隠された真実




私は以前からたくさんの見識者と言われる人たちとの会話を楽しんできました。
真偽は別にして大方の話は小説を読むようでハラハラドキドキの連続です。
もしこの事実が本当ならば我々一般人は何を信じて生きて行ければよいのか迷う。

我々が受けて来た教育は勝者の理屈で塗り固められている。
特に戦争における裏事情は知れば知るほど背筋が凍るようである。
地球と言う舞台の上で何が行われているのか、
そしてその筋書きは誰が書いているのか?
人口を増やすことは消費者が増えることで経済が潤う、
しかし高齢化が進むと消費には役に立たないので一気に減らす方法を取る。

その為に定期的に人減らしが行われてきた。それは「戦争」という手段と
ウイルスで病人を作り殺す方法である。
なぜ突然コロナの感染症が世界中で蔓延したのか?
なぜウクライナをはじめパレスチナで戦争が始まったのか?
世界が一触即発の元凶は何処なのか?
今、宗教戦争から民族戦争、はては食料とエネルギーの奪い合いで
大国がみな戦々恐々としている。

ここ近年海水温の上昇で自然災害が全世界で頻発している。
二酸化酸素問題でオゾン層が壊れていくと2006年京都議定書会議で
騒いでいたのは何故消えてしまったのか?
地震や豪雨による自然災害が増えて家も財産も失う人が増えている。
地球は叫び声をあげているのに無視する国がほとんどである。

日常メディアやSNS上に流される情報は殆どがフェイクニュースです。
これらに踊らされていると低俗な野次馬になってしまいます。
今回、紹介するこの情報も真偽は分かりませんが、
信じるのも信じないのもあなた次第です。

「人類がまだ知ってはならない事」
キャンディス・オーウェンズは連合国が戦後約1,200万人のドイツ人を
民族浄化した事を明らかにしたBBCのドキュメンタリーについて言及した。
子供達は整列してなぎ倒された。
女性達は残忍にレイプされ、その後多くの女性が自殺した。
ヒトラーは地球史上最大の殺人鬼として描かれていますが
統計的には間違っています。1986年、作家の故ジェイムズ・バック氏は
戦争終結時にアメリカ人が数百万人のドイツ人捕虜を意図的に餓死させた事を
示す政府文書、インタビュー、目撃証言に出会った。
これは史上最悪の戦争犯罪の一つと言えるでしょう。

1997年に彼は著書『犯罪と慈善』を執筆しベストセラーとなった。
その中で彼は1945年から1950年の間に少なくとも1,000万人、
そしておそらくはさらに数百万人のドイツ人がどのようにして
亡くなったかを明らかにしている。
彼はアメリカ政府が意図的にドイツ国民を飢えさせていたという証拠を発見した。

主要な新聞や雑誌は彼の本を出版しないよう大きな圧力をかけられた。
彼は盗聴され、メールは傍受され、アーカイブへのアクセスは拒否されました。
ヒトラーは英米人の銀行家たちのプロジェクトだった。
しかし科学とメディアの欺瞞のせいでイギリス人とアメリカ人は依然として
史上最大の解放者として称賛されています。
実際、彼らは史上最も偉大な大ファシストです。

米国秘密情報部のトルーマン・スミスは1922年にはヒトラーと面談し
ヒトラーが第二次世界大戦計画のカリスマ的開始者であることが決定された。
ヒトラーは15年間、ロンドンに定期的に旅行していたエリートアメリカ人
「美術商」エルンスト・ハンフシュテンゲルとその友人フランクリン・ルーズベルト
によってホワイトハウスで世話され、教育され、資金提供され、保護されていた。

キャンディス・アンバー・オーウェンズ・ファーマーはアメリカの保守系の作家、
政治評論家、政治活動家である。
当初はドナルド・トランプ大統領や共和党に批判的であったが、
その後、支持に転じた。ブラック・ライヴズ・マターや民主党にも批判的である。
20世紀の謎ナチスはウイーンが発祥ウイーンの國體はハプスプルク
ナチスに資金提供したのはウオーバーグ國體政略です。

若い頃から私の疑問は「明治維新」でした。
我々の知っている明治維新は司馬遼太郎が書いた「竜馬がゆく」からの物語です。
坂本龍馬も西郷隆盛も勝海舟も伊藤博文も大隈重信も時の人と
もてはやされましたが忘れてならないのは吉田松陰です。
彼らは僅か20代の青年に教育を受けたのです。
討幕の為に地方の下級武士が草莽崛起を合言葉に集結して
幕府に改革を迫ったのである。

しかしそこでの私の疑問は坂本龍馬でした。
いくら優秀な人間としても土佐藩の脱藩武士である。
その男が日本国中を駆け巡った旅費は誰が出したのだろうか?
長崎に商社を立ち上げて船まで購入している。どう考えてもおかしい!
その上に海外の鉄砲などを売り歩いたことにも解せないのである。
田舎の下級武士だった坂本龍馬には謎が多すぎた。

ある時に大学の先生から明治維新の真相なる話を聞きました。
そこでは驚くべき事実が判明した。
我々が知っているのは歴史の表側で、裏側の事実を誰も教えてくれていない
ことに愕然としました。

1853年~1857年アメリカで起こった南北戦争はフリーメイスンが仕組んだ。
そして、そこで使われた武器が日本へ売られて使用された。
幕府はフランス政府、薩長はイギリス政府、その武器を取り扱うために
選ばれし武士たちはロンドンで学びフランスでも学んでいた。
海外から莫大な資金援助を受けて武器も持たされて明治維新は展開したのである。

その後1894年に日清戦争が起こり、1814年日露戦争が起こり、1824年には
第三次世界戦争へと続いたのである。日本は強かった日清戦争も日露戦争も
破竹の勢いで勝ち続けたのである。それを脅威に感じたアメリカは財閥と組んで
戦争を仕掛けてきたのである。それも原子爆弾を携えてである。

ディープステートと言われる闇の政府・闇の金融機関が手を組めば
戦争も感染症も自然災害も世界の金融市場も意のままに操れるのである。
知ってどうするのか、使い物にならない情報などゴミと同然である。
我々一般庶民に真実など腹の足しにもならないので耳をふさぐだけである。

多くの人が勢力争いの渦の中で混乱をしている。
情報の真偽が分からないのなら聴くだけ混乱するので
話さないで欲しいと言われる。
死にゆく人の耳元で真実を伝えても役に立たないのと同じである。
それでも私は出来る限り真実と言われることは知りたい。
素人なりに隠された秘密があるのなら暴いてみたいのが本心です。

これらのことに興味がある人は一緒に学びませんか?
私が師と仰ぐ先生が山梨の北斗市に研究所をお持ちです。
そこで一泊二日の勉強会を開催することもできます。

多くの方は知っても得がないなら知らない方が良いと言います。
しかし、真実を知って現実を生きた方が納得がいくと思います。
「学びて時に之を習う亦説ばしからずや」論語
過去を知り未来を語るのは楽しいことですよ。


四人の妻




私は仏教書の中にある譬え話が大好きです。
キリスト教信者が毎日聖書を読むようにことあるごとに読んでいます。
人生に行き詰まった時には自分に置き換えて振り返りをします。

本日のブログはブッダの教えから「四人の妻」を紹介します。

四人の妻
釈尊の説法に、ひとつの譬え話があります。つぎのようなお話です。
昔、あるところに四人の妻を持つ男がいました。

彼は第一夫人をとても愛していました。毎日化粧をさせ、寒いにつけ
暑いにつけ彼女をいたわり、欲しいものを買い与え、行きたいと
言うところには連れて行き、食べたいものは何でも食べさせ、
寵愛していました。

