戦略ミス




「貞観政要戦略」とは。

羽生結弦くん。真実は本人たち以外には分からないのだが、
離婚騒動の裏には身内の姿がチラホラ見え隠れするのが気にかかる。
芸能界ではよくある話なのだが、
これらはステージママが全部を仕切っていることが多い。
自分の生んだ子だから、自分が育てた子だから、
私のモノよという意識が問題を起こす。
今回は結婚という隠れ蓑を利用して独占欲を満たそうとした。

これは別の世界でも起きている。
以前にはゴルフの石川遼が父親の言いなりになり
世界中から期待されていたのに、その才能の芽が摘まれてしまった。
こちらもいろいろと問題が起こった時期に結婚を利用して
話題をそらそうとしたのだが逆に裏目に出てしまった。

あらゆる人気商売はファンの応援があって成立するが、
人気が出てくると実力だけで頂点に達したと勘違いをする。
まさに裸の王様状態を身内が作り出すのである。
子どもの時から飼いならし本人の意思が無視される。

今、世界で話題の大谷翔平の場合は家族が一切マスコミに登場しない。
その上に結婚した女性もその姿を表に出さない。
すべてのマスコミやパパラッチから家族を守っているのである。
これには本当に頭が下がる思いです。
彼ほどのスターになれば世界中のマスコミが
追いかけているはずですから隠すのは大変だと思います。

「貞観政要戦略」の重要性とは
貞観政要とは中国の長い歴史で、国が最もよく収まっていたと言われている
「貞観の治」の時の皇帝、唐の太宗(李世民)の言葉や行動を書き残した本です。

「創業と守成 いずれが難きか」とは、太宗が家臣に創業と守成のどちらが
難しい時か尋ねた時に、房玄齢(ぼうげんれい)という家臣は
幾多の戦いを勝ち抜く命がけの困難がある創業が難しいと答え、
魏徴(ぎちょう)という家臣は帝王の地位を得てしまうと
つい安楽な気持ちになって国を衰えさせてしまうので、
守成の方が難しいと答えます。

比較するのが難しいこの問題に太宗は、房玄齢と魏徴の
それぞれの立場を立てたうえで、創業は過去のものになったから、
これからは守成をおろそかにしないようにしよう、と答え、
うまくその場をまとめるという話です。

ほかに「三鏡」という逸話も有名で、リーダーには
「銅の鏡」と「歴史の鏡」と「人の鏡」の3つの鏡が必要だというものです。
「銅の鏡」はいわゆる普通の鏡で、自分の部下が付いて行きたくなるような
いい表情をしているかをチェックする。
「歴史の鏡」は過去の歴史に照らして将来に備えることをいう。
「人の鏡」は部下の直言を聞き入れる、という3つの鏡で
自らの行いを正すのがリーダーの務めだといいます。

とりわけ、遠慮なく耳の痛いことを言ってきて
「人の鏡」になってくれるような部下は、
ついつい遠ざけてしまいがちですが、自分の悪いところを
率直に言ってくれる貴重な存在なので、
特に大切にしなくてはならないということです。

欲に縛られた人たちの起こす世襲の罪とは。
親は子供に権力を引き継ごうとして世襲制度が繰り返される。
家は3代で潰れるという話があります。
1代目が死ぬ気で作り上げた財産を2代目は苦労を見ているので
財産を慎重に扱う、しかし3代目になると1代目2代目の
苦労を知らず放蕩を繰り返す。
北朝鮮の金正恩がこれに該当する。

政治家の世界に世襲制度が行われているのは
亡国の兆しであることを誰も指摘しない。
なぜ、世襲議員は問題なのか。
そもそも親の地盤をそのまま受け継ぎ、票を獲得して当選、
というのは民主主義の基本に反している、という声もある。
小泉純一郎、堀内光雄、麻生太郎、安倍晋三などがこれに該当する。

逆に、「歌舞伎役者などみな世襲じゃないかという声もあるが、
子どもの頃から親の姿を見てきた二世、三世だからこそ、
安心して伝統もまかせられる」という意見も聞こえてくる。
芸事の技を磨くのはその家紋の秘伝を受け継ぐ重要な役割がある。
世襲ならばこそ、親子三代が舞台に上がることも可能になる。
名門市川團十郎がこれに該当する。

ただここでは本質的な政治論はせずに、
ちょっと違った観点からこの問題を見てみたい。

昔から、自分が築いてきたものを子どもに引き継いでもらいたいと
願う親は多かったはずだから、最近の“二世ブーム”の背景にあるのは、
やはりこの子ども側の変化と言えるのではないだろうか。
ひとことで言えば、エディプス・コンプレックス(無意識的葛藤)が
弱体化したのかもしれない。幼児期において起こる現実の状況に対する
アンビバレント(両価感情)な心理の抑圧のことをいう。

勿論、自分の後を継いでほしい、と願う親に従う素直な子供が
増えたこと自体を、とやかく言うことは出来ない。
とはいえ、古代から延々と人の心の奥に息づいてきた
エディプス・コンプレックスが、こうもあっさりと消えて良いものか。
それは時に親を悩ませ、さまざまなトラブルの原因にもなってきたが、
同時に「親を打ち負かし、乗り越える逞しさ」を与える材料にもなったはず。

問題を起こす親にも子にも、彼らに大谷翔平の爪の垢を
煎じて飲ませてみたいものである。
「驕るものは久しからず」「実るほど首を垂れる稲穂かな」「謙虚な姿勢」
日本語には素晴らしい教訓の言葉がたくさんあります。
知っているのでしょうか?

有頂天になると自分たちを支えてくれているファンを忘れがちになります。
やはり人には「銅の鏡」と「歴史の鏡」と「人の鏡」の
3つの鏡が必要だというものです。


アナログ世代とデジタル世代




アナログとは、連続した量(例えば時間)を他の連続した量
(例えば角度)で表示すること。デジタルが連続量をとびとびな値
(離散的な数値)として表現(標本化・量子化)
することと対比される。時計や温度計などがその例である。

デジタル世代は歌詞を聞きすぎる。アナログ世代は音を聞いていた。
音を聞いていたから洋楽でもカッコよかった。
何より歌詞の意味などどうでもよかった。
たとえば僕はロックンロールをよく聞いていたけど
元気つける歌詞なんて一つもない。お前に未来は無いって歌っているんだよ。
「ノー・フュチャー・ホー・ユー」
それ聞いて今日も学校へ行ってやろうと元気になった。

