未来推敲




未来と聞くと通常100年先を想像しませんか?
農業革命、産業革命、商業革命、通信革命と続いた過去に対して
これからの未来には一体何が起きるのかわからない。

もっとデジタル化が進んで人間は孤独になり喜怒哀楽が削り取られる。
朝からAIに体調のこと、天気のこと、渋滞のこと、会議のこと、
友達との語らいのことも指示されるようになる。
我々は居心地の良い環境で無機質なアンドロイドになる。

もっと近い未来でいうと、今日の積み重ねが未来につながり
いくらもがいてもなるようになるしかない。政府の情報やSNSの情報を
鵜呑みにして疑いを持たなければ最悪の事態を招く。

例えばAIに日本語の詩を読んで意味がわかるか聞いてごらん。
当然、彼らはいい加減な回答しか出来ないと思う。
漢字の組み合わせを読み取っても、その奥にある情緒までは理解できない。
花鳥風月や人間の持つ使命感迄は到底理解できないのである。

坂村真民の「あとからくる者のために」
あとからくる者のために
あとからくる者のために
苦労をするのだ
我慢をするのだ
田を耕し
種を用意しておくのだ

あとからくる者のために
しんみんよお前は
詩を書いておくのだ
あとからくる者のために
山を川を海を
きれいにしておくのだ

あああとからくる者のために
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みな夫々(それぞれ)自分で出来る
何かをしてゆくのだ

人間とアンドロイドの違いは他人を思いやる優しさの感情である。
その為に未来を託す子供達に希望の種を植えることである。
戦争の悲惨さは子供達が誰にも構われずに逃げ惑う姿である。
アフリカの飢餓で苦しむ子供が骨だけになっている姿である。
どの国でも母親は誰にも命令されなくても死ぬまで子供を抱きしめるのである。
ここに人としての尊厳が残されている。母親は生命の循環を守りたいのである。
しかしこの状況では知識も近代科学も文化も何も用をなさない。

未来は本当に我々に幸福を齎(もたら)せてくれるのだろうか?
未来の子供達に何かを残せるのだろうか?
いつも科学の進化は人間たちを壊していくだけである。

そして未来に芸術家は存在するのだろうか?
今の絵画も音楽も伝統文化も、すべて古典として記録されると思うが、
未来の芸術は技術者がマウスを使って作り出す一つのデーター作品に
なっているかも知れない。
誰しもが肉眼で鑑賞することなく、メタバースの美術館で、音楽ホールで
ゴーグルをつけてゲームの様に鑑賞することになると思う。

私が学生の頃に聞いたS&G(サイモンとガーファンクル)の
「夢の中の世界」という曲の詞に、

それは水彩で描かれた静物画
たった今, 夕方近くの
レースのカーテンを通して陽が差し込み
影が部屋を洗い流し
僕らは座ってコーヒーを飲んでいる
お互いの無関心の中に横たわり
海岸に打ち上げられた貝殻のように
海が唸り声を上げるのを聞くことができる

宙ぶらりんの会話の中で
うわべだけのため息がもれ
僕らの人生に境界線が引かれる

君はエミリー・ディキンソンを読み
僕はロバート・フロストを読んで
二人は栞を挟んだ読みかけの頁に目を落とす

それは僕らが失ったものを測る物差し
出来の悪い詩のように
僕らはそれぞれリズムが取れない詩の一節
韻を踏めない対句、切り分けられた時と
宙ぶらりんの会話の中で
うわべだけのため息がもれ
僕らの人生に境界線が引かれる

確かに僕らは大事なことを話してはいる
語られなければならない言葉で
「解析することは価値を持ち得るだろうか」
「戯曲は本当に死んでしまったのか」
そしていつの間にか僕らの部屋は色を失い
僕はただ君の影にキスをする

もはや君の手さえ感じとることができない
いま君はまるで見知らぬ人であるかのよう
宙ぶらりんの会話の中で途方に暮れ
うわべだけのため息が
僕らの人生を分け隔てる

この情景と感情の入り混じった歌詞はAIでは作れない。
ポール・サイモンに脱帽です。

未来は明るい、未来はバラ色だ、未来は夢が溢れている。
だから勉強を、仕事を、頑張れと似非成功者はみんなそういうのだ。
未来は君の頭のイメージ通りにしかやって来ない
自分は独立して経営者になるのだ。自分は開発分野ですごい発明家になるのだ。
自分は何もしないで、手に入るものだけで生きていければ良いのだ。
そう思うと必ずその通りになる。その方法が間違っていなければ見事にそうなる。

今日生きたようにしか未来はない
未来は何もしなくてもやって来ると勘違いするな
未来は金持ちが作ったシステムの中に放り込まれることではない
未来は科学や経済で作られた住みやすそうな檻の中で暮らすことでは無い

愛する人や、愛するペットが人工的に作られる世界がやって来る
未来イコール幸福だと勘違いするな!
今日生きたようにしか未来はやって来ない。
だから自分で未来を創り出すのだ。


ひとりで進め




この一言で勇気が生まれた。
「九十九人の人が、川の向こう岸で騒いでいようとも、
自分一人はスタスタとわが志したこちら側の川岸を、
わき眼もふらず川上に向かって歩き通す底の覚悟がなくてはなるまい」
哲学者森信三

大学の夏休みに大阪から栃木の母親に会いに行くために歩き出した。
6歳の時に家庭の事情で別れ離れになっていた母親に内緒で会いに行った。
ただひたすら国道1号線を東京に向かって歩いたのである。
もう自分の存在なんて忘れてしまったのでは無いかと不安に駆られての
行動である。母親が住んでいる小山市に着いて商店街を歩いていたら
1人の年若い女性がじっと私の顔を見て突然走り出した。
そして10分もしないうちに母親と思しき女性を連れて戻って来た。
その女性は3才の時に別れた妹であった。

大学3年の時に学校がつまらなくなり近くの工事現場でバイトした。
そこで1年働いてロンドンに向かう旅費を稼いだ。
そして1年半ロンドンにいて帰国してCBSSONYというレコード会社へ入った。
当てもなくロンドンへ行った時にもバイトも学校もアパートも1人で探した。
日本へ戻っても1人なので全て自分の責任で人生を切り開くしかなかった。

音楽業界で働くようになって気づいたのはシステムが古くて
話にならなかったことです。これは根本から変えなければ海外から
笑いものになると思ったのです。その時から自分の名刺に手書きで
プロデューサーと肩書を書いた。宣伝をして回りました。
社内外で笑い者になっていたことは知っていました。
しかし私が日本の音楽プロデューサー第一号と自負しています。

必ず人と違うことを始めたら殆どの場合煙たがられる。
あからさまに敵対心を持って「要らないことをするな」と邪魔をされる。
しかし子供の頃からこの程度のいじめは慣れっこである。
何も出来ない奴ほど騒ぎ立てる。エリートにこの手が多い。
しかし飛び込まなければ波紋は広がらない。時代は変わらないのである。

