愛は一番近いところに存在するのに
何故か一番遠いところに
感じるのは何故でしょうか?
愛を美化しすぎるとどのような愛にも満足しないからです。
空想の中に描く愛は理想だからどんどん遠ざかっていく。
相手の愛を無視して自分の愛を強制すると束縛となる。
この世は愛の言葉を鎖として使う悪者が多い。
愛に傷つき、愛に騙され、愛に夢を奪われても、
それでも愛を貫きなさい。
手の中に愛があるのなら手を差し伸べよう。
困った人に手を差し伸べるならすぐに始めよう。
お財布の中にお金があるなら困った人に与えよう。
ワンサードの精神で貧しい子供達に食べる、眠る、着る、を保証しよう。
3/1は自分の為に3/1は自然のために3/1は未来の子供達のために残そう。
「雨ニモマケズ」の宮沢賢治さんのお話しです。
偉い人よりも、人のために働く人になりたかった賢治。
賢治は岩手の花巻の農業高校で、教師をやっていた時期があるのですが、
答案用紙に何も書かなくとも、生徒に絶対に0点をつけなかった。
名前だけ書いても20点をあげていました。
たとえ何もできなくたって、0点の存在などこの世にいないからです。
せっかくついた安定職である教師を辞めて、農民になろうとしたときも、
思いとどまらせようとした校長に対して、賢治はこう言いました。
「私は、もっと土にまみれて働きたいのです。教師をして、生徒たちを
立派な農民に育てるのも大切な仕事です。
でも、それだけでは、
本当の農民の苦しみはわかりません。 雨が降れば大水でたんぼを流され、
日でりが続けば、稲の枯れるのをじっと見ているよりほかに、
何もできない人たち。 その人たちのことを思うと、のんびり教師など
していられないのです。 その人たちと一緒になって働き、その人たちのために、
いますぐ役に立ちたいのです」 農業学校に通う生徒たちの多くが、卒業後、
大変だからと農業をせずに役所に勤めたりするのを見て、
賢治は「これではいけない。新しい農村社会をつくろう」と意を決したのです。
「雨ニモマケズ」の現代語をご紹介します。
雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けず
丈夫な体を持ち
欲はなく決して怒らず
いつも静かに笑っている
1日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れず
よく見聞きし 分かり そして忘れず
野原の林の下の蔭の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず
苦にもされず
そういうものに私はなりたい
この有名な詩は、賢治さんが亡くなった後、賢治さんの手帳に
書かれていたものをトランクの中から発見されたもので、
発表されるためにつくられたものではありません。
賢治さんの理想の生き方だったのでしょう。 誰かが見ているからとか、
有名になりたいとか、損得とかじゃなく、 純粋に、誰かのために
優しく生きる生き方。 そういうものに私もなりたい。
「絶望は神さまからの贈りもの」
ひすいこたろう 著 柴田エリー 著 SBクリエイティブより
愛の表現には様々な手法があります。
しかし妄想や理想を追いかける非現実的な物語を語る人には注意してください。
愛は自分の一番弱い部分に入り込んできます。だから信じてしまうのです。
愛を多用する人は疑ってかかれ。エセ宗教かも詐欺師も必ず愛を多用します。
本当の愛は沈黙の中で相手を思いやる心である。
そして過ぎ去ってから愛を実感できるのが本当の愛かもしれません。
「恋は目ではなく心で見るもの」ウイリアム・シェイクスピア
「人生は眠りで、愛は夢見ること。もし誰かを愛したのなら、
人は生きたことになるのだ」シャルルド・ミュッセー
「愛は支配しない、愛は育てる」ゲーテ
ポケットにいっぱい愛を詰め込んで生きていきましょうね
9月 21st,2024
恩学 |
愛の言葉 はコメントを受け付けていません
私は全てにオープンで隠し事をしないタイプだが礼儀は重んじる。
最低限の相手を敬う心はどんな時にも神経を使う部分である。
時代がどのように変わろうとも礼儀を欠く人間とは信頼関係は築けない。
デジタル社会では言葉が記号になり伝達は出来るが言葉の韻を踏むことがない。
私の大好きなこの言葉「和敬清寂」は茶室の掛け軸としてよく使われています。
本日はお茶に関する話です。
茶道の作法①準備
まず茶室に入る前に、腕時計やアクセサリーを外します。
これはお茶碗を傷つけないようにするため。また、腕時計をしていると、
つい時間をチェックしがちですが、これは茶室の亭主に対して失礼にあたります。
基本的に茶会に持っていくのは懐紙や楊枝など、必要なものだけ。
ほかの荷物は邪魔にならないよう、まとめて風呂敷などで包んでおきます。
茶道の作法②茶室に入るとき
まず、茶室のどこに座ればいいのか?と考えこんでしまう方に、
ひとつアドバイスです。茶室に入るときは正客から順に入り、
正客から順に席に着くことになっています。
正客とは、茶室を主催した亭主にとってのメインとなる招待客をいいます。
はじめは正客やほかの招待客の連れとして茶会に参加する場合が多いでしょうから、
正客や招待客の次に入るようにします。
畳の上を歩くときは、畳のフチ(へり)を踏まないように気を付けましょう。
全員が茶室に入ったら、最後のお詰めさんはピシッと音を立てて入り口のふすまを
占めます。これが「全員入りました」という合図。
この音が聞こえたら、裏口から亭主が入ってくることになっています。
茶道の作法③お菓子をいただくとき
茶室の床は畳になっており、畳のフチが境界線となっています。
これは、戦国時代に相手に攻め込まない意思を表明した名残。
座るとき、お菓子をいただくとき、お茶をいただくとき、
すべてフチの内側で行います。
菓子皿はフチの外側に置き、懐紙はフチの内側に置き、
箸でお菓子を移動させます。
ときどき茶会では、お茶菓子を落としてしまう方がいます。
これをふせぐには懐紙を束の状態で使うのがポイント。
お菓子を取ったら、懐紙の隅を使って箸の汚れをぬぐい取ります。
茶道の作法④お茶をいただくとき
まずはお茶碗をフチの内側へ。次の方がいる場合は
「お先にお相伴させていただきます」と声をかけます。
お茶碗を取る前に亭主に向かって感謝の気持ちをこめ、「お点前頂戴します」
と一言。お茶碗を右手で取り、左手に乗せたら時計回りに茶碗を回します。
正面を亭主の方へ向け、右手を添えてお茶をいただきましょう。
飲み終わったら正面をまた自分の方へ向け、フチの外へ。次の方へ回します。
こうしてお茶をいただく間、亭主は正客と話をしています。
その日のお茶やお菓子、道具や掛物など飾りつけの由緒が明らかにされます。
茶道の作法⑤道具を拝見するとき
お茶をいただいた後は、道具の拝見があります。道具には茶会のテーマなど、
亭主の思いが込められていますので、ていねいに扱いましょう。
道具を拝見するときは、いずれも畳のフチの外側におき、両手をついて拝見します。
それから手に取りますが、高い位置に持ち上げたりせず、低い位置で拝見します。
高々と掲げると、うっかり落としてしまう心配もありますからね。
お茶をいただくときと同様、次の方に「お先に」と声をかけてから拝見しましょう。
棗(なつめ)など、抹茶が入っている器は、中身をまき散らすことのないよう、
とくに注意してください。フタを取って内側の花押や抹茶の景色を拝見しますが、
フタをしているときも、ひっくり返したりしてはいけません。
茶杓(ちゃしゃく)を拝見するときは、櫂先(かいさき・抹茶をすくう部分)に
触れないように気を付けます。
茶道の作法の基本は「心配り」
茶道の作法を細かく解説してきましたが、どれも細かな心配りが根底にありました。
亭主への感謝、ほかの人への気遣いなど、いつも心の片隅においておけば、
きっとお茶会でも失敗知らず!
