世の中全てに対して、私と相手、宇宙と地球、自然と人間、言葉と思いなど
常に「と」がつく行間を読まなければならない。
日本では哲学を教えないから決められたことが正しくて、疑いを持つなと
教育される。城主と武士の「と」を読めずに武士道などが美化される。
社長と社員の関係も疑問を持たず全てに従う従順な社員は出世する。
反対に多くの疑問を持つ人間は必ず村八分の制裁が待っている。
ママ友しかり知ったかぶりの高圧的なママがあれこれ指示する。
これに意を唱えれば子供に被害が及ぶと若いママは恐怖に囚われる。
昔も今も変わらぬ「と」のいじめの構造である。
果たして「と」は何か?とは全てを繋ぐ「と」を誰も教えてくれなかった。
たとえば正義と悪と書いた場合に、何が正義で何が悪か分からない時に
どちらかを選べと言われたら答えに窮する。
学校で学んだ一般的常識で判断することが正しいとは限らないからである。
必要悪は本当に悪いと判断して良いのかと悩みますね。
しかしある時に谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を読んだ時にその謎が分かりました。
「と」は影である。明るさと暗さの間にある影だと気づいた。
掴みどころのない存在だけど光のあるところには必ず存在する。
いわゆる「と」は甲と乙の間に存在する影なのである。
確かに目に見えるのだが自分から形は作れない。
物思いに耽りたい時など、あなたの関心事や問題意識に照らし、
そうした閃きや気づきの抽象化(一般化)を進め、あなたのオリジナルの
「メタ認知」へと昇華させてみては如何でしょうか。
きっとあなたの思考空間は一層活性化され、関心事や問題意識にたいする
ロジカルな仮説へ至る歩留まりが高まることでしょう。
あなたの思考ロジックを相対化して、行間に潜在する他者の知性に触れること、
世代を超えて読み継がれてきた名著や世界中で多くの読者の手に取られている
書籍の行間に潜在するであろう時・空を超えた知性にも触れることができます。
便利と不便を考察する。
人間は便利さを求めて今日まで科学が進化してきた。
コンピュータの世界は便利さを求めた究極の世界である。
そのために人々は使いこなすために時間とお金を費やしてきた。
何もしないでも世界の隅々まで声と顔が移動できることに一喜したのである。
果たしてこれは本当に便利なのだろうか。
コンピュータとの対話は五感の喜びが何も感じずに手放しで喜べない
不思議な感覚である。何故なら常にコンピュータが支配するからである。
私はどちらかと言うと不便さを求めて生きてきたのだと思う。
不便だから知恵を絞って工夫をする。そこに面白味が生まれる。
一つの経験からまた次の進化に向かって歩み続けることができる。
そこには真実があり達成感もあった。
AIが出来ないのは未来に対して創意工夫が出来ないことである。
いくらデーターから紐解いて予測してもワクワクドキドキ感は生まれない。
自動運転の車や人も運ぶドローンが出来ても喜ぶのは誰だろうか?
人生のサポートが出来ても未来を描き感動は作れないのである。
生まれたばかりの赤ん坊は自分で表現ができるようになり歩けるようになる。
そして言葉を覚えて両親と抱きしめ合うことを喜びとする。
両親にとっても子供の成長の過程は何者にも変え難い貴重な体験となる。
コンピュータから触れ合う喜びは作れない。
AIの得意分野は医療関係と聞いている。過去の症例を見つけ出し素早く
処置ができるので難しい病気を抱えている患者には朗報である。
しかしAIが誕生から死亡まで管理することになると如何なのだろうか?
育児も子育ても過去の症例から最適なものを選び出し管理すると優秀な
アンドロイドが生まれても優秀な人間は生まれないはずである。
照れ屋で引っ込み思案の女の子の声や仕草で感情が読み取れるのだろうか?
性格がキツめでたくさんの人には好かれないが、特定の人には好かれることも
ある。痘痕(あばた)があってとてもとても美人と言われなくても、愛嬌ある顔だと
好む人もいる。おっちょこちょいで仕事のミスも多いが真面目で根気があれば
職場の人気者として活かされることもある。人はそのままでいいんだよ。
そのままが一番いいんだよ。無理をしなくてもいいんだよ。にんげんだもの。
この時代はますますコミュニケーションが下手になります。
SNS上のやり取りには行間がありません。やりとりが便利になった分
感情を入れる必要がなくなったからです。
家族や親類の人たち、仕事上の同僚先輩たち、
地域の活動で知り合った友達、上手く話せなくても会話は必要です。
出来ればたまには手書きのお便りも出すのも良いかもしれません。
何かプレゼントをする場合にも一言添えて渡す方が喜びも伝わります。
私は子供の頃に少し不遇な経験をしました。そのお陰で敏感に行間を読むことが
出来るようになりました。オーディションで新人を選ぶ時も、レコーディングの時も、
プロモーション活動の時も、その人が発する波長からベストパートナーを
選んだのです。その甲斐があって多くのヒット作品に巡り会ったのです。
決して肩書きや推薦文や事務所の大きさで判断したことはありません。
アーティストの才能と世の中のニーズを考えてベストタイミングを作りました。
私が傲慢で偉そうにしていると業界では定説になっていました。
しかしヒットの数が多いので面と向かって誰も意見を述べた人はいません。
決して誇れることではありませんが本気度が強く表面化していたのです。
私は担当したアーティストやタレントと一対一の関係を結びました。
私の想像するスターの道へと導くためにです。スターはいつでも見つめることは
できるが、手の届かないところに存在しているというのがプロデュースの基本でした。
そのために制作中は家族とのコミュニケーションも取らなくしていました。
今でも家族からはあの時のパパは偉そうにしていて大嫌いだったと言われます。
今では仕事とプライベートは分けられるようになりました。
高齢者への配慮も、若者たちとの対話もスムーズに取ることが出来るようです。
ある意味好々爺的な雰囲気で会話を始めているからでしょうか?笑い
あなたは行間を読んで人生を楽しんでいますか?