「ひとりで進め」について
「ひとりで進め」は、1905年にラビンドラナート・タゴールが作詞した
ベンガルの愛国歌であり、マハトマ・ガンディーや、
他の多くの人たちが愛した歌でした。
調べてみるとこの歌の詞にはいくつかのバージョンがあります。
それが、ベンガル語から日本語への翻訳の際に生じたのか、
もともといくつかの種類があるのかは分かりません。
以下の歌詞はインドの歌手シュレヤ・ゴシャルさんの
歌の英訳の歌詞を日本語訳したものです。

歌詞「ひとりで進め」(全文)
あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、
ひとりで進め、ひとりで進め、ひとりで進め
あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、
ひとりで進め

もし皆が口を閉ざすなら。
おお、不運な我が友よ、
もし皆が、あえて語らないなら
誰もが恐れで、見て見ぬふりをするなら

心を開き、できるだけ大きな声で、
あなたの考えをそのままに、
ひとりで語れあなたの呼びかけに、
もし誰も答えないなら、ひとりで進め
あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら

もし皆が離れていくなら、
おお、不運な我が友よ、
もし皆が逃げ出すなら
困難な道に沿って歩いているとき、
誰もがあなたを見捨てるなら

道が茨に覆われていたとしても
それを踏みつけて、足を血で濡らしながら、
ひとりで進め
あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、
ひとりで進め

もし誰も光を掲げないなら、
おお、不運な我が友よ、
もし誰も光を示さないなら
もし雷雨の暗い夜に、
皆があなたの前で扉を閉め切るなら
まさにその稲妻で胸に火を灯し、
ひとりで道を照らせ

あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、
ひとりで進め、ひとりで進め、ひとりで進め
あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、
ひとりで進め end

自分の約束を自分で破ることは最低な行為である。
自分を裏切るな!たとえ孤独の波に包まれても耐え抜くのだ。
恐れるな!前に進むしかないのだ。

『走れメロス』は、人間の根底にある心理を巧みに描きながら、
信頼とは何かを問う物語です。まずは、あらすじを簡単に解説していきます。

妹の結婚準備のためシラクスの市を訪れたメロスは、人づてに聞いた
国王による残虐な行いに激怒し、城へ乗り込みます。
王に歯向かった罪で、メロスは処刑されることになります。
メロスは処刑を受け入れるものの、妹の結婚式のため3日間の猶予が
ほしいと述べ、親友のセリヌンティウスを人質にすることを提案し、
認められます。そして無事に妹の結婚式を見届けたメロスは、
親友の待つ城へ向かって走りだします。肉体的疲労や自身との葛藤、
度重なる障害を乗り越えて約束を守ったメロスの姿に、王は改心します。
太宰治

1人の心情と行いで世の中は変わることがある。
小さな光がやがて大きな光になり国をも変える。
自分を裏切るな!誰にも頼らずにひとりで進め。

「一灯照隅、万灯照国(いっとうしょうぐう、ばんとうしょうこく)」
という言葉の一節。比叡山延暦寺を開いた最澄が、
唐から持ち帰った言葉とされています。

初めは一隅(片すみの部分)を照らすような小さな灯火(ともしび)も、
その灯火が百、千、万と増えれば、国中を明るく照らすことになる。
その様子を表しています。「一灯」とは、一つのともし火のことで、
仏教を開いた釈迦の教えを象徴していると言われています。
初めは釈迦が一人で坐り一人で悟ったことが、彼の身の回りの人々に伝わり、
時代が下った今では多くの人が知ることとなったことを表している。
とも、解されています。

ひとりで進め!誰かの合図を待つな、誰かと行動を共にすることを考えるな
そして、栄誉とか褒賞とか期待することなく一途に「ひとりで進め」


老の木「綾鼓」




能楽の「綾鼓」は、老人の恋の悲劇や怨恨が中心に描かれています。
恋は年齢や身分に関係ないものですが、下賤な身の老人が、
高貴な美女に恋をするという設定において、はじめから悲劇的な結末が
予感されます。

前場では老人の一途な恋が描かれますが、後場では一転して、女御に
弄ばれていたと感じた老人が恨みを強く持ち、女御を強く責め立てます。
一方で女御の方も、綾でできた鼓を渡した時点で正気ではなかったと語り、
この悲劇のやり場のなさが強調されます。最後の場面で再び淵へと
消えていった老人の亡霊の行方も語られないままで、多様な解釈が
可能となっています。

もともと「綾鼓」は宝生流と金剛流にありました。喜多流の「綾鼓」は、
一九五二年に宝生流から贈られたものをもとに、歌人としても有名な
土岐善麿と十五世宗家の喜多実によって大幅に改訂されたものです。
「綾鼓」の類曲には「恋重荷」があり、観世流と金春流で上演されています。

また三島由紀夫は「綾鼓」をもとに「綾の鼓」という戯曲を作り、
法律事務所に小間使として勤める老人が、洋装店の客の女性に恋をする
という設定で、現代版に大胆にアレンジしました。
現代だからこそ訴えかけるテーマも本作にはあると言えるでしょう。

年を重ねても若々しい人は
自分で限界をつくらず
新しいことに挑戦してるから
年を重ねても美しい人は
いろんな経験や失敗を重ねて
自信を持っているから
年を重ねても魅力ある人は
自分の心と向き合って
ありのままでいるから
年を重ねるのは悪いことではなく
どのように生きたか

ネット上でこの言葉と出会いました。
私もこうありたいと思う気持ちと一つになった瞬間です。
がむしゃらに生きて来た人生に悔いはありません。
ただ一つ後悔があるとすれば周りの人達に迷惑をかけて来たことです。
自分の挑戦に付き合ってくれた家族や友人に感謝するのみです。
私はプロデューサーとして他人の人生を応援する立場です。
今の世の中このような人が現れれば救いになるなと思う気持ちが基本で
アーティストとの出会いにプロデューサーとして励んできました。

いつも新しい出会いがあり自然に若い文化の中心にいる気分でした。
友人も多岐に渡り大勢触れ合いました。画家、ファッションデザイナー、
レストランオーナー、起業家、映画監督、海外のクリエイター含めて
大勢の友人と熱く語り次の時代を豊かにするために夜通し話し合いました。

「時には昔の話を」
作詞:加藤 登紀子 作曲:加藤 登紀子

時には昔の話をしようか
通いなれた なじみのあの店
マロニエの並木が窓辺に見えてた
コーヒーを一杯で一日
見えない明日を むやみにさがして
誰もが希望をたくした
ゆれていた時代の熱い風にふかれて
体中で瞬間を感じた そうだね

道端で眠ったこともあったね
どこにも行けない みんなで
お金はなくても なんとか生きてた
貧しさが明日を運んだ
小さな下宿屋にいく人もおしかけ
朝まで騒いで眠った
嵐のように毎日が燃えていた
息がきれるまで走った そうだね

一枚残った写真をごらんよ
ひげづらの男は君だね
どこにいるのか今ではわからない
友達もいく人かいるけど
あの日のすべてが空しいものだと
それは誰にも言えない
今でも同じように見果てぬ夢を描いて
走りつづけているよね どこかで

