鶴は何故一本足で眠るのか?




IBMのフィロソフィーが「野鴨の精神」というのを知っていますか?

デンマークの首都コペンハーゲンは、シェラン島(ジーランド)という島の東部にあります。

島の北部には、「ハムレット」の舞台となったクロンボー城、歴代デンマーク王の
居城フレデリクスボー城があり、大きな森と有数の湖沼地帯を抱えることでも有名です。

湖には毎年、野鴨が飛来します。1万キロを超える旅をねぎらうため、近くに住む
古老が餌をたっぷり用意して待つようになりました。
もちろん渡り鳥である鴨は、容易には餌付けされません。
しかし、毎年繰り返される饗応に、やがて野鴨たちは「何も苦労して次の湖へ
飛び立つ必要はない」と思ったのでしょうか。とうとうそこに住み着いてしまいました。

そのうちに、老人が亡くなる日がやってくると、餌をもらえなくなった鴨たちは、
自力で餌を探し、次の湖へ旅する必要にかられました。
ところが、あてがいぶちのご馳走に慣れ、野生をなくしてしまった鴨たちは、
まるでアヒルのように肥え、羽ばたいても飛べなくなっていました。

そこへ近くの山から雪を溶かした激流がなだれ込んできました。ほかの鳥たちは
丘のほうへ素早く移動しましたが、かつてたくましい野生を誇った鴨たちは、
なすすべもなく激流に飲み込まれていった、というお話です。

この話は、コペンハーゲン生まれの哲学者、セーレン・キェルケゴール(1813-1855)
が残したものです。7人兄弟の末子として、家政婦から後妻になった母と、
裕福な商人の父の間で育った彼は、若い頃から憂鬱な傾向がある一方、
物事を深く見据え、容易には承知しない実存哲学者の先駆けとして、
『死に至る病』などの著書を残しました。

なぜ、「野鴨の話」が実存哲学とつながるのでしょうか。それは彼の死後、
ドイツの哲学者ハイデッガーが、この話を「被投的投企の哲学」と呼んだからです。

人間は誰しも生まれる場所も時間も選べない。ハイデッガーの言う
「投げ込まれた(被投)」状態ですが、その限られた状態の中で、
これからどういう在り方をすべきかは、
自分の責任で瞬間ごとに決めていけます(被投的投企)。
哲学用語にすると難しくなりますが、「野鴨」に託されているのは、
そのことだというのです。

それに比べると、IBM会長の解釈である「飼い慣らされてはいけない。
飼い慣らしてはいけない」は、いかにも明快に聞こえます。
実は「投企」は英語ではプロジェクト(project)ですから、まだ誰も行ったことのない
ビジネス上の冒険を進めていくことは、「被投的投企」の連続状態とも呼べるわけです。

鶴はなぜ一本足で立つのでしょうね。鶴の生活の場は湖沼,水の中ですね。
真冬なら氷上ですよ。寒そうですね。敵から襲われない所で安心して眠りたいからです。

敵が近づけない水の中当たり前ですよ。余計な労力使いたくない,エネルギー効率を
最大限に,つまり,エネルギーを無駄なくということ! 
これさえ理解していれば何にでも応用できる。

水の中は鶴にとっても冷たいはず。勿論,誰にとってでもですがね。
二本の足をつけたのではますます寒くて眠れない。「お~,寒む!」ですね。
それで熱が体内から奪われるのを半分にしよう,というわけで、片足で立つのですよ。
引っ込めた足は羽毛の中に入れて,失われる熱を最小限にするというやり方でね。

足のつけ根にはちょっとした仕組みがあって,足の先で冷やされて戻ってきた静脈血が
心臓から押し出された暖かい動脈血によって温められるのですね。
血液が混じるのではなく,動脈と静脈が複雑に絡み合い,ここで熱交換が
おこなわれるのですよ。

それで足先に送られる動脈血は逆に多少冷やされるので,全体として熱の合計量は
体の本体ではほぼ一定に保たれる。足先へ送られる冷やされた動脈血のために,
水や氷に接する足の部分からの熱の放散は,この仕組みでさらに小さくなる。
足先が温かくて氷にくっついてしまったり,氷を融かして,氷に足がめり込む
なんてことも防げる。実にうまくできていますね。
こうした熱交換システム,ワンダーネットはマグロなどにもあります。
あの血合いの部分ですよ。

鶴が一本足で立つ様子からギリシャ文字のΦ(φ),そして鶴が空を集団で飛ぶ様子
(鶴の雁行なんておかしな表現ですね)から同じくΛ(λ)がという文字が
作られたそうですよ。大昔から姿形の良さは人間を魅了していたようですね。

あなたの気づかないうちに社会という湖で餌を与えられて、飼いならされて、
飛ぶことが出来ない野鴨になっていませんか?

この国は30年来所得が変わらずその上円安になり物価が上がっている状況です。
政府の無策と企業の危機感が欠落している最悪の状況でも逃げ出しませんか?
ここで寒波(戦争・災害)が襲ってきたらなす術がありません。
あの時いう事を聞いておけばよかったと後悔するのが関の山ですよ。

何度も「恩学」でお伝えしていますが、「自立と立ち位置と足元」を常に考えてください。
足元を見る「看却下」は混乱が起きた時にはあたふたせずに、自分の足元を見なさい
という事です。
あれやこれや役に立たない知識で騒ぐのであれば、今どこにいて、今何が起こっているのか、
そして今自分は何をすべきかを、冷静に考えるべきだと伝えてきました。

無駄な努力と無駄な労力を使い果たす前に「一本足で眠ってください」。
常日頃から体力を温存して「逆境を生き抜く」訓練をしていてください。
自分にとって苛酷な状態でも生きながらえることを考えるのです。