他人の人生に興味はありますか?
上辺だけのお付き合いでは無くて
内面まで入り込むことは失礼に当たりませんか?
誰にでも隠したい個人史はありませんか?
親しくお付き合いした人から
あなたは私のことを一切知らない。
外郭ばかりのお付き合いで内郭には興味が無いと感じる。
そういえば名前と肩書きと仕事の内容は知っていたが、
個人的なことは失礼になると思って聞いていなかった。
その際に、多分あなたは、奥様のことも、子供のことも
全く知らないと思うわと言われました。
そんなことはないと反論したが心に引っかかる部分があった。
家族も私のことを父親と分かっているが、
今私が考えていることや、何をやっているかは知らない。
それぞれの現状を家族同士であまり真剣に
話し合ったことがないのでお互いの事は知らない。
多くの父親は厳しい社会の中で生きていくために、
家族の前では作られた父親像を演じている。
弱さを見せないためにも虚勢を張っている場合が多い。
友人に関しても外郭だけの自分をさらけ出すだけである。
見栄と虚栄と作られた姿で場を盛り上げる。
その人の外郭(体裁)だけでお付き合いをして
内郭(本音)までは知ろうとしないで済ましている。
果たして本当にそれで良いのだろうか?
私達は、日頃からあらゆることを自らの物差しで計り、
それに適わないときは、嫌いだ、不満だ、面白くないなど、
そこから生み出される悩みや苦しみの迷いの中で、
生活を送っているのではないでしょうか。
その生き方が、あらゆるものを正しく見ることが出来ない。
まるで洞窟の中で生きていることと同じなのです。
仏教では、この悩み、苦しみ、迷う人間の生き方を、
無明の闇の大海をさまよう船にたとえ、
仏さま(阿弥陀仏)の人知を超えた究極の智慧を「光」と現し、
無明の闇を破る「恵日」と説いています。
私達は、求めて仏教を聞き、「恵日」を実感した
生き方をしたいと思います。
誰も見ていないところで、誰にも知られないところで、
それでも変わらずに努力を重ねることができるのか、
人の真価とはそういうところに現れるのかもしれません。
「神は細部に宿る」なんていう言葉もあります。
だから、他人からどう思われるかが、
自分の価値だと思って表面ばかり取り繕っているようでは、
あるいは物事を考えるときに効率ばかりを優先してしまうと、
それもまた裏側で手を抜くという
結果に結びついてしまいかねません。
比較することをやめて、表・裏ともに愚直なまでに
平等に丁寧に行うことが、平凡のようでいて
もっとも地に足の着いた生き方のように思えます。
「偉大」とは、見上げた上空にあるのではなく、
案外足元にあるものなのかもしれませんね。
禅に『宝鏡三昧』という経に次のような一文があります。
「潜行密用は、愚の如く魯の如し。
ただよく相続するを、主中の主と名づく。」
現代語に訳すと、だいたい次のような意味となります。
「潜水艦のように人から見られないところでの行い、
誰にも知られることのない行い、
そういった行いを愚直に行っていく。ずっと続けていく。
そうした生き方のなかにこそ、自分の人生を自分で生きるといった、
真に胸を張れる主体的な生き方が現れてくる」
唯一、自分だけが自分の人生の主人公でいられる、
というより、自分しか主人公はいないのです。
そんな主人公である自分をないがしろにして、
誰かの考えに依存して生きて、
どうして「偉大」な人であることができるでしょう。
人からどう思われようと、自分の信じる生き方を貫いて、
自分の価値は自分の行動のなかにしか存在しないんだと、
他人が決められるものじゃないんだと自分を奮い立たせて、
そうやって生きていくしか、自分の人生の主人公で
あり続ける方法はありません。
誰かの価値観で生きたなら、一体、自分は何者なのか?
自問自答を繰り返さなければならない。
誰かの理想に合わせる必要など無いのです。
自分の理想に向かって邁進すればいいのです。
誰かの評価なんかに惑わされず、自分で自分を磨き続ければ、
それでいいのです。
「人から偉大だと思われることが
「偉大な大工」なのではなくて、
自分のやるべきことに手を抜かないで
最後までやり遂げるのが「偉大な大工」なのですから。
「偉大な大工は、誰も見ないからといって、
キャビネットの裏側にひどい木材を使ったりはしない」
目立つところだけに一生懸命になるのではなく、
自らの仕事を細部に至るまで完遂する。
偉大な大工っていうのはそういうものだ。
アップル創設者スティーブジョブスの言葉です。
「偉大な父親は家族に対して手を抜かない」
世の中の父親諸君、ともに反省しよう。
3月 9th,2024
恩学 |
人間の外郭 はコメントを受け付けていません
ヴィクトリア朝時代に出版された本では、この寓話に(説得は力に勝る)
という教訓がつけられている。
しかし、他の時代には異なる方法で表現されていた。
1667年に出版されたバーロウ版では、アフラ・ベーンがストア派の
信念である「全ての情熱には中庸を選び、極端になると悪い結果を生む」
という教訓を導き出した。
18世紀には、ヘルダーが「優れた力は人間を冷たくするが、
キリストの愛の暖かさはそれを払拭する」という神学的な結論を出し、
ウォルター・クレインが1887年に発表したリメリック版では
「真の強さは威勢の良さではない」という心理学的な解釈がなされている。
ガイ・ウェットモア・カリルがこの寓話をユーモラスに書き直した
(衝動的なそよ風と外交的な太陽)では、「機転こそが学ぶべき教訓である。
そこでは、人間と風の間で競争が行われており、太陽は目的を
達成するための正しい方法を示しているだけなのである。」
と結論づけている。
「北風と太陽が、どちらが強いかでいいあらそっていました。
議論ばかりしていてもきまらないので、それでは力だめしをして、
旅人の着ものをぬがせたほうが勝ちときめよう、ということになりました。
北風がはじめにやりました。
北風は思いきり強く、「ビューッ!」と、吹きつけました。
旅人はふるえあがって、着ものをしっかり押さえました。
そこで北風は、いちだんと力を入れて、「ビュビューッ!」と、
吹きつけました。 すると旅人は、「うーっ、さむい。これはたまらん。
もう1まい着よう」と、いままで着ていた着ものの上に、
もう1まいかさねて着てしまいました。
北風はがっかりして、「きみにまかせるよ」と、太陽にいいました。
太陽はまずはじめに、ぽかぽかとあたたかくてらしました。
そして、旅人がさっき1まいよけいに着たうわ着をぬぐのを見ると、
こんどはもっと暑い、強い日ざしをおくりました。
じりじりと照りつける暑さに、旅人はたまらなくなって、
着ものをぜんぶぬぎすてると、近くの川へ水あびにいきました。
この話は、人に何かをさせるには、力ずくでやるよりも、
あいてがその気になるようによく説明するほうが、
ききめがあることがおおい、ということをおしえています。」
誰でも知っている有名なイソップの物語です。
私達、稲葉瀧文と伊丹谷良介は、今は北風です。
「うた」も「恩学」も万人に認められたくて、
万人受けする内容ではないのです。
太陽のように暖かい日差しも必要ですが、
あえて北風を吹いて太陽の重要性を訴えているのです。
今の世の中で一番簡単で難しいのが本音を言うことです。
正直な自分の気持ちを伝えることが苦手になっていませんか?
