れないようにする為に」「一度忘れる必要があった」
本来の日本人は、ものすごく自己愛が深くて、自己肯定感が高かったんだよ。
息を吐く時の自分、そして息を吸う時の自分に、ものすごく喜びを感じていた。
そして朝起きて裸足で出る時の一歩目、踏み出す時の左足のつま先が地面を踏む
感触まで愛してた。それが日本人なのだ。つまり何かというと、
当時の、日本列島に住む人たちは、自分が普段からやっていた所作を、
とことんまで愛していたんだよ。
その他「喜びグラス」とか「100メートルの中にある幸せ」とか気になる部分が
沢山ありました。
お時間があればこのサイトをご覧になって下さい。
また書店で「今日誰のために生きる?」も購入してお読みください。
きっとあなたの心に素敵な思いが届きます。
「SHOGEN」
アフリカンペイントアーティスト
本名上田祥玄
1986年3月29日(37歳)
生きることへの喜びと感謝を「生きるのって、楽しい!」を描くペンキ画家。
ペンキを画材に鮮やかな色彩で描かれる、タンザニアのとある村だけで受け継がれる
『ティンガティンガ』。生と死が近い場所にある中で生まれたからこそ、
生きることへの喜びと感謝をいきいきとした動植物を通して描かれています。
単身現地に渡り、村人と一緒に生きながら絵の修行を許された“唯一の外国人”で、
帰国後はティンガティンガの『人々を幸せにする絵』という精神を基に
“SHOGEN流”の新たな表現で制作を続けています。
『楽しく生きる…』ということは現代日本においては難しいことですが、
SHOGEN の描く世界の中に“ヒント”を見つけてもらえたら嬉しいです。
大手化粧品会社に勤めている中、ふと入った雑貨店でタンザニアアート
「ティンガティンガ」を目にし、独特な構図と躍動感溢れる色彩表現に魅了され、
自らティンガティンガを描くことを決意する。
即日退職願いを提出し「ティンガティンガ」の修行をするため、
単身アフリカへと渡る所持金10万円、語学力、コネクションすら無い中、
タンザニアに赴き、タンザニアンアーティストとして最も定評のある
NOEL KAMBLI 氏に弟子入りを果たす。
NOEL KAMBLI 氏宅で奥さんと3人の子供達、ニワトリとヒヨコ10匹と共に、
現地人と全く同じ食生活を共にしながら絵の修業を始める。
現地アーティストを脅かす程の実力を身に着けはじめたことを認められ
「ティンガティンガ村以外の地では弟子を一切とらない」という取り決めの元、
唯一の外国人のティンガティンガ・アーティストとしての修行が認められる。
アフリカのシャーマンが口伝で残した真実
【日本人の本当の姿】
全ての日本人に伝えてほしい。
全ての日本人に思い出してほしい日本の心。
縄文時代から繋がる自然への愛。
今日は誰のために生きるの?
自分を愛し全てを愛す。
足りないものを探すのではなく足りているものを補い合う。
人は全て未熟なデコボコ。デコボコ同士が家族のように活かし合う。
日本は私たちの希望の光なのです。
☆見ず知らずのアフリカの村が長老が私を日本人というだけで受け入れてくれた。
しかし、私は日本人の心を忘れていて村の子供たちからも沢山の気付きを貰うことが
出来た。彼等から教えられる日本人・・・
私たちは複雑な社会に生きるために本来誰もが持っている「純粋なこころ」を
忘れています。今まで難しいことを覚えるのが教育だと勘違いをしていたのです。
あなたの中の素直な心を取り戻すためにもご覧になってください。
1月 19th,2024
恩学 |
アフリカの長老から日本人へ はコメントを受け付けていません