教育は教えることでは無い、教えるから記憶に頼り、善悪の見境がなくなる。
学ぶは真似ると知りながら教師は教科書を棒読みして暗記させる。
今や小学校から受験のための教育が中心になっている。
学ぶ楽しみを奪って大学までひっぱり上げて卒業と同時に手を放す。
社会という上空で学生グライダーは飛び続けるのである。
それは企業でも同じで時代遅れの社内規定に則りすべての業務が進められる。
そこに口を挟めば会社を辞めろと言われてしまう。
だから最低の社畜にならざる得ない状況に陥る。
仕事の楽しさを知らない労働者が街にあふれている。
学校には学校の規定があり生徒手帳に「正しい学生の在り方」が記載されている。
高校によっては服装、髪型、スカートの長さ、持ち物の色まで細かく記載されている。
自由経済のグローバルを推奨して自立を促す社会の規範から大幅に外れている。
力のない若者たちを飼育して、親たちが喜ぶ真面目で社会に反抗しない
既成化された人間に仕上げる。
江戸時代の教育の基本は「読み書き算盤」である。
これで社会生活は十分出来るようになる。
武士の子は剣道を学び、それ以外に論語や六韜三略、大学、中庸などの書を
素読して体の中に社会のリーダーとしての心得を学ぶ。
新しいことばかりを教えるのではなく「温故知新」(古きを温めて新しきを知る)
過去の教えから国のあり方を学び新しい時代を作る。
そして文化を守らない国は国ではないことを知る。
中学生の時に水泳部へ入った。新入部の人間は毎日ランニングと兎跳びを強制された。
水泳部に入ったのにいつまでもプールに入れず馬鹿らしくなってすぐに退部した。
運動部の指導は殆どがイジメに近い肉体的苦痛と精神的苦痛を伴う。
その悪しきルールが先輩から後輩へ受け継がれて部の伝統になる。
スマイルアップ(旧ジャニーズ事務所)、宝塚歌劇団、吉本新喜劇、芸人やタレントは
徒弟制度で成り立っている。上に立つ人間が既得権者になり権利を独り占めにする為に
常軌を逸した自分勝手な行動を繰り返す。
どのような場面でも異論反論をストレートに言えないところに思考は成り立たない。
思考のキッカケは疑問をぶつけるところから始まらなければならない。
間違っても下にいるものが声を上げられない状況を上が作るべきではない。
ここでいつも「何故」が生まれる。
何故怒らないか?何故投げ出さないのか?何故我慢する必要があるのか?
我慢することが世の中に順応するということなれば、
順応など無視をすれば良いのである。
生きることに臆病にならなくても良い、今ある環境に人間環境に不満があれば
手放す勇気を時には持たなければならない。
我々は本能の赴くままの動物である。偽りの論理で行動は制御できない。
これは生き残るための戦いである。プライドをかけた戦いなのである。
女性なら嫌いな上司にお茶をかけてやれ。男性なら嫌いな上司に足を引っ掛けて
倒せば良い。やられたらやり返すことを知らせれば良いのである。
臆病な奴ほど権力を振りかざして大声を上げる。
こちらも大声で返すと犬の喧嘩になるので静かに笑えば良い。
明日転職サイトを眺めることがあったとしても恐れることない。
世の中は広いどこでも働ける。日本人は優秀だからどの国でも雇ってくれる。
しかし一番恐れることは言いなりになっても、
給料がもらえるならそれでも良いとする日和見主義的な考えを持つことである。
逆風帳帆(ぎゃくふうちょうはん)
向かい風が吹いて前に進めなくても、あえて船の帆(ほ)を張って行きましょう。
「人生の逆風(困難)にも帆を張れ(立ち向かえ)」という禅語です。
これを見ますと、禅宗とはなんとも厳しい教えだなあ、とつくづく思います。
帆船は、風をつかみ、帆をたくみにあやつることで、
逆風でも少しずつ前に進むことができるのです。
しかし、技術はともかく大切なのは、逆風が吹いても帆をたたまないこと
なのかもしれませんね。
我逢人(がほうじん)
私は人と出会った。
鎌倉時代、比叡山などで修行をした道元禅師は、本当の仏教を求めて中国に渡りました。そこで如浄(にょじょう)という名僧に出会います。如浄禅師は宗派にこだわらず、
異国から来た道元禅師に対しても分けへだてなく指導しました。
後年、如浄禅師との出会いについて道元禅師は次のように回想しています。
「いま、目の前に師となる人物が現れた。大切なのは、経典や知識を学ぶ以上に
人と出会うということだ。」
何も感じず何も疑惑がなければそれで良い。他人をとやかくゆう筋合いのものでもない。我慢できるのであればそれでも良いし、気に食わなければ飛びかかって殴れば良い。
私は誇りに生きて誇りに死んで行こうと思うので何も動じない。
人は守るもの(家庭・財産・名誉)が多ければ臆病になり、
何も守るものが無ければ動じない。だから革命家は何も持たない道を選ぶ。
流された人生を選んだとしても、それでも理不尽に対して怒らなければ
世間に申し訳ない。それ以上に与えられた使命に逆らうことになる。
生まれてきた理由が何かを知るために戦うしかない。
「不動心」何事にも動じない精神、何事にも動じない心を養いましょう。
思考のきっかけは疑問を持つことから始まります。
けっして流されない人生を歩みましょう。
そして動かない心を身に付けましょう。
1月 22nd,2024
恩学 |
思考のキッカケ はコメントを受け付けていません
「恩学」で伝えたいことが違った意味で伝わることがあります。
これは人それぞれの経験と認識で独自の判断をするからです。
人は読んだものを自分の知識で読んでいるということです。
文字を見て独自の解釈をしてしまうのです。
そして学んだ文言を自分なりの解釈を加えて混乱することもあります。
日常我々が記憶している言葉にも誤解していることがあります。
「情けは人の為ならず」
「情けは人のためならず」とは、よく耳にする諺でありますが、
よく意味を勘違いしている人が多い諺としても知られています。
「情けをかけることは、結局その人のためにならないので、すべきではない」という
解釈と「情けは人のためではなく、いずれ巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、
誰にでも親切にせよ」という全く正反対の2つの解釈が成り立つというのです。
人に情けをかけるのに「子孫のためと思ってしなさい」というのは、
すぐに「見返りを求めてはいけない」という白隠禅師の思いが込められて
いるのではないでしょうか。
情けをかけることを仏教の用語に置き換えるとするならば、
「布施(ふせ)」という言葉が適当ではないかと思います。
「布施」というとお坊さんへの御礼のことだと思われるかもしれませんが、
大乗仏教の修行徳目の1つで「施し与える」ことを表わしています。
この布施で最も優れているのは「三輪空寂(さんりんくうじゃく)」といって、
施す者も、施しを受ける者も、施される物に対しても、
何の執着もないのが理想だとされています。
「見返りを求める心」が少しでも残っていると「恩を仇で返された」とか
「恩知らず」などと「恩着せがましい心」を生じかねないからです。
「施し」は上から目線で与えるという意味で、「寄付」は貰っていただくという意味です。
マザーテレサは大金持ちが大金を施すのと、
貧しい家庭の子が自分のパンの半分を差し出す寄付の行為では、
寄付の行為こそ価値があると言っています。
白隠禅師が22歳の頃、伊予松山の正宗寺において逸禅和尚の下で修行していた
時の出来事です。
ある日、松山藩の家臣から正宗寺に優秀な修行僧がいるということで、
白隠も含めて5人の修行僧がお斎に招かれました。
互いに挨拶をすませると、主人は数十本の掛け軸を出してみせました。
その中に錦の袋に包まれ、二重箱に入った一軸が皆なの目にとまります。
恐る恐る開けて拝見すると、あまり見栄えのしない軸でありました。
白隠はがっかりしながらも、よくよく見てみると、それは高名な禅僧、
大愚宗築(たいぐそうちく)によって書かれたものでありました。
あまり上手な筆跡ではなく、文句もありきたりであるにもかかわらず、
このように尊重されるのは、すべて大愚和尚の人徳であり、人間性である。
それが優れているからこそ、このように大切に秘蔵されてきたのであろう。
人が尊ぶものは大愚和尚の徳そのものであって、決して筆跡の良し悪しや
理屈ではないと白隠はその時に悟り、一層修行に努めたといわれています。
世の中には偉人や成功者はたくさんいます。
しかし、本当にその実績があったかは知る由もありません。
噂だけで立派だと聞いても何も伝わりません。
世界的な有名なブランド品はそれなりの歴史と信頼があって評価されています。
エルメスもルイヴィトンもシャネルも名前だけで伝わるものがあります。