デジタルになると情報が綺麗に入って来ちゃって、
歌詞の文字を追い過ぎちゃっている気がする。
ぼんやりしていない、ぼんやりするとどこに焦点を合わせるかを
自分で選べる。しかしデジタルで歌詞をぺらんと一枚にされると、
みんなそれしか見れない。
ブルーハーツ甲本ヒロト談

私が初めてギターを手にしたのは中3の時、質流の安いギターだった。
もちろんエレキは変えずにアコスティックのギターであった。
チューニングの仕方も分からずに音を出してみた。もう最高だった。
まるでオーケストラの指揮者みたいに手を振るだけで音が鳴った。
楽器屋の店員にチューニングの仕方を教えてもらってなんとなく分かった。
髪を伸ばしてジージャンを着たらいきなりアメリカンになった気分を味わった。

早速アメリカのフォークシンガーボブディランのコピーをした。
金物屋で太めの針金を買ってハーモニカーホルダーを作った。
彼はいつも肩からかけたハーモニカを吹いて演奏をしていた。
それを真似したのである。
ボブディランのレコードを買ってきて取り敢えず楽譜を耳で覚えた。
ドンシンクトワイス・イッツ・オーライとハード・レインと
マスター・オブ・ワーを覚えた。
高校の時にはエレキを買ってタートルズのハッピー・トゥゲザーを
コピーした。
そのあと何故かPPM(ピーター・ポール&マリー)にのめり込んだ。

大学生の時、学生運動が盛んになり自分の居場所が無くなった。
近くの工事現場でバイトして横浜から船に乗ってイギリスへ行った。
仕事も住むところも無く行き当たりばったりの人生を選んだ。
アフロヘアーでパンタロンを履き毛皮のコートを着たらロンドン子になった。
まるで「時計じかけのオレンジ」を体感しているような世界であった。

今まで予定調和の人生なんて考えたことも無い。
自分の人生は自分で切り拓くことしか頭になかった。

人は皆強いようで弱い
肉体を纏った生命は儚い

今朝この言葉を友人の投稿で見た。
何気ない言葉なのだがこれがアナログの表現であってとても良い。
旅に出ている写真や食事に行った写真やペットと遊ぶ写真はデジタルである。
ただ投稿のためのストーリーでデジタル社会の生んだ産物である。
私もSNSで行動範囲をお知らせするだけで心までは表現しない。

これからはアナログとデジタルを共有する社会を生きていかなければならない。
企業の詭弁であるSDGsとお客様本位の考えを中心に経営しますという嘘も、
政府も子供が安全で老人の幸福を一番に考えますと言いながら
税金を上げる嘘も、もううんざりである。
市場では直ぐに壊れる安価な商品、色も鮮やかな毒入りの食品、
人をものとして扱う人材派遣会社、
利益追求のものばかり。そこには愛はない。

ロックシンガー伊丹谷良介のライブ「うた」はデジタルを屈指するが、
表現はストレートなアナログである。
毎月のテーマは「ブッダ」「生命」「芸術」「科学」と続く。
そして毎回自作の絵を数点飾る。その上にテーマに沿った新曲が加わる。
このライブは古い言い方をすれば「魂の叫び」のような歌声で客を魅了する。
そこにデジタル音は気にならず、言葉の意味も分からずとも、
伊丹谷良介の存在そのものがリアルに残るのだ。

恵比寿の小さなバーを会場として選んだのは、観客と同じ目線で
テーマを語り合いたかったからである。
このシリーズが完成すればどこでもライブは出来る。
幼稚園でも学校でもお寺でも集会所でも人が集まる場所なら、
どこでも演奏会が出来る。
時代はデジタルを使ってアナログの表現を待っているのである。

甲本ヒロトが言うように歌詞の意味などわからなくても、
興奮した音楽の世界を体験すべきである。
興奮したらステージに上がり叫べば良い。ライブ終了後に話し合っても良い、
メールでのやり取りで自分の思いを伝えれば良いのである。

負けるなよ人間!俺たちは一緒に興奮する奴らを仲間として呼び込みたい。
そこに時代の変化が生まれてくる。あなたも目撃者になれるのだ!

感情は連続した量から生まれてとびとびの時間からは生まれて来ない。
とびとびの時間から生まれるのは伝える行為のみである。


新人類Z世代(蛙化現象)




「Z世代2096年~2015年生まれ」

情報の取り過ぎで起きた若者たちへの弊害。
コンピュータの中の世界が正しいと判断した場合に、
現実とのギャップが引き起こす障害。
自分の選択した情報に自分がコントロールされてしまう。
その上にChatGPTで問いかけて出て来る答えに満足してしまうと、
苦労して学ぶ意識が薄れて努力する意味も失われてしまう。
真実か虚偽かは関係なく自分に対する甘えが生まれて来るのです。

大槻祐依女史談より
Z世代をはじめとする若者の間で2023年に一気に流行した
言葉の1つに、「蛙化現象」が挙げられます。
蛙化現象とは、好きだった相手に好意を持たれた途端、
嫌悪感を抱いてしまう現象のことです。

一方、Z世代の間では「好きな人のささいな行動で気持ちが冷めてしまう」
ことの意味合いで使われることも多く、これまでの使われ方と
若干ニュアンスが異なるように感じます。 
これは、働き方や生き方から自分の将来像まで、あらゆる物事の理想が
Z世代の中で具体的に想像できるようになったがために、理想と現実との
ギャップが生じた際に、落胆したり嫌悪感が増したりしてしまうことが
起きやすくなっていることが考えられます。
 
さらに深掘りすると、Z世代は「失敗しないために深く吟味する」
「自分の理想を基準として物事を判断し、理想に満たないと
わかったら時間を無駄にしないように早めに切り替える」
側面があるのではないかという1つの仮説にたどり着きました。

今回は、Z世代の価値観で捉える蛙化現象について考えてみます。
背景
Z世代と切っても切り離せないものがSNS(交流サイト)です。
SNSはZ世代の間で蛙化現象を加速させた大きな要素の1つでしょう。
SNSは、自身の日常を気軽に発信できるプラットフォームです。
基本的にSNSで見せるものはキラキラとしており、
「周りに見せたい面」しか投稿しないケースも少なくないでしょう。

そうした「キラキラしたSNS」に慣れ親しんだZ世代だからこそ
幻想を膨らませやすく、嫌な側面がほんの少し見えただけで幻想が
裏切られることが許せず、蛙化現象を加速させた可能性があります。
 
Z世代を中心に盛り上がりを見せる「推し活」も、
こうした状況の延長線上にあると言えます。
自分の好きな対象(=推し)をつくり、SNSを通じて
「推し」を崇拝する時間が増えていく中で、
ますます自分の中の理想が堅固なものへと確立されていきます。
ただ面白いのは、推し活ならではの特徴として、蛙化現象の対極にある
「蛇化現象」と呼ばれるものが起きていることです。
 
