観察と気づき




現代人は見えるものだけを見ている。見えないものを見ようとはしない。
見えないところの余白こそが美の極致なのに、それを知らない。

「美」は対極の「醜」と一対だから泥沼から蓮の花が咲く調和の意味を知らない。

古代人は太陽の日差しの中から希望を見つけ満天の星から夢を描いたことを知らない。
大自然の中の洞穴へ文字の代わりに絵を描き続け、人間の存在と意識を
神に向かって奉納し、後世に伝えるために残したことを知らない。

例えば仏像や彫刻を見て技巧の良し悪しを見て彫り師のノミの音を聞こうとはしない。
その時代の彫り師はどこから来てどんな暮らしをしていたのだろうかを知らない。
奈良の彫り師の大半が渡来人であったことを知ろうとしない。

例えば生花やお茶の所作を見て感動しても自然を見ようとはしない。
春先の菖蒲緑の葉を見て剣先を思い浮かべることはしない。
男の子が戦いに勝つために5月5日節句の日に祝う花だということも知らない。

茶の葉の争奪戦で世界が動き戦いの元になったことを知らない。
三国志の戦いも(魏・呉・蜀)裏には茶の争奪戦があったことを知らない。
茶の葉の栽培と管理していたのが修道院やお寺であったことを知らない。
茶の飲用は楽しむための趣向品でなく薬として用いられたことを知らない。

例えば絵画や浮世絵を見て絵師の心を見ようとはしない。
パトロンからのリクエストに応えて豪華絢爛な絵を描くとする。
色が多過ぎると飽きてしまうから逆に色を抜くことで満足することを知った。
ロダンの筋肉質の彫像は筋肉を乗せるのではなく内側から押し出すことを知らない。

襖に書かれた若冲の鶏の絵は、燭台を立て、襖を少し閉じて見ることを知らない。
軽く目を閉じた薄眼の先の鶏が羽ばたくことを知らない。

雅楽の楽曲構成に「序・破・急」の三区構成があるのを知らない。
「序」は最初の部分で拍子にはまらない、
「破」は中間部分で拍子にはまるがゆるやかな速度、
「急」は最後の部分で「序」や「破」よりも少し急テンポあることを知らない。
この三区の流れで「舞」の流れと表現を構成しているのです。

文化を知ればどの国の渡来人かが分かるのに知ろうとしない。
江戸幕府から要請を受けて中国の黄檗禅師が江戸の街づくりを手掛けたのを知らない。
そして「明治」は中国の明の時代を日本で治めるから、その名になったことを知らない。
明治維新とは「明が治めて新しく改革」をすることを云ったとは誰も知らない。

映画や舞台を見て演出家の意図を理解しなければ内容の真意は分からない。
与えられた環境の中で台詞を織り込むのだが、役者は演技を知らない。
動きに込められたメッセージを読む為には背景を見なければ分からない。
スポットライトの当たる位置の空気感(ドラマ)を誰も知ろうとしない。

見えるところばかり追いかけるのではなく見えないところに目をやると、
知らない何かの発見がある。常にリフレーミングを心掛けるようにしてください。

小さな気づきから始まる大きな納得です。