お茶会に限らず、普段から心がけておきたいものの一つかもしれませんね。
お茶会は全て作法に則り執り行われます。
主人も客も大切な心構えは「和の心」です。
「和」の語源は、声を揃え音律を整える意にて、まさしく隔てなく
同化することである。和敬するところ、真あり美あり、善あり平安あり、
又愛あり助け合いあり。これを仏の世界とは言うなり。
聖徳太子曰く「和を以て尊としとなす」と。この言誠なるかな。
真実は永遠なるらん。君に問う、これ一体誰の事ぞと。
我々は不安なく軽快に暮らしたいと願っている。それが自然であり
市民生活を営む基本的条件の一つだからだ。
ところが世の中は嫌なこと、苦しいことを余儀なくさせられる。
その内で最も辛く悲しいことは、殺戮し合うことである。
次が裏切であり騙しであり差別であり無視されることである。
こうした人間性不在の世に深まっていったら、生きている価値もなければ
命の輝きを見ることなく、実に空しい生涯を送ることになる。
人間同志が信じ合えないほど、心が乾いて空しいものはないからだ。
反対に一番生きがいを感じ存在感を味わうことは、自らこの身を済度して
不変の大自信を確立することである。
何ものにも惑乱されることがないほど確かなことはない。
次に皆から大切にされることであり、信じられることであり、
尊敬されることであり、愛されることである。
そして爽やかに意義ある事柄で頼られることであり、
己を忘れて理想に向うことである。こうした世の中にしてはどうだろうか。
日本の文化の土壌をつくり、茶道の背骨ともなっている仏教では、
この世は「無常」と説く。常に変化の連続だというのである。
また、すべてのものは「縁起」によって生じているとも説く。
すなわち、すべての生きとし生けるものは、互いに関係し
依存し合いながら存在しているというのだ。
だから、二度とないこの瞬間の出会いを大切にしようとする。
それが「一期一会」の精神である。
千利休は、茶道の心を四つの漢字で表した。『四規』と呼ばれる
「和敬清寂」の4文字である。
この意味は、「互いに心を開いて、敬い合い、常に清らかに
何があっても動じない心をもとう」ということだ。
茶室では、客は常に正しい。正座ができなければ、
胡座で茶をすすろうが、一口で飲み干そうが自由なのである。
これは、旅館でも変わらない。
いやもっといえば、客の気ままを許す心が、日本のもてなしの心だといえる。
そこに生まれる互いを敬う気持ちが、客の節度をつくり、
同時に日本のもてなしの質を高めてきたのである。
茶道の所作と作法の中に日本人の礼儀が全て詰め込まれています。
これはとても大切なことですのでなるべく早く経験をされた方が良いです。
本日は「和敬清寂」の話でした。
9月 20th,2024
恩学 |
和敬清寂 はコメントを受け付けていません
敢えて難解な本を読む
若い頃には本などあまり読まなかった。
知識より行動が全ての時間を取り込んでいた。
学びは行動の後に合わさるものだと
王陽明の「知行合一」を誤釈していた。
それがある時にニーチェ、ヴィトゲンシュタイン、サルトル、スピノザを
読み始めた。その中でもいちばん難解だったのがハイデガーの「存在と時間」
だった。日本の哲学者木田元もこの難解な本を読む為に哲学の勉強を
始めたという。そして日本哲学の祖西田幾多郎に私淑したという。
同じ人間としてどうすればこの様な難解な文章が思い浮かぶのか
興味を惹かれた。そして最近この本に出会った時にも震えるほど興奮した。
森信三「恩の形而上学」である。左脳が理解できない難解な本である。
森信三は教育者として沢山の金言を残している。
「恩の形而上学」は見たことも無い古い漢字の表現の為に、辞書片手でないと
一行も読み進まない。
そういえば昔読んだ道元禅師の「正法眼蔵随聞記」の時も難解すぎて
読み終えることが出来なかったことを思い出した。
江戸時代の寺子屋では意味もわからずに子供達は素読に励んだ。
親の仕事を引き継ぐことしかなかった時代に知的好奇心に刺激を与えた。
難解な言葉もパズルを解く様に楽しいことだったに違いない。
日本人の識字率が高いのは「漢字」に興味が魅かれるからである。
西洋で使うアルファベットにはそれがない。
森信三「恩の形而上学」
読者からのレビューをいくつか載せてみた。
「人生の真のスタートは『人生二度なし』という真理をいかに深く
痛感するかということから始まる」この言葉に象徴されるように、
易しく私たちの歩む道を説かれた
森信三師だが、若き頃は、西晋一郎、西田幾多郎という日本を代表する
哲学者に師事した、教育者であるとともにれっきとした哲学者でもあった。
本書は哲学者である森師としての著作で、師が確立した日本的哲学、
「全一学」の入門書として四十三歳の時に記したものだ。
高弟の寺田一清氏は「この一書に一代の哲学体系の萌芽のすべてが
包含されている感がする」という。本書は弊社から刊行される「幻の哲学三部作」
の第一弾で、哲学者として世に問うた著作であるだけに、非常に読み応えのある
一冊となっている。
味読することで遥か高みにある師の精神性と「人生二度なし」の背後にある
深い思索の跡が垣間見えてくることだろう。
あとがきの寺田一清氏の言葉にもあるように「難解」という言葉がまさに
ぴったりでした。言わんとされるところはおぼろげながらわかるのですが、
選ばれる言葉の一つ一つがすでに現代では見ない字も多く、漢和辞典片手に
漢字の意味を読み解きながら読了。森先生が提唱される「全一学」の入り口の
本になるのだろうか?頭の体操をしている感じでしたが、それでも後半はまだ
読みやすくなり、先生らしい文章になるほどと感じ入るところも多く
おもしろく拝読しました。少しおいてからもう一度読み直します。
修身教授録とは表裏双璧をなす本だと思います。森信三師が39歳の時に
世に出した学問書としての処女作であり彼の全一学の入門書、とありますが、
哲学入門者レベルの人が、修身教授録のような会話口調の分かりやすい
人生訓を期待していると、その独特の文体や用語の難しさも含めて
チンプンカンプンになると思います。彼が本を書くときに手元に置いたと
言われる正法眼蔵(道元)、他にはバガヴァットギーターなどのインド哲学、
中村天風の神人冥合などにも触れておくと掴みやすいかもしれません。
以上
私は敢えて飲み込みにくい文章を読むことによって脳に刺激を与える。
脳は使えば使うほど活性化して知識を咀嚼しながら進化していく。
大学を卒業して社会に出て仕事を覚えて人間関係に悩まされる。
誰かに相談すると弱い人間だと思われるから1人悶々とする。
そんな時には難解な本を読むことを勧めて来た。
読書は、子供の頃学校の教育方針に従わなければならないが、
大人は自分の好みで本を選ぶことが出来ます。
仕事の疲れから少しでも負担になることから目を逸らすのです。
その為に平易な趣味や娯楽の本にストレス解消を求めます。
これは食事でも同じです。大人達は忙しいことを理由に
レトロトやインスタント食品を食べますが、子供達は親が与えなければ
食べることはありません。
遺伝子組み換えや農薬まみれの野菜は子供の成長に悪影響を与えるのです。
