柔軟心
「柔軟心」読んで字のごとし「にゅうなんしん」です。
心が柔らかいということはどういうことでしょうか?
独りよがりにならずに他人の意見を取り入れることが出来るかということです。
「自分の常識は他人の非常識」自分が正しいと思うことは、
他人から見たら非常識になることが多いのです。
禅の世界でも「人の数だけ価値観がある。立場が変わればものの見方も違う。
違いを受け入れ互いを尊敬するやわらかな心」と言われています。
常に感情的にならなくて、一歩下がって相手の話を聞くことです。
世代も経験も違えば「我々の時代は」と言われた時点で、彼らはガードを固めます。
勿論、相手が女性の場合ならなおさら男性側の意見を押し付けると反感を買います。
本日のテーマは「柔軟心」と「清濁併せ持つ」です。
水から学ぶことは多いのですが、その一つをお話ししたいと思います。
「水は方円(ほうえん)の器に随う」という偈があります。
水は柔軟な物の典型として方形の器であろうと円形の器であろうと
その形に随って形を変えて寄り添うということであります。
人で言うなら心の柔らかさ、柔軟心(にゅうなんしん)の大切さを教えています。
その水も綺麗な真水がいいと思っていました。
言い換えると、白分がきれいでないと他の汚れは洗えないと思っていました。
しかし、経験された方もあるかも知れませんが、洪水で泥水が家宅に浸水し、
家具が泥だらけになったとき、泥で汚れた家具をきれいな水で洗ったら、
しみが残ります。泥で汚れたものは、一度、泥水で洗ってから
きれいな水で洗わなければならないのです。
人間関係もやはりそのようです。自分が「規則を厳守し、曲がったことが嫌い」
という生き方の人は褒められこそすれ、少しも悪いことではないのですが、
やりたくてもできない人の性格の弱さ、経済力の無さが理解できず、
助けることが出来ないのです。きれいな水の人なのです。
「自分が汚れなければ、他の汚れを洗うこともできない」と思えるようになって
初めて、清濁合わせ飲める度量ができるのだと思います。
目、耳、口の自由を2歳で失ったヘレン・ケラーが最初に覚えた言葉は
「水」であったといいます。 サリバン先生がヘレンの左手に井戸水をかけ、
右の手のひらに指で「W-A-T-E-R」と書いた。
それが、「私の手を流れる、すばらしい、冷たい何か」についた
名前であることを知ります。
水が魂を目覚めさせ、「光と希望」を与えてくれたと、自伝で回想されています。
水は一滴々々が集まり、岩をも、山をも砕く荒々しい試練を与える働きから、
人の気持ちに寄り添える優しさまでを持っているのです。
清濁併せ持つという言葉は、
善悪の両面を併せ持っているという意味で、基本的には人間に使われる言葉です。
企業に関しては悪意を持って行動している部分がないという建前
(結果的に悪であっても)があるため、あまり使われない言葉でもあります。
自動車であれば利便性はあるものの事故の危険性や排ガスの問題があると言えますが、
清濁併せ持つとは言わないことが一般的でしょう。
偉人や政治家などに使われることもあるのですが、功績と負の面があると
清濁併せ持つ人と振り返る形で使われます。
普通の人であれば定義や程度にもよりますが善悪両面は持っていても、
仕方ない部分があるので、わざわざ使わない言葉ともなっています。
また、この言葉において善悪の比率まではイメージできず、
残忍な罪を犯した人であっても優しい部分を持っているということもできます。
清濁併せ持つではなく、清いのみの人は聖人、濁りのみの人は悪人と
言えなくもありません。
今、話題のジャニーズ事務所創設者ジャニー喜多川氏は、
日本の男性アイドル市場を開拓した人です。
しかし彼が犯した性犯罪は史上まれに見ない異常な事件です。
余りにも功績のある人物だったのでマスコミも手を付けられませんでした。
清濁併せ持つ人物でしたが、事件が明るみに出て濁(どろ)が大きすぎて、
日本はとどまらずに世界の音楽業界から消されてしまいました。
純粋に音楽が好きでアイドルに憧れてきた少年たちをスターにしてきても、
その子たちを泥まみれにした罪の方が大きすぎて永久に葬むらなければなりません。
同時に応援してきたファンにも拭いきれない泥の記憶になりました。
「万物は流転する」生まれ、変化し、消滅する。
「無常観」この世には完全無欠、あるいは絶対不変なものはない。
「理性的存在者」日々、迎える一秒一秒の「生の価値」を存分に満喫したいものです。
私はプロデューサーとして、また年齢を重ねた人間として、
水のような柔らかな心と負の部分も受け入れる心が持てるようになりました。
合掌