プライドとは恥を知ることである。
個人の尊厳を守り切ることである。
男は男としての恥を知る。
女性は女性として恥を知る。
昨今は自由平等を履き違いをしている人が多い。
男女平等をなんでも許されると勘違いをしている。
男が守るべき領域は男が守り、女が守るべき領域は女が守る。
こんなに簡単な方程式を複雑にする必要はない。
しっかりと着物を着こなしている人と、だらしなく着崩した人とは
どちらを友人として選ぶか?
礼儀をおもんじる人と無礼な人ではどちらを相談相手として選ぶか?
恥を気にしない人と規律を守る人ではどちらを仲間として選ぶか?
マナーを守る人と守らない人どちらの人と
末長く付き合いたいと思うのでしょうか?
私のプライドに対する考え方の基本は全て江戸時代にあります。
山本常朝「葉隠」、新渡戸稲造「武士道」、山川菊枝「武士の妻」
この3冊で十分に足りる。
スピリチュアルアーティストの江原啓之氏はプライドについてこう述べる。
私はスピリチュアルな世界から受け取る翌年のキーワードをお伝えしています。
2022年は「亀裂」、2023年は「終焉のワルツ」と申し上げましたが、
2024年を象徴するワードは「プライドの失墜」。
ここでいうプライドは、この世で今まで物質的な意味で築いてきた
価値観のこと。たとえば、社会全体のシステムで当たり前とされて
きたことがガラリと変わり、根底から打ち崩される年という意味があります。
心の姿勢でいうと、すべてにおいて“原点に立ち返る”ことが重要です。
コロナ禍以降、私たちの住む世界も生活も大きく変わりましたが、
その間、自分ひとりではままならない人生を痛感し、
「何のために生きているのか」「自分にとって何が幸せなのか」と
自問自答した人は多かったと思います。
ちなみにここでいう幸せは現世の物質的な豊かさではなく、
“心のありよう”。原点に一度立ち戻り、自分を見つめ直す必要があります。
それと同じように、今年のワード「プライド」を自己中心的な自尊心ではなく、
「これまで自分を愛し大事にしてくれた人たちを裏切らないこと」
「自分が受けてきた愛を守る力」のことだとそっと心の中で変換して
みてください。現世でいう幸せが失われたとき、自分のたましいは
何を求めて一番幸せだと思うのかスピリチュアルな世界でいう、
プライドのあり方が自分の中で明確になれば、何が起こっても大丈夫です。
厳しいことばかり言ってきましたが、2024年も悪いことばかりではない。
人生をリセットする機会ととらえて、新しい自分に生まれ変わる
一歩を踏み出す人もいるでしょう。
今年は仕切り直しが必要な“シフトチェンジ”の年です。
「私はいつも『幸せな人は意地悪をしない』と伝えていますが、
本当の意味での心の幸せ、すなわち“試練を克服しながら愛を学び、
たましいを向上させることによって得られる喜び”に満たされていれば、
わざわざ他人に意地悪をしようとは思いません。
逆に過剰な幸せアピールも、『本当は満たされたい』『幸せになりたい』
という悲鳴のような心の叫びに聞こえます」
一番身近な家族との関係も悩みは尽きることがないが、「『家族だから』
『家族なのに』という、呪縛のような古い固定観念に自ら縛られて
苦しくなっていませんか。家族とは学校のようなもの。
同じテーマをもって生まれてこの世で家族となりましたが、たましいは別。
家族といえども心の距離感を保ったうえで、互いに尊重し思いやれる
“自律”した関係が必要です」
2024年を振り返ると江原啓之さんの言うとおりになっていますね。
世界中のTOPリーダーたちがなりふり構わず自己保身に回っています。
日本の政治家の体たらくは本当にひどいものです。
特に自民党議員の裏金問題と石破首相の国際舞台での恥ずかしい場面は
プライドのひとかけらもありません。
自民党に投票した人たちも自民党の議員たちもプライドのない人ばかりです。
さて2025年はどうなるのでしょうか?
辰年から巳年に移行する年です。
2025年「乙巳(きのと・み)」の年は、十干「乙(きのと)」と
十二支「巳(み)」の開運パワーが重なる一年です。
「乙」と「巳」、それぞれの特徴を詳しくチェックして、
2025年の運勢を占ってみましょう。
乙(きのと)の特徴と意味 十干
「乙(きのと)」は十干(じっかん)における2番目の文字で、
陰陽五行説では「陰の木」に属します。
自然界では、成長過程にある若木や柔軟でしなやかな
草木を表します。柔らかくも強く、弾力のある性質を持ちます。
平和的で協調性が高く、柔軟性と適応力に優れているのが特徴です。
半面、優柔不断で流されやすいという弱点もありますので、
慎重に計画を練りながら変化に対応していく力が求められます。
「乙(きのと)」には、新たな変化の始まりを意味する開運効果が秘められています。
成長や発展がテーマの一年となるでしょう。
巳(み)の特徴と意味 十二支
「巳(み)」は十二支(じゅうにし)の6番目の文字で、
陰陽五行説では「陰の火」の気を持ち、内に秘めた情熱や進化・再生の
エネルギーを象徴します。自らの目標に向かって突き進む力を示唆しています。
特に、変化を受け入れ、新しい挑戦をする意欲が高まる時期です。
自身の内面と向き合い、より高い次元での自己実現を促進する運気が高まります。
蛇が、皮を脱ぎ捨てて新しい姿に生まれ変わるように、
2025年は古いものが終わりを迎え、新しいサイクルが始まる年となるでしょう。
「巳」には「再生」や「変化」という意味があり、これは蛇のように脱皮を繰り
返して、成長を続ける生命体の象徴とも言えます。
私も2022年から2024年かけて挫折を繰り返しましたが、いよいよ
脱皮の後の再生の時期に入ります。人生の終盤に向けて活躍できるように
毎日を大切にして生きていきたいと思います。
12月 23rd,2024
恩学 |
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創造力とは「無知の知」である。「知っている」世界がすごいのではない。
「知らない」ことを知る世界が真の智慧なのだ。そしてそこにこそ、
人間は己を置いておくことなのだ。
知らないことを知る世界が真の智慧すなわち創造力が無ければ、
知らないままに終わる。ここに未来の姿がある。必ず最後まで読んで欲しい。
2028年以降、人類がまったく経験したことのない時代に突入する。
それは今までの偉人たち、ソクラテスも釈迦もイエスもニュートンも
アインシュタインも誰も経験したことのない時代である。
その名をAI時代と言う。
それに対して二つの予想路線がある。
一つ、孫正義さんのいう「AIが人類を幸せに導いてくれる」路線。
もう一つ、ジェフリーヒントン氏のいう「AI開発を止めよ」路線。
孫正義さんの言う路線は甘すぎる。
ASIまで進化した人工知能が三流機械である人間を邪魔にこそなれ
相手にしないことを知らない。あまりにも人間中心主義で考えているのだろう。
ジェフリーヒントン氏の言う路線は実現不可能である。
AI開発が主導権を争うものであれば、誰が自ら開発から降りようとするか・・・
誰もが血眼になって開発競争をやっている昨今である。
しかしどちらに転ぶにせよ人類は危機的状況にあることは間違いない。
ならば第三の道を行くべきである。それはAIをどうこうすることではなく、
AIを作り出した人間自体の意識の爆発を起こさせることである。
考えてみてほしい。人間はこんなもんだろうか?
力の強いものが弱いものを支配し、同種同士で殺し合い、足の引っ張り合い、
お互いがジェラシーし合い傷つけ合う、損得計算ばかりが駆け巡り、
生存本能で生かされている・・・こんなものが本当に人間だろうか?
