思考の連鎖
私の師である哲学者行徳哲夫先生が、某会合でおもむろに布袋(ぬのぶくろ)の中から
一枚の写真を取り出してお話をされました。
その写真は弥勒菩薩の写真です。
先生曰く、ドイツの哲学者カールヤスパースが日本に来てこの弥勒菩薩を見てこう述べたそうです。
「これ程までに気品があり、なんとも言えない美しいお顔は、よほど悪い事を経験しなければ、生まれないお顔です」
仏といえども「悪」の経験がなければ「悟り」など得られるものではないとおっしゃっていました。
行徳先生が言われる「悪」を知らなければ真実は見えない。とても気になる一言です。
それからカールヤスパースを知りたくなりヤスパースの著作「哲学の学校」を読む事にしました。
その中でヤスパースの友人である、哲学界の鉄人ハイデガーを知り、名著「存在と時間」と出会ったのです。
そしてここからは、ハイデガーと親交のあった「いきの構造」を書いた九鬼周造が登場するわけです。
そして現在の哲学者木田元はハイデガーの「存在と時間」を読む為に大学に入ったと述べている事も知るのです。
私の思考の玉突き状態が止まらないのです。
鉄人ハイデガーを調べていくと、嫌われ者の代表みたいな人間というのも分かりました。
彼は自分の出世の為には、友人達をナチスに売る事も平気でやって来た人間なのです。
しかし友人ヤスパースは、彼の人間性は大いに問題であるが、
彼の講演を聞くとその内容の素晴らしさは、他の哲学者の追随を許さないほど、完璧であったと絶賛するのです。
悪人だから到達した「悟り」のような世界が有ったのでしょうか。
それから暫くして友人から立正佼成会の庭野日敬氏が書かれた「法華経の新しい解釈」という本を頂いたのです。
そして驚くことに94頁の4行目に、弥勒菩薩の話が載っていたのです。
ご紹介します。「その妙光菩薩に求名(ぐみょう)という弟子がいました。名誉や利益に心が引っかかっているし、
お経を読んでもほんとうの意味がわからず、よく忘れてしまうので、求名という名がつけられていたのですが、
しかし、この人は自分の欠点を素直に認めてそれを懺悔し、だんだんといいことをしていったために、
たくさんの仏にお会いすることができたのです。
そして仏に感謝し、敬い、ほめたたえる心持を起こしたので、とうとう悟りを開くことができました。
それはだれかといえば、実は弥勒菩薩よ、それはあなたの前の世の姿だったのです。
そして妙光菩薩というのは、実はわたしだったのです。」
前世ではだめ坊主だったのですが懺悔することによって、現生では菩薩に生まれ変わったのです。
不思議ですよね。たった一言の言葉「弥勒菩薩」で色々な繋がりで生まれて来たのです。
私は学者でも研究家でもありません。
年齢とともに仏教書や哲学書を読み始めただけです。
一冊本を読み始めると必ず引っかかる個所(文字)が出てくるのです。
その気になる部分を頭にメモにして置くと、ふとした時に思い出す事が有るのです。
多くは本屋の中ですが、ぶらぶら歩いていると、そのメモの文字が目に入るのです。
まるでずっとその本が、私を待っていてくれたようなのです。
本棚から「読んでくれ」とささやき掛けて来るのです。
学生時代に学ぶ事に恵まれなかったせいでしょうか、今は読書の楽しさを思う存分万喫しています。
一般的に学校を卒業してしまうと、文字に慣れ親しむ機会が少なくなってしまいます。
生活の時間に追われて、読書の時間が取れない事も大きな要因です。
ましてや年を取ると文字に対する好奇心も薄れて行きます。
目も悪くなるので長時間読むこともできません。
しかしもったいないですね。
まだまだ使っていない脳細胞が一杯残っているのですから、もっと使うようにしたいと思いますま。
思考の連鎖を習慣にすると人生退屈しませんよ。
さて今夜は何を読む事にしましょうか。