人間万事塞翁が馬




私は子供の頃から一筋の幸福の光を信じて生きてきました。
いつかはこの不幸から脱却して幸福になれると信じていました。
だからどんな困難にも対応できたのです。
登る山があれば下る山もある両方あるから楽しいのです。
小学校の高学年になりこの幸福感を信じて貫いて来たのです。

また幼き頃に聞いた言葉は忘れないものです。
お寺の住職から言われた言葉「真珠はな!石ころや貝殻を飲み込んで
痛いのを我慢するからあんなに素敵な玉になるのだよ。
お前も苦しみや哀しみをいっぱい飲み込んで素敵な大人になれ。」
いじめられた時にも「ありがとう」を言えばいいのさ。
そうすれば、相手はいじめるのを諦めてしまうからね。

苦しみはいっときのものです。苦しみを全部受け止めるのではなく
跳ね返すことが必要です。神様は心の弱い人へ大きな石を持たせます。
そこで騒いだり泣き喚いたりするともっと大きな石を持たせます。
この困難を与えてくれて「ありがとう」と言えば突然重い石が軽くなるのです。
人間に与えられる姿・形は一緒ですが心はそれぞれ違うのです。
辛い時には言葉一つで人生が変わることを覚えておいてください。

中国の古い諺です。
「人間万事塞翁が馬」は、「にんげんばんじさいおうがうま」と読みます。
「人間」を「じんかん」と読むこともありますが「にんげん」と読むのが一般的。
短く「塞翁が馬」ともいいます。

「人間万事塞翁が馬」にはどのような由来があるのでしょうか?
まず各言葉にはこのような意味があり、由来となったエピソードがあります。
・人間… 「世間」「世の中」
・万事… 「あらゆること」「すべてのこと」
・塞翁… 「塞(とりで)に住む老人」・馬… 「老人が飼っている馬」

「人間万事塞翁が馬」の由来となったエピソード
中国、前漢の学者である劉安(りゅうあん)編の思想書「淮南子(えなんじ)」。
そこに記されている「人間(じんかん)訓」では「人間万事塞翁が馬」
の由来となったエピソードを確認することができます。

「中国の国境の塞(とりで)の近くに、翁(老人)が住んでいました。
あるとき老人が飼っていた馬が隣の国に逃げてしまい、近所の人々は
同情しましたが、老人は『このことが幸運を呼ぶかもしれない』と言いました。
そしてその通りに、数ヶ月後、逃げた馬が立派な馬を連れて帰ってきたのです。
近所の人々は祝福しましたが、老人は『このことが不幸を引き起こす原因に
なるかもしれない』と言いました。その通りに老人の息子がその馬に乗り、
足の骨を折る怪我をしたのです。

近所の人々は見舞いましたが、老人はまた『このことが幸運を呼ぶかもしれない』
と言いました。一年して隣の国が大軍で攻め入ってきました。多くの若者は戦争に
駆り出され、10人のうち9人が戦死しましたが、老人の息子は足の怪我の
おかげで戦争に駆り出されず命を落とさずにすみました」
このエピソードから「人間万事塞翁が馬」ということわざが生まれました。

「人間万事塞翁が馬だから、あまり落ち込まないで!」
このように、例えば落ち込んでいる友人や後輩を慰めるときに
使うことができます。
仕事のミスや何か失敗をしてしまったとき、落ち込んでしまうのは
仕方がないこと。ですが次のステップに進む必要もありますよね。
この後に訪れるであろう幸せを信じながら前向きな気持ちでいることが
大切なのかもしれません。

「人間万事塞翁が馬。油断しすぎるのは危ないよ!」
先ほどとは反対に、嬉しくて気持ちが舞い上がっている人に使うパターンも。
嬉しいことがあれば誰かに話をして自慢をしたくなるときもありますよね。
でもあまりにも舞い上がりすぎていたり、周りの空気を読めずに
その嬉しさが誰かを傷つけているなんてときも。
嬉しいことがあっても油断せずに過ごすことが大切なのかもしれません。

さて皆様はどのように受け止めたでしょうか?
私の体験を一つ紹介します。

2001年に韓国でオンデマンド配信の映画会社を立ち上げました。
韓国で日本の文化が解禁されたのは1998年から始まり映画やテレビドラマ
などが紹介された。アニメや日本の音楽が全面解禁されるまでに4回の
規制が解除されて全面的には2004年に解放されました。

私は2000年にコンピュータの会社へ入り事業部長として新規事業開拓に
努めた。会社の取引先に韓国の会社があり何度か韓国を訪れるように
なったのです。その際ホテルで韓国ドラマを観ているうちにこれを日本に紹介
しようと思い立ち役員を説得して映画会社を立ち上げたのです。
会社の立ち上げに参加した韓国側の人達は経済界の大物ばかりで安心をしていた
のですが、その時に韓国の人が日本に対する反日感情が強いことを意識して
いませんでした。後々会計を調べていくうちに不正が見つかりこのまま継続するか
悩みました。

会社を立ち上げた時に取材が多く入り大々的に韓国で発表されたことが
気になりました。しかしその事業に不信感を持ったので日本側は手を引く
決断をしました。私は大きな被害を会社に与えた為に引き留められたのですが
退社を決断しました。

その時に中国から新人の紹介があり手掛けたのが「女子十二楽坊」です。
友人を介して紹介されて直ぐに北京へ出かけていき個人契約を結びました。
これも一歩遅れていたら大手のレコード会社に取られていたのです。
その後は皆様もご存じのように世界的大ヒットに恵まれておしもおされぬ
スーパースターになったのです。
もし韓国の事業が継続されていたら、このような話が来ても中国へは出かけて
いませんでした。
これこそまさに「人間万事塞翁が馬」でした。

皆様も山あり谷ありの人生を楽しむようにしてください。