これは真の人間の姿ではない。一段階の生存意志に支配された
三流機械の姿にすぎない。真の人間とは、二段階の尊厳意志に立脚した
何にも依存しない独立自尊の存在を言う。
人間の本当のすごさは「無知の知」である。
「知っている」世界がすごいのではない。
「知らない」ことを知る世界が真の智慧なのだ。そしてそこにこそ、
人間は己を置いておくことなのだ。
そことは・・・日本が太古の昔から大切にしてきた心である。
AI時代、日本が世界を主導しなければならない。
日本には世界を牽引する義務があるのです。
そこに登場するのが縄文時代の思想である。
縄文時代といえば遥か昔、人々が狩猟や採集で暮らしていた時代。
約1万5000年前から2300年前まで長きにわたり続いた時代ですが、
縄文文化の風習を残す人々がついこの間までいたって、信じられますか?
長崎県の西彼杵半島や瀬戸内海を拠点に、船を住処としていた家船(えぶね)
漁民という人々がいたのをご存知でしょうか。
規制が厳しくなった昭和40年代頃まで実在していて、当時の写真や記録は
多く残されています。漁をしながら物々交換で暮らしてきた
彼らは独自の文化を持ち、なんと入れ墨や抜歯の風習があったそうです。
現代でもお祭りや正月料理などで、地方独自の文化を目にすることはありますよね。
テレビやインターネットが普及する前は今よりも地域差が大きかったのでしょう。
とはいえ、入れ墨や抜歯は聞いたことがありません。
『縄文の思想』の著者いわく、これが縄文時代の風習の名残りだというのです。
このような、縄文時代の文化を引き継いだ人々が日本各地にいる証拠を、
徹底的に集めたのがこの本です。文字を持たず直接の記録がない縄文時代の
暮らしを、外濠から埋めていこうという試みです。
私たちが習ってきた日本史は、縄文時代を経てから稲作を取り入れたことで
弥生時代が到来したという、いわば一本の流れでした。
しかし実際はそう単純ではないようです。
大陸から日本列島に渡って来た人々が、元々住んでいた縄文人へ稲作を伝え
混血していったのは確かなのですが、その中でも稲作を受け入れなかった
人たちがいるのです。彼らは縄文の文化を受け継ぎ狩猟中心の
生活を続けてきました。
そのひとつが、著者が研究しているアイヌ民族。
実際アイヌのDNAを調べると、縄文人の特徴を多く残しているんだそう。
アイヌって単なる北海道の先住民族だと思っていました!
私たち和人と同じルーツを持つと思うと、なんだか一気に親近感が湧いてきますね。
そして本書では、アイヌのほかにも稲作を受け入れず縄文時代の生活を受け継いだ
人たちが日本中にいたという説を展開しています。そんなことわかるの?
と思ってしまいますが、読み進めると出てくる・出てくる信憑性のある証拠が!
アイヌと同じく縄文文化を引き継いだと言われているのは、沖縄の糸満漁民や
南九州の隼人など、主に沿岸部の人々。彼らの言葉や周辺の地名からも、
アイヌ語との共通点が見られるそう。
「引き継いだ」というと、伝統を守りそれまでと変わらぬ暮らしを続けてきたと
思いがちですが、そうではありません。彼らは変わりゆく時代や周りの世界に
合わせて、進化していったのです。
稲作を受け入れ豊かになっていく農耕民のニーズに応えるかのように、
彼らは海民として漁撈に特化し、技術を高度に進化させていきました。
それまで自分たちが生きていく分には必要のなかったサメやマグロなどの大型魚や、
アワビの大量採捕で農耕民と交易し、同時に外洋まで出られる技術を会得して、
日本中に海上交通のネットワークを作り上げたのです!
興味深いのが彼らの移動距離。なんと弥生時代には、九州の海民が北海道の
北端まで漁をしに行ったということが遺跡から判明しています。
はるか昔、エンジンもGPSもなかった時代に、どうやって移動したんだろう。
ご先祖さま、かっこいいです。
真の人間とは、二段階の尊厳意志に立脚した何にも依存しない独立自尊の存在を言う。
AIは現状の人間の意識レベルでは到底叶わぬ存在であるが、
意識の拡張が起こった人間にとっては可愛いペットのようなものだろう。
人間の本当のすごさは「無知の知」である。
「知っている」世界がすごいのではない。
「知らない」ことを知る世界が真の智慧なのだ。
そしてそこにこそ、人間は己を置いておくことなのだ。
時代が変わりAIが時代をいくら大きく席巻しようと、人間の「無知の知」の
凄さを知らないのである。AIの知能が人間の知能を大きく上回り高度な
文明社会が出来たとしても、人間はそれを上回るほどの隠れた能力を
発揮する時が来る。
AIは現状の人間の意識レベルでは到底叶わぬ存在であるが、
意識の拡張が起こった人間にとっては可愛いペットのようなものだろう。
12月 22nd,2024
恩学 |
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「死んだ男の残したものは」
谷川俊太郎の作詞、武満徹の作曲による歌。
ベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナム平和を願う市民の会」
のためにつくられ、友竹正則によって披露された日本の反戦歌の1つである。
概要
1965年4月に東京で開かれる「ベトナム平和を願う市民の会」
のために谷川が詞を書き、「明日の市民集会のために曲をつけてほしい!」と
武満に作曲を依頼し、要望通り1日で武満は曲を完成させた。
谷川は「メッセージソングのように気張って歌わず、
『愛染かつら』のような気持ちで歌える曲にして欲しい」という
手紙を添えて渡している。
バリトン歌手の友竹正則によって、1965年4月24日(資料によっては22日)
御茶ノ水の全電通会館によって初披露されている。
私は1969年に大学に入り反戦の旗手ボブディランの歌をコピーして
校庭で歌い始めた。お手製のハーモニカーホルダーを口にくわえて
「時代は変わる」や「戦争の親玉」を歌った。
デモ隊のリーダーからお前も闘争に加われと引っ張り込まれたこともありました。
そんな学園紛争のさなかに「死んだ男の残したものは」が
ラジオから流れていた。
私が最初に聞いたのはおそらくカルメンマキの歌声でした。
そのあとは加藤登紀子さんの歌声でも聞いた記憶があります。
「和製反戦歌」を聞いて魂が振るえるのを覚えました。
死んだ男の残したものは
作詞 谷川 俊太郎 作曲 武満 徹
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来る明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない
この曲が流れる前にアメリカのフォークシンガー、
ピート・シーガーの「花はどこへ行った」が日本で流行っていました。
その後ジョンバエズが歌い、ピーター・ポール・マリーが歌い、
日本では森山良子が歌い、メッセージソングの第一号となったのです。
1965年4月24日といえば私は高校生の時である。
「花はどこへ行った」(はなはどこへいった)、
原題 Where have all the flowers gone?は、
世界で一番有名な反戦歌とも言われるフォークの楽曲。
アメリカンフォークの父とも形容される
ピート・シーガーによる作詞作曲であり、シーガーの代表作でもある。
「花はどこへ行ったの」と訳される場合もある。
最初の録音の後、歌詞の一部をジョー・ヒッカーソン(Joe Hickerson)が
補った形で広まったことから、シーガーとヒッカーソンの共作ともされる。
歴史
1955年、ピート・シーガーが制作。ロシアの作家、
ミハイル・ショーロホフの『静かなドン』の最初のほうに出てくる、
コサックの民謡の歌詞にヒントを得たのだという。
シーガーはこれに曲をつけたが、既存のフォークソングを参考とした
可能性もある。シーガーは、『Rainbow Quest』というレコードに収めた
メドレーの中で、3番までの歌詞でこの歌を録音し、
そのままこの歌を忘れていた。
その後、ジョー・ヒッカーソン(Joe Hickerson)が4番と5番の歌詞を
