アーツ&クラフツ




「デザインとは」をチャットGPTに質問してみました。

一般的なデザインは、製品やシステム、空間、または体験を計画し、
創造するプロセスです。このプロセスでは、美学的な要素だけでなく、
機能性、使いやすさ、持続可能性、およびユーザーのニーズに焦点を
当てることがあります。一般的なデザインは、さまざまな分野において
適用され、例えば製品デザイン、グラフィックデザイン、インテリアデザイン、
Webデザイン、およびユーザーエクスペリエンス(UX)デザインなどが
含まれます。チャットGPTより

古代の生活用品には機能性しか必要が無かったはずであるが、
遊び心と共にデザインが取り入れられた。
水をくむために、物を入れるために、食物を入れるためにだけの
用途に装飾は必要ないはずである。
しかし遡れば縄文土器の火焔土器はデザインが施されている。
人間は暮らしていくために美を求めていたのが伺える。

日本建築は基本的に木と紙で作られていて
家具などの調度品も見せるためではなく、
持ち主が喜びそうな彫り物が少し施される程度であった。

それは、
日本は地震や火事や自然災害が多かったので、
いつでも作り直しが出来る方が便利だったからである。
庶民には手の込んだ高価な家具などは不要であった。
その為に家財道具も必要最小限にとどめて
手軽に引っ越しが出来たのである。

勿論、一部の金持ちに頼まれて贅を極めた調度品も多く残っている。
京都に職人が多いのは公家や幕府関係の要人が多く住み
自分の集めている調度品などを見せるためである。

奇才「本阿弥光悦」は徳川家康にその才能を認められていた。
家業は刀剣の鑑定・研磨・拭いをしていた。
しかし光悦は家業よりも、書・陶芸・漆芸・茶の湯などに関わり、
数寄者として名を残している。
後世の日本文化に与えた影響は大きい。国宝級の作品も多数ある。

光悦は京都に芸術村(光悦村)を築いた事でも知られる。
徳川家康から鷹峯の地を拝領した光悦は、本阿弥一族の町衆、
職人などの法華宗徒仲間を率いて移住した。

自分のお気に入りの職人や絵師を囲い込み
金持ちが潤沢な資金提供をして好き放題に作り出したものを
引き取る。いわゆるパトロン制度である。

北斎や若冲の描く浮世絵の華麗なるデザインは誰がパトロンだったのか?
日光東照宮の装飾を施した左甚五郎のパトロンは誰だったのか?
千利休や織部などは豊臣秀吉や京都の数寄者が応援していたのか?
全ての職人にはパトロンが不可欠なのである。

西洋でのモダンデザインの歴史は、詩人、美術工芸家にして
社会思想家のウィリアム・モリス(1834−1896)が主導した
アーツ&クラフツ運動に始まると言われる。
モリスは、産業革命の結果、大量生産による安価で
粗悪な製品があふれていた当時の英国の社会状況を批判し、
中世の手仕事に戻り、生活と芸術を統一させることを主張。

1860年にはモリス商会を設立し、自然の美をモチーフにした
手仕事の美しい家具や装飾品などの製作・販売を開始した。
モリスのデザインした製品は、今なおインテリアショップ等で
販売されていて根強い人気を誇る。
100年たっても古びない斬新さがモリスのデザインにはある。

ただし、「大量生産時代における美とは何か」という
アーツ&クラフツ運動の問いかけ自体は残った。
その問いを引き継いだのが、ワイマール共和国に1919年に設立された
造形美術学校「バウハウス」である。

バウハウスでは、工芸、写真、デザイン、美術、建築など幅広い
分野からの教師を集め、当初は教師と生徒が寝食を共にしながら、
20世紀にふさわしい美術やデザインや建築のあり方を探求、実践した。
手仕事に美を見出したアーツ&クラフツ運動と異なり、
工業製品を前提にした点にバウハウスの特徴があった。

新しい時代にふさわしい形で生活と芸術の統一を探求し、
具体的な形として提示したことにバウハウスの革新があった。

社会が大きく変動する中で、人間にとっての美のあり方を問い続けた
モリスは、人間を幸せにするための社会変革を夢見ていたのだ。
モリスが詩人、美術工芸家であると共に、社会思想家であったのは、
偶然ではない。時代の変動期において人間の側に立ち続け、
人の暮らしや社会をより美しく、より幸福にするための実践を行うこと。

それが近代デザインの父と言われたモリスの根本にある思想であり、
覚悟である。バウハウスにもそれは受け継がれている。
近代デザインの思想の根源にあるのは、
常に人間の側に立ち続けるという覚悟に他ならない。

日本にも組織だったデザイン関係の学校や工房はあった。
本阿弥光悦が開校した芸術村がそれにあたるのでなかろうか?
学校としては明治に入って初めて「茶の本」を英語で書いて
世界に紹介した、岡倉天心(覚三)が興した東京美術学校が
やや近いのかもしれない。

一言でデザインと言っても合理的で機能的なデザインを追求する中で
生まれた思想や方法論が組み込まれて初めて後世に残る作品になる。

デザインは思想が無くして製品に活かされるものではない。
手元にある工芸品の思想は何かと思い馳せるのもよいかと思います。
そして大切なことは良きデザインは心を豊かにしてくれることです。

人は働くことが生きる目的ではなく、
生きることを楽しむために働くのである。

チャットGPTには分からない。