落葉

 

喧嘩の出来ない男達が増えた。
仕返しや反逆を恐れて為すすべも無い無抵抗な男達が増えた。

己の人生美学のために死ねない男達が増えたのである。

恋愛においても本気で恋愛をする気の無い男達が増えた。

相手が傷つく事を心配するのでは無く、
自分が傷つきたくないから手も握らないうちに
恋愛を放棄してしまうのである。

何と軟弱な事であるか。

明治の小説家坂口安吾は当時の軍部の圧力にも屈せずに吼えまくった。

勿論、敗戦後の日本ではあったが、それまでの常識を覆すわけだから、
国家権力や政治団体からの非難や圧力は計り知れないものがあっただろう。

触れてはならない天皇制や武士道の世界までに入り込み、見事なまでの覚悟で
文章の刀を振り下ろしたのである。

俗に言う世の中の文句言いの嫌われっ子である。

坂口安吾はお座なりに繰り広げられる人間関係をとことん嫌ったのである。

全ては行きつくところまで行って、
欺瞞や汚辱にまみれ敗北を味わってこそ真実に触れるのだと持論を述べ。

愛については愛する事は憎しみを超えなければ本当の愛は生まれないと断言し。

美についても未完の美は美ではないと突き放す。

敗戦間も無い日本の中で「堕ち切ること」が重要である、
と衝撃の発言をした時代の寵児である。

又、倉田百三は「愛と認識との出発」の中で、
私は恋のためには死んでも構わない。

私は初めから死を覚悟して恋したのだ。
私はこれからの書き方を変えなければならぬような気がする。

何故ならば私が女性に対して用意していた芸術と哲学との理論は、
一度私が恋してから何だか役に立たなくなったように思われるからである。

私は実に哲学も芸術も放擲して恋愛に盲進する。

私に恋愛を暗示したものは私の哲学と芸術であったに相違ない。

しかしながら私の恋愛はその哲学と芸術に支えられて
初めて価値と権威とを保ち得るのではない。

今の私にとって恋愛は独立自全にして、それ自ら直ちに価値の本体である。

倉田は自ら宗教時代、教養時代の到来を創り出し、
若者達に哲学的見地から恋愛を解説した名著「愛と認識の出発」を生み出したのである。

一休さんの愛称でお馴染の一休禅師は、
78歳の時に45歳年下の盲目の女性森女に恋をし、
生々しい描写で二人の愛欲の世界を綴った「空」という書物を出した。

また禅師の自伝といわれる「狂雲集」は我々の理解を遥かに超える難解な書物である。

生き仏と慕われた高僧の辞世の句が「死にとうない」も有名な話である。

81歳の時に大徳寺の住職に任命されたのだが、森女と暮らしたい為に
寺の近くのちいさな庵に住んでいた。

享年88歳の天寿で大往生であった。
名誉よりも体裁よりも煩悩のままで生きとおしたのである。

喧嘩のできない男達と、死ぬ気の恋愛を経験できない男達、
自分を守りたいから他人と距離をおく。

無責任な見せかけの優しさが、本気の情熱を消し去るのである。

国を憂い戦う気持ちがあるのか、好きな女性の為に堕落する事が出来るのか、
死を覚悟してまで真理に基づいて生きる事が出来るのか、

「To be or not to be」である。

太宰治のように人間失格と言われようが恋に盲進出来るか、
純粋に愛を守りきる事ができるかである。

愛は一瞬に燃え尽きる心に対する贖罪である。

一休禅師のように地位も名誉も財産も全てを投げ打ってでも、
愛する人の為に死ぬ事が出来るかである。

強い意識を持った男達が愛する人を守り、社会を守り、国を守るのである。

それぞれが独自の美学を持って恩返しをしなければならない時代である。

それが今の日本に必要である。

見せかけの綺麗事を言うよりは、堕落の本音で語っても良いのではなかろうか。