波風を立てない為に我慢していませんか?
社会全体に気を使いストレスが溜まっていませんか?
上部だけの付き合いで友達を増やしても信頼は生まれません。
私と伊丹谷良介は共に海外で過酷な生活を経験しています。
海外では他人に遠慮していると仕事が得られずに
相手にもされなくなってしまいます。
厳しい北風が吹きまくる世界で生きると、
太陽の暖かさがより一層感じられるのです。
厳しい経験から多くのことを学びました。
だからこそ自分自身を曝け出して忠実に表現しているのです。
そこから若者たちを照らす太陽になろうとしているのです。
今の世の中はジャングルジムに閉じ込まれている環境です。
周りはハッキリと見えるのに逃げる出口が見つかりません。
ウィルス感染、戦争、経済不況、円安、自然災害、政治不信とさまざまな
障害がいく手を阻みます。
それを、自由に空気が吸える、食事も取れる、眠ることもできる
だから少しぐらいの苦しみは我慢しようになっていませんか?
どんな状況でも考えることを止めてはダメです。
現代は思考することが重要な時代です。
考えるところから活路が開かれるのです。
考えてそこから生まれる未来を現実にしませんか?
伊丹谷良介の「うた」は難解なテーマで毎月開催しています。
2024年1月「ブッダ」、2月「生命」、3月「芸術」、4月「科学」(予)
ロックシンガーが難しいテーマを選びそこに何の意味があるというのか?
いつの時代でも社会に対してアンチテーゼを投げかけるのがロックである。
体制に溺れて商業主義的音楽をやるのはロックではない。
身内からの批判も覚悟でやり始めたマンスリーライブ「うた」である。
稲葉瀧文の「恩学」もほぼ毎日書き続けています。
毎朝思いついた言葉に文章を書き添えています。
沢山の書物から得た知識とネットで気になる情報を引用して、
私なりの経験(音楽プロデューサー)を加えて解釈と説明をしています。
「何のためにこんなことをしているのか?」とよく聞かれます。
私は子供の頃から、孤独を経験して、金銭的苦労して、
社会的成功もして、家庭を失う失敗も経験しました。
一般の方々が経験しないようなことをしてきたのです。
そこから学んだことが「恩」を返す「恩返し」でした。
私は敢えて北風になり太陽に感謝できる社会にしたいからやっています。
お分かりになりましたでしょうか?
皆様の少しでも考える時間が増えることを願っています。
「たとえ99人が川のむこう岸で騒いでいようとも、自分一人は、
スタスタとわが志したこちら側の川岸を、わき眼もふらず
川上に向かって歩き通す底の覚悟がなくてはなるまい」森信三
毎日、「恩学」を読んで喜んでくれる人が増えてきました。
毎月、「うた」の観客も増えてきています。
我々はこれからもスタスタと川上に向かって歩き続けます。
いつか温かい太陽になれると信じています。
3月 8th,2024
恩学 |
北風と太陽 はコメントを受け付けていません
昔はお茶碗の中にお米一粒残しても勿体無いから食べなさいと言われた。
昔の日本人はご飯が食べ終わったら、必ずお茶碗にお茶を注ぎ込み
最後の一粒まで残さずに食べた。
毎回お米を作ってくれたお百姓さんに感謝しなさいとも言われた。
新聞紙も読み終わったら濡らして畳掃除のために部屋中に巻いた。
そうすることで埃が立たず部屋の隅々までの塵を取り除くことが出来た。
学生服も痛んだら母親が夜中に直してくれた。
少々の破れには布が充てられてつぎはぎだらけになっても
新調はしてくれなかった。そしてボロボロになり穴の空いたズボンは
雑巾として使った。その昔には風呂や炊事で使った薪の灰も肥料として
畑に蒔いた。人糞も然りである。
日本人の勿体無いは何も無駄にしないという精神で全てを賄った。
昔から本当のリサイクル・リユース・リデュースは日本にはあった。
家財道具も壊れたら専門の職人が家々を周り直してくれるので
壊れても捨てることは無かった。
陶器も割れたら金継ぎをして使い回しをした。
なんといっても世界に誇れるリサイクルと言えば着物である。
着物は糸を抜けば反物となり新しく作り変えることが出来る。
祖母から母親、母親から娘、娘から孫と親子にわたって
何代も同じ着物の使い回しが出来た。これは凄いことである。
明治時代に英国から来たバジル・ホール・チェンバレン(言語学者)が
「この国には貧乏人がいるが貧困はない。金持ちはえばらず
貧乏人は卑下せず社会の隅々まで平等が行き渡っている」と世界に伝えた。
勿体無い精神が武士にも百姓にも、金持ちにも貧乏人にも、社会の隅々まで
行き渡っていたと言うことである。
ワンガリ・マータイ(元ケニア環境副大臣)
1940年 ケニア生まれ
アメリカ ピッツバーグ大学にて修士号取得後
1971年ケニアナイロビ大学にて博士号取得
※東アフリカ出身女性では初の博士号ナイロビ大学教授に就任
1977年 非政府組織「グリーンベルト運動」を作り、
アフリカでの植林運動を始める。
マータイさんのグリーンベルト運動の特色は、単に環境保護・
自然保護への取り組みだけではなく、この植林活動を通じて、
ケニアの民主化、アフリカ女性の地位向上、またアフリカの貧しい人々も
社会活動に参加していけるという活動でもありました。
マータイさんの活動は、独裁政権時代には相当な弾圧を受け続け、
実際に何度も権力により逮捕されるという困難に遭っています。
マータイさんの植林活動は、女性を中心に約8万人に広がり、
自然環境保護は元より、アフリカ民主化のシンボルとなっていきました。
2002年 国会議員に立候補したマータイさんには、
圧倒的な支持が集まり、当選を果たしました。
2004年 環境分野初、さらにアフリカ人女性初の
ノーベル賞受賞を果たしました。(ノーベル平和賞)
2005年 来日し、小泉純一郎首相(当時)と会談。
日本語の「もったいない」という言葉に大変な感銘を受け、
世界各地で環境保護の世界共通語としての「Mottainai」を広め、
また訴えます。
2011年9月 ケニアの首都ナイロビで死去(71歳)
ケニア政府より国葬として 生前の功績を讃えられる。
環境分野初のノーベル賞受賞者 ワンガリ・マータイさんは、
世界共通語としての「もったいない」を世界に広めています。
“もったいない”には日本の伝統的精神文化が込められています。
「もったいない」という考え方は、経済的・数値的な捉え方では
