学びて時にこれを習う




『論語』のはじめに、「学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。」
という有名な言葉があります。
岩波文庫の『論語』には、「学んでは適当な時期におさらいする、
いかにも心嬉しいことだね。」と訳されています。

「学ぶ」というのは『広辞苑』で調べてみると、
①「まねてする。ならって行う。
②教えを受けて身に付ける。習得する。
③学問をする。勉強する。
④経験を通して身に付ける。わかる。」
という意味があります。

また「習う」には、
①くりかえして修め行う。稽古する。
②「教えられて自分の身につける。まなぶ」
という意味があります。
「学習」という言葉は、まさに「学びて習う」ことなのです。
教えを受けて、それを繰り返し修めて行うのであります。

「臨済宗円覚寺館長横田南陵の言葉より」
私などは役目柄、人さまに話をしたり、教えることが多いのであります。
しかし、その分常に学んでいなければならないと思っています。
なかなか学ぶということは努力しないとできないものです。
先日は、椎名由紀先生にお越しいただいて教わり、その次の日には、
甲野陽紀先生に起こしいただいて教わることができました。
生徒になれることはいつもながらうれしいものであります。

椎名先生は、その翌日から海外に出張なさるというのに、
そんなお忙しい中、講座を開いてくださいました。
修行道場では、お盆が終わってご自分のお寺に帰っている者も多く、
いつもよりは小人数となりました。
それだけにじっくりと学ぶことができました。

今回のテーマは中心軸であります。
本題に入る前に、椎名先生は、「癖」について話をしてくださいました。
椎名先生といつもご一緒に教授してくださる先生が、人前に話をなさるときに
癖があって、「あのー」という言葉をよく無意識に使ってしまうそうなのです。
緊張したりすると、なお一層「あのー」という言葉が出てしまうという話でした。
よほど気をつけていないと、わずかの間に「あのー」が何度も入ってしまって、
本人は気がついていないけれども聞く方は聞きづらくなってしまうものです。
私などは先代の管長のおそばにお仕えしていて、よく話のときに「えー」とか
「あー」とか言わないようにと注意をされていました。
それでも「えー」と出てしまいます。

先代の管長は、「えー」とか「あー」とかいう間は、なにも言わずに間を
保つのだと教えてくださいました。
ところが、我々はなかなかこの間を保つことが難しいのです。
なにか言わないといけないと思ってつい「えー」とか「あのー」とか
言ってしまうのです。こういうのは無意識の癖であります。
そんな話をなさってから言われたのが体にも癖があるというのであります。

はじめに各自の姿勢を調べてみました。
ヨガで使うベルトを用いて、足のくるぶしの前あたりに置いて、
そこから畳に対して垂直に頭の上まで伸ばします。
それを橫から見てみると、肩や頭はかなりずれてしまっていることが多いのです。
修行僧たちに多いのは、仙骨の後傾であります。
無理に腰を入れようとして仙骨が後傾して、大転子がベルトよりもかなり
前に来てしまっています。
そうすると肋骨が反ってしまい、首が前に傾くのです。
中には逆に仙骨前傾の者もいました。
橫から見ると、まっすぐなベルトに対してジグザグになってしまって
いるのがよくわかります。

私はというと、腰のあたりまでは幸いにまっすぐなのですが、
肋骨が後傾してしまっています。上半身が反り気味なのです。
これも長年の癖であります。
いついつも椎名先生からは肋骨を矯正してもらっています。
みぞおちを落とすような感じにするのです。

これもわかっているのですが、癖というのは、
ついついそうなってしまうのです。
各自の癖、傾き具合を点検したあとに、
それらを治すために、体をほぐしてゆきました。
じっくり体をほぐしていって、終わりにもう一度ベルトを使って
調べて見ると皆かなり姿勢がよくなっているのでした。

こういう癖をもっているので、何度も何度も学びそして繰り返し
習うことが必要だと改めて思ったのでした。

その次の日は甲野陽紀先生の講座でした。
二日も続けて学べることは有り難いことです。
前回甲野先生とお話していた折りに、歩くこと、走ることの
話題になって、歩くことも走ることも私がとても興味をもって
学んでいるところなので、是非教えてくださいとお願いしたのでした。
特に走るということは普段なかなか行いませんので、関心があります。
甲野先生は、注意の向け方で体が変わるということをいろいろ教えて
くださいます。

たとえば手を振るにしても腕を振ると意識を向けて振るのと、
手の内を振ると注意するのとでは体の安定感が違うのであります。
それから足首の角度でも体全体が変わるのです。
足首を九十度にして足を上げ下げしていると、肩が緩んで体が安定します。
足首が九十度でないと肩などが固くなってしまうのです。
これは眠るときにも気をつけるといいと教えてくださいました。

足首を立てるようにすると肩のあたりも緩むのだというのです。
そうして足先に注意を向けて、足をあげさげします。
あげさげしていて、そして体を前傾させるのです。
前傾させると自然と前に歩き、走るようになるのです。
やっているのは足先を上げ下げしているだけなのですが、
それが体を前に傾けるだけで歩くことにもなり、走ることにもなるのです。
そんな基本を習ってから境内を走りました。
なるほど注意の向け方で軽快に走れるものであります。

円覚寺は坂や階段が多いのですが、坂を上るにしても階段を
上るにしても要領は同じなのです。
自然とするするのぼってゆけました。
ただ八月後半になったとはいえ残暑が厳しく、
ずいぶん汗をかいたものでした。
それでも修行僧たちと共に生徒になって教わり体を動かすことは
楽しいものであります。
臨済宗円覚寺館長横田南陵

私もこの文章から多くの学びを得ました。
学びの興味は尽きることはありません。