暗黙知
彫刻家ロダンの「ロダンの言葉抄」中に、
彫像をする場合は表面から見える部分の筋肉を彫るのではなく、
内側の盛り上がる筋肉を彫るようにしなければならないと書かれている。
職人の教えは言葉では表現できない部分が多い。
盗み見て・感じて・触って覚える。
技を頭(理屈)で捉えるのではなく身体(感覚)で覚えなければならない。
即ち指の皮膚で一つずつ記憶を積み重ねるしかないのである。
職人の技を文字にして伝承すれば簡単だと思うだろうが、
それだと諸動作が平坦になり核心部分を伝えきる事が出来ない。
実体験が無ければ理解するまでには程遠い話である。
学ぶ礼儀は師匠の奥義を取得するまでは諦めないという強い向学心である。
多くの親方は、最初から技術を教えない。
トイレ掃除や道具の手入れや、食料の買出し等、ありとあらゆる雑用から鍛えるのである。
此処で諦める子は決して一人前の職人にはなれない厳しい登竜門である。
黙々と言われるままに雑用に専念する。
気持も体も頭も「早く教えて欲しい」という渇望が学ぶ吸収力を高めるのである。
ようやくここから「暗黙知」の第一歩が始まるのである。
目が鋭くなり手先が敏感になり微妙な感も働くようになる。
師匠の空気が感じるとでもゆうべき所だろうか、
職人の技が少しずつ理解できるようになる。
親方の教えが無くなくても、材料・素材・加工時期・仕上げ時期等、
常に一定の法則では進まない事を覚えていく。
作る状況に応じても変化させる事が理解できなければならない。
多くの匠といわれる人達もこの語れない「暗黙知」で一流の職人になって来た。
日本の職人は重箱の隅をつくように完成させていくから、
その繊細な仕上がりは、他国では真似が出来ないのである。
日本の職人の拘りには限界が無いのである。
暗黙知と言う表現は日本独自のものだと思っていたのだが、
このような書が異国にもあることを知った。
「暗黙知」、マイケル・ポランニー(ブタペスト出身)
同じ包括的存在の認識を、二人の人間が共有している状況=一方がそれを作り、
他方がそれを理解する=を考えてみよう。
たとえば一方がメッセージを作り、他方がそれを受け取るという場合である。
しかしこの状況独自の特性をもっとよく知るためには、
一方の巧みな行為を他方が理解していく仕組みを考察してみるとよい。
観察者は、行為者が実践的に結合している諸動作を、まずは心の中で結合してみる、
そして次に、行為者の行動パターンをなぞって諸動作を結合しなければならない。
二種類の内在化が、この地点で、遭遇する。行為者の方は、身体の諸部位としての
諸動作の中に内在化することによって、自分の諸動作を調和的に取り仕切っている。
他方、観察者は、外部からの行為者の諸動作の中へ内在化しようとして、
その諸動作を相互に関連づけようと努めることになる。
観察者は行動者の動作を内面化することによって、その動作の中へ内在化するのだ。
こうした探索的な内在化を繰り返しながら、弟子は師匠の技術の感触を我がものとし、
その良きライバルとなるべく腕を磨いていくのである。(高橋勇夫 ちくま学芸文庫)
正にその通りである。
以下は日本の名工(匠)といわれた人達の言葉である。
「大仏師」松本明慶
仏像を彫る時には<木を痛がらせない><木の邪魔を振り払う><そして仏が自然に生まれる>
木を見れば仏が浮かぶ。デッサンで仏を彫ろうとすると、木の大きさを探すようになる。
「法隆寺宮大工」西岡常一
木の癖を知ることによって木を活かす事が出来る。木を買うな山を買え。
東西南北それぞれの方向によっても木の癖が違う。
「茶師」前田文男
茶葉を選ぶときに一瞬臭いが横切る。仕入れの時に伸びる茶が良い。
合組は茶葉のブレンドを言い、各種の茶を組み合わせてオリジナルの茶を作る。
茶を見る。欠点ある茶を組み合わせる事によって長所を引き出す。
「萩焼」名前不詳
窯の奥に入れてある色見と呼ばれる焼き見本、見込み穴から引き出し、
釉薬の溶け具合などを確認する。
薪をくべるタイミングや「色見」を引き出すタイミングは、すべて窯の中の炎を見て行う。
以上の事は全て師匠の背中を見て学ばなければならない。
最後に一つこの言葉も薀蓄があるので紹介します。
ロダンの言葉妙より
私の友達の造船家が私に話したには、大甲鉄艦を建造するには、
ただそのあらゆる部分を数字的に構造し組み合わせるだけではだめで、
正しい度合いにおいて数字を乱し得る趣味の人によって加減されなければ、
船がそれ程よくは走らず、機会がうまくゆかないという事です。
してみれば決定された法規というものは存在しない。
「趣味」が至上の法規です。宇宙羅針盤です。
一流の職人の教え「暗黙知」は真実を探求する基本です。