私は今も多くの団体の役員や理事を務めさせていただいています。
高齢者と子供達を応援する団体にも所属しています。
そして新たな勉強会「糸紡ぐ会」も始めています。
勿論、音楽関係の仕事は続けています。
75歳のプロデューサーが50歳のロックシンガーを手掛けています。
この挑戦も世界初です。成功すればギネスものです。いや成功させます。
ファッションの新しいブランドを立ち上げるプロジェクトにも参加します。
「老人と孫」という対話集会で中心的な存在で活動もしています。

「フランスの男と女は、歳をとるほど恋をする」
フレンチ・シネマの中にある「恋愛の記録」を紐とくと、年配の男女が
手を繋ぎオシャレしてカフェで待ち合わせしている場面をよく観ます。
年齢を重ねた分だけオシャレにセンスの良さが光っています。
細巻きタバコを咥えてワイングラスを持っている姿がまるで
映画の一場面のようです。エスコートする男性の姿も様になっています。
最近ではミニマリストが流行っており物を多く持つのではなく、
身軽な最小の物だけで暮らすというブームです。
多くの人と交わるよりも、好きな人と貴重な時間を過ごす。大切なことです。

日本では仕事や子育てから解放されるといきなり年寄り扱いになります。
オシャレとは程遠い老人服と危ないからという理由で外での会食を制限されます。
私は堂々と人前で女性にハグをします。そして手も握りしめます。
大好きなワインもそれなりにいただきます。いつも未来の話に花が咲きます。

70歳の時に家内と一緒にNYへ行ったのですが、家内のリクエストにより
若者旅に挑戦しました。安い航空運賃と安いホテルのセットで出向き、
先ず飛行場でUberの登録をして車を呼びました。ブルックリンにある
ホテルは一般的なアメリカンスタイルのビジネスホテルでした。
小さな部屋でベッドと洗面所しかないような空間でした。

家内が観光はいらないからクラフト系の工場を見て回りたいとの要望で、
毎日地下鉄に乗って歩き回りました。70代とは思えない行動です。笑い
NYには家内の従兄弟が住んでおり時間のある時に、彼女の娘さん同伴で
街角にあるレストランへ食事に出かけました。地元の住民が大騒ぎしている
騒がしいレストランですが、気取った店より数段美味しかったです。
年をとってからのドタバタ珍道中でしたがとても笑いの絶えない旅になりました。

私が若者たちに伝える言葉の一つに「若き日には薔薇をつかめ」
というのがあります。その意味は若い時にはどんなことをしてもリスクを恐れるな、
バラを手づかみして傷ついても傷はすぐに癒やされる。
だから燃えるような情熱を絶やすな!
そして今私が高齢者になり枯れた薔薇と共に店先に飾られるようになりました。
それでもプライドとパッションは消えることはありません。
身体の不具合を感じながら老いることを楽しんでいます。
さあ、今日もライブハウスへ出かけるぞ!


学ぶとは




悪戯に学んでも意味のないことです。
勉強をする目的とそれから得られる価値を見つけ出さなければなりません。
戦前の勉強が戦後に役立つのか、その上にデジタル化された未来にも
役に立つのだろうか?日本の教育制度の見直しの時期にもきている。
多くの哲学者や仏教者は言う。幼き頃の勉強はその意味が理解できなくても
学ぶ心構えと学ぶ作法が身につくので必要である。

その上に知的好奇心が芽生える機会にもなるので学校へは通わせるべきである。
日本流の教育が良いか悪いかの論争が度々起こるが、悪戯に西洋の真似をする
必要は無い。唯一つ言えるのは教育者が学問追及の経験が無いことと
比例して、時代の変わり目に付いて行けないことが問題である。
これからの教師はインストラクターとして子供たちの学びに手を添えるだけになる。

太宰治「正義と微笑」より
勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業して
しまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、
大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り
勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、
将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。
勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。

覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベート
されるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん
暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。
つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、
社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。
学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。

けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの
砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。
そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。
ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!これだけだ、
俺の言いたいのは。~以下略

「真にカルチベートされた人間になれ!」学校の勉強や日々の経験などから
学び、人として耕されていき(洗礼されて)、学校で学んだことを無理に
直接役立てようとせず、焦らず良い人生を歩んでほしい。
といった意味になるでしょうか。
※cultivate=耕す、耕作する、磨く、洗礼する、養殖する、培養する、養う

太宰は日常の生活に役に立たない勉強でも人格を完成させる一つの要素で
あるとし、役に立たないかもしれない学問でも、すぐに忘れてしまった
としても、勉強という行為を通して人としての成長に繋がり、努力を
したことが尊いと語っています。
意味がない・役に立たないと思うことでも勉強を通して、
自分の身になるから人間には勉強というものが欠かせないのです。

子供にこの内容を伝えてもピンとこないかもしれませんが、
勉強に不必要な勉強はなく、勉強を通して成長できることを
この文章を見せて伝えることができるかもしれません。

勉強とは、賢くなることで、より適切な判断力が養える、
そして自分の将来の為になることです。無意味な勉強など存在しておらず、
自分の人間力を鍛えてくれるのです。
もし子供に「なぜ勉強するのか」と聞かれたのならば、しっかりと勉強の
必要性を答えて、子供の勉強のモチベーションをあげられると良いでしょう。

「人間は知るべき存在である」
人類は今、本当に危険な状況にある。6大危機(気候変動、第三次世界大戦の
危機、存在不安存在孤独、貧富の格差、脳疲労、AIの進化)、中でも本当の
危機はAIの進化である。ANI,AGIさらにASIへと進化をする前に、
人間の意識の爆発を起こさなければ間に合わなくなる。
タイムリミットは2030年であろう。もしかしたら前倒しになる可能性もある。

始まりも「知らない」、終わりも「知らない」。
そう、脳で知ることなどデータにすぎない。
人間には知るべきことがある。
いや、知らなければならないことがある。
そしてそれこそが法灯明である。

「ある小学校の校長先生が卒業生に送った言葉」
「ありがとう」の数だけ人は優しくなれる
「ごめんね」の数だけ人は賢くなる
「さよなら」の数だけ人は愛を知る。
学ぶとは知識を取り込むことであり、それをいかに活用するかが重要である。
学問に励み人としての自覚を養うためには心の学びが必要である。
何も難しく考える必要はない。

仏教用語に「百尺竿頭進一歩」というのがある。
この語は『無門関』『景徳伝燈録』などに出る唐代の長沙景岑(ちょうさけいしん)の
言葉で、「百尺竿頭(かんとう)さらに一歩を進む」と読みます。
道元禅師も『正法眼蔵随聞記』巻三に、「古人云く、百尺竿頭如何に一歩を進むと。
百尺の竿頭に登りて、足を放たば死ぬべしと思って、強く取りつく心あるなり。
一歩を進めよと云うは度世(とせい)の業よりはじめて、一身の活計(かっけい)に
到るまで、思い捨つべきなり。
それを捨てざらんほどは、如何に頭燃を払って学道するとも、道を得ること
叶うべからず。」と説かれております。

「百尺竿頭」は、30メートルほどの長い竹竿の先端ということで、
私ども人間が今生きている現実をいいます。私どもは、諸行無常・諸法無我の
ただ中に生きています。存在する全てのものは、時間と空間の束縛を受けますので、
刹那生滅しております。生命あるものは、死に向かって常に現象変化しております。
私どもは、まさに絶体絶命の断崖絶壁を生きる場所としていることを
自覚しなければなりません。

