母の日の由来

 

男は長い距離を歩き、女は短い距離で留まる。
男は色々な物を見ながら生き、女は身近な物を見て生きる。

男は風雨にさらされながら戦い、女は穏やかに子を育て家を守る。
男は年を取り無口に成り、女は語らずとも相槌をうつ。

男は死ぬ間際に感謝の言葉を言い、女はそれを受けながら労いの言葉で返す。

男の夢と女の支えでふうふう(夫婦)と言いながら家庭作りが始まり。
男の我儘と女の辛抱でめおと(夫婦)という妙音が後に奏でられる。

 

「母」

母が居なければ、この世に生を受けることも無く
母が居なければ、人としての教育を授かることも無く
母が居なければ、人に優しく接することも無く
母が居なければ、疲れたこころとからだを癒す所も無く
母が居なければ、家族の中で笑い声も少なく
母が居なければ、家族が帰る所も無く
母が居なければ、家族の思い出の中に花も無く

 

「母の日の由来」

アメリカの母の日は祝日の一つで、1914年に制定されました。
これには「母の日」誕生のきっかけとなった、一人の女性が大きくかかわっています。

彼女の母親は早くに夫を亡くしますが、
残された娘二人を苦労しながらも見事に育て上げます。

また、敬虔なキリスト教徒として、26年間も教会で日曜学校の教師を勤め、その生涯を終えました。

1908年、女性は母親の恩を忘れないようにと、その命日に追悼式を開きます。

その際、彼女は母親が好きだった白いカーネーションをささげ、
その日の参列者にも母の事を思いながら、一輪ずつ手渡して行きました。

それは、母親が愛した花を通して、母親のこと、
また母親の愛の深さを知ってもらいたいと思ったからだといいます。

この追悼式はとても感動的なもので、多くの人たちの間で語れました。

そして、ある百貨店経営者がこの話を耳にし、母に感謝する日を設けるという主旨に賛同。
自身のデパートで「母の日」のイベントを開催し、彼女の行いを世の中に広めて行きます。

このとき、彼女が出した提案が「母が生きている人は赤いカーネーションを、
母を亡くしている人は白いカーネーションを胸につける」というもので、
これは形を変えながらも、現在の「母の日」まで受け継がれています。

すべての人は母親から命を授かるわけですから、誰もが母親に恩があるはず。
そう考えると「母の日」が日本に定着したのは自然なことなのかもしれません。

「ちょっといい話」佐藤光浩アルファポリス文庫より

 

人生の公園

 

大きな公園の入り口で大人も子供も何に乗りたいのか迷ってしまっている。

どれもこれも興味をそそられる物ばかりなので本当に迷ってしまう。
しかし決めなければ、いつまでも乗り物に乗る事が出来ずに、
長い列に並び続けなければならない。

何故、これだけの乗り物を用意しなければならないのか。

無駄な物が溢れている為に本当に欲しい物が見えなくなる。
その事に気付き始めた日本人が多くなってきた。

アメリカに大型のアミューズメントパークが多く存在するのは、
経済的発展の先には必ず市民の娯楽が必要だったからである。

移民国家アメリカでは、貧しい移民たちが建国の希望を膨らませる為には、
腹いっぱいに食べて、快楽を貪り、娯楽が目の前にある事が必要だった。

言葉も文化も風習も違う多国籍の国家では、本能を満たすのが一番労働意欲を掻き立てるのである。

この様な奴隷的システムは、金持ちと政治家と企業家のコントロールで作られたと言っても過言ではない。

アメリカが戦後占領地政策で日本に取り入れた事は、世界的に最も優れている
この民族を堕落させる為に、アメリカと同じようにする事だと判断したという。

そこでまず日本に導入されたのが3S政策であった。

「スポーツ・スクリーン・セックス」の三つのSである。
欲望の快楽を映像で見せつけられ、束縛の無いこれが「自由」だと洗脳したのである。
日本人は見事にこの手に乗ったのである。

それまでに教えられてきた勤勉・勤労・禁欲は、一瞬に忘れ去られて、日本人の思想体系が崩されたのである。
日本という小さな島国で共栄共存して行くには、少ない物で満足する工夫を様々に取り入れて来た歴史がある。