理解できません。いわゆる収支や損得を考えた「ケチ」や
「エコノミー(経済的)」とは異質なのです。
例えば、昔から食べ物を粗末にすることや、
食べ物を残すことに「もったいない」はよく使われました。
これは、その食べ物を作った農家の方々、また家庭に届くまでに
関わってきた人々、そして料理を行った人への感謝の「気持ち」が
込められています。
そして何より「大地や太陽・水」など「自然の恵み」への
感謝の気持ちがあるのです。
“もったいない”という日本語の根底には“ありがたい”という
感謝の気持ちがあるのです。
私が初めて「もったいない」という日本語とその意味を知ったときに、
国際社会への重要な意味が込められていると感じました。
私はまず、「もったいない」という言葉のルーツに感銘を受けました。
長年、私が取り組んできた環境問題への活動の中、合い言葉としてきた
「3R(リサイクル・リユース・リデュース)」ということを、
たった一言で見事に言い表しているからです。
私は30年近く前、ケニアで7本の木を植えました。
これが「グリーンベルト運動」のきっかけとなりました。
その後、多くの女性(一部男性)がケニアの国じゅうに
3000万本以上の植林を行いました。
そしてこの経験をアフリカの他の国とも共有しています。
植林を通して、木は多くの人々に燃料や食料を与えるとともに、
大地の浸食から守り、生活費にもなりました。
この活動を通じ、私たちが学んだ大切なことは、
市民が力を持つ必要です。
私たちや子供たちの希望する生活を実現させるために、
環境保護活動と復旧活動に参加してください。
他人が私たちのためにしてくれることを待っていてはなりません。
出来ることから始めるのです。
皆様も頭の中に理想を描いてください。その理想が未来の子供達に
大きなプレゼントを残すことになります。
私達は地球の資源を沢山いただいているのに、お金を出して購入したら
自分の物、だから容易に捨てることにためらわないのです。
あらゆる資源は無限ではなく有限なのです。
その為に少ない量で充分に足りることを知りましょう。「小欲知足」
「もったいない」は世界共通語です。
3月 7th,2024
恩学 |
もったいない はコメントを受け付けていません
「音は心の中で音楽になる」
音は古代人が二足歩行になってから手を叩き、石を叩き、
落ちている木を叩き、手当たり次第に叩き回って
音を出していたのでは無いかと推測される。
それは襲ってくる動物から身を守るためのものであり、
神への祈りでもあったかと思われる。
現代でもアフリカの民族の中には同じ行動をする種族もいる。
中国雲南省の山の民族は歌いながら
求愛行動をする部族もいるという事です。
スペインの原始人は洞窟の中で火を焚き朦朧とした中で
壁画に没頭して描いていたとされている。
壁画が書き終わるまで、穴の入り口では物を叩いて、
音を出し大声で叫んでいたのでは無いかと推測される。
楽器の原型はすでにギリシャ時代からあり音楽として
発展したのは中国が発祥では無いかと思われる節がある。
音楽の文化でわかっていることは、BC.4000ころに、
西南アジアに住んでいたスメル人によって作られたといわれている。
ペルシャ湾に近いウルという町からは、黄金をちりばめた楽器や、
楽人が演奏している図らしい彫り物なども発見されている。
西南アジアの文化は、エジプト・アッシリア・バビロニアへと広がり、
さらにアラビア・インド・中国へと伝わっていった。
また原始時代は今に残る遺跡や文字等ができる以前の時代であり、
比較的小さな集団で地域に合った生活を営んでいて、
音楽においても(楽譜)というものは無く、
その場で即興的につくられたものだったと思われる。
生活様式と音楽との結びつきは密接であり、(協同)で作業する
人々は合唱や合奏が上手で、あらゆる機会に音楽したと思われ,
子守歌や愛の歌,喜びや悲しみを歌ったもの,
神をあがめた歌や作業するときの歌があったと考えられる。
また、古代以前の人々には音楽に魔的な力があると考えられ、
呪術や医療などにも音楽が使われていた。
楽器についても当然使われていただろうと考えられる。
草、木、土、石、骨など自然素材を利用し、簡単な(笛)や
(打)楽器が用いられたと思われる。
古代文明は紀元前3000年頃から始まり、
メソポタミアや(エジプト)の遺跡には楽器を演奏している様子を
描いたものが多くあり、そのことから、かなり進んだ音楽をもち、
公私にわたり音楽が重要な役割をはたしていたことがわかる。
また、そうした音楽に必要な楽器も、この時代にはある程度の形を整え、
機能的にも十分に使用に耐えるものになっていた。
日本では、
楽器には、東洋独特のものがあり、曲や音の扱い方などにも特徴がある。
まず縄文時代 BC.5000では、打製石器を使って狩猟漁労が始まった。
そして、動物型や土偶の中には、明かに音を出すことを意識して
作られたものがあった。声をあげるのがおもで、そのあいまにごく簡素な
楽器が奏でられたのだった。今日出土しているのは石笛その他、土笛、
土鈴を双口土器及び象形土製品等がある。
ついで弥生時代 BC.200に稲と金属使用とともに農耕社会が形成され、
収穫期にはシャーマニズム信仰による儀式が行われ、その儀式に付随して
簡単な歌謡や舞踊がはじまった。
始めは即興的なものであったとされている。
この歌謡の形が芸能として後世まで伝わったと考えられている。
その楽器のうち今日出土しているものは陶、琴、銅鐸である。
それからも音楽は依然として歌と舞が中心だったが出土する楽器は増え、
笛、鈴、琴、太鼓、鼓、四ッ竹、それと共に歌いながら踊る楽人の
集団がすでにそのころ発生していた可能性があるといわれている。
また「うた」の音域はせいぜい5度以内で、リズムは2拍・4拍を
楽器できざむか無拍節リズムといわれる自由リズムで、音の高低だけで
メリスマティック(1つのシラブルについていろいろと異なった
高さの音を用いて長く延ばして歌っていく、このような歌い方は、
今日に至るまで邦楽のごく一般的な歌唱である)に歌ったと思われている。
「うた」と「ことば」は互いに密接に関連して
切り離して考えられないもので、江戸時代が終わるまで
音楽を楽しむということは、歌を歌うことだった。
音律とは、
音律の歴史をみると、古代ギリシャまでさかのぼる。