蛇化現象とは、推しがやることならネガティブなことでもOKという、
相手のどんな行動でもすてきに見えてしまう現象のことです。
蛇化現象は推しに対して起きやすく、逆に蛙化現象がリアルの好きな人や
恋人に対して起きやすいのは、現実社会で一緒に過ごす時間や、SNSとの
ギャップを感じやすい瞬間の多さが関係しているのではないでしょうか。
その意味で、蛙化よりも蛇化の方が、SNS文化と密接に関わっていると
考えられます。
 
もう1つ、蛙化現象が流行した背景には、Z世代の持つ「タイパ」
「コスパ」の価値観が大きく関係している可能性があります。

Z世代は、時間・費用対効果を意識する傾向が非常に高いことでも知られて
います。その観点で考えると、Z世代にとって蛙化現象とは、単に異性に
対して冷めてしまう体験を指すのではなく、「その人が時間とお金を投資するに
値するのか」を判断する1つの指標として機能している可能性が考えられます。
その基準を「理想」とし、理想よりも一定以上下がった時に「今後一緒に
過ごしたくない」と判断した結果、感情の表れとして嫌悪感=蛙化が
生じるのかもしれません。(FinT 代表取締役社長大槻祐依談より)

これを一概に「今どきの若い者」と言い切ってしまうと
世代間のギャップが生まれます。
デジタルネイティブのZ世代は大人が作った環境の中を
生きているだけで、逆らっているわけでは無いのです。

絶対に間違ってはいけないのが現象の先端はマイノリティーの
一部の人たちの姿であって、マジョリティーである多くの声は
反映されないという事です。しかし、この一部の人たちの声は
リアルな社会の姿を反映していることが多いのも確かです。

デジタルでつながるZ世代には国境がありません。
今起こっている現象が日本の子供達だけの問題ではなく
アメリカも含めた世界中の共通認識と捉えた方が正しいと思います。
デジタルは世界の国境を無くしたことは確かです。

多くの企業は新たにZ世代を意識した商品の開発に躍起になっています。
しかしそれは一部のスマホ・ゲーム・アプリの開発会社での話です。
鉄鋼関係や建築機材関係などの開発には関係しません。

一番気になるのはZ世代へのマーケティング上の販売計画です。
昔からマーケティングの基本として「AIDOMA」(アイドマ)と
「AISAS」(アイサス)という言葉があります。(説明は省きます)

その商品についての詳しい説明や、口コミ、似ている他の商品との
比較などをインターネットの検索エンジンやSNS、チャットツールでの
知り合いとのコミュニケーションなどによってありとあらゆる方法で
情報取集をします。彼らはそれぞれの用途に応じて、Tic Tok、Twitter、
Instagram、YouTubeなどを使い分けるのです。

私のマーケティング講座で実例を挙げて詳しく教えてきました。
メインターゲットへのアプローチとヒット商品の作り方です。
時代が変化してもまたどのような商品でも市場分析は必ず必要です。

近々に新しい形で塾を開講します。
ご期待ください!


夢を叶える




夢を叶えるために人生の計画を立てたことがありますか?
1年毎に、3年毎に、10年毎にマイルストーンを立てるのです。
今年やること、3年後には明確にすること、10年後には後悔のない
位置にいることなどを書き出して計画を立てるのです。

計画を立てなければ達成はありません。偶然に願いが叶うことはないのです。
人生を宝くじのように考えていては外れる確率のほうが高いのです。

ここに2つの例を挙げて説明します。

仏教では、
心願成就の意味と由来
あなたは今、どんな夢を抱いていますか? キャリアアップ、
新しい趣味の習得、家族との幸せな時間。
私たちは日々の忙しさの中で、これらの目標や夢に向かって
一歩一歩進んでいますね。

意味
心願成就は「しんがんじょうじゅ」と読みます。
大願成就(たいがんじょうじゅ)とも言い、どちらも同じ意味で使われます。
「大願」も「心願」も、神仏にかける願いのことです。
仏教で多くの人々に悟りを得させるという大きな願望を指します。
「成就」は成し遂げること。転じて一般に「大きな願望が成し遂げられること」
を意味します。

由来
この言葉は、仏教用語でもあり、日本の伝統的な文化や宗教的な
背景から生まれたもので、願い事が叶った時の喜びや達成感を表現しています。
例えば、仕事での昇進、新しい家族の誕生、長年の夢の実現など、
人生の大きな節目でよく使われます。

また夢を叶えるで有名なスピーチがあります。
スティーブ・ジョブズ「伝説のスピーチ」スタンフォード大学より。

皆の時間は限られているから誰か他の人の人生を生きることで
時間を無駄にしてはいけない。教条主義の罠にはまってはならない。
教条主義とは他の人々の思考の結果に従って生きることです。
他の人の意見という雑音に自分自身の内なる声をかき消されないようにしよう。
そして最も重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。
心と直感は本当になりたい自分をどういうわけか既に知っています。
その他すべてのことは二の次です。

私が若い頃、全地球カタログという驚くべき出版物がありました。
私の世代の必読書の一つでした。
スチュアート・ブランドという人物が、ここからそう遠くない
メンロ・パークで制作し、詩を思わせる作風を施して世に送り出した
1960年代後半でパソコンもそれによる印刷もなく、
タイプライターとはさみとポラロイドカメラだけで作られていました。

グーグル誕生の35年前のペーパーバック版グーグルのようなものです。
理想に満ちていて、巧妙な道具や偉大な概念が溢れています。
スチュアート達は全地球カタログの版を幾つか重ね、自然な成り行きとして
最終版を迎えました。

それは70年代半ばで私は皆の年齢でした。
最終版の裏表紙は朝の田舎道の写真で、冒険好きがヒッチハイクを
していそうな場面です。その下にこんな言葉があります。
「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ」。

これはスチュアート達が活動を終えるに当たっての別れの言葉です。
ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。
そして私は常にそうありたいと願ってきました。

そして今、皆が卒業して新たに歩みを始めるに当たり、
皆もそうあって欲しいと思う。
「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。」

普通のサラリーマンをやりながら、趣味のツーリングを楽しみながら、
長年の夢を叶えたギターリストが居ます。
1年半をかけて制作された自身のギターアルバムreverb「Color of note」を、
いただき早速聞きました。

