北風と太陽




ヴィクトリア朝時代に出版された本では、この寓話に(説得は力に勝る)
という教訓がつけられている。
しかし、他の時代には異なる方法で表現されていた。

1667年に出版されたバーロウ版では、アフラ・ベーンがストア派の
信念である「全ての情熱には中庸を選び、極端になると悪い結果を生む」
という教訓を導き出した。

18世紀には、ヘルダーが「優れた力は人間を冷たくするが、
キリストの愛の暖かさはそれを払拭する」という神学的な結論を出し、
ウォルター・クレインが1887年に発表したリメリック版では
「真の強さは威勢の良さではない」という心理学的な解釈がなされている。
ガイ・ウェットモア・カリルがこの寓話をユーモラスに書き直した
(衝動的なそよ風と外交的な太陽)では、「機転こそが学ぶべき教訓である。

そこでは、人間と風の間で競争が行われており、太陽は目的を
達成するための正しい方法を示しているだけなのである。」
と結論づけている。

「北風と太陽が、どちらが強いかでいいあらそっていました。 
議論ばかりしていてもきまらないので、それでは力だめしをして、
旅人の着ものをぬがせたほうが勝ちときめよう、ということになりました。 

北風がはじめにやりました。
北風は思いきり強く、「ビューッ!」と、吹きつけました。 
旅人はふるえあがって、着ものをしっかり押さえました。 
そこで北風は、いちだんと力を入れて、「ビュビューッ!」と、
吹きつけました。  すると旅人は、「うーっ、さむい。これはたまらん。
もう1まい着よう」と、いままで着ていた着ものの上に、
もう1まいかさねて着てしまいました。 
北風はがっかりして、「きみにまかせるよ」と、太陽にいいました。 

太陽はまずはじめに、ぽかぽかとあたたかくてらしました。 
そして、旅人がさっき1まいよけいに着たうわ着をぬぐのを見ると、
こんどはもっと暑い、強い日ざしをおくりました。 
じりじりと照りつける暑さに、旅人はたまらなくなって、
着ものをぜんぶぬぎすてると、近くの川へ水あびにいきました。 

この話は、人に何かをさせるには、力ずくでやるよりも、
あいてがその気になるようによく説明するほうが、
ききめがあることがおおい、ということをおしえています。」
誰でも知っている有名なイソップの物語です。

私達、稲葉瀧文と伊丹谷良介は、今は北風です。

「うた」も「恩学」も万人に認められたくて、
万人受けする内容ではないのです。

太陽のように暖かい日差しも必要ですが、
あえて北風を吹いて太陽の重要性を訴えているのです。

今の世の中で一番簡単で難しいのが本音を言うことです。
正直な自分の気持ちを伝えることが苦手になっていませんか?
波風を立てない為に我慢していませんか?
社会全体に気を使いストレスが溜まっていませんか?
上部だけの付き合いで友達を増やしても信頼は生まれません。

私と伊丹谷良介は共に海外で過酷な生活を経験しています。
海外では他人に遠慮していると仕事が得られずに
相手にもされなくなってしまいます。
厳しい北風が吹きまくる世界で生きると、
太陽の暖かさがより一層感じられるのです。

厳しい経験から多くのことを学びました。
だからこそ自分自身を曝け出して忠実に表現しているのです。
そこから若者たちを照らす太陽になろうとしているのです。

今の世の中はジャングルジムに閉じ込まれている環境です。
周りはハッキリと見えるのに逃げる出口が見つかりません。
ウィルス感染、戦争、経済不況、円安、自然災害、政治不信とさまざまな
障害がいく手を阻みます。
それを、自由に空気が吸える、食事も取れる、眠ることもできる
だから少しぐらいの苦しみは我慢しようになっていませんか?

どんな状況でも考えることを止めてはダメです。
現代は思考することが重要な時代です。
考えるところから活路が開かれるのです。
考えてそこから生まれる未来を現実にしませんか?

伊丹谷良介の「うた」は難解なテーマで毎月開催しています。
2024年1月「ブッダ」、2月「生命」、3月「芸術」、4月「科学」(予)
ロックシンガーが難しいテーマを選びそこに何の意味があるというのか?
いつの時代でも社会に対してアンチテーゼを投げかけるのがロックである。
体制に溺れて商業主義的音楽をやるのはロックではない。
身内からの批判も覚悟でやり始めたマンスリーライブ「うた」である。

稲葉瀧文の「恩学」もほぼ毎日書き続けています。
毎朝思いついた言葉に文章を書き添えています。
沢山の書物から得た知識とネットで気になる情報を引用して、
私なりの経験(音楽プロデューサー)を加えて解釈と説明をしています。

「何のためにこんなことをしているのか?」とよく聞かれます。
私は子供の頃から、孤独を経験して、金銭的苦労して、
社会的成功もして、家庭を失う失敗も経験しました。
一般の方々が経験しないようなことをしてきたのです。
そこから学んだことが「恩」を返す「恩返し」でした。

私は敢えて北風になり太陽に感謝できる社会にしたいからやっています。
お分かりになりましたでしょうか?
皆様の少しでも考える時間が増えることを願っています。

「たとえ99人が川のむこう岸で騒いでいようとも、自分一人は、
スタスタとわが志したこちら側の川岸を、わき眼もふらず
川上に向かって歩き通す底の覚悟がなくてはなるまい」森信三

毎日、「恩学」を読んで喜んでくれる人が増えてきました。
毎月、「うた」の観客も増えてきています。
我々はこれからもスタスタと川上に向かって歩き続けます。

いつか温かい太陽になれると信じています。