西洋精神




西洋精神の土台は「神」
医師長岡美妃の考え
(素晴らしい内容ですので皆様にご紹介します)

これは東洋に生きている人間からすると想像できないほどの
揺るぎない概念として根付いていることを知る。
西洋哲学とは、この「神」概念を超えようとする挑戦のように見えなくもない。
近代哲学の祖と言われるデカルトも、また現代にも多大な影響を
与えているカントも「神」の要請をした。

そしてカントは「神」の存在論証を次の4つで分類した。
1. 目的論的証明(自然神学的証明):世界が規則的かつ精巧なのは、
神が世界を作ったからだ。
2. 本体論的証明(存在論的証明):「存在する」という属性を
最大限に持ったものが神だ。
3. 宇宙論的証明:因果律に従って原因の、原因の、原因の・・・と
遡っていくと根本原因があるはず。この根本原因こそが神だ。
4. 道徳論的証明:道徳に従うと幸福になるのは神がいるからだ。
つまり、物自体、絶対精神などと言葉の変換はあるが、
やはりそこに人智を超えた存在をみている。

その後、ニーチェは「神は死んだ」と言い放ったものの、
それを代行する思考土台を提唱できず、ある意味中途半端な概念破壊に留まった。

現代は西洋文明が引っ張っている時代である。
東洋は西洋に追従し、知らず知らずに西洋の思考方式を絶対として考えている。
合理主義、民主主義、物質主義が正しく、それに即わない考えはおかしいと
一笑に付す。しかしどうだろうか・・・東洋、特に日本においては
一神の神を全面的に受け入れている人は多くないのではなかろうか。
西洋が、特にアメリカが言うならば、それも良しだね。という具合の人も
かなりのいるのではなかろうか。
(ここで断っておくが「神」がいる・いない、の議論をしているのではない。
時代精神の主軸はどうなっているのかの話である。)

西洋哲学をみていて思うのだが、「神」に至った途端に
思考停止になるように感じる。
天才的な思惟を積み重ねてきて最後の最後「神」で括る。
またはヴィドゲンシュタインのようにそこには触れないというスタンスを取る。
ということは、コインの表(現実世界)から裏(神)に至ったらおしまい!である。
だから「人間とは何者か?」「この現実とは何か?」という
コインの裏から表の仕組みには至らない。
そしてこれが現実の悲惨さ残酷さを生み出している元凶なのだ。

現実とは何かがわかった時、人間の心にある不足感は雲散霧消する。
人間とは何かが誰もがわかった時、人間の世界に争いは無用となる。

・・・世界にある様々な危機問題の根本はここにある。
人類は今、「神」の概念すなわち「有」の概念を完全に超え、
新しい「動き」の概念を共通土台として持つに至る必要がある。
そしてそれをリードするのは東洋であり、その中でも「動き(心)」を
実生活に応用活用した武士道のある日本であることは間違いない。
日本の勇気、それが問われているのだと感じる今日この頃である。

22歳の若者と話していた。
「何をしたらいいのか分からない。」途方に暮れた顔をしていた。
とりあえず手っ取り早くお金を稼いで、東京ドームのVIPルームを借り切って云々…。
私は問う「それやってどうするの?」と。
「そうなんすよ。だから何?って感じです…
でも何をしたらいいのか分からないです。マジで」

私はそこでサルトルの言葉を思い出す。「人間は自由の刑に処せられている」
封建社会の時は生まれた時からやるべきことが決められていた。
だから迷うことはなく、豆腐屋は豆腐屋に、武士は武士に、大名は大名に。
それぞれのポジションを全うすることだけを肝に銘じて生きればよかった。
しかし現代は、人間は平等になり横一列に並ばされた。そこには親子の序列も、
先生・生徒の序列も、目上の人を敬うということもなくなった。
そう、ポジションなき自由を与えられたのだ。

しかしそれによって失われたものもある。それは何かと言うと、
敢えて不自由の中に身を投じるという自由さである。
人間の本質は無限の自由である。
しかしその自由には歓喜の爆発という演出はない。
ただただ続く無限の自由。だから本質は敢えて不自由を創ったのだ。
究極の不自由さの中にあるエクスタシー。サムライの忠義とは義務ではない。
それは能動的な明け渡し、自我の放棄。それこそが真の自由。

家庭も学校も自由平等を旗印に歩んできた戦後教育。あれから80年経った今、
若者たちは壊れた羅針盤のようになっている。
人間とは何者なのか?生きるとは何か?…その本質的な問いを持ち、
その答えを持って生きさせなければ大変な時代になっていく。
若者との会話からそんな危機感を感じた1日だった。

山鹿素行の「中朝事実」を知る。
吉田松陰、乃木希典が読み込んだとされる「中朝事実」である。
明治維新の精神はこの全2巻の著書によって貫かれていると言っても
過言ではないのではなかろうか。

日本は強かった…素直にそう思う。それは国体への仁があり、
天皇への忠があり、己のポジションへの義があったからであろう。
しかしそれだけではなく、日本という国は超現実主義で、
武は神武不殺をうたっていた。

神武不殺とは、「武の真髄は殺すにあらず、先に攻撃するのではなく、
相手の出方にどう対処するかに練磨の主体をおく、
相手を殺傷する技術を持ちながら、できるだけ殺傷しない
日本武道の永遠の理想」である。
つまり完全に勝てる準備は怠らず、しかしそれは自分も相手も殺さない
道を行くためということ。

ことわざに「負け犬の遠吠え」というのがある。それは神武不殺とは正反対。
何の準備もせず、或いは準備を怠っていることを棚に上げ、不甲斐ない結果に
クヨクヨしている姿が透けて見える。真の強さとは、完全に勝てる道を持ちつつ
余計な戦いをしないことだ。しかしいざ戦いになれば、容赦せずに断ちにいく。

今の日本、「二度と軍事戦争はしない!」「核は持たない!」私も大賛成。
ならば、誰もが戦争不可能な状態にしてしまう(教育)戦争の完璧な
準備をしておくことが必要なのではなかろうか。

ここ1ヶ月、儒教を勉強していた。
特に新儒教と言われる「朱子学」とそのアンチテーゼとして出てきた
「陽明学」について。

陽明学は日本の最大の事件である明治維新の倒幕の志士たちが貪るように
学んだ思想哲学である。吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、など、
あれだけの行動力の根底には陽明学あり。
人間はどんな思想哲学を入れるのかによって
行動が変わることを歴史の事実を通して教えてくれる。

さて、あれから160年。そのちょうど半分のところに1945年8月15日があり、
その時日本は日本精神を自ら無きものにしたという大事件が起こっている。
それは一つに日本を日本たらしめていたもの、儒教であり、古学であり、
国学であったのだが、それらを封印したのだ。
エリート教育は悪の根源とばかりに、暗記や技術習得が教育と化し、
リーダーに必要な哲学や倫理を教えることはなくなった。
その結果…日本は日本でなくなっていったのではなかろうか。

しかし儒教が、明治維新を起こした陽明学が両手をあげて素晴らしいと
言っているのではない。やはり世界をリードする日本になるためには、
人間完成に到らせる教育とその実践が必要である。
そしてそれはnTechが担える。

今回儒教を勉強していて、朱子学と陽明学のハイブリッドがnTechのように
思えてならなかった。孔子も朱熹も王陽明も、文明のパラダイムシフトに
やって来ているな、と彼らの意思を感じていた。

長岡先生の言葉は時代の核心をついているし思考の本質である。
特に現代人は教養として本を読むことが少なくなり、
哲学者の名前も宗教の本質も理解できなくなっている。

私もこのブログ「恩学」で極力それを伝えようとしている。
私は思考のきっかけを読者に与えることが目的で始めました。
今回の長岡先生の文章から何を読み取ることかが大切です。
何度も繰り返して読んでみてください。


奇跡とは




世界最大の奇跡は日本で起こった。
1945年8月6日に広島、9日に長崎に原子爆弾が投下され、両都市は、
原爆の爆発とその後の火災で壊滅し、大量の死傷者を出した。
日本は東京をはじめほとんどの主要都市が破壊されて瓦礫の街になった。
第二次世界大戦において、イギリス・アメリカ・中国・オランダの連合国に
敗北し、朝鮮半島や台湾などの領地を喪失した上に、敗北と占領下による
経済活動の荒廃や混乱を経た上でも、日本は敗北から急速に復興した。

1940年代後半に発生した食糧危機の影響により経済状況が一時悪化し、
以後経済が不安定な状況が続くが、朝鮮特需を追い風に復興が続き復興特需と
インフラの再整備、内需転換が続き占領下を脱して1年半の1953年後半ごろ
には戦前の最高水準を上回った。
1956年10月には戦後11年で経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言。
世界から奇跡の復興と注目を集めた。