そんな彼に視聴後すぐに感想を伝えました。

須崎充さんへ

昨日いただいたCDの感想です。
私の時代はインストルメントギターといえば、
サンタナとジェフベックの時代でした。
日本では少し遅れて高中正義、山本恭司、Char、武田和夫、
高見沢俊彦へと続きます。
ちなみにヤングギターの初代編集長山本隆さんは長年の友人です。

サラリーマンをやりながらツーリングをして音楽活動、
1年半かけてアルバムの制作最高の人生ですよね。
ギターのテクニックも充さんの人間性が溢れています。
結構ロマンチストですよね。笑い

アルバムの内容は良質なギターサウンドと馴染みやすいメロディーだなと
率直感じました。とても良い作品だと思います。

これほとんど全部自分で制作しましたか?
それとも全編バンドが参加していますか?
納得するまで何回も録りなおした形跡が伺えます。

それにしてもこのCDをかけながら夏の海岸をドライブしたら最高でしょうね。
これからも頑張って作品作りに励んでください。

稲葉より

夢を叶えるために多くの人が見えない努力を続けています。
惜しみない拍手とエールをお送りします。


芸術とは




芸術とは「本音」と「足跡」と「未来へのメッセージ」である。
人間としての本音、人生の足跡、後世に残るメッセージを総称していう。

「古代人の壁画」
先史時代のヨーロッパで洞窟に暮らしていた人々は、
壁画を描く際、幻覚を見るために自らを酸欠状態にしていたことが、
明らかになった。研究者たちは長年にわたり、世界の太古の壁画の多くが、
なぜ洞窟の入り口から遠く離れた真っ暗な場所にあるのか、
疑問に思っていた。

「後期旧石器時代の人々は、深い洞窟の内部を日常的な生活には
ほとんど使わなかったようだ。そうした活動はもっぱら野外や岩陰、
洞窟の入り口付近で行われていた」
さらに「壁画は、洞窟の深くて暗い部分だけで描かれたわけではないが、
そのような場所で描かれたものには極めて印象的な側面があり、
そこに焦点を当てて研究を行った」と付け加えている。

論文の共著者であるラン・バルカイ(Ran Barkai)は、
洞窟内を明るく照らすために火を使うと、
同時に酸素濃度も低下させることになったはずだと言う。
このような状況で絵を描くことは、万物とつながるための
手段として意図的に行われていたと指摘する。

壁画を描いた人々は、岩肌がこの世と豊かさや成長を象徴する
あの世とつなげる入り口だと考えていたのだろうと、
バルカイは語っている。さらに、壁画が一種の通過儀礼にも
使われた可能性があることも示唆している。

アルタミラ(スペイン)やラスコー(フランス)の岩窟に描かれた壁画、
これらのすばらしい壁画は、およそ4万年前から1万4千年前のものであり、
マンモスやバイソン、アイベックスなどの動物が描かれている。

「縄文土器」の名前の由来は、大森貝塚を発掘したアメリカの
動物学者、エドワード·S·モースが、報告書で「cord marked pottery
(縄目をつけられた土器)」と記したことに始まり、
日本語訳されたことで縄文土器といわれるようになります。
日本の新石器時代は、縄文土器にちなんで縄文時代と
名付けられていますが、縄文時代の土器すべてが縄目文様を
もつわけではなく、さらに縄文時代を通じて土器に縄文を施さない
地域もあるため、約1万6000年前~約2400年前まで続いた
縄文時代に作られた土器を縄文土器と呼ぶことが一般的です。

旧石器時代には常に移動を繰り返しながら
狩猟採集の生活を送っていましたが、
縄文時代になると定住生活が始まります。
これは気候の温暖化が進み、食べ物が豊富となったからと考えられています。

そして土器が発明され、狩猟採集で採った食料の調理や
貯蔵に利用されたのです。
土器の利用により定住が可能となり、また逆に定住生活に
伴って土器の保持や使用が可能になりました。

信仰や祭祀にまつわる土製品も多数見つかっています。
信仰に関わる土製品には代表的な土偶のほか、土器片を再利用して
人形状土製品や鏃状土製品、土製円盤、土器片錘などが作られました。

土偶とは人物をかたどった土製品です。女性像が多いのは、
豊穣や子孫繁栄と関係する呪術的な儀式の対象として、
安産や獲物の豊富なことを願うために使用されたという説があります。

縄文土器は縄目をつけた文様が代表的ですが、
縄文土器の文様は、世界の先史時代土器のなかでも
その多種多様な装飾性の高さが特徴的とされています。
植物繊維を撚った縄を、器の表面に押し付けたり
転がしたりしてつけたものが、縄目文様です。
縄目文様以外に、爪で模様を付けた爪形文やササの茎·
動物の管骨などを使った竹管文、貝殻を使った貝殻条痕文などがあります。
まさに実用性もさることながら芸術性の高さにも驚くばかりです。

芸術を難しくとらえる必要はありません。
個人の感情が人々の暮らしの中から沸き起こる作業が芸術です。
常人では想像つかない構図と技法を使い本音をぶつけるのです。
またそれらはその時代には評価されず後世になって初めて評価されます。
まさしく未来に残すメッセージだったのです。

最後に岡本太郎からの一言
芸術の三原則、芸術は「きれいであってはいけない。
うまくあってはいけない。心地よくあってはいけない。」
分かりますか?とても蘊蓄の有る言葉です。
伊丹谷良介もこの言葉を引用して芸術を語っています。

昨日3月9日(土)18:30分開場・19:00開演
恵比寿 BAR Voices
伊丹谷良介「うた」3月のテーマは「芸術」
M-1うた、M-2未来の華、M-3Hello Mr Asian、M-4デジタリアンラヴ
M-5生命、M-6月光浴、M-7Wo Ai Ni、M-8愛の銃弾、
M-9愛と光導かれてM-10、Yes、M-11、life is Art芸術は長く人生は短し
少人数のファンを対象にロックサロン「うた」を毎月開催。
それはメッセージ性の高いライブを終えた後に観客と対話を楽しむ為。
我々はこれを新しくサロンスタイルのライブと名付けたい。

伊丹谷良介は自身の心情と価値観を忠実にロックで表現している。
アーティストとしてではなく一人の人間として世の中に問い続けているのである。
1月「ブッダ」、2月「生命」、3月「芸術」これらの難しいテーマを、
映像とナレーションを絡み合わせて、シーケンス音源にギターとピアノの弾き語り。
今月で3回目のライブになるが毎回グレードアップをしている。

商業的なライブであれば完全に赤字である。
その為に全てを独りで作り出している。
並々ならぬ制作能力と豊富な知識がなければ完成されないライブである。
このライブの醍醐味は参加してみないと分からない。
静かに音楽のマグマが動き出しているのを現場で感じてください。
昨日のライブは芸能と芸術が大きく変わる予感のする感動がありました。

毎回、告知と同時にチケットは完売します。
次回の予約もお早めに!!
次回のテーマは「科学」です。


人間の外郭




他人の人生に興味はありますか?
上辺だけのお付き合いでは無くて
内面まで入り込むことは失礼に当たりませんか?
誰にでも隠したい個人史はありませんか?