また第二夫人は美人の誉れ高く、浮気をされないよういつも気にかけ、
外出の時は常に連れ出し、家に帰ってからは鍵のかかる部屋に入れ、
勝手に出て行かぬように見張りまでしました。

第三夫人には毎日会うわけではありませんでしたが、会えば気持ちが
通じ合い、互いに喜びあうのが常でした。

しかし第四夫人はといえば、まるで使用人のよう。毎日忙しく働き夫の
世話をしているにも関わらず、罵られたり無視されたりしています。
夫は第四夫人のことはまるで眼中になかったのです。

ある時、この男は遠い国へ行かねばならないことになりました。
そこで第一夫人に、「一緒に行ってくれ」と頼みました。
すると第一夫人は涙を流し、「あなたには色々お世話になり大切にして
いただきました。でもそんなに遠い国へ行くのは嫌です」と、
断られてしまいました。

しかたなく、今度は第二夫人に同行を頼みました。
すると第二夫人は、「あなたの最愛の第一夫人がお断りになったものを、
第二夫人の私ができるわけはありません」と、あっさり断わられました。
男はがっかりして、第三夫人のもとへ出かけました。

第三夫人は「それでは国境までお見送りいたしましょう。
でもそこまでにしてください」と、やはりついてきてはくれないようです。
男は途方に暮れて、第四夫人にも同じように言ってみました。

すると第四夫人は「親元を離れてあなたに嫁いで以来、
常にあなたと一緒です。だから、どこまででもお供します」と答えました。
それを聞いて男は、深い後悔の念におそわれました。
こんなに自分を思っていてくれる相手をもっと大切にすべきだった、と。

ここで釈尊は尋ねられます。「この男とはだれのことであるか。
遠い国とはどこか。また第一・第二・第三・第四夫人とは
だれのことであるか」と。
男とはこの「私」のことです。
遠い国へ行くとは、「死ぬ」ことです。

第一夫人とは私の「肉体」のことです。いつも可愛がって甘やかしていた
肉体という妻は、死を境にして別れねばなりません。
第二夫人の美人とは「財産」です。確かにお金は魅力的です。しかしやはり、
死後の世界にまで連れて行くことはできません。
第三夫人とは「家族や親族」のことです。生きている時はお互いに親しみ、
離れがたい間柄です。しかし死んだ時は墓場までは見送ってくれるものの、
一緒に墓へは入ってくれません。
第四夫人とは、私の「業」です。「親元を離れてあなたに嫁いで以来」とは
物心ついて以来、ということです。「業」とは、私が心で思ったこと(意業)、
話したこと(口業)、そして身体的活動(身業)の三者、および
その影響力のことです。

物事にはすべてその原因があると、仏教では教えています(縁起)が、
これを逆にいえば、私たちがなす行いには必ず結果を伴います。
それは私の命が終った後にも、ずっと連鎖して残って行くものです。
ですから、私たちは自分の責任を持って、
注意深く発言し行動せねばなりません。

「無常忽ちにいたるときは国王大臣親昵従僕妻子珍宝たすくる無し、
唯独り黄泉に趣くのみなり。己に随い行くは只是れ善悪業等のみなり。」
(道元『正法眼蔵』)

海外の経営者達が「禅」に憧れて心酔するのは人を対象にしているからです。
多くの宗教は神を対象に規律が作られて正しい道を説いています。
それに比べて仏教では人間が犯すであろう出来事をわかり易く説いています。
ユダヤ教の聖典「タルムード」も過去の人たちが何故その過ちを犯したかを
次の世代に伝えて、その解決法も教えています。それを生きている者たちが
文章を追加するので直ぐに役立つ手引書とも言われています。

私への質問で多いのは「何故その年齢になってまで働いているのですか?」
「その苦労には経済的な豊かさの保証があるのですか?」
「成功したり失敗をしたり自分の人生に疲れませんか?」
私からの答えはいたってシンプルです。
私がエベレストの登頂を目指すと言ったら家内も友人も反対しますよね。
命の保証もない所へ行って何が得られるのかと心配してくれます。

しかし、多くの人が求めるのは難攻不落な挑戦をする人の心の在り方です。
思い立ったキッカケは?準備したものは?現地との連絡は?万が一怪我をしたら?
心配事は尽きないものです。多くの事を考えたら悩みは尽きないものです。
あなたがやらなくても専門の登山家がやるから無謀な挑戦は無意味だと
言い切る人も大勢います。

私は何事に対しても素人です。知識や経験もそれほどありません。
しかし、世の中にはプロよりもアマチュアの方が圧倒的に多いのです。
過去に存在していないことに挑戦してその結果を伝えていくことも
大切な役割だと思っています。

日本にまだその存在が認められていない時にプロデューサーの重要性を訴えました。
周りから馬鹿にされても自分なりの考えを実行して成功体験を多く残しました。
そうなると世の中が一転します。誰もがプロデューサーの重要性を話し始めたのです。
私はそれでよいと思っています。

僅か2・5%のイノベーターがアイデアを発信して
13・5%のアーリーアダプターが具現化して、34%のアーリーマジョリティーが
広めていく。(エベレット・M・ロジャーズ)イノベーター理論
昔から変わらぬ法則です。

新しく始める時には批判や非難はつきものです。
しかし、それに恐れていては何も解決しないのです。
登頂した人間にしか語ることが出来ないことは成功者にも言えるのです。
無理だと思えるところにいつも勝機があることを忘れてはなりません。
自分を乗り越える「自己超克」の気構えが必要です。

今回の四人の妻はあなたが何を大切にしているかの意識を
再確認できれば嬉しいです。


ダンテの地獄




一度は書きたかったダンテの「神曲」である。
友人の投稿を見て今回真剣に取り掛かる。
勿論、あくまでも私なりの感覚で取り上げるので解釈に誤解が
生じるかも知れない。
それぞれの楽曲に説明がついているので理解はしやすい。
特に「地獄の意味」と「現代社会の解釈」を読むと腑に落ちるはずである。

「ダンテの地獄に見る現代社会の罪——私たちが直面する課題」

イタリアの詩人ダンテ(1265~1321)が書いた「神曲」をテーマに、
「Inferno(地獄)「Purgatorio(煉獄)」「The Ascension(昇天)」
「Paradiso(天国)」の4つの楽章からできていて、
その第1楽章が「地獄篇」です。

この曲は、ヴァージニア州ハリファックスにあるジョージ・メイソン大学
バンドと、同州ハリソンバーグのジェイムス・マディソン大学からの
協同委嘱によって作曲されました。
そのため第1、第2楽章はジェイムス・マディソン大学のバンド・
ディレクター、パトリック・ルーニイのために、第3・第4楽章は
ジョージ・メイソン大学のアンソニー・マイエロのために捧げられ、
初演でも2人が2楽章ずつ指揮をしました。

ダンテの『神曲』に描かれた地獄の構造は、14世紀の宗教的価値観に
基づいていますが、その象徴的な枠組みを現代に当てはめることで、
今日の社会問題を考える新しい視点を得ることができます。
情欲や貪欲、暴力といった罪は、現在の社会においても形を変えながら
存在しており、私たちが抱える課題の本質を浮き彫りにします。

1. リムボ(Limbo:1層)
• 地獄の意味: 信仰を持たなかったが罪を犯していない者たち。
• 現代社会の解釈: 社会的無関心や「無知」による問題。気候変動や
貧困問題に対する無知や行動不足を象徴。
• 例: 環境問題への無関心、選挙や政治に関わらない若者層。