ピタゴラスが活躍した時代であった。
古代ギリシャ時代には今日私たちが使っている音楽理論の
基礎の多くが、ピタゴラスたちによってすでに開拓されていた。
音律もそうである。
ピタゴラスが作った音律は「ピタゴラス音律」と呼ばれて、
古代ギリシャだけでなく、その後も単旋律の旋律を美しく響かせる
音律として、グレゴリオ聖歌が中心的な存在であったヨーロッパ
中世から13世紀にいたるまで幅広く支持されていたといわれている。
彼はモノコードという楽器で弦の長さを比較して、
音がどのように鳴り響いているのかを数学的に解明しようとした。
そして、弦の長さを半分にすると音は1オクターブ高くなることを発見し、
さらに弦の長さを3分の2にすると「ソ」の音が出ることを発見した。
また「ソ」の音の弦の長さを3分の2にして「レ」というふうにして
音を作っていき独自で音律を作った。
音の起源より
今回の文章は縄文時代にも「音楽」はありましたかという
質問にお答えしたものです。
3月 6th,2024
恩学 |
音と音楽 はコメントを受け付けていません
白日夢、
周りから聞こえてくる声は調子はずれの声ばかり。
嬉しいのだの、楽しいだの、儲かったのだと言う声ばかり。
言葉に重さがない分、思春期の少女の声のように甲高い。
架空の現実から逃避して、その日暮らしの快楽を求める。
そこに自分は存在していない。陽炎が揺らぐだけの丘の上である。
子供の頃は孤独を畏れていたのだが大人になって反対になった。
そう孤独を楽しめるようになったのである。
それは思考が開花して創造力が湧き出したからである。
芸術の林の奥深くに潜入する楽しみを覚えてしまった。
スクランブル交差点の真ん中に立ち、
虚空の空をビルの谷間に眺める。
まるで予言者の理屈が洪水のように降り注ぐ
汚れた雨の中に立ち竦んでいる。
私は何者なのかが分かった瞬間である。
修行僧が山に籠り「一切皆苦」を受け入れて己れを崖に突き落とす。
今までの人生の反省を顧みて贖罪を受け入れる瞬間である。
僧は何も求めない。全て手放して音階のない世界へと旅立つ。
喜びの乱舞もない天岩戸の前で一人舞い踊る。
心地よい鬼の風が吹く。はらわたまで抉り取られるような痛みが走る。
祭りの後の寂しさが身を清め始める。
白装束に身を包んだこけしたちが行進する。
先祖の霊を神輿に乗せて縄文の道を練り歩く。
狂った巫女の笑い声が先祖の霊を呼び起こす。
帰ってこいよ、帰ってこいよ、帰ってこいよと祈り続ける。
日出る国へと船出した白熊たちを黄色い猿が迎え撃つ。
この国の美しい活火山の溶岩で死への道筋を刻み込む。
誰もが孤独を求め始めた。騒がしい祭り太鼓を遠ざける。
南海の孤島の漂流者のように目の前を通り過ぎる船に白旗を振る。
もうすぐ嵐がやってくる。何もかも飲み込まれていく。
爆発男が帰ってくる。爆発だ、爆発だと叫びながら帰ってくる。
穢れなき男のキャンバスに描くのは永遠の孤独である。
曲がったピサの斜塔を真っ直ぐにして太陽の塔を作る。
こんにちは、こんにちは世界の国から亡霊たちがやってくる。
彼の国は兵器を溶かしてミッキーマウスを先頭に踊り出す。
あえて孤独に身を置く。浮かれた後の孤独を楽しむ。
可愛い顔のロボットたちと恋に落ちる。
宇宙食をほおばりながら原発酒に酔いしれる。
空いばりのカカシたちが未来の機械を作り出し、
柱時計を巻き戻して過去の歴史を嘲笑う。
十字架の祈りも洞穴の修行僧の祈りも届かない
時間が壁に張り付き闇世の世界が広がる。
天地が割れてモーゼの神話が蘇る。血に飢えた悪魔たちも参加する。
未来の鐘を鳴らす者はいない。天地が揺れて昇龍が踊り出す。
荒れた荒野の向こうから藁の船に乗って渡来人がやってくる。
もう騒ぐ必要はない。もう慌てる必要もない。
踊りの緞帳(どんちょう)は消えてなくなるから身を沈めよう。
解説
生まれてから今日まで騒がしい世の中に翻弄されて来た。
文明という船は前に進むだけでいつもお祭り騒ぎである。
モダンタイムスのマシンの中で巻き込まれるチャップリンのようである。
効率化を重視するあまりに生産性を高めるために身動き取れない社会。
進化というノイズに耳を塞がれて人間らしさがどこかに消えてしまった。
人は今一度孤独に戻るべきである。
膝を丸めて穴蔵の中で眠るべきである。
私もあえて孤独に身を置き冷静さを取り戻したい。
今何を考えて何を成すべきかをピュシス的感覚で考えたいのである。
古いロゴス知識を白紙にして新しい知識を取り込まなければならない。
しかし私はまだ21世紀の船を降りない。
古い船乗りは必要ないと言われても船を降りない。
我々が作った船の修理を終えてから潔く降りるつもりである。
学(まなび)に身を置いている研究者じゃないから
独自の使えるルールを作らなければならない。
多くの迷える子羊たちの道標となるために
先頭を歩かなければならない。
集団の後方にいるストレーシップを
探しながら古巣へ帰らなければならない。
人間(理性)として時代を受け入れても、
人(感性)としての感覚を磨かなければならない。
科学や経済に犯されていない野山の中で、
理想を描きコミュニティーを作るべきである。
我々は「三耕人」という組織を立ち上げる。
飛岡健と稲葉瀧文が指導者となり後輩の指導にあたる。
今井久喜と西澤宏之が運営責任者となり学びの学徒を集めてくる。
最初は山梨県と岐阜県から始めるが、
勉強会を通じて全国に点在させることを目指している。
これからはもう誰もが孤独になる必要は無い。
理念「三耕人とは?」
農場:農業・脳場:脳業・能場:能場
食料の自給自足、学び直し、能力アップの場である。
これら三つの場を一人で耕す人を三耕人言う。
さあ夜明けは近い。夜明け前を走り抜けよう。
孤独の禊を終えた人間から前に進もう。
3月 5th,2024
恩学 |
あえて孤独に身を置く はコメントを受け付けていません
挑戦とは失敗を想定して戦いに臨むことです。
勝つことばかりを想定して戦いに臨めば、
少しの負けにもアタフタしてしまいます。
そして負けることの経験から大きく成長することも確かです。
また、悔しさは判断を敏感にして、物事を進める際に慎重になり、
周りをよく見る目を養ってくれます。
あの家康公も戦で大敗を喫したことがあります。
武田信玄に敗れた「三方ケ原の戦い」。
這う這うの体で自分の居城に逃げ返った直後、
