写真家の目
今までに沢山の写真家とお付き合いをしました。
70年代後半から90年代まで日本の写真家の
黎明期とも言われていたのです。
新しい音楽が生まれ、新しい娯楽も生まれ、アメリカから来た文化、
「3S」(Sport&SEX&Screen)も、アメリカン・カルチャーとして
若者たちは憧れたのです。
しかしここから日本人の退廃が始まったのです。
質素倹約を誇りとしていた日本人の心に娯楽と贅沢はアメリカの奴隷と
なることを意味していたのです。「3S」と共に
「3C」Card&Car&Convenienceも入り、割賦(カード)と快適(カー)と
便利(コンビニ)で物が買えるシステムに日本国民はまんまと
アメリカの経済システムの餌食にされたのです。
アメリカン・カルチャーの後押しをしたのはファッション雑誌であった。
大衆がオシャレをする権利を勝ち取り街は一気に華やかになった。
カメラマンは、雑誌社の専属カメラマンとして
雇われるケースがほとんどであった。
その頃、活躍していたカメラマンとは一度は仕事を共にしたことがあります。
私が彼らを使うと自動的に雑誌で取り上げられることが多かったので
高い報酬も価値はありました。
篠山紀信、立木義浩、稲越功一、加納典明、繰上和美、土門拳などが
一世を風靡していた。
私の友人の今井久喜も活躍していたが仕事の現場では会わなかった。
80年代半ばにアメリカに住んでいる画家がマンレイの写真集を贈ってくれた。
写真集の全ての写真に物語が組み込まれているのを見て感動をしました。
写真に思想を取り入れた最初のカメラマンとして但し書きが添えられていた。
私は写真に物語のない写真はただの裸の写真と同じで見るだけで残すことは無い。
ある時にプロデュースを頼んだYMから日本人の女性カメラマンを紹介された。
久留幸子である。私の担当した女性シンガーのジャケット写真を撮るためである。
撮影前の打合せで衣装は誰が作るのか、ヘアーメイクは誰が担当するのか、
念入りにチェックが入った。普段は撮影するだけの依頼なので、
このような打ち合わせはカメラマンとは行わない。
撮影当日渋谷の撮影スタジオへ行ったところ驚く発言があった。
撮影露出を決めるために本人以外は3~4時間後に
戻ってきて欲しいと言われた。
私は拘りの職人が好きなので文句も言わずにスタジオを出て行ったのだが、
露出を決めるのに3~4時間はあり得ないとも思ったのは確かである。
久留さんを紹介してくれた大物YMも途中で合流して、スタジオにいると
マネージャーから連絡が入りスタジオへ戻った。
何度も露出を変えてテスト撮影を繰り返していた。
主役の顔に少し疲れが出ていた。
それでは本番ですと合図があり、4~5回シャッターを押したら終了である。
結果はアルバムのジャケットに使うのにはもったいないほどの
素晴らしいできであった。
主役のタレントの疲れも計算に入れていたと聞いて開いた口が塞がらない。
テーマが「女スパイ」だったので少し疲れた表情の方がセクシーなので
リクエストに合うと思うと言われた。見事である。
最近出会ったカメラマンがいる。
先月、彼の渋谷での写真展へ行ってしばらくくぎ付け状態であった。
どの写真にも物語が込められていて、強いメッセージが感じられたのである。
あれこれ百行の文字で語るより一枚の写真に敗北を認めるしかなかった。
彼の作品は決して明るい写真ではなく、陰を使う事によって
逆に明るさが浮き彫りにされている。
そこには谷崎潤一郎の「陰影礼賛」の世界を垣間見た。
彼はドイツに住んでいて
日本と行き来をしているカメラマンである。
ドイツには私の大好きな哲学者ハイデッガーがいた国である。
世界中の哲学者に多大なる影響を与えた哲学界の巨人である。
私もハイデガーの作品「存在と時間」を読んだのだが難解すぎて
理解するのに時間がかかった。今でも完全に理解したとは思っていない。
その他、哲学者ショウペンハウアーや、物理学者アインシュタインや、
詩人サミュエル・ウルマン、宗教家マルティンルターなどがいた
「知の王国」なのである。
彼は日本人の心とドイツ人の心を併せ持った写真家だと思う。
カメラマンと書くと商業カメラマンのイメージが付くので、
かれにはあえて写真家として紹介したい。
ここに書かれているのは彼が投稿をしたFBの投稿文である。
私が気になった部分の文章を書きこんでみた。
元旦に思い浮かぶ言葉でと思っているのだけど、
すんなり出てきたものだ。
実は、去年ずっと創という漢字にフォーカスをしてきた。
キズとも読む。創造の創(はじま)りは創(キズ)を
つけることからなのかもしれない。
人生も41年も生きてきたら、どうしようもなく深いキズもあるし、
望まずとも誰かをキズつけてしまうこともたくさんあったはずだ。
潔白とはいかない。難しいことは沢山あった。
それはきっと誰にとっても同じかもしれない。
写真家JUMPEITAINAKA
悩みが想像を破壊するのではなく、創造が悩みを破壊するのである。
暗闇の中から光を見つけると眩しい輝きで目をつぶってしまうが、
光の中からは暗闇は見えないのである。
若い時の欲求は地図のない砂漠を歩くようなもので逃げ道がない。
ただひたすら欲求という日差しの中でオアシスを探すようなものである。
湿った城塞の中庭を月の光だけを頼りにして
手探りで希望と夢を掘り起こすだけである。
我々は常に迷い人なのである。そこに答えなど必要ないのである。
彼が創成の創をキズと捉えたのは素晴らしい知的レベルを感じる。
デジタルカメラで風景を写すことが出来ても
物語まで取り込むことは不可能である。
それらしい真似の形からは暗黒の哲学は生まれない。
悩みの向こう側に真理があるのである。
創造を提供する人はとことん悩んでほしい。
そしてそこを写真家の目で捉えて欲しい。