和について考える




和で思い出す言葉として必ず平和が挙げられます。
しかし一番の不思議は今までに平和の定義がない事でした。
戦争の定義はあるのに平和の定義がない!
だけど神仏混合の日本では平和の定義が無くても和合は当たり前の考えです。
これは世界に類が見られません。
海外では制定されたものでない限り人を崇め奉ることはしないことです。

飛鳥時代の貴人、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」が活きています。
日本人が子供の頃から疑問を持たない平和について検証したいと思います。

平と和にはどんな意味があるのでしょうか。
[平]は、于(う)と八を組み合わせた形です。于は手斧の形、八は木片。
手斧で木を平らかに削って木片が左右に飛び散る形が、
平で「たいらかにする、たいら」の意味となりました。
平定、平和、平安、公平、平等、平生などよく使われます。理想の都平城京、
平安京は素晴らしい名称です。「平穏無事」も平和で幸福な状態を表しています。
平和と幸福はふかく結ばれています。

[和]は、禾(か)と口(さい)で出来ています。口(神への誓いや祈りの
文を入れる器)を置いた軍門の前で誓約して講和(戦争をやめて平和な状態に
もどす)することを和といいます。
和睦のしるしとして、双方が共に参加して祝宴を開き、互いに平和を祝う
祝餐を行います。一説によると、禾は穀物や食物をあらわし、これを口に
入れる、食べると自ずから「なごやか」になることから、
幸福の状態としての和やかさになったとも言われます。
必要なものに満たれる、充足、満ち足りると平和で「しあわせ」を
感じるものです。幸福になる秘訣は何処にあるのでしょうか、
考え思い巡らせてみたいと思います。 

「神からの恵みと平和がみなさんにありますように!」このように祈ります。
しかし口当たりの良い挨拶言葉として使われていることが多い。
「ご機嫌よう」と同じように扱われていると思います。

「和」は形声文字です。「口」の象形と「穂先が茎の先端に垂れかかる」
象形(「稲」の意味だが、ここでは、「會(か)に通じ、「会う」の意味)から、
人の声と声が調和する「なごむ」を意味する「和」という漢字が
成り立ちました。

わ‐かい【和解】
[名](スル)
1 争っていたもの、反発しあっていたものが仲直りすること。
「対立する二派が和解する」
2 民事上の紛争で、当事者が互いに譲歩して争いをやめること。
契約によるものと、裁判所においてなされるものとがある。
3 ⇒わげ(和解)
[補説]書名別項。→和解
[類語]仲直り・和睦・和議・和平・和戦・講和・休戦・停戦・終戦・
矛を収める・水に流す・元の鞘に収まる

和が解けると書いて和解です。反発が解けて和解では無いのです。
それでは不和という意味はどうなるのでしょうか?
単に仲が悪いことを不和というのでしょうか?
自分にしっかりとした考えがなく、他人の言動にすぐ同調することを
「付和雷同」という言葉があります。多くの政治家は反省すべきです。
どうしても和と言えばポジティブなイメージが湧き起こりますが、
そうでないこともあるということです。

不和に関する文章を紹介します。

• 云々という言葉の内容自身が、人間というものは独創的でなくっちゃいかん、
不和雷同するな、人の言ったことや、したことの真似をすると嗤われるぞという、
いわば独創の宣伝みたいな意味を含んでおります。ところがですね、「猫も杓子」も
云々というような・・・ 織田作之助 「猫と杓子について」

• 世間或は之を見て婦人の嫉妬など言う者もあらんなれども、凡俗の評論
取るに足らず、男子の獣行を恣にせしむるは男子その者の罪に止まらず、
延いて一家の不和不味と為り、兄弟姉妹相互の隔意と為り、其獣行翁の死後には
単に子孫に病質を遺して其身体を虚弱なら・・・ 福沢諭吉 「新女大学」

• およそ古今世界に親子不和といい兄弟姉妹相争うというが如き不祥の沙汰少なからず
して、当局者の罪に相違はなけれども、一歩を進めて事の原因を尋ぬれば、
その父母たる者が夫婦の関係を等閑にしたるにあり。なお進んで吟味を遠くすれば、
その父母の父母・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」

• 夫婦の不和や家庭破壊の問題がおこったとき、どんな幼稚な身の上相談にしろ、
先ずその原因を冷静につきつめて、と答えている。あのことも、このことも
敗戦がわるい、というならば、どうしてその敗戦などという現象がおこったのか。
そもそもの原因までさ・・・ 宮本百合子 「ことの真実」

和の語源を追求していたら明け方を迎えました。笑い
明日も「和顔愛語」で生きていきます。

そして最後に忘れてならない「和」とは川端康成の「陰翳礼讃」です。
日本建築の陰を主役にした発想が「和」そのものです。
明るさを求める西洋の文化と暗さを褒め称える日本の文化の違い。
平和の陰で悩む苦しむ戦争の被害者達うずくまる子供達を
救えるのは日本だけなのです。

2024年10月11日
ノーベル平和賞受賞「日本原水爆被害者団体協議会」
世界で平和を訴えることが出来るのは日本だけです。

伊丹谷良介「うたライブ」今月は10月11日・12日開催。
テーマは「和」でした。平和を謳いあげる直前にこの受賞が発表されました。
奇跡です。これまで日本文化を推奨してきて良かったと思った瞬間でした。
12日には篠笛奏者の方と即興で「イマジン」を演奏しました。
感動の夜を「うたライブ」では毎回お客様と作り上げています。

ご興味のある方は伊丹谷良介のサイトへお申し込みください。
来月11月のテーマは「人間」です。
お待ちしています。


引力と斥力




引き込む力が引力と言い、突き放す力が斥力(せきりょく)という。
「雑乱紛糾のときに控捲せず」中国の諺
意味は「揉め事が起きたときは、互いに引っ張り合おうとするのではなくて、
お互いに手を緩め合いなさい」ということです。

人間関係においても重要なことは互いに引き合うばかりでなく、
突き放すことも必要な場合もあります。
それは関係の上で甘えが出てきた時です。
礼儀を欠くような言動が出てきた時には曖昧に済ませるのではなく、
思いっきり突き放すことも重要です。

これは外交においても同じことが言えます。
中国深圳で小学生が反日活動家によって殺されてしまいました。
これに対して上川外務大臣は強く遺憾を申し入れたと
記者会見で述べているが外交の根本を知らなさすぎです。
反日感情の強い国では日本人を騙したり傷つけたりすると英雄扱いになります。
ものごとを性善説で考えたい日本人は中国人の考えを一生理解できないでしょう。
このままの対応だとやられっぱなしで終わります。

1937年7月29日に起こった通州事件で多くの日本人が命を落とした。
この時、日本政府の弱腰外交により日本では真実が報道されなかったのです。
中国から見れば日本は「空威張りの国」で問題が起きれば飴でもわたせば
すぐに言いなりになるという考えである。
過去の日本政府はその手にまんまと乗っかってきたのである。
今回も同じようなことが行われた。
突然、日本産水産物の禁輸を解除という話が岸田政権へ届いた。
これに喜んで飛びついてしまえば中国政府から笑い者になる。
しかし見事に餌に食いついた岸田政権は手柄を取ったかのように
記者会見で発表している。

歴史を知って日本を守り毅然とした態度で臨まなければ
日本人が馬鹿にされる。
今年に入りすでに中国で子供たちが襲われた事件が2件発生している。
もうこれ以上の被害者が出ないことを祈るばかりである。