奇跡(奇蹟、きせき、英:miracle)は、人間の力や自然法則を超え、
神がかり的な現象とされるできごと。
基本的に奇跡は宗教および信仰と結びついていることが多い。
そして奇跡という表現はどちらかと言うとキリスト教などを中心として
西洋宗教で用いられる用語で、それに相当するような内容を仏教や神道では
「霊験」(れいげん)と言い、たとえば「霊験あらたか」などと表現する。

「奇跡」「奇蹟」は、古典漢文に由来し、単純に珍しいことを指していた。
19世紀末の日本でmiracleの訳語に使用され、中国にも逆輸入された。
宗教において宗教学では奇跡の真偽の研究はせず、各宗教において奇跡や
霊験とされる出来事・記述を収集・分類・比較し、またそれが信徒の心理や信仰と
どのような関係があるか、などといったことなどを研究するのみである。

地球が誕生したことも人間がゴリラやチンパンジーと同種ながらも
人間だけが二足走行に進化したのも奇跡です。
僅か0,1mmの卵子に精子が入り命が宿り人間となるのも奇跡です。
水素Hと酸素Oが合わさってH2Oになり、水となることも奇跡です。
宇宙空間に太陽があり、その周りに惑星が存在している事も奇跡です。
毎朝目が覚める事が奇跡です。生きている事自体が奇跡です。
これこそ奇跡の産物です。奇跡に感謝しなければなりません。

人々はあり得ないことを奇跡と言います。
奇跡に理由は不要です。多くは努力の結果です。
しかし天変地異を揺るがすほどの出来事なら本当の奇跡というのでしょう。
日航の御巣鷹山の墜落で生き残った川上慶子さんという女の子は本当に奇跡です。
先日インドでも飛行機事故で乗客一人だけが自力で脱出したことも奇跡です。

奇跡が幸福の象徴とは思わないでください。
奇跡によって新たな悩みが起こる可能性があります。
他人は新たにさらなる奇跡を求めるからです。
多くの奇跡は努力の限界の先から生まれて来るものです。
限界の先には大きな扉がありその扉を開けた者だけに奇跡が与えられます。

スポーツの世界では前人未到の奇跡ですとよく使われる言葉です。
シドニーオリンピックで金メダルを取った高橋尚子に対しても連呼されていました。
普段の実力以上の記録が出た時に興奮したアナウンサーが言う。
努力と運が混ざり合って実力以上の成績が出たときに奇跡という。
興奮した時に出るノルアドレナリンが奇跡の元かもしれません。

アメリカ映画「パッチ・アダムス」を観たことがありますか?
父親がアメリカ軍の兵士だったため、韓国やドイツなどの駐屯地で育つ。
父親とは疎遠で、父親が亡くなったあと、教師をしていた母親と兄とともに
アメリカに帰国。学校でいじめに遭い、それから逃れるために3度入院生活
をした。18歳のときに、問題から逃げるのではなく、社会変革を起こして
立ち向かおうと決心し、退院後、クラウン(ピエロ)の格好で人々を
楽しませる活動を始めるともに、多くの書物を読みはじめる。

学生時代から金儲け優先の医療のあり方に疑問を持ち、愛とユーモアを
根底において、人に優しい医療を目指す。1964年、ジョージワシントン大学
医学部進学課程入学。(米国は一旦大学を卒業した者が医大で学ぶ。
医学部進学課程とは、その予備門。)1967年、ヴァージニア医科大学入学。
1971年に同医科大を卒業すると、ウェストバージニア州のポカホンタスに、
自分の目指す医療のできる、しかも無料で医療サービスの受けられる病院
「ゲズントハイト・インスティテュート」を設立する。

「ゲズントハイト・インスティテュート」は「お達者(お元気)で病院」といった
意味。「die Gesundheit」は元は「健康」という意味のドイツ語でまた誰かが
突然くしゃみをした時に、そばにいる人が「大丈夫?」「気をつけて」
「お大事に」といったニュアンスで声をかけてあげる時の言葉である。
英語では「God bless you」ガッドブレスユーと言います。
12年間そこで無料の診療活動を行った。
(当時はかなり奇異に思われてまったく寄付がなかった為、無料診療を
続ける為に他で働かざるをえない状況だった。)

将来新たに建設を目指している新たな「ゲズントハイト・インスティテュート」
(アメリカではクリニック)は、ウェストバージニア州に予定されており、
総合医療の全般とヘルスケアの病院になることを期待されている。
「パッチ・アダムス」は、さらに社会的な活動家でもあり、一種の民間外交官
でもあり、プロの道化師、アーティストであり、俳優でもある。
たとえば、彼は毎年世界中のボランティアたちと共にロシアに出かけて、
孤児や患者やそのほかの大勢の人たちを喜ばせたり、希望を持たせるような
チャリティ活動をしている。これこそ奇跡から生まれた実話です。
主演は名優ロビン・ウィリアムスでした。

二股な道に差し掛かる右手は舗装された道路で快適そう。
左手はでこぼこ道で何が起こるか分からない。
Googleナビは右側を選んだ。しかし何故かその日は直感に従い左側を選んだ。
しばらく険しい道を行くと海の見える小高い丘に到着した。
すると目の前に天国に続くような夕日の道筋がいっぱいに広がっていた。
そこにまさに奇跡が潜んでいた。誰も行ったことがない道を選んだから
違った体験をしたのです。他人はそれを奇跡の出会いと言います。

奇跡は予期せぬ行動から生まれることもあるのです。
予定調和の人生を歩むより冒険に満ち溢れた人生を選んでみてください。
皆様も恐れずに自分の能力を信じて前向きに生きてください。
いつかきっとおおきな奇跡に巡り合うかもしれません。


名演説




名演説とジーンズ
「名演説」出石尚三作
歴史に遺る名演説といえば、ゲッティスバーグでしょうか。 
もちろん、エイブラハム・リンカーンの。
「人民の、人民による、人民のための政治が、
この地球上から滅びることがないよう、
堅く決心することである。」

これが結びの言葉。この少し前に。
「世界は私どもがここで話すことを、ほとんど注意しないであろうし、
またながく記憶しないであろう。」

こんなふうに語ってもいるんですね。ところがそうではなかったこと、
ご存じの通り。昔、英國のある文人が言ったそうです。
「アメリカにたったひとつ美文がある。それはゲッティスバーグにおける
リンカーンの演説である。」

あまりにも有名なこの演説、ニ、三分のことであったという。
これに対して、エヴェレットの演説は、二時間。
エドワード・エヴェレット(1794~1865年)は政治家にして、
名弁論家と謳われたお方。

はじめにエヴェレット、次にリンカーンが話した。
翌日、リンカーンはエヴェレットに宛ててお礼の手紙を。
それに対するエヴェレットの返事。
「小生の二時間の演説が、閣下の五分間のお話の要点に、
少しでも近づくことができていれば、望外の光栄と存じます。」

リンカーンが写真でよく見るような、フロック・コオトを着るように
なったのは、1835年頃のことなんだそうです。
リンカーン、二十六歳ころのこと。それまでのリンカーンは、
質素な身なりで平気だったという。

麻のシャツに鹿革のズボン、麦藁帽の出で立ち。
まあ、今の時代に置き換えれば、
Tシャツにジーンズといったところでしょうか。
堂々と胸を張れる素晴らしいジーンズを穿いてみたいものです。
でも、演説はできませんがね。

私が推薦する「名演説」とは。
亡くなったスティーブ・ジョブズ氏は多くの印象的な言葉を残した。
中でも2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは、
自らの生い立ちや闘病生活を織り交ぜながら、人生観を余すところなく語り、
広く感動を集めた。「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ」。

世界でもっとも優秀な大学の卒業式に同席できて光栄です。
私は大学を卒業したことがありません。実のところ、きょうが人生でもっとも
大学卒業に近づいた日です。本日は自分が生きてきた経験から、
3つの話をさせてください。たいしたことではない。たった3つです。

まずは、1つ目は点と点をつなげる、ということです。
私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの
1年半は大学に居座り続けたのです。ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。
私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。母は決心し、私を養子に
出すことにしたのです。母は私を産んだらぜひとも、だれかきちんと大学院を出た
人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。
ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだした。

こうして育ての親となった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。
「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」
と。両親は「もちろん」と答えた。生みの母は、後々、養子縁組の書類に
サインするのを拒否したそうです。私の母は大卒ではないし、父に至っては
高校も出ていないからです。実の母は、両親が僕を必ず大学に行かせると
約束したため、数カ月後にようやくサインに応じたのです。
そして17年後、私は本当に大学に通うことになった。

2つ目の話は愛と敗北です。
私は若い頃に大好きなことに出合えて幸運でした。共同創業者のウォズニアックと
ともに私の両親の家のガレージでアップルを創業したのは二十歳のときでした。
それから一生懸命に働き、10年後には売上高20億ドル、社員数4000人を
超える会社に成長したのです。そして我々の最良の商品、マッキントッシュを
発売したちょうど1年後、30歳になったときに、私は会社から解雇されたのです。