しかし本物かコピーかを見分ける術を知らなければただの高い商品です。
文章にしても言葉にしても伝える側と受け取り側が正しい理解が必要です。
海外に行けばなおさらです。その国の言葉の「持つ意味」が違うのです。
正しい知識は正しい伝え方で行わなければなりません。
伝えるための「説得の三要素」とは、古代ギリシャの哲学者である
アリストテレスが提唱した人を説得する為の3つの要素のことです。
彼は、「人が説得されるためには、ロゴス・パトス・エトスの3つの要素が
揃っていなければならない」、と唱えました。
ロゴス(LOGOS)とは論理的アピール、パトス(PATHOS)とは、情緒的アピール、
エトス(ETHOS)とは倫理的アピールのことです。
簡単に言うと、上記のような3つの要素を持っていると人を説得しやすいということです。
みなさんも経験があると思いますが、「人として非常に信頼できる人」と
「なんとなく信頼できない人」が、まったく同じ内容のことを話していた場合、
前者の方により耳を傾けたくなってしまいますよね。
人柄による信頼は、「人間的な魅力」が源泉です。
様々な要素がありますが、共通点もあります。
例えば、このような特徴を持っている人は信頼される傾向にあります。
① 相手の意見や価値観を否定せず、受容力がある
➁ ミスをしても他責せず、謝罪できる
③ 損得に関わらず、他人のために行動できる
④ 口先だけでなく、きちんと約束を守る
⑤ 勇気と責任感がある
説得力とは、「相手を納得させる力」や「相手の心を動かす力」「行動につなげる力」
と言い換えることもできます。
説得力がある人には、大きく2つの特徴があります。
① 「話の中身そのもの」に説得力がある
➁ 「話し手の振る舞いや、醸し出す雰囲気」に説得力がある
この2つがきちんとおさえられていると説得力はぐんと増します。
説得力のある話は、論理展開が明確です。
ある主張をするためには、必ず「なぜそう言えるのか」という根拠も
セットで必要となります。
根拠は、推測ではなく「事実に基づいたもの」であることがポイントです。
そして、事実は多角的な視点でみなければなりません。
ある特定の偏った事実を取り上げただけでは、信ぴょう性が低くなるためです。
「説得力」については多くのビジネス書に書かれています。
私が大切にしているのは「理解力」です。
① 話す相手のことをどれほど理解しているか?
➁ 話す相手の言葉をどれほど信じているか?が重要です。
その為には知識と経験がなければ理解も出来ません。
多くの書物を読み、多くの登壇者の発言に耳を傾け、のちに書きおこし、声に出します。
自分が理解できていなければ他人に伝えると誤解が生まれます。
伝える前に受け取り側の状況を把握して話をするとスムーズに伝えることが出来ます。
You tubeの中には多くの討論会や対談のプログラムがあります。
それを見て「理解力」を深めることも可能です。
おすすめは「TED Talks」です。世界中のリーダーが登壇しています。
伝える説得力、伝わる理解力が二つ合わさり、自分なりの納得が生まれます。
私の文章は正しく理解されているのでしょうか?
1月 21st,2024
恩学 |
伝えると伝わる はコメントを受け付けていません
多くの人は記憶した時にそれが正しいと記憶してしまいます。
しかし正しく覚えないと人前で恥ずかしい思いをしてしまいます。
我々は熱く議論を戦わすことを「侃侃諤諤」(かんかんがくがく)と使うのですが、
多くの方は「喧々諤々」(けんけんがくがく)と間違って使われるのです。
放送局のアナウンサーもよく間違えるので下のような手引書が出ているということです。
「喧喧囂囂(けんけんごうごう)」の「喧」と「囂」には、ともに「かまびすしい」
「やかましい」「さわがしい」という意味があります。この文字を重ねた
[ケンケンゴーゴー]は、「口やかましく騒ぎたてるさま」
「たくさんの人がやかましくしゃべる様子」を表すことばです。
一方、「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」の「侃」には「性格などが強いさま、
のびのびとしてひるまないさま」、「諤」には「正しいことを遠慮せずにいう。
ごつごつと直言する」(『学研 漢字源』)という意味があります。
この文字を使った[カンカンガクガク]は、「正論を吐いて屈しないさま」
「みんなが率直に意見を述べて議論している様子」を表すことばです。
ご指摘の[ケンケンガクガク]という言い方は、いずれも4文字で構成され、
語形と語感や響きも似ている「喧喧囂囂(けんけんごうごう)」と
「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」という語が混同して用いられた混交表現です。
国内の主な新聞社や通信社では、「用語ハンドブック」や「用字用語集」の中の
「誤りやすい用字用語・慣用語句」の1つに「けんけんがくがく」をあげています。
放送にあたっては
① [ケンケンガクガク]という言い方は混交表現であり正しい使い方とは言えないこと。
② 「喧喧囂囂[ケンケンゴーゴー]」と「侃侃諤諤[カンカンガクガク]」は、
それぞれ意味が違うことを留意しておく必要があります。
「間違いに気づく」とは何でしょう?
世の中の理屈理論と合わないことでしょうか?世間にある体裁とのズレでしょうか?
自分の信念に背く事でしょうか? 誤認識は人それぞれがあると思います。
ただ一つ確かに言えることは、自分が間違えた!と気付いた時、すぐ反省できる
方は素晴らしい方だということです。 昨今の世の流れでは、間違えるという事に
特に厳しくなっているように見えます。
私も若い時に会議の進行役を頼まれて会の冒頭で「本日は忌憚ある発言を期待します」
と述べたそうです。本人としては「忌憚ない発言」と言ったつもりが、
出席者が指摘することなく笑っているのが不思議に思って後で聞いたら、
だって「忌憚ある」は、稲葉さん特有のジョークで言っていると思ったから
笑っていたのだと言われてしまい、
穴があったら入りたいほど恥ずかしい思いをしました。笑い
しかし、人間は間違いをしたくなくてもしてしまいます。
自分で、または誰かに言われて自分の間違いに気付いた時に投げやりに
そのままにしてしまうか、すぐに反省し、改めるかです。
正しいことはどちらかわかっていても、自分の間違いを心底認める事は
中々に難しいものです。
時にまわりの厳しい指摘に反発し、余計に意固地になってしまう事もあります。
お釈迦様は自分が間違いと気付いたら、すぐさま反省した方がいいと
我々に促してくれています。間違えた!と気づき反省する時に新たな自分への
気づきがあるという教えです。『四十二章経』の第四章の中で、
「悪いことをしても、それが良くない事であったと気付き、自ら反省し、
過ちを悔い改め、善いことをしつづけていけば、これまでの罪は日ごとに消滅して、
ついには道を得る事ができる」とあります。
間違いは無くすことはできないけれども、放っておくとまわりに、
あるいは自分に更なる迷惑を掛けてしまう。間違っていた自分をまず認識しないと、
人生の道が更に困難になる。
間違えた!と気づき反省し自分を改めると、間違いは消えて、
人生の大事な気づきがあるとお釈迦様から伝えられています。
「間違い」は虫歯のようなものです。自分が気づいていながら、
放っていては自分の痛みが増すばかり。
虫歯の治療には歯医者さんに行けば良いのですが、「間違い」の治療には
自分が心底反省し、自身を改める事が必要になります。
時代を経てもこれは我々に共通して大切なことです。
間違えたくなくても人は間違えてしまいます。誰かに指摘される時もあれば、
実は自分で気づくときもあります。気づいた間違いに対してどう向き合うか。
自分を反省し、改め、新たな自分と出会う大事なきっかけです。
何かと忙しく、厳しい時代なのはいつの時代も変わりません。
だからこそ自分を見つめる時間を持ち、自分の間違い探しをして、
反省する時間を持ちたいものです。
1月 21st,2024
恩学 |
侃侃諤鰐 はコメントを受け付けていません
人は、過去は作り直せないが未来は作れるという。
しかし過去の責任も取れなくて何を偉そうなことを言っているのか。
未来は過去からの延長線上にあるから過去の負債を背負っていくしかないのだ。
大切なことは人として反省すべきことは反省するという事です。
我々に出来ることは、今を直視して忠実に生きるしか無いのです。
どんな困難の中でも生きることを真剣に考えることが正しいのです。
その結果が未来を作ることになるのです。
もし、暖を取るために老人が、
目の前の壊れた家屋があれば薪として手に入ることは悪いことなのだろうか?