伝統行事、冠婚葬祭、農作物豊漁祭、諸事祝い事で、心の豊かさを作って来た。
消費文化では無く節約文化を重視してきたのである。節約こそが日本の美徳だったのである。

その後、この三つのS以外に三つのCも加えられた。
「キャッシュ・カード・クレジット」の3Cである。

労働の報酬として毎月キャッシュ(現金)が入る。
定期的に入る現金収入は消費に対して歯止めが利かなくなる。
その上に農業国が工業生産国に変わり多くの外貨を獲得した。

海外に出向く人も多くなり、現金を持たずにカードで精算をする。
その為にお金の現実感が無くなり浪費を生み出してしまう。

国内でもカードで精算をする人が多くなりカード破産という現象も起きてしまった。

日本人は昔から借金に対しては恥ずかしいという考えがあったが、
突然クレジットという魔物が襲い掛って来て、借金を分割という言葉に変えて羞恥心を取り除いてしまった。

目の前に「家・車・電化製品」をぶら下げて、数年~何十年分割で手軽に商品を購入させて、
その間の金利で利益を得る。

頭の先からつま先まで、果ては、生命保険から教育費までが、
このクレジットという魔物に食い潰されているのである。

一生労働した利益をアメリカ型の戦略に屈して支払っているだけである。
この方式から離れなければ日本人は決して「金持ち父さん」にはなれないのである。

ましてや現代では、多くの商品が人を介さないで売買が成立してしまう時代である。
それ故に、消費に関して臆病になる事が無くなってしまった。

パソコンから世界中のあらゆる商品が買える。タッチパネルで現金が下ろせる。
携帯電話が財布やキップ代りになる。

街中の格安量販店には、海外で作られた日用品雑貨から衣服までが山積みになっている。
テレビを点ければ座ったままで健康器具から健康食品・化粧品までが電話一本で購入できる。

正に大きな公園の入り口で大人も子供も何に乗りたいのか迷ってしまっている。
どれもこれも興味をそそられる物ばかりなので、本当に迷ってしまっているのである。

しかし、自分一人が乗れる時間は限られているのです。
目移りするのではなく、冷静に乗りたい物の列に並べば良いのである。

この言葉を忘れてはならない。「子供は欲しい物を買うが、大人は必要な物を買う」
一番勿体ないのは、不要な物を買おうとして悩む時間です。

あなたは「人生の公園」の前で未だ悩んでいますか。

 

ちから

 

右足のつま先に力を入れ一点に集中する。
すると体全体の意識がそのつま先に集中する。
全体重がつま先一点に集中すると他の部分から体重が消える。

座禅を組む心の中の精神を一点に集中させる。
無我の境地に入り、全ての雑念が消え去る。

そこに空(くう)の世界が現れ物事の真理が見えてくる。

精神を一点に集中させて何故人は思考しなければならないのか。
多くの科学者や芸術家は思考の中から更なる深みへと入り込んでいく。
創造者は誰よりも強い集中力をもち、常人では考えられない領域へと入り込み、
世の中の進歩発展を作って来たのである。

日常生活でも思い悩むことは多い。
家庭のこと、友人関係のこと、勉強のこと、会社のこと、夫婦のこと、
子供のこと、お金のこと、年老いた両親のことと思い悩むことはつきない。
そして思い悩むことがその人の心も身体も疲労で蝕んでいく。

思い悩むことに心の意識が集中して身動きが取れなくなってしまう。
無駄な情報に縛られて思い悩みの原因を放置するからである。

現在のようなネットワーク社会では、
求めなくとも個人からメディアから様々な情報が勝手に入ってくる。
虚偽の情報・不必要な情報などの散漫な知識の押し売りである。
情報の窓を開けずに完全にシャットアウトしなければならない。

無防備な人は情報の波の中で溺れてしまう。

泳げない人が水に浮かばないのは、浮かばないという恐怖から、
手や足に力を入れるためにその力を入れた部分から沈み込んでいく。

反対に泳げる人は沈まないという自信があるから、
体全体に力を入れずにいつまでも浮かんだままで居られる。

理解できない情報までを取り入れる事は、
泳げない状態を自ら作ってしまうのである。

力を入れて意識を集中させる想像力の世界。
反対に力を入れずに悩みから開放される精神の世界。
どちらも力の支点の問題である。

あらゆる「ちから」を開放させるために仏教界では座禅を組む。
足を組みじっとしたままで瞑想の世界に入る。
何十分も何十時間も何日も心の開放が生まれるまで座り続ける。