書き加え、1961年に著作権が登録し直された。
この歌詞への加筆によって反戦歌としての色彩が鮮明になった。
1961年、キングストン・トリオがこの曲を録音して発表した。
この曲がトラディショナルであると思っていた
キングストン・トリオは、著作権表示に自分たちの名を記したが、
シーガー側の指摘を受けて、表示は正された。
キングストン・トリオ盤は、翌1962年にヒットしたが、
その背景には、アメリカ合衆国がベトナム戦争に関わり
始めたことがあった。
1962年に、ピーター・ポール&マリーによってもカバーされ、
こちらもヒットし、この年(つまり初版の実に7年後)以降、
同曲は反戦歌として広く親しまれるようになり、現在に至っている。
歌詞の構成・メッセージ
「花はどこへ行った少女がつんだ」
→「少女はどこへ行った男の下へ嫁に行った」
→「男はどこへ行った兵隊として戦場へ」
→「兵隊はどこへ行った 死んで墓に行った」
→「墓はどこへ行った 花で覆われた」と続き、
再び冒頭の「花はどこへ行った 少女がつんだ」となる。
最後には必ず「いつになったら わかるのだろう」という言葉で
締められているため、
「戦争がいつまでも繰り返され、いつになったらその愚かさに気づくのか?」
というメッセージ。
今度こそもう戦争は絶対に止めようという思いを込めて盛んに歌われていた。
1960年代中盤から後半ニューポート・フォーク・フェスティバルや
ウッドストック「愛と平和の祭典」で盛んに歌われた。
正に日本でも反戦運動が高まり各地のフォークフェスティバルでも
多くの歌手がこの曲をカヴァーして歌っていた。
私も大学生時代にPPMのバンドを組んでレパートリーに加えた。
青春とは恐れないことです。
青春とは純粋に生きて行けることです。
青春とは情熱だけで前へ進むことが出来るのです。
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない
機会がれば是非聞いてみてください。
12月 21st,2024
恩学 |
死んだ男の残したものは はコメントを受け付けていません
AIによって学習したことをしっかりと覚える必要が無い時代になった。
教室で習った歴史や英単語を丸暗記する時代は遠い過去の話になる。
今はタイトルとインデックスだけを記憶して、
AIで検索すると瞬時に回答が寄せられて文章を記憶する必要は無くなった。
学習の大変さを思い出して、テストで苦労したことを懐かしがる必要もなく
ただメモリーを取り出して反復するだけになる。
3年前に家内とNYへ行った時に経験した出来事である。
海外へ行く前に格安フライトと宿泊予約が一瞬にしてアプリでできた。
移動するための配車サービスや翻訳アプリを入れておけば困ることも無かった。
今回はファクトリー探訪と決めていたのでNYに着いてから情報を集め、
行きたいエリアで検索すれば一番近い距離で最高のカフェが紹介された。
その店の近くで素敵な散歩コースと検索すればいくつも紹介される。
場合によってはその場に適した会話も音楽も紹介される。
もう旅行ガイドセンターへ聞きに行くことも無い時代に入ったのである。
最近では予約の際に個人情報を入れるとより具体的なサービスが受けられる。
お店に入ると「稲葉様ようこそいらっしゃいました」と
名前で迎えられ、席に着くとウエルカムドリンクとしてシャンパンが
グラスに注がれる。初めての店でも彼女と二人でVIP待遇の雰囲気を味わえる。
予め食事の内容とワインの銘柄を伝えておけば、ワインが飲み頃の状態で
タイミングよく出て来る。
事前にカードで支払いを済ませておけば煩わしいやりとりは不要になる。
最高の場所でドキドキワクワクして思い出を作らなくても
モバイル一台あればすべての記録も写真も残すことが出来る。
写した写真や動画をSNS上に掲載して家族や友人たちと共有をする。
手間暇かけた想いで作りに時間がかからなくなった。
しかし本当にこれで良いのだろうか?
実際の出来事を「記憶」に残すことによって喜びや悲しみが、
思い出となるのに、全てテクノロジーに頼ってデータに
残すだけになると思い出に感動がついてこない。
感情の起点となる、探す・選ぶ・予約する・ワクワクする・ホテルに
宿泊が入っているか・ドキドキするかなどの悩みは一切必要に無くなる。
テクノロジーによって便利に情報や記録にアクセスできるように
なったにもかかわらず、本当に大切なことが思い出せない。
そんな経験はないでしょうか。
インターネットの誕生以降、人類が生み出すデータ量は指数関数的に
増加してきました。SNSによって日々ますます多くの情報が「記録」
されるようになっているものの、それにともない私たちがよりよく
「記憶」できるようになったかといえば、そうではないのかもしれません。
毎日あてもなくSNSをスクロールするものの、
次の日に覚えているものがどれくらいあるだろう?
偏った情報、誤った情報がとめどなく流れるなかで、
私たちはどのように自分の記憶を世話していけばいいのだろう?
最新記憶の残し方で検索するとこのような記事に出会った。
テーマは、「記憶と場所」。作家の山本貴光さんと、「場所と記憶」を
モチーフに小説を書き続けてきた作家の柴崎友香さんが、
「記憶」をキーワードに、柴崎さんの最新作から
幼少の思い出、小説にしかできない役割までを語りました。
「他人シミュレーター」としての小説。
ふたりのトークは、2023年12月に刊行された柴崎さんの最新長編
『続きと始まり』(集英社)の話題から始まりました。
阪神淡路大震災、東日本大震災、そして新型コロナウイルス感染症。
柴崎さんは本作で、2020年3月から2022年2月までの2年間にわたる
男女3人の日常を通して、日本に生きる私たちがともに経験した
出来事に光を当てていきます。
ある日突然マスクをする生活が当たり前になり、飲食店にはアクリル板が
設置され、リモートワークが日常化する──
物語が始まるのと同じ2020年に書き始められた『続きと始まり』には、
そんな当時の時間が文章というかたちで保存されているように見えます。
そうした「時間の再体験」こそが、小説にしかできない表現なのだと
柴崎さんは語ります。
「小説が、ただ情報を並べていくことと何が違うかというと、
小説っていうのはやっぱり、ある人間を通して世界を体験し直すことができる。
私たちは、普段は自分の身体を通してしか世界を体験できないですけど、
小説は別の人間に入っていくことを可能にしてくれる。
人の内側の、体感的な表現が、やっぱり小説にはできると思うんです。
2020年の何月にこういうことがあったというのは
みんな知っていると思うんですけど、でも小説ではもう1回その時間を
体験し直すことが可能だから、読まれた方が『こんなことを思い出した』
『そういえばこういうことがあった』みたいなことを、
感想として言ってくださるのかなっていうふうに思っています」
すなわち小説とは、山本さんの言葉を借りれば「他人シュミーレーター」
であり「記憶保存装置」でもある。
100年後の歴史学者たちは、もしかしたら柴崎さんの小説を読むことで、
2020年代の人々の生活を学ぼうとするのかもしれない、と山本さんは言います。
「テレビと動物的記憶」
トークの後半では、子どもの頃は1日に8時間はテレビを見ていた
「大のテレビっ子」だったという柴崎さんの経験から、
「テレビと記憶」について語られました。
かつて圧倒的大多数の人が見ていたテレビと、
現在、圧倒的大多数の人が見ているスマートフォン。
両者の違いは、それが移動できるかどうかと、
コントロール可能かどうかの2点が大きいといえるでしょう。
テレビはテレビの置かれているお茶の間でしか見られなかったのに対し、
スマートフォンはどこにでも持ち運んでいける。
テレビは放映時間が決まっているのに対して、YouTubeもNetflixも、
スマートフォンのコンテンツはユーザー側が「いつ見るか」を決めることができる。
スマートフォンでいつでも、どこでも情報を得られるようになり
便利になった一方で、記憶に残りやすいのはどちらだろうか?