もし、食糧を得るために老人が、
目の前に畑があれば勝手に収穫して食料にすることは悪いことなのだろうか?
もし、健康上の理由から老人が、
災害用のペットボトルを一本多く取ることは悪いことなのだろうか?
この行為は正義か悪か!あなたはどのような判断をしますか?
倫理的には正しく無い行いでも生き残るためには認めなければならない。
正論は安定した平和の時に通用するが混乱の最中では通用しない。
先ずはどのような状況でも生き残るための暗黙の了解が必要です。
しかし絶対やってはいけないのが人として弱者に対する差別です。
老人や子供たちに対してうるさいとか、汚いとか、早くしろ、などの言葉は、
鋭利な刃先の凶器と同じなのである。
災害時や戦禍の中では理屈通りの自由・平等・博愛は通用しない。
人々はただひたすら混乱からの逃げ道を探すしか無い。
こんな非情な世の中を生きなければならないと人生を悩むならまず、
天に怒ることだ。時に神を呪え、仏を呪え、自然を呪え、あらゆるものを
呪いながら生き抜くのだ。
怒る対象があれば悲しみや苦しみを吐き出すことが出来る。
怒りは原動力となり最強のエネルギーを生み出す。
そして正常を取り戻したときに人として感謝を持てばよい。
「知識」は状況や混乱には対応しないが、「智慧」はその場に応じて対応すればよい。
仏道を学びながら智慧の活かし方を考えることが大切です。
仏陀の教え「四大八正道」、「輪廻転生」、「一切皆苦」が、
理解できなければ人としての道を永遠に迷う。今一度学ぶべし。
四諦八正道(しだいはっしょうどう)
仏教の基本的な教えは、簡単に言えば「人生をラクに生きる方法」です。
そして基本的な教えには4つのキーワードがあり、まとめて「四法印」と言います。
1. 一切皆苦(いっさいかいく):人生は思い通りに進まない
2. 諸行無常(しょぎょうむじょう):全ての物事は変化するもの
3. 諸法無我(しょほうむが):全ての物事は繋がりの中で変化している
4. 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう):仏教が目指す悟り
一切皆苦は仏教の出発点であり、最初に知るべきことです。
人生は苦悩の連続だと思います。逃げても逃げても苦悩は追いかけてきます。
この世の苦しみを消すには、自分の心の在り方、ものの見方を変えることです。
どのような心構えで物を見、考え、行動していくかを説いた
「仏教の基本方針」が四諦八正道です。
四諦(しだい)
苦諦(くたい) 生きることは本質的に苦である(一切皆苦)。
人が生きるということは、苦を背負って日々を過ごすことだ。
集諦(じったい) あらゆる出来事は必ず何らかの原因によって起こる。
苦の原因は煩悩である(煩悩とは自身の心の中にある悪い要素)。
満足が得られないから、苦しくなっていく。
滅諦(めったい) 煩悩を消すことで苦が滅する。
(煩悩を自分自身の努力で完全に断ち切る)
この世で起こっているものはすべてうつろう(諸行無常)。
道諦(どうたい) 煩悩をなくし、悟りを得るための八正道(以下に示します)を
実践する。
八正道(はっしょうどう)
正見(しょうけん) 正しいものの見方をする。
正思惟(しょうしゆい) 正しい考えをもつ。
正語(しょうご) 正しい言葉をかたる。
正業(しょうごう) 正しい行いをする。
正命(しょうみょう) 正しい生活を送る。
正精進(しょうしょうじん) 正しい努力をする。
正念(しょうねん) 正しい自覚をする。
正定(しょうじょう) 正しい瞑想をする。
一切皆苦(いっさいかいく) 「四法印」
仏陀が発見されたこの世の理法とは、「一切は無常であり無我である」という、
厳然(げんぜん)とした事実そのものでした。
この理法を日常の生活の原理として我々が生きるならば、
そこに 貪欲(とんよく)や 瞋恚(しんに)や 愚痴(ぐち)といった煩悩は、
生じないはずです。しかし現に自らの一生を見渡す時、やがて老いたり病んだり
死んだりすることに対して、心穏やかな者は一人もいないことも、また事実です。
その昔一人の韓国の青年の歌手朴成寿(パク・ソンスウ)のプロデュースをした。
在日韓国人の彼のCDタイトル「人として」でデビューをした。
望んで生まれた訳じゃない
それでも笑って生きていきたい
小さなタンポポ アスファルトに
お前も僕と同じだね
小さく生まれた訳じゃない
僕のサイズで生まれてきたんだ
大きく生まれた訳じゃない
僕のサイズで生まれて来たんだ
人として生まれて
人として育って
自分に誇りを持てる人になろうと決めた
他人より優れていなくていい
他人より劣っていたっていい
誰にも無いものがたった一つ
僕の身体に隠れているんだ
在日韓国人として生まれてたくさんのいじめを経験してこの歌が生まれた。
私達も今一度「人として」見直す必要があるように思います。
1月 20th,2024
恩学 |
人として はコメントを受け付けていません
大学の教授からお薦めのサイトとして届いたのが「長老から日本人への警告」でした。
早速You tubeで拝見しました。
私が気に留めた箇所をいくつか紹介します。
「幸せの3ヶ条」
一つ目は一日3食のご飯が食べられる。
二つ目は「ただいま」と言えば「おかえり」と言ってくれる人がいる。
三つ目は抱きしめられたら温かいと感じる心がある。
「現地の子供との会話」
小さい時、自分は何が嬉しくて、何にワクワクしていて、何に感動していた。
SHOGENは無いっていうところばかりに目を向けているでしょう。
あの人と比べて自分はこれが足りないとか、これが欠如している、劣っているとか。
でもね、生きていたら、あるっていうことの方が多いんだよ。
外に出たら燦々と輝く太陽の光も全身で感じることができるし、
いろいろなことも感じる、だから生きていたら、あるっということの方が多いんだよ。
SHOGENと話してもつまらないからはなしをしたくない。
「長老との話」
「諦める時間が来ることの幸せって分かる?」って聞いてきたんです。
日没が来たらほぼほぼ真っ暗になるから、全てのやったこととか仕事を「諦め」
ないといけない。でもSHOGENが諦めという言葉を聞くとマイナスに捉えるだろ?
なぜかというと、諦めるってことは、今から真の休息の時間に入れるってことだからね。
ほんとうは喜ばないといけないよね。
日本人に根深く残る記憶!どんな記憶を一番持っているか知っている?