自分の苦々しい姿の似顔絵を描かせて、
これ以後その絵を自分の戒めにしていた。
これが260年余続いた江戸幕府の基礎になりました。
「負けは」己を成長させる糧になるのです。
まさに「臥薪嘗胆」の心情で悔しさを忘れずに名将となったのです。
「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん)
目的を果たすために、苦難に耐えて機会を待つこと。
「臥薪」は固い薪(たきぎ)の上で寝ること。
「嘗胆」は苦い肝(きも)をなめること。
春秋時代、呉王の夫差は固い薪の上で寝ることで、
父親の敵である越王の勾践へのみを忘れないようにし、
ついには会稽山の戦いで勝利した。
その一方で、会稽山の戦いで敗北した勾践は、
寝室に苦い肝を置き目覚める度に
それをなめることで敗北の恥を思い返し、
ついには夫差を滅ぼしたという故事から来ています。
また一人の強い思いによって世の中を変えることが出来ます。
「一燈照隅万燈照国」天台宗開祖「最澄」
たとえ小さな燈でも大勢の人の燈になれば国をも照らす。
という言葉があります。
ボランティアの活動はまさにこの精神である。
自分一人がやっても何の効果も無いという前にやることが大切である。
その行動を見て一人の人が参加すれば万人にはすぐに手が届くのです。
そのようにして社会のゆがみを変えていくのです。
「利他心」、「布施」、「救済」、「奉仕」、「無償の愛」
人との付き合い方には素晴らしい言葉がいくつもありますが、
その言葉に自分で壁を作り、まずは経済的余裕ができてから、
時間的に都合がつけば、子供が大きくなったらと、さまざまな
理由をつけて、一切行動に起こさない方のほうが多いかと思います。
善いことをすることを恥ずかしいという方がいます。
何故でしょうか?
ボランティアの行動は他人から「ほめられたい」からとか
「自分はいい人」だと思われたいから、見え過ぎた「偽善」を
行っているという否定的なことを言うのです。
「偽善」という言葉は行動に表さない人が使う言葉です。
行動を起こす人は「恥ずかしい」とか「みっともない」
という言葉は使いません。
困っている人に対して善いことをするのに「忙しい」からとか
「余裕がない」からとかは一切言いません。
王陽明の「知行合一」という言葉があります。
知識と行動は共に合わさなければ意味がないという言葉です。
花を見て花を手に取り美しいという言葉が出て、
初めて知識と行動が伴うように、憂国の士が世情を嘆くことと共に
草莽崛起しなければ意味が無いという事を語っているのです。
吉田松陰も西郷隆盛も特攻隊も三島由紀夫も思いを貫くために
最後は自死を選んだのです。
それは自分たちの死によって大衆を目覚めさす為です。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」葉隠
負けた悔しさ以上に自分を信じる後輩のためにも
「決心」という意味の重さを伝えたかったのです。
世の中には計画通りにいかないことだらけです。
しかし成功体験より失敗体験の方が人間を成長させてくれます。
私は過去の失敗体験もこれから起こるであろう失敗も
楽しみながら過ごしていきます。
多くの著名アスリートも「くやしさ」をバネにして成長したと言っています。
ロシアの棒高跳びの世界記録保持者のセルゲイ・ブブカ選手は、
人よりも多く練習するのは勝つためでなく、失敗をしないために
しているのだと言っています。
負ける悔しさを何度も経験しているから練習の大切さを言っているのです。
発明王エジソンは「わたしは失敗したことがない、
1万通りのうまくいかない方法を発見した」と言っています。
失敗する悔しさを知っている人間は失敗というネガティブな発想に
とらわれることも無く、失敗から学んだ自信によって
ポジティブに物事を捉えています。
DNAの二重螺旋構造を発見したフランシス・クリックは、
机の引き出しに失敗で起こる不安は、その99%は実際には
起こらなかったと言います。
研究者にとって失敗は不名誉な事ばかりか支援者から
援助費の削減もある怖さもある。
しかしそれらの不安は現実に起こらなかったと言っています。
負けると思う恐怖に捕らわれる必要はないと言っているのです。
先ずは想定される困難を怖がるのではなく
負けてもつぶれない人間作りです。
成功して傲慢になるより失敗して謙虚になる方が
人として得るものが多くなります。
如何でしょうか?
3月 4th,2024
恩学 |
負ける悔しさ はコメントを受け付けていません
自分の学歴、仕事の経験、取得したスキル、
また業種によっては、性格や容姿も加わります。
就職面談の時に聞かれる質問内容が「何故この会社を選んだのか?」
「あなたの魅力を教えてください?」「将来何を望んでいるのか?」
マニュアルに沿ってこれらを笑顔で答えて
担当官は私の価値が分かるのでしょうか?
果物の選別のように見た目の一瞬で等級を決めているだけですよね。
入社が決まったら適材適所へ配置するから心配しないで良いですよ。
と言われても適材適所の意味が分からない。
ここで私が苦手な場所へ配置されたら辞めない限り地獄を味わうことになる。
私自身も分からない自分の価値を他人が判断することが出来るのだろうか?
親からは何があっても我慢するのだよ、その内に慣れるからねと
言われるが、私達世代は我慢が出来ないから、セクハラ、パワハラ、モラハラと
雇用側に突きつける。みんな神経質になりおどおどしながら部下に指示している。
ウェルビーイングな仕事場は人集めの為の響きの良い言葉にしか聞こえない。
社員の意見を反映して本当に利益の上がる会社になるのでしょうか?
今は新入社員で就職するケースと人材派遣会社から派遣されて
非正規雇用で働く自由な選択ができる時代です。
しかし働き始めても「生きるとは」「働くとは」「幸福とは」などの
人生の課題を自分自身で追求しなければなりません。
その上に自分の価値はどこにあるのだろうかと自問自答するのです。
そんな人のためにこのストーリーを紹介します。
「父が最後に教えてくれた自分の価値」
死期が近い父親が息子にこう言いました。
「この時計は200年以上のも前のもので」
お前のおじいちゃんが私にくれたものだ。
これをお前にやる前に通りにある時計屋に持って行って
いくらで買ってくれるか聞いて来てくれないか?