行間を読むとは自分の感性を楽しむことです。
9月 11th,2024
恩学 |
行間を読む はコメントを受け付けていません
順調に仕事がまわっているのに突然何もかも投げ出したくなる時がある。
家族や友人と仲良くやりながら生きているのに心が空(から)になる時がある。
信頼は積み重ねることが大切だと分かっている筈なのに急に仲間に背中を向ける。
何もかも捨ててゼロから挑戦を始めたくなる。もう何度目だろう・・・
これは仏教でいう五陰盛苦(ごおんじょうく)の世界である。
五陰盛苦とは人の心や身体を形成している、感覚や欲求、
意識からくる全ての苦しみ。自分をコントロールできない苦しみなど
心身ともに安定しているのに突然虚しさが襲って来る。
五体健全なのにやりたいことが出来ない苦しみを味わう。
愛があるから幸福ではなく愛が失われて不幸だと思うところにも幸福はある。
方丈記「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶ
うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」
愛も同じように年月と共に変化をして、もとの愛ではないことを知るべきである。
「諸行無常」世の中の一切のものは常に変化し生成して、永久不変なものはない。
一度だけ成功を望む人は一度山へ登頂した人と同じで、
登ることだけに神経を集中して下ることを忘れていることが多い。
成功で得た財産などの数値で測れる成功や幸福は一瞬にして消え去る恐れがある。
しかし数値で測れないところに「利他心」というおもいやりの行為がある。
満足とは何、完璧とは何、幸福とは何、他人との比較の中に
決して答えは含まれていない。
一般的に「人間とは」教育で論理的に定められた常識が正しいと判断する。
それぞれが思い込みの理屈に従って意識を持って行動する。
しかし「人は」情緒的に判断をして好奇心の赴くまま無意識に行動する。
「人間」は数字的に増えることが成功だと勘違いしている。
「人」は資源を減らさないことが大切だという事を言い続けている。
ここでいう人間とは意識の上で行動してゴールを目指す人。
私のいう人とは無意識のうちに行動して歓喜を味わう人のことをいう。
戦前の日本では誰もが無駄を減らすことが「真善美」の極致だと
教えられてきたのに、戦後アメリカの占領地政策により
自由経済が施行されて増やすことが幸福なのだと徹底的に植え付けた。
そのために各地の街中に家庭の中に不要なものが溢れかえった。
我々日本人はまるで糸車の中を走るモルモット状態で
終わりの見えない自由経済の輪の中を走り続けている。
人は山の木を勝手に折らないし、道端の花も勝手に摘み取らない、
ましてや海や川にゴミを捨てるなど決して行わない。
人間は自分本位で行動して自分の快適さを追求する。
他人の迷惑など考えずにレベルの低い本能で振り回される。
人は他者本位で行動して共存を望み永遠を追求する。
これは縄文時代には当たり前のように考えられていたことである。
息苦しくて理不尽な社会にふと空虚な日々が襲ってくる。
この辛さから逃げ出したくなる。
このような気分になるのは病気でなくても起こるときがある。
これは恥ずかしいことでは無く結構人間なんて弱いものなのです。
しかし、皆様も知識として知っておいてほしいことがあります。
最近若年層の自殺が増えてきています。
心が未熟故に早い内から死を選択します。
先日、友人から送られてきたメールにこのような警告文がありました。
自殺行為は「衝動」です。
本当に辛い時には、誰でも前触れもなく突然襲ってきます。
「衝動」は、突然襲ってくるのです。
もし突発的に自殺行動の衝動が起こったら
*しゃがみ込む
*自分で自分を抱きしめる
*助けを求める
*身体を動かす(顔を洗う、ホットタオルで首や顔を温める)など、
衝動を逃すための行動をとって耐えてください。
自分で自分の身を守ることはできるのです。
あなたも、あるいは周りで誰かを支えているあなたも
このことはぜひ知っておいてください。お願いです。
三鷹カウンセリングルームリバイブ 小島知子さんより。
頭の中では満たされていると思いながら
心の中にはポッカリと穴が空いています。
今の気持ちは言葉にも文字にも表せない激しい苦悩に襲われる。
大海の孤島に漂流した遭難者の様に生きる術が見つからなくなります。
相談する相手も見つからずどんどん悪い方へ追い詰められていきます。
助けて欲しいというシグナルは発信しているのに誰にも気づいてもらえない。
このまま孤独に追い込まれるなら命を断った方が良いのかと考える。
仏教用語にこのような言葉があります。
不立文字(ふりゅうもんじ)とは、
「(お釈迦さまの教えは、)文字で伝わるものではない」という意味です。
「文字で伝わるものではない」という意味をもう少し詳しく説明すると、
経文から離れて、お釈迦さまのようにひたすら座禅をし、
からだで体験することで悟りを実感しなさい、ということです
また、悟りの境地は言葉で説明することができないという意味も込められています。
私なりの解釈で言うといわゆる真理や悩みは文字に表せないということです。
身心脱落(しんじんだつらく)とは、
曹洞宗(そうとうしゅう)を開いた道元(どうげん)が
悟りを開いたきっかけになった言葉で、
「身体も精神も束縛から解き放たれること」という意味です。
道元が中国へ禅を学びに渡っていたとき、
師匠が、座禅中に寝ていたお坊さんをしかりました。
「座禅をするのは身心脱落のためである。居眠りしていては悟りを得られないぞ」
この師匠の言葉を聞いたときに、突然ひらめいた道元は、悟りを開きました。
そして道元は師匠に「悟りました」と伝えるために、
「身心脱落」と言ったと伝えられています。
ちなみに、道元は只管打坐(しかんたざ)という言葉も残しています。
これは、「ただひたすらに座ること」という座禅の心得を表した言葉です。
迷ったら悩みの壁から逃げるのではなく壁の前で壁を見つめることが大切です。
「何故」という疑問に立ち向かうのは行動あるのみです。
心が疲れたら身体を疲れさすことです。身体が疲れたら心に集中が出来ます。
今、空虚な日々を送っている方とことん悩んだら立ち上がり歩き始めてください。
山へ行って大声上げて「馬鹿野郎」と叫べばスッキリしますよ。
海へ行って誰もいないところで大声上げて泣くのも良いですよ。
心も体も疲れたら解放してあげましょう。心身脱落になりましょう。
9月 10th,2024
恩学 |
空虚な日々の過ごし方 はコメントを受け付けていません
世界的に有名なビートルズのヒットの方法が紹介されていました。
しかしこれは売れる方式の表層の一部です。
マーケターが分かりやすく一部をデフォルメして発信しているだけです。
しかし間違いではありません。私も何度も同じ手法を使いました。
新人のアーティストを担当した時に先ずはサクセスストーリー(計画表)を
作ります。このアーティストがどのエリアからどの年齢層に受け入れられるか
考えます。そこには楽曲の良さはもちろんアーティストの見た目にも発言にも拘ります。
その設計図をもとに雑誌社や深夜番組やテレビの音楽番組に売り込みに行きます。
少し状況が見えてくれば代理店へ行きCMなどのタイアップをお願いに行きます。
タイアップが決まれば人気テレビ番組へ出演が可能になります。
地方の放送局へも足げくかよい有線放送局へも新聞社にも挨拶に行き名前を
覚えてもらいます。地方へ出かけた時には必ずレコード店にも行き店長への
ご挨拶も欠かしません。そうすれば発売と同時に面出しをしてくれます。
(面だしとは棚に並べられたCDの一番前に置くことを言います)
時代によっては人間味を表に出すために若者のファッションを、
そのまま取り入れることもありました。ジーパンにスポーツシャツ的な感じです。
浜田省吾はそのイメージで世の中に定着しました。
アーティスト写真やアルバムの写真などにも拘りました。もちろんデザインも重要です。
私はプロデューサーとして頭の先からつま先までイメージ作りに励みます。
その中でも一番記憶に残っているのは久保田利伸の時です。
ロンドン在住のデザイナーKOSHINNO MICHIKOから依頼があり、
これからデビューするアーティストに洋服を提供したいとの申し入れです。
スティングやボーイジョージなどのデザイナーとして有名な方との
コラボレーションです。興奮しました。
先ずデビュー前の久保田利伸のデモテープを送り気に入っていただきました。
出来るなら普段の洋服から、取材用、ステージ用と全てをMICHIKO LONDONで
統一したいとお願いしたところ快く快諾していただきました。
日本ではまだMICHIKO LONDONは知られていないブランドだったので
マスコミ用にファッションショー企画をしました。
演出を秋元康に依頼して当時貸し出しが難しかった蔵前の国技館で行ったのです。
そしてショーの中盤で新人の久保田利伸が登場して歌を披露多くの取材陣は
色めきだった。日本人初のR&BシンガーがMICHIKO LOMDONの服を着て
歌とブレークダンスを披露したのですから会場は大盛り上がりでした。
その後はご存じの通りMICHIKOも久保田も大ブレークしたのです。
私は英国でビートルズのサクセス・ストーリーを聞いていました。
私のプロデューサーとしての手法は英国で学んだことがお手本になっています。
今回はネットに立ち上がっていたこの記事をご紹介します。
『ビートルズ』に9割の人が魅了されてしまう理由とは?
20世紀を代表する音楽グループ、ビートルズ。
みなさんご存知の通り、若くして成功を手に入れたバンドグループの1つですよね。
ビートルズといえば…..
『Let it be』や『Yesterday』、『Hey Jude』など、多くの大ヒット音楽を
手がけています。
実は、このビートルズの大ヒットには、とある仕掛けが隠されていたのです、、、
もちろん、天才的な「ジョン・レノン」「ポール・マッカートニー」「ジョージハリスン」「リンゴスター」
彼ら4人の歌唱力やスター性、彼らの才能が素晴らしかったのは
いうまでもありませんが…
実は大ヒットの理由はそれだけではありませんでした。。
大ヒットの秘密、それはビートルズのマネージャーの巧みな『見せ方』に
ありました。
その男の名前は「ブライアン・エプスタイン」
当時のビートルズは地方都市の人気バンドの一つにすぎませんでした。
当時、その地方には同じように300組くらいのロックグループが成功を
夢見ていたのです。
300組も競合がいたのですから、ものすごく競争が激しいのがわかると
思います。
そんな状況の中、あなたなら、どのようにまだ無名のビートルズを大ヒットさせますか?