とふたりは問います。
「この場所でエサにありつけた」「ここで危険な目に遭った」というふうに、
動物たちは場所と記憶を結びつけながら生きていると柴崎さんは言いますが、
そんな「動物的記憶」は、メディア環境が変化するなかでますます
薄れているのかもしれません。
オフラインとオンラインの境界がますます曖昧になるなかで、
私たちはいかに動物的記憶を働かせ、
過去をよりよく記憶することができるのか。
そのときに小説や物語は、私たちの記憶をどのように助けてくれるのか。
トークの最後には、柴崎さんが「小説にしかできないこと」を言い得た
イタリア人作家アントニオ・タブッキの言葉を朗読しました。
音楽プロデューサーとして大成するには記憶の役割がいかに重要かを
知る所から始まります。過去としての思い出が現代に活かせる方法は
ないかと試行錯誤しながら考えるのです。
音を覚えるのは勿論、音が流行していた時代の背景を調べるのです。
楽器だけの音ではなく当時の声や街中の騒音まで手繰り寄せるのです。
ここに想像力が必要になり物語が生まれるのです。
最近のAIに問いかければ音も情報も映像もデザインまでも教えてくれます。
テクノロジーの進化に驚いても感動は生まれません。
集めた情報をいかにミックスダウンするかで個性が決められます。
12月 21st,2024
恩学 |
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自己超克(じこちょうこく)とは哲学用語の一つ。
これはフリードリヒ・ニーチェによって提唱された言葉である。
自己が置かれている現状を超えるような価値を創造したり、
道徳を形成することから、人間としての本来あるべき
自己を形成していくということである。
「ツァラトゥストラ」はこう語ったでは、全ての存在というのは
その存在自身を越える何物かを創造してきたと言うことが
歴史であるがゆえに、人間というものも自身は、
何者かによって超えられるべき存在であるというわけである。
また創造者というのは人間にとっての意義と未来を与える者、
そして善悪は何であるかを創造する者である。
そしてニーチェの提唱する超人というのは自己超克を成しうる
創造者というべき存在にあてはまる。
ニーチェの「自己超克」という言葉は、「自分を変える」と言われる
言葉と同じ、または似ているものなのかという質問に対して、
単に変える、というおだやかなニュアンスではなく、
自己を縛っている価値観を根底から疑い、破壊し、新たな価値観を
築き直すくらいの根本的な変革です。
世界中が混沌とした時代を迎え、過去の経験と知識では解決の
役に立たないことを知るべきである。社会システムの変革を待つのではなく
自らが変革しなければ遅すぎるのに誰も立ちあがろうとしない。
座して死を待つ帝王のように「我関心にあらぬものは黙して語らず」の
姿のままで黙ったままである。
そしてこの時代の哲学者はAIの存在を知らない。
全ては人間が考えて自らが行動しなければならない時代で生きていたので、
当時定義した内容が当てはまらないことになる。
すべてに対して自問自答しながら自己超克を成し得る人間が超人ならば、
現代にはそんな人間は存在しないことになる。
自問自答はコンピュータに任せれば良いことで、
回答だけを受け取り行動すれば済む時代になっている。
哲学好きな人間は抽象概念を論理的に組み立て問題の解決を探る。
そしてその中で追い詰められた人間がどのような行動に移るか興味の
一点に的を絞る。私が哲学好きなのは子供の時より「人間って何」
「生きるというのはどうゆうこと」「幸福は手に入れるもの」「人生とは何」と
大人に聞いても誰も答えてくれなかったから宗教と哲学に興味を持ったのである。
単純に自己超克は難しいというハードルではなかった。
状況に応じてつねに過去の自分を乗り越えなければ
生きていけなかったから必要として取り入れていただけである。
自己を縛っている価値観を根底から疑い、破壊し、新たな価値観を
築き直すくらいの根本的な変革です。
自己が置かれている現状を超えるような価値を創造したり、
道徳を形成することから、人間としての本来あるべき自己を形成していく
ということである。
全ての存在というのはその存在自身を越える何物かを創造してきたと
言うことが歴史であるがゆえに、人間というものも自身は、
何者かによって超えられるべき存在であるというわけである。
また創造者というのは人間にとっての意義と未来を与える者、
そして善悪は何であるかを創造する者である。
哲学書は手引書であり指南マニュアルでもある。
語彙的には難解に書かれているが自分なりに平易にすればよい。
分かりやすく読みやすくして実践して書き残す。
それを読み返して更に実践を重ねて自分が納得すればそれでよい。
専門家は追求が仕事であるから実践よりも理論である。
理論的に納得して正しいと判断すればそれを発表する。
日本の哲学者の第一人者森信三は「恩の形而上学」という難解な本を
最初に発表している。学者も含めて多くの方々が手に取り
読んだことだと思うが、小生には難解すぎて最後まで読み切れなかった。
専門家ではないので時間をかけて謎解きに挑戦したいものである。
ニーチェの「自己超克」という概念は、人間の可能性と限界、
そして存在そのものを問いかける深い哲学的な概念です。
1. 現状への問いと新たな価値観の創造
現状に安住せず、常に問い続ける: ニーチェは、伝統や道徳といった既存の
価値観に疑問を投げかけ、新しい価値観を創造することを提唱しました。
現代においても、私たちは常に変化する社会の中で、過去の価値観にとらわれず、
新しい価値観を創造していく必要があります。
自己の限界に挑戦: ニーチェは、人間には無限の可能性があると信じていました。
快適なゾーンから飛び出し、自分の能力の限界に挑戦することで、
新たな自分を発見することができます。
2. 強靭な精神の鍛錬
困難を乗り越える力: ニーチェは、困難な状況を乗り越えるためには、
強靭な精神が必要だと説きました。逆境を成長の機会と捉え、そこから学び、
強くなっていくことが大切です。
自己責任の意識: ニーチェは、他人のせいにせず、自分の行動に責任を持つ
ことを強調しました。自己責任の意識を持つことで、より主体的に人生を生きる
ことができます。
3. 創造性と個性の開花
独創的な思考: ニーチェは、群衆に同調せず、独自の視点を持つことの
重要性を説きました。既存の価値観にとらわれず、独創的な思考をすることで、
新しいアイデアを生み出すことができます。
個性を大切にする: ニーチェは、個性を大切にすることを提唱しました。
他人に迎合せず、自分の個性を活かして生きることで、より充実した人生を
送ることができます。
4. 人生の意味を問い続ける
ニヒリズムへの対抗: ニーチェは、ニヒリズム(虚無主義)という思想を
批判し、人生に意味を見出すことの重要性を説きました。
自己の価値観を見出し、人生に目的を持つことで、より充実した日々を
送ることができます。
絶え間ない探求: ニーチェは、哲学的な問いを投げかけ、自己を深く
探求することを促しました。自己を深く理解することで、より自分らしい
生き方を見つけることができます。
具体的な活用法の例
自己分析: 自分の価値観や強み、弱みを深く掘り下げてみましょう。
新しいことに挑戦: 普段やらないことをやってみたり、新しいスキルを
身につけてみましょう。
読書や自己啓発: ニーチェの哲学書だけでなく、様々なジャンルの本を読んで、
知識や視野を広げましょう。
目標設定: 目標を立て、それを達成するために努力することで、
自己成長を実感できます。
自然と触れ合う: 自然の中で過ごすことで、心を落ち着かせ、新たな視点を
得ることができます。
ニーチェの「自己超克」は、現代を生きる私たちにとっても、
非常に示唆に富む考え方です。彼の思想を参考に、自分自身と向き合い、
より充実した人生を送るためのヒントを得てください。
ニーチェの思想は、一部の解釈によっては危険な思想と捉えられる
可能性もあります。彼の思想を参考にするときは、あくまで自己責任のもとで行い、
過激な行動に繋がるようなことは避けてください。
その昔は哲学者の言葉で心を乱して自殺する人も多かったと言います。
人間とはなど抽象概念の追求は終わりがない泥沼に入ります。
ただの読み物として楽しんでください。
12月 19th,2024
恩学 |
自己超克ニーチェ はコメントを受け付けていません
私は以前からたくさんの見識者と言われる人たちとの会話を楽しんできました。
真偽は別にして大方の話は小説を読むようでハラハラドキドキの連続です。
もしこの事実が本当ならば我々一般人は何を信じて生きて行ければよいのか迷う。
我々が受けて来た教育は勝者の理屈で塗り固められている。
特に戦争における裏事情は知れば知るほど背筋が凍るようである。
地球と言う舞台の上で何が行われているのか、
そしてその筋書きは誰が書いているのか?