日本が何かことを起こすと海外からは強く謝罪を求められます。
戦争放棄した国が偉そうなことを言うなという事です。
どの国でも首相や大統領やリーダーは国を守ることと国民を守ることが鉄則です。
日本人の毅然とした態度と矜持を相手に堂々と申し入れではなく!通告として
伝えるべきである。憲法第九条の戦争放棄は、戦争はしないとの約束事ですが
異国民の好き勝手な行動まで容認することでは無いと思います。

このことは政府にも責任がありますが、国民一人一人の問題でもあります。
自分の身に火の粉がかかるまで、見猿、聞か猿、言わ猿を決め込んでいる。
その上に日本国民は平和ボケで茹でガエル状態で腑抜けになっているのです。
このまま人間以下の動物集団になったままで良いのでしょうか?
こんな逆境にこそ正しい方向に進むべきです。

ここで是非とも今一度この文章を読んでいただきたいと思います。

逆境にある人は常に「もう少しだ」と言って進むといい。
やがて必ず前途に光がさしてくる。新渡戸稲造の言葉

(1)
吾々は日本に生まれた以上、日本人の皮を着替えるわけにはゆかない。
私など、生国を去って勉学に出たのは八歳の時であったが、
六十余歳の今日なお東北弁が抜けない。
(2)
いかに苦しいことがあっても、ヤケになるのは短慮の極みである。
逆境にある人は常に「もう少しだ」と言って進むといい。
やがて必ず前途に光がさしてくる。
(3)
信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。
(4)
違いを認め合い、受け入れられる広い心を持つことが大切である。
(5)
真の学問は筆記できるものではない。真の学問は行と行との間にある。
(6)
進む勇気と退く勇気があってこそ真実の勇気。
(7)
若い人たちは、自分たちは絶対年を取らないとでも思っているのだろうか。
人生のうち、青春として知られる時期ほど短いものはない。
(8)
もっとも勇気ある者はもっとも心優しい者であり、愛ある者は勇敢である。
(9)
急がば回れだ。休むなかれ、急ぐなかれ。
(10)
強き人はよく耐える。よく耐える人を強者という。
(11)
とかく物事には明暗の両方面がある。私は光明の方面から見たい。
そうすれば、おのずから愉快な念が湧いてくる。
(12)
自分が生まれてきたときより死に至るまで、
周囲の人が少しなりともよくなれば、
それで生まれた甲斐があるというものだ。
(13)
武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である。
(14)
あの黒雲の後ろには太陽が輝いている。
(15)
真の勇気とは、猪突猛進ではなく、しっかりと立ち上がり
周囲を見回して、いま成すべきことを見つけ出すことができるかである。 

新渡戸稲造は「武士道」を英語で書いて世界に紹介した人です。
彼は狭い意味での武士道論を論じたのではなく、
日本の道徳思想文化論を世界へ発表したのである。
日本には宗教教育は無いが武士道があり、日本の道徳の基礎となっていることを
広く世界へ知らせようとした国際人である。

みなさんの口から出た言葉は責任を持って守らなければなりません。
子供だから、知らなかったから、未熟だったからと言い逃れは出来ません。
知識を知識としてだけで捉えるか、知識は行動が伴って初めて価値が
あるのです。知ることはすでに行動が伴わなければなりません。

若者よ!陽明学の「知行合一」を実践すべきです。
今こそ「感即動」の行動あるのみです。
もっと良書に親しんでください。


人間




無限の思考を持ち有限の創造を完成させる。
人間は列車を作り、飛行機を作り、ロケットを作り、高層ビルを建て、車を走らせた。
有史以来、先人から後人へと知恵を繋ぎ進化は止まらない。

この偉大なる人間の欠点は平等に死を迎えなければならないことである。
絶対的な権力者でも病気には勝てず必ず寿命が来れば死ぬのである。
神の象徴であるイエスキリストも十字架に張り付けられて死刑になった。
いくら科学や医療が発展しても与えられた運命は変えられない。
ここに哲学や宗教が生まれて人々は心の平穏を知識に求めたのである。

そして近未来は人間持つ力をAIに託していく。
アトムも哲人28号もマジンガーZも現実に登場する時代が来る。
益々弱い人間が奴隷になって逃げ場を失い世界の隅へと追いやられる。
メタバースの闇に逃げ込んでも永遠の寿命は手に入らない。

苛酷な状況でも変わらないのは子供達の遊ぶ姿と笑顔である。
哺乳類としての人間は子孫を絶やさないように子供を産み慈しむ。
古代から現代へとバトンを渡してきたのは子供達にだけである。
しかしそのサークルの中に愛情は残されるのだろうか?

どんな状況の中で人間のすごいところは芸術を作り出せることです。
音楽も絵画も墨絵もクラッシックバレイも近代ダンスも多くの感動を作り出す。
頭脳だけではなく肉体の限界に挑戦したところに思考が覚醒する。
自然の美しさを形に表しそれを鑑賞することにより一時争いを忘れさせてくれる。

人間の持つ五感を最大限に利用して食と医術を発展させて健康を作り出した。
自然界にあるものを栄養として摂り入れることをしてきた。
体の表面に現れる症状を直すための医療もその内部まで入り込めるようになった。
その甲斐あって平均寿命が30年の頃から今では100年超えが当たり前になりつつある。

しかしどれほど時代が進化しても変わらないものが一つだけある。
それは愛である。人が万物を好きになる愛である。
愛があるからこそ夢と希望を描き未来へと歩きだせる。
過酷な時代変化を耐えられるのは愛があるからである。

フランスの哲学者ベルクソン(Henri Bergson, 1859-1941)は、
Bergson(1907)(『創造的進化』)において、人間の知性の本質を創造性で
あるとの考えを示し、人間にホモ・ファーベル(Homo faber, 工作人)
との定義を与えた。

人類を規定するのに、歴史時代および先史時代を通じて人間と知性の不変の
特徴とみなされるものにのみ厳密に限るならば、おそらくわれわれは、
ホモ・サピエンス(知性人)と言わないで、ホモ・ファベル(工作人)と
言うことであろう。要するに、知性とは、その根原的な歩みと思われる
点から考察するならば、人為的なものをつくる能力、とくに道具を
つくるための道具をつくる能力であり、またかかる製作を無限に変化させる
能力である。

人間は目的に従って道具を制作する。寒さを凌ぐことを目的として
衣服を創ったり、雨露を凌いで生活を営む目的で住居を創ったり、
食材を焼くことや暖を採ることを目的として火を創ったりする。

もちろんベルクソンは、動物の中にも一種の道具を製作する事例があることに
言及しているが、彼の創造的進化論において、動物の制作活動と
人間の創造活動を質的に隔てる決定的境界線として述べられている内容を
簡潔にまとめるとすれば以下のようになる。

すなわち、①自己形成の創造活動、②自己の創造活動の反省、
③創造活動における他者との協調、などである。
さらには抽象的な概念にまで拡張すれば、個人との間で人間関係を創ったり、
一定のコミュニティの中で役割分担をすることで社会を創ったりもする。
このように、人間の生きる営みにおける事物の創造性とは「自由意志に基づく
自在の変形」にあるようである。

自己形成は、自身のセルフ・イメージを明確に持つところから始まる。
先に人間の創造活動の事例として、寒さを凌ぐために衣服を創造することを
挙げたが、人間は自身が他者からどう見られるかを常に意識しており、
それぞれの民族の文化に随って自身の身体を隠し、自らが理想とする姿の
イメージに近づくように衣服の素材や模様や色彩などを選択する。
このような行為は、まさに人間のみが行う行為と言える。