周り競合のグループは、自分たちのことを多くの人に知ってもらう為に、
ひたすらレコードをかけて回ったり、曲の素晴らしさをポスターで伝えたりして
いました。しかし、ブライアンは違いました。
彼はその前に『あること』に拘ったのです。それは、、、
『不良の音楽』というイメージの払拭。
彼は、大衆に愛される音楽グループにする為、当時ロックグループにあった
『不良の音楽』というイメージの払拭を行いました。
具体的に何をしたのか?というと、、
ブライアンは、まず50年代のエルビス・プレスリーがなぜ大ヒットしたのか?
を入念に分析しました。
そして音楽ビジネスを大きく育てる為には、ただ単に良い音楽を聞かせる
だけではダメだ。
という結論に至り、印象付けを上手にしていくこと、つまり『見せ方』に
こだわる必要性に気づいたのです。
それからというもの
・スーツとネクタイをメンバー全員に用意
・ヘアスタイルはリーゼントからマッシュカットを採用
・コンサート演奏で1曲終わるごとに全員でのお辞儀を徹底させる
などして、他の『不良な』グループのイメージとは違い、『礼儀正しい』
グループのイメージ戦略を徹底して行いました。
そうやってブライアンは、ビートルズというグループの「見せ方」にこだわる
ことで、そのほかのロックグループとの違いを作り、注目させ、世界トップ
クラスの超人気バンドグループを誕生させたのです。
世の中に良い音楽はたくさんあります。そして、我々消費者は、作り手が
思っている以上に、音楽の品質の違いを理解していません。
つまり、どれも同じような音楽に聞こえてしまうので、存在を知ってもらう
だけでは、買ってくれないのです。
音楽の見せ方を変えて、はっきりと『他とは違う音楽』に見せなければ
いけません。
実際、ブライアンの手がけたビートルズは素晴らしい逸材でしたが、
それだけではなく「見せ方」にこだわったことで、他とは違うグループとして
注目され、成功していますからね。
「良い音楽が売れる、悪い音楽が売れない、ではなくて、その音楽の良さが
どう伝わるか?が大事なんです。
その音楽の良さを、どのように見せるかによって、消費者が受け取る心理的に
ブランド価値や満足度、印象が変わります。見え方で全てが変わります。」完
私は音楽プロデューサーとして必ずヒットさせることが仕事です。
幸運にも少しだけヒットに恵まれたのはマーケティングの手法を取り入れたからです。
74年当時はマーケティングという言葉も一部の人間しか使わない言葉でした。
私なりに英国で学んだことと自分なりの考えを取り入れて実行しました。
それが功を奏したのです。
ヒットは偶然に生まれません。偶然を創り出すのがヒットです。
今世の中で何が求められているか知るアンテナ(感性)が必要です。
報道や雑誌からまた他人の言動からそれを引き出すのです。
ヒットを作るのは思ったほど大変ではありません。
9月 9th,2024
恩学 |
ヒットの作り方 はコメントを受け付けていません
音楽は時代の中の文化と経済の推進力としてまた潤滑油としての存在がある。
素晴らしい楽曲は多くの政治家や科学者にも多大なる影響を与えてきた。
そして一般大衆の政府に対する不満や怒りに対しても同調したり慰めたりもした。
しかし時には戦いに出向く兵士の士気を鼓舞する役目も果たしてきた。
音楽は現実を見つめる目であり理想に心躍らせる鎖でもある。
「音楽で革命の成功はない」と言い切る大学教授がいる。
「Wood stock」も「We are the World」も何も成果を残していない。
音楽からは何も革命は起こらないと言い切る。
自身もロックを愛好しているというのに不思議な発言である。
この教授は木を見て森を見ずの唐変木である。
革命は武器を持って戦うだけではない。
武器を持たずして楽器を持って戦うこともできる。
人々に愛国の精神と立ち上がる勇気を与えることも
音楽の大きな成果として認めるべきである。
ジャマイカで起こったレゲエ(音楽)革命。
1978年、ボブ・マリーはジャマイカに帰国し4月22日にキングストンで
「ワン・ラブ・ピース・コンサート」に出演する。そして「Jamming」の演奏中、
マリーはコンサートを見に来ていたマイケル・マンリーとエドワード・シアガの
二大政党の党首をステージに上に招き、和解の握手を結ばせて争いを収めた。
政党間の争いが市民活動にまで飛び火して殺人事件が頻繁に起こっていた。
ボブ・マリーも銃弾に倒れて瀕死の重傷を負いながらのステージに上がった。
後に、コンサートに出演した理由を尋ねられた時に「この世界を悪くさせようと
している奴らは休みなんか取っちゃいない。それなのに僕が休むなんてことが
出来るかい?」と語った。
岐阜県中津川で起こったフォーク(文化)革命。
1968年日本では岐阜県で開催された中津川フォークジャンボリーは
地元の青年団が企画運営をして3年間やり続けた。
それを起点としてメッセージ・ソングという新ジャンルが生み出された。
若者たちが自由に音楽でメッセージを出せる時代へと変えたのである。
そこから多くのフォークシンガーが誕生して全盛期を迎えた。
彼らは一様にマスメディアに出演することを嫌い、コンサート活動を中心に
動いていた。売れないことを美化して、売れると歌手を批判する気風があった。
その中で吉田拓郎が口火を切ってヒット曲を出と、井上陽水も泉谷しげるも財津和夫
なども参加してきた。一気に若者たちの心をつかみブームが起こったのである。
ようやくマイナーなジャンルが市民権を得たのである。
ヒット曲は単に金儲けではなくヒット曲がメディアに取り上げられると、
音楽にあまり関心もない大勢の人が耳にすることになる。
それまで支流だった演歌や歌謡曲と肩を並べてレコード店に置かれ、
そこから一気に音楽業界の流れが変わりニューミュージックという
ジャンルにまで発展していった。
世界は何で構成されているかを考えた時に権力と財力と知力を持った
人間が自由経済という名目で思うように動かしている。
メイスンファミリー・ロスチャイルド・カーネギーなどである。
大衆は彼らの掌の中でもてあそばれているだけで、
いくら働いても彼らが儲かる仕組みになっている。
せめて娯楽でも無ければ貧困層や若者たちから暴動が起きる。
英国ではリバプールからデビューしたビートルズが世界中を音楽で
巻き込み若者たちの意識を変えていった。
ビートルズは”ビートルマニア”と呼ばれるファンの一大現象を引き起こした。
彼らは1960年代前半に多くのファンを獲得したが、ビートルズは可能性の
世界を切り開き、お金と時間に余裕のある10代のファンたちを元気づけた。
1960年代のカウンター・カルチャーについて論じたティモシー・リアリーは
ビートルズが「陽気で自由な若者という新たな人種を生み出すほどの不可思議な
力を持っていた」と語っている。
そうしたファンのひとりにスティングがいた。彼が13歳の誕生日を迎えた
1964年10月2日、アメリカを席巻したばかりのビートルズは『Shindig!』
というテレビの特別番組の撮影をしていた。「ビートルズは僕の少年期を形成したんです。
教育のようなものでした」とスティングは話す。
「彼らは非常に似たバックグラウンドをもつ。イングランドの工業地帯、労働者階級
の生まれです。彼らは自分で曲を書いて、世界を征服した。
それが、彼らを真似ようとする多くのイギリスの少年たちの青写真になったんです」。
ビートルマニアの現象は世界中に広がり、キューバのミサイル危機の混乱
冷めやらぬ冷戦期にもかかわらず、共産圏諸国の若者の間での西洋文化への
見方を変えることにも繋がった。
有力な社会歴史学者のアーサー・マーウィックは、ビートルズが
”All You Need Is Love / 愛こそはすべて”というメッセージを発信することで