人口を増やすことは消費者が増えることで経済が潤う、
しかし高齢化が進むと消費には役に立たないので一気に減らす方法を取る。
その為に定期的に人減らしが行われてきた。それは「戦争」という手段と
ウイルスで病人を作り殺す方法である。
なぜ突然コロナの感染症が世界中で蔓延したのか?
なぜウクライナをはじめパレスチナで戦争が始まったのか?
世界が一触即発の元凶は何処なのか?
今、宗教戦争から民族戦争、はては食料とエネルギーの奪い合いで
大国がみな戦々恐々としている。
ここ近年海水温の上昇で自然災害が全世界で頻発している。
二酸化酸素問題でオゾン層が壊れていくと2006年京都議定書会議で
騒いでいたのは何故消えてしまったのか?
地震や豪雨による自然災害が増えて家も財産も失う人が増えている。
地球は叫び声をあげているのに無視する国がほとんどである。
日常メディアやSNS上に流される情報は殆どがフェイクニュースです。
これらに踊らされていると低俗な野次馬になってしまいます。
今回、紹介するこの情報も真偽は分かりませんが、
信じるのも信じないのもあなた次第です。
「人類がまだ知ってはならない事」
キャンディス・オーウェンズは連合国が戦後約1,200万人のドイツ人を
民族浄化した事を明らかにしたBBCのドキュメンタリーについて言及した。
子供達は整列してなぎ倒された。
女性達は残忍にレイプされ、その後多くの女性が自殺した。
ヒトラーは地球史上最大の殺人鬼として描かれていますが
統計的には間違っています。1986年、作家の故ジェイムズ・バック氏は
戦争終結時にアメリカ人が数百万人のドイツ人捕虜を意図的に餓死させた事を
示す政府文書、インタビュー、目撃証言に出会った。
これは史上最悪の戦争犯罪の一つと言えるでしょう。
1997年に彼は著書『犯罪と慈善』を執筆しベストセラーとなった。
その中で彼は1945年から1950年の間に少なくとも1,000万人、
そしておそらくはさらに数百万人のドイツ人がどのようにして
亡くなったかを明らかにしている。
彼はアメリカ政府が意図的にドイツ国民を飢えさせていたという証拠を発見した。
主要な新聞や雑誌は彼の本を出版しないよう大きな圧力をかけられた。
彼は盗聴され、メールは傍受され、アーカイブへのアクセスは拒否されました。
ヒトラーは英米人の銀行家たちのプロジェクトだった。
しかし科学とメディアの欺瞞のせいでイギリス人とアメリカ人は依然として
史上最大の解放者として称賛されています。
実際、彼らは史上最も偉大な大ファシストです。
米国秘密情報部のトルーマン・スミスは1922年にはヒトラーと面談し
ヒトラーが第二次世界大戦計画のカリスマ的開始者であることが決定された。
ヒトラーは15年間、ロンドンに定期的に旅行していたエリートアメリカ人
「美術商」エルンスト・ハンフシュテンゲルとその友人フランクリン・ルーズベルト
によってホワイトハウスで世話され、教育され、資金提供され、保護されていた。
キャンディス・アンバー・オーウェンズ・ファーマーはアメリカの保守系の作家、
政治評論家、政治活動家である。
当初はドナルド・トランプ大統領や共和党に批判的であったが、
その後、支持に転じた。ブラック・ライヴズ・マターや民主党にも批判的である。
20世紀の謎ナチスはウイーンが発祥ウイーンの國體はハプスプルク
ナチスに資金提供したのはウオーバーグ國體政略です。
若い頃から私の疑問は「明治維新」でした。
我々の知っている明治維新は司馬遼太郎が書いた「竜馬がゆく」からの物語です。
坂本龍馬も西郷隆盛も勝海舟も伊藤博文も大隈重信も時の人と
もてはやされましたが忘れてならないのは吉田松陰です。
彼らは僅か20代の青年に教育を受けたのです。
討幕の為に地方の下級武士が草莽崛起を合言葉に集結して
幕府に改革を迫ったのである。
しかしそこでの私の疑問は坂本龍馬でした。
いくら優秀な人間としても土佐藩の脱藩武士である。
その男が日本国中を駆け巡った旅費は誰が出したのだろうか?
長崎に商社を立ち上げて船まで購入している。どう考えてもおかしい!
その上に海外の鉄砲などを売り歩いたことにも解せないのである。
田舎の下級武士だった坂本龍馬には謎が多すぎた。
ある時に大学の先生から明治維新の真相なる話を聞きました。
そこでは驚くべき事実が判明した。
我々が知っているのは歴史の表側で、裏側の事実を誰も教えてくれていない
ことに愕然としました。
1853年~1857年アメリカで起こった南北戦争はフリーメイスンが仕組んだ。
そして、そこで使われた武器が日本へ売られて使用された。
幕府はフランス政府、薩長はイギリス政府、その武器を取り扱うために
選ばれし武士たちはロンドンで学びフランスでも学んでいた。
海外から莫大な資金援助を受けて武器も持たされて明治維新は展開したのである。
その後1894年に日清戦争が起こり、1814年日露戦争が起こり、1824年には
第三次世界戦争へと続いたのである。日本は強かった日清戦争も日露戦争も
破竹の勢いで勝ち続けたのである。それを脅威に感じたアメリカは財閥と組んで
戦争を仕掛けてきたのである。それも原子爆弾を携えてである。
ディープステートと言われる闇の政府・闇の金融機関が手を組めば
戦争も感染症も自然災害も世界の金融市場も意のままに操れるのである。
知ってどうするのか、使い物にならない情報などゴミと同然である。
我々一般庶民に真実など腹の足しにもならないので耳をふさぐだけである。
多くの人が勢力争いの渦の中で混乱をしている。
情報の真偽が分からないのなら聴くだけ混乱するので
話さないで欲しいと言われる。
死にゆく人の耳元で真実を伝えても役に立たないのと同じである。
それでも私は出来る限り真実と言われることは知りたい。
素人なりに隠された秘密があるのなら暴いてみたいのが本心です。
これらのことに興味がある人は一緒に学びませんか?