なるべくなら身体によいものを食べるようにしてください。
読書の癖を作るには子供が好奇心を持つ絵本や童話など一緒に読むことです。
文字と絵と声で脳内の細胞へ染み込ませるのです。
子供は1人になるとゲームやTVに釘付けになるものです。
親も自分の時間を作りたいために放置してしまうのは致し方のないことです。
でもせめて3歳から6歳までには読書の癖をつけてあげてください。
情緒を司る前頭葉の発達が一番活発に成長する時です。
来るべきAIの時代に対抗するのは人間の創造力と感性です。
このどちらも良書から学び取ることが出来ます。
更に紙のページをめくることをおすすめします。指先に伝わる感触とかすかに残る
インクの匂いが左脳に刺激を与えるのです。
そして必ずポストイットと大学ノートを用意してください。
私の場合は速読で一通り読みます。その際に気になった言葉にポストイットを
貼り、さらに時間をおいてからその個所を読み直します。
そして必ず読書感想と自分なりの解釈をノートに書き込みます。
その回数を重ねるとまるで自分の言葉の様に記憶に残ります。
皆様も試してください。
さて今夜も難解な本を読んで眠りにつくとしましよう。
今夜選んだ本は「江戸社会と国学」ピーター・ノスコ著です。
この本は今年2月に不慮の事故で急逝した画家の友人から頂いた本です。
すでに4~5回は読んでいる本です。
いたるところの行間に彼との思い出がよみがえります。
秋の夜長は読書の時間です。灯火親しむ秋ですよ。
9月 19th,2024
恩学 |
難解な本を読む はコメントを受け付けていません
あなたが悲惨な光景に遭遇した時に脳はどの様に判断するのか?
そのままの現象を捉えて可哀想だと思うか、注意が足りなかったとか思うか、
もっと前に予測できなかったのかと、様々な考えを巡らせます。
さて認識はどの様にして行われるのかを考えたことがあるでしょうか。
そこに見えるモノはあるのか。われわれはふつう「そんなことは当たり前だ」と思う。
しかしながら、仏教的な立場からすると、この「常識」は途端に「真」とは
言えなくなる。仏教では、自分の見ているモノや考えているコトが、
唯一の真実であると思い込み執着してしまうことから、怒りや争いなどが起こり、
結果として苦悩を引き起こしてしまうと考える。
逆に言えば、自分の見解や認識の誤りを修正し、モノを「あるがままに」正しく
認識することができたならば、当然 そうした苦悩もなくなる。
そこで仏教は、自己の認識の誤謬を排除し、 物事のありようを
正しくしかと見ることで苦悩の消滅を図るという手法を採る。
では、仏教における「モノの正しい見方」とは何であろうか。
目の前のものをペンと思うかはあなたが決めている。
ペンは書くものと思うのもあなたが決めている。
もしこのペンを子犬が見たらおもちゃだと思い咥えてしまう。
それは子犬にペンの認識はないからである。
部屋の中にあるものは、本当はただのものだが、これを認識するから
道具に変わる。仏教ではこのことを「空」というのです。
そこに全てはないが全てのないところに全てがある。「色即是空・空即是色」
私たちの脳の中にある常識が認識しているものを言葉として捉えている
だけである。ここに一つの世界があるとしたらもう一つの世界もあることが
理解できるのだろうか?これが真実ですと言われたら、当事者には真実かも
しれないが、国も文化も育ちも違う人にとっては真実でないかもしれない。
反日教育で育った中国人や韓国人の若者の一部は過激にそれを反応する。
真実を知ろうとしないで反日行為を繰り返すと、ただの暴力が戦争に
つながる危険性がある。良識的な大人と言われている大人は、
何もことを起こさなくて平気なのか?その内に子供達に被害が及ぶのです。
キング牧師の言葉に「暴力を見て何も語らない人が一番悪い」
という言葉を今一度考えるべきである。
今、知らないこと、わからないことばかりであるところの人生を
はっきりと知って、自信を持って「知らない」と言えるようになった
この世の中、じつにわからないことばかりである。
世界とは何なのか、自分とは何なのか、自分の存在とは何なのか。
問うて考えることばかりの現実を知って、答えを知らないことなど
恥ずかしいことでも何でもなく、当たり前のことであることを知るべきである。
そもそも、知っているかどうかではなかったのである。
重要なのは、知ろうとしているかどうか。「問うて考える」という、
その行為それ自体が大切なのだった。
知らないことを知っていると嘘をつくことが空虚なものであるのは
もちろんだが、知らないということを知らないで生きていることも
また同等に虚しい。知ろうとしなければ、何も知らないままで
人生を終えるよりほかにない。自分について考えることなく、
自分の人生を終える。
それでいいのだろうか。それは一体「誰」の人生だったのか。
この世界や自分といった存在、それが「ある」ことは、じつはとんでもなく
不思議なことだ。この不思議を、不思議と感じるか。それとも自明のこととして
通り過ぎるか。分かれ道はそこかもしれない。
ただし仏教はその「ある」ことを否定した。
そうかといって「ない」と考えることもまた同様に否定した。
存在は、あるのでもないのでもない。あるのでもないのでもないのなら、
存在とは何なのか。今ここにいる「私」は何なのか。
真理を知りたいという好奇心、探究心、から学問が生まれた。
そんなものは実生活に役立たないとして、社会に暮らす人。
しかしその社会ですら、問わなければ実体はわからない。
社会とは何なのか。社会というものが本当に「ある」のか。
社会という言葉によって社会という概念が生まれ、社会という言葉に
馴染むことによって、社会という概念を実体視していく。
言葉に依らずして思考することは不可能であるが、思考を経ない言葉は、
迷妄を生み出す元凶にもなる。言葉ほど有益で、かつ、有害なものは
ないのかもしれない。人は言葉を使うが、その実、言葉に支配されてもいる。
「私」という言葉があるから、私は私を認識する。
もし「私」という言葉がなかったら、私は私を私と認識することができない。
「私」という言葉によって、私は他の人とは異なる「私」として区別される。
それが言葉の機能であり、魔力でもある。
ないものをあるかのごとくに示して識別可能にする言葉の作用を知って
いなければ、人は往々にしてそれが本当に「ある」ものだと誤認する。
知っているかどうかより以前に、知るとはどういうことなのか、
言葉の魔力を理解した上で、その魔力を使って考えていくのである。
私が「私」という言葉によって私を「私」と認識する。
では、言葉がなかったら、私は何なのか。言葉以前に存在する私は、
何なのか。
一言も発せずに窮するところに到って、禅はいよいよ追い打ちをかけてくる。
「さあ、言え、言え!」と問い詰めて来る。
これからの時代はAIが人間を問い詰めることになる。
分からなくて答えに窮すると「なぜなぜこれが答えだ!分からないのか?」
世界の中で社会適応脱落者として登録するぞと脅される。
早く未来を認識した方が賢明です。
果たして私は私として認識しているのだろうか?