また、自己の創造活動を反省することによって、創造方法の効率性や利便性
などを追求し、創造の方法を改良することができる。
また、創造方法を言語化することによって、創造活動を記録したり、
他者に伝達したりできるようになる。この点も動物にはいっさい見られない
人間の創造活動の特徴である。

そして人間は裏切る性格を持っていることも忘れてはなりません。
大きな歴史の変わり目は殆どが裏切りから行われているのです。
自分の忠実な側近が、家族が主人を裏切るのです。

世界三大裏切り者は、イスカリテオのユダ・ブルータス・呂布だそうです。

弟子たちのところに来て、「まだ眠っているのですか。目を覚ましなさい。
時が来ました。いよいよ、わたしは悪い者どもに売り渡されるのです。
立ちなさい。さあ、行くのです。ごらんなさい、裏切り者が近づいて来ます」
イエスがまだ言い終わらないうちに、十二弟子の一人ユダがやって来ました。
彼といっしょに、ユダヤ人の指導者たちが差し向けた大勢の群衆も、
手に、手に剣やこん棒を持っていました。 彼らの間では、ユダがあいさつする
相手こそイエスだから、その人物を捕まえるように、
前もって打ち合わせがしてありました。

それで、ユダはまっすぐイエスのほうへ歩み寄り、「先生。こんばんは」
と声をかけ、さも親しげにイエスを抱きしめました。
イエスが、「ユダよ。さあ、おまえのしようとしていることをしなさい」
と言われた瞬間、人々は飛びかかり、イエスを捕らえました。

紀元前44年3月15日、ユリウス・カエサルが暗殺される前に
発したとされる言葉が「ブルータス、お前もか!」です。
元老院会議が開催されるポンペイウス劇場に向かっていたカエサルは、
一説によると60名もの議員に取り囲まれ、刃物で全身を刺されたのでした。

カエサルはそのとき、自分を襲う群衆の中に信頼していたブルータスを
見つけます。そして、嘆きの言葉を口にしながらこの世を去った
といわれています。
しかし、カエサルを刺した者もその場にとどまることなく逃走したと
されており、「ブルータス、お前もか!」という言葉を、
実際に誰が耳にしたかはよくわかっていません。

三国志の武将で最も勇猛だともいわれる呂布。しかし彼は、世話になった
相手をことごとく裏切ったことでも知られています。中国であれ日本であれ、
ここまで人を裏切り続けた男もめずらしいでしょう。
呂布の裏切り人生がどのようなものだったのか。
そして「裏切り野郎」はどんな末路をたどったのか、見ていきましょう。

董卓がねらいを定めたのは、呂布の主人である丁原の兵力でした。
まずは丁原を暗殺しようとしますが、丁原のそばには勇猛で鳴る呂布がいて、
うまくいきません。しかしそこはさすが大物の董卓。簡単にはあきらめません。
なんと、呂布を味方につけて丁原を殺させ、その兵力を横取りしようとしたのです。
ほんと、レベルが高い悪党になると、考えることのレベルもちがいます。

普通に考えれば、呂布の立場でこんな誘いに乗ることは、考えにくいですよね。
いい条件を提示されたからといって、世話になっている主人を殺し、
寝返るだなんて。ところが、この呂布という男。誘いに乗っちゃうんです。
誘われるまま、本当に主人の丁原を殺し……丁原の軍勢をそっくり連れて、
董卓の家来になってしまうんです(189年)。このとき呂布は、董卓と親子の
契りまで結びました。なんというか誘う方も誘う方、乗っちゃう方も乗っちゃう方。
悪役として歴史に名を残す人は、レベルがちがいますね。
しかし……この裏切り、呂布の「裏切り人生」においては、まだまだ序曲に
すぎなかったのです。

人間は偉大なる創造力の神を抱えながら、悪魔のような裏切りも
持つことが出来るのです。古き歴史を知り新しき生き方を考える。
こんなハチャメチャな人間の姿に私は愛おしさを感じています。

予想できない人間の思考力と行動が数々のドラマを創り出しているのです。
人間の進化こそが未来への羅針盤となるのです。


日本文明




モースからの一言
「日本間の全般的な色調は、花一輪、清雅な一幅の絵、陶器の一片、
あるいは古い青銅製置物を完璧にまで引き立てる。
同時に、高価で見事な金塗りの逸品が、これら簡素な事物の中に
宝石のように輝いている。
-しかもその場の色彩の調和が乱れることがない(モース 明治時代)」

大森貝塚の発見者として知られるエドワード・モース。
1877(明治10)年から3度にわたって日本を訪れた彼は、
日本の庶民の暮らしや心根に魅せられ、多彩な品々を「記録」として
アメリカに持ち帰っていました。
モースが感嘆した、明治の名もなき日本人の「こころ」とは何だったのか。

明治の庶民を写した写真やモース自身の日記、スケッチなども加え、
失われた明治の日常がおよそ140年の時を経てよみがえる。

「世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が
払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで
幸福であるらしい。」
E.S.モース『日本その日その日』二巻(石川欣一訳)より抜粋

またアメリカの国際政治学者である「サミュエル・ハンチントン」は、
著書「文明の衝突」で、世界を次の八つの文明圏に分けている。
「西欧文明」「ラテンアメリカ文明」「アフリカ文明」「中華文明」
「ヒンドゥー文明」「東方正教会文明」「イスラム文明」と「日本文明」。

案外、日本人のなかに「日本は中国文明に入っているのではないの?」
と思う人が多いかもしれない。
そのことについて、サミュエル・ハンチントンはこう言っている。

一部の学者は日本の文化と中国の文化を極東文明という見出しで
一括りにしているのだが、 ほとんどの学者はそうせずに、
日本を固有の文明として認識し、中国文明から派生して西暦100年ないし
400年の時期にあらわれたと見ている
(文明の衝突  サミュエル・ハンチントン)

ということで世界では、ほとんどの学者は日本と中国とを
別の文明だと考えているらしい。

ちなみにこの「日本は世界の八大文明の一つ」という考えは、
明治時代に日本を訪れたシドモアというアメリカ人女性もいっている。
「世界八大文明の」一翼を担う伝統ある日本は、
今や中世的美風や東洋的画趣を惜しげなく捨て去っています
(シドモア日本紀行 講談社学術文庫)

その「日本文明」には、次のような特徴がある。
世界のすべての主要な文明には、二カ国ないしそれ以上の国々が含まれている。
日本がユニークなのは、日本国と日本文明が合致しているからである。
(文明の衝突 サミエル・ハンチントン)

「中華文明」は中国だけで成立しているわけではなくて、
隣国の韓国・ベトナム・北朝鮮、そのなかに入っている。

それにしてもなんで日本という国は、それ1国で固有の文明だと
考えられているのか?「日本を固有の文明として認識し、中国文明から派生して
西暦100年ないし400年の時期にあらわれたと見ている」と書いてあるけど、
それ以上に具体的な記述がない。

「西暦100年ないし400年の時期」というと、日本は弥生時代で銅鐸を
つくっていたり、卑弥呼が女王だったりしていた。
このころの日本で、中国文明から派生したような出来事ってあったのか
よく分からない。

でも、世界的な学者から見たら、日本という国にはこんな特徴があることは
覚えておいてもいい。
「ユニークなのは、日本国と日本文明が合致している」ということ。
他国から入って来た文化に影響されながらも独自の文明を築いていること。

「日本に似ている国がない理由」
学校では、日本は古代より、中国・朝鮮から文化のほとんどを
学んだように習います。それなのに、日本の文化や人の気質が、
中国や朝鮮にあまり似ていないのはなぜでしょうか?

