協力と同情

 

いつもの通勤路で通り過ぎる車椅子の女性がいる。
彼女はいつも一人きりで息せき切りながら坂道を下って来る。

何故か、彼女の周りには少しも暖かな空気が流れていない。

女子高生の笑い声と帰宅を急ぐ人波の中で、黙々と車いすで坂道を下って来る。
彼女はまるでそこに存在していないかのように無視をされる。

彼女の服装を見るとどこかで働いている事は確かである。
友人や同僚は、送り迎えのサポートをしてくれる人は、いないのだろうか。

それとも彼女がどのような協力も拒否しているのだろうか。

坂道を下って来る彼女の表情は厳しい。声を掛けることもなく時が過ぎてしまった。
私は彼女に謝罪をしたかった。

ある冬の雨の日に彼女は濡れながら坂道を下って来たのである。
一瞬目があったのに私は通り過ぎてしまった。
振りかえったのだが、又この長い坂道を駅まで送るのには躊躇してしまった。

あの日から自分の非情さが情けなくて後悔の念がずっと付きまとっていた。

暫くしてから彼女の姿を一度も見かけなくなり、私も謝罪することなく引っ越しをしてしまった。

その後は協力する時には間髪いれずに実行する事を心掛けています。

テレビで五体不満足な女性を見た。

小さい頃は友達みんなが不自由な体を心配してくれて守ってくれた。
気付かぬ内に他人に甘えるのが当たり前になっていた。

だが、小学校の高学年から中学生になると、今までの甘えがわがままとして
受け止められて友達が居なくなった。

その頃から彼女の笑顔が消えた。高校生活も笑わない日々が続いていた。

ある日チアリーダー部の練習を見て、自分も部員になれないかと願い出た。
健常者でも躊躇する運動量の多いチアリーダー部に申し込みが出来る勇気に驚いた。

そして部員の誰もが五体不満足な少女を見て反対する事も無く温かく迎い入れてくれた。
勿論、選手としてではなくマネージャーとしてである。

それから少しずつ昔の様な笑顔が戻り、チアリーダー部の人気者になる。

しかし、ようやく彼女に明るさが戻った頃に、母親との間に大きな亀裂が起こった。
その日は、クラブ活動が終わり何時になっても母親が迎えに来てくれなかった。

そして携帯電話に一通のメールが送られて来た。

「私はあなたの何なの?もう私は何もしません」。
一方的なわがままが知らないうちに母親に対して出てしまっていた。
何もかもしてもらって当たり前のような気持ちになっていたのである。

一番身近で大切な母親に感謝の言葉を伝える事を忘れていた。
すぐに電話をして、今までごめんなさい「ありがとう」を何度も伝えた。

自分の為に、母親の人生を全て犠牲にしている事に気づき、泣きながら謝った。
そして又、母と娘は新たな強い絆で結ばれて再出発をした。

感動は学園生活最後の文化祭で、部員達全員が最後だから一緒に舞台に立とうと誘ったことである。

マネージャーとしてではなく、チアリーダーの一員としてである。

彼女の五体不満足な体を、一人の部員が後ろから抱きかかえて、フィナーレの決めポーズの大役を果たした。

彼女の満面の笑みと部員たちの温かい思いやりに、観客からは惜しみない拍手が鳴りやまなかった。

現在彼女はOLをしながら地元のFM局でDJをしている。

その明るい元気な声から、彼女が不自由な体の持ち主とは誰も気付かない。
「One For All・ All For One」彼女の素晴し経験が、
これからも多くの人に困難を克服する勇気を教えてくれると思います。

そういえば娘の小学校に乙武洋匤君が居た事を思い出した。