9月 18th,2024
恩学 |
正しい認識とは はコメントを受け付けていません
未来と聞くと通常100年先を想像しませんか?
農業革命、産業革命、商業革命、通信革命と続いた過去に対して
これからの未来には一体何が起きるのかわからない。
もっとデジタル化が進んで人間は孤独になり喜怒哀楽が削り取られる。
朝からAIに体調のこと、天気のこと、渋滞のこと、会議のこと、
友達との語らいのことも指示されるようになる。
我々は居心地の良い環境で無機質なアンドロイドになる。
もっと近い未来でいうと、今日の積み重ねが未来につながり
いくらもがいてもなるようになるしかない。政府の情報やSNSの情報を
鵜呑みにして疑いを持たなければ最悪の事態を招く。
例えばAIに日本語の詩を読んで意味がわかるか聞いてごらん。
当然、彼らはいい加減な回答しか出来ないと思う。
漢字の組み合わせを読み取っても、その奥にある情緒までは理解できない。
花鳥風月や人間の持つ使命感迄は到底理解できないのである。
坂村真民の「あとからくる者のために」
あとからくる者のために
あとからくる者のために
苦労をするのだ
我慢をするのだ
田を耕し
種を用意しておくのだ
あとからくる者のために
しんみんよお前は
詩を書いておくのだ
あとからくる者のために
山を川を海を
きれいにしておくのだ
あああとからくる者のために
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みな夫々(それぞれ)自分で出来る
何かをしてゆくのだ
人間とアンドロイドの違いは他人を思いやる優しさの感情である。
その為に未来を託す子供達に希望の種を植えることである。
戦争の悲惨さは子供達が誰にも構われずに逃げ惑う姿である。
アフリカの飢餓で苦しむ子供が骨だけになっている姿である。
どの国でも母親は誰にも命令されなくても死ぬまで子供を抱きしめるのである。
ここに人としての尊厳が残されている。母親は生命の循環を守りたいのである。
しかしこの状況では知識も近代科学も文化も何も用をなさない。
未来は本当に我々に幸福を齎(もたら)せてくれるのだろうか?
未来の子供達に何かを残せるのだろうか?
いつも科学の進化は人間たちを壊していくだけである。
そして未来に芸術家は存在するのだろうか?
今の絵画も音楽も伝統文化も、すべて古典として記録されると思うが、
未来の芸術は技術者がマウスを使って作り出す一つのデーター作品に
なっているかも知れない。
誰しもが肉眼で鑑賞することなく、メタバースの美術館で、音楽ホールで
ゴーグルをつけてゲームの様に鑑賞することになると思う。
私が学生の頃に聞いたS&G(サイモンとガーファンクル)の
「夢の中の世界」という曲の詞に、
それは水彩で描かれた静物画
たった今, 夕方近くの
レースのカーテンを通して陽が差し込み
影が部屋を洗い流し
僕らは座ってコーヒーを飲んでいる
お互いの無関心の中に横たわり
海岸に打ち上げられた貝殻のように
海が唸り声を上げるのを聞くことができる
宙ぶらりんの会話の中で
うわべだけのため息がもれ
僕らの人生に境界線が引かれる
君はエミリー・ディキンソンを読み
僕はロバート・フロストを読んで
二人は栞を挟んだ読みかけの頁に目を落とす
それは僕らが失ったものを測る物差し
出来の悪い詩のように
僕らはそれぞれリズムが取れない詩の一節
韻を踏めない対句、切り分けられた時と
宙ぶらりんの会話の中で
うわべだけのため息がもれ
僕らの人生に境界線が引かれる
確かに僕らは大事なことを話してはいる
語られなければならない言葉で
「解析することは価値を持ち得るだろうか」
「戯曲は本当に死んでしまったのか」
そしていつの間にか僕らの部屋は色を失い
僕はただ君の影にキスをする
もはや君の手さえ感じとることができない
いま君はまるで見知らぬ人であるかのよう
宙ぶらりんの会話の中で途方に暮れ
うわべだけのため息が
僕らの人生を分け隔てる
この情景と感情の入り混じった歌詞はAIでは作れない。
ポール・サイモンに脱帽です。
未来は明るい、未来はバラ色だ、未来は夢が溢れている。
だから勉強を、仕事を、頑張れと似非成功者はみんなそういうのだ。
未来は君の頭のイメージ通りにしかやって来ない
自分は独立して経営者になるのだ。自分は開発分野ですごい発明家になるのだ。
自分は何もしないで、手に入るものだけで生きていければ良いのだ。
そう思うと必ずその通りになる。その方法が間違っていなければ見事にそうなる。
今日生きたようにしか未来はない
未来は何もしなくてもやって来ると勘違いするな
未来は金持ちが作ったシステムの中に放り込まれることではない
未来は科学や経済で作られた住みやすそうな檻の中で暮らすことでは無い
愛する人や、愛するペットが人工的に作られる世界がやって来る
未来イコール幸福だと勘違いするな!
