アフリカの長老から日本人へ




大学の教授からお薦めのサイトとして届いたのが「長老から日本人への警告」でした。
早速You tubeで拝見しました。

私が気に留めた箇所をいくつか紹介します。

「幸せの3ヶ条」

一つ目は一日3食のご飯が食べられる。
二つ目は「ただいま」と言えば「おかえり」と言ってくれる人がいる。
三つ目は抱きしめられたら温かいと感じる心がある。

「現地の子供との会話」

小さい時、自分は何が嬉しくて、何にワクワクしていて、何に感動していた。
SHOGENは無いっていうところばかりに目を向けているでしょう。
あの人と比べて自分はこれが足りないとか、これが欠如している、劣っているとか。
でもね、生きていたら、あるっていうことの方が多いんだよ。
外に出たら燦々と輝く太陽の光も全身で感じることができるし、
いろいろなことも感じる、だから生きていたら、あるっということの方が多いんだよ。
SHOGENと話してもつまらないからはなしをしたくない。

「長老との話」

「諦める時間が来ることの幸せって分かる?」って聞いてきたんです。
日没が来たらほぼほぼ真っ暗になるから、全てのやったこととか仕事を「諦め」
ないといけない。でもSHOGENが諦めという言葉を聞くとマイナスに捉えるだろ?
なぜかというと、諦めるってことは、今から真の休息の時間に入れるってことだからね。
ほんとうは喜ばないといけないよね。

日本人に根深く残る記憶!どんな記憶を一番持っているか知っている?
どこの国より「愛された」記憶が一番長かった。一万年から一万五千年も続いた、
愛と平和で溢れていた時代、それが縄文時代だったのだよ。
そして亡くなった人に刺し傷、切り傷がひとつも無かった。
愛していたということは、愛されていたっていうことで、だから、とことんまで
優しい日本人は愛された記憶を持っているから「素晴らしい日本人の記憶を
二度と忘れないようにする為に」「一度忘れる必要があった」

本来の日本人は、ものすごく自己愛が深くて、自己肯定感が高かったんだよ。
息を吐く時の自分、そして息を吸う時の自分に、ものすごく喜びを感じていた。
そして朝起きて裸足で出る時の一歩目、踏み出す時の左足のつま先が地面を踏む
感触まで愛してた。それが日本人なのだ。つまり何かというと、
当時の、日本列島に住む人たちは、自分が普段からやっていた所作を、
とことんまで愛していたんだよ。

その他「喜びグラス」とか「100メートルの中にある幸せ」とか気になる部分が
沢山ありました。

お時間があればこのサイトをご覧になって下さい。
また書店で「今日誰のために生きる?」も購入してお読みください。
きっとあなたの心に素敵な思いが届きます。

「SHOGEN」
アフリカンペイントアーティスト
本名上田祥玄
1986年3月29日(37歳)

生きることへの喜びと感謝を「生きるのって、楽しい!」を描くペンキ画家。
ペンキを画材に鮮やかな色彩で描かれる、タンザニアのとある村だけで受け継がれる
『ティンガティンガ』。生と死が近い場所にある中で生まれたからこそ、
生きることへの喜びと感謝をいきいきとした動植物を通して描かれています。

単身現地に渡り、村人と一緒に生きながら絵の修行を許された“唯一の外国人”で、
帰国後はティンガティンガの『人々を幸せにする絵』という精神を基に
“SHOGEN流”の新たな表現で制作を続けています。
『楽しく生きる…』ということは現代日本においては難しいことですが、
SHOGEN の描く世界の中に“ヒント”を見つけてもらえたら嬉しいです。

大手化粧品会社に勤めている中、ふと入った雑貨店でタンザニアアート
「ティンガティンガ」を目にし、独特な構図と躍動感溢れる色彩表現に魅了され、
自らティンガティンガを描くことを決意する。
即日退職願いを提出し「ティンガティンガ」の修行をするため、
単身アフリカへと渡る所持金10万円、語学力、コネクションすら無い中、
タンザニアに赴き、タンザニアンアーティストとして最も定評のある 
NOEL KAMBLI 氏に弟子入りを果たす。
NOEL KAMBLI 氏宅で奥さんと3人の子供達、ニワトリとヒヨコ10匹と共に、
現地人と全く同じ食生活を共にしながら絵の修業を始める。

現地アーティストを脅かす程の実力を身に着けはじめたことを認められ
「ティンガティンガ村以外の地では弟子を一切とらない」という取り決めの元、
唯一の外国人のティンガティンガ・アーティストとしての修行が認められる。

アフリカのシャーマンが口伝で残した真実
【日本人の本当の姿】
全ての日本人に伝えてほしい。
全ての日本人に思い出してほしい日本の心。
縄文時代から繋がる自然への愛。
今日は誰のために生きるの?
自分を愛し全てを愛す。
足りないものを探すのではなく足りているものを補い合う。
人は全て未熟なデコボコ。デコボコ同士が家族のように活かし合う。
日本は私たちの希望の光なのです。

☆見ず知らずのアフリカの村が長老が私を日本人というだけで受け入れてくれた。
しかし、私は日本人の心を忘れていて村の子供たちからも沢山の気付きを貰うことが
出来た。彼等から教えられる日本人・・・

私たちは複雑な社会に生きるために本来誰もが持っている「純粋なこころ」を
忘れています。今まで難しいことを覚えるのが教育だと勘違いをしていたのです。
あなたの中の素直な心を取り戻すためにもご覧になってください。