正しい指導者が居る場合は、その教えとその環境のもとで行うのが良いが、
一人の場合は長く座禅を行わない方が良い。
無の世界に入り断食をおこなうと命の危険があるからである。

 

新たなものを創造して奥行きのある価値観を持ち、
味のある人生を生きていって欲しいものである。
その為にも「ちから」の置き方に注意をするべきである。

 

 

人が通る通路を「道」と言います。道という字は首が歩く方へと向いています。

目的があって通る場所です。多くの人が利用するので、それなりに整地された状態です。
目的の場所へと続く道です。「凡ての道はローマに通ず」という有名な言葉もあります。

「路」も道と言います。

こちらはどちらかというと隘路のように山間の狭くて通りにくい路を言います。
路という字は足が石ころにひっかかり、ころがしながら歩くさまを言います。

遍路という言葉があります。空海の修行の遺跡である、四国八十八か所の霊場を巡拝する路の事を言います。

「蹊」という字も道です。

山道、小道、細長く紐のような道を言います。猟師道、獣道もこの部類に入るのでしょう。

私の座右の銘「桃李不言、下自成蹊」桃李言ザレドモ、下オノヅカラト蹊ヲ成ス」

無理に偉そうなことを言って道を作ろうとするなよ。
人は桃の花が咲けば、花を見る為に自然に集まって来る。

また同じように李(すもも)の美味しい実がなればそれを求めてやって来る。
そして、その後には自然に幾つもの道が出来ている。

紀元前1世紀に司馬遷が著した「史記」の中の一節です。

さて、みなさんは今どの道を歩いていますか。行く先の見える目的を持った道でしょうか。

困難の多い人生のつまずきやすい路でしょうか。
それとも敢えて世の中に反発しながら細長い蹊を選んでいるのでしょうか。

それぞれの道を歩くにはそれぞれの姿があります。

見た目の姿では無く、心のあり方の姿です。
どの道を選ぶにしても後悔の無い選択をしなければなりません。
そしてその道の特性を知り歩く速度も決めなければなりません。

その結果目的地まで辿り着く強い信念が生まれるのです。

どのような状況で有っても歩き通す覚悟が心のあり方なのです。
多くの誘惑や挫折にも負けないで一直線に歩き続ける事に意義があります。
辛いこともあります。苦しい事もあります。泣きたい時や叫びたい時もあります。
それでも自分の選んだ道を歩き続ける事が大切です。

「毅然」という言葉が好きです。

意志が強く物事に動ぜずしっかりとしている様を言います。
どのような過酷な人生であれ、前向きに目的に向かって歩き続ける毅然とした態度が大切です。
そして、その人の後ろには自然に道が生まれている事だと思います。

モノクロの映画の時代にフェデリコ・フェリーニ監督の「道」という映画が評判になった事を思い出します。

旅芸人と手伝いの女を描いた作品です。
粗暴な男と少し頭の悪い女の内容でしたが、宗教的色彩が強くあまりストーリーは理解できませんでした。

イタリアの農村地帯の荒れた路に、髪の短い目の大きい中性的な女が、
画面一杯に笑っていた表情だけが印象に残っています。

 

センス

 

英語ではSense(センス)ともTaste(テースト)とも表現します。

Senseは認識力や判断力を指し、Tasteは審美眼や鑑賞力更にセンスや判断力も付け加えられます。
「彼は洋服の選び方が良いね」と「彼は洋服の組み合わせが良いね」の違いです。

英語圏の人からGood・Tasteと言われれば、最高の褒め言葉です。

「この仕事のでき具合は最高ですね」とか「この演奏家の組み合わせは見事だ」的につかわれます。

我々プロデューサーにもセンスはとても重要です。
音符の組み合わせ、曲と歌詞の組み合わせ、演奏家の組み合わせ、
歌手の声と編曲の組み合わせ、曲と曲の順番の組み合わせ等と、
あらゆる所でそのセンスを問われます。

