「与えた恩は水に流し、受けた恩は石に刻め」

人に与えた恩は水に流し与えた恩を忘れろ。
見返りを期待するような恩は偽物だ。

他人から受けた恩は石に刻み一生忘れるな。
謝罪の気持ちを持ち続けることが本物の恩なのだ。

ここまでで十分と云う恩返しは無い。
恩を返すならば死ぬまで返し続けなければならない。

言葉だけではない行為の中から生まれた結果が恩である。

その昔、言葉が無かった時代には、恩で十分にコミュニケーションが取れた。
恩は万国・万人に通ずる人の道の基本である。

忘れるべからず。

いつからか我々は恩を返す事に不器用になってしまった。

亡き父は毎年年末になると沢山の葉書に年賀のあいさつを書きこんでいた。
子供心に「誰に出すの」と尋ねたところ「お世話になった人へ」と返事が返ってきた。

そういえば、お中元やお歳暮も「お世話になった人へ」と言っていた事を思い出した。

当時一般家庭にも電話が普及し始めた頃ではあったが、
電話では失礼になるからと丹念にあて名書きをしていた。

両親や親類、先生や友人、お世話になった上司や隣近所の人達へ、
元気に暮らせることへの、感謝の気持ちを時折々に伝えることであった。

そして返事が来ると笑顔で読みながら「あちらも元気に暮らしている」と喜んでいた。

伝達手段が少なかった時代だから、日常の出来事から冠婚葬祭の連絡までが、
手紙や葉書でやりとりする事が多かった。

大切な人(恩人)との縁が切れない様に、時候の挨拶や健康への気遣い、
おめでたい事から、悲しい出来事まで、短い文章の中に細心の注意を払ったものである。

今はどうでしょうか。

簡単な挨拶は携帯メールで済ませることが多くなりました。
重要な連絡も相手の顔を見ながら話す事も出来るようになりました。

でもそれで良いのでしょうか。

通信機器の便利さが人間関係を希薄にしてしまったのではないでしょうか。
その為に日常の生活の中から美しい言葉や文字を使う機会が少なくなり、
単なる形式的に「ありがとう」だけを言う関係となっています。

両親や恩人に深々と頭を下げて挨拶する習慣が無くなりつつあります。
硯を出して墨を磨り毛筆で書き出す瞬間の緊張感も失われてしまいました。
家族そろって伝統的な正月料理を食べる事も少なくなり始めています。

このような古き良き礼儀作法が無くなる事は、日本人としての誇りが曖昧となり
神仏に対して敬う気持ちが薄れて行きます。

「国に忠、親に考、友に仁」の三つの教えが日本文化の基本です。

今一度「与えた恩は水に流し、受けた恩は石に刻め」を思い起こすべきではないでしょうか。