どこの国より「愛された」記憶が一番長かった。一万年から一万五千年も続いた、
愛と平和で溢れていた時代、それが縄文時代だったのだよ。
そして亡くなった人に刺し傷、切り傷がひとつも無かった。
愛していたということは、愛されていたっていうことで、だから、とことんまで
優しい日本人は愛された記憶を持っているから「素晴らしい日本人の記憶を
二度と忘れないようにする為に」「一度忘れる必要があった」
本来の日本人は、ものすごく自己愛が深くて、自己肯定感が高かったんだよ。
息を吐く時の自分、そして息を吸う時の自分に、ものすごく喜びを感じていた。
そして朝起きて裸足で出る時の一歩目、踏み出す時の左足のつま先が地面を踏む
感触まで愛してた。それが日本人なのだ。つまり何かというと、
当時の、日本列島に住む人たちは、自分が普段からやっていた所作を、
とことんまで愛していたんだよ。
その他「喜びグラス」とか「100メートルの中にある幸せ」とか気になる部分が
沢山ありました。
お時間があればこのサイトをご覧になって下さい。
また書店で「今日誰のために生きる?」も購入してお読みください。
きっとあなたの心に素敵な思いが届きます。
「SHOGEN」
アフリカンペイントアーティスト
本名上田祥玄
1986年3月29日(37歳)
生きることへの喜びと感謝を「生きるのって、楽しい!」を描くペンキ画家。
ペンキを画材に鮮やかな色彩で描かれる、タンザニアのとある村だけで受け継がれる
『ティンガティンガ』。生と死が近い場所にある中で生まれたからこそ、
生きることへの喜びと感謝をいきいきとした動植物を通して描かれています。
単身現地に渡り、村人と一緒に生きながら絵の修行を許された“唯一の外国人”で、
帰国後はティンガティンガの『人々を幸せにする絵』という精神を基に
“SHOGEN流”の新たな表現で制作を続けています。
『楽しく生きる…』ということは現代日本においては難しいことですが、
SHOGEN の描く世界の中に“ヒント”を見つけてもらえたら嬉しいです。
大手化粧品会社に勤めている中、ふと入った雑貨店でタンザニアアート
「ティンガティンガ」を目にし、独特な構図と躍動感溢れる色彩表現に魅了され、
自らティンガティンガを描くことを決意する。
即日退職願いを提出し「ティンガティンガ」の修行をするため、
単身アフリカへと渡る所持金10万円、語学力、コネクションすら無い中、
タンザニアに赴き、タンザニアンアーティストとして最も定評のある
NOEL KAMBLI 氏に弟子入りを果たす。
NOEL KAMBLI 氏宅で奥さんと3人の子供達、ニワトリとヒヨコ10匹と共に、
現地人と全く同じ食生活を共にしながら絵の修業を始める。
現地アーティストを脅かす程の実力を身に着けはじめたことを認められ
「ティンガティンガ村以外の地では弟子を一切とらない」という取り決めの元、
唯一の外国人のティンガティンガ・アーティストとしての修行が認められる。
アフリカのシャーマンが口伝で残した真実
【日本人の本当の姿】
全ての日本人に伝えてほしい。
全ての日本人に思い出してほしい日本の心。
縄文時代から繋がる自然への愛。
今日は誰のために生きるの?
自分を愛し全てを愛す。
足りないものを探すのではなく足りているものを補い合う。
人は全て未熟なデコボコ。デコボコ同士が家族のように活かし合う。
日本は私たちの希望の光なのです。
☆見ず知らずのアフリカの村が長老が私を日本人というだけで受け入れてくれた。
しかし、私は日本人の心を忘れていて村の子供たちからも沢山の気付きを貰うことが
出来た。彼等から教えられる日本人・・・
私たちは複雑な社会に生きるために本来誰もが持っている「純粋なこころ」を
忘れています。今まで難しいことを覚えるのが教育だと勘違いをしていたのです。
あなたの中の素直な心を取り戻すためにもご覧になってください。
1月 19th,2024
恩学 |
アフリカの長老から日本人へ はコメントを受け付けていません
「恋が育って、愛になった。愛を育てようとして、悔いが残った。」
愛を育てる前に確かめようとして無理やり花を開いたらその恋は終わってしまった。
自分の寂しさを、心の隙間を、埋めたい為に、人を好きになろうと努力したのに、
欠点は見ないで良いとこだけを見れば上手くいくよとアドバイスされたにも
関わらず、すぐに終わってしまった。長く付き合うのに相手の欠点を取り除かなければ
お互いが傷つくと思って焦ってしまったのが原因です。
デートは楽しかったのに真剣な話は楽しくなかった。現実を語るのが苦手だった。
二人とも大人じゃなかったから仕方がなかったのかとあきらめる。
愛を求め合って急ぎすぎたのが失敗の原因だった。
私の事好きかと確認ばかりしたのが嫌われる原因だった。
恋に自分勝手な恋愛スケジュールを決めてしまったから相手の重荷になった。
人を好きになることがこんなに負担が多いとは思わなかった。
隠元禅師が説かれた教えに「脚下無私皆浄土」(脚下無私なれば、皆じょうど)
という言葉があります。これは ”囚われのない私であるならば、心のやすらぎ、
そのものである” と説いています。
隠元禅師と居士のやり取りです。居士「慈悲の心を持って、生死無き悟りの意思を
お示しください」禅師「足元に私などというものが無くなれば、みんな浄土の世界
なのです」足元とは、自分自身のことです。その自分自身に「私」という囚われや
執着が無くなれば、それは浄土の世界、すなわち、やすらぎの世界なのです」と
答えました。黄檗宗開祖隠元禅師
「囚われない私であるならば、心の安らぎそのものである」
自分勝手な理想を追い求めて真実が見えなくなっていたのだ。
結局あなたの心を縛っていたのはあなた自身だった。
苦しむことが修行で無い、悩むことに意義がある。正しい悩みの方法を覚えるのだ。
愛は仕事で無い。常識で考える必要はないのだ。
愛の心の原点は幼児期からの育った環境が影響する。
幼児期から寂しい思いをしたら癒して欲しい、
いつも誰かと比べられて育ったら同等に見て欲しい、
身体の欠点を笑われたら悔しさから解放されたいと思うのです。
そうです愛は万能ではないのです。
人それぞれの愛の捉え方が違うからその方法はすべて違うのです。
しかし、愛は仕事じゃ無いから目標設定も成果も望む必要はないのです。
予定表に「名前のない時間」を作り出すことを考えてみてください。
何もしないことではなく、時間に名目を付けない、時間に制約されない、
時間に束縛されない。これは難しい様だけれどとても簡単です。
我儘な自分勝手な意思を貫くことです。わたしは仕事柄これを作り出す名人です。
恋に理屈は不要です。相手のことよりも自分の理想を貫き通すのです。
自分が好きなら好きを貫き通すのです。
愛はとても残忍で冷酷である。人は愛なくして生きていけないのです。
引き裂かれた愛ほど未練が残るものはありません。
私たち人間は知らず知らずのうちに「見返り」を求める生き物なのだと、
よく言います。見返りとは言い換えれば報酬です。愛に対しても
愛してやったから愛を返して欲しいと要求されることがあります。
それは目に見える報酬もあれば、目に見えない報酬もあります。
もしかしたら究極の愛という報酬もあるのかもしれません。
共通するのは自分にとって得(利益)になるということです。
しかしこの得というのはあくまで目先のものであり、
ずっと続くものではありません。
それどころか自分の行動が見返りに縛られてしまい、
新たな苦しみを生み出す元凶となることさえあります。
仏教では苦しみを表す言葉に「苦(苦諦)」というのがあります。
四諦の出発点は”苦”です。文字通り、「苦しみ」ということです。”苦諦(くたい)”
とも言います。”諦”は「真理」という意味です。
”苦諦”は「人生は苦しみであるという真理」という意味になります。
こういった苦しみから逃れるためにはまず目先の損得勘定から離れていく
ことが必要になります。「真心尽くせ 人知らずとも」という言葉が表わす
ように、あれこれと考えを巡らせるのではなく、一度考えをリセットして
目の前の事を一所懸命、ひたむきにこなす事のみに集中する。
集中している瞬間には見返りが頭をよぎることや、人の目が気になることは
ありません。結果として私たちの心持ちは落ち着きを取り戻し、
自然と良い方向へ向かっていけるのだということです。
「悔い」は物事が思う様にいかなかった時に起こる感情です。
結果が分かっていたのに行動に移さなかった時に残る感情です。
恐れる必要のない時に嫌われたらどうするか考える不必要な感情です。
恋は愛が生まれる前の一人よがりの感情です。
しかし愛が生まれるとそこから二人の感情になるのです。
この恋が、この愛が、うまくいくようにして現状を維持したくなります。
相手の要求に我慢することが多くなり不安も芽生えてくるのです。
そこに二人の冒険が無ければ愛も恋も初雪の如く消えてなくなるのです。
その悲しい結末に悔いが残るのです。
Simon & Garfunkel
「The Dangling Conversation」
そして、あなたはエミリー・ディキンソンを読んでいます
そして、私は私のロバートフロスト
そして、私たちはブックマーカーで私たちの場所をメモします
それは私たちが失ったものを測るものです
そして、部屋が柔らかく色あせた様子
あなたの影にキスだけ
私はあなたの手を感じることができません。
お前は俺にとって見知らぬ人だ
この歌詞の意味が分かりますか?