「さらに一歩を進む」は、長い竹竿の先端からさらに一歩を踏み出すことをいいます。
しかし、一歩を踏み出せば、真っ逆様に地上に落下してしまいます。
人生を生きるということは、危険であっても一歩を踏み出すことに他なりません。
私どもは一歩を踏み出せないので強固な「自我」をもつことになります。
しかし、絶体絶命の生命を前にして「自我」は何の役にもたちません。
自己を苦しめるだけです。

「一歩を進む」生き方は、自我を造る生き方を否定して、自然や生命を支える
自己の身心に感謝し、人のために生きる生き方をすることです。

如何でしょうか?
学ぶとは真似ることから始まり更に一歩先へと歩み続けることです。


神様がくれた耳




音楽関係に従事している者は全て耳がよいとは限りません。
音の聞き分けで重要な絶対音階を持っている人はほとんどいません。
しかしアーティストは最低限の音を見極める耳は持っています。
プロデューサーの耳は聞こえていない音を探り当てて磨きをかけます。
しかし音楽がこの世の中に何故必要かとまで考えた人は少ないと思います。
音楽に関心を寄せたキッカケは子供の頃からの習い事で始めた人、
単に趣味として好きだったから、音楽の華やかな世界に興味を持ったから
など人それぞれです。

クラッシックの偉大な作曲家の経歴を調べていくうちに
あることが分かりました。何故、あの時代にあれほど数多くの名曲が生まれたのか。
宮廷や貴族から莫台な資金が投じられたとしても彼らの才能は天性のものです。
17世紀~18世紀にバロック時代宗教音楽、鍵盤音楽、室内楽曲につぎつぎにと
生まれた作曲家たち。パトロンを満足させるために、また大衆を楽しませるために
作られた楽曲は、更に作曲家たちの持病を癒すためのものでもあったのです。

耳の聞こえなかったベートーベン、サバン症候群のモーツァルト、
躁鬱病のシューマン、鼻の中のポリープに悩まされたハイドンと
それぞれの病を抱えていました。当時はまだ治療方法がない時代です。
自分でその苦しみから逃れるために自身で作曲した音で
音楽療法を行っていたのだと思われます。
有名なのはモーツアルト「二台のピアノのためのソナタ二長調K448」です。
彼はてんかんの発作が起こるとこの曲を弾くことで癒されたと言われています。
現代医療ではてんかんの病にはこの楽曲を使うのが当たり前になっています。
偉大なる名曲の全てがそういう事情とは一概に言えませんが、私なりの推論です。

絵画の世界では耳を切り落としたゴッホ、鬱病に苦しんだムンク、
発達障害のピカソ、強迫神経症と統合失調症の草間彌生、
パーキンソン病の岡本太郎なども障害を抱えながら新時代の名画を数多く
残したのです。ですから一概に精神的病(やまい)イコールハンディを持った
可哀想な人と定義つけるのは間違っていると思います。
彼らが創り出した才能あふれる作品は愛好家だけではなく
世界中の人々に感動を与えているのです。

ここにこの様な話があります。

【神様がくれた耳】

アメリカの学校で理科の授業中
実験に使っていたマウスが逃げ
どこに隠れたのかわからなくなった
女性の教師はみんなに探させたが
見つからない

そこで全員を席に着かせ
自信たっぷりにこう言った
「これだけ探して発見できないのなら
あとは、モリス君にお願いしましょう」

途端に、ちょっと待って何でアイツが
という声があちこちから起こった
教室はざわめき、一人が
「モリスには無理です」
と手を挙げて言った

実はモリスは目が不自由なのである
教師は答えた
「なるほど、確かに目が不自由です
だからモリス君には無理だと
みんなは思うかもしれません
でも、先生は知っています
モリス君は目が不自由でも
神様から素晴らしい能力をもらっています

聴力です
それを生かせば必ず
マウスを見つけてくれると
先生は信じています
モリス君、お願いできますか?」
そして、モリスは期待に応えて捜し出した
そして、日記にはこう書き残した
「あの日、あのとき、僕は生まれ変わった
先生は僕の耳を神様がくれた耳と言って
褒めてくれた

僕はそれまで目が不自由なことを
心の中で重荷に感じていた
でも先生が褒めてくれたことで
僕には大きな自信がついた」
このマウス事件から十数年
神の耳を生かして音楽の道に進んだ
スティービー・モリスは
シンガー・ソングライターとして
鮮烈なデビューを果たす
スティービー・ワンダーという名前で!

皆様の耳は正常に音を聞き分けていますか?
正しい音は心を癒してくれますが、雑音に近い音は感情に悪影響を与えます。
モバイルを通じて流される音楽は圧縮音で本来の音ではありません。
インスタント食品を食べ続けると身体に害を与えるのと同じで、
モバイルの音を聞きすぎると聴覚が正常に働かなくなります。

聴覚のメンテナンスは森の中を歩くことをお勧めします。
野鳥の鳴き声や川の流れ、木々を通り過ぎる風の音に耳を澄ましてください。
ストレスが軽減されますよ。森の中の演奏会も開催されています。
マイナスイオンを胸いっぱいに吸い込んで心も体もリフレッシュしてください。
これからも神様から与えられた耳を大切にしてください。

次回は「良い音を聞く耳になるには」をテーマに原稿を書いてみます。


和にまつわる




和といえば先ず聖徳太子の十七条憲法を思い出します。

聖徳太子が十七条憲法の冒頭に掲げた「和をもって貴し(たっとし)となす」
という言葉は、元々「論語」が出典です。
孔子(孔先生)は紀元前5世紀頃の人物で儒教を確立しました。論語は、
孔子(孔先生)と弟子との対話形式の本で、中国と同じく、日本でも
任官試験として採用されていたので、多くの日本人はこれを学んでいました。

孔子の弟子の有若(ゆうじゃく)が、こう語っています。
「礼の用は和を貴しとなす。先生の道もこれを美となす。」
礼とは社会生活の規範ですが、それの実践にあたっては、和の心が根本に
なければならない。古代の聖王(真の王)の道が優れていたのも、
この和の心があったればこそだ、というのです。
しかし、有若は、「和」だけを最も大切なものとして、推奨している
わけではありません。彼はこうも語っています。

「しかし、どんな場合でも和の心さえあれば、十分だというわけではない。
いかにも和は大切だが、一方で礼による折り目が無いと、せっかくの和も
うまくゆかぬことがある。」
つまり、和だけが先行するのではなく、それと同時に社会生活の規範が
しっかりと確立されていなければならない、というのです。
この言葉を採用した憲法には、この考え方が根底にあったのです。

次に和といえば「平和」を思い浮かべます。
平和にはどの国も確固たる定義がありません。
果たして漢字で書く平らな和とはなんなのでしょうか?