今日生きたようにしか未来はやって来ない。
だから自分で未来を創り出すのだ。
9月 17th,2024
恩学 |
未来推敲 はコメントを受け付けていません
この一言で勇気が生まれた。
「九十九人の人が、川の向こう岸で騒いでいようとも、
自分一人はスタスタとわが志したこちら側の川岸を、
わき眼もふらず川上に向かって歩き通す底の覚悟がなくてはなるまい」
哲学者森信三
大学の夏休みに大阪から栃木の母親に会いに行くために歩き出した。
6歳の時に家庭の事情で別れ離れになっていた母親に内緒で会いに行った。
ただひたすら国道1号線を東京に向かって歩いたのである。
もう自分の存在なんて忘れてしまったのでは無いかと不安に駆られての
行動である。母親が住んでいる小山市に着いて商店街を歩いていたら
1人の年若い女性がじっと私の顔を見て突然走り出した。
そして10分もしないうちに母親と思しき女性を連れて戻って来た。
その女性は3才の時に別れた妹であった。
大学3年の時に学校がつまらなくなり近くの工事現場でバイトした。
そこで1年働いてロンドンに向かう旅費を稼いだ。
そして1年半ロンドンにいて帰国してCBSSONYというレコード会社へ入った。
当てもなくロンドンへ行った時にもバイトも学校もアパートも1人で探した。
日本へ戻っても1人なので全て自分の責任で人生を切り開くしかなかった。
音楽業界で働くようになって気づいたのはシステムが古くて
話にならなかったことです。これは根本から変えなければ海外から
笑いものになると思ったのです。その時から自分の名刺に手書きで
プロデューサーと肩書を書いた。宣伝をして回りました。
社内外で笑い者になっていたことは知っていました。
しかし私が日本の音楽プロデューサー第一号と自負しています。
必ず人と違うことを始めたら殆どの場合煙たがられる。
あからさまに敵対心を持って「要らないことをするな」と邪魔をされる。
しかし子供の頃からこの程度のいじめは慣れっこである。
何も出来ない奴ほど騒ぎ立てる。エリートにこの手が多い。
しかし飛び込まなければ波紋は広がらない。時代は変わらないのである。
「ひとりで進め」について
「ひとりで進め」は、1905年にラビンドラナート・タゴールが作詞した
ベンガルの愛国歌であり、マハトマ・ガンディーや、
他の多くの人たちが愛した歌でした。
調べてみるとこの歌の詞にはいくつかのバージョンがあります。
それが、ベンガル語から日本語への翻訳の際に生じたのか、
もともといくつかの種類があるのかは分かりません。
以下の歌詞はインドの歌手シュレヤ・ゴシャルさんの
歌の英訳の歌詞を日本語訳したものです。
歌詞「ひとりで進め」(全文)
あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、
ひとりで進め、ひとりで進め、ひとりで進め
あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、
ひとりで進め
もし皆が口を閉ざすなら。
おお、不運な我が友よ、
もし皆が、あえて語らないなら
誰もが恐れで、見て見ぬふりをするなら
心を開き、できるだけ大きな声で、
あなたの考えをそのままに、
ひとりで語れあなたの呼びかけに、
もし誰も答えないなら、ひとりで進め
あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら
もし皆が離れていくなら、
おお、不運な我が友よ、
もし皆が逃げ出すなら
困難な道に沿って歩いているとき、
誰もがあなたを見捨てるなら
道が茨に覆われていたとしても
それを踏みつけて、足を血で濡らしながら、
ひとりで進め
あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、
ひとりで進め
もし誰も光を掲げないなら、
おお、不運な我が友よ、
もし誰も光を示さないなら
もし雷雨の暗い夜に、
皆があなたの前で扉を閉め切るなら
まさにその稲妻で胸に火を灯し、
ひとりで道を照らせ
あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、
ひとりで進め、ひとりで進め、ひとりで進め
あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、
ひとりで進め end
自分の約束を自分で破ることは最低な行為である。
自分を裏切るな!たとえ孤独の波に包まれても耐え抜くのだ。
恐れるな!前に進むしかないのだ。
『走れメロス』は、人間の根底にある心理を巧みに描きながら、
信頼とは何かを問う物語です。まずは、あらすじを簡単に解説していきます。
妹の結婚準備のためシラクスの市を訪れたメロスは、人づてに聞いた
国王による残虐な行いに激怒し、城へ乗り込みます。
王に歯向かった罪で、メロスは処刑されることになります。
メロスは処刑を受け入れるものの、妹の結婚式のため3日間の猶予が
ほしいと述べ、親友のセリヌンティウスを人質にすることを提案し、
認められます。そして無事に妹の結婚式を見届けたメロスは、
親友の待つ城へ向かって走りだします。肉体的疲労や自身との葛藤、
度重なる障害を乗り越えて約束を守ったメロスの姿に、王は改心します。
太宰治
1人の心情と行いで世の中は変わることがある。
小さな光がやがて大きな光になり国をも変える。
自分を裏切るな!誰にも頼らずにひとりで進め。
「一灯照隅、万灯照国(いっとうしょうぐう、ばんとうしょうこく)」
という言葉の一節。比叡山延暦寺を開いた最澄が、
唐から持ち帰った言葉とされています。
初めは一隅(片すみの部分)を照らすような小さな灯火(ともしび)も、
その灯火が百、千、万と増えれば、国中を明るく照らすことになる。
その様子を表しています。「一灯」とは、一つのともし火のことで、
仏教を開いた釈迦の教えを象徴していると言われています。
初めは釈迦が一人で坐り一人で悟ったことが、彼の身の回りの人々に伝わり、
時代が下った今では多くの人が知ることとなったことを表している。
とも、解されています。
ひとりで進め!誰かの合図を待つな、誰かと行動を共にすることを考えるな
そして、栄誉とか褒賞とか期待することなく一途に「ひとりで進め」