朝鮮から稲作、青銅器、鉄器が伝わった。渡来人が日本に漢字、儒学、
仏教を伝えた聖徳太子は中国や朝鮮に学び、天皇を中心とする政治の仕組みを作った。
その他にも、朝鮮から移り住んだ渡来人が、かまどを使う文化を伝えた。
大和政権は渡来人を盛んに採用し書類の作成や財政管理など任せた。

日本から遣隋使・遣唐使を中国へ送り、
中国の進んだ制度や文化を取り入れた。
法隆寺などの建物は、主に渡来人やその子孫によって造られた。

天武天皇は中国に習った律令や都、歴史書を作るよう命じた。
奈良時代中期、天皇や貴族の服装は、唐風のものだった。
平城京は中国の都を手本に造られた。

などなど、教科書の内容を挙げても、政治、宗教、文字、生活まで、
ほぼ全てを中国・朝鮮のお世話になったかのようです。

それでも、日本が日本らしい独特の文化を
開花させていったのは不思議ではないでしょうか?

例えば、1996年に出版され世界的ベストセラーになった
『文明の衝突』という本があります。
この本では世界を9つの文明に分けていたのですが、
日本を1つの文明として定義づけていました。

世界196カ国ある中で、9つの文明はこの通り複数の国を含みますが、
1つの国で1文明を築いたのは日本だけでした。

日本だけを1つの文明として考えるのは、
この本『文明の衝突』の著者だけではありません。
その他にも、九大文明論や五大文明論などを唱えた著名な学者たちが、
日本を1つの文明と捉え、唯一無二のユニークさを認めています。

なぜ日本は、あれだけ学んだ中国・朝鮮に似ず、
ひたすらユニークな国を作れたのか・・・

日本の長い歴史の中で、皇室と天皇は日本文明の確固とした
核であり続けている。
恵まれないときもあったが、皇室は常に権力ではなく権威として、
日本国の揺るぎない基盤であり続けた。日本が危機に陥る度、
皇室が中心になって、国民をまとめ、国を守り通してきた。
明治維新のときや大東亜戦争の終戦時に
果たしたお役割が記憶に残る事例である。

皇室は、早くも聖徳太子の時代、つまり七世紀初めには貧しい人、
親のいない子供たち、身寄りのないお年寄りのための救済施設を造っていた。
それらは聖武天皇の后、光明皇后の力によって施薬院、悲田院となり、
病と貧困に苦しむ民の救済施設として定着し、やがて全国に広がった。
その善き伝統は、平成の現在も藤楓協会として連綿と続いている。

天皇と皇室が民の幸福と国家の安寧のために祈り続けて下さっている
お姿が、長い歴史を通して浮かび上がってくるのが日本であり、
このような背景が日本民族の記憶に深く刻まれているからこそ、
天皇陛下のお言葉は、国民の心にスッと沁み込んでくる。
大切にするべきはこうした伝統である。

皇室の伝統と価値観は紛れもなく日本の神話と一体化したものだ。
御代替わりの儀式は、これら神話の時代の伝統にのっとるのがよい。
昭和天皇崩御のときの「大喪の礼」では、
反皇室の人々が憲法20条3項を盾に、政教分離と称して、
儀式の簡略化や変更を求めた。

だが政教分離は宗教に対する圧迫や干渉を禁じているのであり、
政治に一切の宗教色を持たせてはならないという意味ではない。
そもそも神話の時代からの伝統を宗教だと断じて切り捨てること自体、
間違いである。200年振りの御代替わりの儀式は、大喪の礼のときよりも
まともに伝統を踏まえるべきだと考える。

これらは常識として知らなければならない「日本文明」です。
皆様はどう思われたでしょうか?


珠玉の言葉たち




「恩学」を書き始めたころには胸打つ言葉は本の中からでしかありませんでした。
しかし最近ではSNS上に氾濫しています。
勿論、受け取る人が感動すれば記憶に残しておけば良いのですが、
簡単に手に入るものは簡単に忘れてしまうのです。
自分の足で富士山へ登頂した人とその人が写した映像を見るのとでは
感動の度合いが違います。
記憶は頭の中だけで起こる現象ではありません。
五感全部で感じるものです。

人は感動した時にふと頭に浮かぶ言葉があります。
それを書き留めておくことが重要です。
日記や記念写真に書き込めば後々まで変わらぬ感動が蘇りますね。
本日はそんな心に残る言葉を紹介します。

*馬鹿にされる人ほど成長し、馬鹿にする人ほど落ちていく。
*嫌いな人と関わっている程、人生は長くはないが
*大切な人との時間を削るほど、人生は短くない。
*出来ないと思えば限界の壁が出来、出来ると思えば可能性の道ができる。
*出来ることからやる人が、出来ないことをやれる人。
「一生懸命だと知恵が出る」
「中途半端だと愚痴が出る」
「いい加減だと言い訳が出る」
*晴れの日には葉が育ち、雨の日には根が育つ。
*無いものを数えれば不満が増え、あるものを数えれば感謝が増える。
*幸せだから感謝するのではない、感謝できることが幸せなのである。
*毎日の小さな努力の積み重ねが、歴史を作っていく。
*言葉は時に刃物になるし、誰かの背中を押す優しい力にもなる。
*貴方の良さが分からない人のせいで、貴方が落ち込む必要なんて一つもない。

「水はつかめません。すくうのです。心もつかめません。くみ取るのです」
「幸せだから感謝するのではない。感謝できることが幸せなのです」
「楽で苦労しないことを望めば細かなことがくるしくなる」
「あなたを苦しめた高い壁が今度はあなたを守る盾になる」
「他人を変えることはできないが、自分を変えることはできる」
「誰かに与えるとき、それは自分自身に与えることです」
「心の平安は、外の世界ではなく内にあります」
「言葉は力を持つ。それを使って癒すことも、傷つけることもできる」

如何でしょうか?今あなたの心が求める言葉はありましたか?
無理に良い言葉だからと言って覚える必要はありません。
しかし良き言葉を傍に置くとあなたの口からその言葉が出るようになります。

哲学書や仏教書の中には人生に役立つ文章がいっぱいあります。
ひとつご紹介します。

逆風に帆を張るという禅語があります。
「逆風張帆(ぎゃくふうちょうはん)」です。

帆船が向かい風(逆風)にもかかわらず、敢えて帆を張る、の意。
逆境に耐え、前に突き進もうと努力することで、道が開けるという、
禅の言葉です。ヨットは、逆風でも、風の角度を見極め
一定の角度で帆を匠に操れば、斜め前方にジグザグ経路で
前に進んでいく技があります。
これは、飛行機が空を飛ぶ原理の「揚力」と「推力」の関係と
同じことで、帆が翼の役目を果たします。

船は、逆風の中では、何もしないと、ただ流されてしまう。
時には後退さえしてしまう。
だからこそ、逆風の中にいても、その時にできることを懸命に
一歩でも、半歩でも前に進んでいこうとするのです。

