ひとりで進め




この一言で勇気が生まれた。
「九十九人の人が、川の向こう岸で騒いでいようとも、
自分一人はスタスタとわが志したこちら側の川岸を、
わき眼もふらず川上に向かって歩き通す底の覚悟がなくてはなるまい」
哲学者森信三

大学の夏休みに大阪から栃木の母親に会いに行くために歩き出した。
6歳の時に家庭の事情で別れ離れになっていた母親に内緒で会いに行った。
ただひたすら国道1号線を東京に向かって歩いたのである。
もう自分の存在なんて忘れてしまったのでは無いかと不安に駆られての
行動である。母親が住んでいる小山市に着いて商店街を歩いていたら
1人の年若い女性がじっと私の顔を見て突然走り出した。
そして10分もしないうちに母親と思しき女性を連れて戻って来た。
その女性は3才の時に別れた妹であった。

大学3年の時に学校がつまらなくなり近くの工事現場でバイトした。
そこで1年働いてロンドンに向かう旅費を稼いだ。
そして1年半ロンドンにいて帰国してCBSSONYというレコード会社へ入った。
当てもなくロンドンへ行った時にもバイトも学校もアパートも1人で探した。
日本へ戻っても1人なので全て自分の責任で人生を切り開くしかなかった。

音楽業界で働くようになって気づいたのはシステムが古くて
話にならなかったことです。これは根本から変えなければ海外から
笑いものになると思ったのです。その時から自分の名刺に手書きで
プロデューサーと肩書を書いた。宣伝をして回りました。
社内外で笑い者になっていたことは知っていました。
しかし私が日本の音楽プロデューサー第一号と自負しています。

必ず人と違うことを始めたら殆どの場合煙たがられる。
あからさまに敵対心を持って「要らないことをするな」と邪魔をされる。
しかし子供の頃からこの程度のいじめは慣れっこである。
何も出来ない奴ほど騒ぎ立てる。エリートにこの手が多い。
しかし飛び込まなければ波紋は広がらない。時代は変わらないのである。

「ひとりで進め」について
「ひとりで進め」は、1905年にラビンドラナート・タゴールが作詞した
ベンガルの愛国歌であり、マハトマ・ガンディーや、
他の多くの人たちが愛した歌でした。
調べてみるとこの歌の詞にはいくつかのバージョンがあります。
それが、ベンガル語から日本語への翻訳の際に生じたのか、
もともといくつかの種類があるのかは分かりません。
以下の歌詞はインドの歌手シュレヤ・ゴシャルさんの
歌の英訳の歌詞を日本語訳したものです。

歌詞「ひとりで進め」(全文)
あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、
ひとりで進め、ひとりで進め、ひとりで進め
あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、
ひとりで進め

もし皆が口を閉ざすなら。
おお、不運な我が友よ、
もし皆が、あえて語らないなら
誰もが恐れで、見て見ぬふりをするなら

心を開き、できるだけ大きな声で、
あなたの考えをそのままに、
ひとりで語れあなたの呼びかけに、
もし誰も答えないなら、ひとりで進め
あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら

もし皆が離れていくなら、
おお、不運な我が友よ、
もし皆が逃げ出すなら
困難な道に沿って歩いているとき、
誰もがあなたを見捨てるなら

道が茨に覆われていたとしても
それを踏みつけて、足を血で濡らしながら、
ひとりで進め
あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、
ひとりで進め

もし誰も光を掲げないなら、
おお、不運な我が友よ、
もし誰も光を示さないなら
もし雷雨の暗い夜に、
皆があなたの前で扉を閉め切るなら
まさにその稲妻で胸に火を灯し、
ひとりで道を照らせ

あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、
ひとりで進め、ひとりで進め、ひとりで進め
あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、
ひとりで進め end

自分の約束を自分で破ることは最低な行為である。
自分を裏切るな!たとえ孤独の波に包まれても耐え抜くのだ。
恐れるな!前に進むしかないのだ。

『走れメロス』は、人間の根底にある心理を巧みに描きながら、
信頼とは何かを問う物語です。まずは、あらすじを簡単に解説していきます。

妹の結婚準備のためシラクスの市を訪れたメロスは、人づてに聞いた
国王による残虐な行いに激怒し、城へ乗り込みます。
王に歯向かった罪で、メロスは処刑されることになります。
メロスは処刑を受け入れるものの、妹の結婚式のため3日間の猶予が
ほしいと述べ、親友のセリヌンティウスを人質にすることを提案し、
認められます。そして無事に妹の結婚式を見届けたメロスは、
親友の待つ城へ向かって走りだします。肉体的疲労や自身との葛藤、
度重なる障害を乗り越えて約束を守ったメロスの姿に、王は改心します。
太宰治

1人の心情と行いで世の中は変わることがある。
小さな光がやがて大きな光になり国をも変える。
自分を裏切るな!誰にも頼らずにひとりで進め。

「一灯照隅、万灯照国(いっとうしょうぐう、ばんとうしょうこく)」
という言葉の一節。比叡山延暦寺を開いた最澄が、
唐から持ち帰った言葉とされています。

初めは一隅(片すみの部分)を照らすような小さな灯火(ともしび)も、
その灯火が百、千、万と増えれば、国中を明るく照らすことになる。
その様子を表しています。「一灯」とは、一つのともし火のことで、
仏教を開いた釈迦の教えを象徴していると言われています。
初めは釈迦が一人で坐り一人で悟ったことが、彼の身の回りの人々に伝わり、
時代が下った今では多くの人が知ることとなったことを表している。
とも、解されています。

ひとりで進め!誰かの合図を待つな、誰かと行動を共にすることを考えるな
そして、栄誉とか褒賞とか期待することなく一途に「ひとりで進め」