若者たちの行動原理を変え、”自己表現の権利の小さなルネッサンス=復興運動”
を先導したと論じている。
反戦運動や平和を歌ったジョン・レノンの作品「Imagine」は、50年経った
今でも変わらない意味を持っている。「私が信じている総論はこうです。
自分が13歳の誕生日を迎えたとき、国民はジョン・F・ケネディの暗殺で
深い憂鬱に沈んでいた。みんなが、気が晴れるような何かを必死に探しているときに、
ビートルズが現れたんです」。
リトル・スティーヴンはそう語る。「ビートルズが何より先に曲の中で
伝えたことは、抑えられない喜びだと忘れてはいけません」。
私の持論としては音楽で革命は何度も起こっている。
カリスマ性を持ったスターの楽曲は時代を震わせ、若者たちの行動を変えて
文化を形成するのです。兵士の中にいる若者たちも戦いから平和は作れない
ことに目覚めて武器を置く者もいるのです。
日本の年配のスターたちが社会に影響を与えるような楽曲が作れないのが
残念で成りません。いつまでもLOVE SONGSを歌う神経が分かりません。
お金持ちになると世の中の現状を見ないようにしているのでしょうか。
今、世界は!日本は!大変な状況ですよ。
同年代を生きて来た音楽プロデューサーの独り言です。
世界のアーティストへ音楽の持つ魂だけは忘れないで欲しい。
音楽で革命は起こるのです。
9月 8th,2024
恩学 |
音楽で革命 はコメントを受け付けていません
若い人からの質問で一番多いのが「成功の法則」ですが、
成功とは目指すゴールにたどり着いた人だけを言うのではないと答えています。
成功は記録として一過性のものであり永遠に成功の余韻にひたる訳にはいきません。
成功に到るまでのプロセスが最も大切で、そこに人間的成長と思考の成長が
兼ね合わされて次のトライに大いに役立つのです。
また成功の法則はエンドレスで無限に続くので終わりはありません。
成功は時期が過ぎると古い自慢話になる恐れがあります。
登山家栗城史多のコメントより
成功の反対は「何もしないこと」
私は山登りを通して、苦しみには3つの特徴があることに気づきました。
1つは、「苦しみと闘おうとすればするほど、その苦しみは大きくなっていく」。
もう1つは、「苦しみから逃げても、どこまでも追ってくる」ということです。
人間の身体器官の中で、酸素の使用量が一番多いのが脳だといわれています。
そのため、苦しい時に焦ったり、熱(いき)り立ったりすると、脳がどんどん
酸素を消費してしまいます。
7500メートル以上の世界では、少ない酸素をいかに無駄なく取り入れるかが
大切なので、体力的に、精神的に本当に苦しい時に、あえてそこで
「ありがとう」と言いながら登るんです。
そうやって苦しみを受け入れると、不思議と心が落ち着いてきて、
無駄な酸素を使わずに山を登ることができるんです。
そして特徴の3つ目は、「苦しみは必ず喜びに変わる」ということ。
例えば、高尾山のような低い山は簡単に登れてしまうので、
登頂してもあまり感動は沸いてきません。
しかし、8000メートル峰を登頂した時は、それまでの苦しみが大きい分、
得られる達成感も半端じゃない。
「苦しみの分だけ、喜びがある」
だから、苦しみは決して悪いものじゃないと考えています。
信条としてきたことはいろいろとありますが、まず「一歩を踏み出す」こと。
そして「諦めない」ということが、私の生きる姿勢かもしれません。
山登りでは1歩を踏み出さないと頂上にはいけません。
登山に限らず、地上のいろいろなチャレンジにおいても、「できる」
「できない」と考える前に、まずはやってみることが大切だと思うんです。
私がエベレストを登頂できずに下山して帰ってくると、周りからは
「失敗した」って言われるんです。でもそれはちょっと違います。
成功の反対は失敗ではなく、本当の失敗とは「何もしないこと」です。
私は山登りを通して、挑戦し続けていく先に必ずや登頂や成功があるのだと
確信しています。
だからこそ、諦めないことの大切さを伝えていきたいと思っています。
“終わりなき頂上への挑戦”より
出典元:(プロフェッショナルへの道 致知出版社)
音楽プロデューサーなので山には登りませんが、
「苦しみと闘おうとすればするほど、その苦しみは大きくなっていく」。
「苦しみから逃げても、どこまでも追ってくる」という経験を何度もしています。
これに対してのアンサーなのですが、自分で立てた企画ならどれほど大変でも
あまり苦しみを感じたことがありません。
しかし会社の命令で無理やりに押し付けられた仕事は苦しみが生まれます。
苦手な分野での仕事はアイデアも出ずに逃げたくにも成ります。
私のような自我の強いプロデューサーはあまりこのようなケースは無いのですが、
一般的なプロデューサーは売り上げを上げるための要求に対して拒否権はありません。
その代わり一度大きなヒットが生まれると周りからの期待が大きくなり
担当アーティストの数が増えて休みなく働き続けなければなりません。
家庭も身体も壊れる危険性があります。
少し報酬が良くなっても失うものの方が大きい気がします。
マスコミから注目されて仕事の依頼は増えるのですが、
自分の首を絞めることになります。
プロデューサーのクリエイティブな能力は代役が効きません。
いくら優秀なアシスタントをつけても営業・宣伝まではこなせないからです。
その上にヒットが出なくなるとすぐに「あいつは終わった」と悪いうわさが立ちます。
その為に休みなくヒットを作り続けなければならないのです。
私はプロデューサーとしてオーディションから制作~宣伝~営業まで
全てをこなしてきました。音源だけを作るのではなく、宣伝用の素材も
時代に印象をのこすキャッチコピーも作ってきたのです。
世界中を飛び回りレコーディングと映像制作、時には現地のアーティストと
交渉してレコーディングに参加もしてもらいました。
マスメディアに対して音楽業界の話題作りと価値観を同時に提供して、
その上に海外の最新情報や様々なトレンド情報もプラスしたので、
一時雑誌の掲載率と深夜番組のゲスト獲得の占有率が独占でした。
私は作曲も作詞もするために多少の印税が入って来たのですが、
サラリーマンがそれを受け取ることは当時就業規則上違反でした。
(その後改正されて社員でも能力のある人は受け取ることが可能になった)
いつも派手に立ち回るために、あらゆるところから悪いうわさが飛び交い
業界中でつるし上げにもあいました。
そして91年にハウスプロデューサーの限界を感じて退職する決心をしました。
その後、独立して10年間頑張ってきたのですが大ヒットに恵まれずに
借金を重ねて最終的にはアメリカの会社から突然契約を切られて倒産に
追い込まれてしまいました。
業界の中ではいよいよ稲葉も完全に終わったと噂が流れたのですが、その後に
韓国でオンデマンドの映画会社を立ち上げて韓国ドラマを手掛けました。
日本に韓流ドラマを紹介した最初の人間です。
また同時期に中国に渡り演奏家グループ「女子十二楽坊」を手掛けて
日本に戻りました。あとはご存じのように世界的な大ヒットを連続して
一大ブームを作りました。
何事も挑戦しなければ成功はありません。しかし成功と失敗は表裏一体です。
先ずは諦めずに恐れずに信じた道を歩き続けるのです。
挫折や失望は自分の感情です。失敗してもあきらめなければチャンスは訪れます。
周りからいかなる誹謗中傷があっても逃げずに戦い続けて欲しいのです。
「成功の法則」は何事も無理と思う感情を捨てて自分には出来ると信じることです。
成功の反対は失敗ではなく、本当の失敗とは「何もしないこと」です。
若者たちよ!無限大の可能性を最大限に利用してください。
9月 7th,2024
恩学 |
成功の法則 はコメントを受け付けていません
過去は変えられない未来は予測できない。