9月 16th,2024
恩学 |
ひとりで進め はコメントを受け付けていません
能楽の「綾鼓」は、老人の恋の悲劇や怨恨が中心に描かれています。
恋は年齢や身分に関係ないものですが、下賤な身の老人が、
高貴な美女に恋をするという設定において、はじめから悲劇的な結末が
予感されます。
前場では老人の一途な恋が描かれますが、後場では一転して、女御に
弄ばれていたと感じた老人が恨みを強く持ち、女御を強く責め立てます。
一方で女御の方も、綾でできた鼓を渡した時点で正気ではなかったと語り、
この悲劇のやり場のなさが強調されます。最後の場面で再び淵へと
消えていった老人の亡霊の行方も語られないままで、多様な解釈が
可能となっています。
もともと「綾鼓」は宝生流と金剛流にありました。喜多流の「綾鼓」は、
一九五二年に宝生流から贈られたものをもとに、歌人としても有名な
土岐善麿と十五世宗家の喜多実によって大幅に改訂されたものです。
「綾鼓」の類曲には「恋重荷」があり、観世流と金春流で上演されています。
また三島由紀夫は「綾鼓」をもとに「綾の鼓」という戯曲を作り、
法律事務所に小間使として勤める老人が、洋装店の客の女性に恋をする
という設定で、現代版に大胆にアレンジしました。
現代だからこそ訴えかけるテーマも本作にはあると言えるでしょう。
年を重ねても若々しい人は
自分で限界をつくらず
新しいことに挑戦してるから
年を重ねても美しい人は
いろんな経験や失敗を重ねて
自信を持っているから
年を重ねても魅力ある人は
自分の心と向き合って
ありのままでいるから
年を重ねるのは悪いことではなく
どのように生きたか
ネット上でこの言葉と出会いました。
私もこうありたいと思う気持ちと一つになった瞬間です。
がむしゃらに生きて来た人生に悔いはありません。
ただ一つ後悔があるとすれば周りの人達に迷惑をかけて来たことです。
自分の挑戦に付き合ってくれた家族や友人に感謝するのみです。
私はプロデューサーとして他人の人生を応援する立場です。
今の世の中このような人が現れれば救いになるなと思う気持ちが基本で
アーティストとの出会いにプロデューサーとして励んできました。
いつも新しい出会いがあり自然に若い文化の中心にいる気分でした。
友人も多岐に渡り大勢触れ合いました。画家、ファッションデザイナー、
レストランオーナー、起業家、映画監督、海外のクリエイター含めて
大勢の友人と熱く語り次の時代を豊かにするために夜通し話し合いました。
「時には昔の話を」
作詞:加藤 登紀子 作曲:加藤 登紀子
時には昔の話をしようか
通いなれた なじみのあの店
マロニエの並木が窓辺に見えてた
コーヒーを一杯で一日
見えない明日を むやみにさがして
誰もが希望をたくした
ゆれていた時代の熱い風にふかれて
体中で瞬間を感じた そうだね
道端で眠ったこともあったね
どこにも行けない みんなで
お金はなくても なんとか生きてた
貧しさが明日を運んだ
小さな下宿屋にいく人もおしかけ
朝まで騒いで眠った
嵐のように毎日が燃えていた
息がきれるまで走った そうだね
一枚残った写真をごらんよ
ひげづらの男は君だね
どこにいるのか今ではわからない
友達もいく人かいるけど
あの日のすべてが空しいものだと
それは誰にも言えない
今でも同じように見果てぬ夢を描いて
走りつづけているよね どこかで
私は今も多くの団体の役員や理事を務めさせていただいています。
高齢者と子供達を応援する団体にも所属しています。
そして新たな勉強会「糸紡ぐ会」も始めています。
勿論、音楽関係の仕事は続けています。
75歳のプロデューサーが50歳のロックシンガーを手掛けています。
この挑戦も世界初です。成功すればギネスものです。いや成功させます。
ファッションの新しいブランドを立ち上げるプロジェクトにも参加します。
「老人と孫」という対話集会で中心的な存在で活動もしています。
「フランスの男と女は、歳をとるほど恋をする」
フレンチ・シネマの中にある「恋愛の記録」を紐とくと、年配の男女が
手を繋ぎオシャレしてカフェで待ち合わせしている場面をよく観ます。
年齢を重ねた分だけオシャレにセンスの良さが光っています。
細巻きタバコを咥えてワイングラスを持っている姿がまるで
映画の一場面のようです。エスコートする男性の姿も様になっています。
最近ではミニマリストが流行っており物を多く持つのではなく、
身軽な最小の物だけで暮らすというブームです。
多くの人と交わるよりも、好きな人と貴重な時間を過ごす。大切なことです。
日本では仕事や子育てから解放されるといきなり年寄り扱いになります。
オシャレとは程遠い老人服と危ないからという理由で外での会食を制限されます。
私は堂々と人前で女性にハグをします。そして手も握りしめます。
大好きなワインもそれなりにいただきます。いつも未来の話に花が咲きます。
70歳の時に家内と一緒にNYへ行ったのですが、家内のリクエストにより
若者旅に挑戦しました。安い航空運賃と安いホテルのセットで出向き、
先ず飛行場でUberの登録をして車を呼びました。ブルックリンにある
ホテルは一般的なアメリカンスタイルのビジネスホテルでした。
小さな部屋でベッドと洗面所しかないような空間でした。
家内が観光はいらないからクラフト系の工場を見て回りたいとの要望で、
毎日地下鉄に乗って歩き回りました。70代とは思えない行動です。笑い
NYには家内の従兄弟が住んでおり時間のある時に、彼女の娘さん同伴で
街角にあるレストランへ食事に出かけました。地元の住民が大騒ぎしている
騒がしいレストランですが、気取った店より数段美味しかったです。
年をとってからのドタバタ珍道中でしたがとても笑いの絶えない旅になりました。
私が若者たちに伝える言葉の一つに「若き日には薔薇をつかめ」
というのがあります。その意味は若い時にはどんなことをしてもリスクを恐れるな、
バラを手づかみして傷ついても傷はすぐに癒やされる。
だから燃えるような情熱を絶やすな!
そして今私が高齢者になり枯れた薔薇と共に店先に飾られるようになりました。
それでもプライドとパッションは消えることはありません。
身体の不具合を感じながら老いることを楽しんでいます。
さあ、今日もライブハウスへ出かけるぞ!
