女の一生

 

自然主義小説の傑作、モーパッサンの書いた同名の本がある。

貴族の娘ジャンヌと結婚相手の子爵ジュリアンとの話である。
ロマンスに憧れていたジャンヌが辿る不幸な人生が描かれている。

恋愛、結婚、出産、夫の不倫、夫の死、父親の死、凋落、放蕩息子、女中との再会、
勿論、誰でもが知っている著名な本なので説明は不要だと思います。

ふと、頭の中に「女の一生」って何なんだろうかと思い浮かんだのです。

ヘレナ・ルビンシュタインも「女の顔は三十までは神様が授けてくれた顔。
四十過ぎたら自分で稼いだ顔。」といっているが、そういわれてみれば、その通りで、
女性の顔は、三十までは若さでもつ。

四十すぎたなら本人の心がけということになる。

そして、その心がけとは、女の人の気働きとか気配りであり、
その積み重ねと内面の美しさがミックスされて滲み出たとき、
それはすばらしい女性の魅力となる。
(伊藤肇さんが帝王学ノートの中で語った言葉です。)

女性は恋をする度に顔が優しく変ります。

そして嫉妬や裏切りや憎しみを経験して、顔に凛とした深みが出て来ます。
その深みに輝きを齎すのが、自分の経験と美しさを保持する為の「心」が現れた時です。

化粧によって感情を違う「心」にすることも、円熟した女性の奥儀ではないでしょうか。

又、ホームドラマや映画の中でこの様な場面を度々目にします。

「お母さんは何もしないで良い」「炊事・洗濯・掃除など家事全般をするだけで良い」
「お母さんがお化粧をして出かけるのは嫌だ」「変なお洒落して出かけないで欲しい」
「旅行や展覧会などに出かけて家を開けないで欲しい」。

夫や子供は、自立した母親より便利な母親を望むから、
このような言葉が出てくるのである。

母親は、家の中の暖炉のような存在で、十分に温めて欲しいのだが、
動き回っては困るのである。

女性が母親になると娘時代に好きだった、お洒落も外出も旅行もスポーツも、
全部アルバムの向こうに封印しなければならないのである。

一人の女性としての恋愛経験も鋼鉄製の鍵を掛けなければならない。

ホームドラマの最後は「お母さんも一人の女なのよ」と泣き叫ぶシーンで終わる事が多い。

アイオワ州の片田舎で出会ったカメラマンと農家の主婦の4日間の恋を描いた
「マジソン郡の橋」と言う映画が16年前に上映された。

母親の葬儀に帰って来た息子と娘が、遺品整理の中から隠れた恋を発見する。
母親の不倫に当惑するのだが、一人の女性としての「純愛」に感動をしながら物語が進んで行く。

たった4日間で永遠の愛を見つけたフランチェスカ、その彼女を死ぬまで愛し続けたキンケイド、
事実を知った子供達は母の遺灰を、母親が愛したキンケイドと同じマジソン郡の橋の上から撒いたのである。

母として家族と一生過ごす人。妻として夫に先立たれた人。
夫婦が離婚して一人になった人。それぞれの立場とそれぞれの女の物語が存在します。

どのような状況で有っても「真実の愛」を記憶に残せる女性は幸福です。

女性という立場を武器にして頑張っている人も多く知っています。
目の前にある輝きにしか興味を持っていません。

数年すれば年を取ることを忘れてしまっているかのようです。

「儚い愛」を追い求める女性は不幸です。
「女性は死ぬまで恋をした方が良い」なんて、瀬戸内寂聴さんでは無いので、言う事は出来ません。

しかし、良き男友達を持つ事は薦めます。

同性との会話も良いのですが、
異性との会話の方が、女としては気づかない事を、言ってもらえる時があるからです。

そしてささやかでも女を意識する時間が持てるからです。

女の一番悲しい姿は「忘れられた女」なのです。