白隠禅師のお師匠さんだった正受老人が、晩年に村人相手にやさしい言葉で
生き方を説かれたのが、有名な「一日暮らし」です。
人間の一生、どんな辛いことがあってもきょう一日の辛抱だと思えば耐えられるし、
逆に嬉しいことがあってもきょう一日と思えばそれに耽ることもない。
誰でも、きょう一日、目の前のことであれば頑張れる。
きょう一日一所懸命やればいいと。そうして最後に、
「一大事と申すは今日只今のこと」と締め括っています。

〈境野〉 
心に染みる説法ですね。実は、私は人生の目標って立てたことがないんです。
ただ「縁」だけは大事にして、いつもそれに精いっぱい報いてまいりました。
そうしたら、思いがけず素晴らしい出会いに恵まれ、東洋思想の本を30冊ほど
書かせていただくことができた。ただひたすらご縁に従ってやっているうちに、
こういう自分になったんです。

いまの若い人の中にも、目標が立たないと言って悩んでいる人が多いんですね。
そういう青年たちには、俺も目標を持たなかったよ。だけど人の縁を大事にして、
「今日只今」を一所懸命やってれば人生は開けていくんだよと申し上げるんです。

〈境野〉 
「前後裁断」という禅語もございますね。明日と昨日を切って、今日一日を生きよと。
高い目標達成のためプレッシャーを受けている人も、「今日只今」自分のやるべき
仕事に集中すれば、余計なストレスももらわないし、結果も自ずとついてくると
思います。覿面の今を失うに気づかず

〈横田〉 
正受老人は「一大事と申すは今日只今の心なり」という言葉に続けて、
「それを疎かにして翌日あることなし。全ての人、遠きことを思いてはかること
あれども、覿面の今を失うに気づかず」と説かれています。
遠い目標を持つことも大事ですけれども、そればかりにとらわれて覿面の今、
いま目の前のことを見失っては ならないと。
一刹那正念場というのはそういうことだと思います。

〈境野〉
「刹那」というのは極めて短い時間という意味ですね。
そして禅では「刹那生滅」という言葉もございますが、「生滅」というのは
生きる・死ぬということ。死ぬまであっという間なんだから、
「今日只今」この一瞬を大切に、楽しく明るく生きよという教えなのですね。
私が一番好きな禅語を挙げるなら、やっぱり「喝!」ですね。天地と一体に
なったこの体から迸る「喝!」という音が、悩みや執着を取り去ってくれ、
また新しい一歩を踏み出せるんですね。

〈横田〉 
最近はテレビの影響でしょうか、あまりその真意が理解されていないようですね。
本当は、一切の執着を捨て去って天地いっぱいのいのちを生きるという意味です。
それには「回光返照」といって、外ばかりみる目を内に向けてみることが必要です。

〈境野〉 
やっぱり天地自然の回光を返照して、迸り出るような「喝!」でなければ
いけないのですね。
逆境の中で苦しんでいる方もいらっしゃるでしょうが、この一喝によって
一度自分が固執している価値観、理念、発想から離れてみられると、
そこからまた新たな活路が見出せたりするものです。
なんとか心新たに、一日一日をみんなで明るく生きていただきたいと願います。

作家・東洋思想家の境野勝悟氏と禅の一道を歩み、弊誌でも「禅語に学ぶ」を
連載している鎌倉円覚寺管長・横田南嶺さん。白隠の師・正受老人の言葉から
お二人が読み解く、きょう一日を輝かせる禅の精神とは――。でした。

如何だったでしょうか?
貴方の心に響く珠玉の言葉たちに出会えましたでしょうか?


百折不撓




勝手な思い込みで弱い立場の人間に対して命令をしてしまう。
自分の苦労を隠すようにして強がる自分を前面に押し出す。
折角手に入れた地位を奪われたくなくて持論を繰り返す。
強固な城も人がいなくなればただの箱になる。
信頼できる部下と尊敬できる先生と親身になってくれる友を
手に入れられなかった人生の悲しい末路である。

こんな言葉を知っていますか?「1人なら龍3人よれば虫」
これは中国人がよく使う言葉です。
意味にすれば一人で物事を進める時は判断も行動もまるで龍のように
振る舞えるが、なぜか複数になると怠け者の虫のように力を発揮できなくなる。
これは中国人だからということではなく一般的な人間心理です。
「三人よれば文殊の知恵」しかし三人よれば依存が芽生えることも事実です。
少しでも心を緩ませると逃げたい気持ちが湧き起こるということです。

地震や豪雨の災害で家も家族も失った人は絶望と共に一人で生きることを
余儀なくされて無口になりただ黙々と怒れる龍の如くに行動を始める。
東北の震災、熊本の震災、能登半島の震災、皆同じようになる。
しかし仮設住宅の生活が始まると急に精神的に耐えられなくなり
自殺する人も増えるという。壊れた家にいる時は気丈に生きていたのに
避難所へ移った途端に気が緩み悲しみに耐えられなくなる。
本当の復興支援とは建物だけではなく心を支える柱が必要です。
カウンセラーの派遣も多く行われていますがとても重要です。
そこで聞いた言葉を更に復興支援に活かされることを願う次第です。

「こんな言葉があります」
【百折不撓】ひゃくせつふとう
何度失敗して挫折感を味わっても、くじけずに立ち上がること。
どんな困難にも臆せず、初めの意志を貫くこと。
「百折」は、何度も折れること。「撓」は、枝などがたわんだり、
まがったりすることで、気力がなえること。「不撓」でくじけないこと。

「このような事例もあります」
年齢に関わらず就職の悩みをもつ方が多い時代。自信を失い、希望を失い、
目的を失い、何もかにも失って来られる場合もあります。
じっくりとお話に耳を傾け、温かく寄り添いながら、一歩、また一歩と、
階段を一緒に上がり始めるような気持ちで接しています。決して無理を
強要するつもりはありません。ただ、自分の心の中に、わが生命の源に、
折れても、折れてもくじけない「負けじ魂」が誰にでも本来備わっている
ことを自覚することが大切と考えます。
勇気と希望を私にも、そして多くの方に与えてくれた友に感謝。
これからも山も谷もあるでしょう。それでも百折不撓で生きていく限り、
人生勝利の歴史が輝くことを確信しています。本当にありがとう。

「私の場合もこのような経験をしています」
6歳の時に母親と兄妹と別れて大阪の父親に引き取られました。
当初は自分の置かれた立場がわからず泣くことも我慢できたのですが、
色々な人と関わるようになり「可哀想な子だね」と言われるたびに
悔しくて泣くこともありました。ああこれからは誰にも頼らずに
一人で生きていくのだと決心したのです。
名前に瀧が付いていることもあり恐れることはありませんでした。
それ以上にもっと困難に見舞われれば良いとも思ったのです。
自虐的ではありますが苦しみから解放されるのには
徹底的に底まで落ちて自分の置かれた立場を知ることでした。
他人に確認や同意を得てから慎重に行動しては駄目です。
色々な意見は役に立ちません。それどころか情熱が冷めることにもなります。
私は誰にも相談せずに無謀と思われることに挑戦してきたのです。
熱き心を忘れないように敢えて困難に飛び込んだのです。

しかし気をつけたい態度としては傲慢になり人の意見を無視することです。
少し成功すると今までの我慢が噴き出して怒りに変わるのです。
「実るほど首を垂れる稲穂かな」この心境にはなかなか近づけません。
それでも失敗を重ねると自然に謙虚さが身につきます。
小さな虫になって身動きが自由に取れなくなって初めて後悔するのです。
もっと他人を思いやる心があれば良かったと思うのです。