私が師と仰ぐ先生が山梨の北斗市に研究所をお持ちです。
そこで一泊二日の勉強会を開催することもできます。
多くの方は知っても得がないなら知らない方が良いと言います。
しかし、真実を知って現実を生きた方が納得がいくと思います。
「学びて時に之を習う亦説ばしからずや」論語
過去を知り未来を語るのは楽しいことですよ。
12月 18th,2024
恩学 |
隠された真実 はコメントを受け付けていません
私は仏教書の中にある譬え話が大好きです。
キリスト教信者が毎日聖書を読むようにことあるごとに読んでいます。
人生に行き詰まった時には自分に置き換えて振り返りをします。
本日のブログはブッダの教えから「四人の妻」を紹介します。
四人の妻
釈尊の説法に、ひとつの譬え話があります。つぎのようなお話です。
昔、あるところに四人の妻を持つ男がいました。
彼は第一夫人をとても愛していました。毎日化粧をさせ、寒いにつけ
暑いにつけ彼女をいたわり、欲しいものを買い与え、行きたいと
言うところには連れて行き、食べたいものは何でも食べさせ、
寵愛していました。
また第二夫人は美人の誉れ高く、浮気をされないよういつも気にかけ、
外出の時は常に連れ出し、家に帰ってからは鍵のかかる部屋に入れ、
勝手に出て行かぬように見張りまでしました。
第三夫人には毎日会うわけではありませんでしたが、会えば気持ちが
通じ合い、互いに喜びあうのが常でした。
しかし第四夫人はといえば、まるで使用人のよう。毎日忙しく働き夫の
世話をしているにも関わらず、罵られたり無視されたりしています。
夫は第四夫人のことはまるで眼中になかったのです。
ある時、この男は遠い国へ行かねばならないことになりました。
そこで第一夫人に、「一緒に行ってくれ」と頼みました。
すると第一夫人は涙を流し、「あなたには色々お世話になり大切にして
いただきました。でもそんなに遠い国へ行くのは嫌です」と、
断られてしまいました。
しかたなく、今度は第二夫人に同行を頼みました。
すると第二夫人は、「あなたの最愛の第一夫人がお断りになったものを、
第二夫人の私ができるわけはありません」と、あっさり断わられました。
男はがっかりして、第三夫人のもとへ出かけました。
第三夫人は「それでは国境までお見送りいたしましょう。
でもそこまでにしてください」と、やはりついてきてはくれないようです。
男は途方に暮れて、第四夫人にも同じように言ってみました。
すると第四夫人は「親元を離れてあなたに嫁いで以来、
常にあなたと一緒です。だから、どこまででもお供します」と答えました。
それを聞いて男は、深い後悔の念におそわれました。
こんなに自分を思っていてくれる相手をもっと大切にすべきだった、と。
ここで釈尊は尋ねられます。「この男とはだれのことであるか。
遠い国とはどこか。また第一・第二・第三・第四夫人とは
だれのことであるか」と。
男とはこの「私」のことです。
遠い国へ行くとは、「死ぬ」ことです。
第一夫人とは私の「肉体」のことです。いつも可愛がって甘やかしていた
肉体という妻は、死を境にして別れねばなりません。
第二夫人の美人とは「財産」です。確かにお金は魅力的です。しかしやはり、
死後の世界にまで連れて行くことはできません。
第三夫人とは「家族や親族」のことです。生きている時はお互いに親しみ、
離れがたい間柄です。しかし死んだ時は墓場までは見送ってくれるものの、
一緒に墓へは入ってくれません。
第四夫人とは、私の「業」です。「親元を離れてあなたに嫁いで以来」とは
物心ついて以来、ということです。「業」とは、私が心で思ったこと(意業)、
話したこと(口業)、そして身体的活動(身業)の三者、および
その影響力のことです。
物事にはすべてその原因があると、仏教では教えています(縁起)が、
これを逆にいえば、私たちがなす行いには必ず結果を伴います。
それは私の命が終った後にも、ずっと連鎖して残って行くものです。
ですから、私たちは自分の責任を持って、
注意深く発言し行動せねばなりません。
「無常忽ちにいたるときは国王大臣親昵従僕妻子珍宝たすくる無し、
唯独り黄泉に趣くのみなり。己に随い行くは只是れ善悪業等のみなり。」
(道元『正法眼蔵』)
海外の経営者達が「禅」に憧れて心酔するのは人を対象にしているからです。
多くの宗教は神を対象に規律が作られて正しい道を説いています。
それに比べて仏教では人間が犯すであろう出来事をわかり易く説いています。
ユダヤ教の聖典「タルムード」も過去の人たちが何故その過ちを犯したかを
次の世代に伝えて、その解決法も教えています。それを生きている者たちが
文章を追加するので直ぐに役立つ手引書とも言われています。
私への質問で多いのは「何故その年齢になってまで働いているのですか?」
「その苦労には経済的な豊かさの保証があるのですか?」
「成功したり失敗をしたり自分の人生に疲れませんか?」
私からの答えはいたってシンプルです。
私がエベレストの登頂を目指すと言ったら家内も友人も反対しますよね。
命の保証もない所へ行って何が得られるのかと心配してくれます。
しかし、多くの人が求めるのは難攻不落な挑戦をする人の心の在り方です。
思い立ったキッカケは?準備したものは?現地との連絡は?万が一怪我をしたら?
心配事は尽きないものです。多くの事を考えたら悩みは尽きないものです。
あなたがやらなくても専門の登山家がやるから無謀な挑戦は無意味だと
言い切る人も大勢います。
私は何事に対しても素人です。知識や経験もそれほどありません。
しかし、世の中にはプロよりもアマチュアの方が圧倒的に多いのです。
過去に存在していないことに挑戦してその結果を伝えていくことも
大切な役割だと思っています。
日本にまだその存在が認められていない時にプロデューサーの重要性を訴えました。
周りから馬鹿にされても自分なりの考えを実行して成功体験を多く残しました。
そうなると世の中が一転します。誰もがプロデューサーの重要性を話し始めたのです。
私はそれでよいと思っています。
僅か2・5%のイノベーターがアイデアを発信して
13・5%のアーリーアダプターが具現化して、34%のアーリーマジョリティーが
広めていく。(エベレット・M・ロジャーズ)イノベーター理論
昔から変わらぬ法則です。
新しく始める時には批判や非難はつきものです。
しかし、それに恐れていては何も解決しないのです。
登頂した人間にしか語ることが出来ないことは成功者にも言えるのです。
無理だと思えるところにいつも勝機があることを忘れてはなりません。
自分を乗り越える「自己超克」の気構えが必要です。
今回の四人の妻はあなたが何を大切にしているかの意識を
再確認できれば嬉しいです。
12月 17th,2024
恩学 |
四人の妻 はコメントを受け付けていません
一度は書きたかったダンテの「神曲」である。
友人の投稿を見て今回真剣に取り掛かる。
勿論、あくまでも私なりの感覚で取り上げるので解釈に誤解が
生じるかも知れない。
それぞれの楽曲に説明がついているので理解はしやすい。
特に「地獄の意味」と「現代社会の解釈」を読むと腑に落ちるはずである。
「ダンテの地獄に見る現代社会の罪——私たちが直面する課題」
イタリアの詩人ダンテ(1265~1321)が書いた「神曲」をテーマに、
「Inferno(地獄)「Purgatorio(煉獄)」「The Ascension(昇天)」
「Paradiso(天国)」の4つの楽章からできていて、
その第1楽章が「地獄篇」です。
この曲は、ヴァージニア州ハリファックスにあるジョージ・メイソン大学
バンドと、同州ハリソンバーグのジェイムス・マディソン大学からの
協同委嘱によって作曲されました。
そのため第1、第2楽章はジェイムス・マディソン大学のバンド・
ディレクター、パトリック・ルーニイのために、第3・第4楽章は
ジョージ・メイソン大学のアンソニー・マイエロのために捧げられ、
初演でも2人が2楽章ずつ指揮をしました。
ダンテの『神曲』に描かれた地獄の構造は、14世紀の宗教的価値観に
基づいていますが、その象徴的な枠組みを現代に当てはめることで、
今日の社会問題を考える新しい視点を得ることができます。