私の人生をかけて築いたものが、突然、手中から消えてしまったのです。
これは本当にしんどい出来事でした。
1カ月くらいはぼうぜんとしていました。私にバトンを託した先輩の起業家たちを
失望させてしまったと落ち込みました。デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、
台無しにしてしまったことをわびました。公然たる大失敗だったので、
このまま逃げ出してしまおうかとさえ思いました。

しかし、ゆっくりと何か希望がわいてきたのです。自分が打ち込んできたことが、
やはり大好きだったのです。アップルでのつらい出来事があっても、
この一点だけは変わらなかった。会社を追われはしましたが、もう一度
挑戦しようと思えるようになったのです。

そのときは気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、
人生でもっとも幸運な出来事だったのです。将来に対する確証は
持てなくなりましたが、会社を発展させるという重圧は、もう一度挑戦者に
なるという身軽さにとってかわりました。アップルを離れたことで、
私は人生でもっとも創造的な時期を迎えることができたのです。

その後の5年間に、NeXTという会社を起業し、ピクサーも立ち上げました。
そして妻になるすばらしい女性と巡り合えたのです。
ピクサーは世界初のコンピューターを使ったアニメーション映画
「トイ・ストーリー」を製作することになり、今では世界でもっとも成功した
アニメ製作会社になりました。そして、思いがけないことに、
アップルがNeXTを買収し、私はアップルに舞い戻ることになりました。
いまや、NeXTで開発した技術はアップルで進むルネサンスの中核となっています。
そして、ロレーンとともに最高の家族も築けたのです。
アップルを追われなかったら、今の私は無かったでしょう。
非常に苦い薬でしたが、私にはそういうつらい経験が必要だったのでしょう。

好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。
決して立ち止まってはいけない。本当にやりたいことが見つかった時には、
不思議と自分でもすぐに分かるはずです。すばらしい恋愛と同じように、
時間がたつごとによくなっていくものです。だから、探し続けてください。
絶対に、立ち尽くしてはいけません。

3つ目の話は死についてです。
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、
その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。
それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に
問いかけるようにしているのです。
「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

1年前、私はがんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、
膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。
私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。医者はほとんど治癒の見込みがない
がんで、もっても半年だろうと告げたのです。
医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。
つまり、死に備えろという意味です。これは子どもたちに今後10年かけて
伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。
家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。
別れを告げなさい、と言われたのです。

あなた方の時間は限られています。
だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。
ドグマにとらわれてはいけない。
それは他人の考えに従って生きることと同じです。
他人の考えに溺れるあまり、
あなた方の内なる声がかき消されないように。
そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。
あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。
ほかのことは二の次で構わないのです。

「ハングリーであれ。愚か者であれ」私自身、いつもそうありたいと思っています。
そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。
ハングリーであれ。愚か者であれ。
ありがとうございました。
スティーブ・ジョブズ氏が2005年6月12日、スタンフォード大学の卒業式で
行ったスピーチ原稿の翻訳。


老人脳




あるNPO団体の役員をなされている
年配の女性の方から相談を受けました。
組織内のトラブルで困っているという事でした。

団体のトップの方も高齢の女性なのですが、
以前に比べて包容力がなくなり、
人の意見に対して反対意見を述べることが多くなった。

会員の方々からの意見や提案もことごとく反対する。
それでみんなやる気をなくしている。
ボランティアで参加しているのに作業中の笑顔を中止される。
どうすれば良いでしょうかと云う内容でした。

私からの回答はあの方はすでに「老人脳」になられているので
それを分かった上でお付き合いくださいと言いました。
若い頃と違って肉体も精神も少しのことで敏感に反応します。
長い間いろいろな経験でうまくいってないことがあふれていて
これも駄目、あれも駄目、本人としては親切心で言っているのです。
それを「若者脳」で考えてあれこれ指摘するのは間違っているのです。
役員のあなたが間に入りそれをフォローすることが大切ですよ。

高齢者とのお付き合いは一般常識で正しい悪いでは判断してはなりません。
相手の悪いところばかり言い合うから気分が低下してしまうのです。
逆に相手の良かったところを取り上げれば、ちょっとした問題も
笑って気にならなくなります。
「私たちがフォローすればいいだけじゃないか」
と気持ちを切り替えて元気なスタッフと前に進めれば良いだけですよ。

総じて一般的に歳を取ると、周りが気にならなくなる、記憶が曖昧になる、
同じ主張をくり返す、感情的になる……年齢とともにそういう傾向になる
人がかなりいます。こういう行動を知らず知らずにとってしまうのは
脳の老化現象の一種です。これを「老人脳」と呼んでいます。

しかし、これまでの研究と世界中の脳の老化研究から分かってきた
ことは、脳の老化現象である「老人脳」は後天的な原因で40%起きており、
日々のさまざまな習慣(思考×行動)の積み重ねによって変えることが
できるということ。また、習慣を変えることで、
老人脳を遠ざけることができるのです。

新しいことをすることは、脳にいいという話をしてきましたが、
それを習慣化することが簡単ではない人もいるようです。
そういう人の話を聞いていると、「新しいこと」というのを
ちょっと大げさに考えすぎてしまっていることがあります。
この知人のように、「ちょっとしたこと」で十分です。
それだけで、脳は変化します。

例えば、散歩や通勤で歩いている人であれば、その道をときどき変えてみる。
図書館に行く、書店に行くという習慣をつけることも脳にいい行為です。
実は、読書の習慣がある人ほど健康寿命が長くなるという研究報告もあります。

ニューヨーク大学の実験でこのようなものがあります。
学生のグループを2つに分けて、言葉の羅列で文章をつくってもらう
という実験です。
1つ目のグループには「グレー」「孤独」「忘れやすい」「退職」などの
年配者のような言葉を使ってもらう。
2つ目のグループにはニュートラルな言葉で文章をつくってもらう。
「のどがかわいた」「キレイな」「プライベート」などです。
そしてグループごとに移動をしてもらったところ、なんと年配者のような
言葉を使ったグループメンバーの歩くスピードが遅くなってしまったのです。
これにはビックリしました。

この実験から分かることは、使った言葉がその後の行動に影響を
与えるということです。どういう言葉を使うかで、無意識のうちに
行動が変わります。どういう言葉を使うかは、大切です。

次の言葉は脳にマイナスになる「使わないほうがいい言葉」です。
これらの言葉は、使った瞬間に脳が悪い影響を受けてしまいます。
例えば、「疲れた」と言った瞬間に、疲れたイメージが脳に出てきます。
その結果、疲れたようなパフォーマンスをしてしまい、
本当に疲れた状態になってしまうのです。
実際にはそこまで疲れていなくても、脳が勝手に疲れた状態を
つくり出してしまうことになります。

「分からない」「難しい」などの言葉も、脳にとっては危険な言葉の1つです。
思考をフリーズさせないためにも、使わないほうがいいと思います。
また、自分のことをこう言ったり、考えたりするのは止めたほうが
いいでしょう。これは脳にとっての3大NGワードです。
・(老けた)・(歳をとった)・(もう若くない)
歳をとっているというイメージは、死亡リスクまで高めます。

自分の年齢に対して実年齢よりも8~13歳高く感じている人は、
死亡リスクや病気リスクが通常より18~35%高かったというのです。
「歳をとり、人生が悪化している」「若い頃に比べると幸せでない」
「実年齢より老けている」「顔が同年齢の人に比べて老けている」など、
自分は老けている、歳とともに幸せが減っていると考えている人は、
脳の老化のペースが速く、病気リスクや死亡リスクが上がるのです。

幸福度と脳の状態には関連性があるということを知っていますか?
残念なことに、日本は世界的に見て幸福度が高くない国ですが、
どうしたらここ日本でも手軽に幸福度を上げることができるのでしょうか?