あらゆる発想の起点は自分であっても協力者は必要不可欠です。
どんな素晴らしい企画でも具体的な裏付けが必要です。
ブローカープランナーは他人の意見をコピペして組み立てます。
そこに参加予定のメンバーを紐つけて組織があるような見せ方をします。
どんな時にも「そこに人がいるか・そこに物があるか・そこに金はあるのか」
の確認が大切です。脆弱な土壌の上には建物は立ちません。

私が哲学書や仏教書を読むのは過酷な修行をされた方の本音です。
人間の本能の欲や探究心の限界を知ることにより見える世界です。
奥深くに入り込む研究家ではないので上辺だけの世界しか知ることは
出来ませんが、それでも自分の失敗の原因と思慮の浅はかさが
大きな災いを作ってきたことが手に取るようにわかります。
そして自分にとって高かった壁が、広すぎる世界が、こんなにも低くて
こんなに狭い社会だったのかと気づかされます。良書に触れる醍醐味です。
まさに「百折不撓」の精神が養われます。

強く生きるとは弱さを知ってわかるもの、
愛を知るとは裏切られた時に感じるもの、
信頼は傷つけあって乗り越えた時に生まれるものです。
空を飛ぶ鷹の目を持ち、
草木の間に生きる虫の目を持ち、
流れる水間の魚の目でこの世界を眺めることが必要です。

最後に「平和は和解から始まり柔和の心で帰結する」
憎しみから平和は生まれません。和を大切にしましょう。
この時代だからこそ「和」を意識した心が基本になります。
考えの中に行動の中に「和」を取り込んでください。
皆様の心の中に「和顔愛」の世界が広がりますように祈ります。


誰にでも平等に舞台はある




人は皆同じ方向を目指して歩き始める。
しかし同じ方向へ顔を向けていても見ているポイントが違う。
いわゆるピントの合わせている部分が違うということです。
例えば森の景色を全員で眺めている。
森全体を眺める人、目の前の大木を見ている人、森の木に生息している
鳥を見ている人、それぞれが違うところにピントを合わせているのです。

若者たちが俺たち音楽で成功して金持ちになろうなと話しても、
どんな音楽で誰と組んでどんなメッセージを出すかは話していない。
美味いものを腹一杯食べて、かわいい女の子を侍らせて、楽しもうと言っても、
何が美味いのかどんな女の子がいいのかを話していない。
スティーブ・ジョブスのような開発をして世界を驚かそうと話しても、
スティーブ・ジョブスがどんな人間で何を開発したのかは話していない。

一般的に一つの表題で会議が始まっても眺める視点が違えば意味をなさない。
そのためにアメリカから取り入れた会議の進め方の方法を取り入れる。
進行表(アジェンダ)の作成と進行役(ファシリテーター)が重要なポイントになる。
ここで決められた時間内に話し合い、決められた目的の成果を作り出す。
日本の国会答弁のようなダラダラした話し合いは時間の無駄である。

今回のブログのタイトル「誰でも平等に舞台はある」は、
常に自分のピントが何処にあるかが重要になるということです。
仕事でも恋愛でも社会活動でもあらゆる所に舞台は用意されている。
しかし自分の意識(ピント)が明確に無ければ舞台に上がっても役に立たない。
お分かりのようにピントは意識の作用が大きく影響する。

例えば、机の上に置いてあるリンゴをさしてこれは何ですかと質問すると
ほとんどの方がリンゴですと答える。ただの赤い球状の物を
リンゴと答えるのは脳に刷り込まれた情報によって判断されるからです。
リンゴが腐り、食べられなくなればリンゴとは言わずにゴミに変わるのです。
しかし貴方の意識は机の上のリンゴに目を向けられるのでは無く、
リンゴのわきの消しゴムに目が行くとこれは何ですかという
質問に答えられなくなる。
見ているあなたのピントは意識を何処に置くかで答えが変わるのです。

アーティストも経営者も時代にピントを合わせて仕事を進めていきます。
それでも同じ商品を違ったポイントで作り出すから市場が賑わうのです。
ピントを合わせる方法はいつも全体をボヤかして見ることです。
街を歩く時、会社や教室に入る時、全体をほのめかして見れば良いのです。
そして何事かに意識を向けたときにピントを合わせるとピタッと決まります。
不要な情報にピントを合わせると焦点が定まらずにぼやけてしまいます。
そうなれば自分の言葉から核心を突いた意見が出なくなるのです。

情報は集めるだけ集めて分析(Observe)を行い検討会(Orient)に入る。
その時から集中して自分の脳のファインダーにピントを合わせる、結果
決定(Decide)をする。そこから最速で行動(Act)に移る。行動した内容を持ち寄り、
また必要な情報を集める。これをループ上にして繰り返すのです。
これはアメリカ政府が取り入れているOODAという手法です。

余談ですが全てのビジネスの方法とデジタルの発展は軍部と関係しています。
コンピューターの最新技術は全て軍隊が使いこなせるように開発されるのです。
国家にとって最重要課題は防衛です。そこに国の英知が使われるのです。
又、NASAの技術はディズニーランドで多く使われています。
宇宙飛行士の訓練で使われる機材が人々の興奮を創り出しているのです。
アメリカの凄いところは最新技術をオープンして誰でもが使用できるように
することです。アイデアのシェアーを頻繁に行っています。

「ピントとアイデア」
あるときに電気修理工が電波塔の不具合を治しているときに、
いつもポケットに入れているチョコレートバーが溶けているのに
疑問を持ちます。次の日もキットキャットを持ち込んだら、
同じように溶けていることに気づきます。
このことに開発者のピントが合わさり、電子レンジの構想が生まれたのです。
電波が物を温める力があることが発見されたエピソードです。
多くのビジネスのヒットは少し違ったところにピントをおくことによって
生まれたものが多数あります。

例えば魚の群れを探すための魚群探知機から胎児の成長見るエコー検査機が
生まれた。胎児の体重は健診時に超音波検査で測る3点の長さから
自動的に算出されているのです。エコー画像からBPD(児頭大横径)、
AC(躯幹周囲長:腹囲)、FL(大腿骨長:太ももの骨の長さ)の3点を計測し、
その数値を計算式に当てはめると、推定胎児体重(EFW)が算出されます。
お腹の中の胎児の状態がエコーで分かるという事です。

面白いところでは「フリスビーの誕生伝説」
砂浜でのパーティーを終え思い思いに遊び始める大学生たち。
テーブルには食べ終えたパイ皿が散乱している。一人がふざけて
そのブリキ皿を取り上げて投げた。円盤型なので遠くまでよく飛ぶ。
面白がって何人も後につづき、しまいには投げ合いになる。
一人が落ちたパイ皿を拾う。表面には「Frisbie’s Pies Company」とある。
のちに世界で記録的な大ブームを起こすフリスビーが生まれた瞬間だった。

「ウォークマン誕生秘話」
SONYの会長大賀典夫は芸大出身のオペラ歌手です。
世界中を飛び回るビジネスマンとしても有名ですが、ある時にSONYの技術者に
飛行機の移動中に音楽を楽しみたいので、持ち運びできるステレオを作れるかと
打診します。SONYの技術者は出来ますと答えて開発されたのが
「ウォークマン」です。

「ウォークマン」という機械は、もともと商品として売り出す、
という明確な意志で企画されたものではないというのが真相です。
それは若いエンジニアの遊び心から生まれたもので、
テープレコーダー事業部の商品企画のラインアップにはなかった商品でした。
いわば筋書きになかったわけで、だからこそウォークマン・ストーリーは
面白いのです。