2. 情欲に溺れた者(The Lustful:2層)
• 地獄の意味: 欲望に支配される者たち。
• 現代社会の解釈: 性的搾取、ポルノ産業、SNSでの過剰な自己表現。
個人の尊厳やプライバシーが損なわれる現象。
• 例: リベンジポルノやセクシャルハラスメント、SNS依存。

3. 暴飲暴食の者(The Gluttons:3層)
• 地獄の意味: 過剰な快楽を追い求める者たち。
• 現代社会の解釈: 消費社会の過剰消費やフードロス問題。個人的欲求が
社会的資源の浪費につながる。
• 例: ファストファッションの乱用、大量廃棄される食品。

4. 貪欲な者(The Avaricious:4層)
• 地獄の意味: 財産や物質をむさぼる者。
• 現代社会の解釈: 経済的不平等、資本主義の負の側面。企業の利益至上
主義や税金逃れ。
• 例: 大企業の過剰利益追求、格差拡大。

5. 憤怒に満ちた者(The Wrathful:5層)
• 地獄の意味: 怒りや攻撃性に支配される者。
• 現代社会の解釈: ヘイトスピーチ、ネットリンチ、社会的分断。
感情的反応が暴力や破壊を引き起こす現象。
• 例: ソーシャルメディアでの誹謗中傷や暴動。

6. 異端者(The Heretics:6層)
• 地獄の意味: 宗教や倫理に反する考えを持つ者。
• 現代社会の解釈: 極端な思想や陰謀論の拡散。科学的根拠の否定。
• 例: 地球温暖化否定、フェイクニュースの拡散。

7. 暴力を犯した者(The Violent:7層)
• 地獄の意味: 暴力を行使する者。
• 現代社会の解釈: 家庭内暴力(DV)、戦争、テロ行為、自己破壊
(自殺や薬物中毒)。
• 例: 銃乱射事件、家庭内虐待、戦争犯罪。

8. 詐欺師(The Fraudulent:8層)
• 地獄の意味: 詐欺を働く者たち。
• 現代社会の解釈: 金融詐欺、SNS詐欺、偽情報。信用を利用して
利益を得る行為。
• 例: 投資詐欺、フィッシング詐欺、虚偽広告。

9. 裏切り者(The Treacherous:9層)
• 地獄の意味: 信頼を裏切る者たち。
• 現代社会の解釈: 内部告発者の不当な扱い、企業スキャンダル、
政府による市民への裏切り。
• 例: 情報漏洩、政治的不正行為。

『神曲』の地獄は、人間の弱さや社会の不正義を象徴的に表しており、
現代社会の問題に対しても深い洞察を与えます。
この構造を通じて、私たちが直面する課題をより広い視点から分析し、
改善に向けて行動するきっかけを得られるのではないでしょうか。

読書は、読む、書く、伝える、反復する、話し合うがなされて初めて
本を読んだとなります。私のブログ「恩学」は思考のきっかけを作る
ために書いているので、読んだ、面白かったで、済まして欲しくないのです。
必ず誰かと話し合って欲しいのです。
音楽会も映画も読書も感動が残されているうちに第三者と話し合って
美意識や価値観、人々に与える影響などを共有して楽しんで欲しい。
そこから生まれる感情こそ知識への探求の旅が始まるのです。

我々は今混沌とした時代の中で歴史を振り返り現状の解決に挑まなければ
地球の寿命を速めることになります。
個人の幸福の追求はやめて地球再生の道を歩まなければ手遅れになります。
子供たちの未来を考える上でも必要不可欠な問題です。
動物の気持ちになって環境を考える。
今、私は動物かんきょう会議の一員として活動を始めています。

地獄を知った者こそが天国を思い描き作ることが出来ると信じています。


エジソンの思考法




私は悲しい時には悲しむ。嬉しい時には羽目を外して喜ぶ。
そして貧しい時にはそれなりに極貧を楽しむ。
他人はそれを不幸な人生と判断するがそんなものではない。
感情は自分の思考を変えるだけで如何ようにでもなる。
悲しい時には笑顔で過ごし。嬉しい時には周りの人に伝わるように過ごす。
貧しいとはお金と品物が手に入らないことをいうのだが、
心までは貧しくなるわけでは無い。心の豊かさが一番大切なのです。
世間では年齢で将来が無いと判断するが、将来は自分で作るもので
他人の基準に合わせる必要は無い。

1914年12月、エジソンが67歳のときのことです。
災難が彼を襲います。
ウエスト・オレンジにあった研究施設が火事になってしまったのです。
連絡を聞いて駆けつけ、実験道具や資料など重要な物を持ち出そうと
陣頭指揮を執りましたが、時すでに遅し。

施設はすべて焼け落ち、当時の金額で500万ドル近い損害を
被ってしまいました。
目の前で、いままで自分が築いてきたものが
すべて燃える光景を眺めながら、エジソンがしたこと。

それは家族を呼び、こう告げることでした。
「こんなに大きな花火大会はまず見られない。
とにかく楽しめ」そして集まった記者たちに、
「自分はまだ67歳でしかない。
明日からさっそくゼロからやり直すつもりだ。
いままで以上に立派な研究施設をつくればいいのだ。
意気消沈している暇はない」と、平然と言ってのけたのです。

エジソンは、常識だけでなく、
時間という概念に縛られることもたいへん嫌っていました。
普通、我々は「1日24時間」という時間の中で生活しています。
しかしエジソンに言わせれば、1日が24時間であるというのは、
人間が人工的につくったもの。
自分が時間の主人公になれば、1日を36時間でも48時間でも、
自分の好きなように使えるはずだ、というのです。

エジソンの工場の壁には、長針も短針もない大きな時計が掛けられていました。
ある日、友人の自動車王フォードが「針がなければ、時計の意味がないのでは」
と訊ねると、「そうじやない。時間というものは、自分でコントロールすべきもの。
時計のような出来合いのバロメーターに左右されているようでは
何もできない。疲れたと思えば、その場で休めばいい。

仕事が完成するまでが昼間だ。
自分の体にあったリズム、これを自分でコントロールすることが大切だ」
と答えたといいます。

驚異的なひらめきをつかんで形にし、「天才」と賞されることの多い
エジソンですが、決して努力を軽んじていたわけではなく、
むしろその逆でした。
世界中から寄せられる「どうすれば成功できるか」という問いに、
エジソンは、「野心」「常識にとらわれない創造力」「昼夜を問わず働く意志」
の3要素を挙げています。

1日18時間は働くことにしていたといいますから、
人の2、3倍は濃密な仕事人生を歩んできた自負があったのでしょう。
ですから、エジソンにとっては「まだ67歳」。
まだまだ大きな仕事をするのには十分な時間がある、
という発想だったのです。

それどころか、「肉体は魂の仮の宿り木。滅びれば次の宿り先に移動する」
という死生観を持ち、それを証明するための実験を重ねていた
くらいですから、「死」という概念すら超え、次なる成功に野心を
燃やしていたのです。

すべての常識を超えて自分で新しい未来を見据え、
創造力を発揮して目の前の「壁」を超える。
天才とはいえ、その裏に、常に前向きに歩みつづけようとする
強い意志とひたむきな努力があったことは、言うまでもないのです。

如何でしょうか?天才の思考法は学ぶところが多いですよね。
エジソンはただの開発者ではなくビジネスマンとしての「野心」を持ち、
「常識にとらわれない創造力」で数々の発明品を世に送り出しています。
そして何よりも「昼夜を問わず働く意志」が、完成までの時間を
自由に操っていたのです。

我々の暮らしはすべて時間で縛られています。
これは仕方ないことなのですが、エジソンのように時間を管理することは
出来なくても、夢を描く創造力は持ち続けることは出来ます。
「昼夜働く意志」は何をどうするか期間を決めて行えば可能です。
現在75歳の私は幾つものボランティア活動に参加しています。
私に求められるのはリーダーとしての野心と創造力と働く意志です。
心身ともに健康なうちは「昼夜働く意志」は変わりません。