1つ、すぐにできるいい方法を紹介します。
昔の楽しい思い出を振り返る。これだけです。
幸福度が高い人を調べていくと「過去の楽しい思い出を振り返る頻度が高い」
ことが分かりました。
どうでしょうか? これならすぐできそうですよね。
幸せは、過去の楽しかった記憶の数に比例するといわれています。
いま現在幸せを感じられなかったとしても、過去に楽しい記憶を
持っていれば幸福度は高まります。

それを思い出す頻度が高い人ほど幸福度が上がりやすくなるのです。
自分の頭の中で思い出すのでもいいですし、誰かと思い出を話しながら
共有するのもいいと思います。過去の楽しかったことを思い出すと、
どうでしょうか、すごくいい気持ちになりませんか。
ものを買っただけの幸せは長く続きませんが、幸せな思い出は長続きします。
また、私たちは24歳前後に流行っていた曲を最も好む調査結果もあるので、
当時の曲を聴いてみたり、カラオケで歌うのもおすすめです。

「老人叱るな行く道だから!若者叱るな来た道だから」
永六輔の「無名人名語録」に収録されている言葉です。
世代を超えてお付き合いするのは創意工夫が必要ですよ。
ましてや老人脳の年配の方には気配りが必要です。


魂とは




魂とは覚悟の代名詞、何世代前の辛い状況を乗り越えた時の記憶の甦り。
肉体は滅びても魂は滅ぶことはありません。輪廻転生を繰り返し
過去を忘れないようにする為の残された記憶の炎です。
現生では未経験の場所や事柄をふと思い出すことをデジャブーと言います。
これはまさしく何世代前の魂が経験したことを思い出すことです。
感動した時に「魂が震えた」と言いますが、その時の魂は何処に
あるのでしょうか?「心が震えた」と言わないのは何故でしょうか?
「魂」の字の部首「鬼」は,日本語でのおそろしい「おに」とは限らず,
「亡くなった人のたましい」の意味で,それに関係する文字が同じ部首に
属しています。云と鬼の組み合わせが「魂」です。

魂とは過去にあった民族の怒りや個人の憎しみが混ざり合った
塊ではないかと思うことがあります。
酷い仕打ちを受けた人たちは魂という言葉を多用します。
しかし裕福な人や成功者の口からは魂の話は聞いた試しがありません。
ですから魂は人間の怒りの原点ではないかと思うのです。
世界の民族音楽には怒りを乗り越えるための力強い歌が多数残されています。

魂とは肉体と相対するところにあるものです。(Spirit&Soul)
日本人は魂を身近な物体に預けることもします。
武士の魂を刀と言います。
調理人の魂は包丁と言います。
職人の魂も鉋との鑿と言います。

三つ子の魂百までは性質・性格を言います。
誕生した瞬間に神様が赤子にフット息を吹きかけるそれが魂と言われています。
神様から分け与えられた時のものは魂ということでしょう。
また霊というのは魂の昇華したのちの高次元の世界にある時の
呼び名「霊魂」と考えると言われています。

うたライブ5月テーマ曲「魂の叫び」作詞作曲伊丹谷良介。
宿命と運命、自分とは何なのか育てあげられてゆく魂の叫び
天命と必然、真我とは何か磨き続けていく魂の叫び
自問自答の末にたどり着く魂の叫び

魂の叫びとは身代わりの象徴ではないのか?
天皇が国の象徴と言われても皆目内容が理解できない。
私の魂論は自分の心の預かり場所、いわゆる実態のない抽象概念。
空気を読む研究者山本七平のようにその場の雰囲気で忖度する独特の観念。
第二次世界大戦の最高指揮官は昭和天皇である。日本人に取って天皇は神そのものです。
その下の最高指揮官山本五十六が言うから東條英機が言うから意見を覆せない。
日本の武力とアメリカの武力を比べて敗戦すると分かっていても
止めることができなかった。みんな今回の戦争も神風が吹くと信じていたからです。

魂は残り続ける
宿命(変えることができない)
運命(変えることができる)
天命(使命を与えられた人生)
寿命(与えられた人生の期間)

各国に代表される魂の歌。
米国ソウルミュージック、Earth Wind &fire、スリーデイグリース、ダイアナロス
韓国パンソリ、日本鳥取県貝殻節、ポルトガルファド、

黒人のブルース、リズム&ブルース、(歌は魂の叫び、魂の吐口)、
これに白人のカントリーウェスタンを取り込んだエレビス・プレスリー。
農業革命→産業革命→情報革命→2025年霊性革命(魂が入れ替わる時代)

まず、今日の無宗教の人たちに多いのは、
死んだら無になるという考え方です。
宗教でいえば、儒教は、現世についての教えで、
死後については知りません。
西洋哲学では、古代ギリシアで、デモクリトスが万物の根源は
目に見えない小さな粒々だと考えました。これをアトムと呼びます。


つまりすべては原子からなる物質できているということです。

そのため精神は存在しないといいます。
仮に霊魂のようなものがあったとしても、
それも原子でできていて、人間が死んだら散っていくそうです。
従って死んだら無になります。
このような、この世は物質のみからできている
という考え方を唯物論といいます。

ヘレニズム期になると、エピクロスが唯物論を継承し、死んだら無であり、
すべての宗教は迷信だと考えました。
その後、西洋では、霊魂を説くキリスト教が優勢になり、唯物論は
鳴りを潜めました。
ところがキリスト教の勢力が衰えてきた19世紀のドイツで、
このデモクリトスとエピクロスに関する論文を書いて学位をとったのが
マルクスです。マルクス主義は唯物論なので、
死んだら無になりますし、
宗教を民衆のアヘンだといいます。

プラトンの対話篇について、それがどのように哲学になるか、
もっといえば、「プラトンが対話篇において哲学をしている」とは
どういうことかを考えてきました。

そして、結局、問いが投げ出されているわけですが、それは、
「私たちはむしろ問いの中に投げ込まれている。その中で答えが与えられない。
ただソクラテスが吟味する言葉だけが与えられている」ということです。
そうした対話篇として書かれた対話を読んだ私たちは、
一体どのように哲学を始めるべきなのでしょうか。
これを最後に考えていきたいと思います。

これまで対話という言葉を使ってきましたが、これはギリシャ語の
ディアロゴス(英語のダイアログ)で、ロゴスとは言葉のことです。
ディアとは「何々を通じて」という接頭辞です。
つまり、言葉が人と人との間で行き交うこと、それが対話というものです。

対話という言葉は、プラトンにとって非常に重い言葉だと思いますが、
対話を交わすということはどういうことかというと、少しおどろおどろしい
言葉に聞こえるかもしれませんが、2つの魂が出会うことです。
つまり、決して私のこの体のこの喉が震えて何か言葉が出て、
それを耳の鼓膜を通じて聞くという話ではなく、私の魂が発するロゴスを、
別の魂、例えばあなたの魂がそれを受け止めるという営みが対話なのです。
つまり対話とは、まさに2つの魂が成立する場所だと、プラトンは
考えているのです。

私は、対話についてプラトンが書いている箇所を見ながら、
「対話とはそうした意味でソクラテスが交わしているのだな」と
読み解くわけですが、そのときに対話がどう成り立つのかが重要です。

ソクラテス、プラトン、アリストテレス、新プラトン派など代表的古代中世
哲学者、キリスト教、イスラームの思索を題材にして、魂という空間の奥深さ、
流動性、神秘性に思いを致すきっかけを与えることを目差します。
魂の部分すなわち諸能力の分け方、魂の定義、共通感覚論、潜在意識、
魂の物象化を避ける考察法、自己認識、神秘体験、啓示宗教への依存の有無、
魂論と形而上学体系との相即などが主要なトピックになるでしょう。

いずれにせよ魂は個人の信念の塊であることには違いない。
そしてアニミズムのように大地に岩に木々に全てに魂は宿っているのです。
私は毎朝大自然に宿る八百万の神々に世界平和の祈りを捧げています。
敬虔な祈りと共にざわついた魂が静まり返ります。


縄文時代




一部の人には熱狂的に支持されている縄文時代。
それが突然注目されたのはアフリカの小さな村でペンキ画家として修業した
SHOGENの本「今日、誰のために生きるの?」でした。

SHOGENさんは、1986年(昭和61年)3月29日に京都府船井郡京丹波町で
生まれました。現在37歳(2024年2月現在)。
本名は上田 祥玄(うえだ しょうげん)さん。
2008年龍谷大学卒業後は、日本メナード化粧品に勤めていましたが、
2014年5月にふと入った雑貨店でタンザニアアート「ティンガティンガ」に
出会い、自らティンガティンガを描くことを決意。
そしてその翌日に退職願いを提出し「ティンガティンガアート」の
修行をするため、単身アフリカへと渡ります。

2014年8月、 現地人アーティストのカンビリ氏に弟子入りした後、
タンザニアのホテルやパトカーにペイントを施します。
他国の人が公の場所や物に絵を描くという事は、信頼を得ていないと
出来ない事だと思います。

2015年7月、日本に帰国後、活動の場所を日本へ移し、
様々な個展やライブイベントへ参加。
2022年5月、YouTubeチャンネル『ペンキ画家ショーゲンSHOGEN』を開設。
2023年12月17日現在登録者数約22万人。年内に26万人を目指しているそうです。
この26万人という数字はSHOGENさんが説く縄文時代、
一番多かった人口の数との事です。
そして2023年10月SHOGENさんとひすいこたろうさん共著で
「今日、誰のために生きる?—-アフリカの小さな村が教えてくれた幸せが
ずっと続く30の物語 」が出版されました。

