枝の多い木は少しの風にも揺れる
一瞬の出会いで感動して涙する。多くの人にそれを伝える。
一瞬の不信で絶望して攻撃する。多くの人にそれを伝える。
一瞬の別離で自分を正当化する。多くの人にそれを伝える。
SNS上には真実と嘘が混在する。妬み、中傷、批判、諍いなどが氾濫する。
しかし自分が正しいという思い込みから、他人を攻撃して良いのだろうか?
目の前にいない人に向かって勝手に毒をまき散らしても良いのだろうか?
ネットいじめは決して許されぬ行為である。
自分勝手な思い込みの正義感で執拗に追い込んでいくことに怒りを覚える。
「小人閑居して不善をなす」礼記・大学
働く意欲も働く場所もなく少年少女たちが犯罪に手を染めてしまう。
不当な収入でももらえれば嬉しくて大騒ぎをしてしまう。
振り込み詐欺や闇バイトの連中もこの手の類である。
この国が若者たちを無気力にしてしまう。
努力する者を評価しなくて、結果だけで判断するから、益々無気力になる。
メディアは世界中が大変だと言いながら、合間に流れるCMは浮かれ過ぎである。
だから危機感が薄れて短絡的な若者が増えるのである。
子供の時から情報操作の中で生きているから真実を見つけられない。
大人としての自立が遅いから即断力に欠けてしまう。
心の中に悩みの枝が多いから少しの風にも動揺してしまう。
将来の夢を描けないから木(本気)が育たず気移りの枝ばかりになる。
社会はそんな若者達に税金と称して少ない収入をむしり取る。
結婚も出来ない、家族も持てない、高齢者の面倒をみろでは負担が多すぎる。
若者たちはこの国に対して夢が持てなくて反発精神だけが育ってしまう。
枝の多い木(気)は少しの風にも揺れる。
お大人も子供も他人の考えを持ちだして説教じみた話にすり変える。
SNSの発信者のつぶやきに反応するだけでは何も結論は出ない。
現実に在る事実を無視して無駄な時間のシェアーをする。
見知らぬ人からの「いいね」で安心する。お返しに「いいね」を押し続ける。
不幸な出来事にも「いいね」で反応する。「いいね」が「どうでもいいね」に変化する。
愚痴には同意するが、成功には攻撃をする風潮がまん延する。
「少し波がある方が海はきれいに見える」
子供達は日々の出来事を母親に伝える。
子供が枝にとまるカブトムシを発見する。
夢にまで見たカブトムシが目の前にある。
生まれて初めての興奮の絶頂を味わう。
子供は両親に発見した時から捕獲するまでの状況を事細かく説明をする。
親が言葉で反応すれば子供は嬉しくて大騒ぎをする。
新しい友達、新しい遊び、新しい出来事、宿題や塾での報告なども同じである。
親は聞きながら頷き、少しの助言を与える。時には修正も加える。
子供は学校という社会の中で波風を受けて成長する。
友達の悪口やいじめの問題、学校の対応や先生の考えも、両親に話をする。
子供達は怒り涙して苦しみながら成長する。
両親として大切なことは全てを同調する事ではなく見守る事である。
子供の苦しみや悩みを側に居て聞いて感じてやることである。
「親」という文字はナイフの刃先が顔に当たるぐらいの距離という文字である。
「親」は子供の悩みを分かち合い痛みをじかに感じる距離に居なければならない。
時には子供の感情に同調するだけでは無く、秩序・法律・常識・恥・志を教え、
社会の決まりを通して大人として助言すべきである。
感情に左右されずに冷静に判断して助言すべきである。
自分の感情を表に出して自己説明に徹底してしまうと人は聞かないものである。
誰しもが悩み問題を抱えている。確固たる理由がなければ助言はすべきでない。
信念とはそんなに簡単に揺らいではならないのである。
少しの風で揺れる人はリーダーに向いていない。
韓国の友人が教えてくれた二つの教訓、
「枝の多い木は少しの風にも揺れる」
「少し波がある方が海はきれいに見える」。
人は人生の中でさまざまな問題を抱えて悩むのです。
心の中の木が育たず枝が多くなると少しの風にも反応してしまいます。
他人の言動にすぐに反応して左右に揺れ動くことのない人生を送ってください。
落ち着いて生きてくださいという意味だそうです。
そしてもう一つは、
誰しもが波乱の人生よりは穏やかな人生を望むのですが、何もない穏やかな海で
過ごすより、少し波がある方がきっと楽しい人生を送ることが出来ますよ。
という激励の意味だそうです。
感謝・合掌