「平和」という言葉はその語源は古くはなく、明治時代に英語の「PEACE」
という言葉の訳語として造語したらしい。
といっても、日本にそれと似た言葉があり、それはある説によると、
「和平」という言葉だったという。

この言葉の意味は「和(やわらげ)平(たいら)」にするというほどのものだが、
要するに言葉などで相手を説得し服従させるということ。
相手が屈服しなければ武器をもって征服するという意味も含められている。

奈良時代の言葉を集めた『時代別 国語辞典 上代編』(三省堂)で、
「和平」を調べてみると、どうやら「平」はまだなかったようで見当たらないが、
和は「やはす」という項目にある。意味は、「静め和らげる」とあるが、
もう一つとして、「討ち平らげる。平定する」とあるから、武器を放棄した
平和ではなく、武器によって戦争をし相手を倒すという意味を含んでいた
言葉であったことがわかる。

古代人にとって、「和平」とはそのような意味をもっていたのだが、
それは現在の国際政治にも通じる概念でもあるだろう。

そしてアイヌやアメリカンインディアンの会議を思い出します。
部族の長老を囲み円陣の中で対話が行われます。
テントの中で長老を中心に男たちが集まり酒かタバコを回し飲みして誓いを立てる。
それぞれの部族の責任者が問題を定義する。別の人間がそれに自分の考えを述べて
解決方法を考える。最後に長老が民族の歴史を語り決め事を語り
適切なアドバイスをして会の終わりを告げる。
全員の気持ちを一つにして参加者全員が共和の意識を統一させたのです。

そして今の時代に大切なのは「調和」である。
日本が最も得意なのが調和である。
家屋も生花もお茶も庭園も全てが調和で成り立っている。
自然を際立たせて陽の光と影を、家の中に取り入れる技は日本独特の世界である。
これからのデジタルの世界では人間の持つ感性の技を必要としなくなる。
あくまでも感性も技術の一つとして取り入れるだけになる。
しかしそこに人情の機微は映し出されないのである。

【「無為自然(むいしぜん)」と老子(ろうし)の関係と来歴】
「無為自然(むいしぜん)」は、禅宗における教えとして広まったものの、
その根底には古代中国の道教思想が影響を与えています。
老子(ろうし)は、道教の創始者とされる哲学者であり、『道徳経』という
著作が非常に有名です。

無為自然の考え方は、老子(ろうし)の『道徳経』において強調されている
「無為(無爲)」という概念に由来します。無為とは、無理に行為や介入をせず、
自然の流れに任せて物事を進めることを意味します。老子は、無為を
実践することで、人間社会も自然界と同様に調和し、円滑に機能すると
主張していました。

禅宗は、中国で成立した仏教の一派であり、老子の道教思想や無為の
考え方が取り入れられました。禅宗は、瞑想を通じて悟りを得ることを重視し、
心を無為自然な状態に戻すことを目指しています。そのため、「無為自然
(むいしぜん)」という言葉は、禅宗の教えと古代中国の道教思想が融合した
形で広まっていったと言えます。

皆様にとっての「和」はどのようなものでしょうか?
「和」の字の成り立ちは、粟の穂のまるくしなやかにたれるさまを描いた
象形文字。丸い穴とも縁が近く、角が立たない意を含みます。

皆様も和のこころを大切にしておだやかな人生をお送りください。


行間を読む




世の中全てに対して、私と相手、宇宙と地球、自然と人間、言葉と思いなど
常に「と」がつく行間を読まなければならない。
日本では哲学を教えないから決められたことが正しくて、疑いを持つなと
教育される。城主と武士の「と」を読めずに武士道などが美化される。
社長と社員の関係も疑問を持たず全てに従う従順な社員は出世する。
反対に多くの疑問を持つ人間は必ず村八分の制裁が待っている。
ママ友しかり知ったかぶりの高圧的なママがあれこれ指示する。
これに意を唱えれば子供に被害が及ぶと若いママは恐怖に囚われる。
昔も今も変わらぬ「と」のいじめの構造である。

果たして「と」は何か?とは全てを繋ぐ「と」を誰も教えてくれなかった。
たとえば正義と悪と書いた場合に、何が正義で何が悪か分からない時に
どちらかを選べと言われたら答えに窮する。
学校で学んだ一般的常識で判断することが正しいとは限らないからである。
必要悪は本当に悪いと判断して良いのかと悩みますね。

しかしある時に谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を読んだ時にその謎が分かりました。
「と」は影である。明るさと暗さの間にある影だと気づいた。
掴みどころのない存在だけど光のあるところには必ず存在する。
いわゆる「と」は甲と乙の間に存在する影なのである。
確かに目に見えるのだが自分から形は作れない。

物思いに耽りたい時など、あなたの関心事や問題意識に照らし、
そうした閃きや気づきの抽象化(一般化)を進め、あなたのオリジナルの
「メタ認知」へと昇華させてみては如何でしょうか。
きっとあなたの思考空間は一層活性化され、関心事や問題意識にたいする
ロジカルな仮説へ至る歩留まりが高まることでしょう。
あなたの思考ロジックを相対化して、行間に潜在する他者の知性に触れること、
世代を超えて読み継がれてきた名著や世界中で多くの読者の手に取られている
書籍の行間に潜在するであろう時・空を超えた知性にも触れることができます。

便利と不便を考察する。
人間は便利さを求めて今日まで科学が進化してきた。
コンピュータの世界は便利さを求めた究極の世界である。
そのために人々は使いこなすために時間とお金を費やしてきた。
何もしないでも世界の隅々まで声と顔が移動できることに一喜したのである。
果たしてこれは本当に便利なのだろうか。
コンピュータとの対話は五感の喜びが何も感じずに手放しで喜べない
不思議な感覚である。何故なら常にコンピュータが支配するからである。

私はどちらかと言うと不便さを求めて生きてきたのだと思う。
不便だから知恵を絞って工夫をする。そこに面白味が生まれる。
一つの経験からまた次の進化に向かって歩み続けることができる。
そこには真実があり達成感もあった。

AIが出来ないのは未来に対して創意工夫が出来ないことである。
いくらデーターから紐解いて予測してもワクワクドキドキ感は生まれない。
自動運転の車や人も運ぶドローンが出来ても喜ぶのは誰だろうか?
人生のサポートが出来ても未来を描き感動は作れないのである。
生まれたばかりの赤ん坊は自分で表現ができるようになり歩けるようになる。
そして言葉を覚えて両親と抱きしめ合うことを喜びとする。
両親にとっても子供の成長の過程は何者にも変え難い貴重な体験となる。
コンピュータから触れ合う喜びは作れない。

AIの得意分野は医療関係と聞いている。過去の症例を見つけ出し素早く
処置ができるので難しい病気を抱えている患者には朗報である。
しかしAIが誕生から死亡まで管理することになると如何なのだろうか?
育児も子育ても過去の症例から最適なものを選び出し管理すると優秀な
アンドロイドが生まれても優秀な人間は生まれないはずである。

照れ屋で引っ込み思案の女の子の声や仕草で感情が読み取れるのだろうか?
性格がキツめでたくさんの人には好かれないが、特定の人には好かれることも
ある。痘痕(あばた)があってとてもとても美人と言われなくても、愛嬌ある顔だと
好む人もいる。おっちょこちょいで仕事のミスも多いが真面目で根気があれば
職場の人気者として活かされることもある。人はそのままでいいんだよ。
そのままが一番いいんだよ。無理をしなくてもいいんだよ。にんげんだもの。