しかし今日は未来への一歩であることは確かです。
今、目の前の様々な出来事が積み重なり明日が作られていきます。
勿論、社会の変化は猛スピードでデジタル化が図られています。
朝から夜までモバイル漬けでネットに振り回されていては駄目です。
私達の思考の大半はアナログ思考ですが10代の子供達は情緒的な判断より
AIのデジタル思考に頼ることになると思います。
自分の感覚よりも論理的に快適指数を見て心地よい温度が数値で
現れる方を優先して皮膚感覚はあまり重要でなくなります。
「未来は、今である」[The future is now.]という言葉を紹介します。
これは、アメリカの文化人類学者、マーガレット・ミードさんの言葉です。
皆さんは、 「今日は気分が乗らない。明日からやろう」と言い続け、
先送りを経験したことはありませんか。タイムマシンを持たない私たちは、
今この瞬間しか生きることができません。
明日やろう、来月にしよう、来年でも間に合う、そんなふうに過ごしているうちに
どんどん未来が過ぎ去って過去になってしまいます。
つまり、未来は今を積み重ねることで訪れる時間です。
今現在が未来に繋がっている。言いかえれば、今現在を変えることで
未来も変わると言えます。未来を信じて、
「今やることに全力をつくす」ことが大切ではないでしょうか。
また経営の神様といわれた松下幸之助氏の言葉を紹介します。
「どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで
未来もどうなるものでない。いま、現在に最善を尽くすことである」
10年後のAIは、今よりもさらに高度な技術と広範な応用が期待されている。
AIの能力が人間を超え、より高度な問題解決能力を持つようになる
可能性があるのだ。例えば気候変動や経済不況、病気の流行など複雑で大規模な
問題に対する解決策をAIが提案する日が来るかもしれない。
またAIは、人間の生活をより便利で快適にするための新たなテクノロジーを
生み出すだろう。家庭内の家事や育児、健康管理など日常生活の
あらゆる面においてAIの活用が期待される。AIの進化により、私たちの生活は
大きく変わり人間の可能性をさらに引き出すことになると予測されているのだ。
しかしその一方でAIの進化は新たな問題を引き起こす可能性もある。
人間の仕事がAIに置き換わると雇用の不安定化や経済格差の拡大が
さらに進む可能性も否定できない。
またAIが個人情報を大量に処理することになるとプライバシー侵害や
情報漏洩のリスクも増えるかもしれない。
さらにAIの判断が人間社会に深く関与するようになると、AIの倫理や
AIの判断による誤りに対する対策が重要となる。
AIが進化する一方で、これらの課題へ向けた対策や規制も必要となるだろう。
AIの未来は、大きな可能性と課題を併せ持つ。
私たちはAIの影響を十分に理解した上で適切に対応することが求められる。
今後の10年がAIの進化と社会との新たな関係を築く重要な分岐点となるだろう。
近年、AI技術の発展は目覚ましく、社会に大きな影響を与え始めています。
その先にある未来として注目されているのが「シンギュラリティ」と呼ばれる
概念です。シンギュラリティとは、人工知能(AI)が人間の知能を超え、
制御不能なほどの進化を遂げる瞬間を指します。
この概念は、人工知能(AI)が自らを改良し続け、その進化速度が加速する
未来の時点を想定しています。例えば、AIが医療や経済の分野で人間の
専門家を超える能力を持つようになることを指します。
しかし、シンギュラリティの定義は曖昧であり、明確な時期も定まっていません。
2045年頃に訪れると予測する学者もいれば、もっと先だと考える学者もいます。
こうした技術の進歩は、人間の生活や社会構造に大きな変化をもたらす
可能性があります。シンギュラリティが現実のものとなると、
人間がその変化に追いつくことが難しくなるかもしれません。
シンギュラリティの時代において、人間とAIの共存は社会の重要な柱となります。
AIは人間の知能を超越する可能性がありますが、人間固有の創造性、共感性、
倫理観などはAIにはない貴重な資源です。
AIの役割は、データ解析や決定支援など、特に計算能力や効率性を求められる
分野に集中する一方、人間は創造性や対人スキルが重視される職業で
活躍することが期待されます。
AIの導入により、人間は危険な作業から解放され、より創造的で意味のある
仕事に集中できるようになります。AIは人間の判断をサポートし、
新しい創造的アイデアの生成を助けることも可能です。
しかし、AIに完全に依存することなく、人間は自身の価値と役割を再定義し、
AIとの適切な協働関係を築く必要があります。
このように、人間とAIが共存する未来では、お互いの強みを活かし合い、
協力しながら新しい社会を形成していくことが重要です。
人間はAIを単なるツールとしてではなく、知的能力を拡張する
パートナーとして活用し、共に成長していくことが求められています。
この共存により、より効率的で安全な社会の構築が期待されます。
AIとの共存を実現するためには、教育システムの変革と新しいスキルの
習得が必要です。AI時代の教育では、従来の学習方法を超え、AIを活用した
革新的な教育プログラムの開発が求められます。
これにより、AIの技術を理解しその倫理的な使用方法を学ぶことが可能になります。
また、AIとの協働スキルや、AIにはない創造性、共感性、倫理観などの
人間特有の能力を育てることも重要です。
労働市場においては、AIによる自動化が進む中で、クリティカルシンキングや
創造性、人間関係スキルがより一層重要になります。
AI開発や運用に必要な技術スキルはもちろん、AIに取って代わることのできない
人間独自のスキルを磨くことが求められます。
生涯学習の推進も、AI時代における重要な要素です。
技術の進歩に伴う変化に柔軟に対応するためには、常に新しい知識やスキルを
学び続けることが必要です。
個々人が自身の能力を最大限に活かし、AIと共存するためには、
教育とスキルの両面での進化が不可欠です。
これらの取り組みにより、AI時代を生き抜くための基盤が築かれます。
未来社会では、AIの進化が人間の生活を根本から変え、新たな可能性を
広げることでしょう。
AIが日常の作業を効率化し、人間は創造的な活動や豊かな対人関係により
時間を費やすことができます。この変化は、人間が本来持つ創造力や
感情をより深く探求する機会を提供し、人類が新しい高みを
目指すきっかけとなります。
医療、教育、環境保護など、AIの進歩は社会の多くの分野に革命をもたらすでしょう。
例えば、AIによる疾病の早期発見や教育の個別化が進み、より健康で知的な社会が
実現します。また、環境問題の解決にもAIは大きく貢献する可能性があり、
持続可能な地球の実現に一役買うことでしょう。
さらに、AIと人間の共存は、これまでにない新たな芸術や文化の創造を促します。
AIの持つ分析力と人間の創造力が融合し、新しい音楽、芸術作品、文学などが
生まれることが期待されます。
これにより、人間の感性がより豊かになり、文化の多様性がさらに拡がるでしょう。
未来社会は、AIの力を借りながら、人間が自らの夢や希望を実現する場となり、
AIと人間が協力し合いながら、より平和で豊かな世界を築き上げることが可能です。
この共存は、人類にとって新たな繁栄の時代を開く鍵となることでしょう。
未来は今、今の積み重ねが未来になるのです。
9月 6th,2024
恩学 |
未来は今 はコメントを受け付けていません
私の恩学人生から生まれた言葉です。
1)希望を遠くに置くな!自分の手の中に刻むのだ
2)中心がブレずにあなたのやりたいことは!