情欲や貪欲、暴力といった罪は、現在の社会においても形を変えながら
存在しており、私たちが抱える課題の本質を浮き彫りにします。
1. リムボ(Limbo:1層)
• 地獄の意味: 信仰を持たなかったが罪を犯していない者たち。
• 現代社会の解釈: 社会的無関心や「無知」による問題。気候変動や
貧困問題に対する無知や行動不足を象徴。
• 例: 環境問題への無関心、選挙や政治に関わらない若者層。
2. 情欲に溺れた者(The Lustful:2層)
• 地獄の意味: 欲望に支配される者たち。
• 現代社会の解釈: 性的搾取、ポルノ産業、SNSでの過剰な自己表現。
個人の尊厳やプライバシーが損なわれる現象。
• 例: リベンジポルノやセクシャルハラスメント、SNS依存。
3. 暴飲暴食の者(The Gluttons:3層)
• 地獄の意味: 過剰な快楽を追い求める者たち。
• 現代社会の解釈: 消費社会の過剰消費やフードロス問題。個人的欲求が
社会的資源の浪費につながる。
• 例: ファストファッションの乱用、大量廃棄される食品。
4. 貪欲な者(The Avaricious:4層)
• 地獄の意味: 財産や物質をむさぼる者。
• 現代社会の解釈: 経済的不平等、資本主義の負の側面。企業の利益至上
主義や税金逃れ。
• 例: 大企業の過剰利益追求、格差拡大。
5. 憤怒に満ちた者(The Wrathful:5層)
• 地獄の意味: 怒りや攻撃性に支配される者。
• 現代社会の解釈: ヘイトスピーチ、ネットリンチ、社会的分断。
感情的反応が暴力や破壊を引き起こす現象。
• 例: ソーシャルメディアでの誹謗中傷や暴動。
6. 異端者(The Heretics:6層)
• 地獄の意味: 宗教や倫理に反する考えを持つ者。
• 現代社会の解釈: 極端な思想や陰謀論の拡散。科学的根拠の否定。
• 例: 地球温暖化否定、フェイクニュースの拡散。
7. 暴力を犯した者(The Violent:7層)
• 地獄の意味: 暴力を行使する者。
• 現代社会の解釈: 家庭内暴力(DV)、戦争、テロ行為、自己破壊
(自殺や薬物中毒)。
• 例: 銃乱射事件、家庭内虐待、戦争犯罪。
8. 詐欺師(The Fraudulent:8層)
• 地獄の意味: 詐欺を働く者たち。
• 現代社会の解釈: 金融詐欺、SNS詐欺、偽情報。信用を利用して
利益を得る行為。
• 例: 投資詐欺、フィッシング詐欺、虚偽広告。
9. 裏切り者(The Treacherous:9層)
• 地獄の意味: 信頼を裏切る者たち。
• 現代社会の解釈: 内部告発者の不当な扱い、企業スキャンダル、
政府による市民への裏切り。
• 例: 情報漏洩、政治的不正行為。
『神曲』の地獄は、人間の弱さや社会の不正義を象徴的に表しており、
現代社会の問題に対しても深い洞察を与えます。
この構造を通じて、私たちが直面する課題をより広い視点から分析し、
改善に向けて行動するきっかけを得られるのではないでしょうか。
読書は、読む、書く、伝える、反復する、話し合うがなされて初めて
本を読んだとなります。私のブログ「恩学」は思考のきっかけを作る
ために書いているので、読んだ、面白かったで、済まして欲しくないのです。
必ず誰かと話し合って欲しいのです。
音楽会も映画も読書も感動が残されているうちに第三者と話し合って
美意識や価値観、人々に与える影響などを共有して楽しんで欲しい。
そこから生まれる感情こそ知識への探求の旅が始まるのです。
我々は今混沌とした時代の中で歴史を振り返り現状の解決に挑まなければ
地球の寿命を速めることになります。
個人の幸福の追求はやめて地球再生の道を歩まなければ手遅れになります。
子供たちの未来を考える上でも必要不可欠な問題です。
動物の気持ちになって環境を考える。
今、私は動物かんきょう会議の一員として活動を始めています。
地獄を知った者こそが天国を思い描き作ることが出来ると信じています。
12月 16th,2024
恩学 |
ダンテの地獄 はコメントを受け付けていません
私は悲しい時には悲しむ。嬉しい時には羽目を外して喜ぶ。
そして貧しい時にはそれなりに極貧を楽しむ。
他人はそれを不幸な人生と判断するがそんなものではない。
感情は自分の思考を変えるだけで如何ようにでもなる。
悲しい時には笑顔で過ごし。嬉しい時には周りの人に伝わるように過ごす。
貧しいとはお金と品物が手に入らないことをいうのだが、
心までは貧しくなるわけでは無い。心の豊かさが一番大切なのです。
世間では年齢で将来が無いと判断するが、将来は自分で作るもので
他人の基準に合わせる必要は無い。
1914年12月、エジソンが67歳のときのことです。
災難が彼を襲います。
ウエスト・オレンジにあった研究施設が火事になってしまったのです。
連絡を聞いて駆けつけ、実験道具や資料など重要な物を持ち出そうと
陣頭指揮を執りましたが、時すでに遅し。
施設はすべて焼け落ち、当時の金額で500万ドル近い損害を
被ってしまいました。
目の前で、いままで自分が築いてきたものが
すべて燃える光景を眺めながら、エジソンがしたこと。
それは家族を呼び、こう告げることでした。
「こんなに大きな花火大会はまず見られない。
とにかく楽しめ」そして集まった記者たちに、
「自分はまだ67歳でしかない。
明日からさっそくゼロからやり直すつもりだ。
いままで以上に立派な研究施設をつくればいいのだ。
意気消沈している暇はない」と、平然と言ってのけたのです。
エジソンは、常識だけでなく、
時間という概念に縛られることもたいへん嫌っていました。
普通、我々は「1日24時間」という時間の中で生活しています。
しかしエジソンに言わせれば、1日が24時間であるというのは、
人間が人工的につくったもの。
自分が時間の主人公になれば、1日を36時間でも48時間でも、
自分の好きなように使えるはずだ、というのです。
エジソンの工場の壁には、長針も短針もない大きな時計が掛けられていました。
ある日、友人の自動車王フォードが「針がなければ、時計の意味がないのでは」
と訊ねると、「そうじやない。時間というものは、自分でコントロールすべきもの。
時計のような出来合いのバロメーターに左右されているようでは
何もできない。疲れたと思えば、その場で休めばいい。
仕事が完成するまでが昼間だ。
自分の体にあったリズム、これを自分でコントロールすることが大切だ」
と答えたといいます。
驚異的なひらめきをつかんで形にし、「天才」と賞されることの多い
エジソンですが、決して努力を軽んじていたわけではなく、
むしろその逆でした。
世界中から寄せられる「どうすれば成功できるか」という問いに、
エジソンは、「野心」「常識にとらわれない創造力」「昼夜を問わず働く意志」
の3要素を挙げています。
1日18時間は働くことにしていたといいますから、
人の2、3倍は濃密な仕事人生を歩んできた自負があったのでしょう。
ですから、エジソンにとっては「まだ67歳」。
まだまだ大きな仕事をするのには十分な時間がある、
という発想だったのです。
それどころか、「肉体は魂の仮の宿り木。滅びれば次の宿り先に移動する」
という死生観を持ち、それを証明するための実験を重ねていた
くらいですから、「死」という概念すら超え、次なる成功に野心を
燃やしていたのです。
すべての常識を超えて自分で新しい未来を見据え、
創造力を発揮して目の前の「壁」を超える。
天才とはいえ、その裏に、常に前向きに歩みつづけようとする
強い意志とひたむきな努力があったことは、言うまでもないのです。
如何でしょうか?天才の思考法は学ぶところが多いですよね。
エジソンはただの開発者ではなくビジネスマンとしての「野心」を持ち、
「常識にとらわれない創造力」で数々の発明品を世に送り出しています。
そして何よりも「昼夜を問わず働く意志」が、完成までの時間を
自由に操っていたのです。
我々の暮らしはすべて時間で縛られています。
これは仕方ないことなのですが、エジソンのように時間を管理することは
出来なくても、夢を描く創造力は持ち続けることは出来ます。
「昼夜働く意志」は何をどうするか期間を決めて行えば可能です。