SHOGEN「ティンガティンガの師匠であるカンビリ先生の家(ブンジュ村)に
招かれたのですが、村長の奥さんに「この質問のあなたの答えによって
村で受け入れるか否かを決める」と言われました」

SHOGEN「もしこの世にお金というものがなくなったらあなたは
生きていける人間ですか?という質問でした。」

SHOGEN「紙幣が価値を持たなくなった時に、あなたがどれだけ
今まで愛を持って人に接してきたかで、生きていけるか生きていけないかの
時代がくると村長の奥さんから告げられました、
それに対して僕は『生きていけます』と答えたところ、
『わかった。じゃぁ受け入れましょう』と村長の奥さんがみんなに頭を下げてくれて、
ブンジュ村で暮らせる事になったんです。」

SHOGEN「村の人たちの心がすごく豊かなんです。その後村長がやってきて、
村の幸せ三箇条を教えてくれました。」
一ご飯が食べられることに、幸せを感じられるか?
二ただいまと言ったら、おかえりと言ってくれる人がいるか?
三 抱きしめられたら、温かいと感じられる心があるか。
この三つがあなたの中にあるんだったら、村においで

SHOGEN「ある日、僕が住んでいたブンジュ村で出会った友人が亡くなって
しまったんです。ダンスクラブの前でたまたまギャングの抗争に巻き込まれ、
殴り殺されてしまいました。」

SHOGEN「ショックでしたね。でもその友人のお葬式に行って、
涙を流して泣いていたら、大人20人位に囲まれ
『何で泣いてるんだ』と怒られました。」

SHOGEN「ですよね。僕もなぜ?と思って『何で怒られなあかんねん』
って反抗したんですよ。そしたら、言われた一言が衝撃で…

『SHOGENは亡くなったその友人に真剣に向き合えなかったから後悔の涙を
流しているんでしょ?この村では明日の命が約束されていない。
だから真剣に向き合いなさいよって言ったのに、SHOGENは出来なかった。
人と真剣に向き合えないんだったら、この村から出て行きなさい』
って言われたんですよ」

SHOGEN「向き合ってたつもりになってたからそれもショックでしたし、
なんで…?と伝えたら『子供にとってよくないから村にいられると困る』
って言われて心をグサグサにやられて家に帰りましたよね」

SHOGEN「向き合ってたつもりになってたからそれもショックでしたし、
なんで…?と伝えたら『子供にとってよくないから村にいられると困る』
って言われて心をグサグサにやられて家に帰りましたよね」

SHOGEN「まぁでもこの出来事がきっかけで孤独と向き合うようになりました。
教えてくれたのはカンビリ先生です。」

SHOGEN「はい、カンビリ先生が『なんでこのブンジュ村の人々が
精神的に豊か分かるか?』と聞いてきたので『なんでですか?』と尋ねると
『電気がないからだよ』と言われました」

SHOGEN「僕も(は?)ってなりました、カンビリ先生が言うには
『日本とか先進国には、電気があるから、夜も読書が出来る、いつでも
だれとでも連絡が取れたりするだろ?ここでは夜、明日誰に会おうか、
どんな言葉をかけようかと考えて生活しているんだ。
その人を想う時間こそが、幸せなんだよ。

SHOGENは一日の中で誰かを想う時間は今までの生活でありましたか?』
って聞かれて何も答えられませんでした」

SHOGEN「カンビリ先生に『やりたいことが見つからない・どうなりたいかが
わからないっていう人がいると、先進国の人は、こんな人に会いに行ったら
良いとか、こういう人に話を聞いてみたら?となるかもしれないが、
このブンジュ村では孤独と向き合いなさいと教えているんだ。
自分の中の信念や、大切にしている人の顔が出てくる。
その中に答えがあるんだよ。
先進国の人が心が豊かになりたければ一日に電気を二時間なくしたらいい。』
って教えて貰ってそこから孤独と向き合うようになりました。」

SHOGEN「孤独と向き合った時に、一番最初に村の子供たちの顔が浮かんできました。
そこから、子供の幸せな瞬間を絵に描こうと思って今のスタイルが出来たました。
絵を学びに行ったつもりだったが、どうやって人と向き合うかを学びとって
帰ってきました。」

「日本にあった縄文文明」
世界最古の文明は、今から8000年前のシュメール文明とされています。
また、世界の四大文明(メソポタミア、エジプト、インダス、黄河)は、
今から3000年から1500年前に起こったとされています。

しかし、この四大文明よりも1万3000年も前に地球上に文明が存在していたのです。
それは、日本においてです。
青森県の大平山元遺跡から、1万6500年前の縄文式土器が見つかっています。
これは、従来の歴史をひっくり返すような発見です。
しかも、それから1万4000年間も縄文文明と呼ばれる時代があったのです。
さらに、遺跡を調べると、驚くべきことが発見されています。
それは、「対人用の武器」、つまり人が人を殺す武器というものが、
縄文時代の遺跡からは発見されていないのです。

矢じり、石おの、石包丁というものは発見されています。これらは、小動物を捉え、
解体したり、調理に使ったもので、人を殺傷する目的で使用されてはいませんでした。
実際に、遺跡から発見された人骨からは、矢が刺さったような外傷は
見つからなかったということです。
つまり、縄文時代には、争いがあったとは考えにくいものなのです。

私たちの祖先は、1万4000年という途方もなく長い期間の間、「人を殺める」
文化というものを持っていない、平和の民であったということです。
私たちの遺伝子には、この「平和の民」の遺伝子が伝えられているのです。
しかも、縄文時代というと、私たちのイメージでは、獣の毛皮をまとい、
竪穴住居に住み、動物や食べられる果実や植物を食べていた、というイメージですが、
どうもそのような原始的な生活ではなかったようなのです。

縄文式土器を調べると布の繊維跡が見つかっています。
すでに布をまとっていたことがわかります。さらに女性の人骨からは、
イヤリング、ネックレス、アームリングといった装飾品も見つかっています。 
さらに縄文時代の人々は、集落を形成しており、かなり高度な文明を構築していた
ようなのです。

すなわち、世界の文明の発祥は、日本ということになります。
私たちは、「平和の民」のDNAを持つものとして、未来の平和に貢献していきたいと
思います。同時に「愛の民」愛されることがあたりまえにあった国なのです。


何を残すか




字は一字でいい 一時にこもる力を知れ
花は一輪でいい 一輪にこもる命を知れ
坂村親民

心にため込んだ様々な情報を一度整理しませんか?
先ずは人間関係や記憶の断捨離から始めませんか?

見栄の為に買い揃えた使わない商品に囲まれた生活が
幸福と勘違いして溜め込んだ品物を整理する時が来ました。

人間関係も同じです。希薄な関係で無理して付き合うのをやめませんか。
学生時代の同級生だから会社の同僚だから友達の紹介だからと
理由をつけて無駄な時間を過ごしていませんか?

多く物を持つことが幸福の象徴としてもてはやされますが、
あなたのポケットには入りきれないほどの不要なものがありませんか?

今日のサンスクリット格言
すべてを手放すことは、すべてを得ること
すべての(属格)放棄(主格)すべての(属格)獲得(主格)

人生には一見矛盾した真理が存在します。手に抱えているものを
全て解き放つとき、逆説的に真の豊かさが訪れるという教えは、
まるで砂を握るような道理を説いています。強く握りしめれば
砂は指の隙間からこぼれ、軽く掌を開けば砂はその形を保つように。

この言葉が示すのは、物質的な所有や感情的な執着を超えた境地です。
たとえば、過去への未練や未来への不安を手放したとき、
今この瞬間に存在する無限の可能性に気づきます。
自分を縛っていた「こうあるべき」という固定概念を解いたとき、
心は風のように自由に広がる草原を駆け巡ります。

現代社会では、何かを得るためには努力や競争が必要だと考えられがちです。
しかしこの教えは、逆のベクトルに光を当てます。
大切なものを守ろうとする緊張がかえって息苦しさを生むなら、
一度全てを大地に預けてみてはいかがでしょうか。
まるで秋の木が葉を落とすように、古いものを潔く手放すことで、
新たな命が芽吹くためのスペースが生まれます。

大切なのは「何を捨てるか」ではなく「何を残すか」を見極める智慧です。
本当に必要なものは、手放そうとしても消え去らない本質的な存在です。
身軽になった心で世界を見渡せば、今まで気づかなかった小さな幸せや、
人々の温もりが輝きを増して見えてくるでしょう。

この言葉は、私たちに静かな覚悟を求めています。
全てを手放す勇気こそが、人生で最も尊いものを発見する扉となるでしょう。

大切なことは「手放すことですべてを得る」ことです。
仏教でいうところの「色即是空 空即是色」と同じです。
そこには何もないが、何もないところに全てがある。

色即是空の意味を解説する前に、まずは「色」と「空」という
言葉の意味を解説いたします。

「色」の意味とは、この世の様々なモノや現象のこと。
匂い、音など認識できる様々なものを含みます。
「空」の意味とは、実体がないこと。
唯一不変の存在はこの世にはないということ。

そして、色即是空の意味は、
「この世のあらゆるモノや現象は、実体がないのだ」
となります。
これだけだと意味が分かりにくいですので、
ここから色即是空の意味をわかりやすく解説いたします。

お釈迦様は「空」の概念を分かりやすく、琵琶で例えてくださっています。
琵琶という概念は、琵琶を構成する部分・部分に分解してみても、
「琵琶」という唯一無二の存在(実体)は、分解した後の部品にはありません。
残るのは、弦と本体になる木とその他もろもろも構成要素です。
琵琶という名前のついた楽器は、分解したらなくなってしまう実態のない
「空」だというのです。
琵琶が空であるというイメージは出来ましたでしょうか?