きっとあなたなら分かると思います。
1月 19th,2024
恩学 |
恋・愛・悔い はコメントを受け付けていません
例えばこれだけ会社再建で頑張ったのにもう少し頑張ろうとする気持ちは正しいですか?
これだけ開発に時間を費やしたのにもう少し資金を投じようとする行為は正しいですか?
険しい山を登ってきたのだから少し天候が悪くても登ろうとする努力は正しいですか?
私はそう思いません。過去のものを経験として残すことは大切にしますが、
今あるものに執着して経済的損失や命の危険を伴うことは絶対避けなければなりません。
日本の社会では汗を流して頑張ることを褒め称える風潮があります、
その上に一度始めたらやり続けることが正しいと評価する傾向があります。
そんな考えは今の時代には合いません。
実は私もこの考えで取り返しのつかない失敗をしました。
自分のプライドを大切にするあまり収入以上に投資をして、
過分に人を雇い海外との取引を始めてしまったのです。
今、思えば一時メリットがあっても、最大限のリスクを負わないようにする為に、
立ち止まり、全てを捨てる決断をすれば良かったと反省します。
仕事上の問題(経済的困窮)で追い込まれると冷静さを失います。
普段ならすぐ分かることも分からなくなってしまいます。
その為の解決方法としてこのような手引書があります。
Harvard Business Review
by レベッカ・ザッカー
追い込まれた時に取る対処法として5つの提案がこのようになります。
●一番の原因を突き止める
「どれか1つ、あるいは2つのことを人に引き継いだら、
いま感じているストレスを8割緩和できるか?」を考える。
実際には引き継げなかったり、その責任から逃れられなかったりしたとしても、
これを考えることが、ストレスの一番の要因を突き止めるのに役立つ。
それがもし完了間近のプロジェクトなら、片付けてしまおう。
プロジェクトやタスクの大きさがプレッシャーになっているならば、
手に負える大きさに小分けするか、人を増やしてもらうか、
可能ならば期限を交渉し直すか、あるいはその全部を行う。
●時間と労力に上限を設ける
タイムボックス(時間割)をつくり、タスクやプロジェクトに費やす時間を
あらかじめ設定する。決めた時間に退社する。あるいは、特定の種類の仕事を断る。
アジャイは、チームメンバー同士の衝突の仲裁に、かなりの時間を割いている
ことに気づいた。それによって自分の時間を生産的に使っていなかった
ばかりでなく、みずから解決しようとせずに、すぐに上司の指示を仰ごうとする
部下たちの姿勢を助長していた。
そうした相談に応じるのをやめ、自分のところに来る前にできるだけ
自力で解決するよう伝えたおかげで、仕事をじゃまされる頻度が減り、
優先課題に集中する時間をつくれるようになった。
●完璧主義を見直す
完璧主義の人は、タスクやプロジェクトを必要以上に大きくしてしまう嫌いがあり、
それが先延ばしや精神的苦痛につながることもある。
やることがたまるとますますプレッシャーになり、その結果、さらなる先延ばしと
プレッシャーを呼ぶ。シェリル・サンドバーグの有名な言葉がある。
「完璧より完遂」。これで「よしとする」タイミングを知るためには、
「このタスクやプロジェクトにもっと時間をかけた場合、限界利益はいくらか」を
考えよう。利益がほんのわずかなら、そこでやめて終わりにする。
何でも完璧にできる人はいないと、自覚することも大事だ。
スーは結局、時々メールを見過ごすことは仕方がない、重要な内容であれば
相手からまた連絡がある、という考えを受け入れることができた。
●外注するか引き継ぐ
「自分の時間を最も有効に使える仕事は何か」を考える。
その答えに当てはまらない仕事は、他の誰かを教育し、託そう。
たとえば、一部のプロジェクトの管理や会議への代理出席、一次採用面接などを
チームのメンバーに任せたり、家の掃除や料理の代行を利用したりする。
マリアは、いつも自分がやっている毎週の営業会議の進行を、他でもない
営業統括が行うべきだと気づいた。
その社員を採用してから1年以上経つのに、自分が「習慣的にやっていた」
仕事にしがみつき、手放すのが不安で、きちんと仕事を任せていなかった。
ようやく、自分は会議の報告をメールで受けるだけで十分だと認めた。
このタスク1つを手放しただけで、1年で52時間も手が空き、他の優先度の高い
戦略的課題に集中できるようになった。
●思い込みに疑問を持つ
常に追い詰められているように感じている人は、思い込みが強く、つい非生産的な
行動を取ってしまっている可能性が高い。
キーガンとレイヒーはこれを「強力な固定観念」と呼んでいる。
スーの思い込みは、「何か見落としがあったら、自分はおしまいだ、
二度と立ち直れない」というものだった。
アジャイの場合は、「人の助けにならなければ、自分に価値はない、
人から必要とされなくなる」。
マリアの場合は、「私がしっかりしなければ収拾がつかなくなり、会社が潰れる」
という思い込みだ。
本人たちは自分の固定観念を本気で信じていたが、こうした狭量な考えが
100%正しいはずはなく、彼らは過去のパターンに囚われ、
自分で自分の首を締めていた。
こうした思い込みを時間をかけて突き止め、真実ではないことを理解していくことで、
彼らはそれまでの窮屈な世界観を広げ、それによって人に振り回されるという
感覚が減り、自己主体感を高めることができている。
仕事や生活が大変なとき、誰もが追い詰められているように感じることはあるが、
その頻度や程度を軽減するために、上記の対処法を役立てほしい。
能登半島地震の高校3年生避難者の決断。
最後の追い込み期間に被災した受験生は、厳しい環境を強いられていました。
人口約500人の能登町姫地区では地震が起きた後、電気や水といった
ライフラインが止まってしまったため地域住民たちの手により、
避難所が立ち上げられました。
避難所で率先して手伝っていたのは、大学受験を控える高校3年の
堂前和海(どうまえなごみ)さんです。
【堂前和海さん(18)】「共通テスト近いんですけど、諦めるわけじゃないんですが、
最悪、受験は来年もできるんで、今できることをしっかりやろうかなと」
関西にある国立大学を目指す和海さんは、家が倒壊した訳ではありませんでしたが、
少しでも助けになれるよう避難所で寝泊まりをして、手伝ってきました。
持ってきた勉強道具は参考書1冊のみで、勉強できるのは寝る前のわずかな
時間だけでした。
1年間を無駄にしても今やるべきことをやる、この選択が大事です。
受験を無事に済ました人も、堂前和海さんのように浪人を決断した人も
想いは同じです。
禅語に「千里同風」という言葉があります。
どこも同じ風が吹いている – 千里同風 –
「論衡(雷虚)「夫れ千里風を同じゅうせず」
遠隔の地にも近くにも同じ風が吹く意から、天下がよく治まっている太平の世。
万里同風。」と言われています。
『論衡』というのは、中国の後漢時代の書物であります。
千里同風は、禅語としては玄沙禅師の言葉として知られています。
玄沙師備禅師(835~903)は中国唐代の禅僧です。
もと漁師であったといいます。
毎日父と共に漁に出ていましたが、一説によれば、父が水中に落ちてしまったのを、
救おうとしたものの救い得ずに、そこで無常を感じて出家したとも
伝えられているのです。
既に三十歳であったともいいます。
また「謝三郎」とも呼ばれ、禅語に「謝三郎、四字を知らず」とあるように、
字も読めなかったという説もございます。
後に雪峰義存禅師について修行します。