弛まない「好奇心が野心と創造力」をサポートしてくれています。
海外へも一人で飛び出し現地の人と交流を持つことは何も問題ありません。
流石に若い時と違って昼夜を問わず働くことは出来ませんが、いざとなれば
2~3日は平気です。常に一番大変なのは没頭するための経済がついてこないと
ただのプランだけになり計画の完成を見る前にプロジェクトが終了します。

エジソンの発明品は特許料だけでも莫大な資産になります。
それを管理するのがエジソン財団です。
「天才は、99パーセントの努力と1パーセントのひらめきにより生まれる」
エジソンのこの言葉は有名である。そのエジソンの息子が創った財団である

「エジソン財団のアドバイザリー・ボードへの就任要請がきたのは、
1年ほど前のことである。「エジソン財団は世界の叡智を集め、財団運営に
貢献できる人材を世界から集めることにした」というのが、
僕への就任要請の趣旨であった。」堀義人

我々が知らないところで日本人が国際的財団で活躍していたことを知り、
心から惜しみない拍手を送りたいと思います。
今後とも世界中の研究者へ支援をお願いする次第です。


フロンティア精神




創造力の向かうところには希望がある。 
我々は常に現状を悲観することなく、そして他者を批判することなく
恐れずに未来へと一歩踏み出す勇気が必要である。
荒涼とした大地に、嵐の海に、未開のジャングルへと足を踏み入れる。
人々が渇望する希望の光を求めて大地をさまようのだ。
我々は次の世代へと繋ぐ為に「常に開拓者たれ!」を肝に銘じたい。

開拓者精神の「開拓」とは、未開の地に踏み込んで生活基盤をゼロから
築き上げ、街や都市を作り上げていくことを意味する言葉です。
これらはアメリカの開拓時代にその生活の中で培われた気質を踏まえ、
フロンティアスピリットとも呼ばれることもあります。
ここから転じて、開拓者精神とは新しさを恐れず取り入れる先進性や
未知の領域に挑戦する勇敢な心、積極的な活動力、既存の権威ではなく
能力を評価する姿勢などを表す言葉として使用されます。

ここからビジネスにおける「開拓精神」を学んでいきましょう。
開拓精神はいずれもビジネスで重要な姿勢であることから、
人材に求めるスタンスとしても重視されています。
なぜ開拓者精神がビジネス現場で求められるのか
現代は変化が激しくかつ見通しを立てにくいことから、
変動性・不確実性・複雑性・曖昧性の頭文字をとって
VUCAの時代であるといわれています。

多くの企業にとって環境変化への対応が緊急度の高い課題となっており、
このことからビジネスシーンにおける開拓者精神は
ますます重視されるようになっています。

開拓者精神が求められる変化の一つとして、社会情勢の変化が挙げられます。
例えば、近年では新型コロナウイルス感染症が世界的に流行し、
私達の生活様式やワークスタイルも大きく影響を受けました。
それまでなかなか進む気配がなかった在宅ワークを中心とした働き方改革も、
必要に迫られてこの数年で一気に推し進められました。
また直近では、新型コロナウイルス感染症は完全に収束したわけでは
ありませんが、通常の経済活動を取り戻すに伴ってハイブリットワークを
検討し、新しい働き方を模索する企業も少なくありません。

その他、LGBTQをはじめとした多様性に対する関心の高まりや、
地球温暖化など持続可能性に対する問題意識など、企業が向き合うべき
課題はより複雑になっているように見えます。 このような変化が激しい
環境において先行きが見えない事態を切り開くためには、既存の状態を
当たり前として現状維持を考えるのではなく、常に新しい状態に
適応していくという意識が必要でしょう。
その際に開拓者精神の恐れず進んでいく精神が重要となるのです。

また近年はIT技術の進化によって、既存のビジネススキームや
製品開発のあり方が変わり、技術による効率化で人々の働き方も
大きな影響を受けてきました。直近では、Chat GPTの登場によって
新しいビジネスが多く誕生し、業務におけるAI活用がこれまでになく
注目を集めています。

こういった事態に対処していくには、単に柔軟性というよりも、
開拓者精神の中で語られる「先進性を取り入れる気概」が必要となってきます。
近年のAIの進化は、あらゆる仕事を効率化するチャンスがありながらも、
多くの人の仕事を代替する可能性も含んでいます。
今までの働き方や常識では対処できない事象に対して、多くの人は
その不安から積極的な活用を試みないかもしれません。

しかし、慢性的な人手不足や経済状況を鑑みると、
「この技術がどう活用ができるのか」、「新しく何ができるのか」を
考えることが求められています。こうした技術の進化や
パラダイムチェンジは今後も起こりうると考えられるため、
その環境に順応し競争力を高めていくには開拓者精神を持つことが
何より重要です。

1.挑戦心
開拓者精神を語るうえで最も重要な要素の一つが、挑戦心です。
未知の領域へ恐れず進んでいく、まさに「開拓」を象徴するような能力です。
現代のビジネス現場においては、既存の方法論が通用しなくなっている
ばかりか、新しく生まれたIT技術やAIに既存の仕組みが取って代わられる
可能性があります。 そんな中で頼りになるのが、新しい手法や分野、
場合によっては新規事業などに挑戦していく気概です。

2.意欲的な活動力
何事においても意欲をもって、「自分事」として取り組むことは重要です。
そのような意欲的な活動力も開拓者精神の要素の一つです。
新しいことに挑む際にはどうしても二の足を踏んでしまうのは
仕方がないことです。前例がないことを行うには、身体的だけでなく
精神的な負担も大きくなるでしょう。そういった重圧を跳ねのけ、
挑戦しつづけるためには活動力は必要なのです。

3.自助意識
開拓者精神の原義に立ち換えると、自助意識が大きな意味をもっていたことが
分かります。 祖国を離れ既存のインフラがない状態で開拓を行うためには、
強固なコミュニティーを形成してお互いを助け合うことはもちろん、
自分の身を自分で守ることがいかに重要だったか、想像に難くないでしょう。
自助意識とは、自立精神や自主性と言い換えることもできます。
前述した通り、昨今のビジネス環境の特徴として変化スピードの速さが
挙げられます。そのような環境下で成果を出し成長を続けていくためには、
従業員自らが自主性をもって業務に取り組んでいくことが重要となるでしょう。

4.能力主義
開拓者精神には、ある意味では個人主義の側面があり、
その面が強調されているのが能力主義です。
既存の権威や肩書ではなく、何ができるかという能力によって
評価するというものです。 日本特有の終身雇用型の雇用は崩壊して久しく、
1人が複数社での勤務を経験することが増えました。それに伴い、
年齢ではなく何が出来るのかによって人材を評価する傾向も強まっています。

あえてこの時期に開拓精神を取り上げたのは世界中が過去に作られた
システムに頼り戦うことを選ばず、世襲するだけの安易な政治や経済
活動に明け暮れて民衆のために何も開拓していないからです。
新しい時代は破壊から始まるのです。そして破壊の先の建国の創造を
していかなければならない。

利益のために人づくりではなく、人づくりのための利益でなければ
ならないのにすっかりその精神が無くなっています。
偉大な経済人松下幸之助は海外から視察に来た要人たちから
「この会社は何を作っている会社ですか?」質問を受けた際に
「我々の会社は人を作っている会社です。時折り家電も作っています」と
答えたと言う。

開拓精神のフィロソフィーは誰でも理解できると思います。
しかし、それを実行させるための人材の育成が大切です。
人の心に火がつかなければ開拓精神は芽生えないのです。


