青春とは愛と革命だ




まず紹介したい詩と書籍がある。
サムエル・ウルマンの「青春」と倉田百蔵の「愛と認識の出発」である。
若い時には難解で理解できなかったのが、経験を重ねると徐々に理解が
できるようになった。一般的に社会に出ると読書の時間を取るのが難しくなり
難解な本は避けるようになる。教養の研鑽が失われるのである。

プロデューサーは人を説得する仕事です。知識が信頼を生み、
情熱が引き寄せる力になります。ただの音楽好きでなく
世の中を変えていきたい革命家だと思わせることも大切な要素になります。
あらゆる知識と情熱を語る時、愛が基本的に無ければならない。
それは男と女の愛ではなく人道愛からくる優しさとして
語らなければならない。

この言葉「青春とは愛と革命だ」は瀬戸内寂聴さんの言葉です。
美輪明宏と俳優の藤原竜也さんとの対談記事に記載されていました。
昔から多用された言葉ですが、改めて今の時代に必要なメッセージだと思います。
今回の文章は長文になりますがお付き合いください。

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ
サムエル・ウルマンの詩の一節がよみがえってきた。

         青    春

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
 
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、
怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、
こう言う様相を青春と言うのだ。
 
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、
こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
 
年は七十であろうと十六であろうと、
その胸中に抱き得るものは何か。
曰く「驚異への愛慕心」空にひらめく星晨、
その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、
事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、
人生への歓喜と興味。
 
 人は信念と共に若く  疑惑と共に老ゆる
 人は自信と共に若く  恐怖と共に老ゆる
 希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる
 
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、
そして偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
 
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば
この時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。
「原作 サミュエル・ウルマン  訳詞 岡田義夫」

「愛と認識の出発」
この書を出版してよりすでに十五年を経ている。私の思想はその間に成長、
推移し、生の歩みは深まり、人生の体験は多様となった。
したがって今日この書に盛られているとおりの思想を持ってはいない。
しかし私の人間と思想とのエレメントは依然として変わりない。
そして「たましいの発展」を重視する私は永久に青年たちがそこを通って
来ることの是非必要なところの感じ方、考え方の経路を残しておきたいのである。

私は今や蕭殺たる君と僕との友情を昔の熱と誠と愛との尊きに回めぐらさん
との切実なる願望をもって、君の利己主義に対して再考を乞わねばならない。
君と僕との接触に対する意識が比較的不明瞭であって、
友情の甘さのなかに無批評的に没頭し得た間は、われらはいかに深大なる
価値をこの接触の上に払い、互いに熱涙を注いで喜んだであろう。

その大胆なる態度と、純潔なる思索的良心には私は深厚なる尊敬を捧げる。
僕だって君との接触についてこの問題に想到するとき
どれほど小さい胸を痛めたかしれない。始めから利己、利他の思想の頭を
擡(もたげ)なかったならばと投げやりに思ってもみた。
しかしこの思想は腐った肉に聚あつまる蠅のごとくに払えど払えど
去らなかったのである。このとき私の頭のなかにショウペンハウエルの
意志説が影のごとくさしてきた。

ああ私は恋をしてるんだ。これだけ書いたとき涙が出てしかたがなかった。
私は恋のためには死んでもかまわない。私は初めから死を覚悟して恋したのだ。
私はこれから書き方を変えなければならぬような気がする。
なぜならば私が女性に対して用意していた芸術と哲学との理論は、
一度私が恋してからなんだか役に立たなくなったように思われるからである。

私はじつに哲学も芸術も放擲して恋愛に盲進する。
私に恋愛を暗示したものは私の哲学と芸術であったに相違ない。
しかしながら私の恋愛はその哲学と芸術とに支えられて初めて価値と権威とを
保ち得るのではない。今の私にとって恋愛は独立自全にしてそれみずから
ただちに価値の本体である。それみずから自全の姿において存在し
成長することができるのである。私の形而上学上の恋愛論は
それが私に恋愛を暗示するまで、その点において価値があったのである。
倉田百蔵「愛と認識の出発」

そして我々世代は革命という言葉を聞くたびにフランス革命の時の
女性リーダージャンヌダルクを思い出す人も多いはずである。
救国の聖女と名高く、映画などの題材になるジャンヌダルク。
わずか16歳の頃に戦争へ身を投じ、国を救った彼女はどんな人生を
送ってきたのでしょうか。まずは彼女の生涯を簡単にまとめて紹介します。

ジャンヌは1412年頃、フランスのドンレミ村で農夫婦の家に生まれました。
いたって普通の村娘だったジャンヌは、12歳のときに神のお告げを聞きます。
「戦争に参加してイングランド軍と戦い、王太子シャルルを王にしなさい」
という内容の神のお告げに従い、ジャンヌは16歳になった頃にドンレミ村を出ました。

親戚のデュランと共に王太子のいるヴォークルールへと向かったジャンヌは、
当時の守備隊長であるボードリクール伯に、王太子へ謁見する許可を願います。
しかしボードリクール伯にとって、ただの村娘にすぎないジャンヌの話は
聞き入れられませんでした。

しかしジャンヌは諦めることなく、再びボードリクール伯と面談し、
「ニシンの戦いでフランス軍は敗北する」という予言をします。
予言は見事に的中し、ジャンヌは王太子シャルル7世に
謁見する許可を得られました。
ジャンヌはシャルル7世に、自身が受けた神のお告げについて話し
「私ならばフランスを救うことができます」と言いました。

ジャンヌが入ってから、フランス軍の快進撃が始まります。
ジャンヌが入隊してから、フランス軍は次々とイングランド軍の砦を落とし、
敵の手に落ちていたオルレアンを開放しました。
オルレアンの解放、シャルルの戴冠式などの功績が認められて、
ジャンヌの一族は貴族として迎え入れられます。しかし栄光は続かず、
1930年コンピエーニュ包囲戦でジャンヌは捕縛されてしまいました。

勢いのついたフランス軍は奪われていた領土を取り返していき、
ランスに到達します。そしてついに、1929年7月17日ランスにてシャルル
7世の戴冠式が執り行われました。
オルレアンの解放、シャルルの戴冠式などの功績が認められて、
ジャンヌの一族は貴族として迎え入れられます。しかし栄光は続かず、
1930年コンピエーニュ包囲戦でジャンヌは捕縛されてしまいました。
捕縛されたジャンヌは身代金と引き換えにイングランド軍へと引き渡されます。

当時は魔女や悪魔の存在が信じられており、神の声を聞いたというジャンヌは
異端者扱いされました。
ジャンヌは罠にかけられてしまい、男装をしていたのを理由に宗教裁判で
異端者認定されてしまいます。ジャンヌは、男装にはやむを得ない
事情があったことを訴えましたがすべて無視されてしまい、死刑判決を受けます。
死刑の中でも最も残酷と言われている火刑に処され、
ジャンヌは19歳という若さで亡くなりました。

最後に岡本太郎の言葉より
芸術家、岡本太郎とその秘書であり、養女であり、実質の妻であった岡本敏子。
二人の愛の言葉がつらぬく、はぐくむ、ひきあう、かさなる、ぶつかる
の項目で連なる。
「つらぬく」ことをしなければ愛は得れず
「はぐくむ」努力なしには愛は続かず
「ひきあう」者同士はやはり自然とひきあう
「かさなる」ことでより大きな変化や成長がある
「ぶつかる」ことは最も大切。
ぶつかりながら歩み続ける。

愛に溢れた、愛しか詰まってない一冊。「愛する言葉」も参考にして欲しい。
これを紹介して文章を終わりにします。今夜も熱くなりました。