この時代はますますコミュニケーションが下手になります。
SNS上のやり取りには行間がありません。やりとりが便利になった分
感情を入れる必要がなくなったからです。
家族や親類の人たち、仕事上の同僚先輩たち、
地域の活動で知り合った友達、上手く話せなくても会話は必要です。
出来ればたまには手書きのお便りも出すのも良いかもしれません。
何かプレゼントをする場合にも一言添えて渡す方が喜びも伝わります。

私は子供の頃に少し不遇な経験をしました。そのお陰で敏感に行間を読むことが
出来るようになりました。オーディションで新人を選ぶ時も、レコーディングの時も、
プロモーション活動の時も、その人が発する波長からベストパートナーを
選んだのです。その甲斐があって多くのヒット作品に巡り会ったのです。
決して肩書きや推薦文や事務所の大きさで判断したことはありません。
アーティストの才能と世の中のニーズを考えてベストタイミングを作りました。

私が傲慢で偉そうにしていると業界では定説になっていました。
しかしヒットの数が多いので面と向かって誰も意見を述べた人はいません。
決して誇れることではありませんが本気度が強く表面化していたのです。
私は担当したアーティストやタレントと一対一の関係を結びました。
私の想像するスターの道へと導くためにです。スターはいつでも見つめることは
できるが、手の届かないところに存在しているというのがプロデュースの基本でした。
そのために制作中は家族とのコミュニケーションも取らなくしていました。
今でも家族からはあの時のパパは偉そうにしていて大嫌いだったと言われます。

今では仕事とプライベートは分けられるようになりました。
高齢者への配慮も、若者たちとの対話もスムーズに取ることが出来るようです。
ある意味好々爺的な雰囲気で会話を始めているからでしょうか?笑い

あなたは行間を読んで人生を楽しんでいますか?
行間を読むとは自分の感性を楽しむことです。


空虚な日々の過ごし方




順調に仕事がまわっているのに突然何もかも投げ出したくなる時がある。
家族や友人と仲良くやりながら生きているのに心が空(から)になる時がある。
信頼は積み重ねることが大切だと分かっている筈なのに急に仲間に背中を向ける。
何もかも捨ててゼロから挑戦を始めたくなる。もう何度目だろう・・・

これは仏教でいう五陰盛苦(ごおんじょうく)の世界である。
五陰盛苦とは人の心や身体を形成している、感覚や欲求、
意識からくる全ての苦しみ。自分をコントロールできない苦しみなど
心身ともに安定しているのに突然虚しさが襲って来る。
五体健全なのにやりたいことが出来ない苦しみを味わう。

愛があるから幸福ではなく愛が失われて不幸だと思うところにも幸福はある。
方丈記「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶ
うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」
愛も同じように年月と共に変化をして、もとの愛ではないことを知るべきである。
「諸行無常」世の中の一切のものは常に変化し生成して、永久不変なものはない。

一度だけ成功を望む人は一度山へ登頂した人と同じで、
登ることだけに神経を集中して下ることを忘れていることが多い。
成功で得た財産などの数値で測れる成功や幸福は一瞬にして消え去る恐れがある。
しかし数値で測れないところに「利他心」というおもいやりの行為がある。
満足とは何、完璧とは何、幸福とは何、他人との比較の中に
決して答えは含まれていない。

一般的に「人間とは」教育で論理的に定められた常識が正しいと判断する。
それぞれが思い込みの理屈に従って意識を持って行動する。
しかし「人は」情緒的に判断をして好奇心の赴くまま無意識に行動する。
「人間」は数字的に増えることが成功だと勘違いしている。
「人」は資源を減らさないことが大切だという事を言い続けている。
ここでいう人間とは意識の上で行動してゴールを目指す人。
私のいう人とは無意識のうちに行動して歓喜を味わう人のことをいう。

戦前の日本では誰もが無駄を減らすことが「真善美」の極致だと
教えられてきたのに、戦後アメリカの占領地政策により
自由経済が施行されて増やすことが幸福なのだと徹底的に植え付けた。
そのために各地の街中に家庭の中に不要なものが溢れかえった。
我々日本人はまるで糸車の中を走るモルモット状態で
終わりの見えない自由経済の輪の中を走り続けている。

人は山の木を勝手に折らないし、道端の花も勝手に摘み取らない、
ましてや海や川にゴミを捨てるなど決して行わない。
人間は自分本位で行動して自分の快適さを追求する。
他人の迷惑など考えずにレベルの低い本能で振り回される。
人は他者本位で行動して共存を望み永遠を追求する。
これは縄文時代には当たり前のように考えられていたことである。

息苦しくて理不尽な社会にふと空虚な日々が襲ってくる。
この辛さから逃げ出したくなる。
このような気分になるのは病気でなくても起こるときがある。
これは恥ずかしいことでは無く結構人間なんて弱いものなのです。

しかし、皆様も知識として知っておいてほしいことがあります。
最近若年層の自殺が増えてきています。
心が未熟故に早い内から死を選択します。

先日、友人から送られてきたメールにこのような警告文がありました。

自殺行為は「衝動」です。
本当に辛い時には、誰でも前触れもなく突然襲ってきます。
「衝動」は、突然襲ってくるのです。

もし突発的に自殺行動の衝動が起こったら
*しゃがみ込む
*自分で自分を抱きしめる
*助けを求める
*身体を動かす(顔を洗う、ホットタオルで首や顔を温める)など、
衝動を逃すための行動をとって耐えてください。

自分で自分の身を守ることはできるのです。
あなたも、あるいは周りで誰かを支えているあなたも
このことはぜひ知っておいてください。お願いです。
三鷹カウンセリングルームリバイブ 小島知子さんより。

頭の中では満たされていると思いながら
心の中にはポッカリと穴が空いています。
今の気持ちは言葉にも文字にも表せない激しい苦悩に襲われる。
大海の孤島に漂流した遭難者の様に生きる術が見つからなくなります。
相談する相手も見つからずどんどん悪い方へ追い詰められていきます。
助けて欲しいというシグナルは発信しているのに誰にも気づいてもらえない。
このまま孤独に追い込まれるなら命を断った方が良いのかと考える。

仏教用語にこのような言葉があります。
不立文字(ふりゅうもんじ)とは、
「(お釈迦さまの教えは、)文字で伝わるものではない」という意味です。
「文字で伝わるものではない」という意味をもう少し詳しく説明すると、
経文から離れて、お釈迦さまのようにひたすら座禅をし、
からだで体験することで悟りを実感しなさい、ということです
また、悟りの境地は言葉で説明することができないという意味も込められています。
私なりの解釈で言うといわゆる真理や悩みは文字に表せないということです。

身心脱落(しんじんだつらく)とは、
曹洞宗(そうとうしゅう)を開いた道元(どうげん)が
悟りを開いたきっかけになった言葉で、
「身体も精神も束縛から解き放たれること」という意味です。
道元が中国へ禅を学びに渡っていたとき、
師匠が、座禅中に寝ていたお坊さんをしかりました。
「座禅をするのは身心脱落のためである。居眠りしていては悟りを得られないぞ」