親しくお付き合いした人から
あなたは私のことを一切知らない。
外郭ばかりのお付き合いで内郭には興味が無いと感じる。

そういえば名前と肩書きと仕事の内容は知っていたが、
個人的なことは失礼になると思って聞いていなかった。

その際に、多分あなたは、奥様のことも、子供のことも
全く知らないと思うわと言われました。
そんなことはないと反論したが心に引っかかる部分があった。

家族も私のことを父親と分かっているが、
今私が考えていることや、何をやっているかは知らない。
それぞれの現状を家族同士であまり真剣に
話し合ったことがないのでお互いの事は知らない。

多くの父親は厳しい社会の中で生きていくために、
家族の前では作られた父親像を演じている。
弱さを見せないためにも虚勢を張っている場合が多い。
友人に関しても外郭だけの自分をさらけ出すだけである。
見栄と虚栄と作られた姿で場を盛り上げる。

その人の外郭(体裁)だけでお付き合いをして
内郭(本音)までは知ろうとしないで済ましている。
果たして本当にそれで良いのだろうか?

私達は、日頃からあらゆることを自らの物差しで計り、
それに適わないときは、嫌いだ、不満だ、面白くないなど、
そこから生み出される悩みや苦しみの迷いの中で、
生活を送っているのではないでしょうか。

その生き方が、あらゆるものを正しく見ることが出来ない。
まるで洞窟の中で生きていることと同じなのです。

仏教では、この悩み、苦しみ、迷う人間の生き方を、
無明の闇の大海をさまよう船にたとえ、
仏さま(阿弥陀仏)の人知を超えた究極の智慧を「光」と現し、
無明の闇を破る「恵日」と説いています。

私達は、求めて仏教を聞き、「恵日」を実感した
生き方をしたいと思います。

誰も見ていないところで、誰にも知られないところで、
それでも変わらずに努力を重ねることができるのか、
人の真価とはそういうところに現れるのかもしれません。
「神は細部に宿る」なんていう言葉もあります。

だから、他人からどう思われるかが、
自分の価値だと思って表面ばかり取り繕っているようでは、
あるいは物事を考えるときに効率ばかりを優先してしまうと、
それもまた裏側で手を抜くという
結果に結びついてしまいかねません。

比較することをやめて、表・裏ともに愚直なまでに
平等に丁寧に行うことが、平凡のようでいて
もっとも地に足の着いた生き方のように思えます。
「偉大」とは、見上げた上空にあるのではなく、
案外足元にあるものなのかもしれませんね。

禅に『宝鏡三昧』という経に次のような一文があります。
「潜行密用は、愚の如く魯の如し。
ただよく相続するを、主中の主と名づく。」

現代語に訳すと、だいたい次のような意味となります。
「潜水艦のように人から見られないところでの行い、
誰にも知られることのない行い、
そういった行いを愚直に行っていく。ずっと続けていく。
そうした生き方のなかにこそ、自分の人生を自分で生きるといった、
真に胸を張れる主体的な生き方が現れてくる」

唯一、自分だけが自分の人生の主人公でいられる、
というより、自分しか主人公はいないのです。
そんな主人公である自分をないがしろにして、
誰かの考えに依存して生きて、
どうして「偉大」な人であることができるでしょう。

人からどう思われようと、自分の信じる生き方を貫いて、
自分の価値は自分の行動のなかにしか存在しないんだと、
他人が決められるものじゃないんだと自分を奮い立たせて、
そうやって生きていくしか、自分の人生の主人公で
あり続ける方法はありません。

誰かの価値観で生きたなら、一体、自分は何者なのか?
自問自答を繰り返さなければならない。
誰かの理想に合わせる必要など無いのです。
自分の理想に向かって邁進すればいいのです。

誰かの評価なんかに惑わされず、自分で自分を磨き続ければ、
それでいいのです。

「人から偉大だと思われることが
「偉大な大工」なのではなくて、
自分のやるべきことに手を抜かないで
最後までやり遂げるのが「偉大な大工」なのですから。

「偉大な大工は、誰も見ないからといって、
キャビネットの裏側にひどい木材を使ったりはしない」
目立つところだけに一生懸命になるのではなく、
自らの仕事を細部に至るまで完遂する。
偉大な大工っていうのはそういうものだ。
アップル創設者スティーブジョブスの言葉です。

「偉大な父親は家族に対して手を抜かない」
世の中の父親諸君、ともに反省しよう。     


北風と太陽




ヴィクトリア朝時代に出版された本では、この寓話に(説得は力に勝る)
という教訓がつけられている。
しかし、他の時代には異なる方法で表現されていた。

1667年に出版されたバーロウ版では、アフラ・ベーンがストア派の
信念である「全ての情熱には中庸を選び、極端になると悪い結果を生む」
という教訓を導き出した。

18世紀には、ヘルダーが「優れた力は人間を冷たくするが、
キリストの愛の暖かさはそれを払拭する」という神学的な結論を出し、
ウォルター・クレインが1887年に発表したリメリック版では
「真の強さは威勢の良さではない」という心理学的な解釈がなされている。
ガイ・ウェットモア・カリルがこの寓話をユーモラスに書き直した
(衝動的なそよ風と外交的な太陽)では、「機転こそが学ぶべき教訓である。

そこでは、人間と風の間で競争が行われており、太陽は目的を
達成するための正しい方法を示しているだけなのである。」
と結論づけている。

「北風と太陽が、どちらが強いかでいいあらそっていました。 
議論ばかりしていてもきまらないので、それでは力だめしをして、
旅人の着ものをぬがせたほうが勝ちときめよう、ということになりました。 

北風がはじめにやりました。
北風は思いきり強く、「ビューッ!」と、吹きつけました。 
旅人はふるえあがって、着ものをしっかり押さえました。 
そこで北風は、いちだんと力を入れて、「ビュビューッ!」と、
吹きつけました。  すると旅人は、「うーっ、さむい。これはたまらん。
もう1まい着よう」と、いままで着ていた着ものの上に、
もう1まいかさねて着てしまいました。 
北風はがっかりして、「きみにまかせるよ」と、太陽にいいました。 