色即是空の反対に当たる、空即是色の意味は、
「実体がないこと(=空)が、この世のあらゆるモノや現象を形成している」
となります。

空即是色の意味をわかりやすくイメージすると
空即是色を先ほどの琵琶を用いて解説しましょう。
琵琶というモノ(色)は分解してみると、琵琶という実体はありません。
しかし、琵琶という実体がないけれども、分解した弦や木の本体やらの
存在が集まって、「琵琶」という「色」が存在しています。

色即是空と空即是色は違いがあるのではなく
色即是空と空即是色は、違う事を言っているのではなく、
この世の本当の姿の「空」が、私たちを含む様々な存在を
成り立たせているということを2つの側面から説明しているのです。

般若心経では「五蘊皆空」など別の言葉でも「空」という表現が見られますが、
どれもこれも、色即是空・空即是色ということを様々な表現で説明して
くれているのです。
ちなみに五蘊と言うのは、私たちの「肉体と精神」のことを意味しています。

空即是色の意味を解説しているところで、「空」の世界、実体があるものはない
というこの世界において、様々な要素が集まって「色」というモノや現象を生む
と言いました。
この様々な要素というのを、仏教用語では「因・縁」と言います。

因縁とは簡単に言うとこの世のあらゆる物事を成り立たせている
原因という意味です。私たちの肉体は、父親・母親、祖父母という
因(直接的な原因)があってこの世に存在し、私たちの精神(考え方等)は
家族や友達、学校、職場、恋人など様々な環境という縁(間接的な原因)があって
今の自分が形成されています。

あらゆる存在は、他のものから独立した唯一無二の存在をもつ実体ではなく、
因と縁が重なって成り立っている物なのです。このことを縁起と言います。
仏教用語で仮和合(けわごう)なんても言われるのですが、
唯一無二の何かがあるのではなく、因縁によって、
仮にそれらが集まって存在しているだけなんですよというのです。

色即是空・空即是色を理解すると
ここからが色即是空 空即是色の深い理解となります。
完全に「色即是空・空即是色」を理解し、私たちの体や心、
周りにあるものもすべて「空」と感じるようにならないと苦しみから
解放されません。では、完全に理解するとどうなるのか、
それは「空」である「色」に執着しないようになるのです。

自分が老いていこうと、周りにある大事なもの、高価な物が壊れたり、
失われたりしても、そもそも「空」だと考えたら、醜くなっても、
消えて行くさだめにあっても、そのことを受け入れる自分であれば
苦しいと思わなくなると思いませんか。

お釈迦様は、この世の苦しみが生まれる原因は、私たちが執着する気持ち、
煩悩であると見抜きました。
空であると理解できず、美しくありたい、いいものを持ちたいと執着、
煩悩を持つから私たちは苦しむのです。

この世界のあらゆるものが「空」であることを見抜き、
心の底から理解したら、何ものにも苦しむことはなくなるのです。
そうして安らかで楽しい境地の「涅槃の境地」にたどり着くことができるのです。
仏教はこの涅槃という苦しみから解放された後の世界を目指すために
必要な考え方と方法を教えてくれているのです。
その考え方が色即是空と空即是色という言葉で表現されているのです。

お分かりになりましたでしょうか?
何を残すか「すべてを手放すことは、すべてを得ること」です。
2025年はあらゆるものが整理され心の時代へと移り変わりゆく年です。


孫子とは




孔子の「論語」で襟を正し、孫子の「兵法書」と
「六韜三略」で戦略と戦術を学んだ。
また、孟子の「儒教思想」で人間学を学びいつも中国の書物を
座右の書として机のそばに置きました。中国人の大陸魂を尊敬していました。

ビジネスにおいてはナポレオンヒルの「思考は現実化する」で
セールスを学び、マーケティングにおいてはマズロー「五大欲求」や
エベレット・M・ロジャース「イノベーター理論」などが役に立った。
近代経営と経営戦略は「ハーバード・ビジネス・レビュー」のシリーズを
読みつくし、その中のW・チャン・キムの「ブルーオーシャン戦略」から
多くのヒントを得た。学びは「真似る」で学びになります。
古今東西の成功者の考えを真似るのです。

1974年に私は英国から戻りプロデューサーという定義を創り、
日本で最初の音楽プロデューサーとして活躍することが出来ました。
70年代のレコード会社は制作も宣伝もだいたいは広告会社に任せきり、
レコード会社の社員は普通のサラリーマンだったので、歌手の売り出しの
ノウハウもなく工場やレコード店への手配が主な業務でした。

そこに海外ではアーティスト管理はレコード会社ではなく
担当プロデューサーが仕切るのだと提案をしました。
新人の発掘、育成、制作、宣伝、営業、演出などを手掛けるのです。
もちろん大変な仕事ですが能力があれば楽しい仕事です。
私はリスクを想定しながら最大の効果を得るために
数多くの兵法書とビジネス書を読んだのです。

今回ご紹介する安恒理氏は「孫子の兵法」というビジネス書で、
私を、兵法を活用した体験者として取り上げてくれました。
私の音楽のヒットは独自にマーケティング・システムを作り、
そのマニュアルに従って作ることが出来たのです。
私なりの解釈で「孫子の兵法」から、商談は窓側に座る、
日差しを背にする、提案は結論から言う、相手が喜ぶ種を与え駆け引きをする、
などをお話したと思います。

ビジネス書ライター安恒理の記事より
「孫子」は戦乱に明け暮れた古代中国で著された兵法書のなかでも、
それらのエッセンスを凝縮した優れた兵法書だ。
それだけに時代を超えて、またビジネス現場などさまざまな場面で
応用できるようになっている。
また「孫子」は勝つための兵法書と受け取られがちだが、
実際は「負けないための兵法書」だ。
言葉を換えれば「生き残りのための戦略書」。

「孫子」では、まず前提として「いざ戦争となれば大きな犠牲を
払わなければならないから、できるだけ戦争避けるべき」としている。
そして目指すべきは「戦わずして勝つ」。

日露戦争は日本にとってもともと勝目の薄い戦いだった。
戦力、国力からみてもそれは明らか。
「孫子」がいう「算多きは勝ち、算少なきは勝たず」(計篇)は、
まさに戦力が 勝るほうが勝利を収めるという鉄則をいいあらわしている。
満州軍総参謀長の児玉源太郎は「なんとか五分五分の戦いでしのぎ、
作戦、戦術、戦略で何とか六分四分にもっていこう」という考えで、
その後の和平交渉を有利にしようとした。
まさに「彼を知り己を知れば、百戦して危うからず」(謀攻篇)で、
敵を過大評価するのも過小評価するのも敗因となりかねない。

日露戦争における序盤のクライマックスは旅順を巡る攻防戦だろう。
海の戦いではロシア艦隊を旅順港に押し込め(閉塞作戦)、陸の戦いでは
203高地を巡る攻防戦だ。
旅順攻略の指揮を採ったのは第三軍司令官・乃木希典中将。
そこからさかのぼること10年前、乃木は旅順をわずか1日で攻略した。
だから日露の戦いでも日本軍には楽観した気分が満ちていた。

しかし10年前とは違い、ロシア軍はそこに堅固な要塞を築いていた。
乃木軍はその要塞を真正面から攻撃した。これが最初の判断ミス。
孫子の教えでは高いところに位置する軍が有利で、しかも堅固な城
(要塞)は攻めてはいけないとある。本来の旅順攻略の目的、すなわち
旅を見下ろせるところを占領、そこから旅順港内のロシア艦隊を陸から
砲撃できた。それには二〇三高地と呼ばれた丘さえ占拠すればよかったが、
乃木は堅固な要塞(東方正面攻略 甲案)に固執し、二〇三高地主攻 乙案)
を排した。しかし東方正面は二〇三高地よりはるかに堅固、
そこに正面突破を試みたものだから多数の戦死者を出した。