勿論、ジャケットのデザインや、プロモーション映像や、宣伝方法にも独自のセンスが要求されます。
自分の好みがお客様の好みに繋がればと思いながら作品作りをします。

生き方にもSenseとTasteがあります。

フランス映画で言うと。「太陽がいっぱい」のアランドロンはSenseが良くて
「勝手にしやがれ」のジャンポールベルモンドはTaste(テースト)が良いと言われます。

更にGood・Tasteの役者が一人います。歌手としても有名なフランスのセルジュ・ゲンスブール。
破滅型のアーティストでジェーンバーキンの夫としても有名である。

あのエルメスのバッグ、「バーキン」は彼女の為に作られたバッグです。
彼女もGood・Tasteの一人です。

現在では「タイタニック」のレオナルドディカプリオはSenseが良くて、
「オーシャンズイレブン」のブラッドピットはTasteが良いとされています。

日本では木村拓哉はSenseが良くて、香取慎吾はTasteが良いのではないでしょうか。
所謂、美男系はSenseが良くて、個性派はTasteが良いとされている事です。

それではセンスを磨く方法は有るのでしょうか。

センスは一流の中に潜んでいるのです。
それは環境でもあり、食物でもあり、衣類でもあり、書物でもあるのです。
一流の物に触れる事によって自分を磨く事が出来るのです。
この事が基本です。しかし誰でもが簡単に一流の物と接触する機会には恵まれません。

その為に情報として一流の物を取り入れる事です。

その上に自分の好みを足して自分なりのスタイルを作り出すのです。
それがテーストとして認められることも多くあります。

SenseもTasteも一番大切な事は、それを取り入れる人にあります。

その人の器に合った質と量のバランスが大切です。
誰もが人として魅力を持った上にSenseとTasteが加わると最高でしょう。

安易にお金を多く掛ける事ではありません。自分の現状と生き方が表に現れる事が大切です。

仏語に「ラ・ジュア・デ・ヴィヴレ」(人生を楽しもう)という言葉があります。

フランス人は子供の時から合言葉のようによく使います。
誰の人生でもありません。自分の人生なのです。
どのような時にでも「ラ・ジュア・デ・ヴィヴレ」(人生を楽しもう)。

この言葉は生き方のセンスを磨く魔法の呪文なのです。

 

協力と同情

 

いつもの通勤路で通り過ぎる車椅子の女性がいる。
彼女はいつも一人きりで息せき切りながら坂道を下って来る。

何故か、彼女の周りには少しも暖かな空気が流れていない。

女子高生の笑い声と帰宅を急ぐ人波の中で、黙々と車いすで坂道を下って来る。
彼女はまるでそこに存在していないかのように無視をされる。

彼女の服装を見るとどこかで働いている事は確かである。
友人や同僚は、送り迎えのサポートをしてくれる人は、いないのだろうか。

それとも彼女がどのような協力も拒否しているのだろうか。

坂道を下って来る彼女の表情は厳しい。声を掛けることもなく時が過ぎてしまった。
私は彼女に謝罪をしたかった。

ある冬の雨の日に彼女は濡れながら坂道を下って来たのである。
一瞬目があったのに私は通り過ぎてしまった。
振りかえったのだが、又この長い坂道を駅まで送るのには躊躇してしまった。

あの日から自分の非情さが情けなくて後悔の念がずっと付きまとっていた。

暫くしてから彼女の姿を一度も見かけなくなり、私も謝罪することなく引っ越しをしてしまった。

その後は協力する時には間髪いれずに実行する事を心掛けています。

テレビで五体不満足な女性を見た。

小さい頃は友達みんなが不自由な体を心配してくれて守ってくれた。
気付かぬ内に他人に甘えるのが当たり前になっていた。

だが、小学校の高学年から中学生になると、今までの甘えがわがままとして
受け止められて友達が居なくなった。

その頃から彼女の笑顔が消えた。高校生活も笑わない日々が続いていた。

ある日チアリーダー部の練習を見て、自分も部員になれないかと願い出た。
健常者でも躊躇する運動量の多いチアリーダー部に申し込みが出来る勇気に驚いた。

そして部員の誰もが五体不満足な少女を見て反対する事も無く温かく迎い入れてくれた。
勿論、選手としてではなくマネージャーとしてである。

それから少しずつ昔の様な笑顔が戻り、チアリーダー部の人気者になる。

しかし、ようやく彼女に明るさが戻った頃に、母親との間に大きな亀裂が起こった。
その日は、クラブ活動が終わり何時になっても母親が迎えに来てくれなかった。

そして携帯電話に一通のメールが送られて来た。

「私はあなたの何なの?もう私は何もしません」。
一方的なわがままが知らないうちに母親に対して出てしまっていた。
何もかもしてもらって当たり前のような気持ちになっていたのである。

