人間らしさ




私が6歳の時に母と兄妹と別れた町の神社の裏に「思川」という川があった。
家を突然出ていった父親と兄二人と岸辺で遊ぶ写真が手元に一枚ある。
私の悲しい記憶と川の名前の「思川」がいつも頭の中から離れなかった。
残された家族は結核を患っていた小柄な母親が毎夜裁縫で生計を支えていた。
私は6歳の時に父親側に引き取られて大阪へ行き母との交流は途絶えた。
大学生の時に母の死の知らせを聞いて栃木の実家に飛んで帰った。
私は母の死に顔よりそばに置いてあった笑顔の写真を見て泣き崩れてしまった。

小池光の最新歌集『思川の岸辺』は、短歌における「人間」を考える上で
きわめて示唆の豊かな歌集と言えるだろう。
何気ない歌がなぜかしみじみと読者の心を揺さぶる歌集である。
斎藤茂吉も小池光も家族の生老病死のかなしみ、また人間が背負う侘しさや
情けなさまで包み隠さず歌にした。
うなずける評言である。『思川の岸辺』は、妻の死を詠んだ挽歌集。
読んでいて、たしかに心が揺さぶられた。そして、人間らしい歌だと思った。
大森が「人間が背負う侘しさや情けなさまで包み隠さず歌にした」と評した
歌の数々を、自分は「人間らしい」と感じたのだ。

掃除機のコードひつぱり出す途中にてむなしくなりぬああ生きて何せむ

正座して鏡のまへに居りしきみ声をかければふりむくものを

十五歳夏のはじめの出会ひにて四十八年のちのわかれぞ

着物だつて持つてゐたのに着ることのなかりしきみの一生ひとよをおもう

われがことちよつと書いてある新聞を遺影のまへにたたみて置くも

小林秀雄が、子どもを亡くした親は、子どもの死に顔を思い出して泣くのでは
ない、元気に笑っている顔を思い出して泣くのだ、と書いていた。
奇妙な言い方に聞こえるかもしれないが、これらの歌には、そのような
人間の自然で健やかな感情が紛れもない。

鎌倉にある臨済宗円覚寺の管長であった今北洪川(いまきたこうぜん)は、
知り合いの老婆が亡くなった時、大声をあげて泣いた。
すると、他の僧が老師は大悟徹底したはずなのに、あんなにあられもなく
泣くとはみっともないと非難した。それを仄聞した洪川は、「悲しい時に
何のこだわりもなく泣けるようでなければ、何のための修行か」という
趣旨のことを言ったという。

ふつうに生きる人間の自然で健やかな感情が、
包み隠さず詠まれている歌を、自分は人間らしい歌だと思うのである。
挽歌のモチーフは、不在感であり、空虚感である。その感情の総量が、
すなわち喪ったものに対するいとしさの感情の総量である。

小林秀雄に倣っていえば、わたしたちは喪失感に胸を打たれるのではなく、
いとしさの深さに心を揺さぶられるのだ。小池光の歌が、情けないことも
包み隠さず詠むことについては、すでに山田富士郎が書いている。

長年連れ添った妻を亡くし、茫然自失と過ごす毎日。
偶然出会った思川はふしぎと安らぎを覚える川だった。
一筋の流れは時間であり、区切りでもあるのだろう。
死別から五年、再出発を期して送り出す第九歌集。

「肩の上にかくあたたかく雪つもる夢の中にて思ひあふれて」

「よろこびに満ちてふたりはただ居ればわが感情はしづかとなりぬ」

「こすもすの畑もとうに枯れはててくる白雪を待てるしづけさ」

「着物だつて持つてゐたのに着ることのなかりしきみの一生(ひとよ)をおもふ」

小池光さんの歌は苦手、と思っていたが、この歌集はあたたかい緑茶のように
染み入ってきた。妻を亡くし、子供たちも結婚し、猫と暮らす。
自らは次第に老いていく。妻の不在を思う。簡単に言うとそういう歌集
なのだけれど、淡々と読まれる日々の小さな思いが短歌の形式に
ぴったりはまり、何首読んでもぬくい気持ちになる。
多分それは猫の存在が大きいし、自らを抑え気味に表現する小池光さんの
力の強さが大きい。読み終わるのがもったいない歌集だった。
(大森静佳の書評より)

偶然に私の思い出と小池光の最新歌集『思川の岸辺』と重なった。
何気ない歌がなぜかしみじみと読者の心を揺さぶる歌集である。

人は何気ない情景の中に人間らしさを曝け出す。
うたの歌詞も日常の移り変わりの中で寂しい気持ちや懐かしい気持ちを表現
するものが多い。若い人の歌詞は自分中心で吐き出す様に表現する作品が
多い気がする。

小池光の歌集を読んでこの歌を思い出した。
今回の文章は私の思い出と大森静佳さんの書評から書き添えました。

小椋佳の書いた「白い一日」
作詞:小椋佳 作曲:井上陽水

真っ白な陶磁器を 眺めてはあきもせず
かといってふれもせず そんな風に君のまわりで
僕の一日が過ぎてゆく

目の前の紙くずは 古くさい手紙だし
自分でもおかしいし 破りすてて寝ころがれば
僕の一日が過ぎてゆく

ある日踏切のむこうに君がいて
通り過ぎる汽車を待つ 遮断機が上がり振りむいた君は
もう大人の顔をしてるだろう

この腕をさしのべて その肩を抱きしめて
ありふれた幸せに 落ち込めればいいのだけど
今日も一日が過ぎてゆく

真っ白な陶磁器を 眺めてはあきもせず
かといってふれもせず そんな風に君のまわりで
僕の一日が過ぎてゆく

秋風が吹けば人生の儚さが蘇ります。
温かなお茶を飲みながら最後の一葉に想いを寄せています。