3)働く為に生きるのではなく生きる為に働くのだ
4)自分が強く願えば必ず叶う!叶うまで強く願う
5)努力している人には誰でも応援したくなる
6)99人が右を向けばあなたは左を向く1人になれば良い
7)スターになる人はゴールがハッキリと見えている人
8)一生やり遂げたいことがあれば食べるための仕事は割り切ってやれば良い
9)憧れは心が幼(童)いと書く大人は憧れではなく目標の人を持つ
10)男はロマンに生きて女は現実の中を生きる
11)良い言葉を言い続ければ良い言葉が返ってくる
12)年月を重ねたから歳を取るのでなく戦いを諦めたから歳をとる
13)誰もがやれなかったことをするのがチャレンジと言う
14)出会いの場は思いがけないところから始まる
15)音楽家よ!音程外しても人の心を外すなよ
16)私は運が良かったのではなく運を掴み取ったのである
17)良き言葉は聞いた人の人生を変える力がある
18)明日何をするか考えるより今何をしているかが大事だよ
19)夢を描き出せ!そして今日何をしたか問いただせ
20)君の愚痴を聞きたいのではなく君の笑顔が見たいだけ
21)泣きなさい!涙が枯れれば自然と立ちあがることができる
22)誰かとの比較が大事ではなく自分の夢と比較しなさい
23)恋している人は夢の世界で愛している人は現実の世界にいる
24)外面を見て判断する人は自分の心が貧しい人
25)志とは武「士」の「心」と書く日本人の心である
26)恥ずかしいとは心が耳についているのだ!噂を気にするな
27)今日生きていることに感謝できる人は神様に守られる人
28)挑戦したものだけが言える!想像したよりも簡単だと
29)未来は未来のように見せなければならない
30)自分の仕事に光を当てるなら粋でカッコよくなくてはならない
31)人は見た目で判断される!だからこそ自信が浮き彫りにされる
32)分かり合える大切な心が伝われば分かり合える
33)愛は長く続くが恋は瞬間だから好きになった時を大切に
34)自分が何者かわからない人間は他人に合わせるだけの人生を送る
35)戦おうよ!たまには本気で戦おうよ!短い人生なんだから
36)心優しい人とお節介な人は似ている様で似ていない
37)バラバラだからいいみんなバラバラになろう
38)言い訳すると気が楽になるがそれは反省ではない
39)約束は真実を束ねること嘘を束ねると裏切りとなる
40)子供の時に昆虫を見つけると好奇心が膨らむよ
41)親は「つの教育」を知らないから苦労するんだよ
42)詩人と言われる人がいなくなったから人の心がササクレになった
43)日本人は自分を一番好きで一番愛しているのさ
44)親の優しさが子供を駄目にする
45)安全な道を選ぶなよ危険な道こそ楽しみがある
46)3回失敗したら私と語りあいましょう待っています
47)挫折や不幸の大きさは自らが作り出しているものだ
48)自分の言葉は読んだ読書量で決まるのだから本を読みなさい
49)自然の中へ飛び込め自然は愛に溢れている
50)人生は恩から始まり恩で終わるだからありがとうを言いたい
51)人の言葉や優しさには賞味期限がある
52)自慢は後悔から始まり後悔は自らを磨く
53)憎しみと怒りからは未来は生まれない
54)無駄な一日とは笑顔が少なかった日である
55)愛は与えられるものでなく与えるものである
56)一歩踏み出せ!自動扉は近寄らなければ開かない
57)成功で大切なことは真似と成りきりである
58)人生は回遊魚結局は元のところへ戻って来る
59)親切は時には利用されるそれでも親切をしなさい
60)愛は全能ではない
恩学を書き続けて530編になりました。
私の雑記帳ですが、雑記帳の中にも良き言葉が残されています。
時折読み返して気になる部分は修正しております。
まだまだ未熟者の拙い文章ですがお役に立てればなによりです。
9月 5th,2024
恩学 |
稲葉語録(恩学) はコメントを受け付けていません
人生は穏やかな波の上を行く船のように長閑ではありません。
時には嵐にあい座礁することも想定しなければなりません。
信頼していた友人の裏切りに会い全てを乗っ取られることもあります。
一代で築いた会社も一部の役員と株主によって追い出されることもあります。
悔しさを胸に秘めて再起を図るときにこのような言葉が進路を照らす燈になります。
絶望から逃げるのではなく闘志を燃やして牙を隠すのです。
自ら敗北を認めない限り戦いは続くのです。
【捲土重来】けんど-ちょうらい
一度敗れたり失敗したりした者が、再び勢いを盛り返して巻き返すことのたとえ。
巻き起こった土煙が再びやって来る意から。「捲土」は土煙が巻き上がることで、
勢いの激しいことのたとえ。「重来」は再びやって来ること。
もとは一度敗れた軍が再び勢いを盛り返して攻めて来ることをいった。
「捲」は「巻」とも書く。また、「重」は「じゅう」とも読む。
【臥薪嘗胆】がしん-しょうたん
将来の成功を期して苦労に耐えること。薪の上に寝て苦い肝をなめる意から、
屈辱の日々を忘れずに再起を願うことから成り立つ意味です。
「臥」はふし寝る意。「薪」はたきぎ。「嘗」はなめること。「胆」は苦いきも。
もとは敗戦の恥をすすぎ仇あだを討とうと、労苦を自身に課して苦労を重ねること。
そしていつか苦しみを乗り越えた時にこの言葉の様になるのだろうと信じていること。
【苦尽甘来】くじんがんらい
苦しい時が過ぎ去り、楽しい日々がやって来る。
苦さりて楽来たる。苦しみがやっと去り、良い事がやってくる。
人生は良い事もあれば悪い事もあるとするなら、
苦しみの後には楽しみがあるものです。
そんな期待を持たせてくれる前向きな四字熟語が「苦尽甘来」です。
苦しければ苦しいほど、その後には良い事が待っていると思えるから
頑張れるのです。それが「苦尽甘来」であり、願望だけでなく実際に
楽しい事がやってきていると説いています。
漢字発祥の国、中国には素晴らしい四文字熟語が沢山あります。
私も幾度となくノートにメモをして事ある毎に読み返してきました。
一度や二度の失敗に焦ることもなく何度も再起を果たして来たのは
漢字が持つ言霊のおかげです。それは神社のお札と同じです。
その文字に書かれたことを信じ切ることが大切です。
これからも過去を振り返らずに又過去に縛られることなく
漢字の言霊を信じて前向きに生きて行こうと思います。
世界中が思想・宗教・民族の対立から起こる戦争、地球温暖化による
自然災害、食糧・エネルギー不足、経済不況と混沌とした状態で
打つ術がない中、日本はいまだリーダーシップを発揮できずに
傍観者の立場を取っています。
その為に毎回アメリカに振り回されて援助金や支援金と称して
多額のお金をむしり取られています。
日本国民も現状を知りながらも半ばあきらめムードで
ことの成り行きを見ているだけです。
子どもたちの未来を考えたら大人は逃げるわけにはいかないのです。
周りの大人達は争いを避けたいから「急がず、騒がず、争わず」的な
中庸な生き方を選んでしまうのです。能天気な幸福中心主義者的な選択です。
すべてに無抵抗で同調主義に走ると戦う意欲は無くなるのです。
そこには土埃も立たず悔しさも起こらない。敗北の湖に浸かるだけになる。
しかし最近戦争のニュースを見るたびにこの歌を思い出します。
1972年発売のレコードですのでメッセージの意味が変わります。
加川良「教訓」
命はひとつ 人生は一回だから 命を 捨てないようにネ
あわてると つい フラフラと お国のためなどと言われるとネ
青くなって しりごみなさい 逃げなさい 隠れなさい
お国は 俺たち死んだとて ずっと後まで 残りますヨネ
失礼しましたで 終わるだけ 命のスペアは ありませんよ
青くなって しりごみなさい 逃げなさい 隠れなさい
命を捨てて 男になれと 言われたときには ふるえましょうヨネ
そうよ あたしゃ 女で結構 女のくさったので かまいませんよ
青くなって しりごみなさい 逃げなさい 隠れなさい
死んで神様と いわれるよりも 生きてバカだと いわれましょうよね
きれいごと 並べられたときも この命を 捨てないようにね
青くなって しりごみなさい 逃げなさい 隠れなさい
時代背景としては1972年発売なので、安保闘争の流れがあるものの、
大阪万博など新しい時代の到来により忘れ去られようとした
第二次世界大戦の教訓を歌ったものと思われます。