一番身近で大切な母親に感謝の言葉を伝える事を忘れていた。
すぐに電話をして、今までごめんなさい「ありがとう」を何度も伝えた。

自分の為に、母親の人生を全て犠牲にしている事に気づき、泣きながら謝った。
そして又、母と娘は新たな強い絆で結ばれて再出発をした。

感動は学園生活最後の文化祭で、部員達全員が最後だから一緒に舞台に立とうと誘ったことである。

マネージャーとしてではなく、チアリーダーの一員としてである。

彼女の五体不満足な体を、一人の部員が後ろから抱きかかえて、フィナーレの決めポーズの大役を果たした。

彼女の満面の笑みと部員たちの温かい思いやりに、観客からは惜しみない拍手が鳴りやまなかった。

現在彼女はOLをしながら地元のFM局でDJをしている。

その明るい元気な声から、彼女が不自由な体の持ち主とは誰も気付かない。
「One For All・ All For One」彼女の素晴し経験が、
これからも多くの人に困難を克服する勇気を教えてくれると思います。

そういえば娘の小学校に乙武洋匤君が居た事を思い出した。

 

流れる星は生きている

 

戦争に負ける。避難しなければならない。着の身着のままで逃げる。
逃げる為にも金がなければ、貨物列車やトラックがあっても、乗る事も出来ずに見捨てられる。

眠る所は雨露が凌げれば何処でも良かった。
食べ物も物乞いしながら生き繋ぐ。

只ひたすら子供も大人も老人も日本の方角に歩きながら逃げる。

途中、物売りもしなければならないし、どんな仕事でもお金になるのならばやる。
昨日まで地位が有っても、お金持ちでも、学者でも、逃げる時には、みんないっしょの立場になってしまう。

藤原ていさん著「流れる星は生きている」は何度読んでも涙が止まらなくなる。
ご存知の方も多いかと思いますが、夫は作家の新田次郎氏で息子は数学学者の藤原正彦氏である。

満州新京から夫と引き裂かれた、妻と愛児三人の、壮絶な脱出行を描いたノンフィクションの物語です。

旧満州(現在の中国遼寧省)から北朝鮮に入り38度線を越えて
大韓民国を縦断して釜山港までの距離をほとんど歩き続けたのである。
敗戦国の避難民ですからだれも現地の人は助けてくれません。

物を盗まれたり、石を投げつけられたり、罵声を浴びせられたり等は日常茶飯事の事です。
それでも、生活費を得る為に立ち止まった所で仕事を探し、粗悪な石鹸を売ったりしながら生きながらえるのです。

子供達を守るためには物乞いも当たり前のようにします。

多くの朝鮮人は蔑んだ目で見るのですが、中には「日本人の事情はわかります。
しかし貴方達に物をあげれば村八分にされてしまいます。
今から食べ物を捨てますから、それを拾って下さいね。」といって助けてくれた人達も居た。

又、夕立に降られてびしょ濡れになり、何軒もの農家に雨宿りを頼んだがほとんどの家から拒まれてしまった。

しかしある農家で「母が気の毒だと言っています。
家は狭いので困るのですが、牛小屋の隅なら空いています。
乾いた藁を引きつめたばかりですからどうぞ使って下さい。
しかし保安隊がうるさいので明朝早く出て行って下さいね」。