9月 15th,2024
恩学 |
老の木「綾鼓」 はコメントを受け付けていません
悪戯に学んでも意味のないことです。
勉強をする目的とそれから得られる価値を見つけ出さなければなりません。
戦前の勉強が戦後に役立つのか、その上にデジタル化された未来にも
役に立つのだろうか?日本の教育制度の見直しの時期にもきている。
多くの哲学者や仏教者は言う。幼き頃の勉強はその意味が理解できなくても
学ぶ心構えと学ぶ作法が身につくので必要である。
その上に知的好奇心が芽生える機会にもなるので学校へは通わせるべきである。
日本流の教育が良いか悪いかの論争が度々起こるが、悪戯に西洋の真似をする
必要は無い。唯一つ言えるのは教育者が学問追及の経験が無いことと
比例して、時代の変わり目に付いて行けないことが問題である。
これからの教師はインストラクターとして子供たちの学びに手を添えるだけになる。
太宰治「正義と微笑」より
勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業して
しまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、
大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り
勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、
将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。
勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。
覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベート
されるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん
暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。
つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、
社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。
学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。
けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの
砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。
そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。
ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!これだけだ、
俺の言いたいのは。~以下略
「真にカルチベートされた人間になれ!」学校の勉強や日々の経験などから
学び、人として耕されていき(洗礼されて)、学校で学んだことを無理に
直接役立てようとせず、焦らず良い人生を歩んでほしい。
といった意味になるでしょうか。
※cultivate=耕す、耕作する、磨く、洗礼する、養殖する、培養する、養う
太宰は日常の生活に役に立たない勉強でも人格を完成させる一つの要素で
あるとし、役に立たないかもしれない学問でも、すぐに忘れてしまった
としても、勉強という行為を通して人としての成長に繋がり、努力を
したことが尊いと語っています。
意味がない・役に立たないと思うことでも勉強を通して、
自分の身になるから人間には勉強というものが欠かせないのです。
子供にこの内容を伝えてもピンとこないかもしれませんが、
勉強に不必要な勉強はなく、勉強を通して成長できることを
この文章を見せて伝えることができるかもしれません。
勉強とは、賢くなることで、より適切な判断力が養える、
そして自分の将来の為になることです。無意味な勉強など存在しておらず、
自分の人間力を鍛えてくれるのです。
もし子供に「なぜ勉強するのか」と聞かれたのならば、しっかりと勉強の
必要性を答えて、子供の勉強のモチベーションをあげられると良いでしょう。
「人間は知るべき存在である」
人類は今、本当に危険な状況にある。6大危機(気候変動、第三次世界大戦の
危機、存在不安存在孤独、貧富の格差、脳疲労、AIの進化)、中でも本当の
危機はAIの進化である。ANI,AGIさらにASIへと進化をする前に、
人間の意識の爆発を起こさなければ間に合わなくなる。
タイムリミットは2030年であろう。もしかしたら前倒しになる可能性もある。
始まりも「知らない」、終わりも「知らない」。
そう、脳で知ることなどデータにすぎない。
人間には知るべきことがある。
いや、知らなければならないことがある。
そしてそれこそが法灯明である。
「ある小学校の校長先生が卒業生に送った言葉」
「ありがとう」の数だけ人は優しくなれる
「ごめんね」の数だけ人は賢くなる
「さよなら」の数だけ人は愛を知る。
学ぶとは知識を取り込むことであり、それをいかに活用するかが重要である。
学問に励み人としての自覚を養うためには心の学びが必要である。
何も難しく考える必要はない。
仏教用語に「百尺竿頭進一歩」というのがある。
この語は『無門関』『景徳伝燈録』などに出る唐代の長沙景岑(ちょうさけいしん)の
言葉で、「百尺竿頭(かんとう)さらに一歩を進む」と読みます。
道元禅師も『正法眼蔵随聞記』巻三に、「古人云く、百尺竿頭如何に一歩を進むと。
百尺の竿頭に登りて、足を放たば死ぬべしと思って、強く取りつく心あるなり。
一歩を進めよと云うは度世(とせい)の業よりはじめて、一身の活計(かっけい)に
到るまで、思い捨つべきなり。
それを捨てざらんほどは、如何に頭燃を払って学道するとも、道を得ること
叶うべからず。」と説かれております。
「百尺竿頭」は、30メートルほどの長い竹竿の先端ということで、
私ども人間が今生きている現実をいいます。私どもは、諸行無常・諸法無我の
ただ中に生きています。存在する全てのものは、時間と空間の束縛を受けますので、
刹那生滅しております。生命あるものは、死に向かって常に現象変化しております。
私どもは、まさに絶体絶命の断崖絶壁を生きる場所としていることを
自覚しなければなりません。
「さらに一歩を進む」は、長い竹竿の先端からさらに一歩を踏み出すことをいいます。
しかし、一歩を踏み出せば、真っ逆様に地上に落下してしまいます。
人生を生きるということは、危険であっても一歩を踏み出すことに他なりません。
私どもは一歩を踏み出せないので強固な「自我」をもつことになります。
しかし、絶体絶命の生命を前にして「自我」は何の役にもたちません。
自己を苦しめるだけです。
「一歩を進む」生き方は、自我を造る生き方を否定して、自然や生命を支える
自己の身心に感謝し、人のために生きる生き方をすることです。
如何でしょうか?
学ぶとは真似ることから始まり更に一歩先へと歩み続けることです。
9月 14th,2024
恩学 |
学ぶとは はコメントを受け付けていません
音楽関係に従事している者は全て耳がよいとは限りません。
音の聞き分けで重要な絶対音階を持っている人はほとんどいません。
しかしアーティストは最低限の音を見極める耳は持っています。
プロデューサーの耳は聞こえていない音を探り当てて磨きをかけます。
しかし音楽がこの世の中に何故必要かとまで考えた人は少ないと思います。
音楽に関心を寄せたキッカケは子供の頃からの習い事で始めた人、
単に趣味として好きだったから、音楽の華やかな世界に興味を持ったから
など人それぞれです。
クラッシックの偉大な作曲家の経歴を調べていくうちに
あることが分かりました。何故、あの時代にあれほど数多くの名曲が生まれたのか。
宮廷や貴族から莫台な資金が投じられたとしても彼らの才能は天性のものです。
17世紀~18世紀にバロック時代宗教音楽、鍵盤音楽、室内楽曲につぎつぎにと
生まれた作曲家たち。パトロンを満足させるために、また大衆を楽しませるために
作られた楽曲は、更に作曲家たちの持病を癒すためのものでもあったのです。
耳の聞こえなかったベートーベン、サバン症候群のモーツァルト、
躁鬱病のシューマン、鼻の中のポリープに悩まされたハイドンと
それぞれの病を抱えていました。当時はまだ治療方法がない時代です。
自分でその苦しみから逃れるために自身で作曲した音で
音楽療法を行っていたのだと思われます。
有名なのはモーツアルト「二台のピアノのためのソナタ二長調K448」です。
彼はてんかんの発作が起こるとこの曲を弾くことで癒されたと言われています。
現代医療ではてんかんの病にはこの楽曲を使うのが当たり前になっています。
偉大なる名曲の全てがそういう事情とは一概に言えませんが、私なりの推論です。
絵画の世界では耳を切り落としたゴッホ、鬱病に苦しんだムンク、
発達障害のピカソ、強迫神経症と統合失調症の草間彌生、
パーキンソン病の岡本太郎なども障害を抱えながら新時代の名画を数多く
残したのです。ですから一概に精神的病(やまい)イコールハンディを持った
可哀想な人と定義つけるのは間違っていると思います。
彼らが創り出した才能あふれる作品は愛好家だけではなく
世界中の人々に感動を与えているのです。
ここにこの様な話があります。
【神様がくれた耳】
アメリカの学校で理科の授業中
実験に使っていたマウスが逃げ
どこに隠れたのかわからなくなった
女性の教師はみんなに探させたが
見つからない
そこで全員を席に着かせ
自信たっぷりにこう言った
「これだけ探して発見できないのなら
あとは、モリス君にお願いしましょう」
途端に、ちょっと待って何でアイツが
という声があちこちから起こった
教室はざわめき、一人が
「モリスには無理です」
と手を挙げて言った
実はモリスは目が不自由なのである
教師は答えた
「なるほど、確かに目が不自由です
だからモリス君には無理だと
みんなは思うかもしれません
でも、先生は知っています
モリス君は目が不自由でも
神様から素晴らしい能力をもらっています
聴力です
それを生かせば必ず
マウスを見つけてくれると
先生は信じています
モリス君、お願いできますか?」
そして、モリスは期待に応えて捜し出した
そして、日記にはこう書き残した
「あの日、あのとき、僕は生まれ変わった
先生は僕の耳を神様がくれた耳と言って
褒めてくれた
僕はそれまで目が不自由なことを
心の中で重荷に感じていた
でも先生が褒めてくれたことで
僕には大きな自信がついた」
このマウス事件から十数年
神の耳を生かして音楽の道に進んだ
スティービー・モリスは
シンガー・ソングライターとして
鮮烈なデビューを果たす
スティービー・ワンダーという名前で!