師匠の雪峰禅師も一目置いていたほどの、熱心な修行ぶりでありました。
ある時に、師の雪峰禅師から、諸方を行脚してくるように勧められました。
四度も勧められて、ようやく旅に出ました。
旅支度を終えて嶺上に到り、道の石ころにけつまずいて、忽然と大悟したのでした。
その折りに「達磨東土に来たらず、二祖西天に往かず」と言われました。
どこにも出かけてゆく必要はないということであります。
玄沙はその後生涯福州を出ることはありませんでした。
行脚するといって出かけた玄沙が、すぐに帰って来たので、不審に思った
雪峰禅師が子細を聞きました。
玄沙は自分が体験したことを話すと、雪峰禅師も大いにその悟りの心境を認めました。
そして玄沙は雪峰禅師の教えを受け継いで禅風を大いに挙揚しました。
後に寺に住してからは大いに教化活動をなさっていました。
ある僧が「私はまだ入門したばかりで、どのように修行したらいいか分かりません。
どこから手をつけたらいいでしょうか」と聞きました。
玄沙禅師は「川のせせらぎが聞こえるか」と問いました。
「聞こえます」と答えると、「そこから入れ」と答えました。
ある時に、玄沙禅師は、師の雪峰禅師のもとに一通の手紙を修行僧に届けさせました。
雪峰禅師が、久々の玄沙からの書状を開いてみると、何とそれは白紙でありました。
届けてくれた僧に、「これはどういうわけなのか」と問うても、僧は答えられません。
雪峰禅師は、白紙の手紙を取りあげて、「分からないのか、君子は千里同風だ」と
説いたのでした。
「千里同風」です。
千里離れた土地であっても、同じ風が吹いているのです。
どこにいても、心と心は通じ合っているのです。
このように白紙の手紙を見事に読み解かれました。
師弟の心が一枚になっていて実に奥ゆかしいのです。
「オンラインもない昔の人は、たとえ遠く離れていても、
同じ月を見ていると思って、心が通じ合えたのでした」と書いておきました。
玄沙禅師は石にけつまずいて開悟しました。
思わず「痛い」と叫ぶ、それはいのちある確かな証拠です。
川のせせらぎを聞くのも、いのちあればこそです。
そのいのちはどこから来たのでしょうか。
計り知れない無限のいのちを今ここにいただいて生きているのです。
吹き渡る風にも無限のいのち、仏のいのちを感じることができます。
吹く風に「千里同風」を想い、この世の争いが無くなることを祈ってやみません。
円覚寺官長横田南嶺のページより
以前、一度お会いしている横田南陵禅師の教えは、
とても分かりやすく納得するばかりです。
勿論、納得するばかりではなく、多くの人へ伝える役目として
度々ブログで紹介をさせていただいています。
これからも学びながら感謝ある毎日を過ごしていきたいと思います。
人生において「振り返る勇気と全てを捨てる決断」があれば大丈夫です。
1月 18th,2024
恩学 |
振り返る勇気と全てを捨てる決断 はコメントを受け付けていません
IBMのフィロソフィーが「野鴨の精神」というのを知っていますか?
デンマークの首都コペンハーゲンは、シェラン島(ジーランド)という島の東部にあります。
島の北部には、「ハムレット」の舞台となったクロンボー城、歴代デンマーク王の
居城フレデリクスボー城があり、大きな森と有数の湖沼地帯を抱えることでも有名です。
湖には毎年、野鴨が飛来します。1万キロを超える旅をねぎらうため、近くに住む
古老が餌をたっぷり用意して待つようになりました。
もちろん渡り鳥である鴨は、容易には餌付けされません。
しかし、毎年繰り返される饗応に、やがて野鴨たちは「何も苦労して次の湖へ
飛び立つ必要はない」と思ったのでしょうか。とうとうそこに住み着いてしまいました。
そのうちに、老人が亡くなる日がやってくると、餌をもらえなくなった鴨たちは、
自力で餌を探し、次の湖へ旅する必要にかられました。
ところが、あてがいぶちのご馳走に慣れ、野生をなくしてしまった鴨たちは、
まるでアヒルのように肥え、羽ばたいても飛べなくなっていました。
そこへ近くの山から雪を溶かした激流がなだれ込んできました。ほかの鳥たちは
丘のほうへ素早く移動しましたが、かつてたくましい野生を誇った鴨たちは、
なすすべもなく激流に飲み込まれていった、というお話です。
この話は、コペンハーゲン生まれの哲学者、セーレン・キェルケゴール(1813-1855)
が残したものです。7人兄弟の末子として、家政婦から後妻になった母と、
裕福な商人の父の間で育った彼は、若い頃から憂鬱な傾向がある一方、
物事を深く見据え、容易には承知しない実存哲学者の先駆けとして、
『死に至る病』などの著書を残しました。
なぜ、「野鴨の話」が実存哲学とつながるのでしょうか。それは彼の死後、
ドイツの哲学者ハイデッガーが、この話を「被投的投企の哲学」と呼んだからです。
人間は誰しも生まれる場所も時間も選べない。ハイデッガーの言う
「投げ込まれた(被投)」状態ですが、その限られた状態の中で、
これからどういう在り方をすべきかは、
自分の責任で瞬間ごとに決めていけます(被投的投企)。
哲学用語にすると難しくなりますが、「野鴨」に託されているのは、
そのことだというのです。
それに比べると、IBM会長の解釈である「飼い慣らされてはいけない。
飼い慣らしてはいけない」は、いかにも明快に聞こえます。
実は「投企」は英語ではプロジェクト(project)ですから、まだ誰も行ったことのない
ビジネス上の冒険を進めていくことは、「被投的投企」の連続状態とも呼べるわけです。
鶴はなぜ一本足で立つのでしょうね。鶴の生活の場は湖沼,水の中ですね。
真冬なら氷上ですよ。寒そうですね。敵から襲われない所で安心して眠りたいからです。
敵が近づけない水の中当たり前ですよ。余計な労力使いたくない,エネルギー効率を
最大限に,つまり,エネルギーを無駄なくということ!
これさえ理解していれば何にでも応用できる。
水の中は鶴にとっても冷たいはず。勿論,誰にとってでもですがね。
二本の足をつけたのではますます寒くて眠れない。「お~,寒む!」ですね。
それで熱が体内から奪われるのを半分にしよう,というわけで、片足で立つのですよ。
引っ込めた足は羽毛の中に入れて,失われる熱を最小限にするというやり方でね。
足のつけ根にはちょっとした仕組みがあって,足の先で冷やされて戻ってきた静脈血が
心臓から押し出された暖かい動脈血によって温められるのですね。
血液が混じるのではなく,動脈と静脈が複雑に絡み合い,ここで熱交換が
おこなわれるのですよ。
それで足先に送られる動脈血は逆に多少冷やされるので,全体として熱の合計量は
体の本体ではほぼ一定に保たれる。足先へ送られる冷やされた動脈血のために,
水や氷に接する足の部分からの熱の放散は,この仕組みでさらに小さくなる。
足先が温かくて氷にくっついてしまったり,氷を融かして,氷に足がめり込む
なんてことも防げる。実にうまくできていますね。
こうした熱交換システム,ワンダーネットはマグロなどにもあります。
あの血合いの部分ですよ。
鶴が一本足で立つ様子からギリシャ文字のΦ(φ),そして鶴が空を集団で飛ぶ様子
(鶴の雁行なんておかしな表現ですね)から同じくΛ(λ)がという文字が
作られたそうですよ。大昔から姿形の良さは人間を魅了していたようですね。
あなたの気づかないうちに社会という湖で餌を与えられて、飼いならされて、
飛ぶことが出来ない野鴨になっていませんか?
この国は30年来所得が変わらずその上円安になり物価が上がっている状況です。
政府の無策と企業の危機感が欠落している最悪の状況でも逃げ出しませんか?