行って戻ってきた彼は父親に言いました。
「時計屋さんは古いからって理由で5ドルと言っていたよ」と言うと、
「次はコーヒーショップへ行って来てくれ」と言いました。
行って戻ってきた彼は「父さんやっぱり5ドルだったよ」と言うと、
「今度は美術館に行って時計を見せてきてくれ」
行って戻ってきた彼は「100万ドル(1,4億円)を提示してきたよ!!」
と言いました。
すると父親は「正しい場所に行けば、お前の価値は正しく評価される」
ということをお前に伝えたかったんだよ
「だからいつでも自分を正しい場所に置きなさい
そして、そうでないときにも自分の価値を見失ってはいけないよ」
と言いました。
今いる場所がすべてじゃない。
今いる場所で下されている評価がすべてじゃない
そんな場所で自分には価値が無いなんて思いこまないでください
自分を正しく評価してくれる場所にまだ出会っていないだけです。
Instagramより
如何でしょうか?まさに言い得て妙な物語です。
仕事も結婚も自分を正当に評価してくれる
場所でなくては長く続きません。
『置かれた場所で咲きなさい』という、累計200万部の
国民的ベストセラーになった1冊の本がある。
修道女でもある故・渡辺和子さんが2012年に著した作品で、
宣教師から渡された「Bloom where God has planted you
(神が植えたところで咲きなさい)」
というメモに救われた体験を元にした、自叙伝的なエッセイである。
置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。時間の使い方は、
そのまま命の使い方です。自らが咲く努力を忘れてはなりません。
雨の日、風の日、どうしても咲けないときは根を下へ下へと伸ばしましょう。
次に咲く花がより大きく、美しいものとなるように。
心迷うすべての人へ向けた、国民的ベストセラー。
しかしこの「置かれた場所で咲きなさい」に反論している文章がある。
タイトルは「便所のネズミ」です。
話は冒頭の、『置かれた場所で咲きなさい』についてだ。
なぜ私が、”置かれたところこそが、今のあなたの居場所です”などと
口にすることは無責任であり、卑怯であるとまで思っているのか。
もし私が、自社では明らかに夢を叶えられないあの学生を採用し、
その後、退職を悩み始めた彼女に対しこの言葉で説得をしようものなら、
きっとぶん殴られていただろう。
転職を考えていると大粒の涙を流した社員に、
「置かれた場所で咲きなさい」などと説教したら、
「お前が言うな!!」と、お茶をぶっ掛けられていたかもしれない。
つまりこの言葉は、「相手の人生に対して、責任がない人」しか
使ってはいけない言葉ということである。
言い換えれば、「問題の解決を、本人の意識・考え方に丸投げする言葉」と
言っても良いかもしれない。
唯一、この言葉を本当に相手の心に届けられる人がいるとすれば、
それは渡辺和子さんがそうであったように宗教家や学校の先生など、
道徳的な指導を期待されている人に限られる。
少なくとも、企業経営者やリーダーが部下に使えば、
それは精神論であり、問題のすり替えにほかならないだろう。
だから私は、この言葉を無責任であり卑怯であると思っているということだ。
最後に、こんな話がある。
秦の始皇帝に仕え、その天下統一を補佐した李斯は元々、
田舎の小役人であった。そして「自分はこのまま、
こんなつまらない人生を過ごしても良いのか」と悩んでいた
ある日、便所の片隅で人に怯えながら汚物を食べ生きる
痩せネズミを見かけ、嘆息した。
「俺もこのネズミのような、つまらない存在だ」と。
またある日、穀倉の中でもネズミを見かけるのだが、
そのネズミはあり余る穀物を食べて肥え太り、
人間の姿にも全く怯えることがなかったそうだ。
その姿を見た時に、彼は悟った。
「人生もネズミの生き方も、生きる場所次第ではないか」と。
そして彼は一念発起し勉学に励み、始皇帝に見い出され、
歴史に名を残す大人物になっていくことになる。
もし彼が、“生きる場所”を変える努力をしなければきっと、
田舎の小役人のまま、悲嘆の中で一生を終えていただろう。
「石の上にも三年」「置かれた場所で咲きなさい」といった
価値観が尊いことは、論を俟たない。
どんなことでも、自分の力が及ぶ限り努力し、
必死になって喰らいついていくべきだろう。
しかしその上でどうにもならなければ、李斯のように生き方や
環境を変えてしまうことも、決して迷うべきではない。
人生をやり直し、新たなチャレンジに踏み出すことは
決して逃げることではないのだから。
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を重く感じたら、
きっと心が疲れているはずだ。
そんな時にはぜひ「便所のネズミ」の話も思い出して、
人生でベターな選択をする参考にして欲しいと願っている。
あえて素敵な文章と反論の文章を並べたのは、
どんなことでも捉える人にとっては
このように内容が変わるという事です。
あなたの価値観も捉える人によって変わるという事です。
他人の評価にこころが揺れ動くことなく、
自分が選んだ場所で結果が作れることが、
あなたにとって最良の置かれた場所なのです。
3月 3rd,2024
恩学 |
あなたの価値 はコメントを受け付けていません
人生においてなんとなくリズムを掴んだ瞬間はありませんか?
いつもと違うハネタ感じの軽さを身体に掴んだ瞬間です。
朝の日差しの中で大きく息を吸い込んだ瞬間
洗濯した白いシーツが風に揺れた瞬間
ベランダに置かれた鉢植えの花が咲いた瞬間
きっと今日は何か良いことが起きる予感が生まれる。
ちょっとした言葉でも音楽でも映像でも
頭の中に張り付いて離れないことがあります。
気に入った書籍の文言も繰り返し目の前に現れてくる。
何故、記憶から離れないのかはデジャヴーの世界である。
前世で同じ経験をしたことが蘇るからです。
まるで桜の木の下に座っているような高揚感。
フワリと身体が空に浮いてくる浮遊感。
午後の公園で子供と子犬と戯れる抑揚感
身体が勝手にリズムに反応する。
そして人生の物語が繋がる時にメロディーも浮かんで来ます。
それは人の出会いから別れまでの壮大な交響曲である。
感情の揺れ幅に沿って忠実に再現する。
素直な音の洪水にあふれている。
牧歌的なオーボエの響きが聞こえてくる。
激しい雷鳴のようなティンパンが覆い被さる。
バイオリンが、チェロが、コントラバスが重なり合う。
突然ピッコロの音が空を飛ぶ雲雀のように舞いあがる。
私一人だけの空間を時の流れに任せて漂う。
過去も現在も未来もない自由な空間に一人漂う。
解放された時を無抵抗な赤子のように楽しもう。
タンポポの綿毛のような音符に乗り空に飛び出そう。
日常に繰り返し流されるニュースは戦争、自然災害、
ウィルス禍、経済不況、社会不安など、悪い材料ばかりです。
友人たちの不幸や身内の事故や予期せぬ事でも悩まされます。
気力がない時には大変だが、気力があれば大丈夫。
身体から湧き起こるリズムは生命の躍動である。
心を解放しなければ生きている実感は味わえないのである。
地上と宇宙の鼓動を聞きながらリズムを取り込むのである。
僕たちは自由と言いながら経済に縛られている。
友情は永遠と言いながら愛が消えていく。
平和は大切と叫びながら全てが壊されていく。
人生の不協和音を毛嫌いしながらも楽しんでいる。
一瞬の狂気の前の静けさが音を消していく。
心臓の音とリズムが重なり合って躍動感が蘇る。
私は生きている。私は大地の上で生きている。
五体の全てに血が駆け巡る。
どくどくとんとんと足の指先までに響き渡る。
自然界から届くリズムに心を預けるのです。
大地に祈り先祖に感謝して仲間と共に
暮らせる悦びを認識しながら、
宇宙から届くリズムを享受するのです。
豊かな自然と太陽の輝きをメロディーにした。
レゲエ界のレジェンド、ボブ・マリーの震える言葉。
① 死んで天国へ行く?