第三軍参謀だった津野田是重は第一回強襲の失敗について次のように
書きしるしている。
「単に地形、敵状況により考察すれば初より二〇三高地方面に向けて活動する
を得策としたことは之を否認すべき余地はない。然るに将軍(=乃木)が当時
断然乙案(二〇三高地主攻)を排して甲案(東方正面)を採られたことは
その間に重大の理由なくしてはならぬ」として次のように続けた。
「攻撃の主体は北方面(奉天)であるから、旅順などは副産物に過ぎない、
だから一刻も早く片付けるべき」と三軍のなかにも乃木に総攻撃を迫った
者がいる、と。

そのため後に攻城砲兵を展開し攻め落とすことになるが、
戦果を急いだあまり白襷隊のような肉弾戦でいたずらに戦死者を出す
結果となってしまった。
津野田自身も「予の如きは初は正に肉弾主義の一人であったが」現地の状況を
みるにつけ、「悲観論者と急変した」。
問題はそのあとだ。
「然し不幸にして未だ信念をもって議論を闘はすだけの勇気はなかった」
参謀としていかがなものか。ただ弁護するなら、次案の二〇三高地も
「敵の防備は比較的薄弱であったが」けっして楽に攻められるものではなかった。

さらに乃木以下第三軍の悲劇となったのは、大本営と総司令部が総攻撃を
急にせよと督促したこと。後衛は現地の状況を知らない。
大本営や総司令部は、回航してくるバルチック艦隊が旅順のロシア艦隊と
合流すれが、戦況は一気に悪化することだけを恐れていた。
こうして大きな犠牲を強いることとなった。完

日本軍の最大の敗因は常に上に対する忖度と空気である。
山本七平の「空気の研究」にこのような文がある。
「空気」とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。
一種の「超能力」かもしれない。何しろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、
「作戦として形をなさない」ことが「明白な事実」であることを、
強行させ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかを一言も
説明できないような状態に落とし込んでしまうのだから」

日本人特有の付和雷同的組織が成立してしまった。
上官の命令は絶対であるから疑問があっても了解しなければならない。
あえて苦言を呈する発言は黙殺される場合が多い。
「聞く耳を持たぬは敗軍の将の常なり」。

私が組織を離れて独立したのは1991年である。
友人の半分はお前の能力なら絶対成功する。しかしもう半分は時期が悪い
男の厄年の40歳でそれもバブルが弾けて景気が不安定だ。
もう少し会社に所属して時期を考え直した方が良いと言ってくれたのです。
しかし、退職することを半ば公言としてしまって協力者もレコード会社も
募ったばかりでした。
最終的に前者の友人の言葉に促されて無謀にも独立してしまったのです。
一度あげた手を下せなくなりあとは苦労の連続でした。

折角築いてきた経歴も財産も10年間ですべて失いました。
ここで兵法三十六計にある「反客為主」を思い出し、
一旦は音楽業界から退いて異業種のシステム会社にもぐりこんだのです。
2001年にシステム会社の経営戦略室の室長として韓国へ行く機会が増えました。
そこで目にした韓国ドラマを日本へ紹介するためにソウルに映画会社を作りました。
しかし韓国側の役員とトラブルがあり僅か一年余りで日本側は撤退をしました。

その後システム会社も退職して次の計画をする間に、
日本で中国のアーティストをプロデュースすることになりました。
初めて聞く音色、二湖奏者のウエイウエイウーさんとの出会いが
運命を変えました。奇跡の始まりです。
ある日突然、中国本土にいるアーティストの話が飛び込んできました。
私の大好きな孫子の故郷である中国へ行って仕事をする可能性が生まれました。
早速胸躍らせて北京に飛びオーディションをしました。それが「女子十二楽坊」です。
所属事務所の代表と個人的に契約書を結び帰国後にレコード会社を探しました。
そこから瞬く間に世界トップクラスのアーティストを育て上げたのです。

「賢者は歴史に学び・愚者は経験に学ぶ」
これからも様々な経験を積んでいきます。
勿論、片手には孫子の兵法を携えて歩むことになると思います。


歩き方作法




知識とは探究心から生まれ脳の栄養とするものであり、
自らが学ばなければなにも身につかない。
愚か者がSNSや噂話から流れる情報を知識と勘違いをして世間に広めるのは、
農薬まみれの野菜を健康に良いからと他人に勧めるのと同じである。
自己の興味ある事柄を専門的に追及して時代に応じた解釈を見つけることが必要である。
古き文献からあふれ出る真理をかみ砕き血となり肉となるようにしなければならない。
「知る」とは情報が頭の中にあることを言い、
「理解する」とは知識を深堀して学び実行することである

昔から市井には博識といわれた方が存在していた。
博識とは広く知識があることで物知りといわれることです。
昔は町内会に一人は博識の人がいて何か困り事の時には聞きに行った。
特に冠婚葬祭の場合の慣例(ならわし&しきたり)の仕方などである。
最近では近所との付き合いが無くなり博識者と出会わなくなった。
代わりにSNSが代用され理解するのだが信用が無く応用できない。
人間関係における付き合いの微妙な間合いまでは教えてくれない。

今、日本人は日本人の記憶にある「愛されている」を思い出さなければならない。
わずか15000年前の縄文時代は戦争も争いもない平和の歴史を持つ。
世界でも類がなく平和が10000年も続いたのはこの縄文時代だけです。
縄文遺跡から発掘した頭や骨に傷跡が全く見当たらない。
縄文人は愛し合って生きていたことが窺える。
この経験と知識を活かせば戦争など起こらない。

あり余る知識を溜め込んでも常に適量を排出しなければならない。
諦める時間。全てを忘れる時間。再生の時間。放出の時間。
器に溢れるほどの水が満たされると次の水は入れなくなる。
記憶も一度忘れないと新しい記憶を入れることはできない。
今日あったことは良くも悪くも忘れる覚悟が必要である。
睡眠はごみとなる記憶を消し去り身体を復活させるために必要な行為である。
細胞が生まれ変わり新しい活力が目覚めと共に蘇る時間。

西洋文化と西洋食が入った瞬間に日本人が弱くなった。
ここに日本の食生活について研究した医者がいる。
明治時代に来日したドイツ人医師ベルツは、人力車の車夫の体力に驚き、
彼らの食事内容に興味を持ち、彼らが玄米を中心とした質素な食事を
していることを知ると、西洋の栄養学に基づいた食事を与えれば、
さらに体力が向上するに違いないとの考えから、二人の車夫を雇い、
1人には従来の食事、もう1人には肉食をさせて運動させる実験を行いました。
結果は、肉食をした車夫がどの実験においても先にバテてしまい、
従来の食事を取り入れた車夫は一向にバテはしなかった。

日本人には日本の伝統的な食事が合っていると確信したといいます。
現在、日本の食文化の良さが見直され、「日本型食生活」として伝統的な
お米を中心とした食事に加えて、適度に牛乳や果物などを取り入れた
スタイルが推奨されています。

身体操作について、
明治時代、軍事教育によって西洋的な身体操作が取り入れられてから、
日本人の身体の使い方が大きく変化しました。
日本人の身体操作は農耕民族であることにも大きく由来しており、
慣用表現でも「腰を入れる」などと言われるように、腰、つまり仙骨など
骨盤を意識し、重心が低いこと、身体を一枚板のように使い、ねじらない
ことなどが特徴として挙げられます。これは農作業の動作において、
力を込めるためには腰を安定させてバランスをとる必要があり、

作業をする際には右脚を出したら右手も出す、半身の姿勢になることが
影響しているようですが、体格が小さく、手足が短い日本人によく合った
身体操作だといえます。また、歩き方など総じて上下運動よりも
水平運動的であることも、西洋的な身体操作との大きな違いです。

「日本人弱体化の真実」
日本人は歩き方を奪われた。なぜ現代人はすぐ悩んだり自分のことが
分からなくなったり精神的に病む人が多いのか?
ずばり歩き方を奪われたからだ。日本人の本来の歩き方って・・・?
右手と右足、左手と左足をそれぞれ同時に出す歩き方ロボット歩き。
江戸時代には上半身や手を振らずに歩いていたこれを「ナンバ歩き」という。

西洋との違い。
田植えのとき右手右足が出る、クワを振り下ろすとき右手右足が出る
ナンバ歩きとは
西洋の野球、左足踏ん張ってねじって投げる逆の手振って歩く
ナンバ歩きのすごさはずばりエネルギーを無駄に使わない、
日本全国を歩いて地図作成のために測量した伊能忠敬。
当時一日100km以上移動飛脚とんでもない距離を歩けた飛脚、
理由がここにあります!