ここで寒波(戦争・災害)が襲ってきたらなす術がありません。
あの時いう事を聞いておけばよかったと後悔するのが関の山ですよ。
何度も「恩学」でお伝えしていますが、「自立と立ち位置と足元」を常に考えてください。
足元を見る「看却下」は混乱が起きた時にはあたふたせずに、自分の足元を見なさい
という事です。
あれやこれや役に立たない知識で騒ぐのであれば、今どこにいて、今何が起こっているのか、
そして今自分は何をすべきかを、冷静に考えるべきだと伝えてきました。
無駄な努力と無駄な労力を使い果たす前に「一本足で眠ってください」。
常日頃から体力を温存して「逆境を生き抜く」訓練をしていてください。
自分にとって苛酷な状態でも生きながらえることを考えるのです。
1月 17th,2024
恩学 |
鶴は何故一本足で眠るのか? はコメントを受け付けていません
冬空を見て何も考えていない時にふとこの俳句を思い出した。
「古池や蛙飛び込む水の音」松尾芭蕉
頭の中が空っぽの時だったのでストンと音を立てて流れ込んできた。
季語は蛙(春)古い池に蛙が飛び込む音が聞こえてきた、
という単純な景を詠んだ句とされています。
芭蕉が一時傾倒していた禅の影響も受けていた句としても有名です。
僅か17語の世界で無限大の景色が浮かび上がる。
日本語の表現力の豊かさは世界が認める文化的遺産である。
大切なことは、我々はその言葉を受け取れる感受性豊かな国民だという事です。
禅は鎌倉時代に、中国から日本に入ってきた仏教思想です。
そしてそれは当時の武士たちの精神性ともうまく合致し日本で普及して
いくことになります。
禅は質素・倹約・簡略化を重んじます。
まさに引き算の美学を提案しているのです。
禅の概念を具現化した代表的なものが京都竜安寺などの石庭です。
石庭の代表的なつくりに「枯山水」というものがあります。
この枯山水はまさに引き算の美学です。最小限の素材を使用し
ほとんど何ものない状態にすることによって、水や山などの
自然を感じさせる空間をつくりだしています。
例えば金閣寺のような豪華絢爛な建築と庭から味わう贅沢さではなく、
銀閣寺のような質素であるが故に贅沢であるという感覚です。
「何もないからこそ、最高の美を感じる」という逆転の発想です。
茶道の世界を究極まで高めたのは千利休でした。
その主人は豊臣秀吉です。
田舎の足軽から天下人にまで昇りつめた豪華絢爛の象徴である秀吉。
利休茶道の「侘び寂び」思想はいわば秀吉が信じてきたことを否定するような
問いをチクリと彼に投げかけました。
その後、「侘び・寂び」精神性は後の江戸時代に活躍した俳人、
松尾芭蕉にも受け継がれてきます。
松尾芭蕉の代表的2句の解説をするとこのようになります。
「古池や蛙飛び込む池の音」
耳をキーンとするほど静寂さが漂う古い池。
その畔に1つの大きな石が転がっている。
おっ、よく見るとその石の上には1匹の蛙がいるね。
しばらくするとその蛙が池に飛び込んだ。
その刹那「チャポーン」と弾む音と鏡面のような池にスパッーっと広がっていく波紋。
その瞬間はまるで永遠の時間を感じさせるようだね。
「夏草や兵どもが夢の跡」
またここで戦があったのか。
勝った側も負けた側もそれぞれの夢や希望を持ち大義名分を抱えて戦ったんだろう。
でも戦が終わってみると一面には多くの亡き命。
その周辺には、夏草が伸び、自然のサイクルが何事もなかったかのように
ただただ続いていく。本当に無常なものだ。
それにしても本当に美しいものです。
たった17文字で構成されている文章なのに、頭の中で物語がバァアアっと
広がっていきます。この「侘び寂び」の思想も
中国の禅とそれまでの日本文化が編集されて出てきた概念なのです。
それしても「もののあわれ」や「侘び寂び」の美意識。
やっぱり日本ってとてもカッコいいです!
日本人の心にはもう一つ「陽」よりも「陰」を好む感性もあります。
明るい場所よりも、その明るさを際立てる影の部分を重んじるのです。
是も「侘び寂び」の影響を受けているものと思われます。
谷崎潤一郎の「陰影礼賛」
谷崎潤一郎は、1933年(昭和8年)当時の西洋近代化に邁進していた日本の生活形態の
変化の中で失われていく日本人の美意識や趣味生活について以下のように語りながら、
最後には文学論にも繋がる心情を綴っている。
日本人とて暗い部屋よりは明るい部屋を便利としたに違いないが、是非なくあゝなった
のでもあろう。が、美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に
住むことを餘儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、
やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実、日本座敷の美は全く
陰翳の濃淡に依って生れているので、それ以外に何もない。西洋人が日本座敷を見て
その簡素なのに驚き、たゞ灰色の壁があるばかりで何の装飾もないと云う風に
感じるのは、彼等としてはいかさま尤もであるけれども、
それは陰翳の謎を解しないからである。
われわれは、それでなくても太陽の光線の這入りにくい座敷の外側へ、土庇を出したり
縁側を附けたりして一層日光を遠のける。そして室内へは、庭からの反射が障子を透して
ほの明るく忍び込むようにする。
われわれの座敷の美の要素は、この間接の鈍い光線に外ならない。
われわれは、この力のない、わびしい、はかない光線が、しんみり落ち着いて
座敷の壁へ沁み込むように、わざと調子の弱い色の砂壁を塗る。
土蔵とか、厨とか、廊下のようなところへ塗るには照りをつけるが、
座敷の壁は殆ど砂壁で、めったに光らせない。もし光らせたら、
その乏しい光線の、柔かい弱い味が消える。
われ等は何処までも、見るからにおぼつかなげな外光が、黄昏色の壁の面に取り着いて
辛くも餘命を保っている、あの繊細な明るさを楽しむ。
我等に取ってはこの壁の上の明るさ或はほのぐらさが何物の装飾にも優るのであり、
しみじみと見飽きがしないのである。
尤も我等の座敷にも床の間と云うものがあって、掛け軸を飾り花を活けるが、しかし
それらの軸や花もそれ自体が装飾の役をしているよりも、陰翳に深みを添える方が
主になっている。われらは一つの軸を掛けるにも、その軸物とその床の間の壁との調和、
即ち「床うつり」を第一に貴ぶ。われらが掛け軸の内容を成す書や絵の巧拙と同様の
重要さをに置くのも、実にそのためであって、床うつりが悪かったら
如何なる名書画も掛け軸としての価値がなくなる。
それと反対に一つの独立した作品としては大した傑作でもないような書画が、
茶の間の床に掛けてみると、非常にその部屋との調和がよく、
軸も座敷も俄かに引き立つ場合がある。
俳句の世界、茶の湯の世界、日本人好みの陰翳の世界。
どれもこれも禅と武士の真意があるように思えてなりません。
贅沢を廃止、質素を重んじて、簡素で簡略化された中に、
人としてあるべき姿が浮き彫りにされている気がします。
豪華絢爛に騙されずに、流行に目を奪われずに、シンプルに人の心を大切に
してきた結果が、俳句であり、茶の世界であり、陰翳礼賛の世界です。
いつまでも日本人の感性を楽しみましょう。
1月 16th,2024
恩学 |
古池や蛙飛び込む水の音 はコメントを受け付けていません
カブク、ハグレ、ウツケ、フヌケ、全て世間から異端の目で見られた者を
いう言葉である。
日本の芸能の歴史は異端の人間から始まってきた。
歌舞伎や能の歴史には必ず登場した「阿国と世阿弥」。
どちらとも決して恵まれた環境で華々しく登場したのではなく、
どちらかというと世間においては変わり者と疎まれていた。
伝承文化を伝統文化に変えていくのは、ある意味その時代の不良と呼ばれた
者たちが発火点を作る。それは革新的破壊である。
頭の中にある「当たり前」という時代の意識が、「あり得ない」「無理」という
認識に変わる。しかしあり得ないところに未来が創造される。
「出雲の阿国」
生没年不詳。慶長八(1603)年、京において歌舞伎踊を演じ、
歌舞伎の創始者となった女性芸能者。出雲大社の巫女みこと称していたが、
出身地は不詳。おそらくは京もしくはその周辺の出身であろう。
歌舞伎踊を創始する以前は、ややこ踊と呼ばれる芸能を演じていた。
ややこ踊の名称は、天正九(1581)年ごろから見出せるが、そのころ10歳前後
の幼女であったと思われる。時の宮廷や上級公家の邸に招かれて演じているが、