この師匠の言葉を聞いたときに、突然ひらめいた道元は、悟りを開きました。
そして道元は師匠に「悟りました」と伝えるために、
「身心脱落」と言ったと伝えられています。
ちなみに、道元は只管打坐(しかんたざ)という言葉も残しています。
これは、「ただひたすらに座ること」という座禅の心得を表した言葉です。

迷ったら悩みの壁から逃げるのではなく壁の前で壁を見つめることが大切です。
「何故」という疑問に立ち向かうのは行動あるのみです。
心が疲れたら身体を疲れさすことです。身体が疲れたら心に集中が出来ます。
今、空虚な日々を送っている方とことん悩んだら立ち上がり歩き始めてください。
山へ行って大声上げて「馬鹿野郎」と叫べばスッキリしますよ。
海へ行って誰もいないところで大声上げて泣くのも良いですよ。
心も体も疲れたら解放してあげましょう。心身脱落になりましょう。


ヒットの作り方




世界的に有名なビートルズのヒットの方法が紹介されていました。
しかしこれは売れる方式の表層の一部です。
マーケターが分かりやすく一部をデフォルメして発信しているだけです。
しかし間違いではありません。私も何度も同じ手法を使いました。

新人のアーティストを担当した時に先ずはサクセスストーリー(計画表)を
作ります。このアーティストがどのエリアからどの年齢層に受け入れられるか
考えます。そこには楽曲の良さはもちろんアーティストの見た目にも発言にも拘ります。
その設計図をもとに雑誌社や深夜番組やテレビの音楽番組に売り込みに行きます。
少し状況が見えてくれば代理店へ行きCMなどのタイアップをお願いに行きます。
タイアップが決まれば人気テレビ番組へ出演が可能になります。

地方の放送局へも足げくかよい有線放送局へも新聞社にも挨拶に行き名前を
覚えてもらいます。地方へ出かけた時には必ずレコード店にも行き店長への
ご挨拶も欠かしません。そうすれば発売と同時に面出しをしてくれます。
(面だしとは棚に並べられたCDの一番前に置くことを言います)

時代によっては人間味を表に出すために若者のファッションを、
そのまま取り入れることもありました。ジーパンにスポーツシャツ的な感じです。
浜田省吾はそのイメージで世の中に定着しました。
アーティスト写真やアルバムの写真などにも拘りました。もちろんデザインも重要です。

私はプロデューサーとして頭の先からつま先までイメージ作りに励みます。
その中でも一番記憶に残っているのは久保田利伸の時です。

ロンドン在住のデザイナーKOSHINNO MICHIKOから依頼があり、
これからデビューするアーティストに洋服を提供したいとの申し入れです。
スティングやボーイジョージなどのデザイナーとして有名な方との
コラボレーションです。興奮しました。
先ずデビュー前の久保田利伸のデモテープを送り気に入っていただきました。
出来るなら普段の洋服から、取材用、ステージ用と全てをMICHIKO LONDONで
統一したいとお願いしたところ快く快諾していただきました。

日本ではまだMICHIKO LONDONは知られていないブランドだったので
マスコミ用にファッションショー企画をしました。
演出を秋元康に依頼して当時貸し出しが難しかった蔵前の国技館で行ったのです。
そしてショーの中盤で新人の久保田利伸が登場して歌を披露多くの取材陣は
色めきだった。日本人初のR&BシンガーがMICHIKO LOMDONの服を着て
歌とブレークダンスを披露したのですから会場は大盛り上がりでした。
その後はご存じの通りMICHIKOも久保田も大ブレークしたのです。

私は英国でビートルズのサクセス・ストーリーを聞いていました。
私のプロデューサーとしての手法は英国で学んだことがお手本になっています。

今回はネットに立ち上がっていたこの記事をご紹介します。
『ビートルズ』に9割の人が魅了されてしまう理由とは?

20世紀を代表する音楽グループ、ビートルズ。
みなさんご存知の通り、若くして成功を手に入れたバンドグループの1つですよね。
 
ビートルズといえば…..
『Let it be』や『Yesterday』、『Hey Jude』など、多くの大ヒット音楽を
手がけています。
実は、このビートルズの大ヒットには、とある仕掛けが隠されていたのです、、、
もちろん、天才的な「ジョン・レノン」「ポール・マッカートニー」「ジョージハリスン」「リンゴスター」

彼ら4人の歌唱力やスター性、彼らの才能が素晴らしかったのは
いうまでもありませんが…

実は大ヒットの理由はそれだけではありませんでした。。
大ヒットの秘密、それはビートルズのマネージャーの巧みな『見せ方』に
ありました。
その男の名前は「ブライアン・エプスタイン」
当時のビートルズは地方都市の人気バンドの一つにすぎませんでした。
 
当時、その地方には同じように300組くらいのロックグループが成功を
夢見ていたのです。
300組も競合がいたのですから、ものすごく競争が激しいのがわかると
思います。
  
そんな状況の中、あなたなら、どのようにまだ無名のビートルズを大ヒットさせますか?
周り競合のグループは、自分たちのことを多くの人に知ってもらう為に、
ひたすらレコードをかけて回ったり、曲の素晴らしさをポスターで伝えたりして
いました。しかし、ブライアンは違いました。
彼はその前に『あること』に拘ったのです。それは、、、
『不良の音楽』というイメージの払拭。
 
彼は、大衆に愛される音楽グループにする為、当時ロックグループにあった
『不良の音楽』というイメージの払拭を行いました。
具体的に何をしたのか?というと、、
ブライアンは、まず50年代のエルビス・プレスリーがなぜ大ヒットしたのか?
を入念に分析しました。
そして音楽ビジネスを大きく育てる為には、ただ単に良い音楽を聞かせる
だけではダメだ。
という結論に至り、印象付けを上手にしていくこと、つまり『見せ方』に
こだわる必要性に気づいたのです。

それからというもの
・スーツとネクタイをメンバー全員に用意
・ヘアスタイルはリーゼントからマッシュカットを採用
・コンサート演奏で1曲終わるごとに全員でのお辞儀を徹底させる
などして、他の『不良な』グループのイメージとは違い、『礼儀正しい』
グループのイメージ戦略を徹底して行いました。
 
そうやってブライアンは、ビートルズというグループの「見せ方」にこだわる
ことで、そのほかのロックグループとの違いを作り、注目させ、世界トップ
クラスの超人気バンドグループを誕生させたのです。
 
世の中に良い音楽はたくさんあります。そして、我々消費者は、作り手が
思っている以上に、音楽の品質の違いを理解していません。
つまり、どれも同じような音楽に聞こえてしまうので、存在を知ってもらう
だけでは、買ってくれないのです。
音楽の見せ方を変えて、はっきりと『他とは違う音楽』に見せなければ
いけません。
実際、ブライアンの手がけたビートルズは素晴らしい逸材でしたが、
それだけではなく「見せ方」にこだわったことで、他とは違うグループとして
注目され、成功していますからね。
 
