未来確信




私がこの年齢になってよく言われる言葉がある。
「何故休まずに挑戦し続けるのか」裏を返せば早くリタイヤしろとも聞こえる。
私は若い頃から他人が無理と思えることばかりに挑戦して来た。その中で
自分の生い立ち、学歴、専門的知識などでコンプレックスを感じたことはない。
特に秀でた能力があったわけではないが挑戦する者にとって意味のないことである。
一般的に人間はそれらのことを気にするが常に人として生きている者には通用しない。
人間とは意識(常識的な判断)をしなければ動けない人たちのことをいう。
人とは無意識(感覚的)に興味があることに惹かれていくだけの人をいう。
いつも私の中には未来確信がハッキリと見えていた。成功への道である。

右側の道を行けば安全ですよ!だから大勢の人も右側を選んでいます。
左側の道は誰も選びません!なぜなら危険だからです。
当然こう言われれば私は迷わずに左側の道を選んできた。
大勢の人が歩いた道には過去の実績はあるが未来への挑戦は無い。
たとえどんなリスクがあっても自分で道を切り開く方を選んできたという事である。

ここに医師長岡美希先生の投稿した文章がある。

子供はなぜ、何度も何度も転びながら歩く挑戦をするのか?
それは未来に対する確信があるからだ。必ず歩けるようになることに対して
疑いがないからだ。
もし疑いがあるなら「無理だ」と、どこかの時点で諦めることだろう。

戦国時代を観て思う。北条、武田、上杉・・・と大大名がいる中で、
天下統一に対し未来確信をもって突き進んだのは織田信長ただ一人だった。
彼一人が宇宙自然、歴史文明、時代精神の首に首輪をつけて自らの手で統制した。
歴史を振り返れば、天下統一は当然の流れに思える。
しかし統一される前は誰もが不可能性の只中にあったはず。
多くの者にとって天下統一は「できたらいい」の夢に置かれていたに違いない。

しかしいつの時代でも、不可能性を突破する未来確信を持った者が必ず現れる。
それはアノマリーと呼ばれ、決して常識の物差しでは測れない。
今では織田信長は天下人として人気があるが、当時の人々にとっては
とんでもない奴だったことは間違いない。

他の者たちになく、信長にあったものは何か?それはズバリ、未来確信。
だから出来ることをやるのではなく、出来ないことをやる選択ができた。
転んでも何度でも立ち上がり歩こうとする子供のように、どんな苦境が来ても
未来確信が天下統一に向けて歩ませる。

では、自分自身に問う。「あきらめ不可能な夢があるか?」
「誰が何と言おうが突き進む夢はあるか?」と。答えはYES。
出来るからやるのではない、誰かに認めてもらえるからやるのではない、
お金になるからやるのではない、、、未来確信が己を放さないのだ。
だから私は、日本の天下統一に対し精誠を尽くすしかない。
未来確信とは刀の刃のようなものである。完

与えられた人生、与えられた仕事、与えることばかり強制する社会。
全てがコントロールされて我々は消費ロボットとしての人生を過ごす。
大きな幸福の勘違いの中で本当の幸せは得られるのだろうか?
疑問を持たないように教育されてワクチンを何度も打って、真夏の炎天下でも
マスクをつけて生きている人に真の自由は訪れないだろう。

メディアは何度も戦争の映像を見せつけてこの国にいることは幸せだと洗脳する。
いつ隣の国から侵略されてもおかしく無いと言いながら、街には
化粧して着飾った男たちが闇サイトを通じて犯罪を繰り返している。
マイノリティーを持ちあげることが正義だとして
マジョリティーの考えを押さえつける。
数年前からこのブログでも何度も言っているが、この国の未来を考えれば
本気になって話し合わなければならない時期に来ている。

TVの転職サイトのCMが転職はカッコよい風に宣伝する。
若者たちは会社の規則に縛られるのであれば非正規社員で十分と考える。
若いOLを中心に小口投資で危険が無いからとNISAで投資を煽る。
出会い系サイトで女性たちが危険な目に遭っても利用者は減らない。
一攫千金を狙い宝くじや馬券を買わせようとおもしろく可笑しく宣伝する。
どれもこれもひと昔前では恥ずかしい行為で人前では隠したものである。
これは全て金もうけだけを考える大人たちの責任である。
そしてこれを取り締まらない政府も警察も同罪である。

これからの未来を考える上で常に出てくるのが「AIとの共存」である。
この言葉が出てくるたびにこの話を紹介している

「ジョブズ、禅僧と出会う」
2011年10月5日、一人の天才が世界から消えた。
長年のライバルだった米マイクロソフト社のビル・ゲイツは
「彼のように深い影響力を与えられる人間はめったにいない。
その影響はこれからも多くの世代に受け継がれるだろう」とその死を惜しんだ。

米アップル社創業者、スティーブ・ジョブズ。類いまれな才能が
後世に残す「深い影響力」はiPodやiPhoneだけにとどまらなかった。
ジョブズの死後、にわかに脚光を浴び、雑誌が相次いで特集を組んだのが、
この天才クリエーターに禅を指南した新潟県出身の曹洞宗僧侶、
乙川弘文(おとがわ・こうぶん、1938~2002年)である。
夾雑物(きょうざつぶつ)を排し、洗練さを極めたジョブズのモノづくりは
禅が背景にあるとみられた。

ジーンズにイッセイミヤケの黒いタートルネックといういで立ちも、
シンプルと機能性を備えたジョブズなりの作務衣(さむえ)だったのではないだろうか。
宗教色のない「マインドフルネス」
もともと新しくてスマートなものには目がないIT企業は「ジョブズの禅」に
さらに触発され、こぞって禅を社員プログラムに取り入れ始める。

膨大な情報の海に溺れかかっていた知的エリートたちは
情報と自分を統御する術を、禅、瞑想の一種であるマインドフルネスに見いだす。
グーグル、インテル、IBM、フェイスブック、そしてその流れは米国防総省、
米農務省にも及ぶ。

ジョブズが2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行った有名な演説がある。
「私は毎朝、鏡の中の自分に向かって、『今日が人生最後の日だったとしたら、
今日の予定をやりたいと思うだろうか』と問いかける。
『ノー』の日が続いたら、何かを変えなければいけない」
そして最後の言葉として卒業生に向かって、いつまでも「Stay hungry Stay foolish」
の精神を忘れないようにしてくださいと締めくくる。

未来は予測不能である。しかし確実にやって来る。
子どもの様に、戦国武将の様に、ジョブズの様に、
未来に確信を持った人間だけが未来への創造主になるのである。
あなたにとっての「未来確信」は何ですか?