それぞれの国や人々の事情があるにも関わらず、困った人を助けてくれる行為は、
本当に涙なくして読む事は出来ませんでした。

38度線を突破する所では老人たちが「生きてゆける人は先に行って下さい。
急いで逃げなさい。老人は捨てて、早く行っておくれ。」

ここまで来るのに幼い子は首を絞められ、病人老人は置き去りにされ、
日本人同士で憎しみ合ったり騙し合ったり、想像を絶する逃避行の旅であった。

ようやく国境を超える所で、また老人を見捨てなければならない。
正に戦争の悲惨さに言葉を失ってしまった。

そしてようやく38度線を越えて韓国の国に入った時に、

村人たちがパンモグラ・パンモグラ(食べなさい)といって大きなおむすびをくれた。
敗戦で逃げて来たこじき同然の日本人を助けてくれたのである。
そして私たちの窮状を見て(その時には藤原さんはもう駄目だと諦めていた時)、
保安隊の人が「畜生、日本人の奴らは!こんなに、こんなに困っている人を置き去りにして逃げるなんて、
いつも、そうなんだ、敗戦国民かもしれないが、畜生め!」。

韓国は決して友好国ではありません。韓国には日本が侵略して国を奪われた歴史があります。

当然、日本人を恨みに思っている人達が大勢います。

しかし、敗戦をして逃げ出して来た日本人を、哀れに思い助けてくれた韓国人も大勢いた事が分かります。

死の寸前でどれほどまで勇気づけられたかが想像できます。

もっとも藤原ていさん(母親)の凄さを感じた「河を渡るくるしみ」では、
激流の中に一人で三人の子を抱きかかえて渡らなければならない場面です。

「一番幼い咲子を最初に抱きかかえて向こう岸に置き、その後に二男の正彦を抱きかかえて渡らなければならない、
体力的にも限界だったので正彦を何度も川の中につけた。

泣いている正彦に「泣くと川の中に捨てちゃうぞ!」正彦をはがいじめにしながら川を渡った。

しかし後にはまだ長男の正弘が残っている。

咲子の背負い紐を取って正弘を背中にくくり付けて川に入った。
このままだと親子共々流されてしまうかもしれないと思いながら岸を見ると、

正彦が手を差し出し咲子が私のほうへ這ってくる。

その光景からどうにか渡りきる事ができた。」
母親が子を守る姿は鬼子母神の如くである。

親子四人で絶対に日本にまで帰り着こうとする執念が起こした奇跡そのものである。

藤原ていさんが、帰国後重い病の中で子供達に遺書として書き残そうとした文章が、
この「流れる星は生きている」である。

この本は戦争の悲惨と同時に親子の情愛を描いた名著だと思います。
この様な素晴しい本を母親が書き、数十年後に成長した息子が「国家の品格」を
出版した事に、敬意の念と共に強い運命のパワーを感じます。

 

忘れてはならぬ出来事

 

山川菊栄著「武家の女性」の中の一説に「子年のお騒ぎ」というのがあります。

水戸藩の内乱を描いた文章なのですが、どうしても忘れてはならぬ出来事があります。
幕末の動乱期の水戸藩での出来事の一節である。

水戸藩では改革派と保守派に別れて二大勢力が争っていた。
その改革派の中に急進派と漸進派の二派に分裂をしていた。

桜田門外の変は、彼ら水戸藩の急進派の武士によるテロで有った。
その急進派天狗党の中心人物であった武田耕雲の一家19人が死罪になったのである。

その出来事が忘れてはならぬ話である。

長子、彦左衛門の妻いくは、15歳、13歳、10歳の三人の男児と一緒に入牢中、子供達に「論語」を教えていた。

それを牢番が見て「どうせ死んでいく子に、そんなことをしても無駄だろう」というと、
いくは居ずまいを直して、「この三人のうち、ひょっとして一人ぐらいは赦されないとも限らない。

その時、学問が無くては困るから」と答えたと言います。

しかし、その期待も空しく、三人が三人とも斬られ、いくは牢内で食を絶って自殺してしまいました。

武田の妻は三歳の男児を抱いて入牢しましたが、
ある日珍しくお膳にお刺身が付いていたので、ハッとしました。

もちろんこれは死出の門出での、最後の御馳走の意味でした。
そうとも知らず、抱いていた子が手を出そうとすると、
「武士の子は首を斬られた時、腹の中にいろいろな物があっては見苦しいから」
と抑えました。
「哀れだったのは、十五になる耕雲の孫で、死を前にして母親から
「論語」を教えられていたあの子が、首切り役人に呼び出された時でした。