古巣SONYの凄いところは全ての社員にチャンスを与えている所です。
自分が欲しいと思える商品なら好きに開発しろという事です。
技術者たちは自由に研究室においてある機材が使えることです。
ウォークマンこそピントとチャンスが合わさった成功事例です。

生まれ育った環境や、自分の知識の限界や、
参加したプロジェクトの優劣で愚痴を言っても始まりません。
誰にでも舞台は用意されているのですが、それを使いこなすには
あなたのモノの見方、発想の仕方、想像力の組み立て方など
すなわちピントの合わせ方に大きく左右されます。

自由な発想から世界を驚かす商品は生まれます。
データドリブンのコンピューターには出来ないのです。

誰にでも平等に舞台は用意されています。
あなたも舞台の中央に立ってみてください。
そこから見える景色から新たなピントを合わせてみてください。


一番大切なもの




このような詩を書いてみました。
人間にとって自然界は大切です。
我々は常に自然界に目を見張るべきなのです。

「一番大切なもの」
大空を飛ぶ鳥の声が聞こえるかい
あんなに綺麗な羽を広げて悠々と飛び交うのさ
風に乗り そらを泳ぐ様に どこまでも
素敵だよ 君に見えるかい 僕は歌うさ

森を駆け抜ける動物たちの姿が見えるかい
丘の上の一本杉にフクロウの深い穴がある
ムササビも 大きく手を広げ 獲物を探す
ひとしずくの涙 求め合う愛 僕は歌うよ

あなたの中に眠るライオンの勇気をだして
守らなければこの星は醜い姿を曝け出す
裸の心で認め合おうよ生きる者全てが
仲良くなれればこの世はキレイなままさ

愛を歌え 願いを歌え もっと身を削れ もっと捨てていけ
醜い心が 弱くなるのさ もっと叫べ もっと声を出せ 

I’m living in a wonderful nature.
I’m living in a wonderful nature.
I’m living in a wonderful nature.

たとえ水鳥が空に恋しても見果てぬ夢に終わる
吹き荒ぶ風が大海原に恋しても叶わぬ夢に終わる
象がキリンに恋しても神も許さぬ夢に終わる
自然の不思議を受け入れろそしてひざまづけ

I’m living in a wonderful nature.
I’m living in a wonderful nature.
I’m living in a wonderful nature.

この素晴らしい世界を喜ぼうそして感謝しよう
一番大切なものに触れ合い抱きしめよう
名も知らぬ小鳥達と一緒に歌おう
虹のかかる草原を走り抜けよう
END

私は音楽の為の作詞家である。
言葉を紡ぐ仕事を生業としている。
時には作曲も編曲もする。

しかし舞台で演じるほど才能は無かったのでプロデューサーを選んだ。
銀河系の中心は太陽である。その周りをいくつもの惑星が囲んでいる。
その中でも三番目の地球は舞台の中央に近いところに位置する。
私は月に恋しながら舞台の袖から演者に指示をする。

多くの人は陽の当たる場所に憧れるが、その周りにある場所が
いかに素晴らしいかを知らない。

森の中を歩くと多くの木や草に紛れて美しい花を発見することがある。
そして昆虫や鳥や動物の生きている姿を見ているとなぜか声をかけたくなる。
おーい何か手伝うことはあるかい?
おーい困っていることはないかい?
おーい今幸せかい?

それぞれ自分の役割を知って自分がしなければならないことに全力を尽くす。
生きることを恐れずに、老いたることを悲しまず、病気に苦しまず、
死ぬことを怖がらず、笑顔で暮らすのです。

何があってもどんな時にも地球は人間だけのものでないことを忘れてはならない。
都会に疲れたら、人間関係に疲れたら、生きることに疲れたら
近くの山に登り、川を下り、海にたどり着きあるがままの姿をさらけ出し、
深呼吸をするだけで心が癒される。

頑張るという呪文に縛られて人間らしさを失いかけた。
一番大切なことを置き去りにしていた。

ここでガンジーの言葉を伝えたい
ガンジーの活動は、大きく分けると、
1. 青年期の南アフリカ時代のサティヤーグラハ運動開始
2. 第1次非暴力・不服従運動(ムスリムのヒラーファト運動との協力)
3. 第2次非暴力・不服従運動(塩の行進)
4. 第二次世界大戦期の「インドを立ち去れ」運動
という大きな山があった。

• 「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」ガンジー
• 「非暴力は人間に与えられた最大の武器であり、人間が発明した最強の
武器よりも強い力を持つ」ガンジー
• 「我々の信念は、常に燃え続ける灯火でなければならない。
それは我々に光明を与えるだけでなく、周囲をも照らすのだ」ガンジー
• 「人は自らの手足を使って働き、日々の糧であるパンを得るべし。
額に汗して働かない人に、どうして食べる権利があるだろう?」ガンジー
• 「不幸は私たちに与えられた試練である」この試練を乗り越えたとき、
すべてはきっと好転する。そう信じて、辛抱強く耐え抜こう。
耐え抜いたとき、あなたはとてつもない力を手にしていることだろう」ガンジー
• 「すべてを運命のせいだと諦めてはいけない
これまでの努力を無駄にしないためにも」ガンジー
• 「子どもは真実を映し出す鏡である。彼らには驕りも、敵意も、偽善もない。
もし思いやりに欠け、嘘つきで乱暴な子供がいたなら、罪はその子に
あるのではなく、両親や教師や社会にあるのだ」ガンジー
• 「人は何度でも立ち上がる。立ち上がっては倒れ、立ち上がっては倒れ、
その足元はおぼつかないかもしれない。けれども、立ち上がったことは、
一生忘れることのない、かけがえのない記憶となる」ガンジー
• 「簡素に暮らし、豊かに思考する。そんな理想の追求を、人はひとたび
日々の暮らしの中で欲を膨らませた途端捨て去ってしまう。
人の本当の幸せは、満足」ガンジー

貴方が気なった言葉は心に刻みこんでください。
貴方の言葉になるように何度も復唱してください。
一番大切なものは忘れないようにしてください。


何故勉強するのか?




生徒「どうして勉強しなきゃいけないんですか?どうして勉強するんですか、
私達?この前先生は言いましたよね。いくら勉強して良い大学や良い会社に
入ったって、そんなの何の意味もないって。
じゃあどうして勉強しなきゃいけないんですか?」

阿久津摩耶先生「いい加減目覚めなさい。まだそんなことも分からないの?
勉強は、しなきゃいけないものじゃありません。したいと思うものです。
これからあなた達は知らないものや理解できないものに沢山出会います。
美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うもの沢山出会います。

そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから
人間なんです。好奇心や探究心のない人間は人間じゃありません。
猿以下です。自分たちの生きているこの世界のことを知ろうとしなくて
何ができるというんですか。

いくら勉強したって、生きている限り分からない
ことはいっぱいでもあります。世の中には、何でも知ったような顔した
大人がいっぱいいますが、あんなものは嘘っぱちです。
良い大学に入ろう良い会社に入ろうが、いくつになっても勉強しようと
思えばいくらでもできるんです。好奇心を失った瞬間、人間は死んだ
も同然です。勉強は、受験のためにするのではありません。
立派な大人になるためにするんです。」
天海祐希『女王の教室』第十話より

何故大人は戦争をするの。
奪うことばかり考えて分け合う気持ちを忘れてしまったからです。
昔の人は奪い合えば足りなくて、分け合えば余ることを知っていたのです。
一部の独占欲の強い権力者が全てを独り占めにしたくて戦争が始まったのです。
それらが宗教によって正当化されていることを知らなければなりません。
何故、愛と自由を教義にしている人たちが殺人を犯してでも
手に入れたいものとは何でしょうか?