違うだろう生きてここを天国に変えろ。
② 雨を楽しめる人間もいるし、
ただ濡れているだけの奴もいる。
③ お前は逃げろ。でも、
自分自身からは逃げられない。
④ 指をさして人を非難する前に、
君のその手が汚れていないか、確かめてくれ。
⑤ 一つのドアが閉まっているとき、
もっとたくさんのドアが開いているんだよ。
⑥ 自分の生きる人生を愛せ。
自分の愛する人生を生きろ。
愛と自由の象徴「ボブ・マリー」
本名ロバート・ネスタ・マーリーは、ジャマイカのシンガーソングライター、
ミュージシャン。レゲエの先駆者の一人であり、スカの時代から活躍し
ロックステディ、レゲエの時代まで音楽界を駆け抜けた。
また洗練された歌声と宗教的・社会的な歌詞、曲で知られた。
マーリーは60年代から80年代初頭までレゲエ音楽と
カウンターカルチャーの活躍により、ジャマイカ音楽の世界的な認知度を
高めることに貢献した。マーリーはラスタファリの象徴、ジャマイカの文化と
アイデンティティの世界的なシンボルともみなされた。
「One Love」 和訳歌詞
One love, one heart
一つの愛、一つの心
Let’s get together and feel alright
一緒になろう、そうすれば大丈夫
Hear the children crying
子どもの泣き声が聞こえてる
(One love)
一つの愛
Hear the children crying
子どもたちが泣いている
(One heart)
一つの心
Saying, give thanks and praise to the Lord
神に感謝し、神を讃えよう
And I will feel alright
そうすれば僕は大丈夫になる
Saying, let’s get together and feel alright
一緒になろう、そうすれば大丈夫
Whoa, whoa, whoa, whoa
Let’s them all pass all their dirty remarks
全ての下劣な言葉は全部気にしないでいよう
There is one question I’d really love to ask
本当に聞きたいことがあるんだ
Is there a place for the hopeless sinners
希望がない罪人のための場所はあるのか?
who has hurt all mankind just to save his
own?
自分自身を守るために
多くの人を傷つける人のことさ
Believe me
僕を信じてくれ
本日の文章はレゲエ界の神様ボブ・マリーに捧げます。
I dedicate it to Bob Marie.
3月 2nd,2024
恩学 |
I got rhythm for one love はコメントを受け付けていません
大凡(おおよそ)クリエーターは孤独である。
自分の能力を信じて作品を絞り出さなければならない。
同業者たちからは常にどれほどの作品を作れるのかと疑惑の目を向けられる。
たとえ好きな人がいても家族がいてもクリエィティブな作業は
孤独から生まれる。そのためには孤独に耐えられる精神力が必要である。
作品が当たれば評価と報酬が得られるが、当たらなければ嘲笑と批判を
受けるだけである。その孤毒にも耐えなければならない。
人生の経験のない子供達が部屋に篭りコンピューターに
向かって一人で居るのは孤毒である。
子供は自由に知る権利を持っているのに周りに溶け込めないのは、
他人が何を考えているのか真実を知らずに生きる事になる。
自分の居場所を探して悩み苦しんでいる。
理屈では親が小さい頃に構ってやらなかったからと批判されるが、
親もそれなりに生きる事に忙しくて、思うように手が回らなかった
からと言い訳をする。
子供からすればそれなら産まなければ良かったのにと
益々殻に閉じこもる原因になってしまう。
老人達の孤独も孤毒になる恐れがある。
最大の危機は転倒による怪我である。
一日一日、経済と健康と孤独の3Kに耐えながら
生きていかなければならない。
おおむね身体の衰えは生きるという気力を奪っていく。
同時に足腰の筋力も衰え始める。
家族も友人も優しい声掛けをする度に
「もう無理をしないで出歩かないで」と言う。
男達はサバンナを駆け巡るライオンだったのに
今はハイエナに襲われる時を待つしかない。
「動かないで」と言われる度に死が近づくのを感じて
孤独になり孤毒が身体中を駆け巡る。
女達は幸せという花園で自由に飛び回る
ミツバチのような存在だったのに
孤独になり寂しさのあまり孤毒になる。
辛い現実を離れて密かに楽しみを作り
自分なりの人生を謳歌していた。
家族という船の中で嵐の海を何度でも乗り越えて
操縦してきたのは女達なのである。
「じっとしていて」という言葉は座礁を待つことになる。
心の自由までなくなり益々孤独になり孤毒が羽をむしり取る。
家族のために蓄えてきた財産も箪笥の奥にしまい込む。
お金で安心は買えても健康は買えなかったと気づく。
独来独去 無一随者(大無量寿経)
独り来たり独り去りて、一人も随う者無し「浄土三部経」の
一つ『大無量寿経』にあります。
富有なれど慳惜し、肯えて施与(せよ)せず。
宝を愛して貪ること重く、心労し身苦しむ。
是の如くして竟りに至れば、恃怙とする所無し。
独り来たり独り去りて、一人も随う者無し。
慳惜とは、ものおしみする心。恃怙とは頼む事です。
大金持ちだけれどもの惜しみが強く、あえて他の人に施与せず、
財宝を愛して貪る心が強いと、かえって自分自身で心労が重なり
苦しむものです。このようにして一生を過ごせば、死に臨んでも
頼りにするものは何一つありません。
独り来たり独り去りて、一人も随う者無し。
所詮、私達は独りで生まれ、独りで老い、独りで病み、
独りで死んでいかねばなりません。
名誉も、財産も、妻子眷族も一緒に持って
行く事が出来ないのです。
「菩提和讃」にこのようなことが書かれています。
老若貴賤諸共に無常の風に誘わるる
臨命終の果敢なさは施す術もあらばこそ
田畑数多有るとても冥土の用には成らぬもの
金銀財宝持つ人も携え行べき道ならず
妻子眷族ありしとて伴い行く事更になし
偕老比翼の契いも少時浮世の夢なれや
人間はまさに「ひとり」です。
私達は、その厳粛な事実と向かい合って、
真実、自分の生き方に思いが及ぶ時、
得てしてその事実から逃れようと
腐心するものです。それから逃れようとすれば、
享楽的な刹那主義に陥り人生の破滅です。
私達はその事実をしっかり看て取って、自分自身の「生きがい」
のある人生を見つけださなければなりません。
「生きがい」のある人生とは老人には当てはまらない?