現在75歳の私は幾つものボランティア活動に参加しています。
私に求められるのはリーダーとしての野心と創造力と働く意志です。
心身ともに健康なうちは「昼夜働く意志」は変わりません。
弛まない「好奇心が野心と創造力」をサポートしてくれています。
海外へも一人で飛び出し現地の人と交流を持つことは何も問題ありません。
流石に若い時と違って昼夜を問わず働くことは出来ませんが、いざとなれば
2~3日は平気です。常に一番大変なのは没頭するための経済がついてこないと
ただのプランだけになり計画の完成を見る前にプロジェクトが終了します。
エジソンの発明品は特許料だけでも莫大な資産になります。
それを管理するのがエジソン財団です。
「天才は、99パーセントの努力と1パーセントのひらめきにより生まれる」
エジソンのこの言葉は有名である。そのエジソンの息子が創った財団である
「エジソン財団のアドバイザリー・ボードへの就任要請がきたのは、
1年ほど前のことである。「エジソン財団は世界の叡智を集め、財団運営に
貢献できる人材を世界から集めることにした」というのが、
僕への就任要請の趣旨であった。」堀義人
我々が知らないところで日本人が国際的財団で活躍していたことを知り、
心から惜しみない拍手を送りたいと思います。
今後とも世界中の研究者へ支援をお願いする次第です。
12月 15th,2024
恩学 |
エジソンの思考法 はコメントを受け付けていません
創造力の向かうところには希望がある。
我々は常に現状を悲観することなく、そして他者を批判することなく
恐れずに未来へと一歩踏み出す勇気が必要である。
荒涼とした大地に、嵐の海に、未開のジャングルへと足を踏み入れる。
人々が渇望する希望の光を求めて大地をさまようのだ。
我々は次の世代へと繋ぐ為に「常に開拓者たれ!」を肝に銘じたい。
開拓者精神の「開拓」とは、未開の地に踏み込んで生活基盤をゼロから
築き上げ、街や都市を作り上げていくことを意味する言葉です。
これらはアメリカの開拓時代にその生活の中で培われた気質を踏まえ、
フロンティアスピリットとも呼ばれることもあります。
ここから転じて、開拓者精神とは新しさを恐れず取り入れる先進性や
未知の領域に挑戦する勇敢な心、積極的な活動力、既存の権威ではなく
能力を評価する姿勢などを表す言葉として使用されます。
ここからビジネスにおける「開拓精神」を学んでいきましょう。
開拓精神はいずれもビジネスで重要な姿勢であることから、
人材に求めるスタンスとしても重視されています。
なぜ開拓者精神がビジネス現場で求められるのか
現代は変化が激しくかつ見通しを立てにくいことから、
変動性・不確実性・複雑性・曖昧性の頭文字をとって
VUCAの時代であるといわれています。
多くの企業にとって環境変化への対応が緊急度の高い課題となっており、
このことからビジネスシーンにおける開拓者精神は
ますます重視されるようになっています。
開拓者精神が求められる変化の一つとして、社会情勢の変化が挙げられます。
例えば、近年では新型コロナウイルス感染症が世界的に流行し、
私達の生活様式やワークスタイルも大きく影響を受けました。
それまでなかなか進む気配がなかった在宅ワークを中心とした働き方改革も、
必要に迫られてこの数年で一気に推し進められました。
また直近では、新型コロナウイルス感染症は完全に収束したわけでは
ありませんが、通常の経済活動を取り戻すに伴ってハイブリットワークを
検討し、新しい働き方を模索する企業も少なくありません。
その他、LGBTQをはじめとした多様性に対する関心の高まりや、
地球温暖化など持続可能性に対する問題意識など、企業が向き合うべき
課題はより複雑になっているように見えます。 このような変化が激しい
環境において先行きが見えない事態を切り開くためには、既存の状態を
当たり前として現状維持を考えるのではなく、常に新しい状態に
適応していくという意識が必要でしょう。
その際に開拓者精神の恐れず進んでいく精神が重要となるのです。
また近年はIT技術の進化によって、既存のビジネススキームや
製品開発のあり方が変わり、技術による効率化で人々の働き方も
大きな影響を受けてきました。直近では、Chat GPTの登場によって
新しいビジネスが多く誕生し、業務におけるAI活用がこれまでになく
注目を集めています。
こういった事態に対処していくには、単に柔軟性というよりも、
開拓者精神の中で語られる「先進性を取り入れる気概」が必要となってきます。
近年のAIの進化は、あらゆる仕事を効率化するチャンスがありながらも、
多くの人の仕事を代替する可能性も含んでいます。
今までの働き方や常識では対処できない事象に対して、多くの人は
その不安から積極的な活用を試みないかもしれません。
しかし、慢性的な人手不足や経済状況を鑑みると、
「この技術がどう活用ができるのか」、「新しく何ができるのか」を
考えることが求められています。こうした技術の進化や
パラダイムチェンジは今後も起こりうると考えられるため、
その環境に順応し競争力を高めていくには開拓者精神を持つことが
何より重要です。
1.挑戦心
開拓者精神を語るうえで最も重要な要素の一つが、挑戦心です。
未知の領域へ恐れず進んでいく、まさに「開拓」を象徴するような能力です。
現代のビジネス現場においては、既存の方法論が通用しなくなっている
ばかりか、新しく生まれたIT技術やAIに既存の仕組みが取って代わられる
可能性があります。 そんな中で頼りになるのが、新しい手法や分野、
場合によっては新規事業などに挑戦していく気概です。
2.意欲的な活動力
何事においても意欲をもって、「自分事」として取り組むことは重要です。
そのような意欲的な活動力も開拓者精神の要素の一つです。
新しいことに挑む際にはどうしても二の足を踏んでしまうのは
仕方がないことです。前例がないことを行うには、身体的だけでなく
精神的な負担も大きくなるでしょう。そういった重圧を跳ねのけ、
挑戦しつづけるためには活動力は必要なのです。
3.自助意識
開拓者精神の原義に立ち換えると、自助意識が大きな意味をもっていたことが
分かります。 祖国を離れ既存のインフラがない状態で開拓を行うためには、
強固なコミュニティーを形成してお互いを助け合うことはもちろん、
自分の身を自分で守ることがいかに重要だったか、想像に難くないでしょう。
自助意識とは、自立精神や自主性と言い換えることもできます。
前述した通り、昨今のビジネス環境の特徴として変化スピードの速さが
挙げられます。そのような環境下で成果を出し成長を続けていくためには、
従業員自らが自主性をもって業務に取り組んでいくことが重要となるでしょう。
4.能力主義
開拓者精神には、ある意味では個人主義の側面があり、
その面が強調されているのが能力主義です。
既存の権威や肩書ではなく、何ができるかという能力によって
評価するというものです。 日本特有の終身雇用型の雇用は崩壊して久しく、
1人が複数社での勤務を経験することが増えました。それに伴い、
年齢ではなく何が出来るのかによって人材を評価する傾向も強まっています。
あえてこの時期に開拓精神を取り上げたのは世界中が過去に作られた
システムに頼り戦うことを選ばず、世襲するだけの安易な政治や経済
活動に明け暮れて民衆のために何も開拓していないからです。
新しい時代は破壊から始まるのです。そして破壊の先の建国の創造を
していかなければならない。
利益のために人づくりではなく、人づくりのための利益でなければ
ならないのにすっかりその精神が無くなっています。
偉大な経済人松下幸之助は海外から視察に来た要人たちから
「この会社は何を作っている会社ですか?」質問を受けた際に
「我々の会社は人を作っている会社です。時折り家電も作っています」と
答えたと言う。
開拓精神のフィロソフィーは誰でも理解できると思います。
しかし、それを実行させるための人材の育成が大切です。
人の心に火がつかなければ開拓精神は芽生えないのです。
12月 14th,2024
恩学 |
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