天使の為に一杯

 

イギリスのフラットの女主人が、朝の紅茶を入れる時に「天使の為に一杯」と言いながら、
ひと匙多めに紅茶の葉を入れていたのが印象に残っています。

大きめのティーポットにお湯をたっぷりと入れて、葉が膨らむのを待ち濃いめにするのがイギリス風です。

それぞれのマグカップになみなみと注ぎ濃密な牛乳を加えるのです。
(日本の家庭用の牛乳に比べると数倍濃い感じがしました)

イギリスの朝食は香り豊かなミルクティーとカリカリのベーコンエッグが、とても良く合います。

そしてイギリス・ロンドンの水道水はカルシウム成分の多い硬水です。
硬水の独特のふくらみとまろやかさが紅茶の味を引き出すのです。

私は特にトヮイニング社のアールグレィが好きでした。
うす暗いフラットの食堂で天使と飲んだ紅茶は一生忘れる事が出来ません。

「親に孝」という中国の話があります。

とても貧しい家庭で子供が親に食事を用意します。
どのような時にでも父親が先に食べます。
その時に子供は必ず「美味しかったでしょうか」と尋ねます。

そして余分など無いのに「もう一膳如何でしょうか」と父親に言います。

父親は「有難う。お前たちも食べなさい」との会話が毎日続きます。
親も全てを察しているのですが、その子供の思いやりに感謝しながら言葉を返します。
食事以上に子供の気づかいが美味しかったでしょうね。

江戸言葉に「こぶしひとつ」があります。

つかの間のお付き合いに「こぶし腰浮かせ」をして席を空けるときの動作です。
皆がこぶし一つ分だけ詰めることによって一人が座れるようになるのです。

見知らぬ人同士の和やかな雰囲気が伝わって来ます。

混んだ電車でお年寄りを前にして眠ったふりをする人。
妊婦さんや身障者の方が近づくと冷たい雰囲気で席を立つ人。
横座りになって大騒ぎしながら席を占領している人。

「こぶしひとつ」の気持ちがあれば良いのですが、残念ですね。

山本兼一著作「利休にたずねよ」の「木守」の言葉です。

家康は膝のまえで、茶碗をながめた。
赤い肌に、おぼろな黒釉が刷いたようにかかっている。

家康が利休にたずねた「銘はなんというのかな」「木守でございます」

秋に柿の実を取るとき、来年も又豊かに実るよう、ひとつだけ取り残す実が、木守である。
来年の為にひとつだけ残す。眼に見えない神様や仏様にお供えをするのです。

こんな所にも「天使の為に一杯」が有ったのです。素晴しいですね。

一期一会の人生です。ひとつ何かをするだけで他人では無く自分が豊かになれるのです。
全ての人の心に「天使の為に一杯」の気持ちがあれば争い事は起こりません。

「天使の為に一杯」は日本人の思いやりの心に通じるものがあります。