罪の軽い者から先に斬られるので、親よりは子供の方が先なのですが、
その子が何と思ったものか、「お母さんお先へいらっしゃい」
「まあそういわずにお前から先へ」「いいえどうぞお母さんから」と
先を譲って聞かなかったことでした。

どうせ斬られることは承知なのですから、母に嘆きを見せまいため、
男の自分が少しでもあとになろうと思ったのでしょう。」

「もっと小さな三歳の男の子は炭俵に入れておいて、
上からお菓子を見せてひょっと首を出したところを斬ったのでした。

その二歳の弟は餓死で死んだのですが、首切り役人は
「あの餓鬼も生きていれば一緒にやってやるのだった」といったそうです。」

このような事実が現実にあったという事です。

私が改めてこの文章を思い出したのは、母と子の関係です。
どのような状況でも学問を教え続けていた母親の気遣い。
子供は母親に哀しみを見せないようにする母へのおもいやり。
死を前にしての母子の気使いが深く脳裏に刻まれたのです。

この時代は藩や幕府に対する謀反は一族お取りつぶし、

または死罪が当然とされていた。
それを承知で武士の意地で已むに已まれず行動を起こしたのです。

処刑されるのは、一人や二人などの少数ではなく、何百人が同時に首を斬られる時代だったのです。

そんな残虐な行為が罷り通る歴史が二百年前にあった。

現在のように親子の関係が軽視され、
平気で子供を虐待死させる親には通用しない話である。

是は日本の歴史であり。忘れては成らぬ出来事なのです。

現在NHKで放送されている「八重の桜」はお隣の会津藩の物語です。
有名な「ならぬことはならぬものです」会津藩の子供は幼き頃より、
この什の掟を暗記するのです。

武士としての意地を子供の時から学ぶのです。

 

天使の為に一杯

 

イギリスのフラットの女主人が、朝の紅茶を入れる時に「天使の為に一杯」と言いながら、
ひと匙多めに紅茶の葉を入れていたのが印象に残っています。

大きめのティーポットにお湯をたっぷりと入れて、葉が膨らむのを待ち濃いめにするのがイギリス風です。

それぞれのマグカップになみなみと注ぎ濃密な牛乳を加えるのです。
(日本の家庭用の牛乳に比べると数倍濃い感じがしました)

イギリスの朝食は香り豊かなミルクティーとカリカリのベーコンエッグが、とても良く合います。

そしてイギリス・ロンドンの水道水はカルシウム成分の多い硬水です。
硬水の独特のふくらみとまろやかさが紅茶の味を引き出すのです。

私は特にトヮイニング社のアールグレィが好きでした。
うす暗いフラットの食堂で天使と飲んだ紅茶は一生忘れる事が出来ません。

「親に孝」という中国の話があります。

とても貧しい家庭で子供が親に食事を用意します。
どのような時にでも父親が先に食べます。
その時に子供は必ず「美味しかったでしょうか」と尋ねます。

そして余分など無いのに「もう一膳如何でしょうか」と父親に言います。

父親は「有難う。お前たちも食べなさい」との会話が毎日続きます。
親も全てを察しているのですが、その子供の思いやりに感謝しながら言葉を返します。
食事以上に子供の気づかいが美味しかったでしょうね。

江戸言葉に「こぶしひとつ」があります。

つかの間のお付き合いに「こぶし腰浮かせ」をして席を空けるときの動作です。
皆がこぶし一つ分だけ詰めることによって一人が座れるようになるのです。

見知らぬ人同士の和やかな雰囲気が伝わって来ます。

混んだ電車でお年寄りを前にして眠ったふりをする人。
妊婦さんや身障者の方が近づくと冷たい雰囲気で席を立つ人。
横座りになって大騒ぎしながら席を占領している人。

「こぶしひとつ」の気持ちがあれば良いのですが、残念ですね。

山本兼一著作「利休にたずねよ」の「木守」の言葉です。

家康は膝のまえで、茶碗をながめた。
赤い肌に、おぼろな黒釉が刷いたようにかかっている。

家康が利休にたずねた「銘はなんというのかな」「木守でございます」

秋に柿の実を取るとき、来年も又豊かに実るよう、ひとつだけ取り残す実が、木守である。
来年の為にひとつだけ残す。眼に見えない神様や仏様にお供えをするのです。

こんな所にも「天使の為に一杯」が有ったのです。素晴しいですね。

一期一会の人生です。ひとつ何かをするだけで他人では無く自分が豊かになれるのです。
全ての人の心に「天使の為に一杯」の気持ちがあれば争い事は起こりません。

「天使の為に一杯」は日本人の思いやりの心に通じるものがあります。

 