社会を深く理解したあとの金言



最近のSNS上にある気になる言葉
言葉は理解したうえで記憶すると金言になるが、受け売りで使うと何も伝わらない。
ホームレスの男から素晴らしい言葉を聞いても何も響かないのは、
金言が役に立たないことを自らが証明しているからである。

これは台湾華僑の教えである。
一)もし雨を降らせる権利を傘売る人に任せたら晴れる日はあると思いますか?
ちなみにあなたならどのくらいの頻度で雨を降らせますか?
二)ある問題が適切に解決されない理由は問題を解決する人が
問題を創り出す人であるから。
三)全ての人を尊敬しなくていい多くの成功者は悪い人むしろ悪くないと成功できない。
ルールを作る人は一番それを守らないルールは弱者の足枷であり強者の道具である。
四)社会が悪くなる時は優しい人が稼げない時から始まる良い人が悪く染まるときは
不公平を受けた時から始まる。既得権益層が一般の人の気持ちを無視続けると
いつかちゃぶ台返しが来る。人間は歴史から学んだ唯一のことは、

人間は歴史から何も学んでいない。
「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」ビスマルク(独)

「人間の本質」
A)幸せの形は人それぞれ、でも不幸な形は意外と似ている
B)涙もろい人ほど、実は精神的には強い
C)優しい人の9割は、過去のトラウマの塊
D)「大丈夫」と言う人ほど、実は大丈夫じゃない
E)常に楽な道を選ぶ人は、実は人生最大の苦労をしている
F)怒りっぽい人ほど、実は繊細で優しい
G)口下手な人ほど、頭の中はおしゃべり
H)完璧主義者ほど、実は自信がない
I)人を許せない人ほど、自分を許せていない
J)お金持ちほど、お金にこだわらない
K)他人を批判する人ほど、自分に自信がない
L)返事が遅い人ほど、実は几帳面
M)同情しやす人ほど、実は冷酷になりがち

「幸せ七訓」
一)幸せな事が多いのは、感謝を知っているから
二)楽しい事が多いのは、自分に甘えが無いから
三)嬉しい事が多いのは、人の事も考えているから
四)笑う事が多いのは、思いやりがあるから
五)心が穏やかなのは、今を懸命に生きているから
六)壁を乗り越えて行けるのは、自分が裸になっているから
七)冷静沈着でいられるのは、将来を見据えているから

金言は時には辛辣な言葉としても残ることがあります。
アメリカの大統領トルーマンの言葉
「猿(日本人)を「虚実の自由」と言う名の檻で、我々が飼うのだ。
方法は、彼らに多少の贅沢さと便利さを与えれば良い。そしてスポーツ、
スクリーン、セックス(3S)を解放させる。
これで真実から目を背けさせることが出来る。猿は、我々の家畜だからだ。
家畜が主人である我々のために貢献するのは、当然のことである。
その為に、我々の財産でもある家畜の肉体は長寿させなければならない。
(科学物質などで)病気にさせて、しかも生かし続けるのだ。
これによって、我々は収穫を得続けるだろう。これは勝戦国の権限でもある。」

私はこの文章は30年ほど前に知っていた。
アサヒビールの名誉会長であった故中條高徳氏から聞いていたのである。
この文章を見て怒らない日本人はいない。
この文章を知っていて抵抗出来ない政治家は日本にはいらない。
戦後80年たった今も
WASP(白人至上主義)は有色人種は奴隷としてしか見ていない。

グローバル化が叫ばれている時代に人種差別は過去の話であり、
ましてや友好国である日本人に対してそんな差別は無いと勘違いしている
日本人も多い。
テレビで洗脳されて「世界から日本は素晴らしい国で、日本人の親切と優しさに
触れました。」こんな話は毒にもならないが薬にもならない。

人は誰しも良い話は聞きたいものである。
その言葉を聞いて元気になるのならとやかく言う筋合いではない。
どちらかと言うと私も嫌な言葉より良い言葉を聞く方がハッピーになる。
毎朝Xで嫌な情報が垂れ流されると真実であっても気分はブルーになる。
しかし目覚まし代わりに見ていると腹が立って目が覚める。笑い

聞く耳のさじ加減である。
菓子作りで甘みを増すために少量の塩を入れると甘さが増すのと同じで
良い話の合間に嫌な話をはみ込むと良い話が一層良い話として聞こえる。
だから、嫌な話は幸福における塩の役割を果たしているのである。

全ての経験者が金言を発するのではなくそれを聞いた弟子が書物として
残した場合が多い。とくに宗教関係の本は殆どが弟子の著作である。

私の友人も台湾華僑の流れをくむ一族の息子で、若い時にはことあるごとに
役立つ華僑の教えをしてくれた。
一番印象に残っているのは「水槽より大きくなった魚はいない」と言う言葉です。
事業を始める際に慎重に計画しすぎるとその事業は決して大きくならない。
年商1億円の規模でスタートする事業は間違っても10億円にはならない。
最初から30億円の規模で計画すれば悪くても10億円になると教えてくれた。

このお教えから私はプロデュース方法に取り入れたのです。
トップスターを目指すアーティスト及びタレントと、
そこそこのヒットで満足する人達を区別して力の入れ具合を加減したのです。
そうすることにより無駄な投資と時間を節約出来るので効率が上がりました。
アーティストに最初に聞く質問は「良い音楽と売れる音楽の違いが分かるか?」です。
音楽の目的が明確なアーティストは必ず成功します。
反対に売れることを目標に置いているアーティストは大きくなりません。
「ウサギと亀」の話と水槽の大きさの問題です。

そういえば昔お世話になったSONYの盛田会長も同じようなことを「盛田十訓」で
言っていたことを思い出しました。「計画は出来る限り大きく計画しろ」
そうしなければ周りから無理だとか経費を削減しろとか必ず言われても、
大きく計画していればそこそこの予算は残る。「大風呂敷は広げろ」
これもその時に知った金言です。

私のブログ「恩学」の基本は「恩に始まり恩に終わる」です。
清濁併せ持って人生を考えると我々は悪の中の清です。
生まれた時は誰でもが清なのに世の中に出て悪に染まります。

人はそれぞれ違う考えを持ち、違う価値観で生きています。
それをあの人は気が合わないから「外した」とか「切った」と言います。
間違っても「切るとか切った」と言う言葉を使うなと言われたことがあります。
人を切ると返り血を浴びて恨みを買うことになるから「切ってはならない」と
親しい住職よりたしなめられたことがあります。

どんなに気に入った言葉でも熟成させなければなりません。
経験もしていない人が他人の金言を使うと軽く見られてしまいます。
私もこの年齢になりようやく金言を使えるようになりました。
金言の取り扱いは自分が経験をして実感してから使わないと
間違った解釈を伝えることになります。

最後に恩学より「鋼は叩かれて名刀になる」
これは事業がうまくいかなかった経営者の方に送った言葉です。
鉄の塊はハンマーで何度も叩かれて名刀になる。
しかし叩いているハンマーは決して名ハンマーとは言われない。
いつも叩いてくれる人に感謝してください。
嫌味な人も意地悪な人もあなたを成長させてくれる恩人です。

ふとSNSに目をやると面白い投稿があった。
「本に「酒は体に悪い」」と書いてあったので、
私は読書をやめた」・・・そっちかい!笑い


天地創造




伊丹谷良介うたライブ12月のテーマ「創造」。
私がこの言葉を聞くと最初に思い出すのが「天地創造」です。
創造(クリエイティブ)という言葉ともう一つ想像(イマジネーション)は
同義語のように使われていますが全く別物です。
創造は作り出すことが主として語られるものであり、
もう一つの想像はある物を対象としてイメージしたその変化をいう。
創造は破壊から始まり、想像は予感から始まる。