太陽はまずはじめに、ぽかぽかとあたたかくてらしました。 
そして、旅人がさっき1まいよけいに着たうわ着をぬぐのを見ると、
こんどはもっと暑い、強い日ざしをおくりました。 
じりじりと照りつける暑さに、旅人はたまらなくなって、
着ものをぜんぶぬぎすてると、近くの川へ水あびにいきました。 

この話は、人に何かをさせるには、力ずくでやるよりも、
あいてがその気になるようによく説明するほうが、
ききめがあることがおおい、ということをおしえています。」
誰でも知っている有名なイソップの物語です。

私達、稲葉瀧文と伊丹谷良介は、今は北風です。

「うた」も「恩学」も万人に認められたくて、
万人受けする内容ではないのです。

太陽のように暖かい日差しも必要ですが、
あえて北風を吹いて太陽の重要性を訴えているのです。

今の世の中で一番簡単で難しいのが本音を言うことです。
正直な自分の気持ちを伝えることが苦手になっていませんか?
波風を立てない為に我慢していませんか?
社会全体に気を使いストレスが溜まっていませんか?
上部だけの付き合いで友達を増やしても信頼は生まれません。

私と伊丹谷良介は共に海外で過酷な生活を経験しています。
海外では他人に遠慮していると仕事が得られずに
相手にもされなくなってしまいます。
厳しい北風が吹きまくる世界で生きると、
太陽の暖かさがより一層感じられるのです。

厳しい経験から多くのことを学びました。
だからこそ自分自身を曝け出して忠実に表現しているのです。
そこから若者たちを照らす太陽になろうとしているのです。

今の世の中はジャングルジムに閉じ込まれている環境です。
周りはハッキリと見えるのに逃げる出口が見つかりません。
ウィルス感染、戦争、経済不況、円安、自然災害、政治不信とさまざまな
障害がいく手を阻みます。
それを、自由に空気が吸える、食事も取れる、眠ることもできる
だから少しぐらいの苦しみは我慢しようになっていませんか?

どんな状況でも考えることを止めてはダメです。
現代は思考することが重要な時代です。
考えるところから活路が開かれるのです。
考えてそこから生まれる未来を現実にしませんか?

伊丹谷良介の「うた」は難解なテーマで毎月開催しています。
2024年1月「ブッダ」、2月「生命」、3月「芸術」、4月「科学」(予)
ロックシンガーが難しいテーマを選びそこに何の意味があるというのか?
いつの時代でも社会に対してアンチテーゼを投げかけるのがロックである。
体制に溺れて商業主義的音楽をやるのはロックではない。
身内からの批判も覚悟でやり始めたマンスリーライブ「うた」である。

稲葉瀧文の「恩学」もほぼ毎日書き続けています。
毎朝思いついた言葉に文章を書き添えています。
沢山の書物から得た知識とネットで気になる情報を引用して、
私なりの経験(音楽プロデューサー)を加えて解釈と説明をしています。

「何のためにこんなことをしているのか?」とよく聞かれます。
私は子供の頃から、孤独を経験して、金銭的苦労して、
社会的成功もして、家庭を失う失敗も経験しました。
一般の方々が経験しないようなことをしてきたのです。
そこから学んだことが「恩」を返す「恩返し」でした。

私は敢えて北風になり太陽に感謝できる社会にしたいからやっています。
お分かりになりましたでしょうか?
皆様の少しでも考える時間が増えることを願っています。

「たとえ99人が川のむこう岸で騒いでいようとも、自分一人は、
スタスタとわが志したこちら側の川岸を、わき眼もふらず
川上に向かって歩き通す底の覚悟がなくてはなるまい」森信三

毎日、「恩学」を読んで喜んでくれる人が増えてきました。
毎月、「うた」の観客も増えてきています。
我々はこれからもスタスタと川上に向かって歩き続けます。

いつか温かい太陽になれると信じています。


もったいない




昔はお茶碗の中にお米一粒残しても勿体無いから食べなさいと言われた。
昔の日本人はご飯が食べ終わったら、必ずお茶碗にお茶を注ぎ込み
最後の一粒まで残さずに食べた。
毎回お米を作ってくれたお百姓さんに感謝しなさいとも言われた。

新聞紙も読み終わったら濡らして畳掃除のために部屋中に巻いた。
そうすることで埃が立たず部屋の隅々までの塵を取り除くことが出来た。
学生服も痛んだら母親が夜中に直してくれた。
少々の破れには布が充てられてつぎはぎだらけになっても
新調はしてくれなかった。そしてボロボロになり穴の空いたズボンは
雑巾として使った。その昔には風呂や炊事で使った薪の灰も肥料として
畑に蒔いた。人糞も然りである。
日本人の勿体無いは何も無駄にしないという精神で全てを賄った。
昔から本当のリサイクル・リユース・リデュースは日本にはあった。

家財道具も壊れたら専門の職人が家々を周り直してくれるので
壊れても捨てることは無かった。
陶器も割れたら金継ぎをして使い回しをした。
なんといっても世界に誇れるリサイクルと言えば着物である。
着物は糸を抜けば反物となり新しく作り変えることが出来る。
祖母から母親、母親から娘、娘から孫と親子にわたって
何代も同じ着物の使い回しが出来た。これは凄いことである。

明治時代に英国から来たバジル・ホール・チェンバレン(言語学者)が
「この国には貧乏人がいるが貧困はない。金持ちはえばらず
貧乏人は卑下せず社会の隅々まで平等が行き渡っている」と世界に伝えた。
勿体無い精神が武士にも百姓にも、金持ちにも貧乏人にも、社会の隅々まで
行き渡っていたと言うことである。

ワンガリ・マータイ(元ケニア環境副大臣)
1940年 ケニア生まれ
アメリカ ピッツバーグ大学にて修士号取得後
1971年ケニアナイロビ大学にて博士号取得  
※東アフリカ出身女性では初の博士号ナイロビ大学教授に就任
1977年 非政府組織「グリーンベルト運動」を作り、
アフリカでの植林運動を始める。
マータイさんのグリーンベルト運動の特色は、単に環境保護・
自然保護への取り組みだけではなく、この植林活動を通じて、
ケニアの民主化、アフリカ女性の地位向上、またアフリカの貧しい人々も
社会活動に参加していけるという活動でもありました。

マータイさんの活動は、独裁政権時代には相当な弾圧を受け続け、
実際に何度も権力により逮捕されるという困難に遭っています。
マータイさんの植林活動は、女性を中心に約8万人に広がり、
自然環境保護は元より、アフリカ民主化のシンボルとなっていきました。
2002年 国会議員に立候補したマータイさんには、
圧倒的な支持が集まり、当選を果たしました。
2004年 環境分野初、さらにアフリカ人女性初の
ノーベル賞受賞を果たしました。(ノーベル平和賞)