「良い音楽が売れる、悪い音楽が売れない、ではなくて、その音楽の良さが
どう伝わるか?が大事なんです。
その音楽の良さを、どのように見せるかによって、消費者が受け取る心理的に
ブランド価値や満足度、印象が変わります。見え方で全てが変わります。」完

私は音楽プロデューサーとして必ずヒットさせることが仕事です。
幸運にも少しだけヒットに恵まれたのはマーケティングの手法を取り入れたからです。
74年当時はマーケティングという言葉も一部の人間しか使わない言葉でした。
私なりに英国で学んだことと自分なりの考えを取り入れて実行しました。
それが功を奏したのです。

ヒットは偶然に生まれません。偶然を創り出すのがヒットです。
今世の中で何が求められているか知るアンテナ(感性)が必要です。
報道や雑誌からまた他人の言動からそれを引き出すのです。

ヒットを作るのは思ったほど大変ではありません。


音楽で革命




音楽は時代の中の文化と経済の推進力としてまた潤滑油としての存在がある。
素晴らしい楽曲は多くの政治家や科学者にも多大なる影響を与えてきた。
そして一般大衆の政府に対する不満や怒りに対しても同調したり慰めたりもした。
しかし時には戦いに出向く兵士の士気を鼓舞する役目も果たしてきた。
音楽は現実を見つめる目であり理想に心躍らせる鎖でもある。

「音楽で革命の成功はない」と言い切る大学教授がいる。
「Wood stock」も「We are the World」も何も成果を残していない。
音楽からは何も革命は起こらないと言い切る。
自身もロックを愛好しているというのに不思議な発言である。
この教授は木を見て森を見ずの唐変木である。

革命は武器を持って戦うだけではない。
武器を持たずして楽器を持って戦うこともできる。
人々に愛国の精神と立ち上がる勇気を与えることも
音楽の大きな成果として認めるべきである。

ジャマイカで起こったレゲエ(音楽)革命。
1978年、ボブ・マリーはジャマイカに帰国し4月22日にキングストンで
「ワン・ラブ・ピース・コンサート」に出演する。そして「Jamming」の演奏中、
マリーはコンサートを見に来ていたマイケル・マンリーとエドワード・シアガの
二大政党の党首をステージに上に招き、和解の握手を結ばせて争いを収めた。
政党間の争いが市民活動にまで飛び火して殺人事件が頻繁に起こっていた。
ボブ・マリーも銃弾に倒れて瀕死の重傷を負いながらのステージに上がった。
後に、コンサートに出演した理由を尋ねられた時に「この世界を悪くさせようと
している奴らは休みなんか取っちゃいない。それなのに僕が休むなんてことが
出来るかい?」と語った。

岐阜県中津川で起こったフォーク(文化)革命。
1968年日本では岐阜県で開催された中津川フォークジャンボリーは
地元の青年団が企画運営をして3年間やり続けた。
それを起点としてメッセージ・ソングという新ジャンルが生み出された。
若者たちが自由に音楽でメッセージを出せる時代へと変えたのである。
そこから多くのフォークシンガーが誕生して全盛期を迎えた。

彼らは一様にマスメディアに出演することを嫌い、コンサート活動を中心に
動いていた。売れないことを美化して、売れると歌手を批判する気風があった。
その中で吉田拓郎が口火を切ってヒット曲を出と、井上陽水も泉谷しげるも財津和夫
なども参加してきた。一気に若者たちの心をつかみブームが起こったのである。
ようやくマイナーなジャンルが市民権を得たのである。

ヒット曲は単に金儲けではなくヒット曲がメディアに取り上げられると、
音楽にあまり関心もない大勢の人が耳にすることになる。
それまで支流だった演歌や歌謡曲と肩を並べてレコード店に置かれ、
そこから一気に音楽業界の流れが変わりニューミュージックという
ジャンルにまで発展していった。

世界は何で構成されているかを考えた時に権力と財力と知力を持った
人間が自由経済という名目で思うように動かしている。
メイスンファミリー・ロスチャイルド・カーネギーなどである。
大衆は彼らの掌の中でもてあそばれているだけで、
いくら働いても彼らが儲かる仕組みになっている。
せめて娯楽でも無ければ貧困層や若者たちから暴動が起きる。

英国ではリバプールからデビューしたビートルズが世界中を音楽で
巻き込み若者たちの意識を変えていった。
ビートルズは”ビートルマニア”と呼ばれるファンの一大現象を引き起こした。
彼らは1960年代前半に多くのファンを獲得したが、ビートルズは可能性の
世界を切り開き、お金と時間に余裕のある10代のファンたちを元気づけた。

1960年代のカウンター・カルチャーについて論じたティモシー・リアリーは
ビートルズが「陽気で自由な若者という新たな人種を生み出すほどの不可思議な
力を持っていた」と語っている。

そうしたファンのひとりにスティングがいた。彼が13歳の誕生日を迎えた
1964年10月2日、アメリカを席巻したばかりのビートルズは『Shindig!』
というテレビの特別番組の撮影をしていた。「ビートルズは僕の少年期を形成したんです。
教育のようなものでした」とスティングは話す。
「彼らは非常に似たバックグラウンドをもつ。イングランドの工業地帯、労働者階級
の生まれです。彼らは自分で曲を書いて、世界を征服した。
それが、彼らを真似ようとする多くのイギリスの少年たちの青写真になったんです」。

ビートルマニアの現象は世界中に広がり、キューバのミサイル危機の混乱
冷めやらぬ冷戦期にもかかわらず、共産圏諸国の若者の間での西洋文化への
見方を変えることにも繋がった。

有力な社会歴史学者のアーサー・マーウィックは、ビートルズが
”All You Need Is Love / 愛こそはすべて”というメッセージを発信することで
若者たちの行動原理を変え、”自己表現の権利の小さなルネッサンス=復興運動”
を先導したと論じている。

反戦運動や平和を歌ったジョン・レノンの作品「Imagine」は、50年経った
今でも変わらない意味を持っている。「私が信じている総論はこうです。
自分が13歳の誕生日を迎えたとき、国民はジョン・F・ケネディの暗殺で
深い憂鬱に沈んでいた。みんなが、気が晴れるような何かを必死に探しているときに、
ビートルズが現れたんです」。

リトル・スティーヴンはそう語る。「ビートルズが何より先に曲の中で
伝えたことは、抑えられない喜びだと忘れてはいけません」。

私の持論としては音楽で革命は何度も起こっている。
カリスマ性を持ったスターの楽曲は時代を震わせ、若者たちの行動を変えて
文化を形成するのです。兵士の中にいる若者たちも戦いから平和は作れない
ことに目覚めて武器を置く者もいるのです。

日本の年配のスターたちが社会に影響を与えるような楽曲が作れないのが
残念で成りません。いつまでもLOVE SONGSを歌う神経が分かりません。
お金持ちになると世の中の現状を見ないようにしているのでしょうか。
今、世界は!日本は!大変な状況ですよ。

同年代を生きて来た音楽プロデューサーの独り言です。
世界のアーティストへ音楽の持つ魂だけは忘れないで欲しい。
音楽で革命は起こるのです。