私も学生集会で何度か歌ったことがありますが、戦争当時は赤紙一枚で
兵役につかなければならなかった時代です。男子は国のために死ぬのが
当たり前という時代です。その為に学徒出陣で多くの若い命が奪われました。
もしアメリカが原爆を落としていなかったら日本人は最後の
最後まで戦い続けていたと思います。
しかし何の罪もない一般市民を巻き添えにして、
一瞬にして15万人の命を奪っても良いという正当性はありません。
アメリカの策略と日本政府と軍部の無能さゆえに負けた戦争です。
1945年8月6日8時15分天皇陛下の玉音放送で日本は敗戦国となったのです。
ここからこの歌詞に添えられていた隅田さんの投稿文を紹介します。
さて、この歌詞ですが、基本的に命が危なくなったら逃げることは
恥ずかしいことではないという歌だと私は自分なりに解釈しています。
2011年3月11日東日本大震災の時に、「釜石の奇跡」、「大川小の悲劇」と
言われている、天国と地獄みたいな出来事がありました。
「釜石の奇跡」とは、釜石市の鵜住居地区で中学生が小学生の手を引いて
避難したこと、地震の大きさから建物の屋上より絶対大きな津波が来ると
感じた先生が点呼を待たないで逃げられる生徒から逃げさせたことが、
津波から全ての生徒の命を救ったというものです。
一方、みんなを待って一緒に逃げよう、一緒にいれば大丈夫、
10Mの屋上に皆で登れば大丈夫と逃げない選択をしたことで、
数十名が一瞬にして津波にさらわれたのが「大川小の悲劇」です。
なぜ釜石では助かったのか。それは日ごろから防災教育を行っており、
逃げられるだけ海から遠く、そして高いところに、とにかく早く逃げることを
生活の一部として徹底させていたからできたのです。
さて、加川良の「教訓Ⅰ(Lesson One)」に戻りますが、必要な時は
逃げることが大切であり、それは弱者の特権であり、
決して恥ずかしいことではないという歌であることを教えてくれます。
そして「逃げなさい、隠れなさい」という語り口は、見てみぬふりを
するのではなく、困っている人がほかにもいれば一緒に逃げることも
大切であることを教えてくれます。
人は一人では生きていけない生き物だと思います。
そして人生は一度しかありません。
できれば皆で相談して、協力して、仲良く、楽しく生きていきたいものですが、
過剰な仲間意識が足かせになることもあります。
こうして考えると、軽はずみに人に対して頑張れとは言えなくなるものです。
頑張ることは大切ですが、無理しない人生を送りたいものです。
(ウサミグループ隅田さんという方の文章を一部使用させていただきました)
狭い島国の日本は隠れる場所も逃げる場所もありません。
デジタル社会になりインターネットが社会の隅々まで追いかけてきます。
海外との交流が無くなればすぐに食糧不足、エネルギー不足になります。
他国から侵略されにくい島国は他国の援助が無ければすぐに終わります。
日本は【捲土重来】【臥薪嘗胆】を経て【苦尽甘来】を経験しています。
しかし世界の情勢を見るといつ隣国から侵略されるかも分かりません。
最後は日本人らしく誇りを持って戦うか、戦争放棄の旗を掲げて降伏するか
選択が迫られています。
一部の子どもたちはアメリカの51番目の州でも中国の属国になっても良いと
思っています。その上に核原爆保有国になるべきだと主張する子もいます。
戦争の悲惨さを教えなければテレビの中の世界だと気楽に考えています。
敗戦国の日本はアメリカから「地理・歴史・修身」を教えることを禁止されました。
日本が二度と戦いの心を持たないようにです。
アメリカにとっての恐怖は昔のような強い日本です。
平和は勝ち取るべきであり待っててもやって来ません。
今日本は正しい情報の中で正しい選択を迫られています。
9月 4th,2024
恩学 |
捲土重来 はコメントを受け付けていません
常識にとらわれず柔らかい発想で物事を捉えなさい。
その時に使われる言葉として「柔軟心」と言うのがあります。
現状の生活におけるさまざまな問題をどう解決していくのか、
先人たちはこのテーマをどのように捉えていたか、
またその解決法として何を学んだのかが気になりました。
私の好きな禅の世界ではこのようなテーマをこのように書いています。
「臨済宗の平井住職の言葉より一部抜粋」
禅語に「柔軟心」(にゅうなんしん)というものがあります。
意味は、頭でっかちにならずに、柔らかい考え方をしなさいということです。
今まで「こうあるべきだ」「そうすべきだ」と思っていることを
振り返ってみてください。
何でも良いでしょう、仕事、生き方、恋愛、結婚、お金など。
あえて、それらを書き出してみて、「もしこの考え方が逆だったとしたら」と
考えてみてください。
思考の振り幅が広くなり、悩みや不安が和らぐかもしれません。
広い視点で客観的に捉えることができるので、新しい発想すら出てくるでしょう。
自分の考え方が正義だと思えば他人に価値観を強要したり、
他人の意見に振り回されることもなくなります。
世の中には、こういう考え方や可能性があるんだ、と思えると人生の
見え方がガラッと変わってきます。
そうすれば、自分の言動や行動が自然と変わるので、
今までとは違った風景にたどりつくことができます。
矛盾しているかもしれませんが、変化に早く対応しようとして
焦る気持ちになることはあまりよくありません。
人間はロボットではないので、時に緩急をつけながら、
落ち着いて行動することは大切です。
また禅語に「且緩々」(しゃかんかん)というものがあります。
この意味は「慌てず、急ぎすぎることなく、落ち着きなさい」です。
急ぎすぎても、慌てすぎても、時間は同じだけしか過ぎていきません。
忙しいという漢字は「心を亡くす」と書きますが、
人間ですから心は大切に守っていきましょう
禅語に「百尺竿頭に一歩を進む」(ひゃくしゃくかんとうにいっぽをすすむ)
があります。この意味は、もうこれ以上進めない!というとこで、
思い切ってさらに一歩進んでみなさい、というものです。
新しいことに挑戦したりすることは怖いことです。
しかし、新しいことに踏み出さない限り、新しい可能性は基本的にありません。
さらに、禅語には「主人公」という言葉があります。
これは、まさにドラマや小説に出てくる「主人公」のように
自分が人生の主役であるべきだという意味です。
あなたの人生は、あなたしか生きられません。
勇気を持って、一歩を進んでみましょう。
AIの時代がくる、ロボットに仕事を奪われる、なんて言われてから
早くも数十年ほど経ちました。
私たちの取り巻く環境は大きく変わっていったでしょう。
しかし、変わらないものがあります。それは、人間の本質や感情、思いです。
あなたも何か出来事があれば、怒ったり、悲しんだり、喜んだりしますよね。
目に見えないものだからこそ、分かりづらいですが、確実にそれはあります。
先が見えなくて不安だ、怖い!と思っていても、決して自分の心は失わないように。
そして、余裕などが出てきたら、ぜひ他の方にも思いやりを。
普段の生活では意識してないことだからこそ、大切なものはあります。
それを茶道や禅は私たちに教えてくれます。
ぜひ、この変革の時代に「お守り」として、茶道や禅の考え方をヒントに
考えてみてくださいね。
禅宗では、竹は松や梅とともに「歳寒の三友」といわれ、いわゆる寒さに
耐えるというところから喜ばれる樹木です。
竹と松は常緑樹で寒い中でも翠を失わず、梅は寒さの中で百花に先んじて
花を咲かせていち早く春を告げます。
なかでも竹は、禅宗の宗祖達磨大師がインドから中国に渡り、
禅を普及させた江南の地が竹の名産ということもあってか、
竹にまつわる禅語はいくつもあります。
美しく涼やかな竹林はかつて清談の場であり、
「清風動脩竹」(せいふうしゅうちくをうごかす)とか、
「竹葉葉起清風」(たけようようせいふうをおこす)といった
禅のこころを表現した言葉も多く残されています。
竹にまつわる禅語として恐らくもっとも知られているのは、
「竹有上下節」(竹に上下の節あり)ではないでしょうか。
そしてこの禅語にはいろいろな意味・解釈が加えられています。
文字どおり、竹に上下の節があるように、人間にも区別があって、
どんなに仲が良くてもそれぞれの立場や考え方があり、
礼儀や節度を守らなければ社会の調和は保たれないということです。
