時雨の記
「時雨の記」
中里恒子(なかざと・つねこ)
なぜかこの歳になって再読している小説がある。
中里恒子の「時雨の記」である。
妙にリアルで艶かしい文章が秋の訪れとともに読みたくなった。
20年前に親類の葬式の時にであった女性に再会をする。
年甲斐もなくそこで昔感じたときめきを思い出す。
孤独な実業家の壬生は再会した翌日に多江の家に訪れる。
そこから始まる男と女の生活に肉体関係はなくプラトニックだけである。
私は日本語の風情と言う言葉に惹かれる。
恋愛小説なのだが前編に風情が溢れている。
西洋の芸術には風情が無く技量だけのものが多い。
東洋の芸術は技量もさることながら感情の風が吹かなければ評価が低い。
抽象的な表現だから読者の感想文を断りもなく掲載する。
書籍の読者感想と言う欄に掲載されていたので問題ないかと思います。
この小説の文体はとても古風。だから、わたしは最初この本のページを見た時に
「最後まで読み進められるかな?」と不安でした。しかし、それは杞憂でした。
この小説に登場する壬生が多江に対して抱いている、「だが……僕はやうやく
今になって、ほんとに生きてゐる氣がするんだ」という感情の烈しさに、
読み手であるわたしも心を掴まれたからです。そう。恋をすると、
全てが一新されますよね。それまでの人生がモノクロであったかのように。
世界が一気に極彩色になります。思い浮かぶのは相手のことばかり。
50代の実業家・壬生が出会ったのは20年前に見かけた多江はその後寡婦となり、
独りでひっそり暮らしている。会った翌日には家へ押しかける壬生の積極性は
男らしさも感じる。「俺には他に行く所も無い」と家庭では味わえない穏やかさを
多江との時間に求めている。しかし2人は燃え上がる訳でも無く、
ひっそり穏やかに愛を育んでいく。
その様子が抑制の効いた言葉で繰り広げられていく。壬生が逝った後も、
遺した家の図面を心に描いて、多江は寂しさを感じるだろうが、
孤独とは感じないのだろうと思った。誰かに必要とされる多江は幸せだと思う。
「僕が欲しいのは、金でも地位でもない、精神的な充足」と述べる妻子ある男。
息子に愛想をつかされるほど性格に難がある妻。その妻から逃げるように、
心のオアシスを見つける。それは恋愛に発展。異性間で恋慕の無い、
友情のだけの関係はあるかとの仕様もない議論があるが、そんなもの
ある訳ないではないか。この男性は、家族に迷惑をかけることなく結末を迎え、
後味は悪くない
ありきたりな婚外恋愛の物語なのに惹きつけられるのは
その抒情性ゆえにだけだろうか。
友人に対する男の独白の形で始まったのに、いつの間にかそこに女の声が加わり、
両者を隔てるのは敬体と常体の差だけで、その不分明なのは女の襟足の後れ毛の
茫洋としているのに似て、もはや個と個の別さえも消失しているかのようだ。
恋は時雨のようにさっと通りすぎて、気がついたときにはすでに思い人は
もはやそこにいないにもかかわらず、衿についた雨の露のように、いつまでも、
思いつづける人の心のなかに生きつづけるものであるのかもしれない。
お分かりになるだろうか?
谷崎潤一郎の「陰影礼賛」にも通ずる影を愛する国民なのである。
出会ってすぐに抱きしめて接吻などしない国民なのである。
山本常朝の「葉隠」忍ぶ恋にあるように、思いを寄せる人には
柱の陰から見守るようにして眺めるだけなのである。
何故年を取ると恋をしなくなるのだろうか?
川田順は明治時代の実業家で歌人としても活躍していました。
住友本社の常務理事という地位にありながらも、歌道に情熱を注いでいました。
60代半ばという年齢で、20歳以上年下の女性、鈴鹿俊子と恋に落ちます。
俊子は京大教授・中川与之助の妻で、川田は俊子を歌の弟子として指導したのが
出会いでした。川田は俊子への深い愛情を歌に託し、
俊子もそれに応える歌を詠みます。二人の熱い恋の歌は、
周囲の人々に驚きと賛否両論を巻き起こしました。
「老いらくの恋」という言葉は、年老いてからの恋愛、
特に世間一般の常識とは外れた恋愛というイメージが強く、
不倫などのニュアンスで使われることが多いです。
「老いらくの恋」に陥りやすい人には、パートナーに先立たれて
精神的に寂しい人、若い頃の恋愛経験が少ない人、地位や財産がある人などが
挙げられます。
「老いらくの恋」の体験談には、家族からの反対にあったり、
経済的な問題を抱えたり、健康面で不安を抱えたりなど、
様々な困難が付き纏うケースが多いようです。
しかし、一方で、晩年になって新たな恋を見つけ、
人生の後半を充実させている人も多くいます。「老いらくの恋」は、
人それぞれに異なる経験や価値観を持つため、
一概に良いか悪いか判断することはできません。
大切なのは、自分にとっての「幸せ」をしっかりと見定め、
後悔のない選択をすることです。
一休宗純(一休さん)
一休の生きた時代は応仁の乱などが起こった戦乱の時代でした。
あわせて15世紀は干ばつや冷夏、台風など異常気象が起こり、
飢饉や疫病も発生し、人々は苦しみの中にありました。
さらにその混乱の中、仏教は形骸化して僧侶の多くは堕落していました。
そのような時代の中、一休は寺を出て各地を行脚しながら自由人として
88歳まで生きました。一休は説法を行うとともに歌を詠んだり
画を描いたりしながら、奇妙な言動も重ねるような「風狂」の生活を送りました。
また一休は、仏教の戒律はことごとく破り、飲酒や男色、女犯も公然と
行っていました。晩年は盲目の女性「森女(しんじょ)」と生活を共にしました。
一休の生涯は弟子たちが一休の活動をまとめた『一休和尚年譜』で詳しく
知ることができます。
一休が亡くなる間際に、どうしても困ったときに開けないさい、
と弟子たちに残した手紙には「大丈夫だ、心配するな。なんとかなる。」
と書かれていたとされます。また、臨終の最後の言葉は森女のひざで
「死にとうない」だったとされています。
どちらも真偽のほどはわからない逸話ですが、
一休の人柄や生き方を伝えるものだといえます。
私の仕事は音楽プロデューサーです。
若者たちの出会いは沢山あるのですが恋愛の対象にはなりません。
高齢者の会へも一般の人よりかは出席しています。
いつの頃からか先生と言われるようになって「恋愛」の文字が消えました。
しかし作詞を頼まれたときには架空の恋は書くことができます。
その為に恋愛映画を見たり、新作の恋愛小説は読んでいます。
若い人から恋愛の相談も受けることがあるのでそれも参考になります。
壬生のような環境では多江のような女性を探し求めるのは仕方ないことです。
私がこの小説で一番気に入ったのが茶の嗜みがある多江の道具を見て
壬生が贋作に近い道具は持つべきでないと勝手に選別した部分です。
毛氈の上に出してある茶碗や、香合や、茶入れをひと通り見て、
二つ三つ脇へどけました。「こんなもの捨ててしまいなさい」「どうして」
「あなたが持っているにはふさわしくない、高いの安いの、という事では
ありませんよ、僕がいやなんだ」
高倉健と倍賞美津子の映画の中のワンシーンのようで目に浮かびます。
日本人男女の心の姿がそこに有ります。
初冬の夜長に勝手に妄想をしている老いぼれ爺です。