心が落ち着く
禅語に「莫妄想」という言葉がある。
無学祖元禅師が北条時宗に送った言葉として、
以前、別の文章で紹介をした事が有ります。
何もかもにおいて不要な妄想はするなという事である。
簡単なようでとても難しい。人間起きて動けば当然考えてしまう。
寝ても夢の中で想像を張り巡らし、あれやこれやと妄想しきりである。
その妄想から逃げる手段として「読経」がある。
一心不乱に経を唱える事によって妄想から解き放たれるのである。
しかしこれも一般人には難しい事です。
俗人は経を唱え始めると、途端に心配事が浮かびあがり、
逆に妄想が溢れ出す事になってしまう。
座禅を組んでも同じように、始めて2分~3分もしないうちに妄想が始まる。
果たして通常の生活を営んでいる人間に「無」の境地になる事は可能だろうか。
私は心配事が起こるとすぐに「般若心経」を唱えます。
心の中で唱えながら、妄想するな、妄想するな、妄想しても心配事は消えない、答えは見つからない。
ただ一心不乱に前を向いて歩き続けろと、精神が落ち着くまで唱え続けます。
妄想とは根も葉もない事を考える事である。
根拠の無い主観的な想像や信念を言う。
ちょっとした不安が勝手に膨れ上がり、恐れや失敗や絶望等のマイナスの面が強調されて、
最悪の結末を想像してしまうのが妄想なのである。
北条時宗の場合には、北夷(中国の北に住む野蛮な民族)の精鋭、
蒙古軍の度重なる来襲に怯え、不安の妄想によって苦しめられるのであった。
雷が鳴っただけで怯え苦しむ時宗に向かって、無学祖元禅師が「莫妄想」と一喝したのである。
そして時宗は、その一言により心の迷いから解放されて武将として名を残す事になった。
ナポレオン・ヒルの名著「思考は現実化する」という本がある。
世界的に有名なビジネス書である。
こちらは計画した事を仮想するのである。
妄想と仮想の違いは、根拠の無い方が妄想で、根拠のある方が仮想だという事である。
思考は、すぐには結果に繋がらないが、行動はすぐに結果として生れる。
夢(計画)を描き、その日の達成や、その月の達成を紙に書き続けることによって、
より自分の計画した事が仮想から現実的に近づく。
例えば、仮想で売り上げ目標を設定し、毎日それに向かって行動を繰り返すのである。
1の数字をいきなり100にするのは難しい話だが、
毎日1増やす事を100日間繰り返せば出来ない事は無い。
自分はただひたすら成功(100達成)の仮想を繰り返すのである。
よって誰もが驚く奇跡の成功が、そこから生まれると言う事である。
妄想はマイナスの電流を流し、仮想はプラスの電流を流すと言う風に考えれば良いのである。
あれこれ考え過ぎても身を滅ぼすかもしれない。
しかし何も考えなくては成功も有り得ない。
妄想は悩みである。仮想は活力である。
行動は土に与える栄養で有り、夢は与えられた栄養によって咲く花である。
どちらにしても根拠の無い事に気持ちを取られるよりは、
目に見える現実的な方が安心である。
心を落ち着かせて、妄想の無い人生を歩みたいものです。