かかとからつくのは体に悪い。
実は昔はつま先からついていた。
靴に変わるまではつま先からだったのだ
草履を履いていた時代は親指と人差し指でつまんでいるから
かかとから下ろせない。
お尻の下の筋肉で押し出して歩いていた。現代は全然筋肉を使っていない。

着物と草履には意味があった。
着物と草履は日本人の正しい呼吸歩き方をするためのもの。
草履は日本人の正しい歩き方をするもの、
着物は日本人の正しい呼吸をするもの。
女性の帯の位置は高い腹式呼吸できるように。
男性の帯の位置は丹田をギュっと持ち上げるため。

正しい歩き方=自分の軸をもつ
足は棒立ちでなくゆるませ、すり足で歩いていた頭のてっぺん百会と
お股の会陰を一直線で繋ぐように。
筋が通って地面と繋がり天と直感で繋がる感覚に。

日本人本来の歩き方が奪われる踏ん張る力がなくなり軸がしっかりしない。
心・精神がグラグラ現代人は体が整わないまま頭の重心で考えるようになり、
すぐ悩む自分が分からなくなる生き方が分からなくなる、そして病む。

日本人の歩き方は団結を生む。
「和を以て貴しとなす】この世界は天と地から始まりそれを繋ぐのが
天地人=人間、同じところで繋がっているから
バラバラに生きているような人間も調和がとれ、団結できるのだ。
つまり体を整えることが力の根源であり、見えない力こそが団結を生む。
真の歴史を学び日本人の精神大和魂をいまこそ取り戻そう!

居合抜きの達人から歩き方を指導された。
高齢になるとかかとから着地する歩き方をするが、この歩き方は階段などで
つまずきやすく、転倒する恐れがあるから歩き方を変えなさいと言われた。
つねに親指のところに意識をして土を掴むようにして歩けば転倒することはない。
そして足元ばかり見て階段を降りると逆に転倒するぞと言われて
なるべく下を見ずに前方を見るようにしている。しかしこの方法は
高齢になると筋肉が弱まりすぐにバランスを崩して危険である。

通常の生活で身体機能を維持するには自分の努力でしか得ることは出来ない。
私は食事を魚や根菜類を中心にして毎日ストレッチ運動と散歩は欠かさない。
高齢者になっても背筋を伸ばして颯爽をと歩けるのはそのお陰である。
鍛えた筋力は衰え知らずといい長生きの秘訣でもある。
チョットした歩き方ひとつでその人の持つ人間力が分かってしまう。


負ける勇気




全ての判断が損得で考えて勝ち負けの意識で生きている。
人間の尊厳や幸福論についての論議もなく経済中心の思考が跋扈する。
他人の上位に立つことが偉いと勘違いして訳もなくマウントを取りに行く。
霊験あらたかな富士山がラッシュアワーの状態で神の山も悲惨である。
そこに人間の醜さが曝け出されて現代の縮図を見るようである。
日本で一番美しくて高い山に世界中から観光客がやって来る。
Tシャツ、短パン、草履、登山装備も持たずに山へ登る。
急な天候異変で救助隊が迎えに行かなければならない言語道断である。
これは登山でもなく挑戦でもなく征服意欲の成れの果てである。

子供の時からテストで順位を決められて優秀と落ちこぼれで区分けされる。
それより以前に親の収入で格差社会の洗礼を受ける。
社会に出ても会社にいかに貢献したかで職位が決められ給料も変わる。
結婚しても愛する女房からあれこれ要求されて息が詰まる状態になる。
子供の教育費、友人たちとの付き合い、両親親類縁者への配慮、住宅購入費、
夫婦で幾ら働いても収入はたまらない。支払いに追われる日々、
まるで羽根車の中を走るマウスと同じである。

鬼さんこちら
鬼さんこちら 手の鳴るほうへ
鬼さんこちら 手の鳴るほうへ

人の心の中にも住むといわれる鬼。
最初に鬼にであったのは神社のお祭りです。
鳥居から境内まで並んだ屋台。
その中に沢山の玩具のお面が売られていました。
天狗やお猿さんにまじって鬼のお面も。
友だちがその鬼のお面をかぶり、
こわいぞ~、こわいぞ~、などと
仲間をおどかしたりしたものです。

鬼の面は古来より私たちのそばにありました。
怖い鬼も、
人の力を超えた存在として、
恐れられ、また、崇められていたからです。

鬼は怖いだけでなく、
ときには、その大いなる力をもって、人間を戒め、
災難から救い出し、悪霊を退治し、五穀豊穣をも
もたらすものだったのです。
私たちはその鬼の力が発揮されることを願い、
さまざまな郷土芸能を生み伝承されてもきました。

鬼と呼ばれてきたのは、
その土地・土地の祖霊や地霊。
山岳宗教における鬼や山伏などに語られる鬼。
たとえば、鞍馬山で牛若丸に剣術を教えたとされる天狗。
また、仏教寺院などにみられる邪鬼。
社会から疎外され盗賊や凶悪な行いをして
人から鬼と呼ばれてしまった人たち。
怨みや恨めしさで鬼になってしまう人。
いろんな形で私たちの周りには鬼が存在するのです。

もっとも親しい鬼はなんでしょう。
それは、節分の鬼ですね。
家族と一緒に、
“鬼は外、福は内。福は内、鬼は外”などと叫びながら、
豆まきをしましたね。

心とは何か?
それを具体的に言ったら「勇気」と「発動力」であろう。
よくよく考えてみたら、人生には「合理的思考」と「死狂い」の2種類しかない。
損得を計算するのが前者であり、体当たりで行動するのが後者である。

勝算を立てて行う行為が賢い選択であると、もてはやされるようになったのは
いつからだろうか?
大学に行くのも、ビジネスをやるのも、結婚するのも、離婚するのも、
そこに勝算があるからというのが常識となり、
「賢く生きなさい。」「損はするな。」と子供の頃から教えられ育てられた結果である。
損得の勘定の上でしか生きられないという、まるで綺麗な箱の中に収まるような
こじんまりとした人生となった。

しかし魂はそれでは満足はしない。なぜなら魂とは炎だからである。
命とは燃え盛る火だからである。
死狂いになって飛び込んでいく。結果など気にならない。
やむにやまれぬ思いだけで局面・局面に体当たりしていく。
そう、結果は幻想にすぎない。つまり結果などないのだ。
実在するのは今ここの行為のみ。
その死狂いの行為を聞き慣れた言葉で言えば「勇気」である。
そしてそれこそが本質であり、つまり心なのだ。

勇気とは勇ましく戦うだけでなく逃げる勇気もあることを知るべきである。
戦略において一度の敗退で逃げると次の戦いでも逃げることになる。
しかし、計画的に逃げるふりをしてチャンスをうかがう逃げならば
勇気に等しい行為である。これこそが逃げるが勝ちである。
中国の教えである「反客為主」(はんかくいしゅ)の戦略である。

アメリカのトランプ大統領の各国に対する関税引き上げは常軌を逸した行為である。
これをアメリカ国民は勇気ある行為と捉えているのだろうか?
対する中国は4000年(?)の英知を持つしたたかな国である。
このような時に孫子の兵法ではどのような策があるのだろうか?
現在の中国は以前の好景気の中国と違った不況の真っただ中である。
軍事強化とバブル崩壊、若者への失業率が高まり国民の怒りが頂点に達している。

アメリカが関税を上げれば報復的に中国も関税を上げる。
アメリカの要求が145%の関税で中国はアメリカに対して125%で戦うことになる。
これでアメリカ中国、同時に経済的にダメージを受けることになる。
世界中が1%でも関税の引き下げに交渉を向かうなか中国だけは別次元である。

兵法「三十六計逃げるに如かず」の意味
戦で、形勢不利の時は、いろいろ挽回(ばんかい)する策を考えるより、
まずは逃げて自分たちの身を守るのが一番。
形成が不利なんだから、見栄も外聞もすてて、まずは逃げることで、
身の安全を確保することが大切ですよね。
人間、あせっているときには、ろくな考えはうかびません。
まずは、逃げて、その後ゆっくりと考えればいいということなんですね。

中国の要人たちは科挙のテストで合格した英才ばかりである。
勿論、時代が違うので科挙は無いにしても国内屈指の一流大学の出身者
ばかりである。一般教養として論語、四書五経、兵法書、易学などは学んでいる。
日本では戦後「歴史と地理と修身」が無くなり国を防衛する意識が奪われた。

戦略も兵法もない日本の官僚たちは交渉が苦手な人間たちばかりです。
負ける勇気ではなく負けて弁解するのがおちである。
大義なき人間の交渉は必ず負ける。条件交渉においても国を守る気持ちがあれば
ひるまずに強気で交渉をするべきである。

吉田松陰の言葉
「身を皇国に生まれて、皇国の皇国たるを知らずんば、
何を以て天地に立たん」
日本に生まれた日本人として、この国の風土や歴史の独自性を知らないで、
どうして日本人として力強く生きて行けるだろうか。

いまこそ憂国の士は桃太郎のように鬼退治に出かけるべきである。
様々な対決の中で負けるが勝ちを選ぶならそれも良しである。


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