生きがいではなくて「死にがい」の方が自然である。
人生を振り返り惜しむより迫り来る最後の日を
悔いが残らないように毎日を「死にがい」を感じて
大自然と共に笑って過ごすことしかないのである。
もう怒っても仕方ないのである。
もう他人を責めても何も生まれないのである。
「花は愛惜に散り草は棄嫌におうるのみなり」
誰しもが老害になってはいけないのである。
芸術家も子供達も老人達も孤独を楽しみ
思考の時間を作るべきである。
あなた一人の哲学があって良いのではないでしょうか。
3月 1st,2024
恩学 |
孤独と孤毒 はコメントを受け付けていません
我々の人生は扇子(せんす)の風のようなものです。
好きの感情が半分(右)で嫌いの感情が半分(左)です。
いつも好きだけで扇子を使う人は右側の優しい風を求める人です。
そして嫌いだけで扇子を使う人は左側の激しい風を求める人です。
扇(おおぎ)の風を物事が成就して成功した時にばかりを求めるから、
本来は優しい風も力無くストレスの原因になってしまうのです。
そこに嫌いな物事も取り入れて反発や怒りの強い風を取り込むのです。
ちょうどバランスの良い風の具合になります。
快適とは緩急混ざったものがちょうど良い時に
感じる状態を示しています。
好きも嫌いもちょうどいいバランスだと
強い調和が生まれるのです。
私はプロジェクトを作る際に数人の反発する仲間を入れます。
気の置けない仲間ばかりだと同じ価値観なので楽しいのですが、
進行上で疑問が生まれない危険な状態にもなります。
差し詰めアメリカなら学生時代にディベート教育で
反発し合うことを教えられるので抵抗がないかも知れません。
日本人はこれが苦手です。言い負かすことが出来ません。
反論を敵対心と捉えて沈黙してしまいます。
アメリカの様に多国籍で構成されている社会では、
それぞれの国の宗教や文化の違いから
多くの誤解が生まれます。
その為に普段から互いを尊重しながら警戒もします。
陽気なアメリカ人!いつも気さくに「Hello」と話しかけてくる。
Helloは「俺は仲間だから危害を加えないよ」という信号です。
そして「Happy」はバランスの良い状態が作られた時に発せられる言葉です。
リズムやビートが重なり合っているときにHappyと言います。
仲間の信頼やきずなが生まれた時にもHappyを連呼します。
「逆もまた真なり」(ぎゃくもまたしんなり)と読みます。
扇(おおぎ)の右・左の風はどちらも心地よいものです。
これはAならばBという論理が成り立つ時に
逆にBならばAも成り立つ場合を指します。
例えば、新商品のコーヒーメーカーに
可愛いティーカップなどのオマケが付いていたとします。
そのカップが大事な人にとっては・・・
商品であるコーヒーメーカーのほうがむしろオマケ扱いです。
逆にかわいいカップに関心のない人にとっては・・・
大事なのはコーヒーメーカーであってカップがオマケ扱いになります。
このような状態を「逆もまた真なり」と言います。
ちなみに「真なり」の辞書的な意味ですが・・・
論理学で、ある命題が事実と一致すること。
また、そのさま。偽(ぎ)。「逆もまた―なり」です。
日本語に「敵も味方なり」
「昨日の友は、今日は敵」というのがあります。
興味や価値観の対象をどこにおくかで判断が変わってきます。
私は好奇心が旺盛で書籍の文章から
過去で起こった日常の出来事の方に関心があります。
その場所で何が起こっていたのか、
また、その場所へ行けば何かが分かるのだろうか?
表と裏、私は裏で起こった出来事に関心を寄せます。
真実と嘘、現実と仮想、正義と悪、王政と民衆、
どちらかに軸足を置くと見方と答えが変化する。「逆もまた真なり」
イエスキリストが死刑の判決を受け、十字架を背負ってゴルゴダの丘に
向かって歩いて行ったというヴィア・ドロローサ(悲しみの道)は、
城壁に囲まれたエルサレム旧市街地にあります。
(国際法上ではパレスチナ分類されイスラエルによる実行支配下にある)
その道筋では、キリストの最後の足取りが辿(たど)れるので、
興味のある人は順を追って歩いてみるのがいいと思います。
キリストゆかりの場所は留(英語ではSTATION)と呼ばれ、
キリストが死刑判決を受けた場所が第1留、
十字架を背負わされた場所が第2留、
十字架の重さに耐え切れず最初につまづいた場所が第3留…と続き、
最後に墓に納められた場所が第14留となっています。
最初から順番に見ていくと、全体の距離は1kmほど。
私はイエスキリストの存在も彼を讃える話も信じていません。
若い時に興味を持ったのだが行く機会に恵まれなかった。
それどころか、今はパレスチナとイスラエルの戦火で一生行けない。
これが事実であろうと物語であろうと、
はたして自分の扇はどちらを望むのだろうか?
興味とは次の好奇心が見つかった時に起こります。
私は新しい情報が入ると現地に飛び確認する癖があります。
地方の放送局やライブハウスのオーナーから凄い新人がいるよと
聞けば、翌日には現地に向かいます。海外でも同じです。
中国の古典楽器演奏家「女子十二楽坊」の時にも
紹介された翌週には北京に飛んでいました。
好きも嫌いも確かめなければならない悪い癖だと思います。
プロデューサーとしてヒットを作り出すためには
「探求心」と「行動力」が無ければチャンスを
逃してしまうことになります。
果たして皆様はどちらの風を望むのでしょうか?
敢えて強い北風に立ち向かうのも楽しいですよ。
人生の扇(おおぎ)は大きく開いてお使いください。
2月 29th,2024
恩学 |
扇(おおぎ)を開く はコメントを受け付けていません