風を変える




人間関係の間に起こる風を感じたことがありますか?
その人に会うたびに風を感じて心が温かくなる気がしませんか。
その方の人生から醸し出される風格の風もあります。
そして積み重ねてきた人生も風景に現れます。

通り過ぎる風など何も気にもしない!?

人生には多くの出会いと別れがあります。
別れに意識を残す必要がありません。
通り過ぎた風なのです。

出会いは言葉でコミュニケーションを取らなくても
人柄は風になるのです。
新しい風に気力が生まれます。

数年前に空気を詠めない人という言葉が流行りましたが、
今では風を詠めない人というのです。
間違ってもモバイルからは風は起こりません。

尊敬する人の風を受けると、勇気をもらったり、
やる気をもらったり、つよい気力を感じたりするのです。
これは意識しなくても、無意識に感じるものです。
しかしその風は自分からつかまえないと
目の前を通り過ぎてしまいます。

その気になれば風を待つのではなく風を起こすこともできるのです。
子供たちの教育で想像力豊かに自由な学びの場を作ろうとしています。

オランダではイジメや喧嘩の問題を子供達が大人に頼らずに
自分たちで解決します。オランダには自律を育む教育が生きています。

英国のサマーヒル・スクールは世界一自由な学校と言われている。
何を学ぶか、事業にどう参加するかは生徒自身で判断して決めるのです。

日本でも有名な「ドイツ、シュタイナー教育」とは、
「芸術教育」は子供が「自由な自己決定」を行うことができる
「人間」となるための「出産補助」であるという意味で、
「一つの芸術」であると考えられている。

その思想と実践は、シュタイナーが創設した
人間が自らの叡智で人間であることを見出すという
神秘的学説・人智学によって支えられている。

独自のシステムで養成された教師により行われ、
教員の法的立場は国や修了した養成組織により、
それぞれ異なっている。
カリキュラムや授業内容も公的なものとは異なっており、
独特の芸術教育などが知られる。

シュタイナー教育は自由教育の象徴的存在とも捉えられており、
日本では知識偏重の受験教育に対する代替として支持を集めている。

すべて子供たちが考えて行動するので子どもの自主性が育つ、
結局は親や教師が介在しすぎることで子供は何も考えない、
何もしない子供になってしまうのです。

日本の私立「きのくに子どもの村学園」は全国に4か所あり、
小・中・高等専修学校として存在します。

先生もいなくてテストや宿題もなく自由に学べる学校である。
生きるために必要なことを衣・食・住・表現の4つの視点から、
プロジェクトといわれるワークショップが行われるのです。

子どもたちが計画して、プロジェクトに参加する。
子供達が自ら農作物を作り料理もして給食となる。
その他のプロジェクトも自らの力で考えて行う。

文科省指定の一般教育の教師がいないので自ら学び解決していく。
勿論、指導者はいるのだが先生とは言わずに名前かあだ名で呼ばれる。
必要な時に適切なアドバイスを受けるだけです。
先生もいない宿題も無ければ他校と学力が
劣るのではないかと心配する親もいるが
つねに全国の学力検定試験で優秀な結果を残している。
まさに奇跡にちかい事実である。

既成の教師もいないテストも宿題も無いので
子どもたちは自立する。
勘違いの優しさや思いやりは、
子どもの自由な発想の芽を摘むことになる。
そろそろ大人が気付く時なのです。

昔は親に余裕がなかったので子供を面倒見るなどしていなかった。
農作業や家事の手伝いは当たり前で、時には赤ん坊を背負って
学校に通う子もいた。そこから数々の優秀な人間が育って来た。
苦労は自立を促し、努力は夢を育てて、学びは希望を作るのです。
結局手塩にかけた分だけ子どもは駄目になるのです。

自然も教えているのは山に手を加えると
山は汚れて川は濁るということです。
材木商が儲かる木ばかりを注文するから
伐採が進み山は荒れ放題になってしまうのです。
何もしない方が自然の自浄能力で
勝手に調整して健全な状態が保たれるのです。

人間は愚かである。科学の進歩で経済力が高まり
収入が増えた分だけ、家族を守ろうとして
子どもたちの人間力を奪ってしまうのです。
良かれと思ってやることが全部裏目に出てしまう。
この現代の形を変えなければ未来の風は吹いてこない。

私のこの小さな風は街の片隅にしか吹きませんが、
多くの仲間と手をつなげば、国の中央にも
風を起こすことが出来るのです。

温かい風を感じる人との出会いを願っています。