西日本各地から東海北陸地方まで巡業していた形跡がある。
天正一六年にはすでに出雲の巫女と名のって、神楽や小歌なども演じていた。
美人ではなかったとの記事もあるが、芸能に対するぬきん出た感覚の持主で
あったと思われる。歌舞伎踊での成功の前後は、京では北野神社の境内の
舞台を本拠としていた。慶長一二年には江戸城内でも興行している。
慶長一八年以降の消息はつかめない。
「能楽の世阿弥」
世阿弥は、父・観阿弥(かんあみ)の後を受けて、能を飛躍的に高め、
今日にまで続く基礎を作った天才といえるでしょう。
生涯を通してどのような能が感動を呼ぶのか探求し、手ごわいライバルが
いたにせよ、足利義満(よしみつ)・義持(よしもち)の2代の将軍の時代を
通して、一定の評価を得ることに成功します。
ライバルの芸の長所を取り入れることもうまく、特に犬王(いぬおう)の
天女舞(てんにょまい)を大和猿楽に取り込むことなどにより、物まねの
面白さが中心だった大和猿楽の能を、美しい歌と舞が中心となる
能に洗練させました。
世阿弥は能の台本を作ることをとても大切にし、世阿弥の時代に能の数は
格段に増えています。その中で、人間の心理を深く描き出すことのできる
「夢幻能(むげんのう)」という劇形式を完成させたことは、大きな業績です。
また、和歌や連歌の技法をふまえて、詩劇と呼びうるような文学的情緒に
あふれた能の台本を制作する方法も確立しました。
その昔日本の伝統文化は「河原乞食」と言われて最下層に位置付けられていた。
海外においても似たり寄ったりですが、文化は贅沢とされてそれを行う者は
逸れ者とも言われてきたのである。
モーツァルト然りでパトロンの貴族に呼ばれてパーティーで演奏していた。
リクエストに応じてその都度曲を創り出さなければならなかった。
モーツァルトの手がけた数々の曲は、当時存在していた音楽ジャンルの
ほぼすべてに渡っていました。
ピアノやヴァイオリンのソロから、室内楽、小編成のオーケストラ、大編成の
オーケストラに、オペラまで手掛けており、そのどれもが名曲であると
言われています。
モーツァルトほど数多くの曲と多様なジャンルを手掛けた作曲家は他に
例がなく、まさに奇跡の音楽家といわれているほどです。
しかし晩年のモーツァルトは、音楽家として活躍しながらも生活を満たせるだけの
収入が得られずに苦しい状況が続いたと言われています。
さらに晩年には度々病に臥せるようになり、薬も服用していました。
そして1791年、ウィーンで35年の生涯を終えます。
ファッションデザイナー、ココシャネルの言葉に「流行はその国の不良を見ればわかる」
これは言い得て妙である。パンクファッションのように服は言葉なのである。
流行とは外面だけで無く内面に狂気じみた思想が無ければならない。
ここ数年思想を映し出すほどのファッションは生まれていない。
ココシャネルは孤児院や修道院で育ちました。 18歳で修道院を出た後は、
洋品店でお針子の仕事をしながら、ラ・ロレンドというショーパブで歌うようになり、
人気を博していました。 「ココ」の愛称は、その時に歌っていた歌
「Qui qu’a vu Coco dans le Trocadero(トロカデロでココを見たのは誰?)」に
ちなんで付けられたものです。 しかし、実力ではなく客寄せとしてステージに
立たされていたことを知ったココは、歌手の道を断念します。
文化に翻弄されたモーツァルトとココシャネル。
しかし時代に大きな爪痕を残したのは確かである。
「ロックの伊丹谷」
20人も入ると一杯になる恵比寿のバーで、今年最初のライブ「うた」が行われた。
あらゆる規模の会場でパフォーマンスを繰り広げてきた伊丹谷が、あえてここを選んだ
理由がある。今の自分の意思を伝えるために、ライブハウスではなく、小さなバーで演奏
するのは「うた」本来の強いメッセージを伝えやすいからである。
今の時代、レコー会社と契約してタイアップを付けてヒット曲にして、ドーム級の
コンサートをしても、それはアーティストという存在ではなく、
商業主義のキャラクターとなり「うた」本来の持つメッセージを伝えたことにはならない。
あまりにも時代を変えるほどの「うた」の存在が無く、好きなアーティストが
歌っているからその場所へ行くアミューズメントライブになっている。
今、世の中の意識ある人を集めて魂を投げかけなければ市民レベルの革命は起こらない。
この会場で音楽ファンも画家も写真家も大学教授も能楽師もお茶の家元も参加できる
空間を作りたかった。
その日のテーマによっては、観客もライブの最中に飛び込んでもいい、
歌であったり演奏であったり、詩の朗読であり、果てはマイクに向かって激論を
飛ばしても良い。
第一回目のテーマは「仏陀」。あえてこのテーマからやり始めたのには意味がある。
仏教の世界の理念とロックの融合の可能性を試したのである。
人生の喜怒哀楽、悩みの原因、そしてそれらを抜け出すための仏陀の理念を、
映像とナレーションを組み合わせて、そこに生声で「うた」が入る。
観客が理解できるかできないかでは無く歌声でしっかりとメッセージを伝える。
初めての試みなので面白いとか好きではないとか色々意見があっても構わない。
歴史の上では世界の各地でいつもこのような市民活動は繰り広げられていた。
私が80年代のNYへ仕事で出かけた時に、音楽関係者から今一番トレンドな会員制
クラブがあるから行かないかと誘われた。名前は「タンネル」いわゆる地下鉄の
トンネルの中である。
音楽家も画家も役者も先端を言っている尖った連中のたまり場であった。
後で聞いた話ではその時アンディーウォーホルもいたらしい。
そこはまさしく歌っているやつ、踊っているやつ、話し合っている連中がいて、
新しい時代を求めている叛逆児のパワースポットであった。
音楽は人がコミュニケーションを取りやすいただの環境音楽だった。
私に言わせればバンクロックも心地よい環境音楽であり、
眠っている魂を呼び覚ますためのカンフル剤であるに変わりがない。
伊丹谷良介の決意書。
「新春うた」テーマ「ブッダ」「心を整える合理的な方法」
他人の過失を探し求め、常に怒りたける人は煩悩の汚れが増えていくでしょう。
他人の過ちを見るのではありません。他人のしたことしなかったことを
見るのでもありません。
あなたはただ自分のしたこと自分がしなかったことだけを見れば良いのです。
まず自分を正しく整え、次に他人を教えることです。
そして他人に教えるとおりに、自分でもおこなうのです。
自分をよく整えた者こそ、他人を整えることでしょう。
無益な語句を千たび語るよりも聞いて心の鎮まる有益な語句を一つ聞く方が
優れています。無益な語句よりなる詩が千あっても聞いて心の静まる詩を
一つ聞く方が優れています。
戦場において100万人に勝つよりも ただ一つの自己に克つ者こそ実に最上の
勝利者なのです。勝利すれば、恨みが起こり敗北すれば、
苦しみに悩まされます。勝敗を捨て去った者が、安らぎの境地へと
向かうのです。恥じなくてもよいことを恥じ恥ずべきことを恥じない人々は
よこしまな見解をいだいて悪い所へ赴くでしょう。
恐れなければならぬことを恐れない人々はよこしまな見解をいだいて悪い所へ
赴くでしょう。避けなければならぬことを避けなくてよいと思い避けては
ならぬことを、避けてもよいと思う人はよこしまな見解をいだいて悪い所へ
赴くでしょう。あの人も言っていた心を開いてYESって言ってごらん
全てを肯定して見ると見つかるもんだよYES YES YES
何もいらないただ歌おう僕らの愛のうた僕らの愛のうた
「仏陀」をテーマとして企画した、その為に100時間以上費やして
作った映像とナレーション。それらに絡み合っているサウンドがピッタリと合っていた。
デジタル音の合間に登場して生ギターで、生ピアノで熱唱する。
まるで伝説の革命家チェ・ゲバラのアジテートように叫び大声を上げる。
その覚醒した姿に観客は度肝を抜かれた。
ある時期、時代を制したボブディランもゲンズブールもスティングもサルトルも
彷彿とさせた。要するに文化の発信のスタイルがそれぞれ違っても、
時代を刺激させたことには変わらない。
ここから歴史が始まる。伊丹谷良介の哲学がロックに乗って響き渡る。
過去の価値観を共有して新しい時代を求めていく、まさに「温故知新」の
世界である。狂え!伊丹谷良介!今からもっと狂え!そして時代の孤児になれ!
そこに知的革命が起こるまで。
1月 16th,2024
恩学 |
「温故知新」そして始まり はコメントを受け付けていません