天地創造とは、
ユダヤ教・キリスト教の聖典である旧約聖書『創世記』の冒頭には、
以下のような天地の創造が描かれている。

• 1日目 神は天と地をつくられた(つまり、宇宙と地球を最初に創造した)
• 暗闇がある中、神は光をつくり、昼と夜ができられた。
• 2日目 神は空(天)をつくられた。
• 3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせられた。
• 4日目 神は太陽と月と星をつくられた。
• 5日目 神は魚と鳥をつくられた。
• 6日目 神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくられた。
• 7日目 神はお休みになった

天地創造の類義語としては「創世」あるいは「国生み」「天地開闢」などが
挙げられる。「国生み」は、もっぱら日本神話における国土創成の物語を指す
語として用いられる。「天地開闢(てんちかいびゃく)」は「世界の始まり」や
「宇宙が今の形になった初め」を指す語であり、特に中国神話における創世の
物語を指す語として用いられることが多い。

国生み/国産み[注 2](くにうみ)とは、日本神話を構成する神話の一つで、
日本の国土創世譚である。国生み神話ともいう。
イザナギとイザナミの二神が高天原の神々に命じられ、日本列島を構成する
島々を創成した物語である。

旧約聖書《創世記》の冒頭に述べられた世界の創造をいう。
それによると,神は混沌から,光と闇,水と天,陸と植物,太陽と月と星,
魚と鳥,獣と人間(アダムとイブ)を6日間でつくり,
7日目は安息の日としたという。この天地創造の神話は近代に至るまで,
キリスト教・ユダヤ教的世界観の基本をなした。

天地創造の場面を描くことは古くから試みられてきた。
中世の写本画や教会堂装飾では,アダムとイブの創造の場面が描かれることが多い。
サン・マルコ大聖堂(ベネチア)のナルテックスのドームのモザイクでは,
光の創造からアダムとイブの物語までの一連の場面が見られる。
また,ミケランジェロの描いたバチカンのシスティナ礼拝堂天井画には,
白い髪のたくましい神が現れ世界を創造する雄大な場面が繰り広げられている。
→創世神話

仏教的天地創造
現存するわが国最古の歴史書『古事記』に描かれた「神話の世界」。
そこには「国生み」「天岩戸」「八俣遠呂智」「大國主命」など、
日本人ならだれもが一度は耳にした神話が並ぶ。
それは、古代日本人の宇宙観や世界観を背景に、天地が形づくられ国家が
誕生する過程を、幾多の神々の姿になぞらえ描いた壮大な天地創造の物語である。
その冒頭を飾るのが「国生み神話」。
イザナギ・イザナミの二柱の神様が、生まれたばかりの混沌とした大地を
天沼矛で塩コオロコオロとかきまわし、矛先から滴り落ちた塩の雫が凝り固まった
「おのころ島」で夫婦となって日本列島の島々を生んでいく。
その中で、最初に生まれた“特別な島”が淡路島である。

その背景には、大陸や朝鮮半島と畿内を結ぶ大動脈“瀬戸内の海”の東端で、
畿内の前面に横たわる瀬戸内“最大の島”として、古代国家形成期に重要な
役割を果たした“海の民”の歴史があった。それは、古代国家成立の原点ともいえる
紀元前の弥生時代に始まる。

遠い遠い神代の昔…。まだ世界には形がなかった頃…。
国土創世の為、天より遣わされた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二柱の神は、どろどろの世界を凝り固める為、
「天の沼矛(あめのぬぼこ)」で大海原をかきまわした。
すると、その矛より滴る雫が、自ずと凝り固まって島となったという。
「自凝島(おのころじま)」である。
二柱の神はこの島に天下り、そこで夫婦の契りを結び、
国生みの儀式を執り行った。
そして二柱は次々と島をお生みになり、やがて誕生したのが
「大八州(おおやしま)の国・日本」であるという。(国生み神話より)

この神話を今に伝える「古事記」「日本書紀」によると、そのとき世界で
最初に生まれたのが「淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)」
すなわち淡路島であるといいます。
国土創生の神、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が
最初にお生みになられたという淡路島。
ここには、我が国の始まりの時を刻んだ、国生み神話ゆかりの場所が数多く存在し、
訪れる人々を悠久の彼方へと誘います。

伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)は、国生みに始まる全てのご神功を果たされた
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、後に余生を過ごされたという住居跡に
建てられた日本最古の神社。
他にも、神話の中の「おのころ島」だとされる「おのころ島神社」
「絵島」「沼島」など、島内のあちこちで神話の浪漫が漂っています。

我々が日常暮らしているこの世界はどのようにして作られたのかを
想像することも、国作りの創造へと繋がっていきます。
西洋的(キリスト教)な天地創造と東洋的(神話)な天地創造を
比較しながら悠久の浪漫の旅を楽しんでみては如何でしょうか?


何もかも全て




いつの頃からか世の中を達観してしか見れなくなった。
自分の過去の時間と未来の時間を比べると圧倒的に過去の時間が長い。
これからは残り少ない未来への時間を大切にして生きていかなければならない。
少しでも生活の無駄を取り除いて有意義に暮らさなければならない。
だから子供の時の嫌な時間も、大人になってからの忍耐の時間も、
ライバルとの戦いも、今となっては些細なことのように思える。

自分が大切にしてきた思い出も秋の枯葉のように道路の隅に転がっている。
青々としていた青春の緑の葉も月日と共に色変わりして、
この時期から終焉を迎え小枝から地上に落ちていくだけになる。
私の人生はいつも心地の良い秋風にふらふら吹かれているだけだった。

必死になって守ってきた成功話も笑い話のひとつである。
数々のスターと写る記念写真以外何も残せないで過去の人になる。
もう過去に頑張った人みたいに持ち上げられるのは無理がある。
しかし、たとえ病気になっても生きざまのプライドだけは残していたい。

人の評価は夏の公園の噴水と同じで一瞬のやすらぎを与えても
歓喜で騒いでいる割にはすぐに消えてしまう。
今は束縛される暮らしから好き勝手な暮らしになって、
我儘に生きてきた私にも少しだけ冬の厳しさが身近に迫る。
残り僅かな命と、去っていく友人と、少なくなった金銭と、
惜しまれる声も、いつまで残るのだろうか。

人間「無一物」生まれた時も死ぬ時も何も持たない無一物なのである。
しかし無一物とは何も持たないという事ではなく、
わが物として執着すべきものはなに一つもないことをいう。
一切のものから自由自在になった心境である。
宗教家は、こぞって来世は良くなるというけれど生き証人は何処にもいない。
気休めの空手形を出すだけで保証はしてくれない。

あんなに心ときめいた初恋の人も記憶の外に消えた。
仲間と組んだバンドの写真もセピア色に染まりちぎれていく。
1人で過ごした異国の夜の開放感が懐かしい。
ハイドパークで聞いたツェペリンの「天国の階段」
いまはもう路地裏に消えてどこにも見当たらない。
アルバムの中にも静寂があるだけで笑顔は戻らない。

思い出せばNYのライブハウスで、ロンドンの街角で、
ブルックリンの地下鉄でギャングに囲まれた。
あの頃は目立つ為にわざと災難を求めていたような気がする。
危険な経験をすることによって世の中に宣戦布告していた。
綺麗ごとだけで大衆に響く文化を作れないと。

70年代から80年代にかけて高度成長の波に乗り、
仕事も順調に進んだが金は一銭も残らなかった。
スロットマシンの絵柄のように回るだけ回って明け方に消えた。
情報を得るために自己投資のためにと理由をつけて散財した。

