老の木「綾鼓」




能楽の「綾鼓」は、老人の恋の悲劇や怨恨が中心に描かれています。
恋は年齢や身分に関係ないものですが、下賤な身の老人が、
高貴な美女に恋をするという設定において、はじめから悲劇的な結末が
予感されます。

前場では老人の一途な恋が描かれますが、後場では一転して、女御に
弄ばれていたと感じた老人が恨みを強く持ち、女御を強く責め立てます。
一方で女御の方も、綾でできた鼓を渡した時点で正気ではなかったと語り、
この悲劇のやり場のなさが強調されます。最後の場面で再び淵へと
消えていった老人の亡霊の行方も語られないままで、多様な解釈が
可能となっています。

もともと「綾鼓」は宝生流と金剛流にありました。喜多流の「綾鼓」は、
一九五二年に宝生流から贈られたものをもとに、歌人としても有名な
土岐善麿と十五世宗家の喜多実によって大幅に改訂されたものです。
「綾鼓」の類曲には「恋重荷」があり、観世流と金春流で上演されています。

また三島由紀夫は「綾鼓」をもとに「綾の鼓」という戯曲を作り、
法律事務所に小間使として勤める老人が、洋装店の客の女性に恋をする
という設定で、現代版に大胆にアレンジしました。
現代だからこそ訴えかけるテーマも本作にはあると言えるでしょう。

年を重ねても若々しい人は
自分で限界をつくらず
新しいことに挑戦してるから
年を重ねても美しい人は
いろんな経験や失敗を重ねて
自信を持っているから
年を重ねても魅力ある人は
自分の心と向き合って
ありのままでいるから
年を重ねるのは悪いことではなく
どのように生きたか

ネット上でこの言葉と出会いました。
私もこうありたいと思う気持ちと一つになった瞬間です。
がむしゃらに生きて来た人生に悔いはありません。
ただ一つ後悔があるとすれば周りの人達に迷惑をかけて来たことです。
自分の挑戦に付き合ってくれた家族や友人に感謝するのみです。
私はプロデューサーとして他人の人生を応援する立場です。
今の世の中このような人が現れれば救いになるなと思う気持ちが基本で
アーティストとの出会いにプロデューサーとして励んできました。

いつも新しい出会いがあり自然に若い文化の中心にいる気分でした。
友人も多岐に渡り大勢触れ合いました。画家、ファッションデザイナー、
レストランオーナー、起業家、映画監督、海外のクリエイター含めて
大勢の友人と熱く語り次の時代を豊かにするために夜通し話し合いました。

「時には昔の話を」
作詞:加藤 登紀子 作曲:加藤 登紀子

時には昔の話をしようか
通いなれた なじみのあの店
マロニエの並木が窓辺に見えてた
コーヒーを一杯で一日
見えない明日を むやみにさがして
誰もが希望をたくした
ゆれていた時代の熱い風にふかれて
体中で瞬間を感じた そうだね

道端で眠ったこともあったね
どこにも行けない みんなで
お金はなくても なんとか生きてた
貧しさが明日を運んだ
小さな下宿屋にいく人もおしかけ
朝まで騒いで眠った
嵐のように毎日が燃えていた
息がきれるまで走った そうだね

一枚残った写真をごらんよ
ひげづらの男は君だね
どこにいるのか今ではわからない
友達もいく人かいるけど
あの日のすべてが空しいものだと
それは誰にも言えない
今でも同じように見果てぬ夢を描いて
走りつづけているよね どこかで

私は今も多くの団体の役員や理事を務めさせていただいています。
高齢者と子供達を応援する団体にも所属しています。
そして新たな勉強会「糸紡ぐ会」も始めています。
勿論、音楽関係の仕事は続けています。
75歳のプロデューサーが50歳のロックシンガーを手掛けています。
この挑戦も世界初です。成功すればギネスものです。いや成功させます。
ファッションの新しいブランドを立ち上げるプロジェクトにも参加します。
「老人と孫」という対話集会で中心的な存在で活動もしています。

「フランスの男と女は、歳をとるほど恋をする」
フレンチ・シネマの中にある「恋愛の記録」を紐とくと、年配の男女が
手を繋ぎオシャレしてカフェで待ち合わせしている場面をよく観ます。
年齢を重ねた分だけオシャレにセンスの良さが光っています。
細巻きタバコを咥えてワイングラスを持っている姿がまるで
映画の一場面のようです。エスコートする男性の姿も様になっています。
最近ではミニマリストが流行っており物を多く持つのではなく、
身軽な最小の物だけで暮らすというブームです。
多くの人と交わるよりも、好きな人と貴重な時間を過ごす。大切なことです。

日本では仕事や子育てから解放されるといきなり年寄り扱いになります。
オシャレとは程遠い老人服と危ないからという理由で外での会食を制限されます。
私は堂々と人前で女性にハグをします。そして手も握りしめます。
大好きなワインもそれなりにいただきます。いつも未来の話に花が咲きます。

70歳の時に家内と一緒にNYへ行ったのですが、家内のリクエストにより
若者旅に挑戦しました。安い航空運賃と安いホテルのセットで出向き、
先ず飛行場でUberの登録をして車を呼びました。ブルックリンにある
ホテルは一般的なアメリカンスタイルのビジネスホテルでした。
小さな部屋でベッドと洗面所しかないような空間でした。

家内が観光はいらないからクラフト系の工場を見て回りたいとの要望で、
毎日地下鉄に乗って歩き回りました。70代とは思えない行動です。笑い
NYには家内の従兄弟が住んでおり時間のある時に、彼女の娘さん同伴で
街角にあるレストランへ食事に出かけました。地元の住民が大騒ぎしている
騒がしいレストランですが、気取った店より数段美味しかったです。
年をとってからのドタバタ珍道中でしたがとても笑いの絶えない旅になりました。

私が若者たちに伝える言葉の一つに「若き日には薔薇をつかめ」
というのがあります。その意味は若い時にはどんなことをしてもリスクを恐れるな、
バラを手づかみして傷ついても傷はすぐに癒やされる。
だから燃えるような情熱を絶やすな!
そして今私が高齢者になり枯れた薔薇と共に店先に飾られるようになりました。
それでもプライドとパッションは消えることはありません。
身体の不具合を感じながら老いることを楽しんでいます。
さあ、今日もライブハウスへ出かけるぞ!