2005年 来日し、小泉純一郎首相(当時)と会談。
日本語の「もったいない」という言葉に大変な感銘を受け、
世界各地で環境保護の世界共通語としての「Mottainai」を広め、
また訴えます。
2011年9月 ケニアの首都ナイロビで死去(71歳) 
ケニア政府より国葬として 生前の功績を讃えられる。
環境分野初のノーベル賞受賞者 ワンガリ・マータイさんは、
世界共通語としての「もったいない」を世界に広めています。

“もったいない”には日本の伝統的精神文化が込められています。

「もったいない」という考え方は、経済的・数値的な捉え方では
理解できません。いわゆる収支や損得を考えた「ケチ」や
「エコノミー(経済的)」とは異質なのです。
例えば、昔から食べ物を粗末にすることや、
食べ物を残すことに「もったいない」はよく使われました。
これは、その食べ物を作った農家の方々、また家庭に届くまでに
関わってきた人々、そして料理を行った人への感謝の「気持ち」が
込められています。

そして何より「大地や太陽・水」など「自然の恵み」への
感謝の気持ちがあるのです。

“もったいない”という日本語の根底には“ありがたい”という
感謝の気持ちがあるのです。
私が初めて「もったいない」という日本語とその意味を知ったときに、
国際社会への重要な意味が込められていると感じました。
私はまず、「もったいない」という言葉のルーツに感銘を受けました。
長年、私が取り組んできた環境問題への活動の中、合い言葉としてきた 
「3R(リサイクル・リユース・リデュース)」ということを、
たった一言で見事に言い表しているからです。

私は30年近く前、ケニアで7本の木を植えました。
これが「グリーンベルト運動」のきっかけとなりました。
その後、多くの女性(一部男性)がケニアの国じゅうに
3000万本以上の植林を行いました。
そしてこの経験をアフリカの他の国とも共有しています。
植林を通して、木は多くの人々に燃料や食料を与えるとともに、
大地の浸食から守り、生活費にもなりました。

この活動を通じ、私たちが学んだ大切なことは、
市民が力を持つ必要です。
私たちや子供たちの希望する生活を実現させるために、
環境保護活動と復旧活動に参加してください。
他人が私たちのためにしてくれることを待っていてはなりません。
出来ることから始めるのです。

皆様も頭の中に理想を描いてください。その理想が未来の子供達に
大きなプレゼントを残すことになります。

私達は地球の資源を沢山いただいているのに、お金を出して購入したら
自分の物、だから容易に捨てることにためらわないのです。
あらゆる資源は無限ではなく有限なのです。
その為に少ない量で充分に足りることを知りましょう。「小欲知足」
「もったいない」は世界共通語です。


音と音楽




「音は心の中で音楽になる」

音は古代人が二足歩行になってから手を叩き、石を叩き、
落ちている木を叩き、手当たり次第に叩き回って
音を出していたのでは無いかと推測される。
それは襲ってくる動物から身を守るためのものであり、
神への祈りでもあったかと思われる。
現代でもアフリカの民族の中には同じ行動をする種族もいる。

中国雲南省の山の民族は歌いながら
求愛行動をする部族もいるという事です。

スペインの原始人は洞窟の中で火を焚き朦朧とした中で
壁画に没頭して描いていたとされている。
壁画が書き終わるまで、穴の入り口では物を叩いて、
音を出し大声で叫んでいたのでは無いかと推測される。

楽器の原型はすでにギリシャ時代からあり音楽として
発展したのは中国が発祥では無いかと思われる節がある。
音楽の文化でわかっていることは、BC.4000ころに、
西南アジアに住んでいたスメル人によって作られたといわれている。
ペルシャ湾に近いウルという町からは、黄金をちりばめた楽器や、
楽人が演奏している図らしい彫り物なども発見されている。

西南アジアの文化は、エジプト・アッシリア・バビロニアへと広がり、
さらにアラビア・インド・中国へと伝わっていった。

また原始時代は今に残る遺跡や文字等ができる以前の時代であり、
比較的小さな集団で地域に合った生活を営んでいて、
音楽においても(楽譜)というものは無く、
その場で即興的につくられたものだったと思われる。
生活様式と音楽との結びつきは密接であり、(協同)で作業する
人々は合唱や合奏が上手で、あらゆる機会に音楽したと思われ,
子守歌や愛の歌,喜びや悲しみを歌ったもの,
神をあがめた歌や作業するときの歌があったと考えられる。

また、古代以前の人々には音楽に魔的な力があると考えられ、
呪術や医療などにも音楽が使われていた。
楽器についても当然使われていただろうと考えられる。
草、木、土、石、骨など自然素材を利用し、簡単な(笛)や
(打)楽器が用いられたと思われる。
 
古代文明は紀元前3000年頃から始まり、
メソポタミアや(エジプト)の遺跡には楽器を演奏している様子を
描いたものが多くあり、そのことから、かなり進んだ音楽をもち、
公私にわたり音楽が重要な役割をはたしていたことがわかる。
また、そうした音楽に必要な楽器も、この時代にはある程度の形を整え、
機能的にも十分に使用に耐えるものになっていた。

日本では、
楽器には、東洋独特のものがあり、曲や音の扱い方などにも特徴がある。
まず縄文時代 BC.5000では、打製石器を使って狩猟漁労が始まった。
そして、動物型や土偶の中には、明かに音を出すことを意識して
作られたものがあった。声をあげるのがおもで、そのあいまにごく簡素な
楽器が奏でられたのだった。今日出土しているのは石笛その他、土笛、
土鈴を双口土器及び象形土製品等がある。

ついで弥生時代 BC.200に稲と金属使用とともに農耕社会が形成され、
収穫期にはシャーマニズム信仰による儀式が行われ、その儀式に付随して
簡単な歌謡や舞踊がはじまった。
始めは即興的なものであったとされている。

この歌謡の形が芸能として後世まで伝わったと考えられている。
その楽器のうち今日出土しているものは陶、琴、銅鐸である。
それからも音楽は依然として歌と舞が中心だったが出土する楽器は増え、
笛、鈴、琴、太鼓、鼓、四ッ竹、それと共に歌いながら踊る楽人の
集団がすでにそのころ発生していた可能性があるといわれている。
 
また「うた」の音域はせいぜい5度以内で、リズムは2拍・4拍を
楽器できざむか無拍節リズムといわれる自由リズムで、音の高低だけで
メリスマティック(1つのシラブルについていろいろと異なった
高さの音を用いて長く延ばして歌っていく、このような歌い方は、
今日に至るまで邦楽のごく一般的な歌唱である)に歌ったと思われている。
 
