柔軟心




常識にとらわれず柔らかい発想で物事を捉えなさい。
その時に使われる言葉として「柔軟心」と言うのがあります。

現状の生活におけるさまざまな問題をどう解決していくのか、
先人たちはこのテーマをどのように捉えていたか、
またその解決法として何を学んだのかが気になりました。
私の好きな禅の世界ではこのようなテーマをこのように書いています。

「臨済宗の平井住職の言葉より一部抜粋」
禅語に「柔軟心」(にゅうなんしん)というものがあります。
意味は、頭でっかちにならずに、柔らかい考え方をしなさいということです。
今まで「こうあるべきだ」「そうすべきだ」と思っていることを
振り返ってみてください。
何でも良いでしょう、仕事、生き方、恋愛、結婚、お金など。
あえて、それらを書き出してみて、「もしこの考え方が逆だったとしたら」と
考えてみてください。

思考の振り幅が広くなり、悩みや不安が和らぐかもしれません。
広い視点で客観的に捉えることができるので、新しい発想すら出てくるでしょう。
自分の考え方が正義だと思えば他人に価値観を強要したり、
他人の意見に振り回されることもなくなります。

世の中には、こういう考え方や可能性があるんだ、と思えると人生の
見え方がガラッと変わってきます。
そうすれば、自分の言動や行動が自然と変わるので、
今までとは違った風景にたどりつくことができます。

矛盾しているかもしれませんが、変化に早く対応しようとして
焦る気持ちになることはあまりよくありません。
人間はロボットではないので、時に緩急をつけながら、
落ち着いて行動することは大切です。

また禅語に「且緩々」(しゃかんかん)というものがあります。
この意味は「慌てず、急ぎすぎることなく、落ち着きなさい」です。
急ぎすぎても、慌てすぎても、時間は同じだけしか過ぎていきません。
忙しいという漢字は「心を亡くす」と書きますが、
人間ですから心は大切に守っていきましょう

禅語に「百尺竿頭に一歩を進む」(ひゃくしゃくかんとうにいっぽをすすむ)
があります。この意味は、もうこれ以上進めない!というとこで、
思い切ってさらに一歩進んでみなさい、というものです。
新しいことに挑戦したりすることは怖いことです。
しかし、新しいことに踏み出さない限り、新しい可能性は基本的にありません。

さらに、禅語には「主人公」という言葉があります。
これは、まさにドラマや小説に出てくる「主人公」のように
自分が人生の主役であるべきだという意味です。
あなたの人生は、あなたしか生きられません。
勇気を持って、一歩を進んでみましょう。

AIの時代がくる、ロボットに仕事を奪われる、なんて言われてから
早くも数十年ほど経ちました。
私たちの取り巻く環境は大きく変わっていったでしょう。
しかし、変わらないものがあります。それは、人間の本質や感情、思いです。
あなたも何か出来事があれば、怒ったり、悲しんだり、喜んだりしますよね。
目に見えないものだからこそ、分かりづらいですが、確実にそれはあります。

先が見えなくて不安だ、怖い!と思っていても、決して自分の心は失わないように。
そして、余裕などが出てきたら、ぜひ他の方にも思いやりを。
普段の生活では意識してないことだからこそ、大切なものはあります。

それを茶道や禅は私たちに教えてくれます。
ぜひ、この変革の時代に「お守り」として、茶道や禅の考え方をヒントに
考えてみてくださいね。

禅宗では、竹は松や梅とともに「歳寒の三友」といわれ、いわゆる寒さに
耐えるというところから喜ばれる樹木です。
竹と松は常緑樹で寒い中でも翠を失わず、梅は寒さの中で百花に先んじて
花を咲かせていち早く春を告げます。
なかでも竹は、禅宗の宗祖達磨大師がインドから中国に渡り、
禅を普及させた江南の地が竹の名産ということもあってか、
竹にまつわる禅語はいくつもあります。

美しく涼やかな竹林はかつて清談の場であり、
「清風動脩竹」(せいふうしゅうちくをうごかす)とか、
「竹葉葉起清風」(たけようようせいふうをおこす)といった
禅のこころを表現した言葉も多く残されています。

竹にまつわる禅語として恐らくもっとも知られているのは、
「竹有上下節」(竹に上下の節あり)ではないでしょうか。
そしてこの禅語にはいろいろな意味・解釈が加えられています。

文字どおり、竹に上下の節があるように、人間にも区別があって、
どんなに仲が良くてもそれぞれの立場や考え方があり、
礼儀や節度を守らなければ社会の調和は保たれないということです。
また、上下に節があるのは竹の根本・基本のかたちであり、
これをおざなりにしてはならないという教えです。

たとえば、歌舞伎の世界でいう「形無し」と「型破り」の違いと同じで、
基本のかたちを身につけていなければ、型破りな演技として
評価されることはなく、単に形無し(台無し)になってしまいます。

また竹は、上下の節と節の間が中空で、
それが連なったおもしろい構造になっています。
全部が節だと曲がらないし、全部が中空だとすぐに折れてしまいます。
節のもつ堅さと中空のもつしなやかさのバランスがとれていることで、
竹はそのしなやかな強さを保っているわけです。

それぞれが節目を作ることで、過去をしっかりと認識し、
未来を展望するとともに、現在を見つめ直す機会となります。
過去・現在・未来を俯瞰し、自分自身の今を見つめ直して行動を起こす
節目をもつことで、組織や個人が生きていくなかで何かが生じた時、
強い風が吹いて嵐になった時に、その対応力に差が現れると思います。

ますます内憂外患の難しい時代と簡単には片づけられませんが、
硬軟両面をあわせもつ竹のように、力強いしなやかさを身につけたいものです。
(臨済宗全生案庵住職 平井正修氏の言葉より)

未来に恐れるもなく且つ悪戯に憂慮する必要もありません。
今ある日々を大切に生きることが未来につながるのです。
AIが世の中を席巻しても人としての心を失わなければ恐れずに足りぬです。
主人公である自分を大切にして生きていきましょう。