また、上下に節があるのは竹の根本・基本のかたちであり、
これをおざなりにしてはならないという教えです。
たとえば、歌舞伎の世界でいう「形無し」と「型破り」の違いと同じで、
基本のかたちを身につけていなければ、型破りな演技として
評価されることはなく、単に形無し(台無し)になってしまいます。
また竹は、上下の節と節の間が中空で、
それが連なったおもしろい構造になっています。
全部が節だと曲がらないし、全部が中空だとすぐに折れてしまいます。
節のもつ堅さと中空のもつしなやかさのバランスがとれていることで、
竹はそのしなやかな強さを保っているわけです。
それぞれが節目を作ることで、過去をしっかりと認識し、
未来を展望するとともに、現在を見つめ直す機会となります。
過去・現在・未来を俯瞰し、自分自身の今を見つめ直して行動を起こす
節目をもつことで、組織や個人が生きていくなかで何かが生じた時、
強い風が吹いて嵐になった時に、その対応力に差が現れると思います。
ますます内憂外患の難しい時代と簡単には片づけられませんが、
硬軟両面をあわせもつ竹のように、力強いしなやかさを身につけたいものです。
(臨済宗全生案庵住職 平井正修氏の言葉より)
未来に恐れるもなく且つ悪戯に憂慮する必要もありません。
今ある日々を大切に生きることが未来につながるのです。
AIが世の中を席巻しても人としての心を失わなければ恐れずに足りぬです。
主人公である自分を大切にして生きていきましょう。
9月 3rd,2024
恩学 |
柔軟心 はコメントを受け付けていません
私がこの年齢になってよく言われる言葉がある。
「何故休まずに挑戦し続けるのか」裏を返せば早くリタイヤしろとも聞こえる。
私は若い頃から他人が無理と思えることばかりに挑戦して来た。その中で
自分の生い立ち、学歴、専門的知識などでコンプレックスを感じたことはない。
特に秀でた能力があったわけではないが挑戦する者にとって意味のないことである。
一般的に人間はそれらのことを気にするが常に人として生きている者には通用しない。
人間とは意識(常識的な判断)をしなければ動けない人たちのことをいう。
人とは無意識(感覚的)に興味があることに惹かれていくだけの人をいう。
いつも私の中には未来確信がハッキリと見えていた。成功への道である。
右側の道を行けば安全ですよ!だから大勢の人も右側を選んでいます。
左側の道は誰も選びません!なぜなら危険だからです。
当然こう言われれば私は迷わずに左側の道を選んできた。
大勢の人が歩いた道には過去の実績はあるが未来への挑戦は無い。
たとえどんなリスクがあっても自分で道を切り開く方を選んできたという事である。
ここに医師長岡美希先生の投稿した文章がある。
子供はなぜ、何度も何度も転びながら歩く挑戦をするのか?
それは未来に対する確信があるからだ。必ず歩けるようになることに対して
疑いがないからだ。
もし疑いがあるなら「無理だ」と、どこかの時点で諦めることだろう。
戦国時代を観て思う。北条、武田、上杉・・・と大大名がいる中で、
天下統一に対し未来確信をもって突き進んだのは織田信長ただ一人だった。
彼一人が宇宙自然、歴史文明、時代精神の首に首輪をつけて自らの手で統制した。
歴史を振り返れば、天下統一は当然の流れに思える。
しかし統一される前は誰もが不可能性の只中にあったはず。
多くの者にとって天下統一は「できたらいい」の夢に置かれていたに違いない。
しかしいつの時代でも、不可能性を突破する未来確信を持った者が必ず現れる。
それはアノマリーと呼ばれ、決して常識の物差しでは測れない。
今では織田信長は天下人として人気があるが、当時の人々にとっては
とんでもない奴だったことは間違いない。
他の者たちになく、信長にあったものは何か?それはズバリ、未来確信。
だから出来ることをやるのではなく、出来ないことをやる選択ができた。
転んでも何度でも立ち上がり歩こうとする子供のように、どんな苦境が来ても
未来確信が天下統一に向けて歩ませる。
では、自分自身に問う。「あきらめ不可能な夢があるか?」
「誰が何と言おうが突き進む夢はあるか?」と。答えはYES。
出来るからやるのではない、誰かに認めてもらえるからやるのではない、
お金になるからやるのではない、、、未来確信が己を放さないのだ。
だから私は、日本の天下統一に対し精誠を尽くすしかない。
未来確信とは刀の刃のようなものである。完
与えられた人生、与えられた仕事、与えることばかり強制する社会。
全てがコントロールされて我々は消費ロボットとしての人生を過ごす。
大きな幸福の勘違いの中で本当の幸せは得られるのだろうか?
疑問を持たないように教育されてワクチンを何度も打って、真夏の炎天下でも
マスクをつけて生きている人に真の自由は訪れないだろう。
メディアは何度も戦争の映像を見せつけてこの国にいることは幸せだと洗脳する。
いつ隣の国から侵略されてもおかしく無いと言いながら、街には
化粧して着飾った男たちが闇サイトを通じて犯罪を繰り返している。
マイノリティーを持ちあげることが正義だとして
マジョリティーの考えを押さえつける。
数年前からこのブログでも何度も言っているが、この国の未来を考えれば
本気になって話し合わなければならない時期に来ている。
TVの転職サイトのCMが転職はカッコよい風に宣伝する。
若者たちは会社の規則に縛られるのであれば非正規社員で十分と考える。
若いOLを中心に小口投資で危険が無いからとNISAで投資を煽る。
出会い系サイトで女性たちが危険な目に遭っても利用者は減らない。
一攫千金を狙い宝くじや馬券を買わせようとおもしろく可笑しく宣伝する。
どれもこれもひと昔前では恥ずかしい行為で人前では隠したものである。
これは全て金もうけだけを考える大人たちの責任である。
そしてこれを取り締まらない政府も警察も同罪である。
これからの未来を考える上で常に出てくるのが「AIとの共存」である。
この言葉が出てくるたびにこの話を紹介している
「ジョブズ、禅僧と出会う」
2011年10月5日、一人の天才が世界から消えた。
長年のライバルだった米マイクロソフト社のビル・ゲイツは
「彼のように深い影響力を与えられる人間はめったにいない。
その影響はこれからも多くの世代に受け継がれるだろう」とその死を惜しんだ。
米アップル社創業者、スティーブ・ジョブズ。類いまれな才能が
後世に残す「深い影響力」はiPodやiPhoneだけにとどまらなかった。
ジョブズの死後、にわかに脚光を浴び、雑誌が相次いで特集を組んだのが、
この天才クリエーターに禅を指南した新潟県出身の曹洞宗僧侶、
乙川弘文(おとがわ・こうぶん、1938~2002年)である。
夾雑物(きょうざつぶつ)を排し、洗練さを極めたジョブズのモノづくりは
禅が背景にあるとみられた。
ジーンズにイッセイミヤケの黒いタートルネックといういで立ちも、
シンプルと機能性を備えたジョブズなりの作務衣(さむえ)だったのではないだろうか。
宗教色のない「マインドフルネス」
もともと新しくてスマートなものには目がないIT企業は「ジョブズの禅」に
さらに触発され、こぞって禅を社員プログラムに取り入れ始める。
膨大な情報の海に溺れかかっていた知的エリートたちは
情報と自分を統御する術を、禅、瞑想の一種であるマインドフルネスに見いだす。
グーグル、インテル、IBM、フェイスブック、そしてその流れは米国防総省、
米農務省にも及ぶ。
ジョブズが2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行った有名な演説がある。
「私は毎朝、鏡の中の自分に向かって、『今日が人生最後の日だったとしたら、
今日の予定をやりたいと思うだろうか』と問いかける。
『ノー』の日が続いたら、何かを変えなければいけない」
そして最後の言葉として卒業生に向かって、いつまでも「Stay hungry Stay foolish」
の精神を忘れないようにしてくださいと締めくくる。
未来は予測不能である。しかし確実にやって来る。
子どもの様に、戦国武将の様に、ジョブズの様に、
未来に確信を持った人間だけが未来への創造主になるのである。
あなたにとっての「未来確信」は何ですか?
9月 1st,2024
恩学 |
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