もうすぐ何もかも全て平面の写真記録になり記憶の立体は消える。
テキーラもズブロッカも胃袋を溶かしてホテルのトイレに消えた。
メタバースの世界では寿命が無いという。
登録すれば永遠に生きていられるという。
これじゃいつまでもモダンタイムは終わらない。
杖振りおじさんはいつまでも歩き続ける。

夕焼けに見える景色も見えなくなり、握りしめる指先にも感覚がなくなり、
補聴器をつけた耳も聞こえなくなり、入れ歯だらけの口では味も消えてしまう。 
もうすぐ全てが幻になる。トリップした幻想の空間で涎を垂らす。
しかし後悔の念は微塵もなく反対に清々しい程である。

残り少ない秋の色づき、刻々と迫る冬の足音、花咲く季節の春の訪れ、
嫌いになれない解放的な夏の灼熱。日本の四季に溺れた人生である。
引いては迫る波のように作られて消えていく無常の世界。

いつかはこれらも記憶から消えてチューブに縛られるかもしれない。
肉体も精神も時間と共に必ず失うことになる。刹那の世界に入り込む。
多くの経験も、学んできた知識も、必死に繋ぎ止めてきた人間関係も、
愛する家族も、まるで終電のように止まったままになる。

願わくば!平和な社会が地球上に残っていてほしい。
殺伐とした人間社会に入り込む悪魔の囁きに翻弄しないでほしい。
民族間の争いが戦争を引き起こし、地下組織がワクチンをばら撒き、
経済マフィアが景気の上げ下げをする、些細な事件に国家で大騒ぎする現象は
ノストラダムスの予言のように人間の心に不安を植え付けるだけである。
自分たちで使い切った地球上のエネルギーも、大量に生産した食料も、
奪い合いの中で残りわずかになり過激な人殺しが始める。

最後は人間の尊厳を残したままで静かに過ごしたい。
自分で必死に守ってきた地位や名誉や財産などチリと消えた方が良い。
動物的な欲に縛られて最後を迎えるなら餓死を選びたい。

肉体と共に衰える感情も意識も川の水が流れるように穏やかに消えてほしい。
全ては失われて新しい世界が始まる。年老いた人間に必要なものは愛である。
最後は孫たちの声を聞いて手を繋いで迎えたい。こんなささやかなことも
得られない人たちが大勢いることも事実である。

負けるなよ!悪魔の囁きに負けるなよ!身体の中のウイルスのように
じわじわの入り込む悪魔の囁きに惑わされるなよ。
彼らは泣き声を喜び、笑い声を嫌うから、大声で笑うのだ。
子供達と共に笑い続ければ天国は手に入るのだ。みんなで天国の扉を叩くのだ。
天国の扉は正しき人を喜んで向かい入れてくれるから、心配する必要はない。

何もかもすべて終わりを迎えることになる。
「私」の全てを失った時、すべてがここにあったことに気づく。
頭の中に残る思い出だけが永遠に忘れることは無い。
何もかもすべて終わり亡霊が記憶を持ち出していく。

何もかもすべてと考えながら朝の珈琲を飲んでいる。
生きている喜びがここにある。


直感力とは




日常我々の会話にも「直感」という言葉は多く出てくる。
「直感」という言葉が出てくる前には「勘」とも言っていた。
あの人の勘はよく当たるよね。
直感は論理的で継続性があり、勘は思い付きの瞬発である。
勘で馬券を買ったら万馬券になった。
しかし直感で馬券を買ったら万馬券になったとは言わない。

世間では直感を大切にという言葉が頻繁に使われるが、
果たして直感とは鍛えられるものでしょうか?
「脳のメカニズムからとらえた場合、直感力とは何ですか?」
この質問に脳学者中野信子さんは答える。

脳の中にはものごとを判断する機構(システム)が二つあります。
一つは迅速に判断を下す機構、もう一つは論理や理性に
基づいてゆっくりと慎重に判断を下す機構です。
前者をXシステム、後者をCシステムと呼びますが、
いわゆる「直感」を決めているのはXシステムだといってよいでしょう。
正しい決断を下すには、Cシステムによって論理的にゆっくりと考えて
結論を出したほうがいい、と多くの人は思うかもしれません。

Cシステムは知性と呼ばれるものを働かせるシステムで、受験勉強に
よって鍛えられるのもこちらです。だから「頭がいい」ということは
Cシステムの働きが優れていることであるととらえられがちなのですが、
意外と見落とされがちなのがXシステムの力、すなわち、直感の力です。

例えば、目の前に美味しそうなものがあっていつのまにか手にとって
口に入れていたという経験や、いわゆる一目惚れなどは、
直感=Xシステムの選です。もちろん、直感の判断が間違うことも
しばしば起こります。

判断を下すとき、私たちはどんな情報を集めているのでしょうか。
論理で決めている遅い判断機構であるCシステムの場合は、
その人の来歴とか、これまでの仕事とか、どういう人と友達なのかといった
既存の情報を総合して判断します。
しかし、Xシステムの場合はもっとわかりやすくて、
「見た目」がほとんどです。香りとか声などの情報も多少加味していますが、
判断の根拠の大半は視覚を通して得た見た目の情報です。

見た目が判断に与える影響を調べた実験はたくさんあります。
例えば、見た目の魅力度を写真で判断させて学生に点数をつけさせ、
その結果、点数の高かった人の写真と低かった人の写真を
それぞれまた別の被験者に見せながらMRIで脳の画像をとる。
すると学生が高い点数をつけた写真だけに反応する脳の領域というのが
あります。そこが、直感で選ぶときに判断を下している脳の領域です。

このときに必要になるのは、直感で選んだ答えを正解にする力であって、
必ずしも正解を選ぶ力ではないんです。

直感力があってなおかつそれが正しいという人は、
正しい答えを選んでいるのではなくて、選んだ答えを無理やり
正解にしているんだと思います。

例えば、織田信長がやったことは正しいと思いますか?
評価できないですよね。ココ・シャネルのやったことはどうでしょうか?
鼻持ちならない女だという人もいるでしょうが、
少なくともブランディングには成功して、商業的にも成功をおさめ、
今でも燦然と輝く不朽の名前になっています。
直感に従った結果をブレズにやり通す力が直感を裏打ちするものだと
教えてくれます。

だから、直感による判断も必要なんです。それを、専門用語で
ヒューリスティクスといいます。例えば、官僚の意思決定について、
どう思います?

官僚はすごく頭のいい人の集団ですよね。
超難関の国家公務員試験に合格した人たちです。
そんな彼らの意思決定がなぜ微妙になってしまうのか?
ヒューリスティクス=直感が欠けているからです。

知識と前例だけを手がかりにしていると、判断は常に遅れますし、
前例のないデータが出現すると対応できません。
これは、現時点のレベルでのAIが行う意思決定と同じです。

「フレーム問題」の例に出される有名な事例ですが、例えばAIに
「世界平和はどうやったら実現できるか」と尋ねると、
「世界中に核爆弾を落として人類を滅亡させてしまえば平和になる」
という答えが出てきてしまう。問題解決にならない答えだけれど、
今のAIはそれをおかしいとは思わない。

では、人間はなぜこの答えをおかしい、ダメだと思うのか。
その人間的な感覚こそがヒューリスティクスです。

直感で選んでダメ男と結婚した場合、相手を消すわけには
いきません。
後悔しつつ、でも結婚してしまったのだから結婚してよかったことに
しなくてはという気持ちが働くのが人間です。
「私は好きになったんだから、このことを無駄にしないために納得しよう」
という気持ちが働く。みんなが「あの人はダメな人だね」と言えば言うほど、
「いや実はいいところもあるのよ」と擁護する。
この状況が認知的不協和です。

