いじめと空気




私が山本七平氏の著作「空気の研究」を読んだのが50歳の時である。
ある日突然猛烈に読書がしたくなり山本氏の作品を貪るように読み漁った。
そこで出会ったのが「空気の研究」であった。
そこに書かれていたのは戦争時代の軍隊の様子であった。

「陸軍の総反撃に呼応し敵の上陸地点に切り込み、ノシあげて陸兵になるところまで
お考えいただきたい」といわれれば、ベテランであるだけに余計に、この一言の
意味するところがわかり、それがもう議論の対象にならぬ空気の決定だとわかる。
そこで彼は反論も不審の究明もやめ、「それならば何をかいわんや。よく了解した」
と答えた。この「了解」の意味は、もちろん、相手の説明が論理的に納得できたの
意味ではない。それが不可能なことは、サイパンで論証ずみのはずである。
従って彼は、「空気の決定であることを、了解した」のであり、そうならば、
もう何を言っても無駄、従って「それならば何をかいわんや」とならざるを得ない。

一事が万事軍隊のやり取りが上の者に只従う「空気」がまん延していたのである。
日本には「抗空気罪」という罪があり、これに反すると最も軽くて「村八分」刑に
処せられるからであって、これは軍人・非軍人・戦前・戦後に無関係に思われる。
「空気」とはまとに大きな絶対権をもった妖怪である。

この「空気」の妖怪はいたるところに出没する。
学校といわれる囲われた世界では校長と教師、教師と生徒、それに保護者などが
呪縛に捕らわれてかってに「教育」と言う言葉が強制的な威力を発揮する。
しかし子供達は窮屈な世界で気分展開を図るために「いじめ」を開始する。

①いじめで「空気」はどんな役割を持つのでしょうか。ほとんどの加害
生徒側は、いじめを始める際に「クラスの空気をさぐる」つまり、「クラスの
前提をさぐる」行動をしています。

②いじめの発端は、加害側の生徒が被害者となる生徒を軽く小突く、
言葉で一方的におとしめるなどの行為から始まります。そのとき、誰からも
反論がなく、先生にも怒られなかったとき、加害側の生徒は「ここまでは大丈夫」
というクラスの〝小さな前提〟を一つ確かめたことになるのです。

③いじめに関する著作を複数持つ、社会学者の内藤朝雄氏の『いじめの構造』
には、加害者側の生徒が、クラスの空気を読む様子をほうふつとさせる
描写があります。『加害少年たちは、危険を感じたときはすばやく手を引く。
そのあっけなさは、被害者側も以外に思うほどである。
損失が予期される場合には、より安全な対象をあらたに見つけだし、
そちらにくら替えする。』

④最初のいじめで、担任の教師が「そのような行為は絶対に許さない!」
という確固たる態度と反応で臨むとき、そのクラスの空気(前提)を知って
なりを潜めます。

『「自分が損するかもしれない」と予期すると迅速に行動をとめて様子を見る。  
そして「石橋を叩き」ながら、少しずついじめを再開していく。
ほとんどすべてのいじめは、安全確認済みで行われている。』

⑤担任の先生が初期のいじめを放置すると、このクラスは「いじめが
許容されている」、と生徒全体が感じます。クラスの前提(空気)で
倫理の基準が変わってしまうという意味では、教室の一君である先生から、
〝いじめがお墨付きを得てしまった〟とも言えます。  

⑥山本七平氏は『「空気」の研究』で、戦犯の行動、リンチなどの特殊な
状況下で「倫理観が狂った」者たちが〝あの状況下では仕方なかった〟
と述べる現象を「状況倫理」として説明しています。そして、日本社会の
空気が最終的には、状況倫理に結びついてしまうのだと指摘しました。

⑦この構造は、まさに日本の教育現場の「いじめの現実」に如実に
現れています。『いじめの構造』には、加害生徒が、被害者の子どもの
苦しみを微塵も感じていないそぶりと、被害生徒の自殺のあとも、
反省や憐憫の情をまるで持たない様子が描かれています。

⑧この事件では、生徒のいじめに先生も参加してしまったことが
指摘されています。共同体の前提をつくるのがうまい加害生徒がいることで、
「被害者をいじめることでクラスが楽しむ」という狂気の前提を誘導的に
つくられてしまったのでしょう。

⑨まともな良識を備えている大人から見ると、加害生徒たちの倫理観は、
狂気と呼びたくなるようなおぞましいものです。しかし、次の条件が揃うと、
日本の共同体・組織では倫理の崩壊が進行してしまうのです。

⑩日本の集団が状況倫理に陥るとき
・共同体の前提(空気)が管理されず、その集団が隔離されて存在して
いるとき・一君として空気(前提)を管理する者から、お墨付きを得たと
感じられたとき・異なる共同体を貫き共有されるべき、
社会正義が確立されていないとき

⑪学校の教室は、ある意味で外界から隔離された空間であり、
空気に影響を受けやすく、悪賢い者がいれば、自分に有利な状況倫理を生み出す
ことができてしまいます。

⑫もちろん、状況倫理だからいじめは仕方がないというわけではありません。  
一人の生徒を無残な死に追いやる行為は、絶対に許すわけにはいかない
はずです。

⑬学校の教室では、先生が空気を正しく支配する役割を放棄したら
終わりです。「これをやっても叱られない」 「あれをやっても問題ない」、
悪意ある生徒がそのように解釈を始めると、クラスの空気(前提)は
とたんに悪化の一途をたどります。

⑭さらに「あの生徒をいじめても問題は起きない」「先生からも叱られない」
とわかると、ある種のお墨付きを得た形になり、特定の被害生徒への
いじめがより気安いものになってしまう。それにより、いじめに加担する
生徒が増える可能性も高まります』

宗教施設ないで起こる数々の犯罪行為は逃げ出す事の出来ない「空気」が
存在するからです。
自民党の裏金問題もこれは正しい慣習だと先輩議員から言われたので断れなかった。
これも政治団体の悪習がまねいた「空気」が原因です。
コロナワクチンも盲信している医者も製薬会社も人命の為と「空気」に踊らされている。
それを反対する人たちも人命を守るためにと正義の「空気」で抵抗をする。

どちらにしても人間性を奪うような「空気」は排除しなければなりません。
自分の身体の中に空気清浄機が必要な時代です。
お気を付けください。