皆様の耳は正常に音を聞き分けていますか?
正しい音は心を癒してくれますが、雑音に近い音は感情に悪影響を与えます。
モバイルを通じて流される音楽は圧縮音で本来の音ではありません。
インスタント食品を食べ続けると身体に害を与えるのと同じで、
モバイルの音を聞きすぎると聴覚が正常に働かなくなります。
聴覚のメンテナンスは森の中を歩くことをお勧めします。
野鳥の鳴き声や川の流れ、木々を通り過ぎる風の音に耳を澄ましてください。
ストレスが軽減されますよ。森の中の演奏会も開催されています。
マイナスイオンを胸いっぱいに吸い込んで心も体もリフレッシュしてください。
これからも神様から与えられた耳を大切にしてください。
次回は「良い音を聞く耳になるには」をテーマに原稿を書いてみます。
9月 13th,2024
恩学 |
神様がくれた耳 はコメントを受け付けていません
和といえば先ず聖徳太子の十七条憲法を思い出します。
聖徳太子が十七条憲法の冒頭に掲げた「和をもって貴し(たっとし)となす」
という言葉は、元々「論語」が出典です。
孔子(孔先生)は紀元前5世紀頃の人物で儒教を確立しました。論語は、
孔子(孔先生)と弟子との対話形式の本で、中国と同じく、日本でも
任官試験として採用されていたので、多くの日本人はこれを学んでいました。
孔子の弟子の有若(ゆうじゃく)が、こう語っています。
「礼の用は和を貴しとなす。先生の道もこれを美となす。」
礼とは社会生活の規範ですが、それの実践にあたっては、和の心が根本に
なければならない。古代の聖王(真の王)の道が優れていたのも、
この和の心があったればこそだ、というのです。
しかし、有若は、「和」だけを最も大切なものとして、推奨している
わけではありません。彼はこうも語っています。
「しかし、どんな場合でも和の心さえあれば、十分だというわけではない。
いかにも和は大切だが、一方で礼による折り目が無いと、せっかくの和も
うまくゆかぬことがある。」
つまり、和だけが先行するのではなく、それと同時に社会生活の規範が
しっかりと確立されていなければならない、というのです。
この言葉を採用した憲法には、この考え方が根底にあったのです。
次に和といえば「平和」を思い浮かべます。
平和にはどの国も確固たる定義がありません。
果たして漢字で書く平らな和とはなんなのでしょうか?
「平和」という言葉はその語源は古くはなく、明治時代に英語の「PEACE」
という言葉の訳語として造語したらしい。
といっても、日本にそれと似た言葉があり、それはある説によると、
「和平」という言葉だったという。
この言葉の意味は「和(やわらげ)平(たいら)」にするというほどのものだが、
要するに言葉などで相手を説得し服従させるということ。
相手が屈服しなければ武器をもって征服するという意味も含められている。
奈良時代の言葉を集めた『時代別 国語辞典 上代編』(三省堂)で、
「和平」を調べてみると、どうやら「平」はまだなかったようで見当たらないが、
和は「やはす」という項目にある。意味は、「静め和らげる」とあるが、
もう一つとして、「討ち平らげる。平定する」とあるから、武器を放棄した
平和ではなく、武器によって戦争をし相手を倒すという意味を含んでいた
言葉であったことがわかる。
古代人にとって、「和平」とはそのような意味をもっていたのだが、
それは現在の国際政治にも通じる概念でもあるだろう。
そしてアイヌやアメリカンインディアンの会議を思い出します。
部族の長老を囲み円陣の中で対話が行われます。
テントの中で長老を中心に男たちが集まり酒かタバコを回し飲みして誓いを立てる。
それぞれの部族の責任者が問題を定義する。別の人間がそれに自分の考えを述べて
解決方法を考える。最後に長老が民族の歴史を語り決め事を語り
適切なアドバイスをして会の終わりを告げる。
全員の気持ちを一つにして参加者全員が共和の意識を統一させたのです。
そして今の時代に大切なのは「調和」である。
日本が最も得意なのが調和である。
家屋も生花もお茶も庭園も全てが調和で成り立っている。
自然を際立たせて陽の光と影を、家の中に取り入れる技は日本独特の世界である。
これからのデジタルの世界では人間の持つ感性の技を必要としなくなる。
あくまでも感性も技術の一つとして取り入れるだけになる。
しかしそこに人情の機微は映し出されないのである。
【「無為自然(むいしぜん)」と老子(ろうし)の関係と来歴】
「無為自然(むいしぜん)」は、禅宗における教えとして広まったものの、
その根底には古代中国の道教思想が影響を与えています。
老子(ろうし)は、道教の創始者とされる哲学者であり、『道徳経』という
著作が非常に有名です。
無為自然の考え方は、老子(ろうし)の『道徳経』において強調されている
「無為(無爲)」という概念に由来します。無為とは、無理に行為や介入をせず、
自然の流れに任せて物事を進めることを意味します。老子は、無為を
実践することで、人間社会も自然界と同様に調和し、円滑に機能すると
主張していました。
禅宗は、中国で成立した仏教の一派であり、老子の道教思想や無為の
考え方が取り入れられました。禅宗は、瞑想を通じて悟りを得ることを重視し、
心を無為自然な状態に戻すことを目指しています。そのため、「無為自然
(むいしぜん)」という言葉は、禅宗の教えと古代中国の道教思想が融合した
形で広まっていったと言えます。
皆様にとっての「和」はどのようなものでしょうか?
「和」の字の成り立ちは、粟の穂のまるくしなやかにたれるさまを描いた
象形文字。丸い穴とも縁が近く、角が立たない意を含みます。
皆様も和のこころを大切にしておだやかな人生をお送りください。
9月 12th,2024
恩学 |
和にまつわる はコメントを受け付けていません