直感力や判断力に男女の差はありますか?
あると思いますよね?ところがそうでもないんです。

研究もあって「自分は直感力があると思いますか?」と聞くと、
「あると思います」と答えるのは、男性より女性のほうが多い。
つまり、男性のほうが直感に自信がない。ところが、嘘を見抜かせる
実験をすると、意外なことに少しだけ男性のほうが成績がいい。
男性は直感が働いても、言わないんですね。

直感力が優れているといわれる人は、「こんなこと思いついたけど、
すごいと思わない?」とすぐに口に出してしまうのだと思います。
誰も思いついていなかったわけではなくて、周りの誰かしらは
必ず「それ、私もそう思ったよ」と思っているはず。
でも「これ、すごいと思わない?」と言った人の勝ち。
「すごいでしょ」と言って回って、動き回って「こういうふうにしようよ」
と働きかけていく。そうして実現し始めたら、それはもうその人の
手柄なんです。

だから、思っているだけではだめ。ひらめきは誰にでもある。
それを形にする力があるかどうか。それが、最終的に「直感力がある」
ということなのです。

直感力を養うために大切なこと。
1.正解を選ぶ力ではなく、直感で選んだ答えに取り組み続けて
正解にする力をつける。
2.直感に従った結果をブレずにやり通す力は、論理的な力の裏打ちから
生まれる。
3.直感力に必要な自分をメタ的に見る力は、マインドフルネスで鍛えられる。

如何でしょうか?
直観を自慢する人は上記の三つの項目を実行されているのでしょうか。
思い付きを形にして裏付けを残せば直観のある人と言われます。
あなたも直観を大切にして行動を起こしてください。


指揮者になれ




AI時代に対抗するにはAIに従うのでは無く従わせるのだ。
AIの最大の特徴は質問者の答えを素早く回答する事だ。

俳句を楽しんだ事はあるだろうか?
五七五の十七文字でその場の情景を書き込む。
基本は季語を取り入れて自分の思いをスケッチする。
上手な人と下手な人の違いは言葉選びと感情の乗せ方である。
普段は室内で行う俳句の会と時折名所旧跡を訪ねる吟行がある。
私は吟行が得意で景色を見るだけで素敵な句を書くことが出来た。
たった2~3文字で世界観がガラリと変わるのである。

AIは質問者の内容次第では全く違う回答が届くことになる。
質問の要点を簡潔にまた核心をついてなければ意味をなさない。

オーケストラの指揮者も同じようなものである。
作品の楽譜を見て、作品の意図や作曲家が書いた背景、時代など
学ばなければいけません。
そして、指揮者自身が思い描いた理想の音を演奏するオーケストラに
伝えるのも簡単なことではなく、細い指示を出して作品を作り上げていきます。
楽器ごとにテンポや音量、表現の仕方までこだわり、オーケストラを
まとめていく指揮者は非常に重要な人物です。

名指揮者というのは、演奏家たちの能力を引き出し、まとめ、そろえて、
自分の思い描いた理想の音楽をつくりあげます。
ですので、ただ音楽の知識がある、
音楽の才能があるだけではいけません。
信頼することができる常人以上の人間力が求められます。

お分かりになりますか?
一般知識いわゆる常識で質問するとAIも一般常識で回答します。
広く浅く聞いても核心に触れる内容で無ければ
本来求める回答にはならないということです。
同じメーカーのパソコンでも使う人によっては宝の山かゴミの川です。
ゴミの川にならないように注意しましょう。

例えば「指揮者になれ」を違う角度で添削するとこうなります。
集団の中の指導者も同じようなものである。
何を目的として人々を導くのかが明確に分からなければ前に進めません。
問題の元を見て、解決の方法を探り、起こった背景、原因など
探らなければなりません。
そして、指導者自身が思い描いた理想の領域をスタッフたちへ
伝えるのも簡単なことではなく、細い指示を出して理想を作り上げていきます。
各人の能力ごとに働き方や仕事にこだわり、あらゆる集団(グループ)を
まとめていく指導者は非常に重要な人物です。

名指導者というのは、人々の能力を引き出し、まとめ、導き、与えて
自分の思い描いた理想の世界をつくりあげます。
ですので、ただビジネスの知識がある、統率の能力があるだけではいけません。
信頼することができる常人以上の人間力が求められます。

目の前の問題をAIに質問するとその問題の解決方法を教えてくれます。
そして、人間の想像力で未来のあるべき姿を質問すると、
現状のデーターの中からあらゆる可能性を導き出してくれます。
更にAIの凄いところは答えを限定しません。
何回かのやり取りの中で質問を進化させる能力があることです。

たとえば料理のレシピを教えてくださいと入力すれば、
手元にはどんな材料がありますかと聞いてきます。
しかしもっと具体的にワインに合う料理のレシピと打ち込めば、
より具体的な内容で瞬時に教えてくれます。
料理を作る場所が自宅なのか友人宅なのかアウトドアなのかも
重要なファクターになります。
なるべく具体的な情報を入力すると母親のように細かく教えてくれます。

AIに頼るばかりでなく解答の求める領域の質問力も重要です。
そして何よりも咀嚼力0→1でなく考える能力が必要になります。
質問力を養うのは想像力が必要です。想像力は好奇心です。
目の前の景色と音と臭いを組み立てる能力があれば全てが可能になります。

もう一つは言葉や文字に敏感になり真偽を確かめることも重要ですが、
物語を作り出すストーリーテラーの能力も必要です。
自分なりのあるべき姿のストーリーを創り出すのです。

例えば最近この文章を見つけました。
1972年に一週間に渡ってアメリカで放映された人気番組
「マイク・ダグラス・ショー」を、今の視点で振り返り再構成したもの。
私もこの番組について部分的には知っていたが、これだけまとまった
フィルムを見るのは初めて。ここでのジョンレノンはいつになく饒舌だ。
時には司会のマイク・ダグラスよりも番組全体を引っ張っている。
憧れのチャック・ベリーに初めて逢った感激もあったのだろう。
ジョンはチャック・ベリーについて「50年代チャックの詞は知的で
社会的なメッセージが内包されていた。驚くほど優れた韻律で
ボブ・ディランや僕に大きな影響を与えた」と語る。
そして「ロックンロールの別名はチャック・ベリーだ」とも。

音楽に興味のない人には全く意味がわからないと思いますが、
音楽ファンなら分かる内容です。ここに登場する名前は全て伝説の人です。
私は現在51歳のロックアーティストをプロデュースしています。
一般常識で言うと年齢も高く知名度もないアーティストのプロデュースは
誰も行いません。しかし彼の才能は必ず時代が求めていると信じているから
全力で取り掛かっているのです。良い音楽に年齢は関係ありません。

今まで伝説のアーティストたちは世間から批判された人たちばかりです。
しかしその人たちがいたから今の音楽シーンが生まれたのです。
無理だと言う人たちの言葉に従っていれば時代は変わらないのです。
昔だからと笑う人もいるけれどイノベーターの役割は変わりません。

大切なことは何を目的として何の為の行動かと言うことを
知らなければなりません。それに必要な知識と能力は何かを探り、
その為に必要な人・物・金を割り出すのです。
これらをAIに質問するとどうゆう答えが出てくるのでしょう。
私は専門家ですのでだいたい分かります。

これからは常に指揮者の目線で考えることが必要です。
オーケストラの大半がAIになっても指揮者は1人です。
楽しい場面は作れたとしても心を震わす感動の場面は、
人間にしか作れないのです。
AIの時代には誰しもが指揮者になる訓練を受けるべきです。