山頭火




私は苦難困難に強い。そして貧しさにも強い。
人よりも孤独にも慣れていて何日も喋らなくても平気である。
若い時から勉強も真剣にしたことがない。だからお金に執着もしなかった。
そして努力もなしに願えば叶うことが多かった。
高校受験も大学受験も就職も全部望むところへ行った。
常に礼儀正しくて元気で笑顔でいれば誰でも好かれるはずだと思う。
別にそんな人間が褒められるわけでもないがこれも個人の生き方である。

音楽プロデューサーとして活躍をして作詞も作曲も編曲もした。
その中の一曲が日本レコード大賞作詞大賞に選ばれた。
才能があったわけでも無いのに選ばれたのは嬉しかった。
現役を退いてからマーケティング講座も引き受けて各地で講演もした。
多くの会社や団体から役員として要望があり忙しい毎日だった。

LAで音楽会社を立ち上げ、韓国で映画会社を立ち上げて、北京の音楽会社と手を組んだ。
その後中国のアーティストが大ヒットして中国政府から仕事の依頼があった。
特別に能力があるわけではないが常に時代の先を走り続けた。
豊かな時には豊かな暮らしをして、貧しい時には貧しい暮らしをする。
収入のほとんどは活動費や投資で消えてしまうので家族に迷惑をかけた。
一体全体「俺は何だろう」と考えた時に、この俳人の名前が思い浮かんだ。

孤高の俳人種田山頭火だ。

1882年(明治15年)に山口県防府市で生まれた種田山頭火(本名:種田正一)は、
自らのことを「無能無才」や「小心にして放縦」、「怠慢にして正直」と評し、
その57年の生涯を「無駄に無駄を重ねたような一生だった」と振り返って
います。山頭火という人物は、一体どのような人生を歩んできたのでしょうか?

種田家は村の大地主で、父親は役場の助役なども務める顔役でしたが、
女性関係が派手な方で、母親はそれを苦に、山頭火が11歳の時に井戸へ
身を投じ亡くなっています。俳句を始めたのは15歳の頃からで、
高校を主席で卒業し早稲田大学へ進学するなど、学業の方は優秀だったそうです。
大学在学中に神経症を患い故郷へ戻ることになった山頭火は、その後、
一家で開業した酒造場の仕事を手伝いますが、およそ10年で破産に
追い込まれ、父親は消息を絶ちます。不幸続きの山頭火は、
酒に溺れたようですが、俳人として頭角を現してきたのは30代頃からで、
投稿した句が俳句誌に掲載されています。

私はその日その日の生活に困っている。食うや食はずで昨日今日を
送り迎へている。多分明日もいや、死ぬまではそうだろう。
だが私は毎日毎夜句を作っている。飲み食いしないでも句を作ることは
怠らない。いいかへると腹は空いていても句は出来るのである。
水の流れるように句心は湧いて溢れるのだ。私にあって生きるとは
句作することである。句作即生活だ。
 
私の念願は二つ。ただ二つある。ほんとうの自分の句を作りあげることが
その一つ。そして他の一つはころり往生である。病んでも長く苦しまないで、
あれこれと厄介をかけないで、めでたい死を遂げたいのである。
私は心臓麻痺か脳溢血で無造作に往生すると信じている。

私はいつ死んでもよい。いつ死んでも悔いない心がまえを持ちつづけている。
残念なことにはそれに対する用意が整っていないけれど。
—無能無才。小心にして放縦。怠慢にして正直。あらゆる矛盾を蔵している
私は恥ずかしいけれど、こうなるより外はなかったのであらう。
意思の弱さ、貧の強さ、あゝ、これが私の致命傷だ。

俳句は言葉の「音」や「リズム」を楽しみ、そこに美しさを見出す芸術ですが、
山頭火の作品は、同じ音を繰り返し用いるなど、特にこの傾向が
強く見られます。
“てふてふひらひらいらかをこえた”
“春の山からころころ石ころ”
“あざみ鮮やかな朝の雨あがり”
“ほろほろほろびゆくわたくしの秋”
“もりもり盛りあがる雲へあゆむ”(辞世の句)

何だかラップのような趣がありますよね?そのほか、情景や感情を詩的に
呟いた作品も多く、現代のツイッターに通じるところも、
今の人に受け入れられる要素かも知れません。
“まっすぐな道でさみしい”
“笠にとんぼをとまらせてあるく”
“ころり寝ころべば青空”
“あたたかい白い飯が在る”
“咳がやまない背中をたたく手がない”

1932年(昭和7年)9月から1938年(昭和13年)まで暮らした庵。
50歳を迎えた山頭火は、体力の衰えから作句と行乞(ぎょうこつ)の
旅に限界を感じていました。そこで、山口市小郡(おごおり)に庵を結び
「其中庵」と名付け生活を始めます。安住の地を得た山頭火は、
数々の句集を発行するなど、最も充実した文学生活を過ごしました。

この地は私の家内の実家がある場所です。
私と結婚するまでは家内はこの地で暮らしていました。
私もこの地防府へ何度か訪れました。親しみを感じるのはそういう縁が
あったからかもしれません。

旅の途中に書いた代表作
☆どうしようもないわたしが歩いている
☆分け入っても分け入っても青い山
☆酔うてこほろぎと寝ていたよ
☆おちついて死ねそうな草萌ゆる
☆生死の中の雪ふりしきる
が好きでした。
山頭火が俳人として生きていくことを決意したときに
詠まれたものだと言われています。

禅の言葉に「本来無一物」というのがあります
「本来無一物」という語は、誰でも知っている禅の代表的な言葉である。
誰でも知っているけれど、ほんとうに分かっているかどうかは、まったく別であろう。
普通には、「もともと何も無い」というように理解されやすい。
 
しかしこの「本来」という語は、もともとという意味ではなく、「本質的に」とか、
「根源的に」ということである。また「無一物」は何も無いということではない。
禅宗で言う「無」は大乗仏教の説く「真空」の中国版で、有と無の両方を超えた
次元を意味しているのである。したがって「本来無一物」もまた、有も無もそこから
出てくるような「根源」をいうのである。
 
われわれの身体や心もまた、そういう「一切を超えた根源」から現われ出ている
ものであるから、それを「清浄なもの」だと考え、煩悩のような「不浄なもの」を
避けようとするのは、「小乗仏教的」な二元論に過ぎないのである。
 
大乗仏教では、「清」も「濁」も、ともに根源の「空」の現われ方の違いであるとする。

だから清と濁、善と悪というように、分別してしまうのは、真実についての誤った
理解で、それを迷いというのである。なるほど清らかな処に塵が溜るなら払わなければ
ならないが、何にもなければ塵も溜らないというのが、大乗仏教の尊い考え方である。
 
清も濁も同じ「空」の現われであるから、両者は同じ価値である。
それを差別することが迷いである。「悟りは迷いの道に咲く花である」という句は、
それを言うのであろう。

いま山頭火が面白い!
何度もブームが再来するのは日本人の心に響く演歌に似ているからかもしれない。
俳句の定型化から離れて自由律俳句と言葉遊びの響きが若者たちにも
好まれるのはラップ調だからかもしれない。

山頭火の俳句はお昼に読んでも夜中に読んでもそれなりに響き方が違う。
みなさまもお時間のある時に読まれてみては如何でしょうか?