ライフシップ

 

人生は荒波の中を航海するようなものです。

その荒波の中を一緒に航海する家族という乗組員がいます。
父親が船長で母親が航海士です。子供達はさしずめ経験の少ない船員です。

港を出てからは何が起きても乗組員だけで解決をしなければならないのです。
穏やかな時も嵐の時も助け合って航海を続けるのです。

船長(父親)が航路を決めて舵を取ります。
航海士(母親)が海図を見て航路のチェックをします。

船員達は船の中で清掃や片付け等の雑用を担当します。
それぞれが責任を果たすことによって安全で快適な船旅が出来るのです。

しかし予期せぬアクシデントに見舞われる事もあります。

順調に航海を続けていた船が突然嵐に見舞われて停泊してしまったのです。
嵐は、船長(父親)と航海士(母親)のトラブル(離婚)が原因です。

その結果、船長が船を見捨てて出て行ってしまったのです。

残された乗組員は、船長のいない船を操縦して、安全な港に向わなければなりません。
航海士はただひたすら慣れない舵を握りながら船を前に前に進めて行きます。
船員たちはいままで船長と航海士に全て頼っていたので、
この危機をどのようにして乗り越えて良いかはまったく分かりません。

今更、船を見捨てた船長を恨んでも仕方が有りません。
そのうえ航海士に愚痴を言ってもなにも解決にはなりません。

自分達がやるべき事をやらなければ遭難の恐れもあります。
無事目的の港に着くまでは、乗組員同士の強い結束が必要に成ります。

どのような事があっても次の寄港地まで航海を続けなければならないのです。

そして、一端覚悟を決めた以上は昨日までの出来事は全て忘れて現実だけを見るのです。
つまらないプライドや知識や経験等を全て船室に放り込まなければなりません。
何もせずにこんなはずじゃなかったと嘆いてばかりでは解決の糸口は見つかりません。

先ずは目の前の荒波(問題)を乗り切る覚悟が必要です。

航海地図を確かめながら慎重に船を前へ進めて行かなければなりません。
港の明かりが見えるまでは気を抜く事は出来ないのです。

お互いの信頼関係は困難という出来事が磨きを掛けてくれます。
乗組員達には厳しい航海を乗り越えた後に、素晴しい達成感と強い絆が結ばれる事は確かです。

新しい港で新しい目的を見つける事も次への新しい船出になるのです。

人生という海では航海をしても努力なしの後悔はしないようにしましょう。

ここに航海で必要な「喫水線」という言葉が有ります。
船の荷物の満載喫水線が船体の横に記載されている。プリムソルマークです。

たとえば波の穏やかな熱帯域を航海する場合は、
荒れやすい冬季帯域や冬季北大西洋帯域を航海する時よりも、
上の喫水線が用いられ、勿論、荒れた海域では下の線を守らなければならない。

船舶の満載喫水線は、季節や水域によって異なります。
英国の政治家サミュエル・プリムソルが法案の起草者です。

私たちは常に人生の喫水線を確認しなければなりません。

どのような航海でも喫水線の注意を怠らないようにしなければなりません。
人生の航海は穏やかな時ばかりでは有りません。
もし途中で時化(シケ)にあい遭難しかかったとしても冷静に対処するしかないのです。

我々の喫水線は貯金で有り保険であり不動産なのかもしれません。

安全な時には気にしていなくても、いざ問題が生じたときにはとても重要になるのです。
安定した航海は常に万全な装備からうまれてくるのです。

いたずらに借金を増やして喫水線を越えてしまうといつ遭難するか分かりません。
そこを見誤って航海を続けるから転覆するわけです。

常に喫水線を確認して経験豊かな人達から正しい喫水線の見分け方を教えてもらう必要があります。

人生の無事安全な航海を祈るだけです。