「うた」と「ことば」は互いに密接に関連して
切り離して考えられないもので、江戸時代が終わるまで
音楽を楽しむということは、歌を歌うことだった。

音律とは、
音律の歴史をみると、古代ギリシャまでさかのぼる。
ピタゴラスが活躍した時代であった。
古代ギリシャ時代には今日私たちが使っている音楽理論の
基礎の多くが、ピタゴラスたちによってすでに開拓されていた。
音律もそうである。
 
ピタゴラスが作った音律は「ピタゴラス音律」と呼ばれて、
古代ギリシャだけでなく、その後も単旋律の旋律を美しく響かせる
音律として、グレゴリオ聖歌が中心的な存在であったヨーロッパ
中世から13世紀にいたるまで幅広く支持されていたといわれている。

彼はモノコードという楽器で弦の長さを比較して、
音がどのように鳴り響いているのかを数学的に解明しようとした。
そして、弦の長さを半分にすると音は1オクターブ高くなることを発見し、
さらに弦の長さを3分の2にすると「ソ」の音が出ることを発見した。
また「ソ」の音の弦の長さを3分の2にして「レ」というふうにして
音を作っていき独自で音律を作った。
音の起源より

今回の文章は縄文時代にも「音楽」はありましたかという
質問にお答えしたものです。


あえて孤独に身を置く




白日夢、
周りから聞こえてくる声は調子はずれの声ばかり。
嬉しいのだの、楽しいだの、儲かったのだと言う声ばかり。
言葉に重さがない分、思春期の少女の声のように甲高い。
架空の現実から逃避して、その日暮らしの快楽を求める。
そこに自分は存在していない。陽炎が揺らぐだけの丘の上である。

子供の頃は孤独を畏れていたのだが大人になって反対になった。
そう孤独を楽しめるようになったのである。
それは思考が開花して創造力が湧き出したからである。
芸術の林の奥深くに潜入する楽しみを覚えてしまった。

スクランブル交差点の真ん中に立ち、
虚空の空をビルの谷間に眺める。
まるで予言者の理屈が洪水のように降り注ぐ
汚れた雨の中に立ち竦んでいる。
私は何者なのかが分かった瞬間である。

修行僧が山に籠り「一切皆苦」を受け入れて己れを崖に突き落とす。
今までの人生の反省を顧みて贖罪を受け入れる瞬間である。
僧は何も求めない。全て手放して音階のない世界へと旅立つ。
喜びの乱舞もない天岩戸の前で一人舞い踊る。
心地よい鬼の風が吹く。はらわたまで抉り取られるような痛みが走る。

祭りの後の寂しさが身を清め始める。
白装束に身を包んだこけしたちが行進する。
先祖の霊を神輿に乗せて縄文の道を練り歩く。
狂った巫女の笑い声が先祖の霊を呼び起こす。
帰ってこいよ、帰ってこいよ、帰ってこいよと祈り続ける。

日出る国へと船出した白熊たちを黄色い猿が迎え撃つ。
この国の美しい活火山の溶岩で死への道筋を刻み込む。
誰もが孤独を求め始めた。騒がしい祭り太鼓を遠ざける。
南海の孤島の漂流者のように目の前を通り過ぎる船に白旗を振る。
もうすぐ嵐がやってくる。何もかも飲み込まれていく。

爆発男が帰ってくる。爆発だ、爆発だと叫びながら帰ってくる。
穢れなき男のキャンバスに描くのは永遠の孤独である。
曲がったピサの斜塔を真っ直ぐにして太陽の塔を作る。
こんにちは、こんにちは世界の国から亡霊たちがやってくる。
彼の国は兵器を溶かしてミッキーマウスを先頭に踊り出す。

あえて孤独に身を置く。浮かれた後の孤独を楽しむ。
可愛い顔のロボットたちと恋に落ちる。
宇宙食をほおばりながら原発酒に酔いしれる。
空いばりのカカシたちが未来の機械を作り出し、
柱時計を巻き戻して過去の歴史を嘲笑う。

十字架の祈りも洞穴の修行僧の祈りも届かない
時間が壁に張り付き闇世の世界が広がる。
天地が割れてモーゼの神話が蘇る。血に飢えた悪魔たちも参加する。
未来の鐘を鳴らす者はいない。天地が揺れて昇龍が踊り出す。
荒れた荒野の向こうから藁の船に乗って渡来人がやってくる。
もう騒ぐ必要はない。もう慌てる必要もない。
踊りの緞帳(どんちょう)は消えてなくなるから身を沈めよう。

解説
生まれてから今日まで騒がしい世の中に翻弄されて来た。
文明という船は前に進むだけでいつもお祭り騒ぎである。
モダンタイムスのマシンの中で巻き込まれるチャップリンのようである。
効率化を重視するあまりに生産性を高めるために身動き取れない社会。
進化というノイズに耳を塞がれて人間らしさがどこかに消えてしまった。

人は今一度孤独に戻るべきである。
膝を丸めて穴蔵の中で眠るべきである。
私もあえて孤独に身を置き冷静さを取り戻したい。
今何を考えて何を成すべきかをピュシス的感覚で考えたいのである。
古いロゴス知識を白紙にして新しい知識を取り込まなければならない。

しかし私はまだ21世紀の船を降りない。
古い船乗りは必要ないと言われても船を降りない。
我々が作った船の修理を終えてから潔く降りるつもりである。
学(まなび)に身を置いている研究者じゃないから
独自の使えるルールを作らなければならない。

多くの迷える子羊たちの道標となるために
先頭を歩かなければならない。
集団の後方にいるストレーシップを
探しながら古巣へ帰らなければならない。

人間(理性)として時代を受け入れても、
人(感性)としての感覚を磨かなければならない。
科学や経済に犯されていない野山の中で、
理想を描きコミュニティーを作るべきである。

我々は「三耕人」という組織を立ち上げる。
飛岡健と稲葉瀧文が指導者となり後輩の指導にあたる。
今井久喜と西澤宏之が運営責任者となり学びの学徒を集めてくる。
最初は山梨県と岐阜県から始めるが、
勉強会を通じて全国に点在させることを目指している。

これからはもう誰もが孤独になる必要は無い。

理念「三耕人とは?」

農場:農業・脳場:脳業・能場:能場
食料の自給自足、学び直し、能力アップの場である。

これら三つの場を一人で耕す人を三耕人言う。
さあ夜明けは近い。夜明け前を走り抜けよう。
孤独の禊を終えた人間から前に進もう。