私の友人の韓国人女性からの言葉です。
「入り江の波が穏やかな時よりも
少し荒れていた方が美しく見えるのです
生きていくにはいつも波風が立ちますが
それを乗り越えている姿は美しいのです」

禅語からです。
まっすぐな竹は強風で折れるけど
草は風が止んだら立ち上がる
行動は竹のように心は草のようにいてください

「常に覚えておくべきこと」
あなたの冷蔵庫に食べ物があり
衣服を身にまとい
屋根のある家と寝る場所があるなら
あなたは世界の75%の人々よりも裕福だ
あなたが好きに使えるお金と
行きたいところに行く自由を持っているなら
あなたは世界で最も裕福な上位18%に入る
あなたが今日健康で病気もせず生きているとしたら
今週を生きられない100万人の人々よりも恵まれている
あなたがこのメッセージを読んで理解できるなら
目が見えず、読み書きが出来ず知識や情報を得る手段のない
30億人の人々よりも幸運である
人生は痛みや悲しみを嘆くためにあるのではない
数えきれない感謝と幸せのためにあるのだ

①死ぬ気でやれ、死なないから
②苦しいから逃げるのではない、逃げるから苦しいのだ
③君が諦めるときは、他の誰かが勝利するときだ
④振り向くな、後ろには夢がない
⑤神様は乗り越えられない試練はない
⑥何度失敗しても鏡の前で聞くのです「で、どうするんだ」と
⑦絶望には終わりがある未来は明るい
⑧必要なことはただ一つ、できると信じることだ
⑨惨めになるか、やる気を出すか
⑩流した汗は嘘をつかない

ボブマリーの言葉
①死んで天国に行く?違うだろ生きてここを天国に変えろ
②雨を楽しめる人間もいるし、ただ濡れているだけの奴もいる
③お前は逃げる。でも、自分自身からは逃げられない
④指を指して人を非難する前に、君のその手が汚れていないか、確かめてくれ
⑤一つのドアが閉まっているとき、もっとたくさんのドアが開いているんだよ
⑥自分の生きる人生を愛せ。自分の愛する人生を生きろ

ジャック・マー名言
①金は人じゃなくて、夢についていく、だから、金じゃなくて夢を追いかけろ
②他人の成功話は無視しろ。失敗談をよく聞くのだ。そこに答えはある。
③器のデカさはな、屈辱の量で決まるんだ。味わった屈辱が多いほど器はでかくなる。
④ダメな部下なんていない。ダメなリーダーがいるだけだ。
⑤世の中にニーズがあるのに「他人がやりたくないこと」を探せば、成功できる。
⑥決して諦めるな。今日は厳しい。明日はもっと残酷な日になる。
しかし、あさってには晴れ間が待っている。

何故勉強するのか?
賢い大人になるためではなく自分の好奇心を満足させるためにするのだ!
やらされているなと思うなよ!
正しい知識は足元を照らす燈になるからね。


勝利を我らに




音楽で革命第二弾
大学教授の一言から「音楽で革命は起こらない」をテーマに
今回もブログを書き出しました。

1919年生まれのピート・シーガーは、プロレタリア音楽や前衛音楽を啓蒙する
両親の元、音楽一家で育ち、ハーバード大学で2年間社会学を専攻しました。
1938年に中退後、フォーク・ミュージックを探究し、ハディー・”リード・
ベリー”・レドベッターやウディ・ガスリーなどのミュージシャンと出会い、
1940年にガスリー等とアルマナック・シンガーズ( Almanac Singers)を結成しました。

1949年にはザ・ウィーバーズ(The Weavers)を結成し、
世代を代表するフォーク・ミュージック・グループとなりました。
一方音楽活動以外では、1942年に共産党に入党し、
1950年頃までメンバーとして活動していました。
1940年代後半から始まった激しい政治情勢の中で、ウィーバーズは
ブラックリスト入りし、1955年にはシーガーが下院非米活動委員会で
喚問を受けました。

シーガーとアメリカ政府との対立は加熱し、翌年1956年に
“Where Have All The Flowers Gone “を発表、議会侮辱罪で起訴されるに至ります。
1961年に有罪判決を受け、懲役10年を宣告されましたが、控訴審では
法解釈の違いで懲役を免れることができました。

ピート・シーガーは常に社会派ソングライターでした。

彼の代表曲「We Shall Overcome」は、このような社会運動に触発されてできた曲です。

この曲は、1960年代の公民権運動のアンセムとしても有名です。
その後、1960年代の終わり頃からは環境運動への関心を高めていきます。
Turn! Turn! Turn! (To Everything There Is A Season)は、
1965年にザ・バーズのナンバーワン・ヒットとなりました。

勝利を我らに(歌詞和訳)
私たちは乗り越えなければならない
私たちは乗り越えなければならない
私たちは乗り越えなければならない いつの日にか
おお、こころ深く
私は信じる私たちは乗り越えなければならない いつの日にか

私たちは手を取り合わねばならない
私たちは手を取り合わねばならない
私たちは手を取り合わねばならない いつの日にか
(コーラス)

私たちは恐れない
私たちは恐れない
私たちは恐れない 今日の日
(コーラス)

私たちは独りではない
私たちは独りではない
私たちは独りではない 今日の日
(コーラス)

この広い世界を廻る
この広い世界を廻る
この広い世界を廻る いつの日にか
(コーラス)

私たちは乗り越えなければならない
私たちは乗り越えなければならない
私たちは乗り越えなければならない 
いつの日にか
おお、こころ深く
私は信じる
私たちは乗り越えなければならない いつの日にか

「We shall overcome」の意味としては、
「われらは乗り越えなければならない」ですが
アメリカのアフリカ系アメリカ人の公民権運動の象徴となった
歌なのだそうです。この運動の指導者であるキング牧師は、
この歌に支えられたとも言われています。

非暴力主義で戦ったキング牧師でしたが、キング牧師も人間ですから
暴力的な力に怖いと思う気持ちはあったと思います。
でも、この歌を歌いながら、恐怖に負けることなく、
差別と闘ったんでしょうね!

権利を勝ち取るという意味で、この歌は「勝利を我らに」という題名になった
のでしょう。この歌は公民権運動の他でも、社会運動や平和運動などで
歌われていてそのたびに歌詞が増えたり一部が返られたりして
育ってきた歌なのだそうです。

「私は長生きし過ぎたおかげで、幸運にも世の現実が変わっていくのを、
見ることができた。おかげでじっくりものを考えて行動していけば、
なんとかなるという作戦を手に入れた」と話され、歳をとればとるほど前向きに
考える姿勢を見せてくれました。そしてかつて大変な汚染があったハドソン川を差して、

「うしろで泳いでいる子供たちをみるたびに、そう思う」と締めくくられました。
(SNS上に紹介されていたピート・シーガーを引用しました)

音楽で革命を起こらないと言った大学教授にこの原稿を捧げたい。
血で血を争うような戦いでなくても、歌によって革命のリーダーが
生まれること、そして燃え滾る情熱を持って唄えば
音楽も革命に参加したことになるのではないでしょうか。
全ての武器を楽器に変えて歌声を上げれば社会の隅々までに伝わります。

私はそう信じたいのです。
皆様はどう思われたでしょうか?